生産マネジメント ワンポイント講義(1)

生産計画・スケジューリング、在庫計画、コスト・品質・安全マネジメント、部品表(BOM)、サプライチェーン・マネジメント(SCM)などの分野で理解すべき用語と概念を解説しています。



1.工場計画論

工場計画論(1) 立地論−−工場はどこに行くのか (2009/10/21)

'90年代以来このかた、郊外にあった工場がポコッと消えて、その跡地に大規模住宅や商業施設が立ち並ぶようになる、そんな光景を何度も見てきた。いつもの見慣れた工場がある。それがいつの間にか操業を停止している。そしてある日、工事中の看板が立つやいなや、あっという間に更地になって造成されていく景色だ。

その逆を見たことのある人はいるだろうか? マンションやスーパーが取り壊され、近代的な工場が立ち上がっていく姿を。おそらくほとんど皆無だろう。なぜ一方向にしか変化は起きないのか。

それは、土地の単位面積あたりの付加価値産出量が違うからだ。土地一坪当たり、1年間に生むお金の量が違う。大都市近郊においては、商業の方が、工業よりもずっと月坪単価が高いのである。住宅販売や賃貸も同様である。

同じようなことは、じつは農地と工場との間にもあった。それは主に昭和の時代のことだから覚えていない人も多いだろうが、いつの間にか農地や林野が造成され、工場用地にかえられていった。なぜなら、農業や林業よりも、工業の方が、単位面積あたりの稼ぎが大きいからだ。農業は、太陽から降ってくるエネルギーを光合成で植物体に変えることで成り立っている。それが、電気と機械力で付加価値を生み出す工業に、面積あたりの稼ぎでかなうわけがない。

さらにいうならば、農業と工業と商業とでは、事業として必要とする最低限の面積もかなり違う。商業施設は、500m2もあれば立派な規模である。しかし、工場は1,000m2程度でも中小規模の感を免れない。ましてや農地は、3,000m2以下では零細である。しかも農地は「二階建て」にすることはできないのだ。方や商業施設はどんどんのっぽにできるのに。都市計画法その他の規制は割り引くとしても、土地の単位面積あたりの比較では、

 第1次産業 < 第2次産業 < 第3次産業
 
という優劣は歴然としてあるのである。

では、現代において都市を追い立てられた工場はどこに行くのか? その答えは、上の不等式の中にある。この不等式が成り立たなくなるのは、地方、とくに大都市が近くにない地域である。地域内に高い人口密度がないところでは、高収益な第3次産業は成り立たない。ここでは、工場がショッピングセンターに遠慮する必要はない。競り合う相手は農業だけだ。

ただし、農地は用水さえあれば成り立つが、近代工場は最低でも水と電気と交通のアクセスは必要だ。そこで、地方自治体によって造成された工場用地の出現と相成ったわけである。このようなわけで、現代の日本では、かつて隆盛を誇った京浜工業地帯や阪神工業地帯が、次第にほぐれるように解体し、かわりに周囲を農地に囲まれた工場団地が出現したのである。「××県○○市の市長は偉いな。新幹線も停まらせた。高速のインターも造らせた」などとというほめ言葉も聞く。これでは地方自治体が中央から独立できるわけがない。

話がそれた。では、すべて工場は地方にいて満足なのだろうか。たとえば、大消費地から遠くて困らないのか。これについていえば、物流網の発達のおかげで、日本国内だけを相手にするならば、ほとんどが1日以内で運べるようになった。無論、時間あたりの鮮度が問題になるような業種とか、重量あたりの単価が非常に低いような商品を扱う業種は別である。つまり、立地というものにはサプライチェーンの個別性からくる要求があるのだ。

働き手はどうか。かつて、高度成長期の中頃あたりまでは、地方は安価で豊富な労働力の供給地だった。今は、もう中小都市しかない地方は高齢化が進むばかりで、肝心の若手が少ない。工場に行っても外国人ばかりが目立つようになってきた。地方の中小都市に多数の外国人。誰にとってもあまり居心地の良くない状況である。外国人労働者を使うのなら(その是非はともあれ)、地方でも大都市圏でも同じではないか。

いっそのこと、安い労働力を求めて海外に移転しようか。−−そういう流行が、一時はあった。「中国生産」ブームである。しかし、今やはっきり反省期に入っている。その理由はさまざまだが、一つあげられるのは、海外に出してしまうと、国内需要の変化に追随する能力が格段に落ちてしまうことである。また、新しい需要への対応、すなわち新製品の開発力にも深刻な影響が出てきた。それはまあ、当然であろう。国内であれば、日本人得意の『すりあわせ型』でやっていけた事が、海外では四角四面な『モジュール型』でしかできなくなるからだ。

こうしたことを考え合わせるなら、私は今後、一部の業種では工場の「都市帰り」というケースも現れるのではないかと考えている。都市といっても、まあさすがに港区のど真ん中というわけではないだろうが、大都市近郊である。都市生活者が通える範囲の立地である。なぜか。それは、これからの日本の製造業には「研究開発型工場」が求められるようになるからだ、というのが私の推論である。

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工場計画論(2) グローバル展開のゆくえ (2009/11/07)

電車にゆられながら吊り広告を見ていると、宣伝というのはつくづく一般消費者の欲望を刺激することで成り立っているものだな、と感じる。あれは素敵だ、これは面白そう、こんな心配はありませんか? こんな夢はどうでしょう−−そういう風に、広告はできている。だから、その気になって広告をよく観察すると、“普通の人々”が何に対して欲望を感じているのかが、逆に分かってくる。

欧米などに比べると、日本の電車は際だって広告の量が多い。最近は電車の外側まで広告で塗りたくっている。まさに『欲望という名前の電車』が街中を走っているわけだ。その車内広告の中でも、くりかえしくりかえし登場するのが、英会話教室のPRだろう。それだけ、「英会話ができるようになったらカッコいい」と望んでいる人が多いわけだ。まあ、パリの郊外電車の中でも英会話教室の広告を見かけたことがあるから、あそこの国の人だって内心は“英語がしゃべれたらカッコいい”と思っているのかもしれない。

日本では、「英語がしゃべれること」と『国際化』という言葉は、車の両輪か同じコインの両面のように考えられてきた。外国=欧米=英語、という風に、思考回路の中でショートしたみたいに連想がつながっている。とくに年配の人の中では、その傾向が強いかもしれぬ。日本企業では、“国際畑”を歩いたキャリア、というと何となくエリート・コースのように聞こえる。

その国際畑とは何か。それは十中八九、海外営業部門を意味する。日本の製造業の海外展開というのはパターンがあって、それはまず製品の輸出からはじまる。大昔なら生糸、昔は繊維製品、そして現代は自動車や家電が輸出の主役だ。どれもみな、大量見込生産品であることに注意してほしい。それらは高品質で、かつフェアな価格だから売れてきた('85年代以前は円も安かったから、フェアどころか低価格だった)。買い手はお金を持っている欧米先進国が中心だった。

輸出の場合、最初は商社経由で、現地の販売代理店が売っていた。セールスというのは、つねに現地密着型でないとできない職種だ。そのうち販売額がかなり大きくなると、相手先企業と提携して、合弁の会社(海外子会社)を設立することになる。主な仕事は販売とサポートである。セールスマンやセールスレップを雇い入れ、それを管理するのが支社に派遣された海外営業部門の人たちの役割だった。

そのうちに、現地のローカルなニーズにあった製品がほしい、という声が高くなってくる。だから、営業企画部門を海外でも持つようになる。本格的製品開発までは無理でも、簡単なローカライズくらいならやれるような体制になっていく。物流倉庫もいる。そして機械製品なら、保守のためのサービスセンターも持つようになる。

さて、ここまでのところ、まったく「工場」という単語が出てこなかった点に注意してほしい。あくまでも、日本企業のグローバル展開というのは、『プロダクト・アウト型』なのである。欧米志向、営業主導、見込生産品−−これが“国際化”の正体だった。

では、この間、工場の人たちは何をしていたのか。技術畑の人間にとって、昔は「技術導入」の形で海外とのつながりが多少あった。しかし日本企業の技術開発力が上がるにつれて、(一部業種を除けば)ライセンス生産は減ってくる。しだいに『純国産型』の生産体系になってきた。

そして、バブル崩壊である。不況で、モノが売れなくなった。すでにバブル経済の時代に、工場は都市近郊から地方に追いやられていた。そこに、「原価低減」の重圧が本社からかかってくる。売れないのは価格が高いせいだ、うちの工場は高コスト体質で困る。これでは価格破壊の時代に生き残れない−−こう考える人が本社では多かったらしい。バブル時代には、「もっと高付加価値な」(つまり豪華で単価の高い)製品を開発しろ! と叫んでいた同じ人たちが、手のひらを返したように、もっと安くて売れるものを作れ! と命じるようになった。

ここでちょっと、考えてみてほしい。高度成長期が終わって、市場も技術も成熟期に入ると、世の中の平衡点は供給過剰側にシフトしている。力を持つのは、最終消費者だ。そして、それに近い、小売業者である。それまでのプロダクト・アウト型の大量生産販売体制は、マーケット・イン型の、小口受注短納期型の生産販売体制に移行しなければならなかった。そうしなければ、販売機会の損失が増大するのだ。だから、販売と開発と生産は、より密な連携が必要になり、すぐ近くにいることが望まれたはずだ。

なのに、日本の製造業の現実は、そういう風には進行しなかった。国内需要減を海外輸出で補うことがテーマになった。だが、すぐ背後からは韓国・台湾など中進国が低価格を武器に追いかけてきた。だったら、人件費も材料費も安いアジアに生産をシフトするのが、頭の良いやり方だ、という通念が生まれた。アジアでものづくりをして、欧米に輸出する。それを日本が企画・管理する。それが「グローバル展開のあるべき姿だ」というイメージが広まり、大企業だろうが中堅・中小だろうが、自社のサプライチェーンの質や量も考えずに(といったら失礼かもしれないが)中国に工場を移転し、かくて「中国を世界の生産工場に」するために貢献したのである。

この間、忘れられていたことが一つある。それは、中進国やアジア諸国を「輸出先の市場として考えること」である。国際化とは欧米進出だ、という固定観念がまだ残っていたのだろうか。国際営業畑は欧米に顔を向け、生産畑はアジア諸国の方を向く、という奇妙な分裂状態がいまだに続いているのである。

2000年代も半ば頃になって、はじめて「製造業の国内回帰」ということが言われるようになった。軽々しく工場を海外移転したが、失敗例が意識されるようになったのである。それはある意味、当然だろう。見込大量生産時代の意識を残したまま、むしろその地理的な距離を広げた上で、マーケット・インの時代に対応しようとしても、簡単にいくとは考えにくい。工場の立地は、サプライチェーンの形と量と性質によって決める−−この原則に、もう一度立ち返るべき時が来たのである。

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工場計画論(3) 製品をどこに置くか (2010/01/12)

製造業とは、『ものづくり』をビジネスとする企業である。たいていの人は、そう信じている。そして、“ものづくりこそ日本の産業の真髄だ”、“製造業よ甦れ”みたいなスローガンがこの10年来、叫ばれてきた。日本経済が再び成長力を取り戻すには、やはりものづくりの生産性を上げることが重要だ、そんな主張を経済通から聞くことも多い。

でも、はたして本当なのだろうか。知人の経営コンサルタントから来た年初の挨拶メールの中に、「商社化しつつある日本の製造業を・・」という興味深い表現があった。たしかに、この10年間で、日本の製造業の姿は(その看板や見かけとは違い)ずいぶん変化してしまったと感じることがある。

その変化は、製品在庫をどこに置くか、という問題に端的に表れている。一般消費財を例に取ろうか。たとえば、あなたが衣料品を通販で注文するとする。その製品は、どこから送られてくると思われるだろうか? 多くの場合、静岡とか、あるいは北陸などから発送されてくるにちがいない。−−そこが繊維製品の産地だから? 違う。そこに、製品在庫を置いてあるからだ。なぜなら、荷揚げに適した港があるからである。

国内で一般消費財を作っている場合、人口の多い大都市圏が、主要な流通販売先となる。したがって、メーカーの製品在庫は、大都市圏に近い工場で作ってせっせと販社に回すか、あるいは工場が遠隔地の場合は、大都市の物流倉庫に積み上げておくことになる。さらに日本製品の輸出が好調だった時代は、工業地帯に付属する港湾、つまり東京港や大阪港などから貨物を出荷する。こうして、大都市圏と、工業地帯と、陸運・海運の拠点は、ほぼ一致することになる。だから日本は都市に人口も何もかもが集中していったのである。

ところが今や日本は、部品材料も最終消費財も、アジア各国から大量に輸入する国になっている。では輸入貨物はどこに陸揚げするのがよいだろうか。まさか全国の大都市に順に寄港して、少しずつ荷揚げする、などという非効率なことはできまい。どこか一ヶ所に陸揚げして、いったん物流センターに保管し、必要に応じて配送する方が合理的である。

そこで浮上してきたのが(たとえば)静岡県西部だ。清水港という24時間対応の国際貨物港がある。東名高速など陸路も充実している。そして土地代も人件費も安い(いまどき誰が土地代の高い大都市に倉庫を借りたがるだろうか?)。本州の中央に位置して、東京・名古屋・大阪など工業地帯・消費地への配送にも便利である。

こうして、新幹線に乗っていると、新富士から静岡・掛川・浜松までの沿線で、のどかで風光明媚な田園地帯に並ぶ近代的な物流センターや流通加工施設を見ることができる。この地域は今や、実は日本の製品在庫のメッカであり、サプライチェーンの一大ハブなのである。そしてそれは、日本の製造業が海外生産に大幅に頼っていることと関係がある。

そもそも、ご存じかもしれないが、「アパレルメーカー」と呼ばれる会社は、製造業と思われているかもしれないが、実質は流通業であって『ものづくり企業』ではない。こうした企業は、製品のデザインと、販売と、(場合に応じて)材料生地等の購入支給を行う。誰に支給するのかって? 「縫製工場」に対してである。実際の縫い物仕事(つまり組立加工と同等の「ものづくり」)は、中小零細の縫製業者に下請けで作らせる、これが衣料品世界の構造である。

そして縫製工程は、極めて労働集約型の産業である。だから早くから、人件費の安い東アジアに外注先をシフトさせていった。台湾、香港、中国、ベトナム・・・といった国々である。まあ日本国内より縫製の仕上がりが多少野暮ったく、雑になるが、仕方がない。それより「安さが大事だ」と流通側は考えたのである。かくして、今やスーパーの衣料品から高級ブランドの製品まで、のきなみタグに「中国製」と書いてある時代が出現した。

だからアパレルメーカーは早い話が、製品企画と仕入れ販売のみを行っている「商社」なのだ。そしてこの構造は、他の業界にも急速に広がっている。あなたが手にして飲んでいる飲料、それも東南アジアで製造充填されたものかもしれない。あなたが読んでいる文庫本、それもアジアで組み版され印刷されたものだろう。かりにそれらが国内で製造されたものだとしても、もう製品在庫は静岡や北陸の物流センターに送られ、集中管理されるのだ。だったら、工場をわざわざ大都市圏の近くに持つ必要はないではないか?

