アレキパ

 午前3時30分起床、殆ど寝てないのに等しい。4時にホテル出発、まだ外は真っ暗だ。今日の送迎はウエハラさんという日系人の方だ。昨日のマツダさん同様ファール・ツアーの契約ドライバーだ。4時30分ホルへ・チャベス国際空港に到着、早朝だというのに大勢の旅行客で賑わっていた。アエロコンチネンテのカウンターで受付を済ませ、空港税を支払って搭乗を待った。空港税だが、前回はペルー通貨のヌエボ・ソルで12ソーレスで良かったが、今回はアメリカ・ドルで4ドルだった。搭乗待ちの時に売店があったので、そこで日本の友人知人に送る為の絵葉書を買う事にした。2枚で1ドル、計50枚買った。アレキパに到着したら頑張って書かねば。ここで驚いたのはクスコ行きは多数なのに対して、アレキパ行きは20人余りと少数派だった。クスコの人気の高さが伺える。5時40分、搭乗開始。機体はボーイング737、シート配列は3列3列だった。もちろん機内はガラガラである。久し振りのアエロコンチネンテだ。

  
          搭乗券 表                 搭乗券 裏               空港税納税証明書


    アエロコンチネンテ

 午前6時、定刻通り出発した。暫く外を眺めていると雲上の水平線から朝陽が見えた。眩しい程の光が差し込み、ペルーでの御来光に感激した。

  
        日の出               雲海

 6時20分に軽食が配られた。日本では1時間程度のフライトではこんなサービスはない。ペルーの航空会社はサービス満点だ。今回のメニューは鶏肉とタマゴのサンドイッチ、ケーキ、ドリンクはインカ・コーラにした。インカ・コーラは写真でも分るように黄色く、ペルーの国民的ドリンクである。おそらくコカ・コーラよりも消費量が多いのではないだろうか?私の住んでる群馬県伊勢崎市は日系ペルー人も多く住んでいるため、インカ・コーラも手に入る。味はコカコーラよりも甘く、炭酸度も低い。清涼飲料として日本人にも十分合う飲み物だと思う。

 
メニュー
 鶏肉とタマゴのサンドイッチ
 ケーキ
 インカ・コーラ

 食事を終えて外を眺めると、雲海の上に雪を被ったアンデスの峰々が見えた。山名は分らないが、ペルーでも名だたる山々に違いない。

  
  
                        機内からの眺め

 7時を過ぎて到着が近付いてきた。機内からは万年雪を被った円錐型の山が見えた。もしかしてミスティ火山だろうか?アレキパ上空に差し掛かり、後は到着を待つばかりである。

  
      ミスティ火山?          アレキパ上空

 7時15分、アレキパ(Arequipa)のロドリケス・バジョン国際空港(アエロプエルト・インテルナシオナル・ロドリケス・パジョン:Aeropuerto Internacional Rodrigues Ballón)に到着した。タラップを降りるとそんなに暑いって感じではなかった。それもそのはず、アレキパの標高は2,380m。日本で言えば日本アルプス等の山々の山頂位に値する。空港からはミスティ火山(ヴォルカン・ミスティ:Volcan Misti)が薄っすらとだが見えた。日本の富士山の様に綺麗な円錐型をしている。アレキパ富士と呼んでもいいくらいだ。標高は6,096mもある。アレキパは人口が90万人余りあり、ペルー第2の都市でアレキパ県の県都でもある。別名白い都市(シウダッ・ブランカ:Ciudad Blanca)と呼ばれ、近郊で採れる白い火山岩で建物が造られている。アレキパの歴史はインカ帝国第4代皇帝マイタ・カパックの頃に建設。皇帝は完成した街を見て、周辺の人々にケチュア語でアリ・ケパイ(Ari Quepay:ここへ住みなさい)と言ったという。これがアレキパの語源だ。その後1540年8月15日、スペイン軍のフランシスコ・ピサロに征服されてしまう。この美しい街並みは2000年『アレキパ市の歴史中心部』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に指定されている。これから楽しみである。滑走路脇には大きな絵が書かれていて、遠方には山々が見え、アレキパもクスコ同様山に囲まれた街であることが分る。

