考えるヒント 2001 - 2004

システム・アナリストにとって、世界は練習の課題に満ちている・・

(c) 佐藤 知一


たとえば・・・

Christmasメッセージ−−障害者とともに暮らす社会を (2004/12/24)

仮説検証のトレーニング (2004/11/06)

静寂の価値 (2004/08/20)

「わかる」ことと「知る」こと (2004/07/06)

SCMにおける意志決定のパラドックス(2)−−「合理的な」決定は可能か (2004/04/18)

SCMにおける意志決定のパラドックス (2004/04/11)

二重貨幣を空想する (2004/03/18)

システムが崩壊するとき (2004/02/06)

一点集中型アプローチの限界 (2003/11/04)

近似値としてのCoreaとJapon (2003/09/24)

ル・コルビュジェのサヴォア邸と自由度の難問 (2003/08/14)

さようなら、留学生相談室。(2003/07/16)

論理的だが、システマティックでない人 (2003/04/18)

リスクにつける薬 (2003/03/19)

資格はユーザーのためにある (2003/01/21)

誰のための資格? (2003/01/13)

海の向こうで戦争がはじまる (2002/12/05)

「英語」の向こう側 (2002/09/22)

ベネズエラの「痛みを伴う」改革 (2002/5/06)

「不況」の根源的問題(2002/3/18)

ぼくらに英語はわからない(2002/1/28)

カウンターベイリング・パワー (2001/10/13)

ANAに乗るおじさんの日記 (2001/7/23)

特別な我が社(2001/2/03)

e爺なる人々(2001/1/10)

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Christmassメッセージ−−障害者とともに暮らす社会を (2004/12/24)

Merry Christmas!!

今月上梓した新著「BOM/部品表入門」は、2000年に刊行した「革新的生産スケジューリング入門」の姉妹編という位置づけである。前著と同じく、矢口先生という大学の助教授が登場するのだが、今回は企業内のワーキング・グループの席上におもむいて、BOM構築に関する総合的なレクチャーを行なう、という形式になっている。

ところで、前著を読んでいただいた方はご存じのように、この矢口先生という人物、米国で10年以上もコンサルタントとして活動していたが、自動車事故にあって肢体不自由となり、潮時を感じて帰国し大学に職を得た、という設定にしている。つまり、車椅子の人である。

あの原稿を書いたとき、親切な友人から、「なぜ主人公を障碍者に設定したのか?」という質問があった。つまり、余計なフリクションを受ける可能性もありうるから、やめておいたら、とのアドバイスである。まことにもっともな心配であった。が、私はしばらく考えた後に、やはり元の設定のままで進めることにした。そして、今のところそれを後悔していない。

昔、大学生だったころ、私は大学門戸開放運動という活動に多少かかわっていた。私は点友会という、点字翻訳のサークルに属していたのだが、じつはほとんど点訳のボランティアをせず、別のことにかまけていたのである。大学門戸開放運動とは、視覚障碍者であっても、大学入試を受験する権利を認めるべきだ、という主張の活動だった。私が大学に入った'70年代の中頃までは、点字による受験はほとんど認められていなかった。

入試問題を点字に翻訳する場合、誰がいつ、その作業をやるかという問題がある(とうぜんながら試験問題は当日まで厳秘扱いだからだ)。さらに、一般に点字を読み、解答を点字に書くのは、通常の視覚を持つ人が文字を読み書きするよりも、3割以上時間がかかる。したがって、試験時間を少し長くしなければフェアとは言えない。

しかし、こうした入学試験の技術的困難を解決すれば済むのか、というと、じつはそうではなかった。大学門戸開放運動の本質的な問題は、大学側の体制、すなわち学生の入学後の勉学と生活をどう確保できるのか、という点にあったのだ。

講義を聴き、メモを取る。それだけならば視覚に障害があろうとなかろうと、同じようにできる。しかし、学期末の試験やレポートはどうするのか。また、教科書や指定の参考書の点訳/朗読はどうするのか。まだ学内に点字ブロックも敷かれていなかった時代のことだ。こうしたことは、大学の予算措置や大学図書館の積極的な支援などの仕組みが必要だ。善意のボランティアだけでサポートしきれることではない。

それでも、私の入学よりも2年後に、私の大学では創立以来初めて、視覚障碍者の学生の入学が認められた。彼はその後、大学院に進み学究生活に入って、今は静岡県立大学で社会学の教授となっている。私のリンク集にもアドレスを紹介している、石川准氏である。彼は全く視力を持っていないにもかかわらず、現役の大学教授として活躍している。

彼の存在が大学に与えた影響は、計り知れないものがあると思う。むろん彼は努力家であり、かつ優れた才能を持つ学者だ。しかし、普通の大学生がふつうに持って当然と思っている学業能力が、「障害」の有無にかかわらず、実現される権利がある、ということを、学友や教官や職員達はあらためて認識させられたにちがいない。それは、人間とは可能性において多様なものだ、という認識なのである。

ちなみに、肉体的に障碍をもつことを、英語では"disabled"と呼ぶことが多い。ところで、この言葉は、たとえばスキーで足を折って一時的に松葉杖をしている人などにも当てはめられる。障害者と、いわゆる健常者との違いは相対的なものであることを、disabledという言葉は示している。

われわれの社会は今、彼が入学した四半世紀前に比べて、格段に画一化への道を進んでいる。それは、経済社会において富がますます一部の国、一握りの企業に集中していくことと歩を同じにしている。それは経済原則の進展だ。そして、経済合理性は、効率化のための画一を好む。「文明」を、人間に利便を与えるものと定義するならば、文明は画一を好む、と言いかえても良かろう。

ところで、現実の人間は有限の存在である。決して経済合理性だけで生きて行くわけではない(「コンサルタントの日誌から」にもかつて書いたが、『パンのみに生きるにあらず』という聖書のことばはこれを示している)。われわれは、自分の生に価値があることを、あるいは自分の存在が無価値ではないことを、証明するために大いなる努力を払う性質を持つ。つまり、アイデンティティを求めているのだ。文化を、人間にアイデンティティを与える枠組み、と定義するならば、だれもが文化を切望しているのである。

そして、不思議なことに、文化とは多様性によって豊穣となる。この社会が正気を保つためには、社会の中に多様性、多様な個人が共存することが必要なのだ。

多様であるとは、すなわち、無意識の前提がくつがえされるような差異だ。われわれの社会、文明によって常に画一化へと駆り立てられている社会では、経済に奉仕しにくいような身体的なハンディキャップは、どこかに隔離され『保護』されがちな異質となる。しかし、異質が共存する社会にこそ、文化は保たれる。

もう一度くり返すが、われわれ人間は有限の存在だ。生まれてくるとき、親を選ぶことさえ誰にもできない。そうであるならば、自分とは何者か、他者とは何が違うのか、違うことによって何を得ることができるのか、考えていかなければならない。障害者がふつうに、ともに暮らせる社会は、この生活の基盤がどこにあるかをもう一度気付かせてくれる。それは、世の中が健全で平和であることの証となるはずなのである。

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仮説検証のトレーニング (2004/11/06)

学生のころ、阿佐田哲也の麻雀小説が好きだった。博打にも無頼にも縁遠い存在だった自分だからこそ、そうした世界に憧れを持ったのかもしれない。しかし、阿佐田哲也という人は情感と理性に絶妙なバランスを持った人で、その小説にはときどき非常に理論的な戦略解説がはさまれていた。

いまでもよく覚えているのは「茶木先生」という名前の音楽教師が出てくる短編で、この人はヴァイオリン・ケースをかかえながら、下手の横好きで雀荘に通ってくるのだ。勘に頼った彼の打ち方を見て、阿佐田哲也の分身である主人公が、いう。『麻雀は一回の結果だけ見て判断の良し悪しは言えない。長い平均で見て55対45の確率があるならば、55の方に賭ける。たとえある局面ではそれが裏目に出ても、腐らずに打ち続けることを学ばなければならない。それがフォームというものだ。』

麻雀自体はひどく運に左右される不確実性の高いゲームだが、そこにセオリーとフォームという概念を持ち込んだ点が、阿佐田哲也の天才だった。一回一回の結果論で評価せず、長期的な仮説(戦略)を持って行動する。それをフォームとして身につけ、一喜一憂の感情に流されぬよう集中力を持つ。それがプロなのだという。カッコいいではないか。

私はエンジニアとなる教育を受けて工学部を卒業し、勤め人になった。なってわかったことは、給料をもらってもプロになった訳ではない、ということだ。大学ではいろいろと結構な理論を学ぶ。会社でそれを設計に用いる−−そんなことは誰でもできることだ。そのうち賢いコンピュータ・プログラムがでてくれば、機械が代行してしまう(事実、工学計算も製図も、かなりの部分がそうなった)。

では、人間がやるべきこと、プロのエンジニアがやるべきことは何なのか。それは、不確実性への対応なのだ。計算条件の中にある、曖昧さや将来予測の不確実性をどう判断するか。たとえば工場のキャパシティを決めるときに、市場はまだ成長するのか飽和に向かうのか、特定の商品が伸びるのか多品種化が進むのか、その判断によって設計は大きく変わる。もう少しミクロなレベルでも、この機械は頻繁に稼働・停止を繰返すことになるのか連続安定運転となるのか、このラインの搬送量は季節的ピーク値をどこまで見越すべきか・・想定すべき不確実性はいくらでもある。

ある程度、長期的な見通し(戦略)を持ち、行動上は細部にいたるまでそれに従う。これがフォームであるはずだ。行動の結果を学び、それを見通しに反映していく。言いかえれば、戦略的行動とは、仮説検証の継続に他ならない。そして、フォームとして身につけるためには、繰り返しによるトレーニングが必須だ。そのためには、自分の判断の中にある「仮説」に自覚的でなければならない。勘も度胸も、むろんプロとしては重要だろう。しかし中心に仮説と検証の精神がなければ、経験としての蓄積にならないのだ。

仮説検証という言葉は一時期、なぜか流行った。このために、ときどき奇妙な理解をしている人にお目にかかる。たとえば、生産計画が仮説で、生産実績が検証である、という風な。とんでもない誤解だ。生産計画の中に込められた、不確実性に対する判断基準、それが仮説なのである。この製品は伸び盛りで、まだ継続して注文があるかもしれない、だから来旬も受注可能なように、あの機械は少し稼働に余裕を持たせておこう−−これが仮説なのだ。

次の旬には注文が無くて、機械稼働率を下げてしまうかもしれない。では仮説は間違いだったのか? だが、それは一度限りの結果だ。結果論にこだわって一喜一憂してはいけない。それではイーペーコーにこだわった茶木先生と同じレベルになってしまう。もう少し推移を見届けてから検証する必要がある。それがフォームなのだ。

いまでも私はときどき、自分がプロといえるのかどうか、自問する。世間的には、そうだと思われているし、そうでなければ困る。だが、私は毎回の結果だけ見て、一喜一憂してないか。『自分のフォーム』といえるものを身につけているか。その中心には、どんな仮説のリストを持っているのか。そして、私の所属している集団は、はたして「プロの集団」という名にふさわしい組織なのか。私の自問自答は、まだ終わらない。

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静寂の価値 (2004/08/20)

日本人は目に見えないものにお金を払わない−−少し前の『日本人論』では、よくソフトの値段をめぐる文脈の中で、こう言い放つ人がいたものだ。この言葉自体はやや言い古されて、もはや警句としての切れ味を失ったが、内容は真実だと考える人は、まだ多いだろう。

いくつかの国で仕事をしてきた経験から、とくにこれは日本人に限ったことではない、と私は感じている。程度の大小や傾向に差はあれども、人間は具体的事物以外には対価を払うのを渋る。そこには、所有権では制限しようのない「情報」やら「仕組み」なるしろものに、売買の対価がありうるのか、という感情的な疑念があるからだ。

結局のところ、現在の会計制度は実物経済の原理で成り立っている。これを無形資産にむりやり外挿して財務諸表を作っているのだが、目に見えない情報の棚卸しなど不能である。製品倉庫で数が合わなければ、財務諸表にすぐ現れるから、みなが大騒ぎするだろう。しかし、情報や業務プロセスが陳腐化しても、誰も何も感じないのは、現在の会計に起因する面が大きい。

そもそも、工場では、スムーズに仕事が流れることが一番重要である。欠品もむだな滞留もなく、指示と実物の齟齬もなく、計画はとどこおりなく詳細スケジュールに展開される。こうしたプロセスの仕組み作りこそ、一番価値があるのだ。しかし、その価値は財務諸表のどこにもお金で反映されない。これに比べれば、製品在庫の差異など小さなことなのに。

川の流れがスムーズなほど、表面は静かに見える。波が逆巻いていたら、それは活気の証拠ではなく、底の方に何かの乱流があって、働く人々のエネルギーを無駄に吸い取っていることを意味している。こうしたことは、結局は能率の問題だと片づけられるかもしれないが、私は、もっと大事なこと、働く人間の創造性に結びつくことだと思っている。そして、奇妙なことだが、私は休日出勤をするたびに、それを強く感じるのだ。

私自身は怠け者で、休みの日は仕事のことなど片時も想い出したくない方だ。しかし、「怠け者の節句働き」で、たまに休日に職場に出ると、とても集中力が上がることに気づく。なぜ休日出勤は仕事がはかどるのか。理由は、オフィスが静かだからだ。周りに人が少なくて、PCの立てるファンの音もコピー機の騒音も、ほとんど無い。

ホワイトカラーの端くれとして、私も少しは仕事でものを考える必要がある。そのとき頭の中が集中するまで、ある程度の時間がかかるらしい。だが、それは騒音や話し声でたやすく散らされてしまう。ちょうど、弾み車が高速で回転しかかってているときに、軸受けに砂が紛れ込んできたような感じなのだ。

私が、「思考のIE」がほしい、と思うのはこのような瞬間である。工場の作業分析や標準時間はIE(Industrial Engineering)の主要な領域として、よく研究しつくされている。右手で部品をつかんで、左手のところに持っていく際、途中に障害物があったら、IE技術者はそれを断固とりのぞくだろう。標準時間に影響するからだ。しかし、オフィスで思考するのだって、なんらかの標準時間があるはずなのだ。途中で妨害されて、後からせかされたって、誰か速く考えることのできる人はいるだろうか?

