東尋坊・芦原温泉

 平成14年3月9日〜10日の日程で、北陸越前の芦原(あわら)温泉と、東尋坊巡り、冬の味覚越前ガニ旅行に行った。8日の深夜出発し、9日早朝に到着するという強行軍であった。東尋坊は福井県三国町の日本海沿岸にある断崖絶壁の景勝地である。東尋坊の独特な断崖絶壁は新生代新第三紀の火山活動(約1,200万年前)でマグマが堆積岩層(米ヶ脇累層)中に貫入し、冷え固まって出来た火山岩が、荒波による侵食を受けて地表に表れたものである。この火山岩には、マグマが冷え固まって出来た柱状節理がよく発達している。節理の断面を観察すると、5〜6角形のものが見られる。この火山岩は紫蘇輝石、普通輝石安山岩である。これは一般的な火山岩である。東尋坊の由来についてだが、昔、平泉寺の僧坊に東尋坊という強力無双の悪僧がいた。一山の僧徒達は日頃東尋坊を非常に憎んでいたため、ある日三国海岸見物にことよせて東尋坊を誘い出し、したたかに酒を飲ませ、断崖より突き落として殺してしまった。その後その恨みによって様々な怪奇が起き、東尋坊のたたりと思い名が付いたといわれている。実際ここは自殺の名所でもあり、火曜サスペンス劇場のロケ地としても知られている。東尋坊には無料駐車場があるがやはりタダより高いものはない。食事なり土産物なり買い求めるようになっている。初めての東尋坊で楽しみであった。東尋坊から荒磯遊歩道というのがあって、雄島を経て越前松島水族館まで歩いていけるので、風景写真を撮りながらのんびり行く事にした。東尋坊周辺の海岸地域は越前加賀国定公園に指定されている。東尋坊には七つ岩、ローソク岩、亀岩、軍艦岩、屏風岩、ライオン岩などがある。ここの柱状節理の景観は圧巻である。岩の上から下を覗くと足が震えてくる。写真ではそれが伝えれないのが残念だ。遠方にはこれから行く雄島が見えた。

   

  

  

 
                         雄島を望む

 荒磯遊歩道の入口付近に三好達治作の荒天薄暮の詩碑があった。



 遊歩道を暫く歩くと小さな入り江が見えてきた。福良浜(ふくらはま)と呼ばれ、毎年7月20日にはウニ漁が解禁になり、海女さんのウニ漁が見れるそうだ。またここは東尋坊の地層の成り立ちが観察出来る場所で、海岸線の岸壁が異なる地層で構成されているのが良く分る。福良浜を抜けると小さな福良の滝があった。遊歩道は松林の中を通っており、振り返れば東尋坊の展望タワーが良く見えた。遊歩道沿いには山口誓子氏の句碑もあった。

  
      福良浜               地層の様子          福良の滝

  
   福良から東尋坊を望む                  山口誓子句碑

 東尋坊から荒磯遊歩道を歩き続け、やっと雄島に到着した。東尋坊からはかなり遠くに見えたこの島も到着すればそうでもない。この島も一周出来るそうなので行って見る事にした。朱塗りの雄島橋を渡ると大きな鳥居があった。向かって左側の岸壁を見ると見事な柱状節理だ。東尋坊も素晴らしかったが、ここのは昔北海道の層雲峡で見たものに似ていた。雄島は約1,200万年前に噴出したといわれる新第3紀鮮新世層の輝石安山岩からなり、標高27mの丘陵台地である。周囲は2km、面積は10.2ha程ある。島は扇型をしており、越前海岸でも最大の島である。
 鳥居をくぐると急な石階段があり、更に左へと石階段が続き神社の社殿があった。大湊神社で、社殿は福井県指定重要文化財に指定されている。少彦名命(すくなひこなのみこと)外五柱の神々を奉っている。美保大明神ともいわれ、航海、漁業の守護神とされている。永禄年間(1558〜1569)朝倉義景は一門の祈願所と定めたが天正年間(1573〜1591)織田信長の兵火にかかり、社殿はことごとく焼失してしまった。元和7年(1621年)福井2代藩主松平忠直公が武運長久、国家安全の祈願所として再建したのが現在の本殿である。本殿は桃山様式を取り入れた一間社流れ作りの柿葺きで、中には伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)のけやき一本彫り坐像が安置されている。本殿で今回の旅の安全を祈願した。
 足元を見ると椿の花がいっぱい落ちていた。藪椿と呼ばれており樹齢100年以上の椿で、社叢林の神木となっている。椿は古来より長寿を保つと崇められた霊木だそうだ。上を見ると赤い椿の花が見事に咲いていて、こんな高木の椿を見たのは初めてである。本殿前には朱色の鳥居があり、絶好のビュー・ポイントであった。ここから東尋坊や雄島の入口にある小さな港の風景が見える。