 
   空港からのミスティ火山   ロドリケス・バジョン国際空港

  
     アエロコンチネンテ                 滑走路からの眺め

 我々を歓迎する像があって、セニョーラとセニョールの像にはBIENVENIDOS AMI TIERRA(ビエンベニードス・アミ・ティエラ:ようこそ私の故郷へ)と書かれており、母娘とアルパカの像にはGRUPO INCA(グルーポ・インカ:インカ・グループ)と書かれている。

  
                歓迎の像

 ロドリケス・バジョン国際空港は一応国際空港だが、中に入ると小さい空港だ。荷物を受け取って外に出ると、『Mr.OCHI』と書かれたボードを持った人がいた。ファール・ツアーと提携しているアレキパの旅行代理店ウーデル・ツアーの人達だ。セニョールとセニョーラ2人組みで、セニョールの方はジミー、セニョーラの方はルウス。何とルウスさんは女性ドライバーだ。ジミーさんは怪しい感じの人で、英語ガイドである。ジミーさんの英語の説明を受けながらホテルへと向かった。正直英語の内容があまり理解出来なかった。

 
       空港内              空港内正面

 7時45分、ホテルに到着した。アレキパでの宿はオテル・ラ・ポサーダ・デル・モナステリオ(Hotel La Posada Del Monasterio)だ。ポサーダ(Posada)は宿、モナステリオ(Monasterio)は修道院で、修道院の宿という意味になる。ホテルの門をくぐると鮮やかな青の壁が眩しかった(パンフレットでは赤いが)。正面の入口を入るとレセプシオン(Recepción:フロント)があり、そこでチェック・インして部屋に案内された。一人にはもったいない広くて綺麗な部屋だった。

 
           パンフレット 表                     パンフレット 裏

                            パンフレット 中

  
                         ホテルの部屋

   
     洗面台      シャワー・ルーム          トイレ

 ジミーさんが、午後2時に迎えに来るという。それまでたっぷりと時間があるので、先ずはシャワーを浴びてさっぱりとした。今回もペルーより絵葉書を出す為、リマで購入した50枚をアレキパ滞在中に書き上げようとアドレス帳片手に少し書いた。ふと窓から外を眺めると、サンタカタリーナ修道院や花が咲き乱れている中庭が見えた。

 
  サンタカタリーナ修道院           中庭

 宛先を書いていると、さっきの機内食だけでは満足せずに空腹を感じた。ホテルのレストランで何か朝食でもないか入ってみると、奥の厨房からセニョーラが出てきた。
「デサイウノ・ティエネ?(Desayuno Tiene?:朝食はありますか?)」
と聞くと、
「シー(Si:はい)」
といったので座って待つ事にした。暫くして食事が出てきた。メニューは、ハム入りスクランブル・エッグ、パン、オレンジ・ジュース、紅茶だ。暖かいパンは香ばしくて美味しかった。値段は12ソーレス(約480円)だった。レストランのセニョーラはイサベルさん、隣はホテルの従業員ホセさんだ。

