タキーレ島
アマンタニ島を出発して1時間、午後1時30分にタキーレ島(イスラ・タキーレ:Isla Taquile)に到着した。石垣で囲んだだけの小さな港があった。ガイドさんの話によると、これからレストランに行って昼食にするそうだ。先ずはレストランを目指した。港からは急な石段が続き、結構息苦しい。港から向かって左側へと登って行った。大分登った所から、さっきいたアマンタニ島が綺麗に見えた。上を見上げるとうろこ雲が美しい。ティティカカ湖の青々とした湖面の彼方にはボリビア側の山々が見える。細い道を進んで行くと、石を積み上げただけの簡単な石門があり、くぐると島に来て最初の民家があった。湖に向かって緩やかな斜面に段々畑が広がっていた。さらに細い道を歩いていると、また石門があった。
タキーレ島の港 タキーレ島からアマンタニ等を望む 綺麗なうろこ雲
石門 タキーレ島からボリビア側を望む
段々畑
タキーレ島の道 タキーレ島の民家 石門
2つ目の石門をくぐって暫く行くと、大きな広場に出た。ここまで約1時間かかった。十字架が立ってる建物があるので教会だろう。ここがタキーレ島のアルマス広場だと思われる。かなり広く、周囲は学校らしき建物も面していた。空を見上げると月が出ていた。ガイドさんの案内でアルマス広場に面した平屋の建物に入った。そこはお土産物屋で、タキーレ島特産の綺麗な織物が山のように並べてあった。タキーレ島では女性よりも男性の方が織物が得意で、未婚男性と既婚男性と被る帽子が異なる。全体が赤い色が未婚男性用だったと思う。ここタキーレ島は電気も水道も無く、昔ながらの自給自足をしているケチュア民族の島である。島ではシルビナクイと呼ばれるインカ時代からの農耕システムがあり、島を6つのセクターに分けて、各セクター毎に毎年違った農作物を作るというものである。他にもミタと呼ばれる公共事業を平等に行なうシステムもあり、これもインカ時代の名残である。
教会 アルマス広場
月 アルマス広場でガイドさん達と
お土産物屋のタキーレ島の織物 未婚男性の帽子を被って
お土産物屋を出てガイドさんに案内され、レストランに入った。やっと昼食にありつける。20人くらいのこじんまりしたレストランで、壁を見たとき驚いた。何と、日本の観光地のお土産の定番である刺繍みたいな壁掛けがあった。修学旅行等で買った人も多いと思う。私も昔買ったその一人だ。以前訪れた日本人が記念に置いて行ったものだろう。壁掛けに描かれた図柄(金閣寺、舞妓、富士山)から推測すると、京都土産という事が分る。でもこれを持ち込んだ人は、何故ペルーに京都の壁掛けを持ってきたのだろう?よっぽどのユーモアの持ち主に違いない。ガイドさんに絵柄について説明してあげた。
後はガイドさんにおまかせした。コカ・コーラを飲んで待っていると、料理が運ばれてきた。先ずはスープで、ジャガイモやタマネギが入った野菜スープだ。癖も無く、あっさりして美味しかった。続いてメイン・ディッシュ、ティティカカ湖特産のペへレイのムニエルだ。ご飯とフライド・ポテト、スライスしたトマトが添えられていた。初めて食べるペへレイは凄く淡白で美味しかった。醤油をかけて食べたいくらいだった。レストランといっても島なので豪華ではないが、素朴なタキーレ島家庭料理を食べた感じだった。食後に葉っぱが浮いたお湯が出てきた。マテ・デ・ムーニャ(Mate De Muña:ムーニャ茶)だ。コカ茶はコカの葉を浮かべるが、これはムーニャという香草を浮かべたものだ。凄く香りが強くて、リラックス出来る気がする。お風呂に浮かべたらいいかもしれないと思った。レストランの親子も可愛かった。
レストランの中 日本の壁掛け
野菜スープ ペへレイのムニエル ムーニャ茶
レストランの親子