静寂の価値を、この国では誰も声高に主張しない。“にぎわい”を演出するために、建築家も商業も広告業者も、空間を音で埋め尽くすことにやっきになっている。これはすでに日本の文化の一部なのかもしれない。ヨーロッパの街には不便も嫌味もいろいろあるが、ひとつ良いことは、余分な音で充満していないことだ。商店に入っても、レストランに入っても、基本的に音楽がなく静かだ。

広場の音空間は、誰か一人のものではない。自分の店がそこに面しているからといって、ときどき移動式スピーカーを持ち出してCDやDVDの販売のために音楽を流すのは、空間を勝手に占有して汚しているのに等しい(貴方のことだよ、新星堂横浜ランドマーク店の店長殿!)。こうした野蛮がまかり通るのも、この国の人間が、耳に聞こえる音に対してひどく寛容だからだろう。商業ビルに入ると、ビル全体のBGMに加えて、各店舗が別のBGMをかけていて、しばしば二種類の音楽が聞こえる。こうした職場で正気を失わずに働き続けるには、音にたいして鈍感であらねばならぬはずだ。目に見えぬものにはお金も払わぬ日本人が、耳に聞こえてくるものに無神経なのはなぜなのだろうか。

いまから15年前、ほんの数日間だけだが、日本中の街から音曲が絶えたときがあった。カフェに入っても、セブンイレブンに入っても、一切何の音楽もきこえない。そこには普通の話し声以外は静かな、大人の空間が、ひとときだけ存在した。不謹慎との非難を覚悟でいうが、大喪の礼の間ほど、私は心が落ち着いたことはない。それが何十年に一度しかあり得ないことが、私にはとても悲しかった。この国で静寂の価値をみなが受け入れてくれるようになるために、何が欠けているのかを、それ以来私はずっと考え続けている。

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「わかる」ことと「知る」こと (2004/07/06)

学んで時に之を習う。また喜ばしからずや。朋あり、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずして温(いきどお)らず。また君子ならずや−−これは「論語」の冒頭、学而篇第一におかれている子(先生、つまり孔子)の言葉だ。

「勉強した後、適当な時期にこれをおさらいする、いかにも心嬉しいことだね。同学の志が遠いところからも訪ねてくる、いかにも楽しいことだね。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね(凡人にはできないことだから)。」 金谷治氏の訳注をたよりに書き直せば、こんなところか。

孔子は「学ぶ」と「習う」を区別して使っている。学ぶ、は知識として覚えること。これに対して、習う、は自分で繰返し経験して修得することを意味している。つまり、「知る」ことと「わかる」ことだと言ってもいい。

三千年以上も前の人には自明だった、この区別が、現代の人にはわからなくなっているらしい。そう思うようになったのは、最近の経営書ブームの影響を見てからのことだ。

その端的な例が、プロジェクト・マネジメントのPMBOK Guideである。米国Project Management Institute (PMI)が長い時間をかけて完成させた本書は、タイトル"A Guide to Project Management Body of Knowledge"が示すように、「基本的知識へのガイド」である。この中にはたとえば、アーンドバリュー分析(EVA)手法の基礎的な記述がある。そこで、これを読んだ人は、PMやEVAの知識を得ることができる。つまり、「知っている」状態に達するだけ、のはずである。

ところが、面白いことに、世の中にはPMBOK Guideを読んだ、あるいはPMPのペーパー・テストに合格した、だから自分はアーンドバリュー分析が「わかってる」と思いこんでいる人が、けっこういるらしいのだ。不思議なことである。そんな人の前で、「アーンドバリュー分析の落とし穴」に書いたような議論を始めると、目を白黒させる。

どんな技法も、実務で何度か使って、自分で痛い思いもしてみて、はじめて利点と限界を理解できる−−これが技術屋としての普通の態度ではなかったか。いつから管理のための手法だけは畳水練で修得できることになったのか。

もう一つ例をあげよう。ERPのビジネスが発達して以来、日本でも欧米に劣らず『コンサルタント』が急増した。このコンサル諸子、実際には特定アプリケーションの設定方法を(ごく狭い業務範囲に関してのみ)「知っている」だけにすぎないのだが、なぜかビジネス領域を「わかっている」と自認しておられる方が少なくないらしい。無論、ちょっとでも現場業務に関するリアルなことをつっこんで質問されると、すぐぼろが出てしまう。だから最近は顧客側も賢くなって、“SEにすぎない人間に業務コンサルの単価が払えるか”と値切り、単価デフレ現象を加速させているようである。

英語のTOEICも似たような所がある。俺はTOEICが900何点だから英語はよく分かっている、という御仁が多いようだ。しかし、私の感覚でいえば、TOEIC 900点など、囲碁にたとえれば、ようやくアマの初段といったところ。プロ(つまりNativeの人たち)とは天と地ほどの開きがあるのだ。しょせんあれは試験である。点を取るためのテクニックだって存在して、参考書も出ている。そんなことを「知った」からといって、言語という巨大な文化のサブシステムを「わかった」と、なぜ言えるのか。だから私などいつも、「ぼくらに英語はわからない」と言い続けている。

鉄棒の逆上がりの仕方をスライドで見て知っても、それで逆上がりが実際にできるようになるわけではない。小学生にとってさえ自明な真理が、なぜいい年をした大人にわからないのか? 

答えは、たぶん、われわれの社会から職人仕事が衰退していることと、関係がある。職人は、仕事は自分で身につけるものだ、と信じていた。「知る」ことと「わかる」こととの間には、気の遠くなるほどの距離があるのだ。しかし今や、いかなる仕事であれ、文章と記号と画像情報系で伝達可能である、という信念が広まっている。どうも、大学でお勉強ばかり上手にしてきた人たちが、ホワイトカラーの中に増えすぎたのだとしか思えない。

昔読んだ田辺聖子の小説の中で、障害児を持つ母親が、他人からその苦労を聞かれ、

「分かる人には説明しなくても分かる、分からない人には説明しても分からない。」

という意味のことを答えた場面があって、今でも忘れられない。逆説めいているが、正論だ。「わかっていない」という自己認識があって、はじめて「わかろう」とする努力が始まるのだ。「そんなことは知っている」と思った地点からは、何の前進もありえない。無知の知とは、おそらくそういう意味なのだろう。


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SCMにおける意志決定のパラドックス(2)−−「合理的な」決定は可能か (2004/04/18)

資材の調達先を決める際、価格は有力だが唯一の評価項目ではない。ふつうは価格以外に性能や品質など、さまざまな角度から比較して総合的に決定するはずだ、と前回書いた。価格以外の評価項目における優位性は、売り手の側からは『非価格競争力』と一般に呼ばれる。一方、買い手の側から言えば、非価格項目は、結局のところ買い手にとっての資材の使用価値を決める要素となる。そして、使用価値と取得価格のバランスから、サプライヤーを選択することになるのだ。

ところで、買い手はこれら価格項目と非価格項目をまとめて、通常は一種の比較表を作成する。この作業をプロジェクト・マネジメントの調達管理の世界では、"Bid Tabulation"(Bid Tab)と呼ぶ。プロマネはふつう、調達担当者がBid Tabを作成した上で、合理的で適正な選定を行なうよう監督する責任がある。前回説明した、自動車の購入のための比較表は、このBid Tabの例である。

さて、前回のケースであなたは、X・Y・Zの3車を比較して、Z車が一番高価ではあるが最も使用価値が高いと感じている。そこで、非価格項目の定性的な◎○△などの評価値を点数化し、合計点によって決めようとした。その際、各評価項目の中の順位にしたがって、各候補にそれぞれ3点・2点・1点を割り当て、それを集計した(投票におけるボルダ方式と同じやり方である)。その結果、Z車が合計12点で、最高位になった訳である。

ところが、あなたの「財務省」は、あなたのBid Tabをじっと見てから、意外なことを提案してくる。比較対象から、最低点のY車をまず削除しよう、というのだ。そしてXZの決選投票をすべきだ、と主張する。決選投票でも同じ手続きで点数化し、両者の比較で、2点と1点を投じる。あなたはこれに同意して、再度比較評価してみる。すると、Bid Tabは次のようになる。

車種 価格

デザイン

エンジン性能

安定性

燃費

保守性

付属機器
X車 160万

Z車 190万

今度はX=Z=9点だ。両者は同点だから、安価なYを選択すべきだと、彼女は主張してくる! 果たしてこれでいいのだろうか? XとZの二つの対象を比較するときに、両者と無関係な比較対象Yの有無によって、結果が変わるのは不合理ではないか。

そのとおりである。この事例のようなやり方(ボルダ方式)は、意志決定プロセスが、“無関係対象からの独立性を欠いている”とされる。そして、このような意志決定は、評価の経路(選択候補を比較する順番)によって、異なる結果を得てしまう『結果の経路依存性』がある。これを容認すれば、評価結果(投票結果)を意図的に操作することが、可能になるのだ。

どうやら、単純な単票投票方式も、ボルダ方式も、合理性の観点からは問題があることがわかった。では、他にうまい意志決定方法があるのだろうか。

ここで、これまで無反省に使ってきた「合理的」という言葉の中身を、もう少し正確に定義することにしよう。意志決定が「合理的」であるためには、最低限、次の条件を満たす必要がある。

(0)それぞれの比較評価項目で、対象の順序づけが可能であり、それは自由に決めることができる。
(1)順序づけは定性的でもかまわない。ただし、循環順序(じゃんけんのように最強のものがわからない順序)は許さない。いいかえるならば、X>YかつY>ZならX>Zという推移律を満たす。
(2)比較評価による順位付けは、無関係対象から独立である
(3)すべての比較評価項目でX>Yならば、意志決定結果でもX>Yである
(4)ある比較評価項目の順序づけのみが、そのまま全体の意志決定結果と同じになるような“独裁的”な力を持ってはいけない

どれをみても、至極もっともな条件である。ところが、ケネス・アロウという経済学者は、これらをすべて満たす決定方式は存在しないことを数学的に証明してしまった。彼によれば、(0)〜(3)をみたす方式では、(4)をみたすことができない。ある尺度だけがつねに結果を左右してしまうのである。これを、アロウの「一般選好性定理」ないし「一般可能性定理」と呼ぶ。つまり、比較選定を投票行為に見立てるならば、一見合理的に見える社会的意志決定で、「必ず独裁者が生じる」という、とんでもない定理なのである。かれはこの発見の功績により、1972年にノーベル経済学賞を受賞する。

このアロウの定理は、何を意味しているのか? 合理性だけの民主主義社会には独裁者が必然的に発生する、ということだろうか? そうではない。彼はただ、「合理的」に見える意志決定においても、その合理性にはつねに限界があることを示したのだ。たとえば、評価項目(価値判断の視点)を一つ、新たに追加するだけで、結果が完全に逆転することだって、十分あり得るわけだ。

ちなみに、ボルダ方式を含むすべての民主的投票方式において、戦略的操作がつねに可能である、ということも、数学的に証明されている(ギバード=サタースウェイトの定理)。また、もしも、2者間の比較が無関係対象から独立であり、かつ投票者全員が等しい票を投じる権利を持つ場合、どんな投票方式を持ってきても、結果には循環順序が発生する危険性があることも、証明されている。

アロウの理論は、じつは本来は社会的な意志決定に関する理論(厚生経済学と呼ばれる学問分野)の仕事であった。しかし、彼の理論は、サプライチェーンやプロジェクト・マネジメントにおける意志決定のプロセスにも適用可能である。そして、お金だけでは決められない多元的な意志決定において、徹頭徹尾、機械的な合理性を実現することは不可能なのだ。意志決定には、必ず不合理で不確実な部分が残る。もしBid Tabの非価格項目が、資材の使用価値を決める要素だとしたら、結局、価値評価は、機械的手続きでは決められない。これをバランスするためにも、人間の主観的な判断がつねに必要なのである。

(厚生経済学の諸定理の内容については、おもに佐伯胖著『「きめ方」の論理 −− 社会的決定理論への招待』東大出版会・刊に負っています)


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SCMにおける意志決定のパラドックス (2004/04/11)

サプライチェーンにおける生産計画やスケジューリングの仕事をしていると、あれかこれかの選択肢に悩むことが、しばしば起きる。それは、計画の仕事が将来の不確実性を相手にしているためである。先のことを完全に予測する方法はないから、生産スケジューリングは本質的に多目的性を持っている。たとえば、できる限りすべての生産オーダーの納期は満たしたい、かといって製品在庫は減らしたい。工場の製造能力は上限いっぱいまで活用して稼働率を上げたい。だが飛び込み注文に対応できる余力も持っておきたい。小ロット化してリードタイムを短縮したい。しかし、段取り替えは減らして品質や稼働率は向上させたい・・

すべてを同時に満たす解はない。納期遵守率・製品在庫量・設備稼働率・余裕率・リードタイムなどの尺度間には、お互いにトレードオフの関係があり、「あれもこれも」とすべてを欲張ることは不可能だ。生産スケジューリングの仕事にたずさわる人は身をもってこれを知っている。だから、APS製品は複数のスケジュールを作成保存して比較評価できる機能が必須になる。しかし、比較評価といっても、具体的にはどうするべきなのか?

同じような問題が、調達の場面でも生じる。生産財のサプライヤーを新しく選ぶ際には、必ず複数の指標からの比較評価が必要になる。“そんなの逆オークションをやって、一番安いところに決めればいいじゃないか”と思うITエンジニアは、無邪気すぎるというものだ。買い物の世界では、価格は唯一無二の評価指標ではない。価格はつねに最有力な指標ではあるが、『安物買いの銭失い』という古い諺にあるとおり、値段だけでものを決めるのは愚かである。

それはたとえば、自分が新しく自動車を買う場合を想定してみればわかる。カローラとベンツを比べて、カローラの方が安いからといって買う人間はいないだろう。性能も用途もまるきり違うからだ。カローラと同じクラスに車種をしぼってみた場合だって、価格以外にいろいろな観点から比較するにちがいない。そして、次のような表を作るはずだ。

車種 価格

デザイン

エンジン性能

安定性

燃費

保守性

付属機器
X車 160万

Y車 170万

Z車 190万

このような表から、XYZの順位付けを合理的(だれもが納得できる)かつ機械的(決まった手順で計算できる)に決める方法はあるだろうか? あるとしたら、それはどんな方法だろうか?