  
メニュー                           イサベルさんとホセさん
 ハム入りスクランブル・エッグ
 パン
 オレンジ・ジュース
 紅茶

  
       レストラン横のロビー

  
                       ホテルのレストラン

 食後、ホテル内を散策した。フロントのセニョリータはマリアさん、ボニータだ。真中のセニョールはジョアンさん、のっぽさんである。

 
              ホテルのみなさん

  
                   ラ・ポサーダ・デル・モナステリオ

 部屋に戻って外を眺めると、サンタカタリーナ修道院の向こうにミスティ火山がうっすらと見えた。


      ミスティ火山

 午後1時昼時になり腹も減ったので、フロントでお薦めのレストランを教えてもらうと、ホテルに隣接するカフェテリア(Cafetería:喫茶店)に案内された。あごひげのセニョールがこちらのオーナーでレンソさん。レンソさんに何か食べるものは無いか聞いてみるとすぐに、近くにいたセニョーラに言って用意してくれた。このセニョーラはレンソさんの母親でミルチャさん、姪の二コルちゃんも遊びに来ていた。やっぱりファミリア(Familia:家族)だ。顔がとても似ている。取り合えず喉が渇いたのでコカコーラを注文、日本でもあまり姿を見せなくなったビンで出て来た。続いてスープ(Sopa:ソパ)、クレマ・デ・ヴェルドゥラス(Crema De Verduras:野菜のクリーム・スープ)、主にかぼちゃを使ってあり家庭的な味で美味しかった。メイン・ディッシュはポーヨ・ア・ラ・プランチャ(Pollo a la Plancha:若鶏の鉄板焼)、若鶏を香ばしく焼いて、じゃがいも、トマト、キャベツ、レモン、ライスが添えてあり、これも素朴な味で良かった。デザートはフーゴ・デ・パパイア(Jugo De Papaya:パパイア・ジュース)と、エンサラダ・デ・フルータス(Ensalada De Frutas:フルーツのサラダ)だ。パパイア・ジュースはペルーでは必ず出てくるジュースで、新鮮で美味しい。フルーツ・サラダは、パパイア、バナナ、リンゴを細かく切って彩り良く盛り付けた上に、チョコレート・ソースがかかってあって、美味しかった。値段は全部で12ソーレス(約480円)、安かった。

  
        コカコーラ        野菜のクリーム・スープ         若鶏の鉄板焼

  
パパイア・ジュース                     カフェテリア・ファミリア
フルーツのサラダ           

 昼食も食べ終わって、レンソさんに夜またここに来る話をした。夜はバーに変わるそうだ。午後2時にウーデル・ツアーの人達が迎えに来た。運転手は先程のルウスさん、ガイドはジミーさんじゃなくて若い男性だった。ホセペさん、年齢は何と22歳だった。早速出発した。
 最初に訪れたのはボログネシ広場(プラサ・ボログネシ:Plaza Bolognesi)。ここはフランシスコ・ボログネシ将軍を記念した広場で、立派な彼の銅像が建っている。ボログネシ将軍はアヤクーチョとアレキパの軍団の将軍で、太平洋戦争(Guerra Del Pacifico:グエラ・デル・パシフィコ)時代(1879〜1884)に活躍したペルーの英雄である。この太平洋戦争とは、現在は海に接してないボリビアが、当時現在のチリとペルーの国境近くに大きな港を所有したいた。チリもその地域に最初は興味がなかったが、調べてみると鳥の糞が多く採取され、ボリビアはそれを輸出して利益を得ていた。チリもその地域を欲しくなりボリビアに迫った。しかしボリビア側は契約上の領土であると主張し、ペルーに助けを求めて来た。ペルーはボリビア救援の為にチリとの戦争に参戦。しかし原因となったボリビアは貧しく軍隊もない状況で参戦せづにいた。実際ペルーとチリとの戦争になった。結果ペルーは負け、チリとの国境にあったアリカという地域をチリに取られてしまった。ボログネシ将軍はアリカで最期を遂げた。その時に将軍が言った言葉が、
「ペレアルモス・アスタ・ケマール・エル・ウルティモ・カルトゥーチョ:Pelearemos Hasta Quemar El Ultimo Cartucho:最後の弾が無くなるまで戦う)。」
である。周りをチリ兵に囲まれた四面楚歌の状態で、逃げる事無く戦う方を選んだボログネシ将軍は何とも勇猛果敢な人物であろうか。この像がきっかけでペルーの歴史の一部を知る事が出来た。この像は戦争より100年後の1980年に建立された。ボログネシ将軍に関する話と肖像写真はファール・ツアーの高橋アナさんのご協力によるものである。最期に敬礼した。

  
ボログネシ将軍記念像

 

 

  

  
       大砲 左             大砲 右            ボログネシ将軍

 ボログネシ広場を後にして暫く行った所で車が停まった。ここから歩くみたいで車から降りて先に進んだ。ここは古い通りで、クスコの日干し煉瓦を使った家とは違い、石造りである。短い距離であったが趣があり良かった。通りの先には車が待機していた。