こういう訳で、日本の工場立地はある意味、二極分化を起こしつつあるように思われる。製品が複雑で研究開発のスピードが重要な場合は、「研究開発型工場」として大都市圏に戻りつつあり、一方、製品が単純で製造技術が確立してしまったものは、どんどんと都市圏から離れていく。無論、それは製品の数量や、重量あたりの単価によっても異なる。いずれにせよ、今日の工場計画は、サプライチェーン(物流拠点)の配置論をはずしては、考えられない段階に突入したのである。

(この項つづく)

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工場計画論(4) 4つの生産形態 (2010/02/11)

前回は、「製品(の在庫)をどこに置くか」という話題をかいた。今回は、「原料や部品の在庫はどこに置くべきか」という話を書く。

あれっ? タイトルと話の中身が違うじゃないか−−そう思われた方もあるかもしれない。『生産形態』ってのは、すなわち受注生産か見込生産か、という分類だろ? 

だが、これでいいのである。生産形態とは、「在庫を何の形で、どこに用意しておくのか」という問題に対する、対処方法の種別に一対一で対応しているからだ。

議論に入る前にまず、理解しておいてほしいことがある。生産システムとは「需要情報というインプットを、製品というモノ(ならびに製品に実現された付加価値)に変換してアウトプットする仕組み」を指す、という基本概念である。工場設計論とは、すなわち生産システムの設計論に他ならない。なお、ここでいう生産システムとはITのことではなく、人間系と機械設備とを含む広義の仕組みのことを指して言っている。

その上で、「見込生産」からおさらいをしておこう。見込生産とは何か。それは、製品需要を“見込んで”生産する形態である。JISは、生産者が、市場の需要を見越して企画・設計した製品を生産し、不特定な顧客を対象として市場に出荷する形態、と規定している。ここで重要なポイントは「需要の見込み(demand forecast)」、「自社設計の製品」、そして「不特定顧客」である。

見込生産は、実需が発生する前に、製品を作ってしまう。必然的に、「製品在庫」が生まれる。この在庫は、まだ特定の出荷先に紐づけされていない(未引当在庫)状態にある。不特定顧客向けなのだ。需要に応じて、その製品在庫の中から引き当てて顧客に納入していく。見込生産を英語でMTS=Make to Stockというのは、この理由による。Forecast Productionなどとはいわない点に注意してほしい。

日本語の「見込」というのは、なかなかフレキシブルで含蓄の深い言葉である。英語に直すとForecastだが、forecastには「予測」という語も対応する。予測の方が科学的で客観的な語感がある。しかし「見込」というと、なんとなく人間の判断がこもった匂いもするではないか。計画=予測+意志決定、という式から考えると、見込は予測より計画の側に近い。

これに対して、受注生産とは、顧客が定めた仕様の製品を生産者が生産する形態、とJISは規定する。だが、これを読んで、あれっ?と感じなかっただろうか。見込生産の定義と対称型になっていない。「不特定顧客」や「需要の見込み」はどこへ行ったのか。完全を期すならば、特定な顧客を対象に、確定した需要に応じて、顧客の要求・設計した製品を生産し出荷する形態、としなければおかしいではないか。

そう。実はここに、日本の生産管理思想の混乱した点が見えるのだ。たとえば、考えてみてほしい。年に数台しか売れない、ごく特殊な仕様の超高級スポーツカーがあったとする。これをディーラーに買いに行くと、“注文をいただいてから工場で生産にかかりますので、あと3ヶ月半お待ちいただくことになります”と言われる。これは受注生産なのか見込生産なのか? JISの定義では、どちらにも当たらない。

受注生産を英語では、MTO=Make to Orderと呼ぶ。こちらの方が直接的で分かりやすい。注文に応じて生産する。だから超高級スポーツカーはMTOである。あるいは、あなたは海運王で、豪華客船を一隻造ってくれ、と造船会社に注文する。すると2年後に、それは堂々とドックから進水式を挙げるだろう。こちらは、あなたの要求に応じて、生産者が設計したものだ。これも受注生産のはずである。

実は、受注生産は、その設計行為が注文後の作業に含まれるかどうかで、2種類に分かれるのである。すでに出来上がっている設計にもとづいて、単に確定した需要(=注文)に応じて生産に取りかかるタイプを、「繰返し受注生産」とよぶ。超高級スポーツカーは、これである。

一方、顧客の要求仕様にもとづいて、個別に設計してから作る、豪華客船のようなタイプを、「個別受注生産」と呼ぶ。「個別受注生産」を別名、「受注設計生産」とも呼ぶ。英語ではETO=Engineer to Orderである。プラントなどで用いる圧縮機・冷凍機など産業機械類も、多くはこの種類にあたる。

ちなみに自動車部品や電子材料などは、「繰返し受注生産」である。これらは基本的に顧客指定の仕様品である。日本では、自動車産業や電機産業が製造業の花形だと思われており、そのサプライヤーに位置する部品メーカーが多い。JISが受注生産を「顧客が定めた仕様」と規定したのは、おそらくこの影響ではないだろうか。

そもそも、「生産システム」に関する冒頭の定義を思い出してほしい。インプットとしての需要情報の起点は、必ず顧客なのだ。需要情報には、数量や時期のみならず、「どんな仕様で」も含まれる。これを明確に図面でもらうか、暗黙のうちに自分で企画するか、設計主体の差は、その違いでしかない。

だが、この際だからはっきり言っておくが、日本の場合、自動車部品や電子部品メーカーのほとんどは、需要数量に関しても、確定した受注などもらっていない。あるのは「翌月内示」と「引き取りかんばん」なのである。「かんばん」は一種の分納の仕組みであって、発注書ではない。内示の数字と引取量の合計は、一致する保証など無い。だから、自動車部品メーカーというのは、「顧客の定める仕様の製品」を「需要を見込んで」製造し、うっかり作りすぎてしまった分は在庫として自ら抱えるしかない立場なのだ。作ったものは特定顧客用だから、転売もきかない。これを「受注生産」と呼ぶべきなのかどうか、多少疑問さえ感じる。これこそが生産管理思想の混乱の原因なのだ。

それでも、顧客指定品の「繰返し受注生産」の場合、需要はかなり見込みが立つ。そこで、生産者側も材料手配などの準備が事前にできる。したがって「繰返し受注生産」では、部品原材料の形で引当て在庫を多少持ち、需要に応じて製造する形態になる。見込生産のように、製品在庫を持つ必要が無い分だけ、過剰在庫のリスクは少ない。ただ、受注から納入までのリードタイムの中に加工組立の製造が入るため、少し納期が長くなる。

「個別受注生産」では、設計自体が事前に済んでいないのだから、もはや在庫は持ちようがない。注文を受けてから魚を釣りに行く、気の長い料理屋の状態である。在庫リスクは最小だが、納入リードタイムは最大となる。

そして、工場を計画する時は、どこにどのような量と種類のストックを置くのかが、非常に大きなポイントとなる。だから、これまでくどくどと、サプライチェーンや在庫や生産形態の話をしてきたのである。

ところで、「見込生産」「繰返し受注生産」「個別受注生産」は、在庫リスクと納入リードタイムのトレードオフ関係が成立していることが分かる。では、ちょうどいいバランス点はないのか、という疑問も出てくるだろう。これに対する一つの答えが、まだ説明していない4番目の生産形態=「受注組立生産」なのである。だが、また例によって長くなりすぎた。「受注組立生産」についてはまた別の機会に取り上げることにしたい。


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工場計画論(5) BTOと製品アーキテクチャー (2010/03/14)

前回は生産形態の区分として、「見込生産」(MTS)、「繰返し受注生産」(MTO)、「個別受注生産」(ETO)の3種類について説明した。この3種類を比べると、在庫リスクと納入リードタイムのトレードオフ関係が成立していることが分かる。見込生産は納入リードタイムは最短となるが、在庫リスク(売れ残りや陳腐化のリスク)は最も大きい。その対極にあるのが個別受注生産で、製品在庫は無いし原料在庫も(ほぼ)不要だが、そのかわり受注から出荷までのリードタイムは最長となる。

では、ちょうどいいバランス点はないのか、という疑問に対する一つの答えとなるのが、第4の生産形態=「受注組立生産」である。受注組立生産とは、部品をそろえておいて、客先からの注文が入ると、すぐに組み立てて出荷する生産形態を指す。それって繰返し受注生産とどこが違うんだ、と疑問に思われるかもしれない。違いは、二つある。

第一に、受注組立生産では、サブモジュールないし加工組立を終えたサブアッセンブリの形で、在庫を持っておく。だから注文を受けたら、最終組立工程だけ済ませて、すぐに出荷できる(たいていは1日以内)。一方、繰返し受注生産の場合は、注文を受けてからキーとなる部品の引当手配をかける。サプライヤーからの調達リードタイムが加わるため、どうしても全体リードタイムが長くなる。かりに原材料及びローレベルの部品はすべて常備品として在庫しておいたとしても、加工・組立工程が入るため、やはりリードタイムは受注組立生産よりも長くなってしまう。

この違いはちょうど、昔からの鰻屋と、現代風の食堂のようなものだ。古風な鰻屋は、客の注文をきいてから、鰻をさばきはじめる。それから串をうって、蒸して、焼いて、タレをつけて、丼やお重に盛って、と工程が続く。注文してから出てくるまで3, 40分かかるのが普通だから、客はその間、つきだしと小料理か何かで酒を飲みながら待っている。とおろが現代の客はそんなに悠長ではない。したがって、鰻丼のメニューを出す食堂では、先にさばいて白蒸しにする工程まで済ませ、在庫しておくのである。注文が来たらタレ焼きにして盛付けて、すぐ「お待ちっ」と出せる。この現代風のやり方こそ、『受注組立生産』なのである。

受注組立生産を英語では普通、Assemble to Order=ATOと呼ぶ。受注組立生産は、在庫リスクをある程度抑えながら、短い納入リードタイムを実現できる。Dell Computer社は、このやり方を同社のネット直販方式と組合せ、受注当日出荷・翌日配送(地域によるが)を売り物にして大いに市場シェアを取った。Dell社がこのやり方を、あえてBuild to Order=BTOと呼んで違いを強調したこともあって、今日ではBTOという用語の方が広く普及しているようだ。

先日の「工場見学ほど面白いものはない − K歯車工業に学ぶ」で紹介したK社も、標準歯車に若干の追加工を施した『追加工品』を収益の一つの柱としている。標準歯車は、工場で見込生産して、常時ストックを数千種類持っている。そして、客先からのオーダーにしたがってボスだとか穴あけだとかの追加工を行い、当日出荷する。この「受注当日出荷」の能力を競争力の源泉として守るために、あえてトヨタ系のやり方に固執するJITコンサルタントと喧嘩してでも、受注時間帯の制限を設けなかったというエピソードこそ、BTO方式の価値を象徴している。

現代風の食堂のみならず、カウンター式の鮨屋やラーメン屋の屋台なども、みなBTO方式である。つまりBTOは、「一人屋台生産方式」と非常に親和性が高いのだ。

むろん、古風な鰻屋の場合でも、生きた鰻という原材料だけは、ストックしている。注文を聞いてから、おもむろに川に釣りに行く鰻屋はいない。そういう点では、繰返し受注生産と受注組立生産の違いは、どの段階の部品材料をストックするかの違いとも見える。

