生産計画・スケジューリング、部品表(BOM)、サプライチェーン・マネジメント(SCM)などの分野で理解すべき用語と概念を解説しています。
拙著『BOM/部品表入門 』(日本能率協会マネジメントセンター刊)が増刷になり、累計5,000部の出荷となった。専門書としては堅実な部類に入る数字だ。これまで読んでいただいた多くの方に深く感謝したい。執筆に着手した段階では、BOMを主題とした本はほとんど出ていなかった。今では何冊も出版されているので、おそらく読者ニーズの時宜にかなったのでは、と思う。
本書は山崎誠氏との共著だが、全体構成と本文の8割を私が執筆した。2000年に出版した『革新的生産スケジューリング入門―“時間の悩み”を解く手法』の続編という位置づけで、同じ登場人物の「矢口先生」が、今度は大学ではなく企業に出張講義するスタイルで書かせてもらった。私はなぜか、一方的な叙述よりも、対話的な文章の方が書きやすいのである。
ところで、本書の執筆には1年ほどかかったが、書くにつれて、自分自身BOMに関する認識の深化していくのを感じていた。じつは、書き始めたときは、ERP技術者向きの本にするつもりだったのだ。それなのに、書き終わる頃には、まったく別の意図をもった本になっていた。そのメッセージとは、こうだ:「BOMデータを、特定のパッケージや外部コード体系に依存するべきではない」。なぜなら、広義のBOMとは、生産に関する企業内コミュニケーションの基盤であり、製造業のすりあわせ的統合の要(かなめ)となるからだ−−
BOMの問題に気づいたのは、生産スケジューリングの仕事にいくつかたずさわるようになってからだった。じっさい、多くの企業でスケジューラ導入時にぶつかる主要な困難が、BOMデータの構築なのだ。スケジューラはお金を出せば一応、買える。しかし自社の部品表データは、世の中のどこにも売っていない。だから自分たちで整理するしかない。上の方の偉い人は、“そんなのソフトウェア・ベンダーにやってもらえばいいだろう”などと無責任に発想するが、現実を知っている技術者はそうはいかない。まして、「設計部門と製造部門で持っているBOMが違っているんです」なんて、コワくて報告できたものではない。
MRPUをベースにしたERPパッケージの生産管理システムの場合、ある意味で問題はもっと深刻だ。MRPのスケジューリングは、タイム・バケットと標準リードタイムと無限負荷計画が生み出す、ラフな近似でしかない。近似は近似として使いこなせばいいのだが、困ったことにERPは原価管理に主眼がある。ERPのもつ奇妙な厳格さが、ここでは足かせとなってしまう。たとえば、製品を構成する部品を全部きちんとリストアップしないと、正しい原価がつかめない。購買オーダーも出てこない。つまり、おなじ部品表というマスタを見る視点が、違う粒度を持っているのだ。
一つの会社の中で、相矛盾する複数の部品表が生まれてしまう原因は、複数の機能部門が、異なる目的と粒度でBOMを見ているためである。BOMはもともと、資材購買の必要性から生まれ、ついで生産計画の主要概念になった。そこから派生して、設計・生産技術・生産管理・購買・在庫・製造・物流・保守・サービス・IT・営業・財務と、あらゆる部門が大なり小なり関わるハブ的な存在となっている。
そこで、『BOM/部品表入門 』では、各々がいかなる視点からBOMをながめ、そこにどのような要件を持っているかを解説することで、BOMをとりまく課題を多角的に示そうとしたのである。そして、その結果としてたどりついたのが、「BOMプロセッサ」の発想である。企業内コミュニケーションの基盤情報をコントロールするための、アプリケーションから独立した一種のデータベースが必要だ、というのが私の結論だ。
一種のデータベースであるから、できれば標準スキーマを示すべきなのだろう。しかし、いろいろ考えた末、本書ではスキーマを書くのはやめてしまった。製造業は多様である。BOMはプロセス生産から切替え型連続生産をへて組立加工生産まで、あらゆる生産形態に存在する。それらの最大公約数的なスキーマを提示しても、誰の役にも立たないからだ。むしろ、その企業固有の思想を反映するかたちで、各企業がスキーマを自分で考えるべきだと私は信じる。
(とはいえ、何かテンプレートとなるものがあると助かる人は多いと思う。この点で、私は渡辺幸三氏の仕事=Conceptware
生産管理に期待している)
この本では、まだ書き残した部分も多い。たとえば:
・設計ブロックと製造ユニット
・トランザクションBOMデータの内容とマスタからの変換
・個別受注生産のBOMの問題
などだ。こうした点については、どこかでおいおい書いていきたい。
企業内のBOMとマテリアル・マスタの統合は、今日のサプライチェーン問題を解決する最重要課題である。そのためには、企業内に、BOMの登録とライフサイクルをつかさどる、クロス・ファンクショナルな機能が必要になる。BOMに関してだけは、どこからか『解決策』を買ってくることはできない。自分たちで解決するしかないのだ。拙著が、そのわずかな助けにでもなれば幸いである。
製造業のDNA情報であるところのBOMを考える際には、マテリアルの概念を正しく再定義する必要がある。BOMとはマテリアルの数量的関係を表わしたリストだからである。したがって、BOMデータの構築のためには、まずマテリアル・マスタ自体を一貫性のある形に統一する必要がある。また、マテリアルとBOMをつなげる役割を果すのが工順(routing)である。したがって、マテリアル・マスタとBOMマスタと工順マスタは、互いに整合性がとれた形で構築されていなければならない。
さらに言うと、購買オーダーの明細リスト作成用のマスタはマテリアルをキーに持つ訳であるし、工場のリソースや作業のマスタも工順に関連づけられている。こうして、BOMマスタを正しく再構築しようとしたとき、関連して見なおさなければならないマスタ・データもいろいろあることが分かってくる。
そこで、拙著『BOM/部品表入門』の中で、私は「広義のBOM」という、あまり世間では聞き慣れない概念を提出した。広義のBOMとは何かというと、
「マテリアル・マスタを中心とした製品構成と製造工程にかんする基準データ、ならびに、そこから派生する履歴データ」
と定義される、まとまったデータである。その中心は、(狭義の)BOMマスタと、マテリアル・マスタ、工順マスタの3つのマスタだ。中でも工順は重要で、その中には、時間とリソースの情報があるため、マテリアルのサプライチェーンを統御するために不可欠である。これに加えて、製造指図や製造実績報告などの履歴データ(この中にBOM履歴が格納される)がある。広義のBOMとは、こうしたさまざまな要素からなる、マテリアルに関連する大きな情報の体系を指している(下図)。

BOMの問題を考える際には、狭義のBOMマスタだけの単体で考えてみても無意味である。広義のBOMの体系の中で、狭義のBOMデータが(あたかもDNAのように)どこで生まれ、どこに複製・転送され、どこで製品として具体的な肉体化されていくか、プロセスの視点から整理する必要がある。
広義のBOMの範囲を図に描いてみると、これが複数部署にまたがるマルチ・ファンクショナルな存在であることが目に見えてくる。たとえば、工順データは工程設計の結果として生まれるものだから、ふつう生産技術部門がオリジネーターとなる。製造指示データは生産計画部門がつくる。購買品目マスタは購買部門、といった具合である。たしかに狭義のBOMマスタ(製品構成情報)は最初、設計部門が作成するものだろうが、その中だけて考えていては全体の整合性などおぼつかないのである。
これは、とくに製造自体を外部に委託する動きが加速している昨今において、大事な視点である。製品開発だけが企業のコア・コンピテンシーであって、生産は“誰でもできる”力仕事だから、労賃の安い海外にシフトしようと言う傾向が2000年頃から強まっている。しかし、製造業のDNAであるBOMデータは、決して製品設計段階だけでまとまるものではない。もしも強い製造業を目指すのならば、強くて一貫性のある「広義のBOM」をどう維持していくかを考えなければならないのである。
モジュラーとインテグラル − 製品アーキテクチャーの二つの方法
半導体製造装置の1つであるステッパーといえば、ながらく日本製品の独壇場というイメージが強かった。そのステッパー分野で、一時は世界市場の大半を占有していたキヤノンとニコンが、オランダ企業のASMLに敗れた話を耳にした方も少なくないと思う。1990年時点ではシェアが10%にも満たなかったASML社は、今や65%以上の世界シェアを握っている。
では、ASML社はどうやって勝利したのか。英エコノミスト誌の記事 "Japan's technology champions: Invisible but indispensable" (2009年11月7日号、 翻訳はこちらで読める→「技術立国日本のトップ企業」)によると、こうだ(以下抜粋して引用)。
「キヤノンとニコンは、製造するステッパーは部品を含め、すべてを内製化していた。そこでASML社は製品をモジュール式に設計し直し、各モジュールを専門企業に外注した。例えば、精密レンズはドイツのカール・ツァイスが製作した。『当社は、ニコン、キヤノンと正面から争うにはあまりに小さすぎた』と、'90年から2000年までASMLの社長を務めたウィレム・マリス氏は述懐する。そして、このモジュール化による設計思想こそ、ASMLがイノベーションを加速し、日本企業を凌ぐ原動力となったというのが、モリス氏の説明だ。
ASMLのオープン性は、単なる比喩ではなく、文字通りの形でも現れた。『例えばサムスンに納入した装置が壊れた時、日本人が20人やって来て、装置をテントで覆ってから修理をしたので、中で何をしているのか分からなかった』という。ASMLは正反対のアプローチを取り、顧客に問題点を見せ、その解決法を公開した。今でも、ニコンとキヤノンは閉鎖的なままだ。」(以上引用)
そして、エコノミスト誌はこう結論する。「両社(ニコンとキヤノン)は今やステッパー事業を統合する方が理にかなっているにもかかわらず、依然として別々に事業を行っている。」
同誌のこの結論が適切かどうか、私には分からない。少なくとも、このエピソードから、「オープン化・グローバル標準化が勝負を決めるのだ!」と決めつけるのは、即断にすぎるように思う(あわてて結論に飛びつく経済評論家も世間には多いのだけれども)。私の今回のテーマは、製品設計には二種類の方法がある、という話をしたいだけだ。その二種類とは、モジュラー型のアーキテクチャーと、インテグラル(すりあわせ型)アーキテクチャーである。
製品の全体機能を単位機能に分解する。個別の単位機能に、それぞれ独立したモジュール部品を用意し、それらを組み合わせることで全体機能を実現しようとする設計思想を、モジュラー型アーキテクチャーと呼ぶ(ModularはModuleの形容詞形)。モジュールの組合せは、標準的に規定したインタフェースに準拠するように設計する。モジュールを交換することにより、さまざまな機能的オプションのバリエーションを可能とするのである。
モジュール部品は、それぞれがいわば機能的に自己完結した存在であり、小さな製品であるとも言える。だから上述のように他社から調達しやすい。
子供の頃、初めて我が家に「ステレオ」なるものがやってきたとき、それはターンテーブルから両スピーカーまで一体型になったステレオセットだった。LPレコードの溝から振動を拾い出し、電気的に増幅してステレオ音響に変える複雑な機能を持った総合的システムだ。しかし、ラジオやオーディオに詳しい友達は、「出来合いのセットを買うんじゃなく、別々のパーツを買って組み合わせてステレオをつくるのが進んだやり方だぜ。」と得意げに教えてくれた。
見せてもらったメーカーのカタログの中には、『モジュラー・ステレオ』なる商品があった。両側のスピーカーと、真ん中のターンテーブル兼レシーバーが別々になっていて、ケーブルでつながれている。スピーカーは自分の部屋に合わせて自由に置くことができる。そのとき初めて「モジュラー」という言葉を知ったのだった。友達はさらに、プリメインアンプだとかチューナーだとか複雑な専門用語を駆使して、“コンポーネント・ステレオ”なる概念を私に吹き込んだ。コンポとはすなわち、インテグラル型の製品だった初期のステレオセットを、モジュール化アーキテクチャーに置きかえたものなのだった。
コンピュータもまた、初期のインテグラル型から次第にモジュール型へと変化していった商品である。その典型が、IBM PCだった。もっと初期のパーソナル・コンピュータは、グリーンモニタとキーボードとCPU本体が一体型の製品が珍しくなかったのだ。IBM PCの成功は、あらゆる種類の周辺機器や互換機メーカーの成長・繁栄をもたらすことになった。同時期にAppleが導入したMacintoshは、非常にクローズドでインテグラル型の製品だったため、成長が遅かった。いや、そもそも、もっと昔のIBM汎用機の時代に、ハードウェアとソフトウェアの分離があったからこそ、今日のソフトウェア産業が成り立ったのだ。
こう書くとモジュラー型アーキテクチャーがつねに優位に見えるかもしれないが、インテグラルが競争優位であり続ける分野も多い。自動車は、すり合わせ型アーキテクチャーの代表例である。前にも書いたが、自動車の部品はすべて個別に専用に設計されており、カローラ用のシートはプリウス用のシートとは別であって、互換性はない。
インテグラル型の長所は、個別の製品特性に合わせて経済的な最適設計がなされている点である。モジュール化すると、規定されたインタフェースにあわせて設計する必要がある。このとき、どうしても余計なオーバーヘッドやマージンが入り込みがちになる。そのかわり、モジュール化された部品は互換性(汎用性)が高いため、全体としては生産量が増える可能性がある。また、複数メーカーでの競争もある。だから量産効果や競争で単価が下がることが期待できるとも考えられる。冒頭で紹介したオランダのASML社の戦略は、これだった。
ただし、モジュール化とオープン化は、必ずしもイコールではない。モジュール化しても、インタフェースや仕様を非公開のままとどめる方法もある。結局、モジュラーとインテグラル(すりあわせ)アーキテクチャーの最大の違いは、部品の『単機能化』、ならびに『交換可能性』(=自由度)の大きさという指標の違いに帰着するのである。
インテグラル型の製品では、複数メーカー間の部品の交換可能性が低い。ここから「純正部品」という考え方が生まれ、メーカーの「保証」に組み入れられる(無償修理の権利だけでなく、性能保証という面もある)。そして純正部品は利益率がいい。これがゆえに、インテグラル型製品では、本体価格を安くして、純正部品や保守で儲けるという戦略も生まれる。
ここで、前回書いたプッシュとプルを思い出してほしい(「プッシュとプル − サプライチェーンの二つの方法」)。モジュラー型の製品では、部品についてはプッシュ型見込生産に移行しやすい。一方、インテグラル型の部品は、基本的にプル生産に結びつきやすい(なにせ客先仕様で設計された部品であり、納品先は1社のみなのだから)。
このように、製品のアーキテクチャーには二つの設計思想がある。そのどちらが優位かは、商品の特性や市場環境によって異なり、正解はない。だが、どちらを選ぶかは、サプライチェーンや工場計画のあり方に、密接に関連する。製品アーキテクチャーが、生産システムの戦略を考える上で重要なゆえんなのである。
つい先日、大手通信機器メーカの方とお話していたら、「最近ようやく、ある事業部でE-BOMとM-BOMを統合しました。大変でした。」という話題になった。E-BOMとは設計部品表(Engineering Bill of Material)、M-BOMとは製造部品表(Manufacturing Bill of Material)の略称である。前者は製品設計の部門が使っている部品表、後者は製造部門が使っている部品表だ。
製造業において、BOMは基準情報であり、いわばDNAである。製造とは、せんじ詰めれば、BOMに集約された設計情報を、実物の上に転写して成り立つ行為である。そのDNAにあたる情報が、この会社では二種類あって、それを統合するのに苦労したというのだ。
しかし、実はこの会社は例外ではない。E-BOMとM-BOMが社内で二本立てになっていて、両者には整合性どころか深い溝がある、というメーカーは多い。むしろ、意を決して2つのBOMを統合しようと決意し、それを実現できたという意味では、この会社は先進的な会社だとさえ言える。
なぜ製造業ではBOMが社内に複数種類存在していて、一元化されないのか? 考えてみれば不思議な話である。そもそも、ある製品を作る設計図はひとつではないか。設計図ができれば、それを忠実に実行するのが製造現場である。だとしたら、部品表だって唯一しか存在しないはずだ。−−そう思うエンジニアは、失礼ながら少々、製造という行為を単純に見すぎている。あいにく、人間の行う設計に完全なものなど無い。設計変更はつきものだ。部品材料のストックアウトや品質不良などで、設計図どおりに作りたくても作れないこともある。製造時に代替部品を使わなければならない。
