猿投白瓷(灰釉陶器)窯


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猿投窯最大規模の山茶碗窯 K-G-98
 鎌倉初期





 窯焚きは焼き物の最後の工程、他の工芸にはない焼き物たる所以であり、作者の手を離れて焔にその運命をゆだねなければならない。 この作業の成否によって、これまで重ねた苦労が報われるかどうかの大博打なのである。 初めての窯に火を入れる時には、果たして温度が順調に上がってくれるのかどうか、一抹の不安から逃れることはできない。 ふだん不信心な者たちも、この時だけは“どうぞ上手く焼けますように”と窯の前に塩とお神酒を供え、神妙に手を合わす。 加えて、初めて窯に火を入れるときには無事を祈り「左馬」の作品を窯に入れるのが昔からの慣わしである。 現在では電気窯はいうまでもなく、ガス窯でさえ自動焼成装置がそなえられ、放っておいても勝手に焼けてしまう。 焼き物は古来より常に最先端の技術を取り入れて今日に至っており、それはそれで素晴らしい事だと思う。 筆者などパラボラ式の集光装置を作り、焦点距離の操作によって昇温制御する太陽光を利用した完全無公害の窯を考えているが、どなたか資金を提供してくれる篤志はいないだろうか。  




窯焚きの基本

窯焚きの理論は今も昔も、ガス窯も薪窯も大きな違いはない。 不思議なことに300℃、600℃、900℃、1200℃がチェックポイントになる。 

  水挽(成形)き後、いくら天火で完全乾燥したつもりでも吸着水は残る。 これを除くのに270300℃ほどの熱量が必要であり、同時に窯の湿気も煙突に逃がす予熱の役割も果たす。 このアブリの時点では作品を水に浸せば、まだ粘土に戻る。 

・ 吸着水が抜けたら次は結晶水である。 多少専門的になるが、ネバリの素はカオリン(AlO32SiO22H2O)が主である。 550600℃の温度帯で分子に組み込まれた結晶水である2H2Oが抜けAl2O32SiO2となり素焼きが完了する。 正確に言いうと、純粋なカオリンは1000℃で焼いても湯に浸せば元に戻るが、粘土には他に長石、硅石質が多く含まれ、これらがカオリンとともに化学変化し、二度と粘土に戻ることはなくなる。 陶芸の入門書などに書かれているように、素焼き温度は800℃などと思い込んでいる人が多いと思うが、分厚い物、磁器などは別として、600℃を超えれば素焼きは完了している。 

  次のチェックポイントは900℃。 なぜ900℃か? 素地、あるいは釉薬に含まれる鉄分が反応を始める温度帯であり、還元焼成か、酸化焼成か(ガス窯焼成参考)、選択を迫られる温度帯だからである。 プロも含め多くの方が還元操作は900℃からと思い込んでいるようだが、辰砂釉など銅を含んだ釉薬を焼こうとする場合、銅は600°くらいから反応を開始するので、その温度が還元開始のチェックポイントとなる。 科学的な根拠あっての窯操作であることを忘れてはならない。

・ 1200℃に達すると大抵の釉薬はガラス化が進み、火止めのタイミングを考えなくてはならない。 焼成時間、釉薬の組成により火止めの温度はまちまちであるが、色見で焼け具合を確認して減温操作をし、火を止める。

成形作業が物理学ならば、焼成は流体力学と化学(ばけがく)である。 火を止めたら焼成作業は終わりと思いがちだが、実は減温も昇温と同様、重要な窯焚きの一環なのである。 昇温が化学反応の促進であるのに対し、冷却は沈静化であり、どの時点で反応を固定化させるか、当然のことながら結果に大きく影響する。 色身を引き出し、良かれ、と思って火を止めたが、思うような結果が得られなかった経験は誰しも一度はするものだ。 プロはそれぞれの目的に相応しい結果を得るために急冷、徐冷、焚き落とし、と冷まし方にも色々工夫をこらしている。 

一般的に急冷は還元状態を維持し、釉中に各成分を溶かし込んだまま釉薬を固定するために、深くメリハリの利いた透明感のある釉調が得られやすい。 これを利用したのが「引き出し黒」である。 鉄釉を施した器物を灼熱の窯から火鋏で引き出し、水につけて一気に急冷すると、深く、しっとりとした、まるで漆物と見まごうような釉調が得られる。 徐冷の窯では火止め後も長時間高温にさらされるために釉中成分の結晶化が促進され、マット化(曇りガラスのような膜を張った状態)したり、あるいは釉ムラができやすい。 結晶釉、油滴天目釉などデリケートな釉薬は減温の仕方で釉調が大きく変化するしやすい。 減温も昇温同様、重要な窯焚き作業であることを忘れてはならない。