仮にあなたがZ車が一番気に入ったとしても、この比較表を「財務省」(それが誰であれ)に持っていって通すには、それなりの論理が必要だ。話を単純にするため、この表の価格とは、納期やローンなど支払い関係の時間的条件がすべて盛り込まれた、現在換算の取得価格を表しているとしよう(「The Time Value of Money」参照)。あなたとしては、価格以外の定性的な評価項目を総合判断して、この車の「使用価値」を決めたい。そして、Z車の使用価値から見れば、30万円の価格差など小さいものだと説明したいのだが・・

すぐに思いつくのは、表の各評価尺度でそれぞれベストなものを選び、その点数合計で選ぶ方法だ。これは、ある意味では投票に似ている。「デザイン」「エンジン性能」「安定性」などの評価尺度がそれぞれ投票者であり、XYZが候補者であると考える。美人コンテストや入社試験や選挙と同じである。

そこでためしに、各投票者(=項目)が、最良と思うものに1票を投じることにしてみよう。総選挙方式である。するとZ車が3票を獲得して1位になる。ところで、今度は各投票者が最悪と思うものに投票させてみよう。と、ZはYとならんで3票を獲得し、また首位になってしまう。

投票者全員が、評価の尺度を逆転させたときに、選定結果が同一のものになるとしたら、その決定方式は明らかに不合理である。社会的意志決定理論の研究者たちは、これゆえに、総選挙のような「単票式」投票は不合理が明らかである、として退けている。この種の研究は18世紀のフランス(つまり政治的社会的に沸騰点に達していた、あの大革命時代の国)にさかのぼる。

かわりに提案されたのは、各人が評価順位にしたがって3,2,1点をそれぞれ投じる方式だった。これをボルダ方式といい、よく用いられるやり方だろう。これだと、上の例は機械的な計算によってX=11、Y=10、Z=12点となり(同列首位は2点ずつとした)、今度はあなたにとって望ましい結果のように見える。

ところが、じつは、このボルダ方式には、結果を意図的に操作できる余地があるのだ。そればかりではない。20世紀後半の経済学的・数学的研究は、こうした意志決定のプロセスに対して、おどろくべきことを発見している。それは、「合理的」かつ「機械的」な意志決定方式は、必ず何らかのパラドックスを伴うということである。それはさながら、矛盾のない公理系の不完全性を証明した『ゲーデルの定理』のように、多目的な意志決定プロセスに内在する不完全性を示している。長くなってきたので、続きは次回書こう

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二重貨幣を空想する (2004/03/18)

昔、「自由の京大、自治の東大」という言葉があったそうだ。戦後しばらくの事である。これは東西二つの大学の文化・校風の違いを表しているともいえる。が、同時に、京都には自治が無く、東京には自由がない、という意味にも解釈できただろう。

この言葉の真偽はともかく、日本が東西で何かと違っているのは事実である。60年安保で国中が政治的に沸騰していたころ、反体制側の人の中には、どうしても日米安保条約を政府が強行するならば、大阪に勢力を結集して「人民議会」をうちたて、東京政府の無効を宣言すればいいと主張した人たちがいたらしい。

私はときどき、このプランが実現されていたら世の中はどんなになっていただろうかと空想することがある。日本が糸魚川・静岡構造線のあたりで東西に分断され、別々の国になっている。東日本には親米的な政府が富国強兵・中央集権の武断政治を布いており、西日本には議論好きな多党制の親大陸的な政府が連邦的運営を行なっている。そんな気がする。もともと、中世初期から室町時代にかけて、事実日本には東西二つの権力が共存していた歴史を持つのだ。そうなってもあまり不思議はない。

国家権力を樹立したら、誰でもまずやるのが法律の制定と独自通貨の発行である。東が円のままならば、西側は『』でも使うか。東西の交易はどうしたって不可避だから、次第に双方に相手方の通貨が出回るようになるだろう。ヨーロッパでも国境近くの人々は、財布の中に複数の通貨をまぜて持っていることが多い。

こういう状態になったときに、私の頭に浮かぶ疑問は、こうだ:東西の通貨で、それぞれ買えるものと買えないものがあるとしたら、それは何か? 

たとえば灘の生一本は円では買えないし、信州のそばは両では買えまい。むろん、これぐらいならば別段人生に異常はないが、それだけではすむまい。米は東の方が産地が多いから、西では値段が高くなろう。工業製品はどうか。鉄や石油はどうせ資源を海外から輸入に頼っているから差はあるまいが、精密機械・電機の主力工場の位置などを考えると、西日本はやや不利である。セメント、紙などもそうだ。

一方、学芸、娯楽、教養の面になると関西の方が有利である。ノーベル賞授賞者数ではまさっている。書画や芸能の質も高い。日本画など円ではあまり買えなくなるだろう。こうしてみると、東日本は文明、西日本は文化に強いという傾向が、二つの通貨制のもとでは明確になりそうだ。なお、ここでは「人間に利便を与えるものを文明と呼び、人間にアイデンティティを与えるものを文化と呼ぶ」という言い方に従っている。

さて、ここで空想はもう一段飛躍する。文明用の通貨と、文化用の通貨が区別されて、両者が交換できなかったら、社会はどんな風になるだろうか。たとえば、会社からの給料は通貨が二本だてになる。労働生産性に応じた分は文明通貨で支払われ、他方、知的成果や教育費や責任のストレス・長時間労働などにたいする補償の手当は、文化通貨で支払われる。そんな風になったらどうだろうか。いま、両者はあいまいにされたまま、まぜこぜに支払われている訳だ。自分の給料の内、どちらの支給額が多くなるだろうか。

無意味な空想だ、と思われるだろうか。しかし、これは現実に小規模には起こっているのだ。「コミュニティ通貨」という形で、である。コミュニティ通貨というのは、地域社会において、自分が奉仕して貢献したボランティア活動の時間をためておいて、一種の貯金にできる制度だ。ただし、この「貯金」は、やはりボランティア的な仕事に対してしか使えない。たとえば老齢時の介助や介護、啓蒙やレクリエーション活動、といったたぐいのサービスにのみ、ひきかえ可能なのだ。

こうしてみると、オープン・ソフトウェア運動やインターネットというものが、「もうひとつの通貨」にいかに類似しているかに気付く。LinuxやApacheは無料である。しかしソフトウェアの世界では、大きな価値が、ある。これは、文明世界の鉄やセメント用の価値とは、たぶん少しばかり別のものなのだ。オープンソフトが、既存の会計原則の上ではどうにも扱いにくい鬼っ子であるというのも、まことに無理のないことなのである。

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システムが崩壊するとき (2004/02/06)

ずいぶん久しぶりに、諏訪湖のそばを通った。車で通り過ぎただけで、岸辺に立ちよることはできなかったが、湖面には昔より人の親しむ気配があった。

諏訪湖は私にはなつかしい場所だ。私は大学院時代、生態系シミュレーションの研究をしており、諏訪湖はその主な対象だった。80年代の初頭のころ、信州大学理学部に付設されている臨湖実験所に、実験調査とフィールドワークのために何度か滞在したことがある。モーターボートを借りて、水質や底泥のサンプルをとるために湖の中をぐるぐると回ったものだ。

諏訪湖のまわりは、長野、いや日本の中でも、かなり古くから開けた地方だった。すでに古代、出雲の植民地として、奈良などと同じ時期に住民の定着と農耕が始まったとされている。諏訪地方は山間の盆地で、湖は広くて平坦、最深部の深さでも6mない。だから見かけは直径3km以上の大きさとはいえ、水量は多くない。それでも、天竜川の源として、周囲の耕地を潤し、また冬のワカサギをはじめ、豊かな漁獲で地域を養ってきた。

その諏訪湖はしかし近年になると、長らく水質汚染に悩んでいた。汚染といっても、特定の企業が有害な廃液を流しこんだためではない。そういうタイプの公害問題は、いちおう70年代の後半には社会の意識も進んだために、落ち着いていた。

80年代以降の水質問題は、ある意味でもっと深刻で困難なものだ。それは、湖の生態系自体がバランスを崩してしまい、淡水性の赤潮(「水の華」と呼ばれる)が発生して魚類が死滅する現象だった。私の研究テーマは、観測データの分析と実験、そして計算機シミュレーションを通して、赤潮発生の原因を探り、対策を考えることだった。そして、私たちが突き止めたその原因は、驚くべきものだった。それは、湖にそそぎ込む栄養分が多すぎて、生態系が正のフィードバック、つまり無限ループに陥ったためだったのだ。

湖の生態系は、単純化して説明すると、水中の無機栄養分と日光を元に植物プランクトンが成長し、それが増えると補食者の動物プランクトンが発生し、さらに動物プランクトンを餌に魚類が育つ。そして魚類の死骸は水中や底泥のバクテリアが無機質に分解し、さらに底生動物がそれを片づける、というリサイクル(物質循環)の構造になっている。どれかが増えすぎると、捕食者や分解者が現れてブレーキをかけ、全体のバランスをとるように、生態系というシステムはきわめて巧妙に出来ている。これは負のフィードバック・システムだと考えることができる。

ところが、このシステムには処理可能な容量の限界があった。私たちの研究室は、化学工学的な手法を用いて物質の収支を計算し、夏以外の通常の季節では、河川から諏訪湖に流れ込む無機栄養塩(とくに燐)は底泥に吸着されていくことを推定した。植物の必須栄養素は窒素・燐酸・カリ、と中学校で習ったと思うが、ふつうの湖沼水中では窒素とカリはふんだんにあり、希少な燐酸が植物生育のスピードを決める。

ところが、調べてみると夏の諏訪湖では奇妙なことが起こっている。水深の浅い諏訪湖では、表層近くの水は温められて軽くなり、底層に近い冷たい水と混じりにくい、成層化現象が始まる。この状態で無機栄養分が過剰に流れ込むと、それを肥料にした植物プランクトン(とくにらん藻)は、光の豊富な表層でさかんに成長する。らん藻が水面を覆うと、光が水中に届きにくくなるばかりか、光合成で生成する酸素をみな水面から逃がしてしまう。すると、次第に水中は酸素不足になってくる。藍藻類の死骸が低層水に沈降してくると、バクテリアはただでさえ少ない酸素をつかって、死骸を分解しようとする。

こうして、低層水から溶存酸素が払底してくると、驚くべき事が起こる。それまで燐を吸着してくれていた底泥から、還元反応によって燐が溶出してくるのだ。放出された燐は水中を拡散して、ますます表層のらん藻を増殖させることになる・・・。酸素の払底で水中の魚も底生動物も死滅して、湖はひたすら黄緑色の植物プランクトンだけに覆われていってしまう。

これが淡水性赤潮の発生原因だった。本来は自己バランスを保っている生態系のシステムが、多すぎる栄養をそそぎ込まれると、勝手に自己崩壊していくのだ。これを「富栄養化現象」と呼ぶ。そこには、誰も悪役はいない。誰かを指弾するとしたら、それは諏訪湖のまわりに住み着いて、農地にせっせと肥料をまくすべての人間だ。肥料は雨水とともに河川に流れ出し、湖にそそぎ込む。だが、湖がその栄養分を処理して魚類を養ってくれる能力には、限界があったのだ。

ここからどのような教訓を引きだすか、それは自由だ。多すぎる栄養は生態系のバランスのためにはならない。多すぎる情報も、人間の心のバランスを崩すかもしれない、あるいは、多すぎる富は企業や社会を変質させてしまうかもしれない・・。

忘れないでほしいのは、湖の生態系自体が無くなったわけではないと言うことだ。存在はしている。しかし、それはあまりにも単相で単調であり、もはや人間に益を与えてくれない。多様性こそが豊かさの鍵なのだ。

長野県は長い年月と多くの費用をかけて、諏訪湖の水質を改善しようと苦心を続けてきた。しかし、悪化させた年月よりも、改善にかかる年月はずっと長い。システムを分析する人は、このことを決して忘れてはいけないのである。

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一点集中型アプローチの限界 (2003/11/04)

「ムツゴロウさん」こと畑正憲氏の作った、子ども向けビデオの「動物大好き」シリーズを子供と一緒に見ていたら、面白いエピソードが出てきた。犬と猫の、対象物への関心のあり方が、こんなに違う、という話だ。

まず、道ばたの雑草“ネコジャラシ”を一本ひっこぬいて、穂先を猫の目の前にぶらぶらさせてやる。猫はすぐ前足でそれをつかもうとして、じゃれてくる。誰でもやったことがあるだろう。畑正憲によると、猫は、目の前に興味ある物体があると、ただそれだけにすべての関心と注意を集中させる性質を持っている。その他のものには見向きもしなくなる。そして、その穂先にだけ手を出そうとする。

一方、犬は全く違う。畑正憲は同じネコジャラシを、犬の鼻先にぶらぶらさせてみる。犬もそれに興味を持って、手を出したりするが、しばらくすると少し後ろに下がって、全体をじっと見る。そして、今度は、穂先ではなく、彼が手でもっている茎の方を口でくわえて、ぱっと奪いとってしまうのだ。

畑正憲いわく、「犬は興味の対象を手に入れるための、総合的判断がうまい」。穂先がダメなら、その形状を見て、茎をくわえることを考える。それでもダメなら、今度は飼い主の畑正憲に甘えて、「ちょうだい。」というポーズをするだろう、という。

これを見ていて、なんだかこの2種類のアプローチは、人間の思考パターンの分類にも使えるなあ、と思った。一点集中型(“猫型”)と、総合判断型(“犬型”)のアプローチ。以前、「コンサルタントの日誌から」で、『“猫型プロジェクト”のマネジメント法』(2003/07/08)という文章を書いた。ある米国のPMコンサルの分類法を借りて、プロジェクトにも猫型と犬型がある、と比喩的に分析したものだ。しかし、それ以上に、対象物へのアプローチにかんする二つのタイプは、人間の二種類のタイプを表しているようで、面白い。たとえば、アメリカ人と日本人である。