もっと困るのは、部品コードの問題である。本社の設計部門と、工場の資材部門が使用する部品のコード体系が共通化されていないケースである。さきのメーカーでは、「BOM統合の一番キーとなったのは、意味なしコードの採用でした。」と言っていた。
意味なしコードとは何か。たいていの会社は部品マスタ、あるいは品目マスタなどと呼ばれるマスタファイルを基幹情報システムに持っている。このマスタのキーが部品コードだ。そして、部品コードを採番するとき、たいていの企業は、コードをいくつかの桁や記号に区切って、それぞれに多少の意味を持たせようとする。たとえばC-B09-2147は、Cが製品ファミリの番号で、B09は部品区分、2147は連番を意味する、といった風に。
このやり方は良さそうに見えるが、じつは落とし穴がある。設計にもとづいて部品番号を使用する製品ファミリで分類すると、他の製品と部品を共通化したときにコード体系が混乱してくる。製品の分類も、業態の変化とともにしだいに変わる。さらに、購買部門にとっては、製品を基準にしたコード番号よりも、形状や素材分類や仕入先などがわかる方がありがたい。購買課が工場ごとに分散していると、それぞれの要望も異なってくる。
こうして、設計図の指定とは異なる代替部品を使うことが定常化し、設計側と購買側で別の部品コード番号を使うようになって、E-BOMとM-BOMが分離してくるのだ。こうなると、部門間の情報共有はさらに困難になってくる。設計変更は工場にうまく伝わらず、部品の代替使用を設計部は知らないと言う状態が起きてくる。
悪いのは設計部門か製造部門か? どちらでもない。両者を統合しようとする意志が欠けているのが問題なのだ。もしも意味ありコードが足かせになっているのなら、それを廃止して、単純な連番による「意味なしコード」を採用するべきだ。むろん、マスタを入替える作業に大きな労力が伴うことは間違いない。しかし、E-BOMとM-BOMがバラバラである限り、製品のたえざる改善など絵に描いた餅でしかない。
そして、困ったことに、こうした問題は、単独の部署では解決できないのだ。クロス・ファンクショナル・チームで事に当たる必要が出てくる。したがって、どうしてもマネジメントの関与が必須になってくるのである。
設計部品表(E-BOM)と製造部品表(M-BOM)が二元化してばらばらの状態にある。これを統一したほうが良い。そう決意したら、実際に必要になるものは何か。
こういう時に、まず何かソフトウェアを導入して、それからデータを整理・統一し、そして保守・運用主体の部門を決める、という順序で進めるのはあまり賢いやり方ではない。まずツールありき、というのはソフトウェア・ベンダーの販売の都合には合致するかもしれないが、必ずしもユーザのためにはならない。とくに、BOM再構築のように『クロス・ファンクショナル』な課題ではそうだ。
BOMの統合は、前にも述べた「広義のBOM」の視点が必要になる。そして、広義のBOMの中心にあるのは、マテリアル・マスタである。このマスタは、じつは非常に関連ユーザ部門が多い。製造業においては、設計・生産技術・生産計画・購買・在庫管理・製造・物流・販売・保全・サービス・財務、とほとんどあらゆる部門が『物品』とその属性データを参照しながら仕事をしている。また、場所的にも、本社・工場・物流センターというふうにバラバラに離れているかもしれない。
このように複数の部署がかかわりあうマルチ・ファンクショナルな課題で、かつ業務プロセスが確立しておらず、権限・責任体制も不明確な場合は、まず目的を定め、運用イメージを固めるところから着手しなければならない。どこまでの範囲まで統合するかを、先に考えておく必要があるのだ。
次に必要になるのは、データ項目の洗い出しと、実際データの収集・整理である。既存データには、いろいろなゴミや誤りや重複などがたいていあるから、いわゆる「データ・クレンジング」の作業が必要になる。この段階で疲れ果てて挫折してしまわないよう、外部リソースを活用するなど、予算と余裕をみておきたい。
そして、きれいになったマスタ・データを最後に一元化するための器に流し込む。この器が、「BOMプロセッサ」である。では、こうした幅広い業務範囲で利用されるマスタ・データを統一するとしたら、BOMプロセッサとしては具体的にどういう選択肢があるか。
おもな選択肢は三つ考えられる:
(1)ERPパッケージのマスタ管理機能をつかう
(2)専用のBOMプロセッサのパッケージを導入する
(3)自社でBOMプロセッサを手作りする
(1)のERPパッケージは、たしかに幅広い業務範囲をサポートしているから、理屈の上では良さそうに思える。しかし、現実の製造業では、設計業務や生産技術(量産準備)業務までERPでこなしている企業はかなり少ない。かりに実現していたとしても、カスタマイズの山となるケースが多い。
では、(2)の専用BOMプロセッサはどうか。こうしたソフトは、CADやPDMベンダーが作っており、設計業務にはななり親和性が高い。また、設計変更に伴う影響範囲の逆展開・特定など、構成管理の機能も充実していて、良さそうに思える。しかし、逆にいうと運用イメージが設計業務中心であって、とても物流や販売や会計(原価)管理までの属性に手が回りきらないうらみがある。
ということで、現実には(3)の手作りが、一番フィージブルな解だということになる。欠点は、“今どき手作りかよ”という批判(逡巡?)が出そうことだろうか。しかし、パッケージソフトがつねに万能でないことは、次第に多くのユーザが気づきはじめているように思う。
自社用のBOMプロセッサを作ったら、あとは他の業務システムのマスタに対して、そのデータを転写するようにする。そして、大本のデータは必ずBOMプロセッサに追加・更新をかけるような運用イメージをつくるべきである。

製造業のDNAであるBOMデータを守りたければ、その会社のニーズに最も合致したBOMプロセッサを持たなくてはならない。データとはつねに、ソフトウェアよりも寿命が長いのだから。
生産管理の本を読むと、最初に生産形態の分類が出てくる。「受注生産」と「見込み生産」だ。受注生産はさらに、個別受注生産と繰返し受注生産に分けられる。
見込み生産は、たいていの人が思い浮かべる生産方式だろう。需要を見込んで、製品を生産し、販売していく。商店街のパン屋も、横町のお団子屋も、見込みで商品を生産している。食品、飲料、衣料、書籍、雑貨・・こうした、我々が日常生活で買う商品はほとんどすべて、見込み生産で作られる。携帯電話や自動車も、そうだ。こうした一般消費財をつくるメーカーは、TVでも新聞でも、たくさん広告を打つ。知名度を上げて、皆に買ってもらいたいからだ。だから私たちが「大企業」といわれて思いつく会社は、たいていが消費財メーカーだ。
そのせいだろうか、日本では生産形態は見込み生産が普通で、受注生産は特殊だと思っている人が多い。じつはとんでもない間違いである。自動車を考えてほしい。トヨタ自動車の下に、系列部品供給メーカーが何百いるだろうか。こうしたメーカーは、みな受注生産だ。ただし、生産財を作っているから、業界の人以外には知られていない。この間、何人もの大学生にたいして、日本を代表する超優良電子材料メーカーの名前をいくつか上げて知っているかたずねてみたが、ほとんど誰も知らなかった。これから就職活動にいそしむ3年生なのに、消費財メーカーにしか目が向いていないのだ。これでいいのだろうか?
いや、思わず脱線してしまった。私が言いたいのは、日本では受注生産の形態の方がずっと多くて、普通であるということだ。
その受注生産は、さらに2種類にわけられる。繰返し受注生産は、すでに設計の決まっている製品を、注文を受けてから作る。寿司屋のカウンターで注文するようなものだ(回転寿司は、見込み生産である)。本格的な鰻屋もそうだ。客の顔を見てから作る。一方、毎回、ゼロから設計して作る形態も、少なくない。たとえばオーダーメードの服屋さんを思い出してほしい。あるいは、注文住宅の大工さん。基本的に、建設業は個別受注生産だと思って間違いない。そして、SIerの業界もそうですね。個別受注生産は、お客の細かな希望/要望をすべてくみ上げることができるのが長所だ。
見込み生産のことを、英語ではMake to Stock=MTOと呼ぶ。作って在庫にする、の意だ。一方、繰返し受注生産は、Make to Order=MTOという。注文にたいして作る。そいして、個別受注生産を、Engineer to Order=ETOと略す。
ところで、この3種類にたいして最近、新しい生産形態があらわれ、急進してきている。それが、ATOなのである。ATOとは、Assemble to Order。日本語で、『受注組立生産』という。
受注組立生産とは何か? それは、部品あるいは中間製品やモジュールの段階まで、あらかじめ需要を見越して作って在庫しておく。そして、顧客から注文が来たら、即座に部品/モジュールをあつめて組立て、出荷する形態だ。
こんなやり方がなぜ注目を集めているのか。それは、このATOが、MTSもMTOもETOも抱えていた悩みを、かなり解決できるからだ。それは、リードタイムと在庫のバランスの悩みである。
ETOは何しろ、注文してから設計をはじめる訳だから、納品までのリードタイムがやたら長い。洋服でも3週間、住宅なら3ヶ月、プラントなど3年もかかってしまう。その間にお客の要望も懐具合も、どんどんかわっていってしまう。MTOは既に設計図がある分だけリードタイムは短いが、やはり注文してから材料を買って加工し始める。今日の明日、というわけにはいかない。
これにたいして、MTSは注文・即・納品。なにしろ在庫がある。そのかわり、売れ残りや陳腐化の在庫リスクを、つねにメーカーは抱えている。そうしたリスク費用が、すべて乗せられて値段が決まる。客の好みは多様だから、ひどくたくさんの種類の製品在庫を積んでおかなければならない。そのコストは半端ではない。
ここで、ATOの出番である。ATOでは、顧客の要求する仕様に応じた製品を、その場で、中間部品やモジュールの組合せで実現する。これを最も早くから見事に実行したのがDell Computerである。PCのたぐいは、仕様やオプションのバリエーションがとても多い。そこで、Dellは客が自分で「お好みメニュー」を選べるようにしたのである。そして、部品在庫はもっておく。だから注文して数日のうちに、好みの商品が送られてくる。
Dellではこの方式をあえて、BTO=Build to Orderと呼んでいる。だから、受注組立生産のことをBTOとよぶ人も多い。また、客先の希望に応じてコンフィギュレーションしていくわけだから、Configure to Order=CTOとよぶこともある。
ATOが巧みなのは、きわめて多様な顧客の要求仕様を、部品組合せのかけ算によって実現している点である。たとえていえば、1,000種類の要望があっても、それをCPU 10種、メモリ10種、ディスク10種の組合せで対応する。だからモジュール部品在庫は水準を低く保てる。たとえていえば、麺のかたさやトッピングを好きに選べるラーメン屋のようなものだ。
そのかわり、ATOには前提条件がある。それは、モジュール化に対応した設計になっているということだ。BOM(部品表)もその設計に応じた構成に整備しなければいけない。つまり、ATO生産のためには、設計の根本から対応を要求されるのである。
それでも、なおMTSやMTOからATOを目指す企業は多い。それは、やはりリードタイム短縮と在庫低減の効果が、非常に魅力的だからである。今後も、ATO生産形態を目指す製造業は、増えこそすれ減ることはないだろう。

商売柄、多くの製造業の顧客に接していると、つくづく感じることがある。それは、生産の世界はとても多様なのに、抱えている問題はだいたい似通っている、ということだ。工場と生産のあり方は、つくるモノによって非常に異なる。電子材料・精密機器・医薬品・飲料・アパレル・産業機械・化学・原子力関係・・最近かかわった業種をランダムに思いだしてみても、それぞれじつに多様な条件下で、ものづくりが行なわれている。
にもかかわらず、多くの企業で抱えている問題には共通点がある。それは一言でいってしまうとサプライチェーンの悩みであり、それをささえるマテリアル・マネジメントの変化の悩みである。工場は大量・見込み生産の形で大きくなってきたのに、販売はどんどん多品種少量・短納期受注生産のスタイルを要求される。新製品をつぎつぎに市場に投入しなければならないのに、製品開発も量産準備もそれに追いつけずにいるのだ。
それなのに、どこの会社も判で押したように「自分の問題は特殊だ」と信じ込んでいる。この滑稽さは、以前、「特別な我が社」で書いたから、今は触れない。
しかし、「会社四季報」などを見るとつくづく思うのだが、そもそも化学・繊維・機械といった『業種分類』など、いまでは住民票の“本籍地”程度の意味しかない。化学企業が電子部品を作り、繊維メーカーが医薬品で儲け、素材メーカーが飲料を売って成功をおさめているのが今日の姿である。もはや“現住所”はずいぶん離れているのだ。それだけ、日本の技術者の適応能力が高いのだ、とも言える。
しかし、それに比して、管理技術の方は、なかなか進展も変化も見せないものらしい。製品市場では世界に知られる先進企業でも、工場を子細に見ると“えっ、まだこんな方法で生産管理やっているんですか!?”と驚かされたりする。10-15年前に、本籍地から現住所に移ったときの、旧い管理の考え方が、まだそのまま残されていたりするのだ。その一番典型的な例が「意味ありコード」である。
「意味ありコード」とは何か。それは、マテリアル・マスタ(会社によっては部品マスタとか品目マスタとか種々の名前で呼ばれるが)において、それぞれのマテリアルを識別するためのキー・コードのあり方である。そのキーを発番する際、複数の桁区切りをつかって、桁ごとにいろいろな意味を持たせる。これを「意味ありコード」と呼ぶ。
たとえば、PA-C12-74901 という品目コードを持つ部品があったとする。最初のPAは、流体計器という製品ファミリを表わし、C12は製品を構成するサブ・アセンブリのコード、次の749は仕入先のコードで、01は連番、といった具合だ。よく見かける「意味ありコード」の例である。なれた人は、コードをじっと見ると、それがどのような部品で、どこから仕入れて何に用いられるのか、だいたい分かるようになる。とてもインテリジェントな、優れモノのコード体系である・・はずである。
ところが、多くのメーカーでは、これが足かせとなり桎梏となってきている。その理由は、製品の多品種化と、製品領域のシフトである。多品種化にともない、共通部品や共通原料が増えてきた。そうなると、なまじ最終製品に紐づけられた部品コードは不便になってきた。それに輪をかけるのが、製品領域のシフトである(つまり「本籍地」から「現住所」への引っ越しだ)。製品ファミリの概念さえ、次第に現実に合わなくなってくる。こうなると、なまじ「意味ありコード」だったものが、何がなんだか見てもさっぱり分からなくなってしまう。
やっかいなことに、このマテリアル・コードの意味論の混乱は、目に見えない。工場の中で部品の搬送や保管が混乱すれば、だれの目にも明らかだ。しかし、コード体系の混乱は、真面目に生産管理に従事している実務者たちにしか気づれかない。だが、この目に見えぬ混乱は、思いもよらぬ所に影響を及ぼす。それは、製品開発スピードへのブレーキである。もっと具体的に言うと、設計部品表(E-BOM)と製造部品表(M-BOM)の乖離、という形で現れてくる。これが進むと、量産準備の途上でさまざまなトラブルが発生してくる。一番良くないのは、設計部門と工場部門との部門間の軋轢が増してくることだ。
これを避ける方法は一つしかない。それは、「意味なしコード」を採用して、マテリアル・マスタを作りなおすことだ。意味なしコードとは、文字通り、桁区切りなどに意味を持たせない。単純な連番によるコード体系だ。コードだけ見ても、何かよく分からない。だが、別にそれでよいのだ。今日では、どこの端末からでも、マテリアル・コードを検索できるはずだし、今できていなくても、検索可能にすることはたやすい。人間が目で見て判別できるコードが便利だったのは、紙で台帳をつくっていた時代のことなのだ。
考えてみてほしい。あなたの社内の従業員コードは、意味ありコードになっているだろうか? その人の所属部門や年齢や出身によって決まっているだろうか? そんなことをしたら、毎年コードを変えなければならない。だから、たいていの会社は意味なしコードになっているはずである。会社で一番重要である(ということになっているはずの)社員でさえ、意味なしコードで管理しているのだ。なぜ、部品だけは意味ありコードにこだわるのか?