白瓷窯焚き

 窯焚きには昔から女性は近寄ってはならぬと言われている。 女性が窯に近付くと、どういうわけかヘソを曲げるというのだ。 “火の神様は女性なので嫉妬するからだ”といううわさもある。 日本ではないが、“女性には裂け目があるから窯に近づくと品物が割れる“などと無茶苦茶なことを大真面目に信じている人たちさえもいる。 確かに薪窯の場合、闇夜に繰り返し噴き出すロウソクのような焔をながめていると、人によっては一種の催眠効果といおうか、トランス状態におちいり暴走する者もタマにはいるが、筆者の経験では女性ばかりとは限らない。 女性を弁護するわけではないが、トラブル時の対応に多少不安は残るものの、むしろ女性の方が指示をキッチリと守り、安心してまかせられる一面もある。 男女いずれであれ、窯焚きは真剣勝負である。 非科学的なことを言うようだが、最後にはスタッフ全員の、何が何でも温度を上げようとする心意気がものをいう。 したがって、見物人はできるだけ排除し、それぞれ役割を担った最小限のスタッフに限るのが望ましい。  

白瓷窯は、丘の斜面を掘り抜いた須恵器窯と基本的に同じだが、焼き締まりさえすればよい須恵器や山茶?窯が全長10mを越す例も少なくないのに対し、焼成温度は須恵器より100℃ほど高く、品物も高級品に限られるために全長は67mと、かなり小さくなる。 
 しかし、たかが
100℃くらい、となめてかかってはいけない。 1100℃から1200℃に温度を上げるためには、須恵器とは比べ物にならない高度な焼成技術と、燃料の全消費量の半分以上を費やすのである。 
 
 木灰は理論上
1240℃が溶融点といわれ、考古学でもこの数字を根拠に窖窯の焼成技術を論じているが、実戦では理屈通りにはゆかない。 釉薬は釉中の塩基と素地の硅酸が相まってガラス化を開始するので、素地の耐火度が低いほど化学反応が促進され、早い時点から熔け始める。 猿投の使用粘土は、1200℃を打てば灰釉も熔け、素地もほぼ焼結する。 
 須恵器、白瓷のような横炎式の窖窯では、熱源から離れるにしたがい、1m奥まるごとに
5080度、温度が低くなってゆき、かなりの温度差が生ずる。 焼成室奥行45mほどの標準的な白瓷窯では、灰釉が溶ける温度域はせいぜい火前から2m以内に限られる。 したがって手前では高級品である白瓷を焼き、奥では須恵器や食器などを詰め、無駄のない窯焚きが行われていた。
 



 薪をくべることだけが窯焚きではない。 薪の準備と管理、窯詰めの時点から既に始まっているのである。 焔の流れを十分に考慮し、絶対に取らなければならないモノ、間違いなく取れるモノ、取れればラッキーなモノ、それぞれの配置を考え、納得のゆく窯詰めができれば、窯焚きは半分成功しているといってもよいほどである。 焼く物、窯の癖、人の癖などそれぞれ条件が違い一概に言えるものではないが、ここでは標準的な筆者の白瓷窯(幅1.2m−全長7m弱)で灰釉陶器を焼く場合を例にとり話をすすめよう。
 





上から薪投入口、オキかき口、ロストル 筆者窖窯






 
現在のように軽くて丈夫な耐火物がない時代、窯の床面にいかに多くの製品を積み上げ生産効率を高めるか、窯経営上の大きな問題であったに違いない。  “トチン”や“ツク”といった窯道具を使用して重ね焼きをするなど工夫をこらしても、天井との間にはかなりの隙間があき、焔は製品の上を素通りして煙突から逃げていってしまう。 そこで、窯の傾斜を強くし、天井を低くして分炎柱を設けたり、熱効率を高めようと知恵を絞った。 窯詰めが終わったらレンガとモルタルで入り口を塞ぐ。 古窯の発掘現場からはロストルの存在を確認できないが、オキの調整に重宝なので、筆者は上から薪投入口、オキかき口、一番下に二次空気調整口(ロストル)を設けることにしている。 

 窯のまわりもきれいに掃き清め、準備は完璧に整い、窯に“上手くたのむぞ!!”と、パンパンと拍手を打っていよいよ火入れ、ロストルと薪投入口を閉じて、真ん中のオキかき口から焚き火を始める。 最初から貴重な松の割り木を使うのはもったいない。 アブリの段階では製材所からもらってくる杉や檜の端材が1トンもあれば、900℃くらいまでは楽に上げることができる。 長さを50cmくらいに切りそろえておくと作業がしやすい。 
 さて、口元の焚き火だけで二時間足らずの間に300℃くらいまでは楽に上がる。 さらに燃料の量を増やし、一時間に80℃くらいのペースで温度を上げてゆく。 温度の上昇とともに、煙突の引きも良くなり、パチパチと小気味良い音をたてて、焔が窯の中に吸い込まれてゆく。 
 素焼き温度の600℃を過ぎ、さらに焚き続けるが700℃から900℃はデリケートな温度帯である。 既に、窯がかなり活性化しているために、薪の操作を誤ると温度が100℃単位で上下する。 土は急な昇温でも安定していれば耐えるが、この温度帯での乱高下は粘土中の塩基分や硫化鉄などが急膨張し、アメのようになった器壁を膨らませ、焼きセンベイのような“火ぶくれ”の原因となる。 薪窯のアブリは時間をかけて慎重にやれ、といわれるのはこのためである。

