第2回 ポン酢のポン 2000.1.11.


 「では,教えてくれ.ポン酢の“ポン”とはなんのことだ.」
これは,「美味しんぼ」の第67巻,第4話の中で海原雄山が,息子だが仲違いしている山岡士郎がポン酢について得意げに語ったことを聞いた時に発した言葉です.
 ポン酢はご存知のように醤油に柑橘類のしぼり汁を加えたもので,鍋物などをいただく時に使います.この「ポン」が何かと疑問に思った方は多いと思いますが,実際に調べてみるのは結構大変そうですし,第一食事の最中に辞書や百科事典を持ってくることはそうはしませんよね.で,食事が終わるとその疑問もどこかへ忘れられてしまうので,なかなか調べるという行為にまで結びつきません.さらに,ポン酢といいながらポン酢はすではありません.ですから,「ポン酢の“酢”とはなにか」という疑問も出てきます.

 先の言葉にさらに海原雄山の叱責の言葉が続きます.
「単にポン酢についてだけではない.何ごとについても不注意で,本質に思いをいたさない,おまえたちのその軽薄さ思慮のなさが問題なのだ.」
この態度は,「美味しんぼ」という作品の根底に流れている考え方だと思います.この他にも「料理を食べてもらう相手にふさわしいものを提供しなければ,どんなに素晴らしい料理も意味がない.」とか,はっきりとした言葉では語られていませんが,追究の結果これだと思う解答が見つかってもその奥にはもっと追究すべきことや関連した事柄がたくさんあるものだ(本質に至るまで追究をやめてはいけない)としてまさに思いもよらないことにまで追究の手を伸ばしていく,そうした考え方,物事に対する態度が食べ物を通したわかりやすい形で語られています.と言っても,この作品は決して価値観を押しつける道徳の教科書になろうとしているのではなく,あくまでも素敵な美味しい料理を追究することが目的で,そのためにはこうした物事に対する態度が不可欠であることを納得させられてしまいます.

 こうした態度は,なにも料理の世界に限ったものでは無いですね.音楽の世界においてもやはり本質を見抜き,自己満足でない誰をも納得させられる演奏を追究したいものです.そのきっかけになるのが,冒頭に書いたような疑問から始まることも少なくないように思います.演奏者の頼りは,特殊な音楽を除いてとにかく楽譜です.楽譜を読んでそれを音にし,演奏という形で人々の前に提示するわけです.本質にせまれるかどうかは,その楽譜から何を読み取るかにかかっています.
 たとえば楽譜に「フォルテ」が書いてあった場合,これは「強く」という記号だからとりあえず「大きな声」で歌ってみますね.問題はこの後です.「なぜ作曲者はここにフォルテを書き込んだのだろう」とか,「どの程度のフォルテにしたらいいのだろう」と考えるだけでは,まだ不足だと思うのです.たとえば,「フォルテは強くという記号であって大きくではないのに,なぜ自分は大きい声で歌おうとしたのだろう」とか,「なぜそこにはフォルテが書いてあったのにここには書いて無いのだろう」とか,「この作曲家はフォルテに対してどういうイメージを持っているのだろう」など,疑問を深めていくこと,そしてその解答を求めていくことがとても大事だと思います.こうした疑問を調べたり,実際に歌って試してみたりしていると,さらに新たな疑問が出てきて知識も深まっていくでしょうし,またそうしたことを背景にして自分の考えで表現できるようになっていきます.あくまでも素敵な演奏を目指すわけですから,知識を深めることが目的ではありません.しかし,こうした深い知識は必ず表現を深めてくれるはずですし,何を大事にして表現を作っていったらよいかがわかってきます.そうすると,楽譜をみるのが結構楽しくなるものです.

 ちょっと説教くさい書き方になってしまいました.しかし,疑問を持ちそれを調べ,さらに疑問を持ち調べて知識的な背景を広げていくことは,私の音楽に対する基本的な態度の一つです.
 作品の本質を見抜く目を持ちたいといつも願っています.そのためにいろいろな手段を工夫したいと思っています.本質が見えた時,その作品がより好きになっていきますし,それを作った作曲家は惜しまぬ拍手を送りたくなります.

 さて「ポン酢」ですが,正しくは「ポンス醤油」と言うのだそうです.ポンスとはオランダ語でお酒の「パンチ」をさします.日本人は江戸時代長崎・出島のオランダ商館でオランダ人の飲むポンス(パンチ)と出会いました.お酒のポンスはオレンジやレモンのしぼり汁を入れることから,柑橘類のしぼり汁自体をポンスと呼ぶようになり,酢醤油の酢のかわりに柑橘類のしぼり汁を加えてポンス醤油と呼ぶようになったようです.さらにポンスの“ス”が酢と音が同じので,ポンス醤油がポン酢となった,というのがその正体でした.
 この「ポン酢」のようにちょっとした疑問であっても,調べてみると意外な事実が隠されていたりして,「調べる」ということはそれ自体もとても面白いことですね.





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