   
        雄島             雄島の柱状節理                      大湊神社

   
        藪椿              大湊神社本殿          御神木      大湊神社から東尋坊を望む

 神社を後にして島の北側に出た。ここも見事な岩場だ。白い灯台もあった。遊歩道を西に向かうとこれまた見事な板状節理が見られた。東尋坊と同じ安山岩であるが、松の樹皮に似て薄い板を重ねた形の板状節理である。昔に地殻変動の折、隆起、沈降を繰り返した結果である。島からは白く雪化粧した白山が美しく見えた。

   
      北側の岸壁           灯台           雄島の板状節理         雄島から白山を望む

 雄島を一周し、雄島橋の手前にある食堂で軽く昼食を済ませ、そこに越前松島水族館の割引券があったのでもらい、海岸沿いに水族館を目指した。その途中に小魚を干していたり、海苔を乾燥させているのを見た。海沿いの町ならではの光景だ。

  
                小魚を干す                        海苔

 海岸沿いの道から遊歩道に入ると船のモニュメントが見えてきた。北前船の模型で、この辺りは九頭竜川の河口に広がる港町として、江戸時代交易が盛んだった。その頃の代表的な商船が北前船である。当時の経済発展に寄与した事はいうまでもない。また1997年にロシア船タンカー『ナホトカ号』の船首部分が漂着した時を後世に残す石碑もあり、この美しい海岸線が重油に汚染されていた事実を思い起こされた。

 
                              ナホトカ号船首漂着の石碑

       北前船

 午後2時を過ぎ、やっと越前松島まで到着した。ここも輝石安山岩の柱状節理が見られる場所で、海中に奇岩が散在し、老松が汐風に耐えて優美な風情を見せ、奥州の松島に似ている為に、越前松島と呼ばれている。以前日本三景の松島に行ったが、確かに松島の面影はある。遊歩道に沿って一周することにした。最初は白浜と呼ばれる入江が見えた。ここは越前海岸でも珍しい砂浜なのだが、残念ながら多分当時の面影は無いように思う。砂場の部分は大小の石が転がり、漂着したゴミの山である。別名竜宮ヶ浜といわれる程美しい景色も今はない。三国町にはゴミ対策を早急にお願いしたいものである。白浜を過ぎると長茶ヶ浜の出た。ここはゴミもなく綺麗であった。昔、順徳上皇が北条氏によって佐渡ヶ島に配流のみぎり難航し、この浜に流れ着いたとされ、岩肌や松の眺めが良く広々とし、殿様をはじめ風流人がここへ来て景色を眺めながら時間が経つのも忘れて長い間茶を飲んでいたので、長茶ヶ浜と名付けられたそうだ。ここの柱状節理はまた変わっていて、材木を積んだ形に似ていて、材木岩と呼ばれている。
 長茶ヶ浜を過ぎると洞窟があった。松島三洞穴の一つで、観音洞である。天然の洞窟で、聖観音菩薩を祭ってあり、毎年4月18日には観音祭りも行なわれる。また昭和初期の調査で、ここから壷形土器、高杯形土器、鹿角製釣針、貝輪、珠文鏡、貝殻、人骨等出土し、縄文時代から弥生時代にかけての横穴式住居ともいわれている。もう一つ洞窟があった。聖り穴と呼ばれ、これも天然洞窟である。奥にある観音堂は、丸岡藩主本田富正が寄進したと伝えられ、通商航海の守り本尊となっている。ここも昭和初期の調査で、観音洞同様の出土品があった。

  
        白浜               長茶ヶ浜               材木岩

  
                 材木岩                         観音洞

  
       聖り穴

 折角割引券をもらったので、越前松島水族館に行って見ることにした。イルカ・ショーまで少し時間があるので、場内展示を観てまわった。福井周辺の魚介類から、アマゾン川の魚まで色々展示してあった。

 
 越前松島水族館割引券    越前松島水族館入口

 午後15時のイルカ・ショーを観た。4頭のイルカ達をインストラクターの女性が見事に操っていた。最初にイルカの顔見世があり、軽いウォーミング・アップのジャンプをした。ここからが本番、低い位置での輪くぐり、高い位置での輪くぐりを見事に決めて、イルカのお腹を見せてくれた。白かった。その後宙のボールに鼻先を当て、低い位置でのバー越え、高い位置でのバー越え、プールにばらまかれた輪を集め、再び宙のボールを今度は尾びれで跳ねた。それぞれ決まる度に観客からは拍手喝采で、イルカ達も分ってるのか、最後はみんなで一斉ジャンプエを披露してくれた。ショーが終わって、お姉さんからご褒美の魚を貰って美味しそうに食べていた。因みにこのイルカはバンドウイルカだ。