焚き始めから1012時間ほどで手前の熱センサーが900℃を指し、煙突から噴き出す煙に炎が混じりだすが、この点で、煙道にあるダンパー絞り、焚き口下のロストルのエアー調整をして、攻め焚きに入る。 ロストル口の開き加減は煙突の引き具合によりエアーの流入速度が自動的に変わるので、最小限にしておく。 というよりも、塞いだレンガの隙間から入り込む程度の空気量で十分であろう。 
 オキかき出し口をレンガでふさぎ、上の薪投入口から松薪(私の場合、50 cmに切り揃え)を6〜7本ずつ放り込み、攻め焚きを開始する。 焼成方が変わるので一時的に温度は下がるが、あわてずに焚き続ければそのうちに上がりはじめる。 奥の温度センサーが900℃を超すあたりから煙突から噴出す黒煙にオレンジ色の炎がチラチラと混じるようになり、そのうちボンッ!という着火音とともに真っ赤な焔に変わる。 感動の瞬間である。 

煙突から噴き出す炎を見ながら火が落ちる前に次の薪を投入し、炉内に炎を絶やさないよう還元状態を保ちつつ、さらに温度を上げてゆく。 手前のセンサーが1000℃を超すあたりから温度の上がりが重くなり始める。 不思議なもので、同じように焚いているつもりでも、900℃台、1000℃台、あるいは1100℃台のどこかで昇温がピタリと止まり、大なり小なり窯がコジれる。 短ければ56時間、長ければ15時間以上動かなくなることも稀ではない。 このような時の対応には、これといった妙法があるわけではないが、人それぞれ経験から得た流儀がある。 筆者の場合は窯をあまりいじらず、薪の投入方法を変えることから始める。 例えば、オキの燃焼効率をよくするために表面積を増やす、つまり、燃焼室内にオキの山脈を造り、峰の近くに薪を放り込むことにより斜面をはい上がる酸素を有効に利用するのである。 オキの輻射熱は窯全体の熱量を維持する極めて重要な役割があり、山脈の高さを一定に保つよう薪の投入本数、間隔を加減しつつ、しばらく焚き続けると、上昇に転ずることが多い。 あるいは、薪を束ねて投入口一杯に差し入れ、外気の流入を抑えると同時に、薪全体を一本の燃料棒のように先端から燃やしてゆく。 いずれにせよ、窖窯のような単純な構造の窯は、焼成技術は勿論であるが、窯詰め具合、薪の質、季節なども影響し、同じ窯焚きは一窯とてない。 窯ごとに臨機応変に対処するほかなく、何度窯焚きをしても不安は付きまとうものなのである。  

温度が1000℃台後半で、時間的にも精神的にもユトリのある2日目の昼がメインの食事になる。 スタッフたちも、これが何よりも楽しみで手を抜くわけにはゆかない。 夏はバーベキュー、冬は鍋物と季節により工夫を凝らす。 窯の上に野菜や肉を置きサヤ鉢を被せて蒸し焼きにすると、それだけで普通の料理とは二味も三味も違い、芋などはまるで和菓子に変身する。 選手交代の時間でもあり、好きな人はビールでも酒でも心ゆくまで飲んで、夜に備え寝てしまう。 
 2日目の夜は窯の温度も1100℃を超え、いつ不測の事態が起こらないともかぎらないのでスタッフ全員が集合し、火止めに備える。 この温度帯に入りますと一本調子で上がってゆくことは稀である。 “3度上がっては2度下がる”を繰り返し、一喜一優しつつ辛抱強く焚き続ける。 順調にいけば、3545時間で1180℃に達し、窯内に置いたゼーゲルコーンの8番が倒れ、9番が傾き始める。 ここまで来ればあと一息、スタッフが窯を密閉するモルタルを練るなど、火止めの準備に取り掛かる。  