生産管理の仕事を頼まれた場合、私はその顧客のマテリアル・マスタのコード体系を必ず見ることにしている。その作り方で、企業の生産管理のレベル、ひいてはサプライチェーン管理のレベルがだいたい分かるからだ。ただし、意味なしコードへの移行は、単純ではあるが必ずしも簡単な仕事ではない。ある大手通信機器メーカーでは、E-BOMとM-BOMを統合するために「意味なしコード」を使ったが、統合作業自体はかなり大変だったとのことだ。無理もない。コード体系の見直しは、それ自体がプロジェクト・マネジメントを必要とする、立派なプロジェクトなのである。
私の勤務するエンジニアリング会社は、お客様のために工場を設計し、資材を調達し、建設工事を管理し、操業のための情報システムを納入する、というビジネスを営んでいる。自社では工場を持たず、ひたすら他社のために工場を作るという意味では、サービス業である。しかし、世界各地のサプライヤーから資材を仕入れて、建設現場でそれを溶接・組み立てるという見方をすれば、巨大な組立加工業のメーカーでもある。
エンジニアリング会社がメーカーにたとえるなら、その製品とは工場であり、これは一品ごとの個別受注生産品である。そして、エンジニアリング会社の悩みというのは、世界共通で、『設計変更』(仕様変更)の取り扱いにある。なにせ、“工場という名前の製品”のBOM=部品表は巨大である。したがって、設計が完全に固まり、BOMが確定してから組立(建設)に入る、などということは期待し得ない。BOMが少しでもまとまったら資材調達に走り、まだ残りの部分を設計しながら、同時に建設に着手する。こうして短納期をめざすのである。
しかし、とうぜんながら最初に設計した部分と、後になって設計した部分に、不整合が生じてくる可能性がある。また、仮に設計が完璧であったとしても、客先の要求仕様が変わったり、ベンダーの供給性状が合わなかったり、法規制が改正されたりして、設計を見なおさざるを得なくなる。
工場のBOMは巨大であり、かつ設計・調達・建設の役割分担が社内部署にあるため、たとえ小さな設計変更であっても、それがどことどこに、どれだけインパクトを与えるか、担当者だけではつかみきれない。このために、エンジニアリング業界では『設計変更通知』(Engineering Change Notice)と呼ばれる情報伝達の仕組みを使って、変更の確実な伝達とフォローをコントロールしている。そのためのキーとなる職種が、エンジニアリング・マネージャーである。
エンジニアリング・マネージャー(EM)とは、プロジェクト・マネージャー(PM)の下にあって、設計作業一切に責任を持つ職種である。プロマネが映画のプロデューサーだとすれば、エンジニアリング・マネージャーとは、いわば映画監督である。設計の全体像をつねに理解し、それが調達・建設など下流工程の作業にどう関わるかも含めて、采配する権限を与えられている。
設計変更通知は、だれが作成するにしても、必ずエンジニアリング・マネージャーがレビューし承認した上で、関連部署に配布する(どこが関連部署かを考えるのもEMの仕事である)。そのために、変更台帳をつくり、発番と登録を行なっている。そして、どの設計変更は、どんなステータスにあるか(つまり伝達中か変更中か完了か)などをトラッキングしていく。
私の見るところ、見込み生産を含む多くの製造業では、この設計変更通知のコントロール手順がうまく確立していないか、あるいは、あっても十全に機能していないように思われる。その理由はいろいろあるだろうが、“設計変更はあってはならないもの”、“例外的な事象”と考えられているためではないか。それは、最近の製造業を取り巻く状況の中では、明らかにずれた考え方である。
設計は、必ず変更されていく。それにともなって、BOMも生き物のように変化していく−−そう考えて、社内の仕組みを作っていった方が、スピード化の時代にはふさわしいように思うのである。
部品の展開と逆展開
MRPの中心は資材所要量の計算である。製品の需要量が与えられると、そこから、その製品の手元在庫量を差し引いて、正味所要量をまず計算する。正味所要量の分だけ、工場で生産しなければならない。
そこで次に、その製品を構成するBOM(部品表)を参照して、製造に直接必要となる中間部品や資材の数量を求める。かりに製品Aを組み立てる最終組立工程において、部品x・部品y・部品zが、製品A=1個に対して、それぞれ2個・5本・1m必要だとしよう。もし、製品Aの正味所要量が20個だったとしたら、最終組立工程に部品x・部品y・部品zをそれぞれ40個・100本・20mずつ用意しなければならない。これを部品レベルの総所要量ないし従属需要量と呼ぶ。
さて、いま、工場の資材倉庫に部品xが25個あったとしたら、40個の総所要量のうち、残る15個を作っておかなければならない。これが部品xの正味所要量である。もし部品xを1個作るのに、さらに孫部品mと孫部品nを2枚と3個必要とすると(これは部品xの部品表に記述されているはずだ)、mとnはそれぞれ30枚と45個、用意しなければならない。
以下、外部から購入してくる原材料や末端資材になるまで、この計算を繰り返すと、製品A(中間製品と区別するため、最終製品End
Productと呼ぶことがある)の生産に対して必要な資材購買量が計算できる。これがMRPの部品展開計算である。
ここまでは、簡単な論理だ。初歩的な生産管理の教科書にも書いてある。ところで、MRPにおける部品の逆展開というのを御存じだろうか?
逆展開とは、この計算を逆にたどることだ(部品展開のことを英語でexplosionと呼ぶのだが、逆展開はimplosionと呼ばれる)。部品表を、下から上へ、子部品から親部品へとさかのぼる。部品mが10枚あると、親部品xや製品Aは、いったい何個作ることができるか? これに部品nが30個あったら、どうか。
この逆展開の計算は、納期回答をするときに必要になる。今、手元にある資材から考えて、すぐに作れる製品の数量はどれほどか。MRPの部品表には、リードタイム情報も同時に定義してあるから、納期も計算可能なはずである。また、製造設備にトラブルがあって、ある部品の製造が工程が止まってしまったときに、その影響する範囲を調べるのにも、逆展開機能は役立つ。
この逆展開計算は単純そうに見える。しかし、実際の工場では部品の共通化を進めているため、部品mが使われる最終製品はAだけではなくB・C・D・・と複数あるはずだ。また、部品mの手元在庫だけがあっても、他の部品がなければ製品は作れない。したがって、製品に価格や優先順位などがある場合、どれを作るべきかという問題を、逆展開計算は内包してしまう。たとえて言うならば、部品展開計算が“多項式の展開”だとすれば、逆展開は“因数分解”なのである。前者はある意味で、機械的に計算可能だ。しかし、因数分解は、人間の発見的な知恵や定石が必要になる。正確な納期回答がAPSを必要とする所以は、ここにあるのである。
BOMにおける不良率と歩留り率の定義
「あなたの会社では、BOMなどの生産管理のマスタ・ファイルに、不良率や歩留り率をどう登録していますか?」と質問されたら、どう答えるべきだろうか。
だいたい、不良率というのは品質管理の問題だから、これを下げる努力こそが大事で、わざわざその数字をマスターに登録してしまったら、改善に結び付かない−−これがふつうの答えかもしれない。
「不良率は品質管理の問題」という捉え方は当たっているが、一面的でもある。最終製品を検査して、不良品を排除し、不良率の統計を取るの品質管理の主な仕事だ。しかし、品質管理課だけで製品の品質を決められるわけではない。製造プロセス全体の中で、いかに品質をつくりこんでいくかが、生産管理全体の大きな課題である。そのためには、製造の各段階、すなわちBOMの階層を下から順に上がっていく製造工程のどこで、具体的に品質を確保できるかを吟味しなければならない。
そもそも、失礼ながら多くの企業では、「不良率」の定義自体あいまいだ。へたをすると、同じ会社の中でも部署が違うと別の定義を使っていたりする。部品・材料の不具合に起因する不良と、工程上のミスで生じた不良を区別して、前者は資材購買課の問題と称して工場不良率から差し引いたり・・。
そこでまず、混乱を避けるため、資材が製造作業(工順)によってBOMの階層を一つあがるときの、歩留り率(yield)を、つぎのように定義してみる。
歩留り率=その工順から実際に産出された親品目の数量 ÷ その工順から産出されるべき設計上の数量
ただし、ここで「産出されるべき設計上の数量」とは、その工順に投入した子部品の数量と、設計上のBOMにおける所要比率から計算する。
たとえば、親品目Xを1個組み立てるには、子部品A・B・Cが2:2:5の割合で必要だ、と設計上きめられているとしよう。そして、ある日の作業で、A・B・Cを200個・200個・500個用意して、組み立て作業をしたとき、でき上がった親品目のうち、品質検査に合格したものが90個だったら、歩留り率=90÷100=90%になる。
ところで、用意した子部品Cの500個のうち、実際には450個しか使い物にならなかった(あとの50個は購買時点から不良だった)としたら、どうなるか。今度は、「その工順から産出されるべき設計上の数量」は90個だから、そのときの歩留り率は100%だとわかる。
つまり、歩留り率は、その「工順」の産出効率、すなわち作業品質を計るものなのである。なお、製品にならなかった分の材料は破棄されると考える。もし、それが原材料として再利用(リサイクル)可能ならば、工順の製品として原料を登録すべきだろう。そのときは、BOMにループ(自分自身に親子関係を持つ)ができる訳だが。
つぎに、不良率(shrinkage)を定義する。
不良率=1−(設計上必要とされる子部品の数量/実際に消費した子部品の数量)
「設計上必要な数量」とは、BOMに規定されている部品の所要比率×生産すべき親品目の数量で計算される。さきほどの例で行くと、親品目を100個つくる際に、子部品A・B・Cをそれぞれ200個・220個・500個消費してしまったとしよう。部品形状その他のせいで組み付け作業が難しく、Bだけは余計に必要としてしまったと。むろん、用意した部品Bはすべて良品であるという前提だ。このとき、子部品Bの不良率は100%−(200/220)=約9%、という事になる。
つまり、不良率というのは、工順で使用する「部品」それぞれの、無駄になる比率を表している。歩留り率と不良率は、工順のアウトプットとインプットをそれぞれ計るものなのだ。
工場というのは、製造のあらゆる段階で検査をしているわけではない。検査には余計なお金も人もかかるからだ。しかし、不良部品を後工程までずっと流してしまって、最終検査で引っかかったら、それまでの資材と手間がかなり無駄になる。したがって、途中のどこで部品の検査をするのが最も効率がいいのか考えるためにも、BOMには不良率と歩留り率の登録が必要である。
また、生産計画で与えられた最終製品の数量から、原材料の量を部品展開して計算する際にも、不良率および歩留り率を考慮する必要がある。これもBOMに不良率を登録する理由になっているのである。
販売目標と生産計画の不一致が、サプライチェーンの歯車のかみ合わぬ根本原因だ。前回、「生産計画の前にすべきこと」でそう書いた。そもそも、目標は計画ではない。計画はその通り実行されるのが当然だと、誰もが思う。これに対して、たいていの目標は達成できたら上出来だ。目標は背伸びした(ストレッチ)数字を設定するのがふつうだからだ。このため、製造部門の生産計画担当者は、営業部門の出す目標数字をてきとうに「割り引いて」計画を立てるようになる。このズレをなんとか正す必要がある。そこで今回は、販売の計画について少し考えてみよう。
多くの企業では、営業マンに対して販売目標や販売ノルマを与えている。これは金額ベースで、かつ(ふつうは)売上高を指標としている。営業マンはなるべく多く売りたい。また欠品による販売機会損失を最小にしたい。だから、「見積金額はできるかぎり安く」「製品在庫は出来るだけ多く」したい。これが営業と製造の争いの種になるのは周知の通りだ。営業部門と製造部門との間は、『製品在庫』という壁が仕切になって、相手が見えなくなってしまう。逆にいうと、製品在庫の存在が、一つの企業内で、販売目標と生産計画をそれぞれ独立に(バラバラに)立案することを可能にしているとも言える。
ところで、計画と目標のもう一つの違いは、計画は具体的なプロセスに詳細に展開できることだ。生産計画ならば、基準生産計画(MPS)があり、それを部品展開して製造スケジュールや購買手配計画や要員計画に落しこんでいくことが可能だ。一方、販売目標はどうか。「頑張れ」という根性論以外、あまりプロセスが無いのが実態ではないか。
とすると、必要なのは販売目標ではなく「販売計画」と、それを実現するための具体的プロセス・方法論を確立することだ。それは何だろうか?
販売促進の方法論というと、広告や価格キャンペーン、チャネル政策などをすぐ思いつくかもしれない。たしかにそれもあるが、これらマーケティング活動の効果は、なかなか数字で推定しにくい。生産計画のためには、具体的な製品ファミリ別の数量(売上金額ではなく)が必要なのだ。。
数字ベースに根拠を与えてくれる一つの方法は、『需要予測』のプロセスを組み入れることだ。かつて「需要予測を可能にするもの」にも書いたとおり、需要予測の具体的な精度を上げる確実な方法も存在する。ただし、需要予測という方法は、見込み生産の業態でないと適用できない。個別受注生産では利用できない。
見込み生産でも個別受注生産でも共通して使える方法とは、「営業案件のプロセス管理」である。あるいは「パイプライン管理」と呼ぶこともある。これは、全営業マンが抱えている案件をリスト化し、それぞれの進捗ステージ(初回訪問/商品説明/引合い/見積提出済み/クロージングなど)と、対象製品の数量・金額と受注確度を評価した上で、全体の受注量を見通す方法だ。
これに類する作業は、たいていの製造業では半期に一回か、あるいは月ごとに行なっているはずだ。しかし、各担当者の憶測やら希望的観測やらがおりまじって、その精度はけっして高くない。理由は簡単で、各販売員の抱えている案件情報が、マネージャーからリアルタイムに見えていないからだ。「受注しました」という結果報告か、あとは言い訳代わりの販売日報しか情報は上がってこない。
つまり、営業情報のリアルタイムな可視化が必要なのだ。販売結果の報告ではなく、刻一刻と変わりつつある、販売途上の状況の可視化だ。これができれば、おのずから「営業案件のプロセス管理」ないし「パイプライン管理」の精度が上がってくる。販売計画の精度や達成率も高くなる。むろん、個別案件で重要なものや問題になりそうなものは、マネージャーが適切な指示を与えていく。これが(本来の意味での)販売管理であろう。
結局、多くの企業で生産計画に無駄が多かったり、サプライチェーンにきしみが生じたりしている原因の大半は、製造側や物流側ではなく、営業側のプロセス管理が貧弱なことに起因しているのである。根性営業だけでは、もはやダメなのだ。正しい販売計画の方法論こそが、じつは生産・物流の効率を上げることにもつなるのである。
SCE(Supply Chain Execution)ソフトとは何か
i2 Technologies社やManugistics社のコア・プロダクトは、ふつうSCMソフトに分類されている。他にも、SAP
APOやOracle ASCPなども、この範疇に属するソフトウェアだと言われる。これらSCMソフトの特徴は、計画系の機能に秀でていることである。いわゆるERPパッケージが、実行系の機能を中核にしているのに対して、SCMソフトは企業の供給活動における計画プロセスの弱点を強化するために使われる。
ところで、上記のSCMソフト群を、最近ではSCP(Supply Chain Planning)と呼ぶことが多くなった。最後の単語をあえてManagementのMからPlanningのPに置換えた理由は何か。それは、SCE(Supply
Chain Execution)ソフトという、新しいソフトウェアのカテゴリーが最近、急浮上してきたからである。
前者のいわゆるSCPソフトの主要機能は、(1)広域の生産・販売・在庫計画立案、(2)工場内スケジューリング、(3)需要計画、(4)販売枠管理(納期確約)、の4本柱である。これらはたしかに、すべて計画上の機能だ。ところで、計画系のSCPソフトに対し、ERPが実行系のシステムなのだとしたら、いったいSCEソフトとは何をやるソフトで、なぜそんなものが必要なのだろうか。
答は簡単だ。SCEソフトとは、工場の外で使うMES(製造実行システム)なのだ。工場の外、とはすなわち物流の現場にほかならない。それは倉庫であり、物流センターであり、また配車指示センターであり、またときにはトラックの車上であるかもしれない。SCEソフトは、こうした物流現場における、細かな荷物単位における指示と実績情報をつかさどるのである。
だが、こうした実行系の機能は、なぜERPソフトでは十分でないのだろうか?