そもそも原材料から製品までのサプライチェーンを考えた場合、たとえば鉄鉱石からはじまって、それが銑鉄になり鋼板になり、裁断・折り加工を経て板金の部品になり、さらにそれが組み立てられてパソコンのボディとなり・・という長い連鎖を持つ。このサプライチェーンのうち、最上流は必ず見込生産で進められる(それがたとえば鉄鉱石の採掘である)。一方、最下流は、マーケット・インとマス・カスタマイゼーションが主流の今日、ほぼ確実に受注生産となっている。この、見込(プッシュ型)と受注(プル型)の接合点が、すなわちその部品の最大の在庫ポイントとなる。この点を、「カップリング・ポイント」と呼ぶ(日立製作所の光國氏の命名による)。

だから、古風な鰻屋(繰返し受注生産)と現代風の食堂(受注組立生産)との相違点は、単にカップリング・ポイントの違いだけのように思えるかもしれない。ところが、そうではないのである。なぜなら、両者では、蒲焼きのが違うからだ。

いや、これは冗談で言っているのでは無いのである。鰻は白蒸しにして置いておくと、時間が経つうちに、風味も歯ごたえも抜けていってしまう。だから、味で比べたら、古風な鰻屋の方が普通はずっと美味しい。

つまり、在庫という行為は、それ自体にいろいろな制約があるのである。だから、繰返し受注生産の在庫ポイントだけ移動すれば、すぐBTOに移行できるかというと、そうはいかないのである。BTOを実現するためには、組立すべきサブモジュールが、在庫可能で、簡単には劣化せず、ひどく場所ふさぎでもなく、かつ種類が無制限に増えない保証がなければならない。

とくに最後の条件は重要である。たとえば、工業用の熱交換器を考えてみてほしい。圧力も、流量も、使用条件も、流体の温度や腐食性も、非常にバラエティに富んでいる。組合せの数をちょっと考えてみても、かるく百万種くらいはいきそうだ。大きさも伝熱能力によって千差万別、数十cmから数十mまでありえよう。そのための主要部品を全部そろえて在庫しておけるか? とうてい無理である。

熱交換器のような種類の製品では、主要な仕様のバリエーションを、限られたモジュールの組合せだけではうまく表現できない。パソコン製造でできることが、熱交換器の製造ではできない。これは、パソコンという製品の設計思想が、そもそもモジュラー化した機能部品の組合せとして出来上がっているから可能なのである。

製品の設計を、比較的少数の単機能型のモジュールの組合せで表現しようという考え方を、『モジュラー型の製品アーキテクチャー』と呼ぶ。これに対して、個別部品の細かなバリエーションの組合せによって表現する考え方を、『インテグラル型の製品アーキテクチャー』と呼ぶ(インテグラルを日本語では「すり合わせ」ともいう)。BTOは明らかに、モジュラー型アーキテクチャーを要求するのである。もし、ある製品をBTO生産形態で作りたければ、その製品アーキテクチャーから考え直さなければならない。これが、繰返し受注生産とBTO(受注組立生産)の第二の、そして一番重要な相違点なのだ。

BTOの工場と、繰返し受注生産の工場とでは、レイアウトがかなり異なる。それは、部品在庫の量や種類や工程の数が違う以上、当然のことだ。“部品表(BOM)を見れば、工場を見なくても、そのレイアウトがだいたい分かる”と拙著「BOM/部品表入門 」に書いたのは、このような理由による。もちろん、BOMを見れば、リードタイムもだいたい想像がつく。

より良い工場を計画するためには、製品アーキテクチャーすなわち製品の設計思想まで立ち返って、再検討する必要がある。意外かもしれないが、これが生産システムにおける真実なのだ。だからこそ、設計と生産技術と製造の各部門の間に、お互いに十分な対話が成立するような、闊達な社内マネジメントが大事なのである。

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工場計画論(6) ディスクリートとプロセス−−製造業の分類学 (2010/06/22)

何年も前のことになるが、電子調達のサイトの仕事をしていたときに気づいたことがある。それは、「物品が先か、仕様が先か」という問題だ。ちょっと抽象的で、分かりにくい問題設定だとは思う。というのは、まずモノが現実の中に存在していて、それに属性がある、という風に、たいていの生産管理や販売管理のシステムでは考えている。そして、それを表現するために、「品目マスタ」とか「マテリアル・マスタ」という技術データ管理のマスタファイル(データベース)を実装しているのが普通だからだ。

ところが、いざ調達管理の分野に関わってみると、奇妙なことに気づく。いわゆる電子商取引のためのサイト(Amazon.comみたいな)には、電子カタログの機能が必須である。カタログを開けて、消費者がほしい商品を注文する、みたいな仕組みだ。ところが、こうした仕組みは、本だとか家電製品、化粧品だとかいった見込生産の消費財には、まあ適しているが、生産財の世界に踏み込むと、とたんにうまくいかなくなるのだ。

たとえば、コンデンサだとかフランジだとかいった、工業規格で決まっている汎用品は、まだしも製品カタログの仕組みに載せることができる。ただしカタログ数がやたら膨大になるきらいはある(『工場見学ほど面白いものはない − K歯車工業に学ぶ 』参照のこと)。しかし、これがケーブルだとかシートだとかいった「切り売り」する材料の場合、さらに工業用ガスや燃料油といった液状製品になると、次第に始末に負えなくなる。こうした製品は、三つのやっかいな特性を持っている。第一に、規格がブロードで、特性にいろいろな幅があること。第二に、異なる製品を簡単に混合できてしまうこと。そして第三に、購入量によってボトルやボンベといった荷姿が変わることだ。

生産財の調達はB2B(Business to Business=企業対企業)取引で行われる。多くの場合は、ユーザすなわち購入者が、細かな仕様(特性上の要求事項、たとえば純度だの発火点だの粘性など)を指定する。つまり、同じような品目に見えても、顧客の用途によっては適合したりしなかったりして区別が必要になるのである。それでは、性状の異なる製品をタンクの中でまぜちゃったらどうなるのか? おまけに、(ミネラルウォーターを見れば分かるように)1リットルと5リットルでは、まったく別の容器に入っている。これらは、同じ製品なのか、別の製品なのか? もし「同じ」だとしたら、“じゃあ今日は12リットル持ってきてくれ”と注文を受けたとき、どう引当するのか? もし「違う」ならば、“5リットルが在庫にないときは、たとえ1リットルが5本あっても、欠品状態になる”という状況が出現しないか? 

こうした問題を解決するためには、頭の中を切り替える必要がある。売り手の作った「製品のカタログ」があるのではなくて、買い手のほしい「仕様のカタログ」があるのだ、という発想をすべきなのだ。このことに気づいたとき、はじめて私は、ディスクリート系のマテリアル・マネジメントと、プロセス系のそれに、根本的な違いがあるのを理解したのである。

工場を分類する方法はいくつかあるが、その代表的な区分の一つが、「ディスクリート型」と「プロセス型」である。ディスクリート型とは、自動車工場や電子製品工場など、いわゆる組立加工型の工場である。プロセス型とは、化学プラントとか製油所といった、反応と合成を主体とする工場である。だが、その両者の最大の違いは何かというと、非常に単純なこと、すなわち「扱う主要な原材料・製品が固体か流体か」にある。固体ならば、ディスクリート、流体ならばプロセス型になる。

固体と液体なんて相対的なものじゃないか、液も冷やせば固体になるんだし−−そう思う人もいるだろう。だが、固体になったら混ざらないのだ。混ざらないということは、属性が固定されるということである。赤ワインと水を混ぜれば、その比率によって透明から赤まで、連続的に好きな色がすぐに作れる。何かマテリアルの種類を特定したければ、その色によって特定するしかない。つまり、固体は「モノに仕様が付属する」のに対し、流体は「仕様がモノを特定する」のである。

ほかにも、固体と流体とでは、ハンドリング上、異なる点がいろいろある。
(1)ロットサイズ: 固体ではほぼ決まっているが、流体では決め方は無数に可能
(2)中間在庫: 固体はいつでもストック可能だが、流体はタンク等の特殊設備が必要
(3)製造装置の連続運転:固体では稼働・休止は自由(モノを自由に置けるため)だが、流体では連続運転が原則(止めるにはパイプの中の流体も全部どこかにはき出す必要がある)
(4)搬送設備:固体ではAGV等、複雑だが必須ではないのにたいし、流体は配管+ポンプで輸送するため、単純だが必須になる

こうした性質は、工場のプランニング、レイアウト、在庫計画、入出荷計画、生産計画とスケジューリングなど、さまざまの面で根本的な差違を生む。簡単に言うなら、プロセス型の工場は、機械装置間が密結合されているシステムになっている。Aという工程から運び出された流体は、(そこらへんに積んでおく訳にはいかないから)すぐさま下流工程のBに、配管とポンプで輸送する必要がある。両者は、別々に運転するわけにはいかない。だから、制御も集中型になる。

これに対して、ディスクリート型工場は、粗結合のシステムと言えるだろう。加工機械をフロアにぽんぽんと適当に配置しても、それなりに工場としては機能する。なぜなら、A工程で生み出された仕掛品は、すぐB工程に持ち込まずとも、そこらへんに好きに積んでおくことが可能だからだ。

このような特性の違いは、すなわち工場設計論の違いをも生んでいる。プロセス型の工場では、全体が統合されたシステムであるから、システム・エンジニアが基本設計を行う(正確に言うと、プロセス・システム・エンジニアという職種がある)。そして、最初から最適化を念頭において設計していく。これに対して、私がこれまで見聞きした範囲では、ディスクリート型の工場は、システム・エンジニアという職種自体が確立しておらず(IT技術者とは別)、個別の工程が局所最適風につくられてしまう傾向が強いように感じられた。

さて、幸か不幸か、日本の製造業の花形業界(自動車・電機とその周辺)はディスクリート型である。そのためか、日本の工場を見ると、どうも局所最適・粗結合、つまりあちこちにアンバランスと無駄のある設計に気づくことが多い。あそことか、こことかを改善すれば、5%くらいは生産性が上がるだろうになあ、と傍目では思うのだが、ご当人達はベストの努力を尽くしていると信じている(局所最適型のエンジニアはだいたい、そうなりがちである)。

企業では5%生産性が上がったら(あるいは原価が下がったら)、かなり劇的に収益が向上するものだ。せっかくのそのチャンスを、活かせず無駄にするのは惜しいことである。だからといって、ディスクリート型の工場をプロセス型に転換するわけにはいかない(工場の構造は、主要工程の科学技術的制約によって決まるからだ)。でも、せめて、密構造の全体システム設計の視点を持ってほしいものだと、常日頃感じているのである。

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哀しい工場。 (工場計画論・番外編) (2012/03/18)

もう何年か前のことになるが、金融機関系の経営コンサルタントの知人から依頼されて、小さな工場を見に行ったことがある。知人は経営面の数字を見て提案の骨子を作ろうとしていたが、製造現場にもいろいろ問題がありそうだと感じたらしい。ただ化学系の工場は不得意なので、プラントもよく知っているわたしに手伝ってほしい、とのことだった。年商数十億の小規模工場なので、わが勤務先の仕事につながる可能性は少ないかとも思ったが、出かけていった。

住宅地にほど近い県道沿いに、その工場はあった。敷地内に数棟の工場建屋がたっている。その一棟の中にある事務室にわたし達は通された。副工場長や製造課の方々から、まずどんな製品を作っているのか、どんな工程から製造されるかの概要を教えてもらい、それから工場を一巡りする。これはどこの工場を見学する際も同じである。ただ、そのときの「一巡り」の順路が、最初のポイントになる。工場全体の分かりやすい配置図があって、工程の順番どおりに見せられるかどうか。複数の製品ファミリーがある場合(日本の製造業はどこも多品種少量生産を強いられるため、たいていそうなる)、製品別にブロック化されているのか、それとも設備・工程別か。また上下階はどう使い分けるか。こうした点に、生産マネジメントの設計思想が現れるからだ。

残念ながら、この工場の設備配置はばらばらで、製造の動線があちこちで交錯していた。土地代の高い日本の工場はどこも、多層階の建物の中に設備・装置をおしこめなくてはならない。前にも書いたが化学工場は工程間が密結合で、配管がメインの輸送手段だから、装置のレイアウトが経済性に大きく響く。だがここはたぶん、業容拡大期になりゆきで建物を増設し、製品種類の拡大とともに装置を入れやすい場所に据え付けた、という感じだ。しかしもっと驚いたのは、製造作業環境だった。製品性状にきびしいはずのファイン・ケミカル材料を、蓋のない攪拌槽の中で作っている。しかも部屋を気密にし空調をコントロールしている訳でもないので、窓から埃が飛びこんできてもおかしくない。品質問題はありませんか、と聞くと、「それが悩みなんです」との答えがかえってきた。

品質もさることながら、労働安全面も相当なものだった。無機化学で、個体や粉体、強酸などを扱う工場なのに、作業台の高さと搬送台車の高さが合っていない。人がかがんで手で持ち上げている。あれでは腰が辛そうだし、こぼす危険性だってある。中でも一番驚いたのは、強酸性流体の配管が、人の行き来する場所の真上を、ろくな支持もトレーもなしに通っていたことである。配管材の摩耗で中身がリークしたらどうするのか? 今どき、21世紀の日本にこんな工場がまだあるなんて信じられない。見学を終えて事務室に戻ったとき、思わずため息をついてしまった。