アメリカ人と仕事でつきあってみると、彼らはかなり徹底して、分業的・組織的にターゲットにせまるやり方をする。ターゲットの性質や構造をいろいろな角度から分析して、それを達成するにはどうするか、計画する。そして、その計画通りいくように役割分担と指示系統を決め、現実が計画から少しずれようとも、あらかじめ線を引いたとおりに、なかば強引に物量で攻めていく。いかにも“犬型”の総合判断によるアプローチだ。

もともと犬の祖先の狼は、集団で狩りをする生物だ。彼らは獲物との空間的距離を計りながら、計画的・分業的に追いつめていく方法をとる。こうしたやり方は、十分な配員さえできれば、個人個人の技量の差があっても、そこそこのレベルで結果を得ることができる利点を持っている。そのかわり、現実が計画からかけ離れてしまっても、フィードバックが効きにくいのだが(アジアの小国とはじめてしまった戦争が泥沼に陥っても、彼らはすぐに軌道修正できない)。

一方、日本人は、そもそもあまり計画を信用しない(製造業の中には、「計画はずし」などということを指導するコンサルまで実在する・・)。対象物があったら、その動きをじっと見て、身をかがめながら待ち、あるタイミングがきたら全力でそれに突撃する。そして後先考えずに、しゃにむに追いかける、という訳である。まさに“猫型”の、一点集中型のやり方ではないか。

一点集中型アプローチの利点は、動く対象に向かって、臨機応変に追随できることだ。猫はもともと、森の中で小動物を捕獲して生きている、半夜行性の生物だ。一点集中はそのために必要な特性だった。じっさい、上に述べた『猫型プロジェクト』は、日本人の方がうまくマネジメントできるような気もする。しかし、このやり方は、個人個人の能力にかなり依存する弱点がある。

無論、こうした比較は、ある程度強引にパターン化して描写している。実際には米国人だって一点集中になることもあるし、日本人だって総合的判断を行なう。しかし、全般の傾向としては、このようにふるまうよう、学校でも社会の中でも構成員を訓練しているのではないか。日本の教育システムにおける入試制度なども、『一点集中』の代表例のようだ。

日本人集団を見ると、一点集中主義は、集団全体で同じ方向に顔を向ける、一種のブーム現象をうみだす。若い女性のファッションにおける流行だけではない。産業界でも同様で、ERPが良いとなれば猫も杓子もERP導入、中国生産だとなれば皆がなだれをうって大陸入りを果たそうとする。ERP導入や中国生産で成功する条件や手順を、「構造的・総合的」に分析してとり組もう、官民や業界が分業して戦略的に達成しよう、などという“犬型”アプローチはあまり聞かない。

もう一つの例は、日本のマス・メディアの報道の仕方だろう。英文紙「Japan Times」の投書欄などを読めば、よく外国人(主に英米人)が、“日本のメディアはなぜ同じ話題ばかり取りあげ続けるのか”という批判を投書している。たしかに、拉致被害者問題ならそのニュースだけを何日間も報道し続け、公的資金投入問題となれば連日その問題ばかり議論する。しまいにはいいかげん、視聴者の方がその話題に飽きてきてしまう。

なぜそうなるかというと、理由があるのだ。もともとマス・メディアは、どれだけ多くの視聴者を獲得できるかで競争する。もし今、A・B・C・Dの4種類のトピックがあり、視聴者の関心が、4:3:2:1割ずつあったとしよう。すると、いずれのメディアのチャネルも、最大の関心をとれるAの話題を選択しようとする。このため、結果としては、すべてのチャネルが同じ話題を報道することになってしまう。その上、各チャネルは猫型メンタリティにしたがって、同じ話題を継続的に集中して報道したがる。つまり、マス・メディアは本質的に、一点集中になりやすい存在なのだ(メディアの選択肢が多い米国や、民放TVが少ない英国では、チャネルは専門分化しているため、この現象がおきにくい)。

一点集中と総合判断は、どちらも利点と短所を持つ。その両方を、うまく使い分けていければ、一番賢いやり方だろうと思える。しかし、我々の社会では、文化の傾向として「一点集中」を選びがちなのに加えて、メディアの性質がそれに輪をかける危険性を孕んでいる。そのことを我々は、どんな社会的問題を考える際にも、忘れるべきではない。

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近似値としてのCoreaとJapon (2003/09/24)

新聞を見ていたら、最近、韓国と北朝鮮の学者が合同で、自分たちの民族の英語表記"Korea"を、"Corea"に変えるよう運動しているとの記事があった。頭文字のKをCに変えたいというのだ。

その理由として、昔は英語でもCoreaだったのに、20世紀に入ってからKoreaと変えられてしまったのは、日本の植民地政策によるものだった、という主張がされている。Koreaだと、アルファベット順で日本よりも後になり、オリンピックの入場行進でも日本が先に目立つから、ということらしい。日本の帝国主義支配者たちの民族文化に対する悪業が、また一つ明らかになったというわけだ。

私は、固有名詞に関しては現地主義だ。現地の人が認知し、また実際に使っているものを優先させたいと思っている。だから、隣人たちが「これからはCoreaにしたい」と公式に決めたなら、明日からでも喜んで従おう。アルファベット一文字で数千万人の人がハッピーになれるのならば、安いものだ。これまでも、「ザイールでなくコンゴだ」と言われれば私はコンゴと呼んできたし、「この国はビルマでなくミャンマーだ」とjuntaが言えば、それに従った(juntaが何かを知りたければ英和辞典をどうぞ)。アメリカ人みたいに、Napoliをネープルズと言ったり、Munchenをミューニックと呼びつづけるのは、何だか滑稽だと私も思う。

ただし、記事を読んでわずかに違和感を感じたのは、なぜこの人たちが英語表記にだけこだわるのか、ということだった(現にフランス語ではCoreeで、Cで始まっている)。ドイツ語は、ロシア語はどうする? いや、そもそもなぜ「コリア」なのか。この人たちの国は、たしかハンとかチョソンとかいうのではなかったか(私の発音が悪いのは許していただきたい)。なぜ高麗などという、今はどこにも存在しない国号をベースにした呼称で満足しているのか。

この奇妙さ加減は、東海をはさんだ隣国の人々の不思議さ加減と、ちょうど良い対称をなしている。そこの人々は、自分たちの国をジャパンだとか、ひどいときにはジャポンだとか称して喜んでいる。雑誌のタイトルや外資系企業の名刺からは、私にはそうとしか思えない。現地語ではふつうニホンと呼んでいるにもかかわらず、だ。Japanなどという中途半端な中国語読みからの転訛で満足していないで、なぜ世界中の地図を「Nihon」と訂正させる努力をはらわないのか、私には不思議でたまらない(まあ、国粋主義者は、正しくは"Nippon"だ、と言うかもしれないが)

もっとも、Nihonと変更させても、まだ悩みはつきない。ラテン系言語の連中が正しく発音して読めるとはとうてい思えないからだ。明日からスペイン語圏の人々がいっせいにハポンからニォンに切り替えたからといって、それでオリジナルな発音に近づいたとは、いいがたい。

いや、それどころか、私は現地主義といいながら、「神戸」や「沖縄」を正しい現地のアクセントで発音することさえ、じつはできない。自分にできるのは、せいぜい近似値としての発音なのだ。まして隣国の首都ソウルとなると、正しく綴ることも発音することもおぼつかない。固有名詞は言語の体系の中に存在するので、異なる言語システムの中では、そもそも近似でしか表現できないものなのだ。

固有名詞の問題がややこしいのは、じつは固有名詞が自我の延長線上に存在するからである。誰もが自分に属する固有名詞は、自分の自我と同様に、尊重してもらいたいと思っている。それを汚されると、不快・怒りなどの感情に直結しやすい。私が現地主義なのも、他人の自我の外延を土足で踏みにじるようなことを、したくないためだ。

しかし、私達はお互いに、異なる言語の中では近似値しか持ち得ないことも悟るべきだろう。できるのは、多元連立方程式の近似解に、一歩一歩近づいてゆくことだけだ。

誤解しないでほしいが、私は別に、KoreaをCoreaに変えようとしている人々を茶化すつもりは、まったくない。近似値を改善しようという運動は、きわめて当然のものだ。この人達が英語を当面のターゲットにしているのも、「コリア」で我慢しているのも、やむを得ない理由があることと想像する。改善の動きをほとんど起こそうとしない日本人に比べれば、はるかにましというべきだ。

ただ、私達は、そうした運動は「正しさ」を求める訴訟活動ではなく、より良い「近似」を求める改善作業なのだということを、忘れてはならない。固有名詞の問題は、正義の見地からではなく、友愛の観点からおし進めるべきなのである。


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ル・コルビュジェのサヴォア邸と自由度の難問 (2003/08/14)

フランスのパリ郊外、ポワシー(Poissy)の街に、サヴォア邸はある。郊外通勤電車RERでパリの中心から西に約30分、ポワシーはイル・ド・フランス地方の典型的に穏やかな小都市だ。駅から少し歩くと市庁舎で、その前の広場には市場が立ち、小ぶりだけれど由緒あるゴシック建築のノートル・ダム教会がある。街の名前が暗示するように、セーヌ川に面するこの町は、下流から船で運ばれてきた魚や水産物を、ここで陸あげして大消費地パリに運ぶ流通の拠点として、それなりに栄えてきた歴史をもっている。

サヴォア邸 アプローチからの遠景

金融業の資産家サヴォア夫妻が、この街に週末用の別荘を作ろうと思いたったのは1920年代の後半のことだった。夫妻はその設計を、ル・コルビュジェという筆名(?)で仕事をしていた気鋭の中堅建築家に依頼した。セーヌを見下ろせる小高い丘の上に、それなりの敷地を買って、2階建ての家屋を造らせる。ほとんど集合住宅ばかりのパリの街の住民は、ときどき郊外に抜け出して、緑の中の一軒家で息抜きをしたくなるのだ。

建築家ル・コルビュジェにかんして、私の知識、ないし知ったかぶりは、ごく限られている。19世紀の終わりにスイスに生まれた彼が、このサヴォア邸の設計を依頼されたのはちょうど40歳の時で、すでに彼は前衛的なアジテーターとして知られていた。ル・コルビュジェと、ミース・ファン・デア・ローエ、フランク・ロイド・ライトの3人の建築家によって近代建築はスタートしたと言われている。

近代建築とは何か。それは、一般に造形の自由さだと思われている。しかし、それを可能にしたのは、もっと技術的な要素、すなわち鉄筋コンクリートという新しい素材の登場だった。それまでの石や煉瓦を積み上げて壁に荷重をもたせる、いわゆるヨーロッパ風の伝統的石造りの建物とは、まったく異なった設計が可能になる。ル・コルビュジェたちは早くからその可能性に気がついて、別の造形の可能性を開拓しようと意気込んでいたのだ。
彼は、このサヴォア邸の設計に取りかかる前に、「現代建築の5原則」なる理論を発表した。それは、(1)ピロティーの上にある家、(2)屋上庭園、(3)自由なプラン、(4)横長の窓、(5)自由なファサード、から成り立つ。そしてサヴォア邸はその理論を完璧に実現した住宅となった。

ピロティの上の家

サヴォア邸を見学にいったものは、まず、その家のどちらが正面入り口かでとまどう。そして、フラットで水平感の強い構成、とくに2階のサロンの全面ガラスの壁がもたらす明るい光の効果に驚く。ル・コルビュジェの建築は、いつも光の取り入れ方が美しく、見事だ。それは陽光の季節を待ち望む北国の人の感覚にぴったりくる。しかし、同時に、“これじゃ暖房費がかかってしょうがないだろうな・・”とも思うに違いない。

1階入口付近

暖房光熱費はかかっても、この家に住むのは楽しそうだ。それは私も素直に感じる。しかし同時に、ル・コルビュジェの5原則を守らないと、快適な家は生まれなかったのだろうか、とも疑問に思う。

彼の5原則とは、実はすべてが伝統建築へのアンチテーゼでしかない。(1)ピロティーの上にある家とは、半地下室を持つフランスの建物からの、(2)屋上庭園とは傾斜を持つ屋根からの、(3)自由なプランとは壁構造からの、(4)横長の窓とはゴチック以来のフランス窓のあり方からの、そして(5)自由なファサードとはマンスール様式に代表される伝統的なフランス建築の正面からの、脱出なのだ。彼は建築家を束縛する因習と、その因習の背景に存在する技術的・社会心理的な制約条件を、なんとか破壊すべく、鉄筋コンクリートと平面ガラスという近代工業の産物に、その希望を託したのである。

その結果はどうだったか。たしかにサヴォア邸はすばらしい。まさに芸術的な美しさと完成度がある。しかし、凡百の建築家にとって、ル・コルビュジェがもたらした設計の自由度は、モデルのないまま白いキャンバスを前に途方に暮れる画家のような、手がかりのない難しさだった。自分の能力を超えた自由度を与えられると、人間は途方に暮れるか、自分の個人的な願望だけで塗りつぶしてしまうか、どちらかだ。

伝統の様式にしたがっていれば、多少へぼな建築家でも、それなりの建物ができあがっていくものだ。しかし、伝統を壊してしまったいまや、ル・コルビュジェ級の天才でなければ、機能と美しさが調和した建物を造るのは難しい。その結果、世界中の街に、意味も自律性も周囲との階調も持てずにいる、奇妙な近代建築が乱立することとなった。

伝統の呪縛から自由度の困難へ。ル・コルビュジェが宣言した、近代への脱出がもたらしたものがこれだ。だが、多くの人間は彼ほど全能ではなかった。ポワシーの街から通勤電車RERが到達する、パリの新都心ラ・デファンス−−そこに降り立って、周囲に建ち並ぶ、モダンで斬新だが無味乾燥なビルの羅列を見たとき、誰もがそう思うのだ。

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さようなら、留学生相談室。(2003/07/16)

先週の7月12日(土曜日)、代々木にある日本語学校「青山スクール」で、小さな集まりが開かれた。それはボランティア・グループ「留学生相談室」の“お別れパーティ”だった。狭い部屋に集まった老若男女・国籍・肌の色もさまざまな80人近い参加者は、口々に、このボランティア集団が17年間の活動を終えて解散することを惜しんだ。その多くは、海外から日本にやってきた留学生や元・留学生の人たちだった。

私のこのサイトは、開設当初から、「留学生相談室」の紹介ページを置いていた。生産スケジューリングとは何の関係もない、唐突な取り合わせだったが、相談室の中心メンバーと親しい関係にあるため、スペースをお貸ししていたという形だ。それも、スタティックな案内メッセージと地図を置いただけで、掲示板なども特別作らなかったので、どれだけ相談室の広報に貢献できたのかは心許ない。

留学生相談室の17年間の総相談件数は41,264件に達する。来室者は全部で4,957名。その国籍はアジア43カ国を筆頭にアフリカ・ヨーロッパ・北米・南米・オセアニアなど計111ヶ国・地域におよんだ。留学生たちに知られているだけでなく、文部科学省や多くの大学・日本語学校から頼りにされる存在であった。

留学生の抱える問題とは何か。表面的に分類すれば、住居問題・保証人・公有・在留資格・奨学金・諸トラブル、などに分けることはできる。しかし、その中身を知れば知るほど、私は日本という国が、そこに住む人たちの考え方が、不思議でならなくなる。例えばあなたは保証人制度とはどういったものか、ご存じだろうか? 