その答えは、なぜ工場にMESが必要かを考えてみれば、自然にわかるだろう。ERPパッケージの『生産管理』が、工場単位・品目単位での生産オーダーや実績を見ているのに対し、MESの『製造管理』は生産ラインや作業区単位で、ワーク(仕掛品)の進捗や<ディスパッチング>を行なう。前者は1日単位で十分なのに対し、後者は最低でも時間単位である。必要な情報の粗さ(粒度)に、違いがあるのだ。それは、本社における生産統括部門と、工場における製造管理課の見ている、目の細かさの違いでもある(「SCM、ERP、MESそしてスケジューリング」http://www2.odn.ne.jp/scheduling/SCM/SCM-MES-ERP1.htmlの図を参照のこと)。
同じように、物流センターでの運用業務も、本社の物流企画部門がERPソフトの画面でのぞく情報よりも、ずっと細かな情報を必要とする。本社の発行する出荷オーダーにおいては、品目と数量と出荷先、納入日程度があればいいだろう。しかし、物流センターでは、品目の包装形態や荷姿、ピッキングの場所、物流加工の有無、出荷箱の手配、配車スケジュールと車両の到着時刻確認、等々の情報が必要になる。
主に米国を中心にして、SCEソフトと呼ばれるジャンルの製品が、この2−3年の間に急速に市場に現れ、頭打ち状態のSCPソフトをしり目に、成績を伸ばしている。日本でも優秀なベンダーが何社か現れた。今、日本では流通業界を中心とした物流システムの変革が、見えないところで静かに進行しており、物流センターの統廃合やリニューアルがさかんに行なわれている。今後、SCEソフトからはしばらく目が離せない状況が続きそうである。
リードタイムとは、いつからいつまでの期間をいうのか
(2011/10/03)![]()
海外プロジェクトの納期について、社内で議論になった。ま、いつものことだ。現在のわたしの仕事は海外プロジェクト部門のPMOで、主にタイム・マネジメント技術を受け持っている。プランニングとスケジューリングと進捗モニタリングのやり方をどう改善するかが、日々の仕事である。
そのとき議論のネタになったのは、鉄骨材料の調達納期だった。プラントの写真をごらんになった方はお分かりのとおり、プラントというのは配管のカタマリである。その配管を乗せるメインの通り道のようなものを「パイプラック」と呼ぶ。パイプラックは普通、鉄骨を縦横に組み合わせてフレーム(架構)を作る。このフレームの中や上を、多数の配管が通るのである。そして、この鉄骨パイプラックの建設は、しばしばプラント建設スケジュールのクリティカル・パスにになるのだ。
パイプラック用鉄骨の調達リードタイムは、国にもよるが最低でも6〜8ヶ月はかかる。たとえば中東などの鉄骨製造業者だったら、8ヶ月程度と見るべきだろう。そして奇妙なことに、このリードタイムは、発注数量にあまり依存しないのだ。たとえ500tonの発注だろうが、1,000tonの発注だろうが、1,500tonだろうが8ヶ月かかる。
どうしてかというと、実際には鉄骨製造業者の工程を分解すると、次のようになるからだ。
(1) エンジ会社から受け取った図面を元に、素材となる鋼材(これを「生材」と呼ぶ)の必要数量を集計する・・・1ヶ月
(2) 製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月
(3) 「生材」の納入を待つ間に、工場での製作図をつくる・・・(上記に含む)
(4) 入荷した生材を切断・穿孔・溶接して加工する・・・2ヶ月
(5) 加工した鉄骨部材の表面を処理して塗装する・・・1ヶ月
(6) 検査・梱包して出荷する・・・1ヶ月弱
以上を合計すると、1+3+2+1+1 = 8ヶ月という計算になる。この中で、本当の意味で加工・製造と呼べる時間は、ステップ(4)と(5)の合計3ヶ月に過ぎない。ここは、工場内の加工機械の段取りや工程間の資材搬送などが影響して、数量が500tonから1,000tonに増えても、たいして期間的に変わらない(もっともこれが5,000tonとか1万tonとか桁違いに多くなれば、さすがにもっと長くなるが)。そして、(4)と(5)以外の期間はほとんど数量に依存しないから、結果としていつも8ヶ月かかる、という訳である。
この中でも、もっとも馬鹿みたいに思えるのがステップ(2)の、“製鉄所から「生材」を調達する・・・3ヶ月”である。発注準備作業であるステップ(1)を加えると、なんと全体のリードタイムの半分が、鉄骨製造業者から製鉄所への生材調達リードタイムに消費されてしまう。納入の関係を図示すると下のようになる。したがって、プラント全体の建設工期を短くしたいと思ったら、これを何とか短縮しなくてはならない。
[エンジ会社] ←(鉄骨)← [鉄骨製造業者] ←(生材)← [製鉄所]
それにしても、生材というのは要するに、H形鋼とかL形鋼とか、カタログに載っているような標準的商品である。なぜこれの調達が3ヶ月もかかるのか。答えは意外にも、製鉄所が「受注生産」で動いているからだ。鋼材や鋼板といった製鉄所の産品は、わたし達の素人目には区別がつかないものの、かなりいろいろなバリエーションがある。断面の各種サイズや長さの他に、素材である鋼の成分にも多くの種類がある。したがって、製鉄所は見込で生産などしない。実需にもとづいて、月間生産計画を立てる。鉄鋼の素材は溶鉱炉に投入する原料の配合で決まるから、月単位で高炉のスケジュールを立て、その下流工程である圧延その他の工程計画を決める。
実際に溶けた鉄が炉から流れ出てきて圧延・成型・裁断されるまでは、たとえ1,000tonだってほとんど「あっという間」である。ただし、製鉄所は月単位の生産計画だから、1ヶ月間で必要な全品種を、順次無駄がないように切り替えて作っていく。注文したH形鋼のサイズがいろいろあるから、全部の種類がそろうまでには最大1ヶ月間かかる計算だ。そして、材料を全部揃えて検査・梱包し輸送納品するまでに1ヶ月。加えて、受注してから生産計画に組み入れられるまでが最大1ヶ月だ(たとえば翌月計画の締めが毎月15日だとして、受注が16日だったら生産は翌々月になってしまうため)。無論、運がよければ最小2ヶ月以内で納入される可能性もあろうが、確約はできない。スケジュールを立案する側としては、確約された納期で線を引かざるを得ないことになる。
「標準リードタイム」というのは、ある意味、不思議な概念である。それは作業の開始から終了までの時間ではない。指示(Order)が下されてから、それが完了する(Fulfillment)までの、確約できる標準的期間をいう。標準は平均ではないことに注意してほしい。鉄骨製造業者が生材を発注してから納品してもらうまでの平均期間は、たぶん2ヶ月半未満だろう。最小値は1ヶ月程度のこともあるにちがいない。でも、確約できる調達リードタイムは3ヶ月だ。エンジニアリング会社にとって、鉄骨製造業者に発注してから建設現場に納入されるまでの標準リードタイムは、先ほどの計算どおり8ヶ月になる。うまくタイミングさえ合わせられれば、最小6ヶ月かもしれないのだが。
鉄骨生材のリードタイムと似たような状況は、月次生産計画で動いている製品には必ずついて回る。たとえば鋳物などもそうだ。鋳物製造業者も炉をもっていて、その「湯」の配合は月単位で計画していく(溶けた鉄鋼のことを「湯」と呼ぶのは、たたら製鉄以来、ほとんど古代からの伝統らしい)。だから鋳物の標準調達リードタイムは、どんなに少量発注でも、最低2ヶ月(場所と内容によっては3ヶ月)になる。これもタイミングさえ合えば、1週間後に製作できるかもしれないのに。
「確約」は「責任」とセットになった概念である。受注した納入業者側は、顧客に対して納期を確約し、納期に責任を持つ。でも、納期に責任を持つとは、どういう意味だろう? 品質に責任を持つ、なら理解できる。製品の品質が要求に合致しなかった場合、自己負担で作り直すのが品質責任だ。価格への責任とは(あまりそういう言い方はしないが)、約束した価格で製品を納入することだ。思った以上にコストがかかってしまっても、それは自分が負担する。でも、納期に遅れたら、どう責任を取るのか? 時間を取り戻してくれるのか? あるいは納入先に人を送り込んで、後続作業を手伝ってくれるのか。
むろん、そんなことはしないし、できない。せいぜい、納期遅延のペナルティ金を払う(もし契約に規定されていれば)だけである。時間は一方通行で、だれも埋め合わせをすることはできないのだ。
一般にリードタイムが長くなるのは、この「責任」があちこちの隙間にはさまってくるからだ。隙間というのは、むろん、会社間あるいは部署間のインタフェースである。「依頼者」と「受託者」が発生するたびに、かれの責任感の分だけ、確約できる期間が長くなってしまう。会社間の場合は契約上、致し方ないかもしれないが、同じ会社内の部署間でモノや役務が移動する毎に、少しずつリードタイムが加算されていくのは時間の不経済である。
標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。
わたし達が抱えるリードタイムは、このような確約責任と月次サイクルという局所最適化が積み上がった結果、長い待ち時間を含んでいる。これに(上では説明を略したが)「ロット待ち」を加えれば、ほとんどが作業時間でなく待ち時間になると言ってもいい。長いリードタイムは、ビジネス・チャンスに対する敏捷性(アジリティ)の喪失と、目に見えぬ仕掛かり在庫増、そして資金回転率の低下を意味する。
鉄骨製作のリードタイム短縮を議論していたわたし達の対策は、製鉄所への生材発注をやめて、一部をストック材販売業者から購入するべしという結論になった。無論その結果、発注コストは上昇する。いわば、「お金で時間を買う」訳である。それでも一定条件下では、時間短縮の方がコストセーブよりもプロジェクト全体としては有利になると考えられる。こう判断できたのは、むろん、部分よりも全体を見渡す立場に、エンジニアリング会社のプロジェクト・マネジメントが立っていられるからである。
前回書いた「リードタイムとは、いつからいつまでの期間をいうのか」 に対し、H.Kさんとおっしゃる読者の方から、以下のような質問を頂戴したのでお答えしたい。
>生産管理の実務者です。いつも興味深く読ませていただいています。
>
>『部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる』には納得です。
>しかし、もうひとつの『計画立案サイクルを短縮する』事は、立案コストだけでなく、
>生産ロットを小さくする事になるので製造コストも上がりますが、どう解決すべきで
>しょうか?
>リードタイムと在庫、製造コストの変化を、金額で評価して最適値を算出する事に
>なるのでしょうか?
これは、小生が書いた以下の節に対する疑問だと思う。
『標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。』
むろん、生産計画立案のコストは、おっしゃるとおり2倍にアップする。ただ、ご質問の趣旨は製造コストであろう。所属する業種が書かれていないので、ここではとりあえず、もっとも一般的な組立加工系の製造業と想定させていただこう。
さて、ご存じのとおり製造原価は以下のような要素から構成されている。
(1)材料費
(2)人件費・労務費
(3)その他経費(用役費・保全費・減価償却費等)
仮に今、工場内のすべての製造ロットを半分にしたと仮定する。すると上記の項目のうち、どの項目が影響を受けるだろうか。
(1)の材料費は、つくる量が変わらない限り、増えも減りもしない。(2)はどうかというと、社内人件費は基本的に固定費ですから、残業時間が延びない限り、増えない。外注労務費は契約次第だが、派遣形態の場合は社内人件費と同じで、人数や労働時間が増えなければ変わらない。外注(材料支給)形態の場合、ほとんどは加工数量の出来高で精算しているはずである。数量は変わらないのだから、外注費も増えない。
(3)のうち、用役費は、セットアップ・段取り替え作業に非常に水道光熱を要する場合は増える可能性があるが、それは例外ケースであろう。ふつうは加工・製造のために機械を動かす方がずっと、エネルギーも水その他用役も消費するはずである。保全費は? これも、機械部品の消耗は段取り替えよりも稼働時間にほぼ比例するはずだから、あまり変わらない。減価償却費も、年間に決まった金額が帳簿上消えていくだけだから変わらない。
つまり、製造ロットを半分にしても、原価はとくに上がらない、ということになる。
ちょっと待て、人件費はほんとうに上がらないか? セットアップ作業の時間が倍になるのだから、必ず増えるはずではないか! −−そう、反論される声が聞こえそうな気もする。
それは、現時点で常時100%稼働している工程・作業区に対してのみ、YESである。もし人の稼働率が80%とか、70%以下である場合、多少のセットアップ作業時間が増えても、残業も人員追加も不要である。
いや、うちの工場に遊んでいるヤツはいない。不況下の人減らしもあって、ギリギリの人数で操業している。そう、再反論されるかもしれない。
言うまでもないことだが、人はつねに仕事を作り出す存在である。工場で、ただあくびをしながら立っている労働者など、(日本である限り)わたしは一度も見たことがない。加工する材料がなければ、ツールの整備や機械の点検調整やモノ探しや改善活動など、必ず何かの仕事を見つけてしている。とくにモノ探しについては、以前も「『探し物』という名前の時間泥棒」 でも書いたように、一所懸命に働いているように見えながら、じつはちっとも付加価値に貢献していない作業である。これは物流・配膳の不備や、レイアウトの不便から生じる余計な作業時間だからだ。
工場の中の各工程できちんと時間分析をしてみれば分かっていただけるはずだが、製造リードタイムの中に占める「正味作業時間」(=付加価値を生んでいる作業時間+付加価値は生まないが必要な作業時間)の比率は、案外小さいものだ。それ以外の時間は待ち時間である(その中でもロット待ちが結構な比率を占めることはご存じのとおり)。これを作業者の側から見ても事情は似ている。たとえば材料待ちのために、ある部分だけチョロっと組み上げて脇に置いておき、次の製品の組立をはじめ、また材料がそろったら元の組立に戻る、こうした状況では、時間は使っていても生産性が落ちるので、正味作業時間比率は上がらない。
むろん、もしかするとH.Kさんの工場はこんなだらしない状態では無く、各人が多能工化して複数工程をフレキシブルに持ち合い、全員が助け合って正味作業時間比率がみな十分に高いのかも知れまない。そうだとしたら、たしかに残業や人員増がおき、製造コストは多少アップするだろう。そのことはわたしも否定するつもりはない。
もう一つ、ありうる再反論として、「小ロット化で段取り時間が2倍かかり、機械自体の占有時間が増えるのだから、チャージコストが増えてしまうはずだ」という議論がある。たしかに、ある機械のチャージ・レートが1分100円で、それまで1ロット=段取り10分+加工50分=6,000円ですんでいたものが、ハーフサイズになれば2ロット=段取り20分+加工50分=7,000円になる、と思えるかもしれない。
だが、これは典型的な誤解だ。機械の標準チャージ・レートは、その機械の年間減価償却費を、占有時間(稼働率)で割って決める。もしロットサイズを半分にすることで機械の占有時間(稼働率)が上がったら、原価計算の中では「原価差額」を求めて標準値と実績値の差を下方修正する。つまりチャージ・レートが安くなるので、結果としては原価は変わらないのである。(ただ、この仕組みを生産部門の人がよく知らない、あるいは会計部門の中だけで計算してしまうので原価差額が知らされないケースは、ままあるが)
以上、長々と書いたが、まとめると、原価とは固定費と変動費(材料費)の和である。生産数量が変わらない限り、変動費は変わらない。固定費は、文字通り固定的だ。だから、ロットサイズを半分にしても、ほとんど増加しないのである。例外は、工場の全ての工程が、常時フル稼働状態であるケースである。このような慶賀すべき状態である際には、まず検討すべきは生産キャパシティの拡張であり、小ロット化ではないだろう。
そして、まずそもそも、「生産計画のサイクルタイムを月次から月2回に短縮したとしても、必ずしも全製品の製造ロットが半分になる訳ではない」ことはご理解いただけると思う。工場で作る製品の多くは、1〜2ヶ月分の需要をまとめて作ればすむようなタイプの、少量生産品だろう。これはそもそも注文が少ないのだから、わざわざ2度に分けて計画する意味もない。
まあ、この分析はいわゆる加工組立のディスクリート系工場に対するもので、半連続のプロセス生産や、わたしのいう「切替型連続生産」では、もう少し別の分析が必要になる。ただ、その場合でも、かりに製造コストが上がるとしても、需要確度の向上、在庫量の減少などの効果をみて、その得失を総合的に判断すべきだと思う。「総合的に」というのは、製造だけのコスト最適化計算ではなく、製造と販売を含めて、もっとも機会損失が減って利益(粗付加価値)が増えるやり方はどちらか、という意味だが。
リードタイムとは、オーダーを出してから、それが完遂(fulfill)されるまでの時間である。この定義については前回書いたが、さらに正味作業時間との違いについて説明した方が良いかもしれない。あちこちで誤解があるからである。
リードタイムとはあくまでオーダーから完遂までの全体の期間(Gross duration)を示す。生産管理の世界ではつねに総量(Gross)と正味(Net)の二つの量があるわけで、全体期間に対応するのが正味作業時間(Net working time)である。正味時間は、その工順なり作業なりに必要な最低限の時間である。Aという部品1個を旋盤にかけて加工するのに30分かかるとしたら、これがAの加工の正味作業時間である。
ところが、よく考えてみてほしい。部品Aを10個加工せよ、という製造オーダーが現場に出されて、すぐに作業に着手したとしよう。全部で300分=5時間かかって完遂する。つまり製造リードタイムは5時間となる。しかし、この10個の部品(ワーク)のうち、1個だけに着目すると、それが旋盤にかかっているのは30分のみである。では、あとの270分間は何をしているかというと、他の部品の加工が終わるのを、ボサッと待っている訳だ。つまり、リードタイムには正味作業時間の他に、かなりの『待ち時間』が含まれているのである。これを「ロット待ち」と呼ぶことはご存じの方も多いと思う。