 
            旧通り

 車に乗って暫く走り2時30分、ミラドール(Mirador:展望台)に到着した。今の時期はアレキパは雨期の為、晴れていても山の眺めは良くないが、乾期には素晴らしい山々が眺められるそうだ。ここにある売店でその写真を売っていた。3枚で1ドル(約120円)で、そんなぼったくりではなかったので買った。アレキパ三山ともいうべきピチュピチュ(Pichu Pichu)(標高5,554m)、ミスティ(Misti)(標高6,096m)、チャチャニ(Cha Chani)(標高6,075m)である。白いふわふわした毛の赤ちゃんアルパカがとても可愛いかった。

   
             ミラドールからの眺め                   ミラドールにて

 
       アルパカ           赤ちゃんアルパカ


        ピチュピチュ山                ミスティ火山                  チャチャニ山


   ピチュピチュ山    チャチャニ山      ミスティ火山

 この切手は日本に帰国してから切手商の通信販売で購入したものである。カテドラルとミスティ火山が描かれている。2005年発行、2.5ソーレス3種。

 ここには果物の木もあり、初めて見るトロピカルなパッション・フルーツだ。星型のはパパイア(Papaya)、楕円型のはトゥンボ(Tumbo)だ。ミラドールのセニョールが熟した物の断面を見せてくれ、新鮮なジュースを出してくれた。さっぱりして美味しかった。変わった飴があって、聞くとコカの飴だったので一袋買った。日本に持ち込めるか聞いてみると大丈夫そうだった。

  
    パパイアとトゥンボ           パパイア               トゥンボ

 
    フルーツ・ジュース           コカ飴

 最後にミラドールのセニョール(左端)、セニョーラ(左から2番目)、ルウスさん(右から2番目)、ホセペさん(右端)達4人で写真を撮った。3時15分、ミラドールを出発した。

 
      ミラドールの人達、運転手さん、ガイドさん

 3時25分、古い教会に到着した。ここはヤナウアラ教会(イグレシア・ヤナウアラ:Iglesia Yanahuara)といい、1783年に建てられた。近くで採れた火山岩を使用しており、それに彫られたレリーフが大変美しい。

   
                      教会の美しいレリーフ

   
              教会の美しいレリーフ

教会の中に入ってみると、礼拝をしていた。外には変わった十字架があり、梯子とか槍とかがくっ付いていた。

   
       教会内部            十字架            鐘楼                 完成年度

 
        紋章             ヤナウアラ教会

 教会の側にアーチ型の水道橋にたいなものがあり、その内の一つにはAños se Ha Batido Arequipa Bravamente Para Conquistar Institu Dones Libres Para La Patria, No Se Nase En Bakoalpied Un Volcanと書かれていた。

  
               アーチ型の碑

 教会前には熱帯植物が生い茂るヤナウアラ広場(プラサ・デ・ヤナウアラ:Plaza De Yanahuara)があった。


     ヤナウアラ広場

 車に乗り込んで3時40分出発、次の目的地サンタ・カタリーナ修道院(モナステリオ・サンタ・カタリーナ:Monasterio De Santa Catalina)へ向かった。3時45分には到着した。運転手のルウスさんとはここでお別れだ。ホセペさんとは暫くのお別れで、ここは女性のガイドさんが担当するそうだ。1時間を予定している。ガイドのセニョーラに、スペイン語―日本語の辞書を渡して、難しい言葉はお互い辞書で会話する事にした。サンタ・カタリーナ修道院は1579年に建てられ、1970年までに実際に修道女が修道生活を行なっていた。ここには約400年の歴史が詰まっているのである。


                            パンフレット 表


                           パンフレット 裏

  
           入場券 表                      入場券 裏

 ガイドさんの案内で最初に訪れた所は面会所。修道院の入口裏にあり、格子窓で仕切られている。修道女達は一旦修道院に入ったら二度と外に出る事が出来なかったので、唯一ここで格子窓越しに家族と面会したのだそうだ。その格子窓の一部に回転するものがあった。これは家族が差し入れを中に入れて、回転させ、愛する娘に渡すのだ。まるで刑務所みたいである。ここでガイドさんが口にした言葉に驚いた。『アマサン』といったのだ。これは日本語の尼さん、つまり尼僧、修道女を意味する。以前訪れた日本人に教えてもらったそうだ。

 
       面会所            差し入れ箱

 次に色々な部屋を案内された。キリストの最後の晩餐の様子の人形や、応接室であろうと思われる部屋があった。

  
      最後の晩餐              応接室              キリスト像

 
      シャンデリア            壁のレリーフ

 次に綺麗な白い火山岩の回廊に囲まれたパティオ(Patio:中庭)があった。回廊の屋根に付いていた突起物は何の目的なのだろうか?