留学のためには、海外から日本に入国しなければならない。そのとき、正しいビザで入国するには大学の入学証明が必要だ。ところが、多くの大学は、入学時に「身元保証人」を全入学生に要求するのである。でも、初めてやってきた国に、誰がどうやったら保証人を捜すことができるというのだろう? どうしてこんな馬鹿げた不合理な制度を、『理性の府』と称しているはずの大学が改善もせずにいるのだろうか。それを何十年も放置しておいて、「留学生10万人計画」などという政策を掲げる省庁は、いったいどこの何を監督しているのだろうか。

留学生たちの抱えるこうした実際のトラブルを、強制的に解決する権力も経済力も持たない、一有志団体が、ここまで頼られた理由は何か。それは、なんといっても、誠実に留学生の話を聞く・しかし相手を甘やかしはしない、というスタンスの明快さだったろうと思う。自分の問題は、結局自分で決めて自分で解決するしかない。それが、大人への道である。そして、相談室は、たしかにそれを情報面のみならず心理的にもバックアップしてくれたのである。

留学生相談室が活動の停止を決めたのは、昨年の後半あたりからのことだ。中心ボランティア・メンバーの高齢化なども背景にはあるが、直接のきっかけは、東京都からの助成金が、都の予算見直しのためにうち切られると決まったためである。ボランティア・グループとは言っても、継続的で足の地に着いた活動のためには、都内に多少のスペースを構え、専任の事務局員をおく必要がある。その運営維持には、篤志家の寄付だけでは残念ながら十分ではない。'89年以降から続いた助成金が、大きな経済的支えとなっていた。

海外から若い夢と希望を持って来日した学生たちの相談のために、わずか年間約250万円程度の補助をする余裕さえ、この経済大国には、もはや無いということらしい。信じられないことだが、まことに残念だと言うしかない。

留学生相談室は、2003年6月末をもって閉室した。電話相談機能だけは、まだ残している(代表:03-3426-0721)。多くの来客は、これが最終的な解散ではなく、一時的な停止であるよう、望んでいた。私も、そう思いたい。そして、最後にもう一度、言おう。


“長い間ありがとう、そして、さようなら、留学生相談室。”

関連記事→京都新聞

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論理的だが、システマティックでない人 (2003/04/18)

私はシステム・アナリストです、と自分の仕事を紹介することが多い。アナリストという言葉を知らない人もいるから、私はシステム・エンジニアです、と言うこともある。両者は別物なのだが、それで相手はなんとなく分かった気になってくれるらしい。

そして、おきまりのように二つの質問をされる:「コンピュータのことにお詳しいんでしょう?」と、「システム関係のお仕事の人は、論理的でシステマティックな考え方を身につけておられるんでしょうね」と。

私の答えは、じつはどちらもNOである。率直にそう答えると、たいてい相手は落胆するか怪訝な顔になる。そこには、世間の人が抱いている『システム的』なるものへの偏ったイメージ、ないしは大いなる誤解が隠されているのだろう。

まず最初の質問の方だが、私はたいしてコンピュータに詳しくない。平均的な人より多少は知っているかもしれないが、アナリストの仕事の大半は、人間が何を望み何を必要としているかを考えることにあるので、計算機については一通りのことを理解しておけば済む。

しかし、システム=コンピュータ、という誤解は根強い(このサイトを読んでくれるような方ならば、こんな単純な等式は信じないだろうが)。そこで、私はよく「キャバレーの“明朗会計システム”にはコンピュータはいりませんよね」と説明することにしている。この“システム”の用語の使い方は、まったく正当なものだ。「うちの在庫管理方式はダブルビン・システムです」といって説明するのと本質的に等価である。

では、二つ目の質問はどうか? これも嘘だ。私の知っているかぎり、IT業界には、論理的だがシステマティックにものごとを考えない人たちが、沢山いる。そして、コンピュータが大好きで技術に詳しい人ほど、その傾向が強い。

システマティックな思考方法とは何か? 私自身はまだよく分からない。よく分からないから、「私はシステム思考を身につけています」などとは口が裂けても言わないことにしている。しかし、システマティックに仕事にアプローチする人々は、数多く見てきた(とくに外国で)。たとえば、「パンのみに生きるにあらず」で紹介した米国人コンサルタントだ。“この会社のミッション(使命)は何か? では、それを実現するための戦略は何と何があるのか? ならば、その戦略の実効性を計る指標KPIはどれとどれを選ぶべきか?”・・と、最終目標から手段が展開されていく。こういうのを見ていると、たしかに論理的でシステマティックなアプローチだな、と率直に感心する。

ところが、IT技術者と話していると、なかなかそうはいかない。「生産管理システムのサーバ機種ですが。」彼らの議論は、こんな風にはじまる。「私の考えでは、このトランザクション量から考えると、やはり2CPUクラスのunixマシンでしょうね。最近はLinuxベースでも安価で信頼性の高いものが出てきたから・・」と、どんどん続いていく。

なるほど、ロジカルだ。だが、彼らの思考はちっともシステマティックではない。生産管理システムを作るとしたら、従来の仕事のやり方の変革、元になる部品表や在庫データの精度、サプライヤーとの関係などなど、重要な問題は他にいくらでもある。それなのに、なぜ今サーバ機種の話なのか?

こういう人たちの特徴は、目的に比して道具に対するこだわりがアンバランスに大きいことである。全体の中の一要素(コンピュータ)だけ注目する。つまり、木を見て森を見ないのだ。

いや、コンピュータ・マニアに限らない。カー・マニアでも兵器マニアでも、何とかオタクと呼ばれる人たちは、たいていそうだ。目的を忘れて道具にのめり込む、それがこの人達の特徴だ。(念のため言っておくが、これは日本人ばかりではない。欧米にもそういう文化的傾向を持つ人はいくらでもいる)

そして、彼らとの論議には、細心の注意が必要になる。なぜなら、彼らはとても論理的だからだ。そしていろんな物をよく知っている。ただ、目的から逆算して、ことの軽重を計ることをしないのだ。部品に注目するオタクの議論にまきこまれないためには、つねにシステム全体を見渡して、大事な要素から展開するという考え方に戻す必要がある。「本当にそこのサーバの性能がプロジェクト全体のボトルネックになりますか?」

道具からの発想か、目的からの発想か。そこを忘れて、論理的な局地戦にまきこまれないよう、注意しよう。

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リスクにつける薬 (2003/03/19)

暮色の深まるヒューストンのショッピング・センター。夕食を取ろうと立ち寄った、その駐車場で、私は反対車線から来る車に気づかずに左折し、接触事故を起こしてしまった。1997年の秋のことだ。私のレンタカーと相手の車の後部ドアが破損したが、幸い相手は怪我もなく無事だった(その証拠に、すぐさま車を降りて私に罵りかかってきた)。原因は明らかに私の前方不注意だ。事故検証に来た警官も、私にそういった。

ところで、あなたはレンタカー契約書の裏面に書き込まれた、虫眼鏡サイズの細かい文字の文章を必死に読んだ経験があるだろうか? その夜の私はそうだった。レンタカー会社に事故を報告すると、彼らは、私との契約には賠償責任保険はついていなかった、と説明したのだ。“Full coverage”といって借りたじゃないか! と抗議しても、申し訳ないが契約書を読め、という態度だ。

そして、私はそこで、リスク管理の最初の原則を学んだのだ。

教訓1:外国で取り引きするときは、契約書を必ず読め

私は知らなかったのだが、じつはその当時、保険会社とテキサス州政府は係争状態にあった。料率が高すぎると言う批判に対して保険会社たちが耳を貸さないため、州政府は半年間、レンタカーの自賠責保険の引き受けを停止させたのだ。そんなこととは露知らぬ外国人の私は、その保険の空白状態に、ものの見事に落ち込んでしまったわけだった。

私のコーポレート・カードの旅行者保険も、自動車賠償責任だけは除外されていた。アメリカの賠償責任は天井知らずだから、そんなものを組み入れるほど保険会社は甘くない。そもそも損害保険は見え透いた危険に対してのみ可能なのであって、大地震とか、戦争とか、異常気象とか、本当に大きなリスクに対しては引き受けてくれないのだ。

教訓2:保険会社が、あなたの必要とするときに、あなたを守ってくれるとは限らない

このときは、私の勤務先の米国子会社がかけていた保険で、からくも救われた。物損で約20万円の示談額が提示されたという報告を受けて、私は安心してその事件を忘れることができた。

ところが、この事件にはまだ続きがある。ちょうどその2年後、横浜の自宅に、テキサスの裁判所から分厚い封書が郵便で届いた。開けてみると、YOU HAVE BEEN SUEDと書かれている。書状は、私に対して、事故の後遺症による心身両面の損害と収入低下を保証せよという、1億円の賠償請求の訴状であった。事故の相手方は、保険会社の提示額を不満とし、時効になる2年間が切れる直前に、私と勤務先米国子会社を相手取って、訴訟を起こしてきたのだ。

それからの数ヶ月間は、まさに悪夢だった。米国側で弁護士を捜さねばならない。裁判所からは召喚状が来ている。出頭するかわりに、英文で宣誓供述書を作成し、日本の公証人にサインをもらう。驚いたことに、外国の裁判で有効な供述書とするためには、霞ヶ関の法務省まで判子をもらいに行かなければならないのだ。そもそも、夕食に立ち寄ったときの事故は、業務上の行為として、会社は連帯で責任を負ってくれるのだろうか・・

残念ながら、米国は訴訟天国である。たしかに、事故を起こしたすぐ後に、相手方の名前を子会社の人に告げると、“それに似た名前のうるさい弁護士を聞いたことがあるけれど、まさか親戚じゃないだろうねえ、もしそうなら、かなり面倒なことになる”と言っていたのだ。しかも、彼らは金のとれそうなところを狙い撃ちにすることを心得ている。

この訴訟にしても、私の勤務先と連名にしたのは、実はその方が賠償額をたくさん払う能力があるからなのだ。本当に責任があるかどうかは問題ではなく、事象のほんの一端でも関わっていれば、連名で訴えるに限る。これを、米国では、Deep Pocket Theoryという。


教訓3:大きな組織に“よらば大樹の陰”で寄り添っているせいで、逆に狙われることがある

この裁判は、結局1年半かかって終結した。相手側は決して和解に応じようとはしなかった。しかし、事故が不調の原因であるという医学的証拠も、相手は提出できなかった。判決は100数十万円の賠償である。この金額は、弁護士費用ともども、子会社の保険がカバーした。

米国には、他人を恐喝することが金持ちになる早道だ、と考えている人々が一定数いる。全部の米国人がそうだ、などと言うつもりはむろんない。私だって、信頼すべき、立派な米国の友人が、十指に余るほどいる(私の一番の親友は、退役海軍大佐だ)。

しかし、この事件を境に、私の米国観は変わってしまった。いや、たぶん、それ以前から少しずつ変わりはじめていたのだろう。私はかつてほど単純に、アメリカのオープンで実利的で率直なところが好きになれなくなってきた。そのかわり、強欲で、理不尽で、傲慢で、相手が弱いと見れば徹底的にエゴを通そうとする姿ばかりが目に付くようになった。そして、世の中は、ラフで、殺伐とした、リスクの多い場所として自分の前に広がっているのだった。

この話は、ここで終わりにしてもいい。リスクに対処することが下手な1コンサルタントの、繰り言めいた教訓話である。しかし、教訓1に関して言えば、あなたは、たとえばこの条約を読んだことがおありだろうか。あなたの住んでいる社会の保険であるはずの、この短い契約には、当事者Aを当事者Bが必ず守るなどとは一言も約束していないことにお気づきだろうか。だとしたら、われわれは教訓2にも当てはまる状況にならないだろうか。

そして、昨日の3月18日、国連安保理の交渉が決裂して、世界が戦争に近づいたとき、米国をはじめ諸国の株式市場が上がったことは、もう一つだけ教訓として覚えておくよう、蛇足ながらつけ加えたい。資本市場に投資する彼らは、不確実な状況にいるよりも、リスク・ポジションが明確になる異常事態の方が、より有難いと考えたのだ。だから、リスク・マネジメントに対する最大の教訓は、こうなる:

教訓4:資本家は不確実性よりも戦争のリスクを好む。

資格はユーザーのためにある (2003/01/21)

資格認定制度というのは、サービス業の品質保証のために存在しているはずだ、と前回書いた。そして、品質保証であるからには、何らかの研修・更新制度が組み込まれていなければならない、と。