  
                         イルカ達の挨拶

  
       ジャンプ                      輪くぐりハイ&ロー


    イルカの背中披露

  
     ボールにタッチ                   バー越えハイ&ロー

 
                 輪集め

 
    ボールをキック                       一斉ジャンプ

 
        ジャンプ              ご褒美

 約20分余りのイルカ・ショーも終わり、隣のペンギン達を観た。このペンギンはフンボルト・ペンギンで、ペルー辺りに生息しているものだ。以前ペルーのバジェスタ島で見た種類と同じものだろうか?ペルーは赤道付近にあるが、冷たいフンボルト海流が流れてくるのでペンギンが生きていけるという。南米ペルーやガラパゴス諸島に行くまではペンギンは極寒地に住むものと思っていたが、赤道直下で見た時は驚いた。ペンギン達の愛くるしい顔を見ると抱きしめたくなる。この水族館では芝生でペンギンが観察出来る。みんな同じ顔に見えるが、飼育係の人達は1羽1羽見分けがつくそうだ。水族館から芦原温泉駅まで京福電鉄バスで帰った。390円だった。バスが1時間に1本しかないのが難点である。

  
                愛くるしいペンギン達

 今回の宿泊地は東尋坊からも近い、芦原町の芦原温泉の政竜閣にお世話になる事にした。インターネットで芦原温泉の各旅館を検索したところ、政竜閣の越前ガ二ずくしで1泊2食付き20,000円を切る『カニカニHPプラン』が気に入った。インターネットでの特別価格とはいえ価格破壊的な値段には驚いた。1ぱい10,000円前後はする越前ガニを本当にふんだんに食べさせてくれるのならば最高だ。早速申し込んだ。追加で10,000円の舟盛りも注文した。
 芦原町は明治初期は低湿な沼地だったのが、明治16年に農民が灌漑用の井戸を掘ったところ、偶然にも約80度の温泉が湧出した。これが芦原温泉の開湯である。翌明治17年には何軒かの温泉宿が開業し湯治客を泊めるようになり、明治45年に旧国鉄三国線が開通して以降、温泉街として発展していった。その後、昭和23年の福井大震災(昭和23年)、昭和31年の芦原大火(昭和31年)など度重なる震災を乗り越え今日に至っている。約40軒もの宿が建ち並ぶ巨大温泉街は、想像以上であった。開湯から110余年、関西の奥座敷として北陸屈指の温泉である。泉質は中性〜微アルカリ性の含塩化土類食塩泉で、ナトリウム、カリウムに富んでいる。飲泉も出来、効能はリウマチ、慢性皮膚炎、神経痛、アトピー性皮膚炎等で、飲むと慢性胃カタル、慢性胃酸減少症に効くという。
 夕方6時に食事が部屋に運ばれた。部屋で食べさせてくれるのは有難い心遣いだ。1人前御膳が2つ、しかも御膳には溢れる料理が次から次へと登場した。その量に圧倒され、どんどん食べていった。まるごと1ぱいの越前ガニには黄色の札が付いていて、これが正真正銘地元の越前ガニの証だそうだ。流石の私もカニだけで満腹になったのは初めてであった。カニ鍋の後にご飯を1膳とカニの身、卵を溶いて入れカニ雑炊にして食べた。思う存分カニを堪能する事が出来た。

   
    舟盛り             一の膳            地元産越前ガニの証            二の膳

  
    香ばしくカニを焼く      カニ、エビ、野菜の天ぷら        カ二の甲羅蒸し
 
      カニサラダ              フルーツ

メニュー
 舟盛り(寒ブリ、イカ、甘エビ)
 越前ガニ1ぱい(ボイル)
 焼ガニ
 カニ足片側(ボイル)
 カニみそ豆腐
 刺身(寒ブリ、甘エビ)
 カニ、エビ、野菜の天ぷら
 カニの甲羅蒸し(茶碗のかわりに甲羅で蒸したもの)
 カニサラダ
 カニ鍋(鶏肉、うどん入り)
 フルーツ(メロン、イチゴ)
 漬物

 次の日の朝食も部屋食で、豪華なものだった。ご飯を4杯食べてしまった。朝からイカそうめんはとても嬉しい。


        朝食

メニュー
 味噌汁
 刺身 イカそーめん
 煮物 ちくわ、高野豆腐、こんにゃく
 小魚の甘露煮
 ほうれん草のおひたし
 温泉卵
 海苔
 こんぶ、漬物

 玄関ロビーには大きな白熊の剥製や、鎧兜があった。この鎧兜は約400年前、丸岡藩の旗持ちだった向野政竜右衛門が着用していたもので、政竜閣の名もこれに由来するそうだ。温泉も岩風呂が自慢するだけあって、広くて快適だった。次回もまた来たいと思った。

   
      白熊の剥製      向野政竜右衛門の鎧兜      玄関前にて        政竜閣パンフレット

 ここ芦原温泉には三国競艇もあり、カニ以外にも競艇ファンが宿泊に来る場合もあるそうだ。ちょうどGTレース北陸艇王決戦が開催されていた。