  
       パティオ                回廊                 支柱


      謎の突起物

 次もパティオで、今度はさっきの火山岩剥き出しではなく、綺麗な青に塗られたパティオだった。この青はどっかで見覚えあると思ったら、オテル・ラ・ポサーダ・デル・モナステリオの外壁と同じだった。回廊の天井や壁面には綺麗な花の絵や、宗教画が描かれてあった。

   
                 パティオ                         十字架               回廊


   
        支柱                 壁面                          回廊の絵画

またまたパティオ、今度は青ではなくて、これまた綺麗な赤だ。回廊の壁面には宗教画が描かれていた。これらの絵画は修道女の癒しだったのだろう。

  
        パティオ             パティオにて            壁面の絵画

 赤いパティオを抜けると今度は修道女達の住居エリアだ。壁の色は赤系で統一されている。ここは迷路の様で、ガイドさんがいないと迷ってしまいそうだ。扉のレリーフが美しく、歴史を感じさせる。

   

  

   

 大きなカメを半分にした様なのがあって、不思議に思って聞いてみると、修道女達の洗濯場だったそうだ。日本の桶の替わりみたいなものだろう。近くの池には金魚が泳いでいた。

 
        洗濯場               金魚

 次に修道女達の実際の生活の場を見た。日本の寺とかに比べたら結構豪華な感じがした。個人の寝室もあるし、結構しっかりした家具の談話室もある。

  

  

 寝室や談話室を抜けると台所があり、黒くすすが付いて生活感がにじみ出ている。スープやパンとか作っていたのだろう。

   

  

 井戸があって中を覗いて見た。水は枯れていたが、様々なコインが投げ込まれていた。投げ込むといい事がありそうなので、財布の中にあった10円硬貨を投げた。

  
      井戸                      井戸の中

 
                  紋章

 幾つかの礼拝室もあり、多くの宗教画や調度品で飾られていた。

  
       礼拝室             ステンドグラス           宗教画

  
     礼拝室         礼拝室           造花

 最後に訪れたのは、博物館。修道女の家族から寄進された陶磁器、絵画、聖書、ミサでの衣装が展示してあった。修道女を預ける親元は裕福だった事が伺える。鑑定額はいくらだろうか?またこの中にはミュージアム・ショップもあって、修道女が作った石鹸やアクセサリーを売っていた。

   

   

 最後にガイドさんを記念撮影。

 
          ガイドさん

 5時に見学を終え、ホセペさんが迎えに来た。今度はアルマス広場(プラサ・デ・アルマス:Plaza De Armas)へ行くそうだ。距離が近いので徒歩での移動である。ここでホセペさんに、絵葉書に貼る切手を買いたいので、最後に中央郵便局(コレオ・セントラル:Correo Central)に寄って欲しいと伝えた。
 徒歩10分余りでアルマス広場に到着。ここがアレキパの中心部にあたる。大きさはリマより少し小さい感じがする。このアルマス広場にはカテドラル(Catedral:大聖堂)が面してある。アレキパのカテドラルの創建は1612年、19世紀に入ってから何度かの地震に襲われその都度修復、増築が繰り返された。建物はやはり火山岩で造られ、左右対称である。塔の下に金属製のレリーフがあるが、左はボリビア、右はペルーを表している。中に入るとシンプルで、明るい間接照明が素敵だった。ちょうど礼拝をしていた。

    
    塔 左側         塔 右側             入口            ボリビア   レリーフ   ペルー

 
     カテドラル内部            カテドラル

 アルマス広場にはぐるっと回廊が張り巡らされているが、これは植民地時代のものである。

  
     アルマス広場にて          アルマス広場      アルマス広場の回廊

 この切手は日本に帰国してから切手商の通信販売で購入したものである。カテドラルとミスティ火山が描かれている。2002年発行、4ソーレス2種。

  

