マチュ・ピチュ1
昨日食事をしないで寝てしまった。やはり長時間の飛行機による移動で疲れていたのだろう。午前4時には目が覚めてしまった。これから夢のマチュ・ピチュに行く。この為にペルーに来たといっても過言ではない。ナオ・ツアーの送迎が5時30分に来る。急いで荷物の整理をした。明日の夜にはまたここでお世話になるので、1泊分だけデイ・バックに入れて、スーツケースはコンキスタドールに預ける事にした。5時に1階の食堂にいったが真っ暗だ。実にのんきである。暫くして眠そうなセニョールが出てきた。食堂にも灯りがついた。中に入って急いで朝食を食べた。この先必ず朝食に登場するバターだが、みんな球形をしているのは何故だろう?パパイア・ジュースは食物繊維もたっぷりみたいな感じで美味しかった。
メニュー
パン
トースト
ジャム
バター
紅茶
パパイア・ジュース
朝食も済ませてくつろいでいると、ナオ・ツアーの送迎車がきた。。コンキスタドールのセニョールに挨拶をして出発した。さすがに山岳地帯だけあって朝の冷え込みは凄い。まだ薄暗い石畳の路地を駅へと向かった。クスコには駅が二つある。一つはソル駅(ワンチャク駅)(エスタシオン・ソル:Estacion Sol エスタシオン・ワンチャク:Estacion Huanchac)、この駅はプーノ、アレキパ方面行きだ。もう一つはサン・ペドロ駅(エスタシオン・サン・ペドロ:Estacion San Pedro)、この駅はマチュ・ピチュ方面行きだ。今回はサン・ペドロ駅からマチュ・ピチュへの列車の旅だ。駅前は各ホテルからの送迎者や出発前の観光客で賑わっていた。チケットやホテルのバウチャーを受け取って駅に入った。駅周辺は治安が悪いので注意したい。ホームには黄色と朱色の鮮やかな列車が停まっていた。これがマチュ・ピチュまでの観光列車アウトバゴンだ。チケットを見るとA車両だった。ちゃんと乗務員のセニョールとセニョーラが立っていた。中に乗り込むと特別豪華ではないが、テレビがあった。何と機関銃を持った警官(見た目は兵士)が立っていた。日本では考えられない事なのでビックリした。席は進行方向に向かって左側の窓際だった。もう胸は高鳴って興奮状態だった。
クスコ〜マチュ・ピチュ間マップ アウトバゴン サン・ペドロ駅構内
アウトバゴンと乗務員
アウトバゴン乗車券 表
アウトバゴン乗車券 裏
アウトバゴン乗車券 中
列車は定刻通り午前6時に出発した。クスコはすり鉢状の盆地である為に、スイッチ・バック方式でマチュ・ピチュまで抜ける。車窓からは朝焼けのクスコ市街が美しかった。4回列車は停車し、スイッチ・バックを行なった。この間所要時間は15分であった。スイッチ・バックを終えた列車はマチュ・ピチュへと向かった。途中の車窓からは山の斜面に小麦やトウモロコシの畑があったり、日本で引退した黄色い幼稚園バスがこんな田舎で現役で走っていた。塗装はそのままで『○〇幼稚園』としっかり入っていた。どういうルートで入ってくるのだろうか?園長先生が地球の反対側の異国の地で走っているのを見たら、涙するかもしれない。
朝焼けのクスコ市街
6時40分にドリンク・サービスがあった。またファンタを頼んだ。同時に朝食と思われる軽食が配られた。味はいったて普通、日本のものとかわりなかった。食後暫くして乗務員が何やら売りに来た。クスコなどの観光案内のビデオや、写真集だった。見ていると気に入ったのがあったので、
「エステ・クアント・クエスタ?(Este Cuanto Cuesta?:これはおいくらですか?)。」
と聞くと、
「ベインテ・ドーラス(Veinte(20) Doras:20ドルです)。」