食事も済ませてレストランの外に出ると、隣にムセオ(Museo:博物館)があったので見学する事にした。小さな一室の博物館で、土器や楽器、農耕具などが展示されていて、民族博物館といった感じだ。アンデス音楽の楽器も手にする事が出来、葦や竹を長さが違う順に並べたサンポーニャ(Zanpoña)を吹いているところを、ガイドさんに撮ってもらった。ビール瓶の口に唇を当てて音を出す原理で、結構連続安定して音を出すのは難しく、かなりの肺活量を必要とする。高地ならなおさらである。博物館の入口には分厚いゲスト・ブックがあって、私も記帳した。前のページをめくって見ると、懐かしい漢字が登場した。何人かの日本人を発見した。
土器類 農耕具類
楽器類 サンポーニャを吹く
博物館の見学を終えて湖畔の港に向けて出発した。細い道が続き、用途不明の穴が開いた石があったり、花名不詳だが黄色い花が咲いていた。道端からはタキーレ島の長閑な風景が癒される。この島の住民みんながファミリア(Familia:家族)みたいなものだから、犯罪なんてものは無縁だと思う。この島にいると治安が悪いと言われるペルーであるという事を忘れてしまう。この島は昔ペルーの政治犯が配流されたという。
穴が開いた石 花
タキーレ島の風景 石門
タキーレ島の風景
途中で畑仕事をしていた親子に出会った。
「オーラ!(Hola!:やあ!)。」
と声をかけた。
「ニーニョ・ボニート(Niño Bonito:男の子、かわいい)。」
というと母親が、
「グラシアス(Grasias:ありがとう)。」
と喜んでいた。奥で作業している人はおばあちゃんだろう。子供が手にしているのを見たら、何と姫路城のアルバムだった。写真では分りにくいと思う。タキーレ島の人たちは意外と親日家なのかもしれない。ガイドさんにこれは日本の城であると通訳してもらった。
タキーレ島の親子
姫路城のアルバム
博物館を出発してから約20分、また民家が集まっている所に出た。ここには今迄よりも大きな石門があった。ここが正式なタキーレ島の玄関らしく、登録所(レヒス・トラシオン:Regis Tración)があり、入島の際にはここで入島税を払いサインをするそうだ。今回はレオン・ツアーが代行してくれた。実際に払ってないから分らないが、入島税は約1ドルだそうだ。ここからのティティカカ湖の眺めはまた素晴らしい。ここから約500段の急な階段を下る。それにしてもアマンタニ島にしろタキーレ島にしろ、アーチ型の石門がやたら多い。この島は平地の面積が少ない為か、どんな急な斜面にも段々畑がある。日本の千枚田やフィリピンのライス・テラスに共通する部分がある。
3時50分にタキーレ島を出発した。
タキーレ島の登録所 石門
登録所直下にて
石門
段々畑 船から見たタキーレ島
これから暫くの船旅となる。ガイドさん達に日本語を教えたりして過ごした。船長さんとロドルフ君とガイドさんと3人写真を撮ってあげた。ティティカカ湖も段々と日没に向かって行く。
船長さんとロドルフ君とガイドさん
ティティカカ湖の岸に近付いて行くと、トトラの群生が見えてきた。5時5分に湖岸に到着した。出発したプーノに帰るのかと思ったら違うようだ。ガイドさんに、
「アキ・ドンデ?(Aquí Dónde?:ここはどこですか?)。」
と聞くと、
「チャルカス(Charcas)。」
といった。プーノからボリビアに向かって少し行った郊外らしくて、ウロス島沖の半島辺りらしい。船でプーノ迄行くと更に時間がかかるので、ここで降りたようだ。愛嬌たっぷりの船長さんともここでお別れだ。船を降りると送迎バスが待機していた。側にはアルパカもいた。送迎バスにはトトラで出来た舟バルサに乗ったウロス島の男性と、夕陽に照らされたティティカカ湖が描かれていた。5時10分にバスは出発し、6時30分にイスラエステヴェスに到着した。明日はプーノ最終日、プーノ郊外のシユスタニ遺跡見学後、フリアカ空港からリマへと向かう。今日は1日でティティカカ湖の3つの島を見学するというハード・スケジュールだったが、どの島も個性があって素晴らしい所だった。時間があれば是非ともタキーレ島迄行ってもらいたい。その後TBS『世界ウルルン滞在記』で双子の三倉茉奈、佳奈姉妹もタキーレ島での生活を体験していた。彼女達も貴重な経験をしたと思う。この日は夕食は食べずに寝てしまった。
葦の群生
アルパカ 送迎バス バスの絵