 本日最後はラ・コンパーニャ教会(イグレシア・ラ・コンパーニャ:Iglesia La Conpaña)だ。アルマス広場の角から直ぐにあり創建は1698年、やはり火山岩を使用しており、レリーフが美しい。ここにもヤナウアラ教会にあった十字架があった。中は薄暗く、奥の祭壇が一段と輝いていた。

   
                       ラ・コンパーニャ教会                          入口

   
          美しいレリーフ                   十字架           内部

 ラ・コンパーニャ教会の横の路地を入るとサンタ・カタリーナ修道院みたいなパティオがあった。壁にはクリスマス後という事もあり、キリスト生誕の切り絵があった。奥にはオフィスが入っていたりして、昔ながらの歴史的建造物と上手く共存している。

  
                       ラ・コンパーニャ教会

   
    キリスト生誕の切り絵                    パティオ                       支柱

 
      回廊          通路

 更に奥に小さなパティオがあり、そこに大きなカメが置いてあった。これは紫色のトウモロコシを発酵して作るチチャ・モラーダ(Chicha Morada)という飲み物の製造用だそうだ。この中に原料を入れて発酵させるらしい。側には水は出ていないが泉があった。

  
       パティオ               カメ                   泉

 ここで、本日の日程が終了した。途中、中央郵便局で絵葉書用の切手を買った。日本までは1枚3.7ソーレス(約130円)だった。以前は3.3ソーレス(1ドル)だったから0.4ソーレス(40センティモ)値上がりした事になる。50枚分買ってホテルに戻った。午後7時にホテルに到着。ガイドのホセペさんとお別れだ。お礼に成田空港で買った浮世絵の絵葉書セットをプレゼントした。
 部屋に戻って日本への絵葉書を書き終え、腹が減ってきたので昼に行ったカフェテリアに行く事にした。レンソさんがいて、何が食べたいか聞かれたので、アレキパの名物料理ロコト・レジェーノ(Rocoto Relleno)を注文した。店には無かったが、レンソさんが直ぐに調達してくれた。最初にペルーの国民的アルコールのピスコ・サワー(Pisco Sour)を注文、これはリマからナスカに向かう途中にあるピスコで造られるブドウの焼酎で、ガム・シロップとレモンと卵白を入れて泡立てる。この割合がそれぞれの店の個性が出る。ウェルカム・ドリンク等食前酒として出される。この店のも美味しかった。飲み終えた頃、ロコト・レジェーノが出てきた。この料理はくり抜いたピーマンの中にピリ辛の挽肉を詰め込んで焼いた物だ。ピリ辛といっても日本人でも平気な辛さだ。付け合せのジャガイモもホクホクして美味しかった。アレキパの地ビールのアレキペーニャ(Arequipeña:アレキパ女)も美味しく4本も飲んだ。隣のテーブルにボニータなセニョリータスがいたので、一緒に飲んだ。馴染みの常連客だそうだ。1杯ずつカクテルをご馳走した。オレンジ色の服を着た子はソフィアさん、ジージャンの子はジェニーさんで、ジェニーさんは苗字がアオキで日系人だそうだ。

   
   ピスコ・サワー  ロコト・レジェーノ  アレキペーニャ

 
     ソフィアとジェニー

 このカフェテリアはレンソさんの母のミルチャさん、2人の姉のミラグロスさん(長女)、カレンさん(次女)の家族で助け合って経営している。やはり家族、顔がどこと無く似ている

  
   レンソさんのファミリア

 気分が良くなったので、レンソさんに日本酒をプレゼントした。本来、明後日の正月に飲む予定であったが、一人で飲むのももったいないのでバーを経営しているレンソさんに飲んでもらうのが一番いいと思った。やはり日本酒の知識が多少あるみたいで、原料が米である事を知っていた。しかし飲むのは初めてで、とても喜んでくれた。レンソさんと、
「サルー!(¡Salud!:乾杯(健康を祝して))」
と言ってショット・グラスを交わした。レンソさんの感想は、ワインに似ていると言っていた。
ほろ酔い気分になって部屋に戻ると直ぐに寝た。明日はアレキパ郊外の村にコンドルを見に行く。

  
 お土産の日本酒      レンソさんとサルー!      白鶴 季節限定 蔵出し