まあ、建物の配置自体は変えようがないにしても、物流動線を整理し、空調もきちんとし、適切な装置や治具を考案すれば、多少時間はかかるだろうが、おそらく生産性は10%近く上がるにちがいない。比例して製造コストも下がり、利益もまた出てくるだろう。化学会社出身の、自営コンサルタントの先輩を紹介して、少し地道にやってもらうことにしようか。そう考えて、見学後の質疑応答にのぞんだ。

製品種類や需要の動向、従業員数などの話がすんで、わたしに順番が回ってきたとき、いつもの質問をした。「代表的な製品の製造リードタイムを教えてください。それと、原材料・中間品・製品の在庫量はそれぞれどれくらいありますか?」

いうまでもないことだが、製造リードタイムと在庫量は表裏の関係にある。受注生産の会社では(この企業のように下請の中小はほぼ全て繰返し受注生産型である)、顧客がリーズナブルな納期を与えてくれる限り、基本的に製品在庫はゼロになる。『リーズナブル』とは、製造リードタイムよりも長い納期、との意味だ。仕込みから仕上げまで1週間かかる製品を、電話で「明日持ってこい」という顧客ばかりが相手なら、最低でも1週分の製品在庫を持たなければ、商売はやっていかれない。では、納期を1週間くれる顧客ばかりなら在庫ゼロになるかというと、そうではない。多品種を切り替えて作っている場合は、注文が来ても装置が空いていないことも多いからだ。でも、1週間で製造できる製品の在庫が、2ヶ月分も3ヶ月分もあるとしたら、何かがおかしいことになる(たぶんロットサイズが大きすぎるのだ)。

また原材料在庫について言えば、原材料の手配から納入までのリードタイム分は、常備しておくのが基本である(そうしなければ途中で品切れが生じる)。ただ、たまにしか使わず、納入が早い原材料は常備せずに都度の手配で良い。何を常備し、何を都度手配にするか。原料でおいておくのか途中まで加工して中間品としておくのか。ロットサイズをどうするのか。こうした事項には、需要(販売)の『読み』と生産の『決断』が必要になる。つまり、ちょっと大げさに思われるかもしれないが、リードタイムと在庫量を質問することは、生産マネジメントの基本方針を問う事なのである。

ところで、この会社の回答は、「在庫量と原料価格についてはお答えできません」だった。それは親会社からの指示らしかった。親会社は専門商社で、できた製品の営業・販売もうけもっている。ここは製造子会社で、言われたモノだけを言われたとおり作っているのだ。そればかりではなく、重要な原材料(貴金属の一種)の購買も親会社が取りしきっているらしい。相場商品だから秘密、という訳なのだろう。

しかし、原価構成が大まかにでも分からなくては、コンサルティングはやりようがない。コンサルティングとはつまり、問題解決の手伝いであり、問題の優先順位の整理だからだ。本案件は結局、仕事にはならなかった。

いっぱんに日本の製造業の苦境を批判する人は、まず経営者の資質を問題にすることが多い。つまり、"Who"の問題である。それから、魅力ある製品を開発できないことを指摘する。"What"の問題である。しかし、わたしには、あの実直そうな副工場長の人材の問題だとは思えなかった。あの人は、親会社から派遣されたトップの指示どおり動いているだけだ。同時に、この会社はそれなりにファイン製品を開発している。技術開発部門には、大卒の良い人材を一応つぎ込んでいるのだろう。WhoやWhatの問題ではない。日本の製造業への主な批判は、あとは立地つまり"Where"の問題だろうか。こんなに円高では海外に出るしかないはず、と。でも、この会社の顧客はすべて国内であり、安い輸入品と競争させられているのでもない。

Who(経営者)もWhat(新製品)もWhere(立地)も、かなりマクロな問題である。しかし、たいていの工場の中核問題は、生産マネジメントというミッド・スケールにある(『製造業の問題はミッドスケールのシステムで生じる』参照)。それは、ものをどう作るかという"How"の問題である。どう作るかと言っても、製造手順やレシピのことを指しているのではない。どう需要を予測し、何をどれだけ手配し、いつ、どれくらいのロットサイズで作り、どこにどうやって運び保管するのか、という問題だ。このHowの上手下手だけで、原価は5%くらい変わるだろう。何よりも、Volatileな需要の変動に対する追随性や安定性が向上する。ただなりゆきでモノを作っていても製造業は一応なりたつが、外部環境が変化したらひとたまりもない。

ただ、こうしたミッド・スケールの能力は、直接は見えにくく、測りにくい。それは最終結果として、リードタイムや在庫量、あるいは労働災害統計や離職率といった数値にあらわれてくるのみである。工場を見学するとき、これら数値が大事なのはそのためだ。

昨年の震災の時、この工場は大丈夫だったのだろうか。働いている人たちの頭の上から危険な液体が降り注いだりしなかっただろうか? 操業停止するような大きなダメージは受けなかっただろうか。働いている人たちはみな、真面目そうな方ばかりだった。危険な職場とはいえ、急に仕事がなくなったらもっと困るだろう。わたしが他所でこんな心配をしても、何の役にも立たないことは知っている。しかし、経営する母体が、「新製品」や「相場」や「リーダーの人材」だけが利益の源泉であると信じている企業なら、そこが工場であろうとなかろうと、じつは誰もが同じ問題に直面しているのである。

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なぜアメリカに海外工場を展開しないのか? (2014/04/07)

デンバーでの仕事を終えたわたしは、テキサス州ヒューストンに向かった。最近開設したばかりの新しいオフィスで、グループ企業の幹部と打合せするためだ。全米のOil & Gas業界のメッカであるヒューストンは現在、非常な好景気にわいている。もちろんシェールガス革命のおかげである。米国の経済状況はまだら模様で分かりにくいが、少なくともエネルギー関係の産業は活況であり、そのためプラント系エンジニアも人手不足状態になりつつある。

シェールガス革命については、いろいろな事がいわれているが、的外れな解説も日本ではときどき見かける。Oil & Gasの分野の用語や技術が、分かりにくいからだろう。当サイトで1年ほど前に『シェールガス革命と、天然ガス価格のゆくえ』とう記事を書いたが、その後の情勢などは、いずれ項を改めて書こうと思う。しかし今回は、別のテーマである。それは、なぜ日本の製造業は、海外に工場展開を考えるとき、中国だとか東南アジアばかりに目を向けて、アメリカを考えないのか? という率直な疑問だ。

これについては、昨年の夏に、わたしの属する「生産革新フォーラム」(MIF研)で、米国の製造業に詳しいTPMコンサルタントの田尻正治氏をまねいて講演いただいたときにも、感じたことだ。そのときは、米国視察から戻ったばかりの本間峰一会長もいたので、ちょっとしたミニ・シンポジウム風の議論になった。日本の製造業の海外展開については、本サイトでも何回も書いてきたが、工場作りのプロの目から見ると、疑問を感じることも少なくない。

最近は何やら経済団体がメディアと組んで、「グローバル戦略うんぬん」のタイトルのもと、セミナーを開いて中堅中小の経営者を集めては工場の海外移転をあおり、それに官庁がお金をつけたりする光景も見受けられる。経済メディアは客さえ集まればそれでいいのかもしれないが、ブームやムードや流行のバズワードを追うだけではなく、少しは多面的な分析報道もしてほしいものである。

多面的とは、どういう意味か。それは、工場経営から見た立地論の多面性である。かりに、ある企業にとって、国内の工場のメリットが落ちてきて、生き残りや成長のため海外に工場展開を考えたとしよう。では、工場立地を選ぶのに、どういう評価の観点があるのか。自社の生産拠点を一つ作るのである。「人件費が安いから」「主要取引先の大手企業に促されたから」「周りがみんな出て行くから(=バスに乗り遅れたくなくて)」などの理由だけで決めるべきことではない。自分の車を買うときだって、値段だけでなくスピードや排気量や加速性や燃費やデザイン、サイズ、居住性まで、様々な評価軸を比較しながら決めるではないか。自宅を買うのだって、広さ・値段の他に周辺環境、通勤の距離、交通利便性、教育環境etc.を考える。生産拠点だって同じである。

たとえば、誰もが真っ先に考える(らしい)人件費について見てみよう。JETROが毎年行う「アジア主要都市・地域の投資関連コスト比較」の昨年の結果が、雑誌『ジェトロセンサー』(2013年5月号)に出ている。わたしはその中のあるグラフを見て驚いた。マネジャーの月額基本給の国別比較で、香港・シンガポール・ソウルなどはすでに一部で那覇を抜き、横浜に迫っているのである。製造業と非製造業で多少の差はあるが、3,000〜4,000ドルのラインを超えてきている。ちなみに「マネジャー」は営業担当課長クラスを指す。つまり、中間管理職層の人件費はもう日本を追い抜きつつあるのだ。(念のために書くが、この調査は2013年1月時点で、このときまだ1米ドル=91円だった。今の換算レートではさらに15%近く上がっているはずだ)

もちろん、作業員(一般工)の基本給ではまだまだ差は大きい。横浜が月額3,300ドルに対して香港・ソウルでも1,600〜1,700ドル程度だから半分だ。だが、工場という仕組みは、一般工だけで回るものではない。工場がきちんとシステムで動くためには、ちゃんとしたマネジャー層が絶対に必要である。その人件費が日本に迫っているということは、日本企業の給与体系ではもう、この先、良いマネジャーを雇えなくなることを意味する(日本の本社の管理職よりも高い給料を、現地の同じ等級の社員に喜んで払える企業は少ないだろう)。自立した生産拠点として機能していくためには、自社の管理職の給与体系も再考する必要がある。

管理職は日本から派遣するからいい? そうはいかない。駐在員用住宅借上料は、中国の各都市を含め軒並み月額2,000〜4,000ドルである。日本人の給料がちょうど倍になる勘定だ。事務所賃料も、香港は別格に高く、また北京・上海・大連・ソウル・シンガポール・ハノイ・ヤンゴン・ムンバイ、いずれも横浜を抜いている。一般用電気料金も、「日本は世界一高い」と言われているが、データを見ると、高い都市は日本並みに高い。電気の供給品質の差を考えたら、日本の方が安いくらいだ。(もっとも製造原価に占める電気代の割合は、4つの特別な業種を除くと、そもそも小さなものだ。だから、原発を止めると電気代が高騰して、日本の製造業が空洞化するというのは、データから見る限り誇張だろう)

少し話を戻すが、工場立地を考える際の評価軸は、決して労働者人件費だけでないことは分かっていただけただろう。ちょっと考えただけでも、以下のような項目があげられる:

A 人間の能力と資質

(1) マネジャー (2) エンジニア (3) 労働者

B 組織力とビジネス文化

(1) 社内教育 (2) 新しいことへの信任 (3) 転職(ジョブ・ホッピングの程度)

C コスト項目

(1) 土地代 (2) エネルギー価格 (3) 原料資材価格 (4) 水の価格(水の質的・量的供給水準も含む)
(5) 物流費 (6) 駐在生活コスト (7) 給与水準

D その他外部環境

(1) サプライチェーン (2) 治安(政治的安定を含む) (3) 通貨の安定性・通用力

これらの項目のどれが重要で、どこにウェイトを置くべきかは、その企業の業態と、とるべき戦略によって当然異なる。一概に他人が決められるものではないし、当然、他の会社がどうやっているか、は関係ないことだ。

それでは、上記の項目について、アメリカという国はどうなのか。田尻氏の意見や、わたし個人の経験などからまとめると、以下のようになる。

「A 人間の能力と資質」であるが、アメリカのエンジニアは概して真面目かつ理詰めなタイプが多い。彼らの特徴は、論理的説明+成果を見せることで、自分から動くようになることだ。この点、日本の技術者は優秀だが職人気質であり、残念ながらしばしば頑固でチャレンジや変化を嫌う。中国・東南アジアは、優秀なエンジニアとそうでない者の落差が激しいが、まだ全般的には日米のレベルには追いついていない。

労働者については、アメリカの労働者は機械さばきが上手である、という特徴がある。これは少し意外だろうが、田尻氏によると米国の労働者は農家出身者が多い。そして、あの国の農家は車でも農機具でも、自分で直しながら使うのが常識であり、DIYセンスのかたまりなのだそうだ。日本や他のアジアの国では、労働者は手先が器用だが、そのかわり機械にはやや弱い。マネジャーの資質・能力の差については、ここでは論評を控えておこう。もちろん、日本が世界で最優秀(笑)なはず、である。

「B 組織力とビジネス文化」であるが、米国企業文化の特筆すべき点は、新しいことを積極的に試そうとする意欲が高い点だ。つまりイノベーションのポテンシャルが高いのである。日本は、率直に言って、「ブランド信仰」「横並び志向」のようなものが強く、挑戦よりも失敗を避けることが優先されるきらいがある。

転職についていうと、意外に思われるかもしれないが、アメリカの製造業では日本で思われているほど簡単には転職しない。同じ企業で10年、20年働き続ける人が多く、それこそ親父や祖父の代から同じ職場で働いている、という人だっている。もちろん変転の激しい金融業界・IT業界などではホワイトカラー層に転職も多いが、少なくとも中国や一部の東南アジアのような、労働者の激しいジョブ・ホッピングに悩まされる国柄ではない。その分、社内訓練の蓄積効果も高い。もちろん、アメリカはルールとシステムで仕事を動かす国であって、日本のような手厚い社内教育は必要ない。(そのかわり、きちんとルールとシステムを設計しないと会社は回らない。日本人得意の、すり合わせと浪花節とあうんの呼吸では、組織は動かぬ)

