シユスタニ
今日はプーノ最終日、近郊のシユスタニ遺跡を見学して、フリアカ空港からリマ経由でトルヒーヨに移動する。今日も清々しい天気で、部屋から見えるティティカカ湖が美しい。ガイドさんが7時30分に迎えに来るので、7時に朝食をとった。ビッフェ・スタイルでたくさん取って食べた。枕もとの内線電話の横に1枚のカードが置いてあったのだが、5ヶ国語で『こんばんは』が書かれてあった。5ヶ国の中に日本語が入っていたのは嬉しかった。
ホテルの部屋 ホテルのバス ホテルのトイレ 部屋からの眺め
ロビーの装飾 テヒード(毛織壁掛け)
朝食
宿泊カード 表・裏 宿泊カード 中
メッセージ・カード 表 メッセージカード 裏 パンフレット
ガイドさんも来て、最後にみんなで写真を撮った。担当ボーイは個人的にフランク・シナトラに似てると思うのだが。ボーイが、
「ブエン・ビアッへ(Buen Viaje:よい旅を)。」
といってくれた。私も、
「ムーチャス・グラシアス・ブエナ・スエルテ(Muchas Gracias Buena Suerte:どうもありがとうございます。お元気で。)。」
といった。
ボーイ ボートとガイドさんと
名残惜しいが午前7時35分、イスラエステヴェスを出発した。プーノから徐々に遠ざかって行き峠に差し掛かった所で車が止まった。ガイドさんが、ビュー・ポイントだから写真撮ったらどうですかという事だった。確かに眺めがいい。ここからプーノ市街やティティカカ湖、イスラエステヴェス迄眺める事が出来る。プーノの街は山の斜面まで住宅が密集してるのが分る。イスラエステヴェスは自然島だという事も上から見ると分る。写真を撮り終わり、再び出発した。
ティティカカ湖を望む イスラ・エステヴェス プーノ市街
峠を越えて暫く行くと周りに何も無い一本道を走る。やがて両側が湿原の中を走り、小さな湖が見え、8時20分シユスタニ遺跡(チュルパ・デ・シユスタニ(Chulpa De Sillustani)に到着した。湖の側ではアルパカの群れがのんびりと過ごしていた。毛が純白の小さなアルパカは赤ちゃんだそうだ。かわいい。遺跡入口からはまだ全貌が確認出来ない。見学路をゆっくり登って行った。
シユスタニ遺跡入口 湖畔で過ごすアルパカ
標高4,000mの高地なので緩やかな坂でも息が苦しくなる。上の方を眺めると円筒型のものが見えてきた。頑張って目的地を目指した。途中で野生のクイ(Cuy:モルモット)が姿を見せてくれた我々を歓迎しているかのようだった。最初のチュルパ(Chulpa)と呼ばれる石で出来た墳墓が見えた。小さな石を積み上げただけのものだった。墓を石で作るというのは古今東西共通のようだ。エジプトのピラミッドや、日本の古墳のように強大な権力者程大きいのだろうか。シユスタニ遺跡はプレ・インカ時代のチュウラホン(Churajon)文化の頃から西暦1,000年のインカ時代迄のチュルパがある。墓地として絶好の場所だったのだろうか。小石を積み上げたのはプレ・インカ時代のものといわれる。
遠くに見えるチュルパ
クイ チュルパ
丘の頂上付近に差し掛かって、板状の石を円形に並べた場所があった。ガイドさんの話によると、古代の儀式場だったそうだ。向かって右が大きい半円で太陽(ソル:Sol)、左が小さい半円で月(ルナ:Luna)だそうだ。この中にいるとパワーが得られそうな気がする。太陽神への礼拝を行なった。後方からガイドさんに撮ってもらったが、半円形であるのが分ると思う。
太陽の儀式場 月の儀式場 礼拝
太陽と月の儀式場の側にまた奇妙なものがあった。小さなストーン・サークルみたいなもので、中央に石像がある。ガイドさんの話によると石像は男性のシンボルだそうだ。そういわれて見ればそんな形をしている。子孫繁栄などの崇拝の場所だったのだろう。こういった信仰は日本と変わらないと思った。
男性のシンボル
やっと頂上にたどり着いた。そこは圧倒されるばかりのチュルパ群だ。インカ時代のチュルパは綺麗に切り出した石で、石の曲線も素晴らしい。インカの文化の高さが感じられる。一番大きいものは高さ12m、円周7.2mだという。もともと100基もあったといわれ、雨が多い地域の為に長い年月で崩れたりして、現存数は少ない。遺跡の隣にはウマヨ湖(ラーゴ・ウマヨ:Lago Umayo)と、平らなウマヨ島(イスラ・ウマヨ:Isla Umayo)があり美しい。ウマヨ島には住民がいるらしい。
チュルパ ウマヨ湖とウマヨ島
チュルパ
チュルパ
ここには興味深いものもある。建築途中のチュルパや、唯一四角いチュルパらしいものもあった。建築途中のチュルパを見ると、どうやって石を積み上げていったか分る。また側にはこれから積み上げる石も整然と並んであった。何故中断したのだろうか。
建築途中のチュルパ 四角いチュルパ?
ガイドさんが面白いものを見つけた。サボテンの仲間でサンカーヨ(Sancayo)というそうだ。この実を食べる事が出来、ガイドさんに剥いてもらって食べたら、これが美味しかった。また何の鳥か分らないが、巣と卵があった。羊の放牧風景も見られた。おじさんが刺繍をしていた。聞くと売り物だという。完成品を何点か見せてもらったが、いまいちデザインが納得いかなかった。しかし、おじさんが制作途中のが気に入ってこれが欲しいというと、もうすぐ完成なので見学中に手渡せるという。値段を交渉して、20ドルを15ドル(約1,800円)にしてもらった。
サンカーヨ 鳥の素
羊の放牧 お土産売りのおじさん
チュルパの窓はみんな東側を向いているという。6月21日の冬至になると、この窓に日が差し込むそうだ。太陽の光が差し込むと蘇ると考えられていたらしい。
チュルパ チュルパの窓の内部
チュルパの表面及び接合部
チュルパ
1時間30分程見学して、9時50分遺跡を出発した。10時40分、フリアカ空港に到着した。この空港はプーノの空の玄関口と言える。ここにもインカ初代皇帝マンコ・カパックの像があった。搭乗手続きを済ませて、ガイドさんとお別れをした。国内線待合室には民族色豊な装飾や、フォルクローレの演奏で歓迎してくれた。サンポーニャを吹きながらチャランゴを引くという器用な事もしてた。日本のライブでもハーモニカを吹きながらギターを弾いて歌っている。そんなような感覚だろう。プーノ観光もいい思い出になった。11時35分フリアカ空港を出発した。午後0時、アレキパ空港に到着した。どうやらアレキパ経由のようだ。ここは今回訪れないが、またペルーに来る事があれば是非とも行きたいと思う。アレキパで結構乗客が降りた。30分後アレキパ空港を出発した。1時には軽食が配られた。ロール・ケーキ、ロール・パンのサンドイッチで、クスコに行く時と同じ物だった。1時30分、太平洋上空に出た。もうすぐリマだ。
フリアカ空港 マンコ・カパック像 フリアカ空港前の風景 ペルーの公衆電話
民族色豊な装飾
フォルクローレの演奏