今の情報処理技術者制度には、これが欠けている。たいへん困った事だ。私は、「プロジェクトマネージャ合格完全対策」などの受験参考書を編集・執筆している身だ。こうした資格を広めたい立場にいる者として、非常に残念に思っている。それでも毎年、多くの受験者があるが、それはあいにく、この資格が社会で通用しているからではない。企業のITエンジニア教育の一種の代替物として機能しているからだ。

しかし、試験で得られる情報処理の資格というのは、勉強の結果を示すに過ぎない。まあ、言ってみれば「漢字検定」と同類だ。まして、技術革新の激しいITの世界で、研修・更新制度がなければ、それは品質保証の役にも立たない。お勉強が上手でした、ということの証明でしかないわけで、ほとんど大学の学歴のようなものだ。だとしたら、こんな資格を得ても、それが仕事を確保する助けになると期待する方がおかしいといえるだろう。

ところで、仕事の確保という点からみると、資格制度には2種類あることが分かる。資格を持っていなければ、業務に従事できないと法律で定められたもの(例:運転免許・医師・弁護士・会計士など)と、そうした強制力がないものの2種類である。情報処理技術者や中小企業診断士は後者の例である。

アドバイザリーおよび代行業の性格を持っている仕事は、もともと、法的な強制になじまない。当事者本人が自己責任で行える範囲であれば、第三者に頼る必要がないからだ。これは、医師などの仕事とは本質的にちがう。診断・処置・手術・投薬といった医療行為は、患者の代行ではない。本人ができないことをやっている。だからとうぜん資格は必須だろう。

つまり、一般に「コンサルタント資格」は、ユーザ(需要者)側の支持がなければ成立しないのである。資格とは誰のためのものか? それは、そのサービスを利用するユーザーのためのものなのだ。

税理士や不動産鑑定士などは、この需要者の支持があるから成立している。こうした固有技術や特殊知識を必要とする仕事は、法的規制がゆるくても、需要と供給の関係がバランスしている限り、資格認定の意義がある。

そのことは、アメリカでの資格のことを考えてみればよくわかる。国土が広く、人の流動性が高い移民の国アメリカでは、ビジネスで接触する相手は基本的に「どこの馬の骨」かわからないことが前提だ。だから各種の専門資格が、個人の信頼性の裏書きになるのである(企業の名刺で仕事ができる、どこかの社会とは大違いだ)。

こうしたアメリカのような社会では、資格が実質を保証しているかどうかを、ユーザー側が常に厳しくチェックしている。資格制度はサービスの品質保証だと書いたが、逆に、資格を持つ人たちの仕事の質によって、資格自体の意義が計られることを忘れてはならない。資格を持っている人間がまともな仕事をしなければ、その個人のみならず、資格自体の信頼性に疑問符がつくのだ。資格制度を支えるのは、決して『お上が与えた権威』などではなく、ユーザーの評価である。

日本の資格制度をめぐる議論では、しばしばこの点が忘れられているように思う。多くの人が、医師や弁護士などのような、ギルドにもとづく資格制度のイメージから、のがれ切れていない。そして、需要者側ではなく、供給者側の都合でものを考えたがる。行政も、あいかわらずサプライサイドに立った古い発想で、供給者の後押し政策ばかりを進める傾向がある。しかし、需要の無いところに、官が資格制度の権威付けをして供給をつくろう(儲けよう)とするのは愚かだ。資格周辺の教育市場で儲けようと鵜の目鷹の目でねらっている連中に格好の機会を提供するだけになってしまうだろう。

最近創設された「ITコーディネータ」は、いちおう研修・更新制度はそなえている。しかし、それが実需に根ざして成立した資格であるのか、それとも需要を創造しようとして作り出されたものなのか、議論は分かれるだろう。むろん、良質の供給が需要を作り出すという場合だってある。しかし、そのためには、その資格を得た人間が、ひとしく品質の良い仕事をする必要がある。それが問われるのは、これからだ。

何もかも不足しているこの日本で、資格制度だけは有り余っている。もう、思想やパラダイムのない資格はいらない。

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誰のための資格? (2003/01/13)

私は中小企業診断士だ。会社員としての名刺にも、そう書いている。中小企業診断士は今のところ一応、経営コンサルティングにかんする、唯一の国家認定資格である。

むろん、だからといって、中小企業診断士でなければ経営コンサルタントを名乗れない、とか、診断士以外がコンサルティングをやるのはおかしい、などという人はいない。資格は資格、仕事は仕事。みなそう考えている。

ついでにいうと、私は「情報処理プロジェクトマネージャ」という資格も持っている。しかし、こちらの方は名刺には刷っていない。この資格を書くことは、ちょっとだけ心理的抵抗が、私にはある。ちなみに、この資格はかつての「特種情報処理技術者」の後継資格だ。「特種」を名刺の肩書きに使っていた人はたくさんいたし、同等の資格であるシステム・アナリストやアプリケーション・エンジニアを名刺に書く人も少なくないだろう。なのに、なぜプロマネだけは使いにくいのか。

とりあえずの理由としては、『プロマネは組織内の役割名称であるから』と答えることになる。現実組織ではプロマネでない人間が、名刺に資格とはいえプロマネと書いたら、もらった方は混乱する。もしも、この資格の名称が「プロジェクト・エンジニア」だったら、私はもっと抵抗感なく名刺に使えただろう。

“プロジェクト・エンジニアって、いったい何のことだ?”という疑問については、いずれ別の機会に説明することとして、いまは飛ばしておく。いま問題にしたいのは、資格が仕事内容を保証しないのだとしたら、専門家の資格認定制度は誰のためにあるのだろうか? という問題だ。いや、もっと露骨に言うならば、最近のIT CordinatorP2M(Project & Program Management)といった資格は本当に役にたつのか? という疑問だ。

そもそも、資格認定制度というのは、サービス業の品質保証のために存在していると考えられる。とくに、サービス業の中でも、生命や物損の危険のある作業は、品質要求がきびしい。これは運転免許制度を考えるとよくわかるだろう。車の運転は安全性を要求される。したがって訓練と認定が必要とされる。資格がなければ、その行為はできない。

ところで、品質を維持する目的ならば、そこにはかならず研修と更新制度があるはずである(運転免許制度のように)。そうでなければ、サービス品質の証明にはならないからだ。

こう考えてみると、世の中には奇妙な資格、しかも社会的には非常に重要な資格があることがわかるだろう。それは医師と弁護士だ。どちらも人の生命と財産にかかわる、重要な資格である。厳格で難しい試験をパスしなければならない。資格がなければ、これら業務にたずさわることは法的に許されない。そして資格はほとんどの場合、高収入に直結する。

しかし、この両者とも、更新制度が存在しない。一度資格を取ってしまうと、半永久的に維持していくことができる。これでどうやってサービスの品質を保証するのか?

じつをいうと、この二つの資格は、典型的にギルドとしての資格なのである。上記の品質保証の建前とはうらはらに、実は日本の資格制度は、ギルドを特許し保護するために成立しているものが多い。

ギルドとは何か。ギルドとは一種の組合であって、そこに参加しない者はその仕事に就くことを許されない。医師会や弁護士会はそうした、職業の共通利益を目的とする団体としての意味を持っている。弁護士会をはずれると、資格があっても活動できない。いいかえると、ギルドは供給を制限することで、単価を維持(品質を、ではなく)しているわけである。もっとも、ふつうギルドは徒弟制度をしいているため、研修に対してもある程度の役割は担っている。ただ、研修は法制度上で規定されておらず、そのギルド団体にまかされてしまっているのだ。

(この項つづく

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海の向こうで戦争がはじまる (2002/12/05)

ロジスティクスという言葉で、ひとが連想するものはさまざまだろう。大規模物流センター、倉庫に積み上がった物資の山、工場の入荷ライン、生産計画のガントチャート、行き交う大型トラック、等々。

しかし、私の場合、その言葉を聞くとすぐに、一枚の船の設計図が目の前に浮かび上がってくる。大きくて精緻な船の中の、機能配置図だ。それはカリフォルニアの医療コンサルタント・オフィスの壁に、ピンで止めてあった。別件でそこを訪れた私の質問に対し、相手の一人は、「それは病院船の基本設計図だ」と答えた。ペルシャ湾に派遣される米国海軍の一部だ、と。1991年、湾岸戦争の起こった年のことだ。

病院船。うかつにも私は、それまでそういうものが存在することも、それが海軍の艦隊の一部をなしていることも知らなかった。無論、ちょっと考えてみれば分かることだ。兵隊を前線に送るとき、医薬品や医療器具も当然、武器弾薬などの補給物資と一緒に送られなければならないことを。それが『兵站』の、ロジスティクスの必須の一部である、ということを(「ロジスティクスと兵站の間」参照)。

とうぜん、そのような『病院船』の基本設計から発注、竣工までどれほどの時間がかかるのかも容易に想像がついた。海の向こうで戦争を始めるには、病院船がいる。その調達は、兵站のスケジューリングの重要な対象だ。そして、そのとき初めて、彼らがどれほど周到に時間をかけてあの戦争を用意していたかを知ったのだ。

米国を旅したことのある者は、その広大さに強く印象づけられる。端から端まで、昼に夜を次いでどんなに急いで車を飛ばしても、4日はかかる。開拓時代の馬車では言うに及ばず、だ。私は今この文章を出張先であるパリのホテルで書いているが、ヨーロッパ半島は広いとはいえ、つくづく凋密な場所だ。米国の空漠さは、こことは比べものにならない。だから補給はつねに米国人の主要な関心事だった。彼らの軍隊組織や行動規範はイギリスやオランダの海軍から学んで受け継いだ要素が多いが、兵站の計画性に関しては米国がもっとも徹底している。

その彼らが、周到に準備した湾岸戦争で、ねらったのは何だったか。私はつい最近、あるスリランカ人のIT技術者と話したが、彼は昔イラクで働いた経験があった。あそこは美しい国だ、と彼は言う。そのイラクで彼が従事した、当時世界最大規模を誇った肥料プラントは、“化学兵器工場の疑いがある”という理由で、米軍により爆撃で完全に破壊された。そのTV映像を国外で見ながら、彼は自分の仕事の成果が灰燼に帰する様を悲痛な思いで眺めたという。

無論、米国の言い分は正しかったのかもしれない。だが、似たような経験をしたのは彼ばかりではない。破壊されたクウェートの製油所は、われわれ日本人が設計し建設したプラントだった(あえて言うが、日揮が、だ)。それが戦争でこわされたあと、大規模補修工事を受注したのは全てアメリカの会社だった。どこをどう直せばいいのか、一番よく知っているのは我々日本企業だった。しかし復興需要をエンジョイしたのも、そのあとの石油利権を独占したのも、軍隊を派遣した米英なのだ。しかし、その金は誰のふところから出たものだったか?

「日本の失われた10年」、という言葉がある。その10年の始まりはいつか。皆、それは地価が下り坂になりはじめた90年頃だと思っているらしい。私の見方は、違う。それは、日本政府が米国の言うなりに巨額の金を払って、当事者としての政策も見識もないことが世界中に暴露された湾岸戦争の時からなのだ。

湾岸戦争とは何だったのか。それを皆、まじめに考えたことがあるだろうか。湾岸戦争が何だったのか、それが日本の知的状況の中でいかに総括されているか、知りたかったらYahoo!やAmazon.comにいって調べてみるといい。恐ろしいほど貧寒な状況が分かる。見つかるのは、9割がた、軍事オタクのための情報だ。はっきり言うが、クズばかりだ。

海の向こうで再び戦争が始まるかもしれない。戦争をしたがっている連中が、両側にいるからだ。ここヨーロッパでは皆すでにかなり緊張している。しかし、有事のとき、20兆円を超える戦費の支出が予想されているときに、日本にいくらのツケが回されてくるのか、日本人はなぜ考えないのだろうか? 日本が曲がりなりにもよって立っている製造業は、ほとんどが平和の配当で食っている業種ばかりだ。それがどれだけの打撃を受けるのか、だとしたらどう防ぐべきなのか、他の誰が考えてくれるのだろう? 形ばかりの戦艦派遣の論議を、うれしがってやっている時だろうか?

ストラテジーだとか、リスク・マネジメントだとか、空疎なカタカナ文字を並べる暇があったら、本当にこの先について真剣に考えた方がいい。この国の戦略を、では無論ない。私は政治家ではないし、あなたも(たぶん)政治家ではないだろう。考えるべきは、自分の自由度と責任の範囲で選べること、つまり自分の仕事のことだ。もし戦争が起こったら、この先どうなるのか。その範囲と期間によって、どう影響が広がるのか。自社の製品にとって市場の需要はどうなるか。原料資材が入手困難になったり、燃料費が高騰したらどうするのか。

考えるべき課題はたくさんある。不確定要素も山ほどだ。無論、何も起こらないかもしれないし、何も起こらぬ事を私は強く望んでいる。ただ、ひとつだけ確かなのは、どれほど困っても、我々の政府はほとんど何の助けもしてくれないだろう、という事だ。自分たちで考えなければ、誰もかわりに考えてなどくれないのだ。


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「英語」の向こう側 (2002/09/22)

先日、あるメーカーの方から、「エンジニアリング会社では英語能力の問題にどう取り組んでいるのか」という質問を頂戴した。指示と情報のやりとりだけで品質を管理しなければならないエンジニアリング業界においては、品質問題は技術者の教育と切り離すことができない、という話題に関連してでてきた質問だった。

日本のメーカーは、製造を海外に委託したり、工場を別会社化したりして、しだいにファブレス化の道を歩んでいる。必然的に海外とのやりとりが多くなって、外国語のコミュニケーションの問題に直面しているのだろう。以前、「ぼくらに英語はわからない」にも書いたとおり、便宜上の道具として英語が幅をきかせていることは否定できない事実だ。

私の勤務先自体では、TOEICの試験制度を利用して、研修の奨励や人事評価に結びつけている。TOEICがある点数以上になるまでは毎年の受験が義務づけられるし、また中間管理職のある等級に昇格するための条件にもTOEICの点数が用いられる。実際のところ国内の仕事しかしていない人にまで、この条件を押しつけるのは酷ではないかと個人的には思うのだが、会社の人事ルールというのは例外をあまりつくりたがらない。