といった。ペルーにしては高価だが、日本円で約2,400円なので妥当かなと思い買った。説明が英語なので折角の解説も分らないが、写真が豊富だった。乗務員があるページを開いてスペイン語で話しているが、ニュアンスでこの花が今マチュ・ピチュに咲いているという事が伺えた。とても綺麗な花だったので楽しみだった。スペイン語の花名は分らないが、蘭の仲間である。
メニュー
ロールパンのサンドイッチ(1個チーズ、1個ハム)
ロール・ケーキ1個
マチュ・ピチュ写真集 マチュ・ピチュに咲いている蘭科の花
出発して1時間も走ると大草原が広がった。牛達がのんびりと草を食べていた。
牧草を食べる牛達
7時25分、5回目のスイッチ・バック。川沿いの断崖の間を走った。鋭い峰々が続いている。7時40分、何故か停車した。7時50分に再出発した。車窓からは高山植物の花や巨大アロエ、巨大サボテンなどの植物が見えた。
鋭い峰
8時を過ぎるとウルバンバ川が右手に見えてきた。ウルバンバ川はアマゾン川の支流で、やがては大西洋にそそぐ。橋を渡って今度は左手になった。水は茶色く濁り水量は多い。両側にそびえる山々は木も生えてない裸山だ。
ウルバンバ川の流れ
険しい山々
暫くするとインカ時代と思われる遺跡も見えたきた。遺跡名は不詳である。
インカ時代の遺跡
8時5分、駅に停車した。オリャンタイタンボ駅(エスタシオン・オリャンタイタンボ:Estacion Ollantaytambo)だ。列車の外を取り囲むようにしてお土産物売りでいっぱいだ。車窓から値段の交渉をして買っている人もいた。ペルーの人達は商魂たくましい。
オリャンタイタンボ駅にて
8時15分に出発した。車掌が切符のチェックにまわってきた。8時45分に岩をくりぬいて作ったトンネルをくぐった。通過中は車内が真っ暗になった。その内車内に、アンデスの楽器サンポーニャ(Zanpona)によるフォルクローレ(Folklor)の名曲♪コンドルは飛んで行く(エル・コンドル・パサ:El Condor Pasa)が流れてきて、嫌がおうにもマチュ・ピチュへのアンデス・ムードを活気立てる。その後岩をくりぬいたトンネル5つを抜け、9時30分にアグアスカリエンテス駅(エスタシオン・アグアスカリエンテス:Estacion Aguas Calientes)に到着した。定刻より30分遅れだった。ここアグアスカリエンテスはマチュ・ピチュ観光の基地となる街で、アグアス(Aguas:水)、カリエンテス(Calientes:熱い)、つまり熱い水=お湯=温泉という事で、温泉保養地でもある。小さな村の割には立派な駅なのには驚いた。駅のゲートには警察官が立っており、現地の人達が入るのを防いでいる。駅を出るとブルーシートで囲まれた土産物屋の露店がずらりと並んでいる。今はゆっくり見ている暇はない。1本でも早くミニ・バスに乗るために先を急いだ。ウルバンバ川沿いまで来ると、車種が様々なミニ・バスが縦列状態で待機していた。1番乗りで9時35分に出発した。ミニ・バスは川沿いの道を走っていく。前方に小さな駅が見えた。プエンテ・ルイナス駅(エスタシオン・プエンテ・ルイナス:Estacion Puente Ruinas)だ。プエンテ(Puente:橋)、ルイナス(Ruinas:遺跡)という意味で、遺跡橋駅という事になる。その名の通り、ウルバンバ川に橋が架かっていて、激流の川の水が飛び散ってきそうだ。以前はここが最寄駅だったらしい。下から上を眺めても遺跡のかけらも見えない。本当に壮大な遺跡があるのか疑ってしまう。
橋を渡り左に曲がり山道へと入って行く。これから発見者ハイラム・ビンガムに因んだビンガム・ロードだ。日光いろは坂のように幾度も折れ曲がったくねくね道が続いていく。