「C コスト項目」についていうと、土地代、エネルギー価格、物流費いずれも、日本に比して圧倒的に安い。資材は種類にもよるが日本よりはおおむね安い。金属素材・化学品などはいずれにせよ国際相場で決まるわけだが、水も豊富で質が良い(ユーラシア大陸は水質は良くない)。駐在生活のコストも、アジア諸国に比べてひどく高いわけではない。むしろ、日本人子弟の教育のことを考えると、総合的には安いかもしれない。

たしかに人件費の給与水準を比べると、労働者もマネジャーも、日本同等か、あるいはそれ以上かもしれぬ(とくに最近の円安状況では)。ただし供給力は大きい。そして、アメリカのマイナス点はほぼここだけである。「D 外部環境」としての治安の良さ、サプライチェーン面(市場の大きさと近さ)、基軸通貨の力、そして上記A, Bにあげた項目などを考慮すれば、全体にはかなりプラス点が大きいことが分かる。

労働者の賃金についていえば、製造原価報告書のうち、どれだけが直接労務費であるかをまず、考える必要がある。というのは、製造業の総合的な労働付加価値生産性は、労働装備率(一人あたりの生産設備資産)にかなり左右されるからである。たとえばシェールガス革命を見れば分かるとおり、エネルギーや化学は典型的な「装置産業」であり、労務費比率は小さいから、米国で十分ペイするのである。

ちなみにアメリカ立地に向いている業種として、田尻氏が指摘していたのは、自動化・機械化の進んだ産業であり、具体的には以下のようなものだった:

半導体、ガラス、機械部品、鋳物、テキスタイル(紡績)、食品、医薬品、化学など

逆に、向かない業種だってある。たとえば、縫製、電気製品最終組立など、労働集約的な工場である(こうした産業は、すでに米国から外に出てしまっている)。

いうまでもないが、わたしは何もアメリカが全て良く、中国や東南アジアがだめだと主張してるのではない。工場の立地戦略は、きわめて総合性の高い、多面的な観点から検討すべきことである。それは流行や促しで決めることではなく、各社それぞれが熟考して決めることだ、と言いたいまでだ。何よりも、事前の十分な情報収集が大事である。必要ならば、それを助ける専門家や、支援する公的仕組みなども存在する。そして、イメージや偏見にとらわれずに、総合的・多面的に分析すること。それこそが経営の仕事ではないか。

あるいは、熟慮の結果、やはり日本にとどまるのが最善だという結論になるならば、それでももちろん良い。誰でも、自分で決めて自分で結果を引き受けるのである。それが自由経済というものだ。そんなことを、テキサス南部のだだっ広い平地を走りながら、わたしは考えていた。

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工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法 (2016/07/18)

工場見学ほど面白いものはない。なぜなら、工場はそれ自体が大きくて複雑なシステムそのものであり、そのシステム作りに各社独自の工夫も盲点も現れてくるからだ。−−そういう意味のことを、これまで何度も書いてきた。また、すでにお知らせしたとおり、来る7月20日(水)に「生産革新フォーラム」(通称「MIF研」)で『上手な工場見学の見方・歩き方 〜エンジニアリング会社の視点から〜』というタイトルでお話ししたいのも、その点だ。だが、もう少し具体的に、わたしがよその工場を訪問したら、最初にどこを見るかについて書いてみたい。

ものづくりの方式やプロセスにはいろいろバリエーションがあるが、機械組立加工系を例にとると、だいたい次のような工順(工程順序)をふんでいる:

 材料受入 → 部品加工 → 組立 → 検査 → 梱包出荷

この途中に通常、「在庫保管」も入るが、どこに入るかは工場の方針次第のため、ここでは省略しておく。

効率的で作業しやすい工場設計・レイアウトを考える場合、上記の5つの作業を行うワークセンターを、どこにどう配置するべきかが問われる。普通、工場は建屋の中に入っているから、建築面における空間設計と、生産技術面での機械配置の折り合いが必要になる訳だ。これは日本国内の既存の工場の場合も、海外に新工場を作る場合も同じである。

とくに土地代の高い日本や、一部のアジア都市近郊部では、敷地面積が限られるため、どうしても工場は2階建て以上の多層階構造になる。すると、どの階にどの工程を配置するかで、頭を悩ませることになる。

このレイアウトを考える際、制約条件が一つある。あまり重い機械・装置は、上の階に乗せたくない、という制約だ。建築には、床の「耐荷重」という概念があり、m2あたり500kgとか1 tonとかいった数字で表す。これが大きくなればなるほど、当然ながら構造に剛性を持たせなければならない。柱や梁は太くなり、床・スラブは厚くなり、斜めにブレース補強なども必要になるだろう(慣れた人になると、柱・梁の太さや配置を見ただけで、耐荷重がどれくらいの値か見当をつけることができる)。つまり、「耐荷重=建設コスト」なのである。だから、あまり重たいモノは、2階以上には配置したくない。

ところで多くの場合、「部品加工」の段階はかなり加工機械・装置を使うことになる。プレスマシンだとかマシニングセンターだとかFMSだとかいった大型の機械装置である。そして重い。他方、組立作業とか検査作業は人間の手作業が中心だ。だからそれほど大がかりな機械はいらない(せいぜい搬送用コンベヤ程度だ)。

こう考えると、自然、部品加工のワークセンターは1階に置き、組立・検査工程は2階以上に配置しよう、という方針が出てくる。実際、わたしが見た日本の多くの機械系工場は、こういう発想でレイアウトされている。

ところが、ここに問題が一つ生じるのだ。それは「モノの流れ=動線」の問題だ。

いうまでもないが、外部から購入した原材料・部品は、トラックで運んでくる訳だから、当然1階に受入口を持つことになる。また自社で生産した製品も、トラックに載せて搬出する訳だから1階に出口がいる。いきおい、出荷梱包のスペースも1階におくことになる。かくて、モノは1階から入って、加工され、途中で2階以上に持ち上げられて組立・検査を受け、また1階におろされる。縦方向の物流動線が、最低でも往復2パス必要になる。

それだけではない。上ではワザと省略したが、「在庫」の位置の問題がある。倉庫という設備も、かなり重たい代物だ。だから、上層階に大きな倉庫を置くと、金がかかる。いきおい、原材料倉庫も、中間品倉庫も、製品倉庫も、1階におくことになる。じゃあ、工程間に生じる仕掛かり在庫は? 物量にもよるだろうが、多ければやはり1階になる。

かくて、複数の上下動線が必要になる。エレベーターを使うにせよ、ダムウェイターや垂直コンベヤを使うにせよ、上下階を貫通する位置が建築上必要になる。いきおい、各階のレイアウトが制約される。そして物流動線が複雑化する。

それだけではないのだ。もっと深刻な問題は、モノの流れが見えにくくなって、どこで何が滞留し、どの工程で問題が生じているのかが分かりにくくなってしまうことだ。ちょっと想像してみてほしい。あなたの家の台所が、上下2階に別れているとする。1階には流しや冷蔵庫が、2階にはコンロや電子レンジや盛りつけ場がある。かりにその間はオシャレな螺旋階段か何かで結ばれているとしても、いかに非効率かわかるはずだ。この非効率を、工場規模で実演しているのが、日本の多くの工場なのだ。まあ、そうした非効率に気づかずにいる“シアワセな人”が工場長の場合も、よく見かけるが。

こういう問題が生じる遠因は、企業内の縦割り組織にもある。多くの会社では、製造機械は生産技術部門の所管だが、建物それ自体の発注は、総務部門の事務屋さんたちの管轄になっている。かくて、機械は機械、建物は建物で計画されて、全体を「システム」の効率の問題としてとらえる視点が欠けているのだ。

では、どう解決するべきか。よほどお金のある工場、あるいはクリーン度が必要とされて人手の作業を嫌う半導体や医薬品工場などは、「立体自動倉庫」を導入して、複数階からの出し入れ可能にするかもしれない。スタッカー式クレーンをもつ立体自動倉庫は、縦搬送と保管の両面の機能を持つすぐれた仕組みである。だが、高価だ。その上、これが故障すると(あるいは定期メンテに入ると)工場全体の機能が止まってしまう。だからバックアップの搬送の仕掛けが必要になる。さらに建築設計面から言うと、レイアウト上の大きな制約事項になる。「在庫が見なくなる」という理由で、これを嫌うJITコンサルも多い。

工場内の物流動線は、「流れをつくる」が基本である。モノの流れをつくり、滞留が見えるようにする。これが「見える化」の本流だ。なのに土地が狭く多層階の工場では、その実現が難しい。どうしようか。こういう点が、エンジニアの知恵や工夫の発揮すべき場所である。

この問題に対して、エレガントな回答を与えた例を一つ紹介しよう。東京近郊にある、N社の工場である。この工場では、セオリー通り、1階に重量の大きな加工機械設備を置き、1階に組立・検査エリアをおいた。工夫したのは、あえて2階に製品搬出口をもうけたことだ(念のために書くが、平地に建っている工場である)。これを可能にするために、建物の側面に長いスロープを周回させ、搬出用トラックが2階にアプローチできるようにした。原材料の搬入口は1階にした。原材料倉庫も1階だ。

ところで、この工場は多品種少量の受注生産形態だ。ただし部品はGT(グループテクノロジー)を応用し、NCでロット加工をする。だから、組立工程との間に、必ず中間部品の在庫が発生する。そこで、1階と2階を貫通する形で、小規模な立体自動倉庫を置き、ここを中間部品倉庫・兼・上方向搬送路とした。かくして、1Fの受入から2Fの搬出まで、流れができた訳だ。モノの見通しは、抜群に良くなった。

お分かりだろうか。これが工場の「システム・デザイン」なのだ。サプライチェーン上の要求と、機能要素(各工程)の関係と、空間配置の制約とを同時に解いて、人間が判断しやすく働きやすい仕組みをつくる。こういう設計思想の明確な工場を見ると、勉強になった、見て得したな、という気持ちになる。

ついでにいうと、この工場は、機械工場であるにもかかわらず、全館空調である。鉄骨スレートでは断熱性が悪いので、鉄筋コンクリート構造だ。そして空調のために、煙の出やすい切削油を全て水性にかえたという。当然、切削条件がかわってしまい熟練工のノウハウが生かせなくなる訳だが、快適な労働環境のためには当然という判断だった。こうした点が認められ、この工場は日本建築学会賞をとったときいている。

え? そんな素晴らしい工場なら、ぜひ見学してみたい? 残念ながら、もはや不可能だ。なぜなら、この事例は45年前のものだからだ。同じ敷地はまだ残っているが、業容拡大に伴って建物自体はかなりの増改築があり、元の姿は残っていない。ただ、世の中にはいまだ鉄骨スレートぶき、外気とツーツーで寒暖激しい労働環境の機械工場がゴマンとある。たとえ空調はあっても、動線は複雑、可視性は最低、そして欠品と納期遅れで右往左往、という工場だらけだ。もっとずっと前に、こうした先進事例の発想に学んでおけば、自社の改善にも役立っただろうに。

ぜ他の工場に学ばないのか? 先賢に学ぶことこそ、我々が成長する最大の近道ではないか。たしかに同業ライバルの見学はお断りという会社は多い。だが少しでもものごとを抽象化してとらえる能力さえあれば、別の業界の工場からも、学べる点はたくさんあるのだ。そして、(少しだけ宣伝めいたことを言わせてもらえば)多数の工場づくりにかかわってきた工場づくりのプロ=エンジニアリング会社の価値だって、そこにあるのである。

20日の研究会では、こうした点をお話ししようと思う。ちなみに、上に述べたN社の例は、解決法のひとつに過ぎない。機械組立加工系でも、別の解決法もあるのだ。それがK社の事例である。K社はどのようにこの問題を解決したのか? 興味を持たれた方は、ぜひ会場にお越しいただきたい。もしかしたら満席になるかもしれないので、ぜひ駆け足で(笑)。

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最適解を組み合わせても、良い生産システムは作れない (2016/07/25)

先週の7月20日に「生産革新フォーラム」で行った講演『上手な工場見学の見方・歩き方 〜エンジニアリング会社の視点から〜』には、幸い大勢の方が来場され、このテーマに対する関心の高さをうかがうことができた。そして同時に、「工場設計」という重要な仕事に関する、世間での情報源の少なさも、あらためて再認識することになった。工場づくりのポイントを学びたいと思っても、世の中には殆ど教科書・参考書の類いがないのだ。

たとえば、前回も書いたとおり、機械組立加工系の工場レイアウトには、やっかいな典型的問題がある。それは上下動線の錯綜と分断の問題である。「材料受入→部品加工→組立→検査→梱包出荷」という工程の順序のうち、前半の部品加工はしばしば大型で重い機械設備が必要になり、後半の組立検査は人手中心の作業である。だから、敷地の制約で二階建て以上の工場を計画する場合、重い機械を要する部品加工工程を1階におき、組立検査工程を上階に配置することが普通だ。重たい機械を2階以上に設置するには、床の耐荷重を上げなければならず、建築コストが上昇するからだ。