しかし、外国人とのコミュニケーションで本当に大事なことは、TOEICの試験ではかれる能力よりも、一つ先の次元に横たわっている、と私は思う。それは、異文化への理解という能力だ−−そんな風に、その方には答えた。

これだけでは少しわかりにくいと思うので、例をあげよう。数年前のことだが、米国のオイル・メジャーとのプロジェクトが始まったばかりのことだった。ある基本設計に関する技術的議論の中で、我々の側のだれかが、"Yes, but it is difficult."と答えた。すると、客先の米国人の一人が、こう言うのだ:「ぼくは前のプロジェクトでも日本企業と仕事をしたから判るんだが、日本人が"it is difficult"というときは、『それは出来ません』という意味なんだよな。」

打合はおかげで暗礁に乗り上げることなく、先に進むことが出来た。客先の米国人の一人が、異文化を理解する能力を、少しばかり持ち合わせていてくれたからだ。しかし、逆にいうならば、そういうシチュエーションでは、わが同僚は
"No. It is impossible."
と言うべきだったのだ。

NOと言えない日本、じゃないけれど、日本人は"Yes but people"だ。つねに"Yes, but..."と言ってしまう。日本のコミュニケーションのルールでは、何かを頼まれて「いえ、そんなことは出来ません」というと角が立ってしまう。「はあ、でもそれはちょっと難しいですね・・」と言って、相手の察しを待つ。しかし、英米人の世界は理がまさっている。Yesはyes、noはnoで、先に進んでいく。対話で感情的になってはいけないのだし、それで気を悪くするからうんぬんで、論理の道筋を曲げてはいけない、と彼らは考えている。

残念ながら、こうした事柄に対する理解は、かならずしもTOEICだけではうまく計れない。それに、外人相手はいつも同じとは限らないのだ。たとえば、フランス人と議論するときには、これではうまくない。"No, but you can work around this way.."と説明する方がよい。フランス人は、"no but people"だからだ。彼らは、『相手にも感情がある』ということを常に前提して会話をしている。おまけにラテン系の文化では、お互いのプライドを尊重し、相手のメンツをつぶさぬよう気をつけるからだ。

英語は英会話学校で学ぶことができる。英語は道具としてトレーニングで身につけることができるはずだ、と多くの人が信じている。それに反対はしない。しかし、他者の文化を理解し尊重することの方が、もっと重要なのだ。その相手が欧米であろうとアジアであろうと同じことだ。あいにく、エンジニアの教育の中には、そうした『異文化理解』の訓練が全く欠けている。したがって、自分の中に、そうした欠落があることを意識することが、まず外国人とのコミュニケーション能力を向上させる、最も重要な第一歩なのだ。

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ベネズエラの「痛みを伴う」改革 (2002/5/06)

空港からカラカスの市街に入る道路は、山の稜線の切れ目づたいに続く、きびしい坂道だ。この国の首都は標高1千メートルの高地に位置するため、ほぼ赤道直下にもかかわらず、夏でもしのぎやすい気候に恵まれている。市街の中心部には、南米には珍しい近代的な高層ビルが美しく並ぶ。

しかし、カラカスを訪れた者がひとたび市の外周、盆地をとりかこむ山並みに目をやると、急勾配の斜面にへばりつくような危うい角度で、粗末な家がびっしりと続いていることに、いやでも気づく。中央部の平坦でリッチな近代性と、周縁部の危険な貧困が、これほど見事な対照をなしている都市は、他にはない。整然と混沌、富裕と貧困、この二極分化がベネズエラという国のメイン・テーマだ。

3週間ほど前にベネズエラを震撼させた政変劇は、このテーマに耳障りな短調の響きをつけ加えた。大統領官邸をとりまく十万人強のデモ隊と守備隊との間に起こった銃撃戦の流血のあとで、ウゴ・チャベス大統領は一部の軍人たちに追放される形で官邸を脱出した。間髪を入れずに、ベネズエラ最大の企業グループを率いるペドロ・カルモーナが臨時大統領に就任する。彼はこの国の基幹である石油産業をマヒさせた国営石油会社のストライキ中止を宣言し、経済秩序は回復に向かうかのごとく見えた。米国はこの事態を歓迎した・・

しかしカルモーナの暫定政権は、多くの軍隊トップの離反により、わずか2日間で頓挫する。3日目にはチャベスが不死鳥のようによみがえり、再び大統領復帰を宣言して首都カラカスに舞い戻る。ただし、彼は報復よりも、反対派との対話を強める路線を打ち出し、以前よりも軟化した態度を見せ始めた。

・・・こうしたニュースをみて、「やれやれ、また南米お得意の軍事クーデター劇か」と思った日本人も多かっただろう。「地球のちょうど裏側の小国で、どんなどたばたが起ころうと、この大国日本のきびしい現実には露ほどの影響もないだろうよ・・」と。

とんでもない誤解だ。このニュースを見てそう考えた諸賢は、いや、ニュースに関心も持たなかった諸兄は、みな自分の国際感覚を大いに再検討した方がいい。影響は大ありなのである。だから米国は即座に反応したのだ。

中南米というと、すぐ軍事独裁政権と連想するのは正しくない。ベネズエラは過去何十年もの間、2大政党による民主制を維持してきた−−表面的には。しかし、2大政党制は(世界中どこでもそうだが)寡頭談合政治と利権・腐敗の温床になりがちだ。そして、この国では事実そう機能してきた。ベネズエラは実質的には、石油の利権と深く結びついた経済界の大ボスたちと、強欲な手配師である労働組合のボスたちが手を組んで支配し、それを保守的なマス・メディアと教会指導者たちがバックアップするという形で、富裕と貧困の二極分化を固定しつづけてきたのだ。

そもそもベネズエラは世界第4位の産油国だ。その富のほとんどを石油に頼っている(輸出代金の8割と国家歳入の半分が石油から来る)。最大のお得意さまは米国である。そしてまた、ベネズエラはOPECの協定破りの常習犯としても知られている。OPECがいかに減産協定を結んでも、ベネズエラはどこ吹く風と、大量生産をつづけては米国に供給してきた。米国のエネルギー安全保障政策上、きわめてありがたい存在である。

その国で3年前に大統領選挙があり、かつてクーデターを企んで失敗した軍人上がりのチャベスが、貧しい層の圧倒的な支持を得て就任した。8割以上の国民支持率、既存の政党にとらわれぬドラスティックな改革の公約−−どこかで聞いたことのあるドラマではないか。

1998年夏のロシアの経済危機は、秋にはブラジルの通貨危機を誘発し、その余波が中南米全土をおそい、さらに東南アジアの経済危機へと飛び火した。ベネズエラにかなりの投資資産を抱えている米国は、経済危機と政治の不安定が、この国の資産価値を暴落させるのではないかと固唾を飲んで見守っていたはずである。

その世界規模の経済連鎖の危うい結節点に、チャベス大統領が立ったわけだ。かれは憲法の改正、土地改革(政府の遊休地の民間払い下げ)、独立王国だった国営石油会社の経営への影響力行使、と矢継ぎ早に改革政策を繰り出した。

2年前には原油価格が高騰したが、その理由としては、チャベスがOPECの協定をはっきりと順守したことが第一にあげられる。これによって彼は、もはやベネズエラが米国の都合通りには動かないことを宣言したのである。

かれの大統領就任式には数多くの国から外交官達が出席したが、アメリカはなんとエネルギー省の長官を派遣した。このことからも、合衆国がベネズエラのことをどう思っているか(つまり裏庭の石油の井戸元としか見ていないという事が)よくわかるだろう。

そして、米国の傀儡となることを拒否したチャベスを、力によって追放する動きを米国は支持した。彼らが他国の民主主義と自国の利益のどちらを優先するのか、いまや誰の目にも明らかだ。私自身は、チャベスの改革政策がすべて正しいものかどうか、はっきりとはわからない。しかしいずれにせよ、それはベネズエラの国民が判断して決めるべきことだ。

チャベスのめざした改革は、石油の利権に守られた経営者や、特権的な労働者たちとその組合に「痛みを強いる」ものであった。今回のストライキが、この層によって計画され実行されたことを見逃してはならない。ベネズエラ社会の中産階級はいろいろな形で利権の網の目につながれている。彼らをチャベスから切り離して改革政策の抵抗勢力にすることが、ストの最大のねらいであった。

そう、それはたしかに痛みを強いるものだったろう。しかし、その痛みとは、国民の8割を占める貧困層が長年身代わりになって耐えてきたものかもしれない。

「改革は痛みを伴うものだ」という言葉が、一人歩きしている。なるほど、たしかに小さな企業組織においてさえ、本当の改革はかなりの抵抗と危険を伴う。たんなる「改善」が達成感と自己満足をもたらすのに比べて、なんという違いだろう。

しかし、改革の「痛み」を語るときは、その痛みの質について問わなければ嘘だ。誰が、どういうゴールのために、どれだけの期間に、どのような種類の痛みを担わなければならないのか。それは骨折や肉離れの痛みなのか、それとも使わなかった筋肉に血が初めて通う痛みなのか。身を切られる痛みなのか、手術のメスの痛みなのか。

公正で合目的性のある、一時的な痛みには、人間はなんとか取り組む気になる。しかし、右を向いても左を見ても、働くこと一切合切に利権の網の目がからみついているような社会では、その痛みがどんな種類の痛みなのか、よく注意してみていかなければならないのである。


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「不況」の根源的問題 (2002/3/18)

ヨーロッパに暮らしているおかげで、ときどき日本に関する質問を受ける。好奇心まじりの質問もあるが、文化や日常生活に関することならば、たいがいはなんとか答えられる。

しかし、一番答えに窮する質問、かつヨーロッパ人が今もっとも関心を寄せている質問が一つある。それは、『日本はなぜこんなにひどい不況に落ち込んだままでいるのか?』という問いだ。何が原因でこんなひどいことになったのか、と。

これは答えるのがむずかしい。この問いをめぐって多くの経済学者が論争している。あるものは不良債権が問題だと言い、あるいは財政政策の緊縮が失敗だったと主張し、あるいは通貨供給に不備があった、いや株価対策が大事だ、そもそも土地の値段が下がりすぎたのが原因だ、等々と百家争鳴も甚だしい。

このような中で、経済学の素人が言える答えはたった一つだ。それは、「決して単一の原因からこの状況が生まれたわけではないだろう」ということだ。なぜか?

それは、一つの社会の経済、一国の経済は、本来複数の要因が相互に連関しあった複雑なシステムの一部を構成しているはずだと考えるからだ。政治・社会・文化・教育・インフラ・・全てのことがお互いにからみ合い、原因であると同時に結果でもある連鎖をなしていると信じるからだ。これだけの巨大なシステムが、10年がかりである一つの状態に向かっているとしたら、それは単一の原因であるはずはない。

換金可能かつ交換可能な資産(株や土地はその典型だ)には、「市場」が形成される。市場では、そのもの自体が持つ使用価値とは離れた、期待ないし思惑による「相場」が生まれる。相場は結局、投資者の主観によって動かされる。あらゆる相場が全体として下降の方向にある状態を不況と呼ぶのである。

では、好況時に資産の相場の裏書きをしていたのは何だろうか。それは、企業・農家・商店等を含む産業全体が、収益を生み出しつづけることが可能である、という「信用」であった。国際競争力の高さから生まれる収益力への信用。その信用が失われている状態が「不況」である。

逆にいいかえるならば、不況の中心的問題とは、日本の企業が全体として競争力を失っていることにある

しかし、まちがえないでほしい。これは問題の中核を解りやすく言い替えただけであって、けっして原因を示しているのではない。
 「先生、昨日から頭が痛いんです。」
 「どれどれ。ははあ、これは頭痛ですね・・・」
こんな言いかえは診断ではないし、処方箋も書けない。日本の企業が全体として競争力を失った原因、それは決して単一の原因から導き出されるものではないし、そういう単純化した議論には落とし穴があるはずだ。

それでも、もし何か一つをやり玉に挙げなければならないとしたら、私は「考える能力」の欠如をあげるしかない。真の思考能力とは、事実をおそれずに客観的に直視する能力、そして事実による検証の刃によって、自らの論理の枠組みを多角的に問い直す能力である。その欠如はたとえば、失礼ながら上に述べたエコノミスト諸子百家の論争に、典型的にあらわれている。彼らは「不況をどう解決するか」という同じ問いの枠組みから出発するばかりで、客観的な仮説検証のプロセスが欠けている。いや、それだけでなく、根元的な「不況論」が欠けている。

そもそも、「不況」とはそんなに悪いことなのだろうか。え? お前も職を失ってみれば分かるだろうって? なるほど。自分を取りまくミクロ経済的には悪いと実感をもって言えるだろう。しかし、そもそも、不況とは何なのか。どういう状況をさして不況と呼ぶのか。好況時とはマクロ経済のプロセスが、どこで違うのか? インフレの不都合と不況の困惑はどちらがひどいのか。そもそも経済循環の存在は悪と言えるのか−−?

