上高地

 河童橋からの風景
Photo by YUKITERU OCHI

 上高地は、長野県でも岐阜県との県境辺りにあり、周囲を焼岳(標高2,455m)、霞沢岳(標高2,646m)、六百山(標高2,450m)、明神岳(標高2,931m)、穂高連峰の西穂高岳(標高2,909m)、奥穂高岳(標高3,190m)、前穂高岳(3,090m)などに囲まれた標高は約1,500mのS字形の谷底盆地だ。旧国立公園法(現在の自然公園法 昭和32年公布)では昭和9年に日光国立公園と同じくして上高地、乗鞍一帯が中部山岳国立公園に指定された。
 古来より上高地奥地の明神池の辺には穂高神社奥宮があり、信仰の対象になっていたが、訪れる人は稀であった。江戸時代後期には松本藩が大規模な森林伐採事業を行ない、200人以上の伐採作業の木こりが駐在していた。温泉も湧き、湯屋の一つ清水屋は現在の上高地清水屋ホテルの前身だ。
 記録上での最初の上高地入山の人物は、越中富山の僧侶、播隆(ばんりゅう)だった。彼は山岳信仰の修行として度々槍ヶ岳に弟子達と登った。それまで前人未到だった槍ヶ岳も彼等によって登山道が整備された。しかし、彼の死後槍ヶ岳信仰は廃れ、明治時代まで森林伐採関係者くらいしか訪れなくなった。
 明治時代に入って明治政府によって雇われた外国人技師の一人、イギリス人冶金技師ウィリアム・ガウランドが、明治10年7月外国人として初めて槍ヶ岳に登った。彼は雑誌で『Jaoan alps』として紹介した。これが『日本アルプス』の語源となった。その後明治21年に来日したイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンも槍ヶ岳に登り、明治29年にイギリスで出版された著書『日本アルプスの登山と探検』で詳しく上高地周辺の山々を紹介した。登山には安曇村生まれで猟師として明神池の辺に住み続けた上条嘉門次が同行した。彼の著書の中で嘉門次は、有能な山岳ガイド『ミスター・ガモンジ』として紹介されている。嘉門次の住んでいた場所には今も嘉門次小屋が建っている。日本人登山家としては鵜殿正雄が初めて前穂高岳に嘉門次と登っている。こうして日本の近代登山が始まった。ウェストンの尽力により、英国山岳会に範をとった『日本山岳会』が明治38年に設立された。彼の業績を称える為に、日本山岳会より上高地にウェストンのレリーフが昭和12年に掲げられた。
 大正4年6月6日に焼岳が大噴火、噴出物が梓川を堰き止めて一夜にして湖が誕生し、大正池と名付けられた。湖底に水没した森林はやがて立ち枯れ、湖面に枯れ木が林立する上高地を代表する風景になった。大正5年には戦後の首相になった東久邇宮殿下が槍ヶ岳に登る事になり、急遽島々〜徳本峠〜明神〜槍ヶ岳の登山道が整備された。大正11年には筑摩鉄道(現在の松本電鉄)松本〜前渕(島々)間が開通した。この頃から上高地が大衆登山へと移っていった。
 昭和2年3月には芥川竜之介が小説『河童』を発表し、上高地と河童橋を登場させた。同年7月には鉄道省(現在のJR)が後援し、東京と大阪の新聞社が主催した『日本八景』の渓谷の部において、投票数では天竜峡に大差をつけられたが、上高地が第一に推される程人気が高かった。この月に芥川竜之介は自殺した。8月には昭和天皇の弟君である秩父宮殿下が、奥穂高岳から槍ヶ岳まで縦走した。
 理学博士中井猛之進は国立公園選定調査の中で、上高地の河原にて日本で最初にケショウヤナギを発見した。国立公園指定後は小梨平、明神、徳沢の牧場は閉鎖された。昭和4年には中の湯、昭和8年には大正池、昭和9年には河童橋付近までバスが運行になり、誰でも上高地を訪れるようになった。それまでの徳本峠越えは健脚向きの難所であった。
 マイカーの普及で観光客が増加し、排気ガスによる環境への影響も懸念された。昭和50年にはマイカー規制を実施し、徐々に強化していき現在では通年マイカーの通行が前面禁止になっている。美しい上高地を後世まで伝えていかねばならない。

 8月16日、いつかは行ってみたいと思っていた上高地に行った。2週間程前に安曇村の村営上高地アルペンホテルに電話したところ偶然にもキャンセルがあり、泊まる事が出来た。途中乗鞍高原などに寄った為に夕方になってしまった。午後5時に村営沢渡(さわんど)駐車場に到着した。駐車料金は1日500円、沢渡駐車場から上高地までシャトルバスがピストン輸送しているが、往復で2,000円だ。上高地までの所要時間は約30分である。バスに揺られ釜トンネルの入口に来た。しっかりとしたゲートがあり、一般車両の進入をチェックしている。この釜トンネルは道幅が狭く、信号機による交互通行だ。松本からの国道158号線のトンネルも狭くて冷や冷やするが、この釜トンネルはそれ以上だ。釜トンネルを抜けるとそこは上高地、穏やかな湖面の大正池が見えた。そして赤い屋根の建物が見えてきた。上高地帝国ホテルだ。1泊30,000円くらいするが、一度は泊まってみたい憧れのホテルだ。やがてバス・ターミナルに到着した。バス・ターミナルからホテルまでは直線だと梓川を挟んでほぼ向かい側だが、河童橋を渡らないといけないので、遠回りになってしまう。梓川沿いを歩いて河童橋を渡った。河童橋は上高地のシンボルで、長さ36.6m、幅3.1mのカラマツ材の吊り橋だ。初代は明治24年に作られ、大正11年まで使われた。現在のは1997年7月に完成した5代目だ。『河童』の由来は、頭に荷物を乗せて渡る旅人の姿が河童に似ているからともいわれている。やっとホテルに着いた。建物はスイスにでもありそうな外観でアルペン・ムードが漂う。

村営沢渡駐車場駐車券 シャトルバス往復乗車券
      村営沢渡駐車場駐車券            シャトルバス往復乗車券

夕食1 夕食2. 夕食3
                           夕食


                   おしながき


                      箸入れ

 夕食は見た目にも美しい手の込んだ懐石料理であった。自前に予約すればイワナのお造りも食べる事が出来る。部屋には信州漬とお菓子(りんご焼)があり、これも美味だった。お風呂は温泉ではないが、上高地の天然水の沸かし湯だ。24時間いつでも入れるのが嬉しい。温泉にも入りたい人は、上高地清水屋ホテル、上高地温泉ホテルがお薦めだ。

お菓子
    信州漬とりんご焼

上高地アルペンホテルにて
村営上高地アルペンホテルにて

翌日午前6時にホテルを出発し、大正池を目指した。朝靄がたちこめていて幻想的だった。

 河童橋より焼岳を望む 河童橋より穂高連峰を望む
梓川遊歩道より六百山?を望む   河童橋より焼岳を望む    河童橋より穂高連峰を望む

梓川遊歩道から穂高連峰を望む
梓川遊歩道より穂高連峰を望む