ところが、原材料搬入も製品出荷も普通はトラックで行うから、搬入搬出口は1階に設置する。そして倉庫も、(それが材料倉庫・中間部品倉庫・製品倉庫のどれであっても)重たいので1階におく。かくして、工場の中には、1階→2階→1階→2階→1階というような縦の物流動線が複数必要になる。そればかりでなく、生産の流れが複数フロアにまたがって分散すると、全体としてどこに滞留が生じているか分かりにくくなるし、どこかで問題が生じても、他のフロアは気づかずに操業を続け、結果として仕掛品の山とワークロードの不均衡を生み出してしまう。「流れをつくる・流れを見せる」が工場レイアウトの基本なのに、それにそむくことになるのだ。

この問題の一つの解決法は、前回ご紹介したN社の事例のように、製品搬出口を2階に持って行く方法である。1階から搬入した材料は1階で部品に加工する。そして2階で組み立てた製品は、2階から梱包出荷する。N社の場合、上流側の部品加工はNCを用いたロット加工であり、下流側は個別受注生産になるため、必ず中間部品在庫が生じる。そこで中間部品在庫用の立体自動倉庫を置き、自動倉庫に縦搬送機能を持たせることによって、工場全体の中に1階→2階という明確な流れをつくったのである。「入口と出口を分けて、流れをつくる」は物流倉庫の基本だが、それを工場全体で実現したのである。

もう一つの解決法が、講演で説明したK社の工場レイアウトだ。K社は我々が数年前に見学した、川口市にある歯車メーカーである。従業員数約200名、年商数十億 の中堅企業だ。K社の工場は3階建てだが、製品種別にしたがってフロアを分けている。大型歯車は1階で、小型歯車は2階で、それぞれ全工程を完結できるようにしてある。したがって、2階にも重量のある機械を置いている。建築の素人であるわたしの目から見ても、床の耐荷重は大きめの構造になっていた。 建築費が上がることは承知の上 でのレイアウトである。

だが、一つの品種の製造の流れが、フロア内で見通せることのメリットの方が、建築費の節減よりも大きいという判断があったのだろう。大変立派な判断だと、わたしは思う。K社を見学に行ったのはたしかリーマンショックの直後だったと思うが、急激な受注減を受けても、ちゃんと持ちこたえて経営されていた。「製造は労賃の安い中国で」というのが常識のごとくメディアで宣伝され、「日本の中小製造業は、大企業の新製品開発サポート業務くらいしか生き残る道はない」と経済産業省が勝手に決めつけていた時代を、ちゃんと生き延びているのだ。

じつは、K社を良く知る知人の指摘によると、K社にはもう一つ首都圏に工場があり、そちらは何とN社と同じような、2階搬出口によるレイアウトになっているという。同社にはこの他にも、学ぶべき立派な事がいくつもあって、講演でもその一端を紹介した。まともな工場を作り、まともな方針で経営している企業は、サステイナブルに事業を継続できるのだと、強く印象づけられた工場見学だった。

それにしても、N社やK社などの創造的な中堅企業ではずっと前から実現できているレイアウトが、なぜ全国の大企業の工場ではできていないのだろうか。工場の規模が違いすぎるから? わたしはそうは思わない。というのは、現代日本ではどこの製造業も、多品種少量生産を否応なく迫られていて、個別の製品群で見ると、そんなに巨大大量生産の工場というのは無いからである。大企業には創造性の高い人材が少ないから? いや、中小企業の経営者たちは口を揃えて、優秀な学生は大企業にばかり入りたがる、というであろう。

わたしは、「部門の縦割り(サイロ化)の弊害が、非効率な工場設計を生んでいる」のではないかと疑っている。企業が大きくなればなるほど、組織構造は立派になり、分業が進み、それぞれの部門が明確な責任範囲を受け持つ体制が発達する。小さな企業では、一人がいろんな事を見なければならない。だが大きな組織では、守備範囲にしたがって、工場づくりなどの仕事も進められる。

そのような分業体制の中で、「各人がその持ち場で最善を尽くす」ことにより、企業全体として最良の結果を得る。??これが一般に信じられている原則だ。たとえば、工場設計においては、機械類は生産技術部門が、建物は総務部門が担当するケースが多い。機械は最高のパフォーマンスのものを導入し、建物は最も安価で堅牢なものをつくる。かくして素晴らしい工場ができあがる、はずである。

しかし、そうではないのだ。N社やK社の例を見ればわかるとおり、建設費の点ではむしろ、外周スロープや耐荷重などで余計なコストをかけている。とうてい最適解とはいえはない。しかし、ある部分ではあえて最適から外すことで、全体としては効率とフレキシビリティを兼ね備えた優れた工場(生産システム)に仕上がる。これが「システム」を設計する仕事の妙味である。なまじ分業化を進めると、こうした視点が消え失せてしまうのだ。

わたしの見た限りでは、日本のディスクリート型製造業における工場づくりは、典型的には次のような流れで進む。

(1) まず、生産技術部門の機械エンジニアが、製造工程の中核となる製造機械装置の基本設計を行う
(2) 続いて、生産技術部門が機械メーカーを選定し、そのメーカーとともに詳細設計を進める
(3) さらに、生産技術部門は資材部門の協力の下、汎用機など補助製造設備の選定を行う

ところで上述の通り多くの企業では、「建物は総務部門の管轄」という決まりになっている。そこで、

(4) 上の流れに並行して、総務部門は設計事務所をよんで、建屋の建築レイアウトをすすめる
(5) ついでゼネコンが入ってきて、建築の実施設計にむけた作業を続ける

ただし工場は建屋と製造機械だけでは成り立たない。保管用の倉庫や搬送装置など、物流搬送設備が必要だし、あるいは電力・水・圧縮空気などのユーティリティも必要だ。というわけで、

(6) 生産技術部門が、製造機械の設計を追う形で、物流搬送設備等の基本設計をすすめる
(7) ついで、生産技術部門が物流メーカーを選定し、そのメーカーとともに詳細設計を進める

で、その結果どうなるか。技術を良く知らない総務部門の事務屋さんが設計事務所に命じて描かせた、ガランドウの建屋プランの中に、生産技術のメインとサブのグループが、エンジニアの視点でそれぞれ選んできた機械設備を配置しようとする。答えはご想像の通りだ。きれいに収まる訳がない。しかたなく、それぞれ基本設計に戻ってやり直しとなる。かくて目に見えぬ無駄な時間が浪費されていく。

こうした再調整のリワークを避けるたければ、あらかじめ、機械 〜 建築 〜 設備の間の取り合い(インタフェース)に、かなり余裕を見ておくしかない。インタフェースとはすなわち、耐荷重、電力容量、貫通孔などなどである。だが、当然これはコストアップを意味する。よほど余裕のある工場でなければ(あるいは総括原価方式などで顧客にコスト転嫁可能な企業でなければ)できる相談ではない。

しかし、それよりも問題なのは、「建築コスト最小」と「機械パフォーマンス最高」の足し算の方程式を無理やり解いた結果、全体の流れが錯綜した空間構造、レイアウト変更が容易でない空間構造になってしまう点である。これが、操業後の見えない非効率の温床になる。分業と「すり合わせ型」意志決定が、全体の設計思想なき工場を生んでしまうのだ。

おわかりだろうか。A. 大きな問題を、複数の小さなサブ問題に分解する。→ B. そして、それぞれのサブ問題に対して、最適解を求める。→ C. それらを組み合わせて、全体に対する最良の解を得る・・というのは、いつでも成立する訳ではないのだ。このアプローチは有用だが、元の問題が「足し算の論理」で評価できる場合にしか、成り立たない。そして、わたしの言う『生産システム』は、そうした足し算だけでは評価できない典型なのだ。そこでは、もっと別のアプローチ、すなわちモデリングとシミュレーションを使ったシステムズ・アプローチが必要になる。有用性・冗長性・安定性など複数の評価尺度を考えながら、システムの構成員である人間のふるまいを予測し、導くような設計論が必要なのだ。

そして、だからこそ工場見学は面白いのである。そこには相矛盾する複数の問題に対する、知恵が込められている。込められている、はずである。少なくとも、現場近くで実際の仕事を見ているエンジニア達は感じているはずなのだ。ただ部門単位での局所最適を足したって、全体として良い仕組みは生まれないのだ、と。

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全体像を見るために 〜 インテグレートされた工場の作り方 (2016-08-04)

前回、『最適解を組み合わせても、良い生産システムは作れない』というテーマの話を書いたら、知り合いの方から「専門じゃないので理解しにくいが、面白そうなので簡単にわかりやすく教えてほしいい」という主旨の質問をいただいた。その方は音楽好きなので、わたしはこうお答えした。

「例えば音楽にたとえてみます。合唱では、あるパートが最初から最後までずっと全力で歌ってもダメですよね。休むところは休み、手を抜くところは上手に手を抜く。それで全体としては、流れのある良い音楽になるのです。」

合唱では(オーケストラなどでも同じだと思うが)、すべてのパートが常に全力で歌っていたら、やかましくて音楽としては聞くに堪えない。「全力で」のところを、「ピアノ・フォルテの強弱はつけるが、一つひとつの音符にすべてきっちり気合いを込めて」にかえても、結果は似たり寄ったりであろう。やはり全体としては、力んだだけで陰影に乏しい演奏になる。強弱だけでなく、間合い、リズム、音程、音質など、すべてが各声部の間でちゃんと調和して、はじめて美しい音楽が生まれるのである。

だから、よく素人が錯覚するように、「才能ある上手な歌い手が集まれば、良い演奏ができる」という訳にはいかない。曲の全体像を見て、ここはソプラノが主役だから中声部は和声の支えに回るべし、とか、テナーがテーマの旋律を歌い始めたら女声は動きを目立たせるな、といった協力関係が必要になるのだ。こうした指示を与えるのが指揮者の役割なのである。指揮者の仕事とは、全体の中で部分を位置づけ、部分のできることを見て全体を構築していくことにある。これをインテグレーションの能力とよぶ。アンサンブルが小さければ、あるいは皆が知っている短い曲ならば、指揮者なしでもなんとか音楽をまとめることはできる。だが楽曲が大きくなり、メンバーが多くなると指揮者が必要になる。

ただ、ここで素人にはしばしば、第二の誤解が生まれる。それは、「全体の構想は指揮者だけが分かっていれば良い。あとの大勢は、指揮棒にしたがって動けば十分だ」という誤解である。誰かスーパーマン的なリーダーがいて、その指示と命令のもと、大きな組織が機敏に動く。これが組織の理想像だ、という思い込みは結構根強い。こうした組織の動かし方を、”Command and Control”という。軍隊的な組織はその典型である。

しかし、こういうモデルは現実にはうまく機能しない。それは別にリーダーの能力不足のためではない。そもそも「指示と命令」型の組織では、“指示されない限り自分では何も動かない・考えない”タイプの人間が量産される傾向が強い。現場の末端が先を読んで行動しないので、問題はすべてリーダーが対処することになる。しかしリーダーが強烈であればあるほど、その周辺にはイエスマンばかりが集まり、都合の悪い情報は上がらなくなる。だから問題の数がある臨界値を超えてしまうと、組織は急激に機能不全に陥っていく。普段は良くても、大変なときに限ってぽっきり折れやすい、レジリエンシーの低い組織モデルなのだ。

だから実際には、組織の構成員が、皆ちゃんと全体を理解した上で、自分の役割を果たすべきだということになる。合唱のたとえに戻すと、一人一人が、楽曲全体の構造を分かった上で、自分のパートを歌うのが望ましい、ということになる。全体像を示し、各人に伝えるのは、指揮者の役目である。また逆に、歌い手側の中にも、全体像に対する独自の意見を持つ者がいるだろう。中には、指揮者が気がつかなかった提案だってあるかもしれない。だからそうした意見を聞くことも大事である。採用するかは、最終的には指揮者の判断になるだろうが。

こうした点を踏まえた上で、前回紹介した、典型的な(下手な)工場の作り方を見ると、「指揮者のいない演奏会」のような状態になっていることに気がつく。製造機械と、周辺設備と、建築の三つのパートが、全体像を見ないまま並行して進んでいく。だから途中で手戻りが多くなりがちだし、できた者に一貫性が欠けているため、見えない非効率の温床になりがちなのだ。

どうしてこういう仕事の進め方になるかというと、「工場という名の生産システム」の全体像を見て、それを最適化しようという視点が足りないからだ。工場を、システムではなく、「機械」と「周辺設備」と「建屋」の単なる集合体としてとらえている。各部分を別の部署で担当し、足し算の論理で作り上げようとしている。

では、より良い工場の作り方は、どうすすめられるのか? ここで、エンジニアリング会社が得意とする、石油や化学といったプロセス産業でのやり方を、参考までにご紹介しよう。それはこんな風に進む:

(0) まず、工場要件の概要から出発する。ここは前回紹介したディスクリート型工場とほぼ同様である。ただ海外企業の場合、ここに「デザイン・フィロソフィー」文書が加わることが多い
(1) 次に、プロセス設計部門のエンジニアが、工場全体の『プロセスシステム』の基本設計を行う

プロセスシステムの基本設計を担当する専門職を、「プロセス・エンジニア」とよぶ。この業界では世界共通の用語であり、わたしの勤務先にも100人単位で技術者がいる。このプロセスシステム設計は、もう少し詳しく言うと、二段階からなっている