今のわれわれ日本人に最も欠けているのは、「そもそも論」なのではないか。「そもそも」から出発して、根本を考えつづける作業こそ、その日暮らしとその場凌ぎの連続の日常から抜け出す唯一の道なのだ。

ミクロな状況判断をつみ重ねても、決してマクロな方向性を定めることはできない。戦略の不在を戦術の工夫で切りぬけることなど、そもそも不可能なのだから。


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ぼくらに英語はわからない (2002/1/28)

新通貨ユーロが導入されてちょうど4週間たった。ここパリで見ている限り、すでに買い物や取引は95%以上がユーロで行われている。今や各人が、手元に残ったフラン紙幣やサンチーム硬貨をどうやって使い切ってしまうべきか、と考えなければならない段階に来た。4週間でここまで来るとは予想外の速さだ。この国の人たちの効率から考えるならば、じつに上出来の首尾といえるだろう。

ユーロの紙幣は各国共通だが、硬貨は各国でそれぞれ裏側の刻印が違う。ためしに財布の中のコインを調べてみると、すでに違う国の硬貨がたまに混ざっていることがある。この流通の速度も驚くべき速さだ。むろん、パリが多数の旅行者や観光客の行き交う大都市であることを考えれば、当然かもしれないが。

ところで、私がこの街に住んでかれこれ8ヶ月になる。しかし、いまだにちっともフランス語がうまくならない。

理由はもちろん分かり切っている。この歳になってから、新たな外国語を覚えようというのがどだい無理なのだ。朝、覚えたはずのことが、夜になると頭からきれいさっぱり消え去っている。朝に真理を学べば、夕べに死すとも可成り、という孔子の教訓の逆である。

しかし、もう一つ、自分用の言い訳が、ないでもない。それは、仕事は全部英語でやっているから、というものだ。

私が関わっている電子商取引サイトの開発プロジェクトは、日揮とフランス企業のジョイント・ベンチャーである。しかしフランス企業といっても、すでに欧州規模で多国籍企業化しているから、チームのメンバーにはドイツ人もイギリス人もイタリア人も米国人もいる。共通言語は(どうしても)英語になる。メールも会議も文書もすべて英語である。

我々が英語を使っているのは、しかし、望んでのことではない。妥協の産物である。英語以外しゃべれない米国人をのぞけば、英語で仕事ができて嬉しい、などと考えている人間は一人だっていやしない。

外国語というのは、つねに使い手にとってもどかしいものだ。外国語は、勉強すればするほど、ネイティブとの気の遠くなるような落差を認識せざるを得ないように、できているものらしい。なぜなら、言語はつねにその背後に、文化の総体を抱えているからだ。Projectという英語は、仏語のProjet、伊語のProjetto、スペイン語のProyecto、そして日本語の企画ないしプロジェクトとは、一致しない。それぞれの言語の中にある「計画・企画・投企」の概念が、少しずつだがみな異なっているからである。

通貨は経済の道具であり、経済は人間の利便に供するもの、つまり文明の領域に属している。ところが、言語は文明の運転だけにつかうものではない。人にアイデンティティを与えるよりどころ、すなわち文化の領域に本来属している。
そして、文明にとっては共通化と規模の拡大は価値をもたらすが、不思議なことに文化は多様性によって豊かになっていくのである。

欧州は通貨を統合したことで、かえって文化の多様性をどう確保して行くべきなのかという難しい問題をあらわにしたと言っていい。僕らにしょせん英語はわからないのだ。いずれ世界中の人間が英語を話せるようになれば、平和で豊かな社会がやってくるはずだ、と夢見るおめでたい人間は、米国や(なぜか)日本にはときどきいる。しかし、私の知るヨーロッパ人の中には、ただの一人もいないのだ。


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カウンターベイリング・パワー

市場をめぐる動力学の世界では、ある企業なり商品の力が強くなりすぎて市場をほとんど席巻し支配してしまうような状況が近づくと、それに対抗する勢力が急にあらわれてバランスを平衡にもどそうとするような動きが働くことがしばしばある。これをマーケティング用語で「カウンターベイリング・パワー」という。

カウンターベイリング・パワーとは対抗勢力を助けるために働く自発的な力である。例を取ると分かりやすいかもしれない。現在PCサーバのOSの世界ではMicrosoftのWindows NT/2000がかなりの市場を占めている。かつては一世を風靡したNetWareはまったく元気がなくなってしまった。このままいくとMicrosoftによる寡占は時間の問題と思えた。しかし、ここで彗星のごとく登場したのがフリーのunix系OS、linuxである。

いまやIBMをはじめとして多くの有力メーカーがlinuxを自社の製品ラインにフィットさせようと努力している。linuxがみずからの力だけでWindows NTに対決しているのではないことに注意してほしい(現実問題としてlinuxは1社のみの商品ではないのでそのようなことは不可能である)。そうではなく、Microsoftに対抗しようとする勢力がこぞってlinuxをかついでいるのが実態である。そもそもフリーのunix自体は決して新しいものではない。これがWindows対抗馬として有力になれたのは、支持者が多数付きはじめたからである。

つまり、カウンターベイリング・パワーというのは、強大で独占的な勢力の存在に不満を感じ、なんとかして対抗したいと考える人々の存在に依存している。巨人ゴリアテに単身向かったダビデのような英雄的行為のように一見みえたとしても、実は巨人の包囲網をつくる友軍の存在がなくてはならないのである。

少なくともITの世界では、商品にはつねに寡占化を加速する傾向がある。これはロック・イン現象やネットワーク外部性などの性質から考えても非常に明らかなことだ(「ITって、何?」第17回参照のこと)。それでは、なぜカウンターベイリング・パワーというものがあえて発生するのだろうか?

それはすなわち、市場がみずからのバランスと自律性を取り戻すための、一種の自己回復作用なのである。これを、一部の人間だけが金持ちになることに対するそねみや嫉妬から出た感情だ、などと単純に考えてはいけない。

ある商品や組織が強大になりすぎて、その世界をすべて力で支配し、「俺に恭順でないものはすべて俺の敵と見なす」などと言い出すような状況では、市場を構成している人間たちの自主性や価値観さえ破壊されかねない。これは実質的な市場の死を意味している。それをさけるための力が働くのだ。すなわち、カウンターベイリング・パワーというのは巨大すぎる存在がみずから生み出した影のようなもなののだ。

カウンターベイリング・パワーが働いているのは、その市場が健全な証拠である。これを強者が力ずくでおさえようとするならば、もはや健全な競争の枠組みを逸脱した対抗手段しかあり得ない、と考える者たちが出てくるだろう。その結果、全体としてはかえって手ひどい破壊的な状況を生み出すかもしれない。

知恵ある者はここから教訓を得られんことを、切に望む。

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ANAに乗るおじさんの日記

14日間世界一周というのをやった。やりたくてやったわけじゃない。仕事なのだ。パリを発って、フランクフルトに行き、そこで乗り換えてベネズエラの首都カラカスに行った。さらに国内便でバルセロナ市へ。ここでしばらく仕事をした後、日本に戻り、横浜本社に出社した後、最後にパリに戻る。これでちょうど2週間。

いくら飛び歩くのが仕事だとはいえ、ベネズエラで一週間の建設現場での仕事を終わり、メキシコ湾をわたってアトランタからシカゴに到着するころには、さすがに飛行機にも機内食にもうんざりしていた。

最後はシカゴ発の全日空便だった。

夏の熱気の残るシカゴでは夜の街をぶらぶら散歩し、10時すぎてから夜の歩道の席でタイ料理を食べた。胃の疲れが少し和らぐ気分だった。

シカゴのオヘア空港は美しい。さすが建築の街の空港だ。しかし、日本行きの、日本の航空会社の機内に乗り込むと、そこはまことに日本そのもの。このギャップにはいつもながら面食らう。

今回のANAの便は、まったく同じ顔をした6人の客室乗務員がサービスについていた。全日空ではスチュワーデスの採用基準に、丸顔で長い髪を頭の後ろに団子状に巻き付けていることを明文化しているにちがいない。それにしてもここまでくると殆ど赤塚不二男の世界である。だから日本の世界なのだが。

「お飲物は何がよろしいですか。」と、ビジネスクラスには聞きに来てくれる。ぼくは、シャンパンをオレンジジュースで割ったものを頼む。すると、どういうわけか、彼女は営業用微笑をたたえた顔で、シャンパンとオレンジジュースの入ったコップを、別々に二つ持ってきてくれるのだった。

面食らったぼくの顔を見て、何か間違いが起こったことに気がついたらしい。しかし、いいですよ、もう持ってきちゃったんだし、とぼくは答えて受け取る。そしてオレンジジュースのコップに少しずつシャンパンを注ぎ足して飲み始めた。

しばらくすると彼女がふたたびやって来て(もしかすると別の彼女だったかもしれない、なにしろ全員同じ顔なのだ)、お代わりはいかがですか、とたずねる。何のお代わり? 

あのね、これは余計なことだけれど教えてあげる。
ミモザという、黄色くて小さな花をたくさん付ける樹があるでしょう? シャンパンをオレンジジュースで割った飲み物は「ミモザ」といって、フランスのカクテルなんです。ぼくはわりとこれが好きなんだけれど、初夏のパリでまだ日射しが残っている時分に飲むととても美味い。
そして本当はね、これはあなたのような若い女性が飲むものなんだ。今度こっそり作って味見してごらん。きっと好きになるから。

しかし、もちろんぼくはこんな気障なセリフを口に出して言ったりはしない。彼女だってこんなわけわかなことを、知ったかぶりのオジサンから習いたいとは思わないだろう。そして日記に書くにちがいない。今日もへんてこなオジサンの客に疲れたと。

だからぼくだって、こうして日記に書いているわけです。

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特別な我が社(2001/2/03)

ITコンサルタントの仕事をしていると、つくづく面白いと思うことがある。仕事柄、さまざまな企業を訪問して話を聞くわけだが、訪れる会社はどこも、「自分のところの業務はひどく特殊だ、ウチは特別な会社だ」とおっしゃるのである。どの会社もどの会社も、“これこれの理由でウチはよその会社とちがう”と主張される。

いわく、「ウチの業種の製品は鮮度管理が非常にきびしいから」「ウチの製品はお客様の生命に直接かかわるものだから供給の責任があって」「ウチの業種は可燃物を大量に取り扱うので消防法のこうるさい設備検査が必要で」「ウチの業界はものすごい多品種少量で、かつ製品のライフサイクルがめちゃくちゃ短いから」「徹底したカンバン方式で工場を回しているから」「完全受注生産でリードタイムが長いから」「小さく高価で壊れやすいから」「場所ふさぎなのにひどく安価だから」etc...

“というわけで、外部の方には我々の問題の難しさはご理解いただけにくいでしょうねえ・・”と続く。

そして結論はというと、
「だから平均的な製造業向けにつくられたパッケージ・ソフトではウチの仕事はうまく取り扱えない」
という風に誘導されるのだ。特殊性を強調されたあげく、ほとんど判で押したかのように、同じ結論にたどり着くところが面白い。

そんなことはないのである。

この仕事をやってみるとわかるのだが、日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高いのだ。それは、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込み生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。だから調達から販売までのサプライチェーンのあちこちで、プルとプッシュが混在しているのである。

したがって、解決の手法も一つの事例できちんと確立してしまえば、あとはかなり応用が利く。若いコンサルタントでも、見習いで3社の事例をやってみたら、4社目からは中核の問題を自分で見つけることができるようになる(むろん、応用問題を解くにはその業種の個別知識と、人を動かし説得できるだけの知恵がいるから、経験もなしにすぐに独り立ちできるわけではないが)。

「パーキンソンの法則」で有名な経営学者C・N・パーキンソンは、「コンサルタントの仕事はミツバチに似ている」と言っている。花から花へ、花粉を運ぶ蜜蜂のように、コンサルタントはある会社で見つけた知恵を別の会社に運んでそこに植え付ける訳である。自分自身では花粉を作り出したりしない(知恵を生み出したりしない)点が面白い。こう書くと怒り出す人もいるだろうが、かなりの程度、真実に近い。

個別性・特殊性の強調は、なんとなく日本の文化に根ざしているのかな、とも思う。丸山真男が『日本の思想』で分析して見せたように、日本では「理論信仰」と「実感信仰」が表うらの関係で支え合っている。外国から直輸入した公式的理論によって現実をばっさりと切ってしまうような風潮と、逆にその防御として、個別の事象・実感をならべたてて共通論理をいっさい否定してしまう態度。まるで「パッケージに業務を合わせろ」「いや業務に合わせてすべてカスタマイズしろ」という水掛け論を聞いているかのようではないか。

面白いことに、私のつきあった範囲では、欧米の会社からはあまりこういう「ウチは特殊だから」論は出てこない。それも当然だろう。彼らはそもそも、みずからの独自性を前提として生きている。一人一人に個性がある、というところから思考は出発する。その上で、個別の事物を包含するイデアが存在する、というのが西欧の哲学だからだ。

哲学抜きで特殊論にしがみつく国には、ただ“諸行無常”の風が吹くだけかもしれない。

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e爺なる人々(2001/1/10)

「IT革命」なる語が2000年度流行語大賞になるほど、昨年はおじサマたちがIT、ITで浮かれ騒いだ年だった。正月には、例の頼りない首相までがTVコマーシャルでマウスをクリックして“イン博”の宣伝をしていたくらいだ。

騒いだわりに実体が不明瞭なまま、というのがこの国の特徴らしい。手口ときたらいつも同じで、

  1. アメリカ発の概念論を高級コンサルがまずセミナーで紹介し、
  2. ついで、いつも流行ネタを追うしか能のない雑誌ジャーナリズムが半端な事例をかき集めて特集し、
  3. 大手コンピュータメーカが旧製品に化粧直しを施してメニューに付け加えたあと、
  4. 最後に三流の経営学者が理論化して終わる、

というのがパターンだ。BPRもそうだったし、グループウェアもSISも、もっとさかのぼってEISだのFAなんかも皆そうだ。どれ一つとして私は概念の中核を明確に理解できなかった。中核なんか無いからだ。単なるファッション、風向きに名前を付けていたにすぎない。SCMやMESがかなり繊維質の概念規定から出発したのに比べて、これら流行語は表層にあらわれる効果から命名されていく。

最近のこの手のヒット商品は「e-Business」という用語だろう。これは私は何をいっているのかさっぱり理解できない。「e-Commrece」だったら十分わかる。商取引という、従来紙と電話と面談で行われていたプラクティスをネットワーク上で通信で行おうというものだ。しかしe-Businessとは何なのだ。「ネットビジネス」という語も曖昧模糊として原因不明なることe-Businessと良い勝負だが。

これまでのオールド・エコノミーの商売が低空飛行気味なので、『これからはe-Businessだ』という謎のかけ声があちらこちらの役員室や会議室や居酒屋で飛び交っているようである。電子マーケットの案も似たようなプランがいくつも出回っている。まるでバブル時代のリゾートかゴルフ場計画のようだ。

10年前におかした過ちを、もう一度別のかたちで繰り返したら、今度は悲劇ではなく喜劇というものだ。日本のおじさんというのはまったく懲りない人たちらしい。電子化された爺さんたちの行くさまは、まさに「e-爺ゴーイング」と称すべきものらしい。


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