しかし、それだけではない。現実の世界では、製造オーダー(差立て)が現場に出されても、まず、その部品が手元になかったりする。資材倉庫からもってこなければならぬ。あるいはサプライヤーからの納品を待つ。さらに加工機械が空く順番を待たねばならぬ。加工用の工具や治具も必要だ。それから旋盤にかけるのだが、まず段取り替えが必要だ。そして調整と確認と工程内検査。あれやこれやで、どんどん正味作業に関係のない時間が過ぎていく。ロット待ちだけなら、なんとなく、リードタイムは個数に比例するのかな、と思いたくなるが、こうしたその他の待ち時間は、あまり個数に関係なさそうだ。
ことは製造に限らず、リードタイムの中には、つねにかなりの待ち時間が含まれている。ということは、リードタイムを短縮したければ、この待ち時間を削減すればいいということに気がつく。ここで活躍するのが三つの定石である。
第一の定石は、「先にできそうな事はやっておく」である。その端的な例が在庫を持つことだ。製品在庫や部品在庫には、そうした“時間の缶詰め”という意味がある(「生産計画とスケジューリングの用語集」の『安全在庫』の項を参照)。よく、料理屋に入って注文した品がなかなか出てこないと(つまりリードタイムが長いと)、「おーい、材料のお魚を釣りに行ったのかな」などと冗談を言うことがある。普通、料理屋は朝のうちに材料を仕入れておく。これが部品在庫の意味で、たしかにリードタイム削減に貢献している。
第二の定石は、「順番作業を並列作業にかえる」である。Xの作業を終えたら、つぎにYの作業、という風になっている手順を、工夫することによって、「Xの作業をはじめたら、それとならんでYの作業を同時並行に進める」という風に変えてしまう。たとえば、段取り替えを機械や工程の外で準備しておく、“外段取り”などはこの定石の一例である。機械加工をしながら、同時に次の作業の段取りを進められるようにする。これによってグロスの時間を短縮できるのである。これを「ファースト・トラッキング」とも呼ぶ。
第三の定石は、「ロットサイズを小さくする」である。これはロット待ちの時間を削減する効果がある。一個流し、はこの極限だ。ただし、これを実現するためには、“シングル段取り”など異種混合でのライン切替をできる限り小さくする知恵と努力が欠かせない。一個流しまではいかなくても、搬送ロットを製造ロットサイズより小さくするだけで効果が出る。100個のロットをつくるとき、全部が加工し終わるのを待たずに、端から(たとえば)10個ずつ次工程に流していく。すなわち、「流れをつくる」である。
いや、これは工場だけではない。ホワイトカラーのかかわる設計や企画段階においても、「情報の経済的ロットサイズを考える」に書いたように、情報受け渡しのロットのまとまりを小さくすることで、エンジニアリング段階でのリードタイムをかなり短縮できることがあるのだ。
あれ、「クラッシング」はどうした? とPMBOK Guideを読み慣れた人は思うかもしれない。クラッシングとは端的に言って、リソースを増やすことによって正味作業のスピードアップを図る手法である。PMBOKの教科書の世界では、リードタイム削減はクラッシングとファースト・トラッキングの二本立て、みたいな解説が多い。しかし、あれは毎回仕事の中身のかわるプロジェクト・マネジメント分野の話である。生産管理の世界では、「先にできそうな事」はいろいろあって、これを利用する方がずっと納期短縮への貢献度は大きいのだ。何事においても、公式の丸覚えより、応用の知恵の方が大事なのである。
拙著「革新的生産スケジューリング入門」の冒頭にも書いたとおり、私はあまり「管理」という言葉を使わない。管理という日本語は便利だが、非常に多義的であり、使い方に注意しないとみえない誤解を生むことがある。
その一つの典型が「在庫管理」ではないだろうか。在庫管理をめぐって社内外の技術者と議論すると、どうも誤解や混乱が生じることが多い。そのうちに私はふと、在庫管理という用語が、じつは二種類の異なる意味で使われていることに気がついた。それは「在庫品」のコントロールと、「在庫量」のマネジメントである。
いったいその二つのどこが違うのだ、とお思いだろうか? 在庫品を管理する事とは、同時にその数量を管理することでもある、はずではないか。
ところが、必ずしもそうではないのだ。製造業の中には、製品や資材の物的管理はきちんとしているが、製品在庫量や資材の在庫レベルについては明確な基準がなく、なりゆきまかせに近いところが、少なくない。それどころか、この両者を担当する部署が異なる場合さえある。うかつにも私は、このことに最近まで気がつかなかった。それというのも、管理という日本語に安易によりかかっていたせいだ。
在庫管理の本を読むと、パレート分析(ABC分析)や、定期・定量発注方式、ダブルビン法などが解説されている。また、安全在庫数量と経済的発注点をもとめるWilsonの公式がのっていることもあるだろう。こうした理屈は、在庫数量をどうするか、という課題に対して役に立つ。在庫が多すぎては困るし(在庫金利や保管費がかさむ)、少なすぎて欠品をしばしば起こすようでは、業務に差し支える。
そこで、基準レベルを決めて、足りなければ補充の依頼をかけ、多ければ供給を止めて減らしていく。無論、客先需要や社内の使用量はいろいろな要因で変動するから、うまく先読みをして計画を立てる必要がある。−−こうした行為が、すなわち「在庫量のマネジメント」だ。マネジメントとは、リスクや環境変動の中で、なんとか目的を達成するための営為を指す。
ところで、「在庫品のコントロール」は、もっと目の細かい、几帳面さを要求される現場作業である。在庫品一つ一つに現品票や整理番号を与えて台帳に記帳し、物品を傷つけないように保管し、入出庫し、包装あるいは開梱し、搬送する。そして、どの物品がどこにあるか、その所在をつねに把握しておく。いったん要請があれば、すぐに取り出せる状態にする。また、急な入荷に備えて、つねに保管スペースの空きを用意しておく。
とうぜんながら、在庫品のコントロールもまともに出来ないような工場では、在庫量のマネジメントなど出来るわけがない。保管がわるくて損失が出たり、所在が行方不明になるようでは、在庫量の把握もおぼつかないからである。しかし、在庫品のコントロールが出来ている企業が、必ず在庫量をマネジメントしているかというと、そうとは限らない。コントロールはマネジメントの必要条件だが、十分条件ではないのだ。
ことに最近は、物流業務を3PLに外部委託するケースが増えている。この場合は、請け負う側は物品のコントロールのみに責任を持つ。在庫レベルの増減、つまりいくつ売り、いくつ作るかは、物流会社の権限の外である。こうして、二種類の在庫管理は、いよいよ組織面でも権限的にも異なるプロセスとなっていく傾向にあるようだ。
そこで私は、混乱を避けるために、前者を物的保管業務、後者を在庫量統御業務とよぶことにしたらどうか、と提案したい。提案したいが、あまり受けないだろうことは想像に難くない。だって「管理」の語がなければ、自分の仕事にちっともありがたみが感じられないではないか。
冷蔵庫の在庫とサプライチェーンを考える (2012/05/15)![]()
牛乳を冷蔵庫から出し、コップについで一口飲んでから、ふとパックの日付をみると賞味期限をすぎていた経験はないだろうか。あるいはヨーグルトやジュースでもいい。たしかに風味はやや落ちているが、別におかしな味ではない。まだ飲めるのにな、どうしてこんな早い賞味期限をつけるんだろう? 飲料メーカーの「リスク・マネジメント」のおかげで、捨てなければならない食べ物が増えたような気がする。そのリスクにしたって、消費者の心配よりも、自分達がクレイマーをおそれてのことじゃないか。そんな気分にもなってくる。
しかし刺身だとか青菜だとか鶏肉だとか、他人やメーカーのせいにできない食料品も、つい無駄にしたことがある。買うときには、すぐ食べるつもりだったのである。でも、何かの都合で後回しになり、そのまま冷蔵庫の中で日が経ってしまった。傷みやすいものは、それでも気をつけるのだが、そうでもないものはつい油断してしまう。こうして、アフリカやその他、地球上で飢えている大勢の子供たちに申し訳ない気持ちになりながら、食べ物を捨てた経験のある人は、わたし以外にもいるにちがいない。このような先進国の無駄が、限られた地球の農業生産物の不平等な分配に寄与し−−なんて高尚なことは思わないにしても、とにかくもったいないではないか。
この問題を解決するにはどうすればよいか。とある日曜日、グローバルな食料不足という課題に微力ながら貢献すべく(つまりは多少ヒマだったから)、サプライチェーンの観点から、解決策を考えてみた。サプライチェーン・マネジメントとは、需要と供給を同期化し一致させることにある。これはこのサイトでも繰り返し書いたことだ。在庫や移動の無駄が発生するのは、その需要と供給が一致していないことに起因する。発生(供給)と消費(需要)のタイミングが合わなければ、そこに在庫が発生し、発生場所と消費場所が違っていれば、輸送が必要になる。
だからといってミルクが飲みたくなるたびに、牛舎からウシを引っ張り出して連れてくるというのも、やや面倒ではある。衛生上、低温殺菌だって必要だ。それにあんな量を毎日生産(排出?)されては、とうてい我が家だけでは消費しきれぬ。やはりここはメーカーさんにミルクプラントを運用してもらい、見込生産で供給してもらうしかない。バッチで殺菌処理して、小分けにして瓶詰めあるいはパック詰めする。そして消費量に見合った配達をする。受け取った方は、やはり冷蔵庫にしまうしかない。
牛乳に限らず、一般に農業生産物は『見込生産』で作らざるを得ない。魚を食べたくなってから釣りに行ったり、漬け物を食べたくなってから大根を植えたりする訳にはいかないからだ。おまけに自然の産物にはその季節、あるいは旬がある。そして生ものだから消費期限も。だからどうしても食料品のサプライチェーンには在庫がついてまわる。米のように貯蔵性の良いもの以外は、長持ちする加工品にして貯蔵することが必要である。まさに人類が昔からやってきたことだ。あとは冷凍・冷蔵するか、である。これを生産者の場所ではなく、消費者の各家庭で実現したのが、家庭用冷蔵庫であった。だから戦後復興期に、冷蔵庫は洗濯機や掃除機とならび、家電必需品となって、家電メーカーを(日本だけでなく多くの国で)大企業に押し上げたのである。
ところで、そもそも冷蔵庫という近代的マシンの機能は何だろうか? 仕組みから言うと、あれは冷媒をコンプレッサーと配管で気化器と熱交換器に循環させ、内部の熱を外部にくみ出すシステムだ。そうした冷却機能と並ぶ、もう一つの柱が「保管機能」である。冷蔵庫は多品種少量品の保管システム、であるはずである。この面から再検討できないだろうか。
工場や物流センターなどで倉庫を機能設計する際のポイントがいくつかある。まず、使う側のソフトの問題だ。保管する物品は、箱や缶やコンテナなどに入れて、ある程度「定型化」することがコツである。積みやすく・持ちやすくなるし、スペース効率も高まる。まあ、牛乳パックなどは合格だろう。野菜や魚介類は不定形なので、ちとやりにくい。だからタッパーウェアは偉大な(そしていかにも米国らしい)発明品であった。かの国では、買い物は週に1回、車で巨大スーパーにいき、一週間分の食料品をカート一杯に積み込んでかえってくる、というのが標準的生活パターンだからである。貯蔵量が半端じゃない。牛乳パックなども2リッターが普通なのだ。
つぎにソフト面で考えるべき事は、その小分けした物品に現品表(カンバン)を貼ることだろう。内容が何で、いつ購入し、いつまでが消費期限かを明記する。そして入出庫管理台帳をつくり、どのIDの物品を出し入れしたか記録する、のだが、こんな面倒なことを家庭ではやっていられまい(じつは、かなり多くの工場でさえ、きちんと現品表を貼らずに資材をおいたり運んだりしている)。
とくに、入出庫管理台帳の一番大事なポイントは、『保管場所のロケーション管理』である。あれってどこに置いたっけ? と冷蔵庫の奥をかき回した経験は誰にもあるだろう。どの物品をどの場所に保管したか。これは後で取り出すときのキーになる。ほかに倉庫管理システム(WMS)の機能として、ある品目の合計量の計算、棚卸と在庫修正、などがあるが、ここには詳しく述べない。そうした情報システムに興味のある方は、渡辺幸三氏の著書「生産管理・原価管理システムのためのデータモデリング」などを読まれることをお薦めする。
ところで、こうしたロケーション管理的な面倒の一切をなくしてくれる、素晴らしい発明がある。それが立体自動倉庫だ。棚が縦横にならんでおり、スタッカー式クレーンなどと呼ばれる機械が動いて物品の出し入れをする。入出庫口に荷物を置けば、自動的に空いている棚に運び入れてくれて、場所は自分で覚えておいてくれる。「あれ取ってきて」と頼めば、自分で勝手に取ってきてくれる。荷物にバーコードでもついていれば、自動的に識別もしてくれる。では、冷蔵庫に自動倉庫機能をつけ加えてはどうだろうか? 消費者の悩みは万事解決、ではないか。
ところが、そうはいかないのである。「あれ取ってきて」とわたし達が言うときには、“あの牛乳の、一番古いやつから先に取ってきて”という意味である。しかし自動倉庫の側は、17番の棚の牛乳と26番の棚の牛乳が「おなじもの」だというパターン認識はできないのだ。せめて商品バーコードが共通なら、同種物品だとは判定できよう。その場合でも、賞味期限までは分からない(バーコードには入っていない)。だから結局、箱と中身の紐づけ(マスタ作成)はユーザの作業になってしまう。
しかももっとまずいことがある。自動倉庫にいったんしまうと、どこに入ったか分からず、視界から消えてしまう。すると記憶からも消えがちになる。どこかの棚で牛乳がチーズになり、ワインがお酢になっていても気がつかないことが起こりうるのだ。定期的な棚卸作業が必要になる。これでは失敗だ。
自動倉庫方式の、機械と情報システムのインテリジェンスに頼るやり方は、(大規模工場ならともかく)冷蔵庫程度のスケールでは引き合わないことが分かった。それでは、どうするか。発想を逆転させて、人間の側の視覚とインテリジェンスに頼ることにしてみよう。
まず大事なのは、どこに何があるか全部見えるようにすることだ。このためには冷蔵庫の扉を現在のような金属製のものではなく、断熱ガラス製にすべきである。さらに、冷蔵庫の幅と奥行きも問題だ。あれでは手前に物を置いたら奥のものが見えなくなる。だから、冷蔵庫はもっとずっと平べったい、奥行きせいぜい30cm程度のものにする。
しかし、そうすると壁面を今よりたくさん占有してしまう。狭い日本の住宅事情から考えて問題だ。これをどうすべきか? じつは、妙案がある。それは、冷蔵庫を縦型から横置き型にしてしまうことである。横置きにして、下に4本の足をつける。つまり、文字通りテーブル型にして、台所ではなく、ダイニングルームの真ん中におくのだ。上面はガラス製だから、上からどこに何があるか、全部一目で見渡せる。以前買ってきて忘れたもの、賞味期限が近づいたもの、すべて目で見れば思い出す。モノ探しの手間もずっと減る。
食事の時に冷蔵庫の中身を見たくないのなら、その時だけ上にクロスを敷くか、あるいはいっそ液晶方式にして、スイッチ一つで洒落た模様に変えるのもいい。
取り出し口は、横につける。つまり引き出し方式にする。この引き出し口は、左右両側につけるようにする。そして中に入れる物品は、すべてトレーにのせる。このトレーは滑りやすくできているので、突っ込んだり出したりが楽にできる。
しかし、出し入れ口を左右二ヶ所にする最大のメリットは、「入口と出口の分業」である。例えば必ず左から入れ、右から出すようにする。こうすると、庫内に左から右にものの流れができる。つまり、先入れ先出し方式が自動的に実現できるのである。どのヨーグルトを先に買ったのか、もう悩まなくていい。右に近い方から順に取り出せばいいだけだ。庫内が一杯になってきたら買い物を控えるだろうし、少なくなったら買い出しの時期だと分かるだろう。
うーむ、われながら素晴らしいアイデアだ。究極の「サプライチェーン型冷蔵庫」である。これを商品化すれば一攫千金、大金持ちになれるだろう。だが、地球レベルの食糧問題に貢献すべく公共心を発揮し、このアイデアは無償で公開することにしよう。
しかし、この程度のことは、ちょっと気が利いた工場ならばすべて職場で実現していることだ。モノを定型化して置く、入口と出口を分けて流れを作る、ロケーション管理の手間を不要にする、そして全体の量が見えるようにする・・わたし達はここに、「単なる物置」から「使用者のための物品供給の仕組み」への進化を見るのである。そしてこうしたシンプルな原則の理解こそ、わたし達の効率をアップさせるために必須の知恵なのである。
需要は出荷量からわかるか
生産計画の出発点は、需要情報だ。需要の数字があり、手元の在庫の数字があって、はじめてどれだけ生産によって供給すべきか、計算することができる。
それなのに、たいていの生産管理の本には、需要とは何なのかを、はっきりと書いていない。生産管理のパッケージはというと、どこからともなく需要の数字が忽然と現れて、入力すれば良いかのようにできている。
しかし、需要の数字は何をもとに誰がどう決めたらよいのか。多くの製造業では、販売(営業)部門と生産(工場)部門に根深い不信感があって、営業部が言ってきた需要予測の数値を、生産計画担当者が勝手変えて、計画のベースにしたりしている。そして言い訳していわく、「営業の予測は楽観的すぎる」「納期が甘すぎる」「販売目標の号令にすぎず、現実的とは思えない」等々。
しかし、かりにこのような組織論的な問題がなかったとしても、予測のベースとなるのは何か、という疑問は残る。過去の販売傾向を分析すれば予測のベースとなるはずだ、というのが普通の答えだろう。もしそうだとしたら、出荷実績を見ればいいことになる。販売管理システムから過去の出荷指示データを引っ張り出して分析すれば、実需の推移が分かるはずだ、と。果たして本当だろうか?
