富士山

 富士山は日本を象徴する山であるとともに、日本で最も標高が高い山である。万葉歌人高橋蟲麿も『日本の大和の国の鎮めともいます神かも、宝ともなる山かも』と詠んだように、古代より信仰の霊峰として崇められていた。富士山の活動の歴史は10万年前まで遡り、100〜300年に1回程度噴火活動をしていた。記録に残る噴火は西暦781年以来16回、その内4回は大噴火であった。最後の1707年宝永大噴火以来290年余り鎮静する休火山である。
 この富士山に日本人として一度は登ってみたいと思っていたが、なかなかきっかけがなかった。今回同じ会社の事業所が静岡県裾野市にあり、毎年恒例の富士登山に参加する事にした。2001年7月28日〜7月29日の日程で、夜出発して早朝御来光を拝するというものだった。午後8時15分に新五合目に到着、高所に慣れるように1時間休憩をした。ここで富士登山にはかかせない金剛杖を買った。金剛杖は長さが2種類あり、どちらも1,000円だった。

新5合目にて
   富士山新5合目にて

 慣れたところで午後9時15分に出発した。新6合目、6合目、新7合目、7合目、8合目を通過し、やっと9合目の萬年雪山荘に到着した。特に8合目直下の岩場が難所だった。9合目に到着したのは7月29日午前0時を過ぎていた。周りは暗いし、疲労と睡魔が徐々に襲ってくる。上を見ると懐中電灯の灯りがまだまだ続いている。

9合目萬年雪山荘にて1 9合目萬年雪山荘にて2
              萬年雪山荘にて

 9合目を過ぎるとますます疲労と睡魔で、登山ペースが遅くなった。10歩進んでは登山道の脇に座り込む状態である。段々東の空が明るくなって日の出は近いのだが、悲しい事に体が動かない。推定9.8合目で御来光となってしまった。

雲海1 雲海2 雲海3
                   推定9.8合目辺りより雲海の様子

 午前5時、富士山頂に到着した。約8時間の工程であった。鳥居を越えると、『やったぞ!富士は日本一の山』という看板が立っていた。正しく日本一の山、今迄の疲労も吹き飛び、富士山登頂に成功したという達成感が湧き上がってきた。

山頂直前1 山頂直前2 山頂直前3
                        山頂直前鳥居にて

山頂にて 雲海4
       山頂にて             広がる雲海

 頂上に到着後、食事を済ませ今は眠っている噴火口を見た。富士山の火口を一周する事ができ、通称『御鉢巡り』という。その名の通り恐ろしい位のすり鉢状である。そこを覗くと、誰が作ったのか分らないが、『夢』という石文字があった。決死の思いで行ったに違いない。また字の選択がユーモアに溢れている。とても御鉢巡りや、正式な山頂である3,776mの碑がある富士山測候所(閉鎖)迄行く気力はなかった。次回富士山に登る事があれば、その時の課題にしようと思う。『富士山に登らぬ馬鹿 二度登る馬鹿』という川柳があるそうだが、今の気持ちはその通り、一回は登ってみたいが、もう次は勘弁って感じだ。想像以上に過酷な山だった。山頂は写真に見られる格好でも寒い位で、山頂で飲む予定でクーラーバックに用意していたビールも、結局飲まずに終わってしまった。火口周囲には剣ヶ峰、白山岳、久須志ヶ岳、成就ヶ岳、朝日ヶ岳、浅間ヶ岳、駒ヶ岳、三島ヶ岳などの外輪山がある。荒々しい風景だ。

富士山噴火口 夢の石文字 噴火口にて
      富士山火口           『夢』の石文字            噴火口にて

富士山測候所 山頂にて
      富士山測候所            山頂にて
 
 富士山山頂には富士山本宮浅間(せんげん)大社の奥宮(おくみや)があり、金剛杖に朱印を打ってもらった。浅間大社は第7代孝霊天皇の御代に富士山が噴火して、国中の荒廃が長い間続いた事により、第11代垂仁天皇3年(紀元前27年)に富士の山霊を鎮める為に、山足の地にに浅間大神を祭った。その後、第51代平城天皇大同元年(806年)に坂上田村麻呂が勅命を奉じて、現在の地に社殿を造営したそうだ。いにしえより朝廷、武家に尊崇篤く、延喜の制では明神大社に列せられ、駿河国一宮、又全国1,300余りの浅間大社の総本宮として崇敬されてきた東海最古の名社だ。御祭神は木花之佐久夜毘賣命、相殿に父神大山祇神、背の君天孫瓊々杵尊を祭っている。8合目以上は奥宮の御神域だそうだ。
 奥宮に御参りをした後、直ぐ隣にある富士山頂郵便局に行き、登山証明書を買った。これは葉書になっていて、既に貼られている300円分の切手で届くそうだ。ついでに記念絵葉書も買った。封筒の中に3種類各2枚、計6枚のかもめーるが入っていました。郵政事業庁の商魂にはつくづく感心してしまう。
 
登山証明書 表 登山証明書 裏
                表          登山証明書            裏            

   
                               富士山絵葉書各種
 
 午前7時下山。下山ルートは御殿場口、有名な砂走りを通るルートだ。このルートはかなり楽だが、やはり細かい砂礫の道なので足元に神経を使わないと転んでしまう。途中遠方に山中湖が見えた。8合目、赤岩8合(7合9勺)を過ぎ、7合5勺の砂走館に到着。周辺には過酷な環境にありながら、地味な高山植物がけな気に花を咲かせていた。7合目の日の出館を過ぎると、砂走りの入口だ。どんなものかと思ったが、砂が深い所で30cm位あって歩きにくい。試行錯誤の結果、かかとから入り滑らすようにする走行で、テンポよく下る事ができた。この砂走りは全長が6.5kmもあり、いい加減うんざりする。登山靴には砂が入って痛い位だ。来週にはここで駅伝が開催される為に、選手達が練習をしていた。道はなだらかになったが、なかなか新5合目の駐車場に辿り着けない。やっと大石茶屋に到着した。下りは3時間だった。ここには良く喋る名物女将がいて、何かと冷たい物を勧めてくる。その誘惑に負けてかき氷を食べた。水もたらいで売っていて、これも買って埃まみれの顔や首、腕を洗った。コーラとビールを買ったがこれが凄く冷えていて、最高に美味しかった。駐車場にはここからまだ500mもある。最後張り切ったせいか筋肉痛になり、一歩一歩ゆっくり歩くのが精一杯だった。


宝永火口を望む 山中湖を望む 高山植物
    宝永火口を望む          山中湖を望む             高山植物