第2回 パートの名前‥‥由緒あるテナー


 以前掲示板の方に,「フォーブルドン」についての書き込みがあり,私も興味があったので,現在音楽史の本などをいろいろ引っ張り出して,調べております.そんな中で,きっと以前読んだときには読み飛ばしていたのでしょう,記憶に残っていなかったのですが,「テノール」というパート名の起源について書かれた部分があって,びっくりしてしまいました.



 大雑把に西洋音楽史を見てみると,紀元1000年ごろまでは,グレゴリオ聖歌を中心とした単声音楽が発展してきた時期でした.続く500年間に,その単声音楽はさらなる成長をしていきますが,それと同時に単声音楽を元にしながら多声音楽が出現し,非常な進化を遂げました.そして紀元1500年ごろには,多声音楽は独立し,合唱の黄金期をむかえます.
 さて,テノールtenor(ラテン語)という言葉が最初に使われたのは,グレゴリオ聖歌においてでした.グレゴリオ聖歌には3つの型,詩篇唱形式・有節形式・自由な形式があります.この内の詩篇唱形式は,詩篇の各音節を同じ高さの音で歌います.さらに詩篇の各節ごとに中間部と終止部に定型的な短い旋律がつきます.このほとんどの音節を歌っている同じ高さの音は,その旋法のドミナント(支配音のこと:教会旋法では,終始音とドミナントが重要視されます.)ですが,この音の事をテノルと言いました.テノルとは,ラテン語で保続音という意味で,「テ」にアクセントがあるためノルのように発音します.

 時代が下って11世紀になると,多声音楽が発展をはじめます.そのごく初期の形は「オルガヌム」といって,グレゴリオ聖歌の旋律に対して第2のパートが5度または4度下で平行進行で重複するように歌う(平行オルガヌム),または第2の声部が聖歌の旋律と同じ音で始めて4度の音程になるまで同じ音を歌いその後平行4度で進行したあと終止のところで再び同度に戻る,という形をとります.聖歌の旋律を歌うパートを主声部,第2のパートをオルガヌム声部といいます.
 この第2のオルガヌムの形式は次第に発展し,主声部に対してオルガヌム声部が斜進行したり反進行したりして,主声部の上で独自の旋律を歌うようになります.2パート間の音程は,同度・8度・4度・5度が支配的で,それ以外の音程は付帯的,経過的な不協和音として取り扱われました.リズムはどちらのパートも,基本的に聖歌のリズムとなります.
 12世紀になると,それぞれのパートがリズム面で独立していきます.下のパートが聖歌の一部の各音を長い保続音で歌い,その上で第2のパートが自由なリズムでかなり長いメリスマ的な旋律を歌います.このようなオルガヌムは,保続音オルガヌム,またはその写本が見つかった修道院の名前をとってサン・マルシャル・オルガヌムと呼ばれています.オルガヌム声部は主声部と同じ聖歌の歌詞を歌うこともありますが,まったく違う歌詞を歌うこともありました.そしてここでテノールの言葉が使われました.主声部(下声部)は,聖歌を長く引き伸ばし音を保って歌ったため,ノルと呼ばれました.その後15世紀の半ばごろまで,多声音楽の一番下の声部をさす言葉として,このノルが使われました.

 その後リズム・モードが考案され,まずオルガヌム声部がそれまでに比べてかなり自由なリズムで歌われるようになりました.そしてノートルダム楽派の作曲家たちが活躍する時代となります.中でも12世紀中ごろのレオニヌスによって,テノル声部もリズム・モードによって短い音符を歌う様式,ディスカントゥスが生まれました.レオニヌスは先のオルガヌム様式と新しいディスカントゥス様式を1つの曲の中で交替で使うことによって対照を作り,より歌詞にあった音楽が作曲されていきました.さらにディスカントゥス様式の部分(これはクラウスラと呼ばれました)が独立した曲となっていき,あたらしい形式であるモテトが生み出されていきます.(モテトの詳細はまた項を改めて,検討してみたい.)
 12〜13世紀にかけて活躍したペロティヌスは,さらにそれらの音楽を発展させました.その1つは,オルガヌム声部に第3・第4の声部が加えられ,3声のオルガヌム,4声のオルガヌムが作られました.その際第2の声部はドゥプルム,第3の声部はトリプルム,第4の声部はクアドルプルムと呼ばれました. また新しい動きとして,コンドゥクトゥス様式が確立されました.これはオルガヌムと違って,すべてのパートが同じリズムで動きます(今日でいうホモフォニーのように).コンドゥクトゥスでは,テノルが聖歌の旋律ではなく,新しく作曲された旋律を歌います.つまりそれまでと違って,まったく独自の(他から借りてきたものが無い)多声作品が作られたのです.

 14世紀になり,アルス・ノヴァの時代をむかえると,フランスでは「ノートルダム・ミサ(はじめてミサ通常文を多声で通作した作品)」で知られるギョーム・ド・マショーが現れます.マショーはバラード様式を完成させた人でもあります.イタリアではフランチェスコ・ランディーニが活躍しました.シ−ラ−ドという終止形を創始したといわれ,これはランディーニ終止といわれています.
 イギリスでは3度と6度の和声やミソドという六の和音が好まれて使われ,大陸とは違った独自の音楽を発展させています.この中でフォブルドンなるものも出て来るのですが,これはまた項を改めて考察します.最も知られた作曲家は,ジョン・ダンスタブルでしょう.

 15世紀になると,ブルゴーニュ楽派の作曲家たちが活躍をはじめます.ギョーム・デュファイやジル・バンショワといった人たちが活躍した時代です.
 それまでテノルは,聖歌を借りてきて歌う(こういうのを定旋律といいます)パートで,最低声部でした.しかしイギリスの和声の影響などもあって,1・4・5・8度中心であったそれまでの和声に比べさらに自由になった和声進行を支えていくためには,最低声部はもっと自由に(定旋律ではすでに旋律が決まってしまっているので自由に変えられない)動きたいわけです.そこでテノルの下に1つの声部を置くことによって,和声進行の自由を作り上げました.この新しくつくられた最低声部をコントラテノール・バッスス(後に単にバッスス)といいます.コントラcontraはラテン語で「〜に対して」,バッススbassusはラテン語のbasisがもとで「基礎,土台」という意味ですから,コントラテノール・バッススはテナーに対して土台となるパートということです.またテノルの上には,コントラテノール・アルトゥス(後に単にアルトゥス)という,第2のコントラテノールが置かれました.アルトゥスは「高い」という意味です.そして従来の最上西部は,カントゥス(cantusラテン語で歌のこと)またはディスカントゥス(discantus)・スペリウス(superiusラテン語でさらに上の方にという意味)と呼ばれました.
 これが現代まで続くパート名になっているわけですね.パート名は,その役割からつけられた名前だったわけです.そして,テノルを規準に決められた名前であるところが注目でしょう.ではソプラノという名称はいつごろからどういう意味で使われたのでしょう.これは,また調べてみます.

名前に歴史有りですね.
お粗末さまでした.




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