答えから言うと、それは間違いだ。出荷実績データを見ても、需要を表わしてはいないのである。なぜか? たとえば、ある出荷は、客先の要望する納期に10日遅れて出荷されていたのたかもしれない。あるいは、別の出荷は、客先の望んだ品目が欠品だったので、代替品を納めたのかもしれない。つまり、出荷実績というのは、実は『供給の最終的実績』を表わしているにすぎないのである。
需要の本来の内容を見たければ、もっとさかのぼって、実績ではなく要望の側を知る必要がある。では、それは営業担当者が最初に入力した受注情報だろうか? いや、そうとも言い切れぬ。なぜなら、その入力の前に受注をめぐる客先との交渉があって、本来の客先希望納期からすでにずらされていたり、品目が代替されている可能性があるからだ。
では、その情報はどこにあるのか。私が働くエンジニアリング業界などは、引合いの最初に調達要求書(Purchase Requisition)を作ってベンダーの営業担当者に渡すから、これが需要情報の本来の中身を示している、と言えるだろう。しかし、これは買い物のほとんどが注文生産品、というプラント業界の特殊性によっている部分が大きい。標準品のカタログ買いの世界では、調達要求書を毎回作ったりはしない。まして、末端消費者の買う最寄り品の世界では言うに及ばずだ。八百屋に野菜を買いに行くのに、調達要求書をもっていく人がどこにいるだろう?
需要情報とは、本来こうした性格のものであることを計画者は知るべきだ。予測が不確実、云々を議論する以前に、直近の需要実績を知ることすら、きわめて難しいのだ。だからこそ、そこに意志決定のプロセスが不可避なのであり、計画の技術が必要なのである。
生産管理の教科書をひもとくと、最初に「生産形態と生産方式」という話が出てくる。そして、製造業は『見込生産』と『繰返し受注生産』と『個別受注生産』に分類できるとの説明がある。いうまでもなく、見込生産は自社が需要を見込んで、先に生産してから販売する形態である。受注生産は逆に注文を受けてから(=需要が確定してから)生産する形態で、それはさらに、すでに設計済みの製品を受注に応じて繰り返し作るケースと、設計自体から個別に着手するケースとにわけられる。
見込生産品は一般消費者向けの製品が多い。家電だとか自動車だとか日用雑貨品など、TVでコマーシャルをうって名の知られている企業の製品だ。そこで、つい生産形態というと見込生産が中心のように感じている人が多い。しかし、自動車一つとってみても、車両メーカー1社の下に、多数の部品メーカーがぶら下がっている。家電なども同様だ。つまり、見込生産よりも受注生産(とくに部品メーカーなどの場合は繰返し受注生産)をとる企業の方が、数としてはずっと多い。少なくとも日本では、受注生産企業が製造業の主流である。
生産形態の区分は、製品の企画(仕様決定)を誰が主導するのか、という話とも重なる。見込生産では、自社で企画・設計した製品を作る。そして自社製品としてカタログにのせている。一方、受注生産では、顧客の指定した仕様に応じた製品設計となる。内部機構等は自社技術かもしれないが、少なくとも外部仕様は顧客側の要求に応じるわけである。もっとも、中には、製品の需要がきわめて限られていて間歇的なため、自社のカタログに載せてはいるが、実際の製造は注文があったときのみ行うケースもありえよう。とはいえ、これは例外であって、受注生産は顧客仕様に従う、というのが暗黙のルールだ。
以前も書いたとおり、生産システムとは需要情報をモノの供給に変換するための仕組みであり、生産管理のゴールは需要と生産を同期化することである。受注生産では確定した需要を起点にできるのだから、少なくとも、作りだめと在庫ストックは不要となる。そのかわり、部品・材料製造の業界は利幅が薄くても我慢できる−−はずなのだ。
さて、以前、ブレーキパーツの保安上重要な部品をつくっている会社を訪問した。この会社は自動車メーカーが主要顧客だ。その経営者と話していたら、こんな悩みを打ち明けられた。「うちの工場は、プッシュ生産とプル生産が混在するので困っている。どうしたらいいのかアドバイスしてほしい。」
ここでいうプッシュとかプルとかは、すなわち見込生産と受注生産を指すらしかった。ちなみに、自動車会社へのサプライはカンバンないし電子カンバンでの発注/納入が主流だった。カンバンの引き取りの納期はわずか1日、つまり翌日納入である。注文が来たら問答無用、言われた数量分を納めなければならない。ところが、この経営者は具体的会社名は伏せながらも、「愛知向けは前月・前々月に受け取る発注内示から、当月の引取量がそれほどぶれない。しかし、愛知以外は精度が低いので難儀している。2万個必要だ、と前月言っていたのに、当月になると急に2万5千個納めるように、と指示がくる」という。
このような状況で、いったい何をすべきとアドバイスすべきだろうか? いうまでもないが、月に5千個も数量がくるうならば、その分だけあらかじめ作りだめして、製品在庫としてとっておくしかない。その自動車メーカーの内示予定がどれくらいブレるかによって、積み増すべき在庫量を決める必要がある。欠品すれば取引に重大な支障が出る以上、それ以外にとるべき道はない。
さて、それとはまた別の機会に、飲料大手向けに納入している容器製造メーカーを訪れた。ご存じの通り、飲料大手はたいてい容器をJIT納品するよう要求している。納入は日のみならず時間指定だ。そして、おかしなことに、容器メーカーは受注生産であるにもかかわらず、飲料大手の側は、なぜか発注書を切らない。納品した数量だけ、事後に単価精算する。これが業界慣習らしかった。そして、営業への口頭指示にもとづいて、容器メーカーは工場を動かしていく必要がある。事前の発注内示量は、あまりあてにならない。
この容器メーカー向けに生産計画・スケジューリングシステムを設計していた私は、あるとき、はたと気がついた。「なんだ。これは受注生産ではない。サプライヤーの側が納入量を想定して、前もって生産しているのだ。つまり、これは顧客仕様品の見込生産ではないか!」
部品メーカーや容器メーカーは、典型的な繰返し受注生産だと思われているし、私もずっとそう信じていた。しかし、考えてみると、確定した数量の内示もなく、十分な製造リードタイムも与えず、直前になるまで納入量もタイミングも決まらない状況では、受注生産の形をした見込生産しか、対応する方法がないのだ。顧客仕様品だから、他への転売もきかない。読みが当たらなければ、ストックをかかえ続けるだけである。
なぜ、こんなことが起きるのか? 答えは、簡単だ。使用者(つまりセットメーカーや飲料大手など消費者の手に届く最終製品のメーカー)の側で、生産計画がふらふらしているからだ。気まぐれな需要に応じて、いつでも計画を替えたい−−そう、彼らは考えている。しかし、そのために部品在庫を自分で持つことはしない。部品サプライヤーに言えば、すぐに持ってきてくれるからだ。
このために、サプライヤー側はどうするか? むろん、見込をたてて作りだめをするのである。あれほどJIT生産方式では避けるべきと言われている「作りすぎのムダ」を、じつは知らないうちに下請けに強制しているのである。それは、当然コストを伴う。
これがすなわち、確定できない世界における、計画変更のコストである。では、そのコストはだれがもつのか? セットメーカーの営業側費用では、なかろう。何らかの形で、製造原価にもぐり込んでくる。そして、そのツケは隠微な形で販売価格の裏側にまわされてくる。
以前、OR学会の研究会で、サプライチェーン・マネジメントに必要なことは、作り手の「コミットメント」と「リスクテーク」だ、と説明したことがある。先行内示の量を決めること。決めたら守ること。それがサプライチェーン全体からムダを排除する、最大の鍵である。すなわち、不確定な環境下で、需要を先読みして決断すること。そのために、何らかの仮説をもつこと。それを他社に伝えて共有すること。−−これら一切は、従来の安定指向(大量生産)型日本企業では、許されない、存在してはならない行為だった。その証拠に、「コミットメント」も「リスクテーク」もカタカナ言葉で、しっくりくる日本語は存在しないではないか。
受注生産だが見込生産。これが、今日の産業において、どこにでもある「ありふれた矛盾」である。これを意識して解決しない限り、最終セットメーカーの競争力は本当には向上しないにちがいない。
プッシュとプル − サプライチェーンの二つの方法 (2010/03/22)
大勢の乗客を乗せた豪華客船が深夜、氷山に衝突した。船体にはひびが入り、みるみる浸水が拡がっていく。乗客はみな甲板に上がり、救命ボートに乗り込もうとする。だが、救命ボートの数が足りない。こんな巨大な船が沈むはずがないと考え、スペースのためにボートの数を減らしていたのだ。女性と子供を、まず優先させなければいけない。
船長は一計を案じ、まず米国人の男性客達を見つけて、こう言った。「今、ここで率先して海に飛びこめば、あなたはヒーローになれますよ。」「そうか!」−−米国の男達は、われ先に冷たい海に飛びこんだ。つぎに船長は、イギリス人船客の男達に、こう言う。「今ここで飛びこめば、あなたは紳士として尊敬されますよ。」「わかった」−−英国人の男性達は威厳をつけて海に飛びこんだ。さらに船長は、フランス人の男性達に、こう言う。「今飛びこめば、あなたは女にもてますよ。」そういわれてフランスの男達はつぎつぎに勢いよく飛びこんだ。そして船長は、ドイツ人の男性達に、「皆さん、船から降りてください。これは規則です。」すると彼らは序列を作って海に飛びこんだ。
最後に船長は、日本人観光客の男性達のところにきて、こう言う。「さて皆さん。他の男の人たちはみんな海に飛びこみましたよ。」
・・だれが考えたジョークかは知らないが、一種の誇張された戯画とはいえ、私たちの傾向の一面を突いている。『隣百姓』という言葉があるが、私たちは何かと、周囲の人のふるまいを見て、自分のすることを調整する傾向が強い。
それは会社組織の行動についても、例外ではない。「ライバル会社は皆、そうしてますよ。」という言葉は、「そんなやり方、時代遅れですよ。」というセリフとともに、一種の殺し文句に近い。正しいやり方かどうかとか、効率的かどうかについては、我々は議論する。しかし、自分だけ取り残されることに対しては、本能的な恐怖感をもっている。それはある意味で、私たちの社会の協調性ないしチームワークの強さを作っている。と同時に、参入競争の激しさや、全員が同じ方向に流されやすい不安定さの原因でもある。
過去10年間というもの、生産マネジメントの世界では、『トヨタ生産方式』がこの国を席捲していた。なんといってもダントツ一人勝ちの会社であり、日本経済の牽引車と皆が考え、そのやり方を学び真似ることこそ、ものづくりの世界で生き残る秘訣と信じられてきた。であるからこそ、カンバン方式もセル生産もアンドンも、多くの工場に競って導入されてきた。いや、導入が試みられてきた。トヨタ生産方式が機能するためには、その商品特性をはじめとして5つの必須の条件があるのだ、ということを私はこのサイトでも、かつて書いた(「あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由」 2008/06/30)。だが、私のような一個人が私的ホームページで何を主張しようと、大きな潮流などむろん変えられるものではない。
トヨタ生産方式、あるいは「トヨタ流」生産方式の中心には、プル型の生産思想がある。需要に応じて、必要なものを、必要な量だけ、必要なタイミングに生産すること。すなわち、自分で勝手に需要を見込んで生産し、出来上がった製品を市場に押し込む(プッシュ)ではなく、実需で消費された分だけ、機敏に補充生産すること。つまり、市場に向かって下流側の製品引き取り(プル)を契機にして、上流側が部品を加工して補うこと。これがトヨタ流生産方式の要点であり、その指示ツールとして、カンバンが用いられる。と同時に、製造ラインは段取り替え時間を最小化して、品目の変化にすぐ追随できるようにする。ややこしい計画立案などしなくても、出荷を起点として、カンバンにしたがって工場を動かせば、余計なつくりすぎなど必要なくなる。まことに合理的なシステムである。
ところで、トヨタ自身は、最終製品である車両について、引き取り補充型の生産などしていないことは注意に値する。最終組立ラインは、実需にもとづいてはいるが、順序計画をたてて動かしている。むろん月間生産計画も持っている。トヨタの系列部品会社にさせていることと、トヨタ自身がやっていることは少し違うのだ。自動車業界のサプライチェーンの形を見ればわかるとおり、流通チャネルはメーカー別に系列化されており、車両メーカーは販売計画と生産計画の両方を自分で決めることができる。もう少し言い方を変えれば、トヨタを中心として、生産(供給)側はプル型で、販売側はプッシュ型で動かしているのである。
この点は、長年のライバルである日産と比べると、相違が引き立つ。これは伝聞だが、日産の製造の人は、あまり自社の販売力に期待を持っていないらしい。そこで、受注確定を起点にして、生産側が完全に追随する、という方式を理想としているようである。全サプライチェーンを、プル型で動かそうとの努力である。トヨタが、販売チャネルに対して、必要ならば引き取り義務を課したりして、生産量の平準化を保とうとするとする姿勢とは、対照的である。だが、そのおかげで、部品会社から見ると、日産の月別先行内示量は、トヨタの内示量に比べてばらつきが多く、あたらない、という現象が生じる。全社プル型では、すべて市場の需要まかせなのだから、内示(予測)など当たるわけがない。結果として、部品会社の方でも安全在庫を積みまして、需要変動から身を守る必要が生じる。
私は、どちらが優れていてどちらが劣っている、とここで即断するつもりはない。サプライチェーンのデザインは、その業界の習慣や製品の特性、また企業の実力や社内の力関係などによって、さまざまな解がある。ものごとを実現する方法は、一つではない。たいていの場合、複数の解があって、いずれの方法にも一長一短がある。それを客観的な目で公平に見て、もっともフィージブルと思われる方法を選び、それに賭ける。これが経営判断というものだろう。
ところで、複数の方法がある際に、無意識に一つの方法を選びとる傾向が生じるとき、我々はそれを『文化』という名で呼ぶ。生産マネジメントの分野で見る限り、私たちの社会は明確に「プル型」文化である。プッシュかプルかの選択肢があるとき、プル型を選ぶ。プル型とはつまり、上流側が下流側に合わせる方式、供給側が需要側に譲歩する方式、買い手側の主張にサプライヤー側が身を引く態度、である。下請けさんには泣いてもらおう−−こう考えるのは(自分の都合を他人に押しつけるのだからプッシュ型みたいに思えるが)プル型の思考形態である。プッシュ型とは、自分の主張を、顧客に対して押し出すタイプを言う。「うちの製品は品質が高く、技術も優秀なんだから、買うのが当然だ!」こういう自己主張の強いタイプが、プッシュ型である(どこかの国のOSメーカーとか、ERPメーカーとかに、ありますね)。