(1-1) 工場内を流れる物質の流量バランス(物質収支)と熱エネルギー収支の最適化
(1-2) 制御方式の設計(測定点の決定と制御ロジックの決定)

さて、このようにシステム全体の機能と流れが確定すると、次にシステムの構成要素の設計に進む。

(2) 機械設計部門が、要素機器の詳細設計を進める

システムの機能構成と要素が決まったら、そのつながりにしたがって空間的配置を設計しなければならない。そこはさらに二段階に分かれる:

(3) 配管・建築・シビル設計の各部門が、空間設計を順に協力して進める(通常、3D-CADを利用する)
 (3-1) まず、機械エンジニアが配管レイアウトの最適化を行う
 (3-2) ついで、架構・建築・基礎設計などの構造設計が上物→基礎の順に行われる

そして、設計から具体的なものづくり段階へと進んでいく。

(4) 調達部門・工事管理部門が、資機材の調達と建設・試運転 を行う(時間的にはこの段階が一番長い)

おわかりだろうか。(0)?(4)まで、仕事は「要件→システム→構成要素→空間配置→調達→建設→試運転」という風に、一本の線として順に進む。そして、こうした全体の流れに齟齬がないよう、リサイクル・ワークが発生しないように管制塔の役割を果たす存在がいる。

(5) プロジェクト・マネジメント部門のプロマネとそのスタッフからなるチームが、全体の流れを統括する

管制塔機能とはすなわち、指揮者であり、インテグレーションの仕事である。プロマネ配下でプロジェクト・マネジメントに専門的に関わるチームを、Project Management Team = PMTとよぶ。小さな工場案件では、プロマネが一人で面倒を見るケースもあるが、大規模案件では複数人が必要になるからだ。

前回紹介した工場づくりのワークフローとの最大の違いは、工場全体が「システム」であるという概念が存在すること、そして「プロジェクト・マネジメント」という管制塔機能が存在することである。

まあ、上で示した流れは、実際には1,000以上のWBSアクティビティからなる流れをかなり簡略化したもので、現実にはもっと複雑だし、リサイクル・ワークも発生しがちだ。だが、全体の流れを統括して、妙な手戻りは極力無くそうと最初から努力はしている。そのためにPMTのメンバーは、設計上しばしば発生する小さな変更が、他の設計・調達・建設を通じて、どのような影響を及ぼし、コスト・スケジュールでどれほどインパクトを生じるかを、つねに予測しながら判断を行う。

そして、このような流れは、わたしの勤務先だけではなく、世界的なプロセス産業全体での共通理解になっている。発注者側も、これを求めるし、これを実現するために、エンジニアリング会社という業種が存在する。そして、そこにはプロセス・エンジニアや、プロジェクト・マネジメントの専門家が多数いる。こうした人材を、工場のオーナー企業が雇っても、数年に一度しかないプラントの新設・拡張だけに従事させるのでは非効率だから、アウトソースするのだ。

もちろん、こういう仕組みだから、すべてのプロジェクトがうまくいく、などと言うつもりはない。我々も正直、手痛い失敗をいくつも経験している。ただ、プロジェクトにとって最大の失敗は、コスト超過でもスケジュール遅延でもない。使い物になる成果物が生み出せないことである。そして、少なくともプロセス産業では、「非効率で使い物にならない工場ができあがった」という失敗はない。全体システムの最適設計を最初に行うからだ。

こういう手順を踏むため、プロセスプラント系の工場の作り方は、必然的にウォーターフォール型になる。最初にとにかく、全体像を決める。今回は反応系、次は回収系、という風に、部分部分を計画しては継ぎ足していくようなやり方はできないのだ。プラント系のプロジェクトにアジャイル型が不向きなのは、決して実物の工事があるためではない。プラントが単なる機械装置の集合体ではなく、インテグレーションされた密結合のシステムだからだ。

わたしがこのところ、ずっと「仕組み」だとか「システムズ・アプローチ」だとかにしつこくこだわっているのも、結局のところ、わたしのキャリアの出発点がプロセス・エンジニアだったことに由来しているのかもしれない。わたしの入社した頃の仕事は、石油リファイナリーの工場全体を、線形計画法を使って最適化設計し、経済性評価する仕事だった。その後いろいろなキャリアの紆余曲折はあったが、どの分野の仕事でも「システムの全体像」にこだわり続けているのは、その影響なのだろう。

ただ、そうだとしても、これまでずっと専門分野を深掘りしてきた中堅エンジニアが、「全体像を見る」ためには、どうしたら良いだろうか? いまさら畑違いのプロセスシステム工学など、学んでいる暇もあるまい。

わたしがおすすめするのは、二種類の『見方の練習』である。最初の練習はまず、「上司の上司の立場になって仕事のあり方を考えてみる」ことである。自分の上司の立場を想像することは、それほど難しくない。居酒屋談義でサラリーマンが「俺が課長だったら・・」みたいなセリフを吐くシーンは、珍しくあるまいし、ある程度は正鵠を得ているものだ。だが上司の上司となると、難しい。あなたが主任だったら、課長ではなく、部長になったつもりで、仕事をどう変えるべきか、考えてみる。あなたが課長だったら、本部長の立場で、どう仕事の仕組みをつくるか、考える。これは簡単ではない。かなり視点を背伸びして、高い位置から関連する仕事の全体を見なければならないからだ。

そしてもう一つの練習は、「顧客の顧客の要求を考えてみる」である。自分の目の前の顧客の要求は、毎日接しているし、闘ったりもしているので、良く知っている(つもりになりやすい)。ところが、その顧客だって、じつはさらに顧客がいるのだ。そして彼らだって、顧客の要求に悩まされている。たとえばあなたが部品メーカーで、顧客はセットメーカーだとしよう。顧客はあなたに、つねに無理なコストダウンやJIT納品を要求してくる。

だが、その顧客だって、じつは流通側のチェーンストアや量販店から、めまぐるしい需要変動への対応を要求されているのかもしれない。だから、あなたは「顧客が要求して言ってくること」の背後に、顧客自身が悩んでいる「隠れたペイン」を見通すべきなのである。それはいいかえると、「サプライチェーンの中で、自社の位置を理解する」ことにも通じる。そういう視点を獲得できれば、あなたが日々直面している問題に対しても、別の見方、別の解決策が見えてくるかもしれない。たとえ見えてこなくても、感情的なフラストレーションは、少しは薄まるはずだ。相手を、同じ手足のついた人間として見ることが、相互リスペクトの第一歩ではないか。

こうした二種類の見方を、折に触れて練習してみること。これが「全体を見る」能力を育てるための方法だと、わたしは信じている。そうした能力は、今すぐには無用に見えても、長いキャリアの中では、きっと役立つときが来るはずなのだ。

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欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(1) (2017-06-26)

「フィンランドの大学では、受講している科目は何度でも試験を受け直せる、ってホントですか?」−−先月、ヘルシンキで会ったA先生に、わたしはたずねてみた。答えは、”yes”だった。毎月、試験日がある。事前に登録しておけば、会場で、複数の科目の試験を受けられる。そうして、自分が納得いく成績を取れるまで、何度でも繰り返しチャレンジすることができるのだそうだ。ただし教授の側は毎月、試験問題を出す訳だから、大変だろう。それでも、納得できるまで学べる。随分と教育を重視した制度だ。

そもそもフィンランドの大学は、4年で卒業する制度ではないらしい(年限は一応10年以内とか)。学費は交通費も文房具代まで含めて、無料である(小学校から大学まで)。だったら皆が大学に殺到するかというと、そうでもないようだ。卒業はそれなりに難しい。また、大学以外にポリテクニックなど職業訓練校の存在もある。フィンランドの教育制度は近年、日本でとみに話題になったが、良し悪しや比較の議論以前に、教育に関する考え方がかなり違う、としかいいようがない。単線のエスカレーターではなく、乗り降り自由な複線みたいな印象だ。少なくとも、日本の東大・京大を頂点としたピラミッド構造とは、随分違う。

こうしたことは、現地に行って、いろいろ見聞きしてみないと分からない。よく「百聞は一見にしかず」というが、とくに社会的な仕組み(システム)のことに関しては、そうである。

5月末から6月にかけて、ドイツとフィンランドに、短い出張に行ってきた。その時に見聞きして考えたことを、報告したい。まさに百聞は一見にしかず、の旅であった。出張の目的は、次世代の工場のエンジニアリングに関する我々のビジョンを発表すること、ならびに『Industry 4.0』の震源地であるドイツでの実相を調べること、の2点だ。

最初の目的のために、フィンランドで開催された"Manufacturing Performance Days 2017”(略称MPD 2017) というカンファレンスにまず参加した。場所は、フィンランド第二の都市、タンペレ(Tempere)である。ここは首都ヘルシンキから高速鉄道で1時間半、東京と静岡くらいの距離にある工業都市で、湖水地帯にある。この町をはさむ二つの大きな湖の間に6mの落差があり、これを利用した水力発電設備が、町の発展の基礎となった。

本カンファレンスには、昨年、自分が主催する研究部会のメンバーであるKさんの紹介で、来日したタンペレ工科大学のTuokko名誉教授にお目にかかったご縁があって、発表枠を得ることができた。このMPD 2017とは、小さな規模ながらレベルが高い国際会議と展示会で、今回が10年目である。ちょうどフィンランド建国100周年に当たるとかで、過去最高の約800名が参加した。主な参加者は:

- 大学および国立の研究機関(たとえばドイツのフラウンホーファー研究所や中国科学院)、
- 産学連携組織(欧州には各国にあり活発)、
- 企業:地元フィンランド企業に加えて、Siemens, SAP, Daimler, Bosch, Beckhoffらドイツ勢。さらに米GE, 仏Dassault, 米McKinsey, 英Rolls-Royce, スウェーデンのVolvoなど錚々たる企業が参加している。

ちなみに日本からは、我々日揮と、IVI(「つながる工場」で知られる日本の組織"Internet Valuechain Initiative")のエバンジェリストとして、富士通の高鹿さんが参加された。

それで、佐藤が何を講演発表したかというと、およそ以下のような骨子の話である:

(1) IoT技術の進展、およびIndustry 4.0に代表される社会的要請の二つの導因(ドライバー)により、これからの工場のあり方は大きくかわる。
(2) すなわち、中央制御室を持つ、より統合された「システムとしての工場」に進化する。
(3) そうなると、「工場のシステムズ・エンジニアリング」が必要になる。
(そして、そこにはプロセス産業での教訓も活かされるだろう)
(4) そこで、我々はその確立を目指して活動していく。

といった主旨だ。詳しくはいずれ項を改めて書くつもりだが、講演資料はネットからすべて公開されているので、興味がある方はご参照いただきたい。
https://mes.eventos.fi/event/mpd2017/pages/programme_wednesday

カンファレンス全般の感想を少し書いておこう。まず印象に残った発表・展示としては、
- Siemens社のIoTプラットフォームであるMIndSphereの発表デモ
- タンペレ工科大学のMinna Lanz教授によるMESの連携システム構想
- アールト大学によるIoTを使ったクレーンのスマート化実験
- GEのドイツ自社工場における"Brilliant factory"実践取組みの報告、
などを代表例としてあげておきたい。

ただし、IoT技術レベルのテクニカルな話題と、Industry 4.0関係のハイレベルな議論が多く、中間の「工場レベル」の話が少なかった。強いてあげるなら、GEの事例に加えて、我々日揮とIVIの日本勢の2発表くらいかもしれない。ここは一種のミッシング・リンクになっていると、わたしは感じた。

最終日には、タンペレ工科大学の見学もさせていただいた。人口20数万人の工業都市の大学ながら、工学系研究のレベルが高いのには目を見張った。キャンパスに着くと、完全自動運転のマイクロバスが構内を走っているのに気がつく。すでにこのレベルでは実用に供しているのだ。いくつか研究室を見せていただき、院生達とディスカッションもしたが、実験設備も研究内容も世界レベルである。ここでわたしは、はじめて金属3Dプリンタの実物を見た(院生が実験で使っていた)。

たまたま見学したのが機械系学科だったこともあるだろうが、ロボティクスや建機の自動運転研究などが面白かった(写真は多軸ロボットとヒューマンインタフェースの研究を解説するManz教授)。フィンランドは林業の国でもあり、建機メーカーもあって実際的である。ちなみにカンファレンスでは、英Rolls-Royceと共同した、船舶の自動運転研究がトピックになっていた。フィンランド政府が、海面での規制を緩和し、船の自動航行の実験を可能にしたのである。(ついでにいっておくと、日本ではロールス・ロイスを超高級自動車メーカーだと思っている人が多いが、むしろ英国の三菱重工みたいな存在だと思えばいい)

またタンペレ工科大学を含むフィンランドで、生産マネジメント分野の研究もしっかりしている点に感心した。スコープが広く、製造業全体の問題として考えている。これに対し日本では、近年この分野の専門家がほとんど大学にいなくなってしまった。品質管理や在庫・スケジューリングといった個別の専門家は、いるにはいるのだが、Industry 4.0のような広い文脈で、全体を語れる研究者がいないのだ(たぶん論文になりにくいからだろうが)。

大学は企業とも距離が近く、共同研究を多く行っている。上記の設備なども、企業(フィンランドだけでなくドイツ企業なども含め)との共同研究で購入しているようだ。企業は資金と機材を提供し、大学は人手と知恵を提供するサイクルが、うまく回っている。もっとも、フィンランドという国は現在、「ノキアの次」を、皆が探している感じがする。ノキアは世界市場を相手にした大企業であったから、それだけ喪失感も強いのだろう。

ところで、MPD 2017でいろいろな講演者や出展企業の人びとの話を聞くうちに、わたしはあらためて、欧州製造業におけるドイツの影響力の大きさを実感するようになった。北欧の辺境に位置するフィンランドだけでなく、スウェーデン、フランス、ベルギー、スペイン、オランダなどからの参加者とも話したのだが、その感は強い。それはたぶん、ドイツの製造大国としての存在感としてよりも、むしろ、Industry 4.0に代表される構想力と、システマティックで重厚な進め方のためだろうと感じる。

ドイツの重厚な進め方とは、どんなものか。たとえば、少し前に英国で「人工知能は将来、人間の47%の仕事を置き換える」というショッキングな研究が出された。これは日本でも話題になったが、欧州でも当然、驚きを持って受け止められた。ところでドイツでは、この問題に関して、追検証のスタディを複数の研究機関に委託した(ドイツは連邦制なので、各地の州政府が独立して動く気風がある)。

その追試研究の結果の数字はまちまちながら、ドイツでは「せいぜい1割程度」という答えとなった。それでも、その報告を重く見て、ドイツは「雇用(Arbeit) 4.0」という次の国家プロジェクトを始動した。同じ時期、日本では、この研究を客観的に再評価する指令を、国や財界が学会に下したという話を聞かない。むしろ47%という数値を、あちこちの人が我田引水や威かしのために、メディアで触れ回った印象しかない。

この例でも分かるとおり、ドイツではどうやら産→官→学のサイクルがきちんと回っている事と、総合的で実証的なアプローチによって、説得力があるのである。行く前は、正直言ってそんな風には想像していなかった。この点は自分の不明だった。しかし、それならドイツにおける製造業の実態はどうなのか?