窯変壷 大石作 19cm 高25cm





さらに35時間で1200℃を打ち、窯内に置いてあるゼーゲル錐9番の完倒、10番が半分ほど傾き、火前の釉ダレの具合を確認したら、いよいよ火止めである。 燃焼室の壁際と手前に置いた灰被(はいかむり)の作品に長い柄のスコップでオキを被せて窯変を狙う。 最後に薪を大量に放り込み、モルタルを塗り、外気の流入を遮断する。 次いで、煙道のダンパーを閉め、焔を炉内に封ずる。 行き場を失った焔はあちこちの隙間から噴出するが、モルタルを叩きつけて封ずる。 この作業は危険をともなうので、落ち着いて慎重かつ迅速に行わなくてはならない。 外気を遮断された焔は一気に消火し、炉内は強い還元状態を保ったまま急速に温度を下げる。 この最後に行う火止め操作が須恵器、および猿投白瓷の特徴である




窯出し

窯出しの時は、さぞかし心ときめかせながら蓋を開くのだろうな、とお思いであろうが、窯焚きの過程において結果はほぼ予測できるので、以外と淡々としたものなのである。 しかし、薪窯では時として焔のいたずらにより予期せぬ結果を招くことがある。 愛好家たちはこれを“窯変”あるいは“焔の芸術“などといって珍重するが、焼き物に99.9%“偶然”はない、と言ってもよい。 “たまたま出た”などという陶芸家の言葉を鵜呑みにしてはいけない。 窯焚きの原理がほぼ明らかになった今日、多くの場合景色は意図的に作られるか、少なくとも経験から得た無作為の作為が働いている。 しかし、0.1%、つまり1000個に1個くらいの割合で想わぬ結果を手にすることができるのも事実である。
 厳しいことを言うようだが、焼き物の良し悪しは加点法ではなく減点法で評価すべきではないかと常々思っている。 登山に例えれば、頂上に立つためには体力はもちろん、資金、装備、ルート、技術、経験、精神力、サポートなど等、いろいろな条件を想定し、かつクリアーしなければならない。 万全を期したつもりでも、天候の運・不運もつきまとい、多くの登山家が頂上を目前にして引き返す。 しかし、なお幾多の苦難を乗り越え、命を賭けて再び頂上へのアプローチを試みる。 そのゲーム性が挑戦者にとり、たまらない魅力なのではなかろうか。 焼き物に限らず、不足感こそが “次こそは”の意欲をかき立てる、あらゆるチャレンジャーに共通する原動力であるのは確かなようである。

 焼き物は窯から出したら完成と思われがちだが、ゆっくりとではあるが組織は動いている。 古くなったコップなどが黄ばみ、もろくなるのは誰もが経験する。 ガラスの一種である釉薬も同様、アルカリを含むために空気中の水分やフッ素など微量な元素による浸食を受けやすく、窯出し直後から劣化を開始するのである。何年もの時を経てひび割れる経年貫乳入、素地から釉薬が剥離するシバリングなど、欠点とはいえ釉調に趣を添える。 

 産まれたばかりの赤ん坊はクシャクシャでお世辞にも可愛いとはいえないが、外気に触れ暫くすれば玉のような肌になる。 一般の方々には観察の機会は少ないと思うが、窯から出たばかりの作品もワサワサとして、どこか落ち着かない感じなのである。 釉調が安定するのに最低23日、貫入釉などはキンコンと金属を弾くような音が納まるのに一ヶ月以上もかかる。 オキに埋まり炭化した焼き締め陶など火事場の焼け残りといった感じで、ガサガサして見られたものではないが、丁寧にペーパーヤスリで仕上げをして床の間にでも据えれば別物に変身する。 窯出しに人が立ち会うのを嫌う陶芸家が多いのは、こうしたことも理由の一つなのである。 
 ついでに一言。 窯出しといえば、意に沿わない作品をこれ見よがしに叩き砕く光景が時々テレビなどで放映される。 そのような行為を人前で、いわんやカメラの前でする陶芸家の心境が純粋なものとはとても思えない。 確かに自らに厳しくすれば砕かなければならないのも事実であり、泣く泣く一窯、全部、ということさえ稀ではない。 しかし、自分の力量の不足を責めるべきであって、焼き物に罪はなく、公開処刑の真似事などすべきではない。 繰り返さないことを心に念じて、人知れず、ひっそりと処理するのが日の目を見なかった焼き物に対する供養というものであろう。

 以上、筆者の白瓷窯を一例に、窖窯の焼成について要点を述べた。 一概に窖窯といっても内部構造、炉材、大きさ、目的、燃料、焼成技術など、条件が違えば手段も変わる。 焼き物は結果が全てであり、人それぞれ経験から得た流儀というものがある。 個人が一生のうちに体験できる窯焚きなど回数が知れており、筆者の窯焚きが決して最良の方法でもなければ、全てでもないが、読者諸姉兄の中に陶芸への造詣を深めたい、今後窖窯を築こうとする方、あるいは、今までの焼成結果に満足のゆかない方々の参考になれば幸いである。