だからプル型は受注生産に、プッシュ型は見込生産に向かう傾向が強いのも、当然であろう。何度も書いたが、日本の製造業の9割は、受注生産形態である。プル型の思潮に、とてもよく合う。ところが、トヨタ自体は、いわばプッシュとプルのハイブリッド型なのだった。そして、これは、自動車産業のサプライチェーンで正しく運用すれば、とても効率的な仕組みだった。正しく運用すれば、だが。
リーマン・ショック後の赤字決算につづく、リコール問題の噴出で、トヨタの威信が大きく揺らいでいる。おかげで、これまで陰でくすぶっていたトヨタ批判も、少しずつ口に出されるようになってきたらしい。私は、このサイトでの書きぶりからもお分かりの通り、トヨタという会社自体は好きでも嫌いでもない(ちなみに自家用車はトヨタではなくFIATのちっぽけな車に乗っている)。だが、無批判にトヨタのやり方を真似る事は意味がない、と主張してきたつもりだ。周囲のやっている方法に無意識に自分を合わせる−−これもまたプル型文化の傾向の一つであろう。みんなが乗るからといって豪華客船に乗り込み、みんなが飛びこむからといって氷河の漂う寒い海に飛びこむのは、ナンセンスである。プルであれ、プッシュであれ、それを自分の頭で考えて、選び取るべきなのである。
一ヶ月ほど前になるが、大手自動車会社N社の生産ラインが、部品納入が間に合わないために数日間ストップする、とのニュースが新聞などを賑わした。問題の電子部品(エンジンの燃料噴射制御ユニット)を納入していたのは、これも大手製造業H社である。H社は大慌てでユニットの中核部品(カスタムIC)を追加手配して、なんとか間に合わせようと必死になっている、との話だった。H社がカスタムICを購入している先は欧州半導体製造企業であった。なのでメディアの論評は、H社の海外調達のあり方に向かったようだった。
この話は、ちょうどその頃に実施した工場見学ツアーのバスの中でも話題になった。この工場見学は、慶応大学管理工学科と生産革新フォーラム(通称『MIF研』)の共同主催によるツアーで、日本を代表する工作機械メーカーA社を訪問にいくところだった。このときの工場見学はとても興味深いものだったが、その内容についてはまた別途書くことにしよう。元の話題に戻ると、N社対H社の問題は、巷間言われているようにサプライヤーH社側に原因があるのではなく、調達元のN社側に原因があるのではないか、というのがMIF研の先輩達の憶測であった。もっと言えば、N社の内示量と実際の引取量に大きな差があったのではないか、という推理である。
自動車産業のサプライチェーンが、自動車会社(つまり最終組立工程と販売網を有するメーカー)を中心とした、一点集中型の構造になっていることは周知のことと思う。一点集中型というのは、計画立案を行うポイントが自動車会社のみにあって、系列サプライヤー企業の生産は、自動車会社の車両生産計画に合わせて制御されるからだ。部品は、最終組立工程に対して、ジャスト・イン・タイムで納入されることを求められる。
そのためのツールが、かんばん方式(あ、N社の場合はこの言葉を使ってはいけないのだった。でも内容はほぼ同じだが)と、先行内示である。自動車会社は、翌月・翌々月における部品の調達見込数量を、あらかじめ部品メーカーに対して「内示」の形で示す。そして、当月の実際の納入は「引取かんばん」で直近に確定する。引取かんばんを受け取った部品メーカー(最近は受け渡しは電子化されているが)は、あらかじめ定められた時間単位のリードタイムどおりに、その数量を生産しておさめなければならない。遅れてはいけないのはもちろんだが、早すぎる納入も許されない。これがジャスト・イン・タイム(JIT)生産方式である。
では、万が一、部品の納入が遅れてしまったらどうなるのか。その場合、最終組立ラインが即座に停止するかというと、そうはならない。自動車会社の側で、必要最小限の部品在庫を持っているのが普通だからだ。ただしその在庫量は、数時間分から、せいぜい数日分程度だ。だから、1週間以上の納入遅れが生じたら、まずライン停止につながると思った方がいい。いったん部品欠品による組立ライン停止となれば、巨額の間接損害のリスクが生じる。だから部品サプライヤーは必死になって「供給義務」を守ることになっている。
さて。問題は需要に変動が生じた場合、どうなるかだ。部品サプライヤーを指導するJIT生産方式のコンサルタント達はふつう、“神様じゃないんだから誰も先の需要なんて正確には予測できない。だから、どんな注文(かんばんによる納入指示)が来ても対応できるように、生産方式を作り上げる必要がある”と主張する。そのためには、ロット数を減らして一個流しを追求し、シングル段取りによって段取り替えロスタイムを極小化し、さらにセル生産により生産能力の自由な増減を可能にしろ、という主旨の現場改善を進めるわけである。
ところで、どのような現場カイゼンを積み上げたとしても、各メーカーには、対応可能な生産変動は無限にはならない。ある上限が存在するはずなのである。その上限を超えるような需要変動(納入指示の急な増減)が生じたら、どうするか。
そこで「先行内示」が頼りになってくるのである。引取かんばんというのは、実際には発注書ではなく、分納指示書に相当する、と考えられている。つまり、内示書に今月は合計10万個と書かれており、今日受け取ったかんばんでは2万個を納入しろとなっている場合、あと8万個の納入指示が来るのだろうな、と想像できる(もしその日以前に何も納入していなければ)。逆に言うと、部品サプライヤー側では、日単位の急な増減には対応しきれなくても、内示によって月単位での目安量がわかっていれば、その分だけあらかじめ平準化生産して準備・対応すればいいことになる。
ただ、たとえば月間内示が合計10万本と言っていたのに、ある日突然5万本納入しろと言われ、数日もたたぬうちにこんどは7万本ほしいと言われたら、どうするか。月間内示量と、実際の引取量合計にひどい差が出る場合、もはや対応能力を超えてしまうわけだ。そして、これは複数の自動車会社に共通して部品をおさめているメーカーの経営者から直接聞いた話だが、「愛知向け以外の内示は、差が大きくてあてにならない」のだそうだ。愛知向け(某トップ企業)だけは、ほぼ1割内外の差で内示と実績が合致するという。MIF研の先輩達が疑ったのも、N社が出した内示が現実とひどく乖離していたのではないか、という状況なのである(無論これは憶測であって、真相は全く別のところにあるのか見知れないが)。
繰り返すが、欠品というのは生産にとっても販売にとって大きなリスクである。大きな需要変動はそのリスク源である。そして、『リスク・マネジメントは本当に可能か』(2010/08/10)にも書いたとおり、
可能性×影響度
リスク = −−−−−−−−−
対応能力
なのである。言いかえれば、部品サプライヤーにとって、
需要変動の幅 < 対応能力
ならば、このリスクは吸収できる。逆に
需要変動の幅 >= 対応能力
だったら、もはやリスクは吸収できなくなる。いいかえれば、自動車会社はリスクを部品サプライヤーに転嫁できなくなる。そして、「内示」の正確性は、この「対応能力」を向上させる非常に大きな因子なのである。
リスクというものは、それが外因性のものである場合(需要変動は典型的に外因性だが)、それ自体を無くすことはできない。ただ、対応能力を高めて「吸収」し無化することは可能だ。そのためには中期的な予測(ここでは「内示」)が、その対応能力向上の切り札なのである。そして自動車業界で、予測・計画に責任を持っている唯一のポイントは、自動車メーカーなのだった。いや、たとえどの業種のメーカーであれ、欠品のリスクはとりたくない、でも部品在庫というリスクも回避したい、と思うなら、自社のサプライチェーンが有する対応能力の幅を、正確に把握するしかないのである。
「神様じゃないんだから、需要なんて予測できない。だから、どんな注文が来ても、即応できるような体制の工場をつくらなくてはダメだ」−−これは、ジャスト・イン・タイムを推進するコンサルタントの人達がよくいう言葉である。需要予測なんかに頼って、見込で生産していてはいけない。まして、製品在庫を山と積み上げておくなど愚の骨頂だ。必要なモノを、必要なタイミングに、必要な量だけつくる。製造リードタイムを短縮して、注文から数時間以内に出荷できるようにするべきだ。
そのために、小ロット化をすすめて段取り時間を極小化する。同時に、工員の多能工化を推し進めて、セル生産や一人屋台方式を実現し、大量生産時代の象徴であるベルトコンベヤーや自動倉庫を排除する・・。こういうお話を、あちこちで、それこそ耳にたこができるくらい聞かされている。その根本は、「需要予測に頼るな」というテーゼにある。予測がほんとに可能だったら、それこそ、決められた量の製品を、作りやすいように固めて作ればいいことになる。同じものを繰り返し作る方が機械は効率がいいし、同じ材料をまとめて仕入れた方が単価は安くなるに決まっているからだ。
ご存じの通り、アメリカ産のサプライチェーン・マネジメント・ソフトウェアは、たいてい「需要予測」機能を売りにしていた。あてにならない需要予測を、いかに精度を上げるか。その上に、いかに精緻な計画を作って実行するか。それが、「プッシュ型」論理で成り立つアメリカの製造業の夢だったのである。
ところが、日本の製造業(とくに自動車と電機業界)は徹頭徹尾、「プル型」の論理で成り立っている。“今日電話したら、明日持ってこい”が当たり前と思う顧客が大勢居て、それを受けなければ成り立たない営業体制がある。顧客指定の個別仕様で、『すりあわせ型』の製品・部品を求められるのが常だから、需要予測なんどというのんびりした事はやっていられない。予測や計画なぞに頼るのは、(まあ極論すれば)罪悪である。−−これが「計画はずし」の論理であった。
さて。ここで一つ問題が生じる。それは、工場の拡張や新工場建設の問題である。2005年頃から昨年の夏まで、日本の製造業は久方ぶりの好況を経験していた。そして、活発な内外の要求に対応するため、新工場の計画があちこちで進められていた。この計画のベースは、何だろうか? もちろん、需要の見込みに決まっている。注文をもらってから、あわてて工場を建てる会社などない。どこの業界のどんな企業でも、新しい工場を建てる時には、中長期的な需要予測に頼らざるを得ないのである。
自動車業界も例外ではない。各社があらそうように北米に新工場建設を進めていた根拠は、当然、各社なりの米国需要の読みにちがいない。米国の自動車需要はまだ堅調に推移する。そう予測し、その上で投資計画を実行した人たちが、自動車メーカーには、いたのである。電機・電子業界も、似たような状況だったと想像される。そして、こうした予測は、残念ながら2008年9月の米国発金融不況によって、完璧に外れることとなったのだった。
そもそも、(以前にも書いたが)自動車業界のサプライチェーンというのは、その中心に自動車メーカーという巨大企業が居て、販売側の流通チャネル(ディーラー網)も、供給側の部品製造会社(系列サプライヤー)も、すべてコントロールする形になっている。サプライヤーを同期制御するためのツールとして、有名な『かんばん』ならびに先行内示がある。先行内示とは、当月・翌月・翌々月の製造見込み量を示すもので、サプライヤーはこれを元に、多少納期のかかる資材の手配をかけている。
そして、この「内示」というものは、自動車メーカーの生産計画によって決まる。その生産計画のベースは? むろん、直近の予測である。つまり、自動車メーカーとは、巨大なサプライチェーンの中で唯一、需要予測をする予測センターなのである。予測は一箇所だけですればいい。あとは全員、それにしたがって粛々と実行すればいい。各人が勝手な予測や見込や思惑で、ブレた行動を取ってもらっては困る−−そういう論理で、この業界は成り立っている。だから「計画はずし」が指導されるのだ。
眼下の不況で、日本の製造業はどこも青息吐息である。なぜ、こうなったのか。むろん、受注量が急減したからだ。個別製品の需要予測に頼って、それが外れたからではない。予測に頼らぬ工場づくりをしてきた自負はある。だが、そもそも、ここまでベース需要が落ち込むことなど、誰が『予測』できただろうか? まことに、予測などあてにならない、そう、みなは感じているにちがいない。
だが、それは同じコインの裏面なのである。「落ち込みを予測できなかった」というのは、「落ち込まないと予測していた」のと、同じ意味だ。直近の需要予測は意識して排除したが、中長期の需要予測で大きく間違えた。それが今日の不況の原因ではないか。製造業においては、予測から無縁でいることはできない。それはとくに、工場能力の計画においてそうなのである。
これから何回かに分けて、あらためて『工場計画論』を考え直してみたいと思っている。この状況下で、何を寝惚けたことを、と批判されるかもしれない。しかし、あえてこういう時期だから、やってみたいのである。旭山動物園の物語をご存じかもしれないが、「理想とすべき動物園の姿」は、一番厳しい冬の時代に考えられたのである。低迷している時ほど、本来の姿を考えるべき時なのだ。
この不況は、いずれ終わる。最終需要予測のずれから生じた、一過性のブルウィップ効果によるものなら、トンネルの出口は遠くない。そのときまでに、理想の姿を考えておく。それこそ、われわれ技術者の責務というものではないだろうか。
どちらを向いても不景気な話が昨今多く聞かれる。日本の2008年第4四半期GDP成長率はマイナス12.1%(年率換算)で、'74年の石油ショック以来の落ち込みだ、とか、この半年間に非正規雇用者は数万人規模で首切りが進んでいる、とか、株価低迷で5,000円台への落下も杞憂ではない、といった話だ。いずれも昨年秋の米国発金融危機以降のニュースである。
また、個別業界を見ても、1月の工作機械受注はなんと84.4%減だ、とか、電子部品業界は設備投資がまったく止まった、とか、建設機械の受注もぱったりだ、とか、日本の産業の牽引役とされる自動車や電機産業以外でも、異変が立て続けに起こっているようである。わがエンジニアリング業界も、今期の受注はまことに厳しい。
こうした話題は、それぞれは、真実だろう。しかし、その反面、「はてな?」と首をかしげたくなることも少なくない。たとえば、日本のGDP成長率であるが、なぜ金融危機の震源地である米国(-6.2%)や英国(-1.5%)よりも、さらにずっと低いのだろうか? また、共同通信によると、トヨタやキヤノンなど大手16社は合計4万人の削減を発表したが、一方この16社は内部留保を過去6年間でほぼ倍増させ、今や約33兆円以上と空前の規模だ。それに、たとえば電子部品業界の投資がストップし始めたのは昨年前半からのことで、リーマン・ショックよりだいぶん前だ。
もう少し、不思議な事もある。たとえば、世界の主要な石油産業における投資計画を見ると、2009年は昨年度とそれほど大きな差はない。世界の携帯電話販売台数(出荷台数ではない)は、昨年度も4.3%増だった。ついでにいうと、中国の2009年経済成長率はプラス6-7%、インドも同程度が見込まれる。−−こうした状況証拠を積み上げてみると、どうも「米国金融危機から世界同時の大不況がはじまった」ことで我が国の問題をすべて説明するのは、無理があるように感じられる。