それを知るために、カンファレンスの後、わたしはドイツに向かったのである。だが長くなってきたので、この話の続きは、また書こう。

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欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(2) (2017-07-02)

知り合いの人が最近、車を買った。人もうらやむドイツの有名な高級車である。ディーラーで購入を決め、さてオプションを選ぶ段になって、驚いたという。種々の選択肢から自由に選べないのだ。いくつかのオプション群がお仕着せのセットになっていて、そのどれかを買うしかない。高い値段を払ったのに、顧客の自由な選択権がないのだ。

「ドイツの提唱するIndustry 4.0の目標の一つが『マス・カスタマイゼーション』となっていますけど、当然だと思いました。」とその人は語った。「だって全然、お客の個別の注文に応じられる状態になってないんですから。日本の製造業の方がはるかに先を進んでいますよ。」

マス・カスタマイゼーションとは、大量に生産しつつも、個別の要望に応じたカスタマイゼーションができる生産形態のことを指す。日本ではどの自動車メーカーでも、色や内装や電装品まで多数あるオプションを、個別に自由に選べて、それできちんと納品してくるのが普通である。それに比べて、このドイツメーカーは何だ。Industry 4.0なんて、ドイツ人が日本に追いつくための活動じゃないのか? 知人はハノーバーメッセにも足を運ぶ人だけに、その思いが強かったらしい。

ただし日本車メーカーだって、海外では似たような状況かもしれないと、わたしは思った。たとえばアメリカ市場である。あの国では、顧客はディーラーにいって、店頭に現物のある車を選んで、その場で乗って家にかえる。ナンバープレートは、あとで家に郵送されてくる。そういう習慣の国である。日本のように注文から納車まで何週間も待つことはしない。だから日本車メーカーでさえ、米国にはかなりの流通在庫を置いてある。在庫は無論、個別オプションの選択肢がかなりせばまっている。

ものごとを比較するときは、ある部分だけの優劣を論じるのではなく、仕組みの全体像を理解して比べる必要がある。そういう前置きをしてから、では、前回http://brevis.exblog.jp/25872533/の話を続けよう。

フィンランドのMPD 2017では、ドイツにあるGE Energy Connections社の工場刷新に関する発表があった。講演者はC. Kantner氏で、Brilliant Factory Leaderという肩書きを持つ、まだ若い中堅のエンジニアである。氏の講演は動画中心で、あいにく発表資料が公開されていないため、手元の聞き書きで再現するが、まず彼はGE社の”Brilliant Manufacturing"というコンセプトについて、

Brilliant factory = Lean + Digital

という定式化で説明した。そしてデジタル化については、"don’t digitize waste”(ゴミをデジタル化するな)というモットーで、注意深く対象を選択すべきという(いかにも「選択と集中」のGEらしい)。その上で自社のベルリンの工場の事例にうつり、工場内ロジスティクスの刷新の説明になった。部品の「倉庫をスーパーマーケットに転換する」という取り組みで、箱にRFIDを取り付けてトラッキングできるようにする。そして個別に数を数えるのでなく、フォークリフトが感知ゲートを通過すると出庫処理が自動的に完了するシステムにした。

一括ピッキングから個別フローにかえ、またフロアでもiPadでバーコードを読み取る仕組みを入れたおかげで、リードタイムは5日短縮し、在庫は約10億円削減、生産性も30%アップしたのだという。

その取り組みの動画は素晴らしい。だが説明を聞いているうちに、ちょっと不思議に思った。刷新する以前は、倉庫係に対し出庫5日前にピッキング・リストがバッチで指示されていたというのだ。5日前? 日本の製造業の常識からいうと、のんびりすぎないか。送変電設備の部品だから大きくて重たいのは分かるが、それにしても随分ゆっくりしている。彼の話はさらにERP - MES - PLM連携や、図面管理システムのアジャイル開発に進んでいったが、わたしの頭の中には「え? この程度がドイツの工場の実態なの!?」という疑問符が残ったままだった。

さて、週の後半、わたしはフィンランドからドイツに飛び、ある企業のご厚意で工場を見学させていただいた。B2B製品を作る、部品工場と製品組立工場の2箇所である。この会社は年商1千億に満たない中堅規模のメーカーだが、特色ある製品を作り、毎年成長を続けている。

期待を胸に工場に入ったが、あまり自動化されていないな、というのが第一印象である。部品工場は一応、かなり機械化されたラインで構成されている。しかし手作業も残っている。組立工場の方は、日本と同じく、人間の作業が中心である。ただしベルトコンベアの流れ作業ではなく、個人単位のセル生産方式に近い感じといえば、分かっていただけるだろうか。

ちなみに、紙の現品票が部品を入れたトレイに貼付されている。見ると、作業の工順が印刷されていて、各工程作業ごとに、作業者の完了サインが手書きされている。日本でもよく見かけるやり方だが、つまりアナログである。まあ生産量から見て、無理して自動化するメリットはまだ小さいのだろう。量が今の3倍になったら、もっと進捗コントロールの仕組みが必要だ。ただ工場はどこも整理がきちんと徹底されていて、とても清潔感があり、整頓も行き届いている。歩いていて気持ちが良かった。ちなみにこの企業でも「5S」概念が存在し、それは日本から学んだらしい。

それにしても、日本の工場関係者が見学したら、「なんだこんな程度か」と思うだろう。そして、日本にかえってからレポートするに違いない、「ドイツのIndustry 4.0など恐るるに足らず。日本の工場と大きな差はない」、と。

ところで、その工場は面白いレイアウトを採用していた。全体は平屋だが、中央に大きな部品倉庫があり、その周囲に作業区がぐるりと配置される、Warehouse-centered Layoutである。そして部品材料の倉庫が、ずいぶん大きい。聞くところによると、かなりの在庫日数分を保有している。日本の工場の方が、明らかにもっとずっと少ない在庫量でやりくりしているし、サプライヤーからのJIT納品などの仕組みも活用しているだろう。

なぜ、こんなに部品材料の在庫を持っているのか?

じつは「日本の教訓から学んだ」のだという。つまり、3.11の東日本大震災時の、サプライチェーン途絶の問題を見たのだ。部品メーカーの工場が被災したため、別の地方にあった完成品メーカーのラインが止まってしまった。

B2B製品を作るこの会社は、自分たちは顧客への供給責任がある、と考えた。そこで、普通よりもずっと多くの部品材料在庫を、リスクもコストも承知で抱える事に決めたのだ。

そうした思い切った決断ができたのは、この企業がオーナー企業だからである。ドイツにはどうやら、こうしたオーナー企業や同族企業形態の、中堅製造業がかなりあるようだ。そして、それぞれが特色ある製品を作っている。逆に、競合の多いレッドオーシャン的な商売には、乗り出さない。それが彼らの特徴だ。

もう一つ面白かったのは、見学した部品工場は、以前は受託製造(EMS)を行う別会社だったという事実だ。それをわざわざ買収合併して、傘下に収めたのである。日本では、工場を切り離して別会社化したり、安価な外部企業に製造を委託する動きが強い。このドイツ企業は、その真逆をやっている。なぜか?

彼らは研究開発・設計機能をもつ本社と同じ町に、自社の工場を集中させている。つまり、本社の目の届く範囲で、ドイツ人の手で、ものづくりをしているのだ。それはこの会社が、信頼性を何より要求される産業用製品を作っているからだ、と思われる。高機能を実現する製品アーキテクチャーを設計し、またインタフェースは標準化して外部に公開している。でも、高信頼性・高品質にこだわって、ものづくりをしているのだ。

高性能・オープン性・高信頼性=それがこの企業の高収益の源泉である。三つのどれか一つでも欠けたら、コアの強みが薄れてしまう。そのことを経営者が自覚して、経営している。わたしには、そう思えた。この会社にとって、安い賃金を求めて東欧あたりに工場移転することは、あまり意味がない。むしろ、高い職人仕事(マイスター)の能力をもつドイツ人の雇用を、いかに確保するかが命題と思われる。

それは、ドイツ政府のはじめたIndustrie 4.0の発想とも通底している。

Industrie 4.0は周知の通り、ドイツ科学技術アカデミーAcatechが2013年にまとめ、メルケル首相に提出した最終報告書に端を発している。元はドイツ語なので-rieというスペルになっている。報告書の説明を受けるメルケル首相の写真を見たことのある人も多いだろう(AcatechのWebサイトより引用。ちなみに隣で怪訝そうに書類を眺めているのは、ロシアのプーチン君である)。これを受けてドイツ連邦政府は、産官学共同のためにかなり巨額の予算をあてる。ついでながらメルケル首相は、理系で博士であることも書き添えておこう。

Industry 4.0の概念が日本に伝わるにつれ、いろいろな解釈が出回った。これは無人化工場を目指すものだ、という解説もあった。いや、裏にはドイツの労働組合対策があるのだ、という指摘もあった。Cyber-Phusical System (CPS)で、製品や工場の「デジタルツイン」を作る技術が中核だ、ともいわれた(ただしCPS自体はアメリカ発の概念だが)。工場内通信規格であるOPC-UAの標準化推進で主導権をとる狙いだともいわれた(OPCは元々Microsoftの提案だが)。米国GE社の提唱するIndustrial InternetやPredixプラットフォームの対抗馬だ、という見方も根強い。

だが結局、皆で目をつむって巨象を部分的に撫でているような感じで、訳が分からない(つまり虚像だ、というダジャレですが^^;)。

もっともドイツ人にだって、まだ「これがIndustry 4.0の生み出す結果だ」というのは分からないに違いない。なぜなら、これから(第4次)産業革命をしようとしているのだから。蒸気機関を工夫中だったJ・ワットに、将来これで鉄道も船も工場も、社会全体がかわると思いますか、とたずねたら絶句したに違いない。

一つだけはっきりしているのは、彼らはドイツあるいは欧州の製造業と雇用を守るためにやっているのだ、ということだろう。

かつて聞いた話だが、ドイツから日本に視察団が来て、いろいろな工場を見学して回った。どこでも、乾いた雑巾を絞るような、徹底した改善の実例を見せてくれる。一同は感心して見ていたが、最後にポツリと引率者にたずねたんだそうだ。「まことに素晴らしかった。だが、なぜ彼らは、わざわざ他社と同じようなモノを作って、価格競争で消耗する道を選ぶのか?」と。

工場で働く技術者や技能者にとって、一番大切なことは、じつは工場の外側にあるのだ。それは、経営における工場の位置づけである。ちょうど、プロジェクトの一番肝心な部分は、受注時点でもう決まってしまっているように。そこがズレてたら、現場でどんなにカイゼンしても追いつかない。

わたしが見学したドイツの工場についていうと、その場に行って肌に感じないと分からないことが一つだけあった。それは、工場の中の雰囲気が、明るく、かつリラックスしていたことだ。誰も、「いつ、この仕事がなくなるか分からない」「近いうちに工場移転で失職するかも」といった心配を抱えていないと感じた。むろん、数値的なエビデンスは示せない、まさに百聞は一見にしかずの、個人的印象である。

だが、その事が一番大切なのだと、わたしの直感は告げている。明るい職場、すくなくとも安心して働ける職場からしか、本当に良いものは生まれてこない。それが道理ではないか。

工場は利益のための道具なのか。それとも利益が職場を良くするためにあるのか。技術革新云々の前に、問われているのはそこなのだ。人が働くことについての思想のあり方こそ、次なる産業革命を乗りこえる鍵なのである。

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