それでは、いったい何が本当の原因なのか。そこで思い出すのが、「ブルウィップ効果」である。この言葉は、サプライチェーンにおける需要見込のブレが、消費者側から上流側に向かうにつれてひどくなる現象をさす。スタンフォード大のハウ・リー教授が名付け親といわれる。英語で「ブルウィップ」というのは、カウボーイが牛の群れを追うときに使う革の鞭で、手元でちょっとひねると先の方はとんでもなく大きく動く。消費者におけるわずかな需要変化が、卸、メーカー、とサプライチェーンをさかのぼるにつれて大きくぶれ、原材料メーカーのレベルでは需要が極端に増幅されることをあらわしている。
ブルウィップ効果に関する解説は、たとえば慶応大学管理工学科の曹徳弼教授の講義ノート「サプライチェーンマネジメント(Supply Chain Management)」 などで勉強することができる(ちなみに、曹教授の「プロジェクト・マネジメント」講義は、一昨年から小生も非常勤として数回お手伝いさせていただいている)。
これによると、現象の発見は1961年のフォレスターの研究報告にさかのぼる。しかし本格的な原因究明はリー教授らの研究(1997年)かららしい。小売店での末端需要変化が、川上に向かっていく段階で、その変動幅が拡大してしまい、全体で過剰な在庫や欠品を生み出してしまう原因は、その過程における「情報劣化」にある。とくに消費者から離れる産業ほど、長期の需要予測をする必要があるので、市場の変化が過剰増幅されて伝わってしまい、次のような連鎖が起こるのである。
(1)消費者の需要が数%ダウンする
→(2)小売店が需要減に気づき、仕入れを10数%手控える
→(3)卸業者が在庫過剰をおそれて、仕入れを数十%削減する
→(4)メーカーは、製品在庫だけで出荷量をまかなえるので、生産をやめる
→(5)原材料サプライヤーは、100%需要が無くなって青ざめる
「情報劣化」については、『口コミ』を例にして、曹教授がうまい喩えを書いておられる。棒で殴った→どうなった→頭を殴ったなら大変→棒で頭を殴ったらしい→病院にいったの?→当然救急車でしよう・・つまり「伝言ゲーム」である。これが、サプライチェーンの中で実際に起こるのである。
私が感じているのは、これと似た現象が、昨年以降日本の各業界で(理由はともあれ前後した時期に)起きているのではないか、という疑いである。たとえば、
不動産が売れない→建設単価の下落→ゼネコンが苦境→建機の受注がストップ、
というのが一つだし、
携帯電話市場が飽和→電話会社がスローダウン→携帯電話セットメーカーの出荷量が低下→電子部品業界の生産量低迷→電子材料関連装置の投資ストップ、
という連鎖もある。これに、米国景気が急降下→米国で自動車が売れない、という連鎖まで加わった。
ところが、この事象への対応として、大手各社が労働人員削減を大々的に行った結果、どうなったか。今度は一般消費財も住宅も落ち込む事態となった。携帯も不動産も売れない。こうして需要の波動はさらにループを形成して、増幅されハウリング状態になっているのだ。
さて、ブルウィップ効果の解決策は何か。経営工学が教えるのは、こうである:(1)「過剰解釈による情報劣化が問題だから、解釈の権限を限定する」、(2)「サプライチェーン・マネジメントSCMを導入する」。前者の解決法は、トヨタをはじめとする自動車業界のとってきた方法だ。計画は、自動車メーカーのみが立案する(つまり需要の解釈は一箇所のみで行う)。あとのサプライヤーは全て内示とかんばんで同期化する。・・この方法は理想的に見えたが、あいにく解釈の誤りは防ぐことができなかった。
そうすると、解決法は、もはや“賞味期限が切れた”と思われているSCMに、もう一度立ち返るしかないように思われる。リーは、ブルウィップ効果の根本原因を5つにまとめている。(1) 需要情報の処理 (2) リードタイム (3) ロットまとめ (4) 欠品 (5) 価格変動。これらにまつわる問題を、協力しながら一つ一つ、つぶしていくしか方法はないのだ。
・・というところで、今回の話はおわりにしてもいい。しかし、「派遣切り」の問題に関して、どうしても一言だけつけ加えておきたいと思う。それは、派遣社員を切った大手企業が内部留保をたくさんもっていたことへの批判ではない。派遣切りよりむしろ問題なのは、製造現場を、「切れる」形の派遣主体のワークフォースに、いつの間にか変えてきてしまったことではないだろうか。
私は以前、「生産システムの性能を測る」の中で、“システムの性能を測る尺度として最低必要なものは、有効性と、効率性と、安定性の三つである”と定義した。そして、安定性(ないし頑健性 Robustness)とは、生産システムの中核をなす労働者の人達が、安心して快く働き続けられることであり、頑健性は、その職場の事故率や離職率の逆数で測られねばならないと書いた。
日本の製造現場で起きていたことは、そのまったく逆、つまり目先の効率性や有効性を優先するあまり、長期的な安定性を損なう施策であった。その結果は、今やブルウィップ効果のハウリング現象で、自分自身にはね返ってきている。人を切ったおかげで、消費も冷え込み、自分も弱まるのだ。人員余剰というリスクを局所的に避けようとしたあまり、社会全体がダウン・スパイラルにおちいりかけている。まさに局所最適が全体不良を引き起こす、囚人のジレンマ(『合理的な意志決定のつみ上げがマクロな不合理を生む』 「考えるヒント」2006/10/29参照)の典型ではないか。脱出したければ、独房を出てお互いに手を取り合い、協力し合うしかないはずなのに。
基準生産計画(MPS)と販売・操業計画(S&OP)の間
先日、「図解サプライチェーン・マネジメント」の読者の方から質問をいただいた。それは、「MPS(Master
Production Schedule)とS&OP(Sales
and Oepration Plan)の関係が分からない。両者は別物なのか、それとも同じものを指すのか」という意味のご質問だった。
たしかに、どちらも、MRPの出発点である、というような説明をされることがある。そもそも、MRP自体が日本で普及していない訳で、MPSとかS&OPなどの実態にふれる機会もほとんどない。だから、その違いが分かりにくいのも無理はないだろう。また、S&OPは「販売部門と生産部門が調整して立案する計画」という説明もあるが、これもMPSも該当するように思えるから、いよいよ混乱しがちだ。
それで、答えから先に言うと、「基準生産計画(MPS)」は「販売・操業計画(S&OP)」から直接、算出されるもので、いわばS&OPの一部である。S&OPは文字通り販売計画(需要計画・販売チャネル管理・ATP予約など)を含むもので、生産側だけを対象にしたものではない。
なお、S&OPはこれまで『販売・事業計画』と訳されることが多かったが、“事業”という言葉はビジネス的な意味が広すぎて、かえって対象範囲が分かりにくい。ここで指しているのは、販売と対をなす、供給の範囲の仕事、すなわち生産・輸送・在庫などの、工場・物流センターの操業のことである。そこで、最近MIF研究会の仲間で「工場管理」誌に連載をはじめるにあたって、『販売・操業計画』という訳語の方がいいだろう、という案が出された。これは良い訳だと思うから、ここでもそれを使わせていただく。
最近は「生販在計画」、あるいはProduction, Sales & Inventoryの頭文字をとって「PSI計画」という用語も普及しはじめているようだ(私のATOK
12は、うっかりするとこれを“性犯罪計画”と誤変換してくれるから油断も隙もない^^;)。これは複数の生産拠点や物流拠点、販売チャネルを持つ大企業におけるS&OPの一種だと思ってさしつかえないだろう。
これに対し、基準生産計画(MPS)は生産だけにかんする計画である。MPSの中核は、じつは生産オーダーの集合である。私の知る限り、MPSはベストの企業でも週次サイクルで、ふつうは月次から月2回サイクル程度しか作っていないと思われる。工場側はその生産オーダーを工程展開して、実際の製造スケジュールや作業指示をつくっていく。MRPの出発点だといわれる所以である。
日本の多くの企業では、「月例生販会議」などと称して製造側と営業側の代表者が集まり、お互いの見通しを出し合って数字を調整する機会を持っている。だから、この会議の結論がMPSであると考えたいところであるが、じつはここには留保条件がつく。それは、「計画」としてのコミットメントの度合いである。言い方をかえると、どれほど皆がこの数字を尊重しながら動くか、がポイントなのだ。
本来、MPSには需要タイム・フェンスを設定して(数日から1週間程度)、「もう直近のこの期間内の需要変更は受け付けません」という運用ルールを、営業・生産両者で守るべきものだ。むろん、営業にいわれるまま、毎日のように生産オーダーを変更調整している会社は多々あるが、そんな状態のものをMPSと呼ぶ価値があるかどうか、私は疑問に思う。
そして、そのために役員クラスのマネジメントのコミットメントが必要とされる。これが本来のS&OPの目的であろう。
「販売部門と生産部門が調整して立案する計画」というとき、それがマネジメントによってオーソライズされ確定された計画のことをいうのか、単に部員同士が寄り集まって“声の大きいもの勝ち”で作られる紙切れのことをいうのか、その実態を見極めなければ意味がないことを理解すべきである。
生産座席予約システムとATP
先日、MIF研(Manufacturing Innovation Forum)で、日本の“生産座席予約システム”と、MRPIIにおけるATPの関係が議論になった。ここで両者の相似と相違について、あらためて自分なりに少し整理してみたい。
まず、ATP = Available to Promiseからはじめよう。ATPは需要計画ないし販売枠管理において柱となる概念の一つでである。ATPとは、製品の現在庫数量を基にしたAvailability
checkを時間軸上に延長したもので、客先から需要オーダーが入った時点で、当面の供給計画をもとに将来の「在庫量」を計算し、確約した受注にひも付けられていない数量ないし納期を回答する。
ATPの解説については、松原恭司郎著「図解 ERPの導入」(日刊工業新聞社[1997])のP.154-156 に、簡潔ながらすぐれた説明がある。この本は現時点で入手できる、<MRPII>に関する日本語で書かれた唯一最良の本だろう。また拙著「革新的生産スケジューリング入門」の第三章13節にも、ATPを一応解説している。
ATPの計算ロジックは、最終製品単位の基準生産計画(MPS)と、客先から受け取っている需要オーダーをベースにしている。需要オーダーには、販売担当者の願望的な予測から始まって、具体的顧客からの引き合いや予約、そして確定受注オーダーまで、さまざまなレベルが存在する。が、確約されたオーダー(committed
order)から順に、将来availableな「在庫量」を引き当てて予約していくのだから、ATPはある意味でまさに生産座席予約に等しい訳だ。(「在庫量」にわざわざ括弧をつけているのは、その製品がどこかの倉庫に実際に積み上げられるかどうかは確定してないからである。)
例えば、NECで導入された座席予約システムでは、最終製品単位の供給予定量が与えられており、その中から営業担当者が順に予約していく方式であったと、知人の本間峰一氏から聞いた覚えがある。
ところが、青山学院大学の黒田先生のご説明によると、生産座席予約システムでは、MPSではなく生産能力(capacity)がベースになっているとのことだ。予定されている生産能力に対して次々予約を入れていくことによって、初めて最終製品品目が確定していくので、MPSはむしろ座席予約のアウトプットであるということだった。
生産座席予約の具体的事例をあまり知らぬまま敢えて憶測するのだが、このような形の「能力」予約が可能であるためには、満たされるべき条件があるような気がする。それは能力が製品数量の形で表現可能だということである(普通MRPIIの世界では、能力は時間で表現するので)。
製品ファミリー別に製造ラインを持っているフローショップ型の企業では、能力を製品数量の形で表現することは難しくない。しかし、一般にジョブショップ型の企業では、この関係付けはなかなか困難だろう。
とはいえ、ジョブショップ型製造業の中には、いわゆる、T字型のBOM構造を持つ業種がある。自動車やコンピューターなどがその典型である。こうした製品は、基本モデルに対し、オプション仕様の組合せから無数のバリエーションが生まれる。こういう業種では、MPSを考える場合でも、最終仕様レベルでの計画を立てるより、基本モデル単位(製品ファミリー単位)での計画を立てる方が現実的である。
T字型BOM業種の中にはこれを一歩進め、いわゆるBTOを行っている会社がある。デル・コンピュータが有名だが、自動車業界では、例えばトヨタなども実質的にBTOだ。BTOでは基本モデルの状態となる中間製品までは、見込み生産で作りだめをしておき、注文に応じて最終仕様を受注生産する。生産システム論的にいいかえると、プルとプッシュのカップリング・ポイントを「T」字の交点ぎりぎりまで持ってきている業態である。
このようなBTOを行なっている会社では、基本モデルベースでの生産座席予約が可能だろう。そして、座席予約自体は最終仕様にもとづいて行なうわけであるから、予約の結果はまさにMPSになるわけだ。しかし逆にいうと、BTOになっていないジョブショップでは、能力←→数量換算や、原材料部品在庫の制約などがあって、生産座席予約はかなり困難だろう。
以上をまとめると、MRPIIのATPをベースとした需要計画と、いわゆる「生産座席予約システム」との間には、以下の三点の違いがあると思われる。
(1)予約のベースとなる供給計画を、社外に対して開示するか否か
(2)供給計画として、基準生産計画(MPS)を用いるか、ラフカット能力計画を用いるか
(3)生産方式に条件があるかどうか(生産座席予約が可能なのは、製品ファミリー別に製造ラインを持っているフローショップ型の企業か、BTOを行なっているジョブショップ型の企業。これに対してMPSベースでのATPでは業種業態は問わない)
両者は基本ロジックにおいてはほぼ同じものだ。じっさい、たとえばSAP R/3 (SD)のATPや、i2 technologies
SCPのAllocated ATPは、ほとんど販社による座席予約と事実上同等の機能を提供しているといっていい。ATPの概念は1980年には米国で確立していた。そういう意味では、残念ながら純粋に日本独自のものとは言いがたい。
とはいえ、私自身は、将来における供給能力を予約するというアイデアや計算ロジックを、日本人と米国人のどちらが先に発明したのかという議論はあまり重要だと思っていない。
むしろ、それよりも両者の一番大きな違いは、黒田先生も指摘されているように、(1)の社外開示のような、ビジネス上の使用ポリシーにあるだろう。需要オーダーというものの性質、つまり受注確度の濃淡や優先度、変更・キャンセルの取り扱いなど、法務及び商慣習上のややこしい問題をクリアしなければとうてい実現できるものではない。とくに米国における契約ベースでの企業間関係のシビアさを、多少実体験している身としては、その難しさは言うに余る。
会社対会社の「予約」という、法律論的にはリスクやあいまいさを伴う行為を、長期的な信頼関係という土壌の上で、現実に可能にしてしまった、日本の企業文化や風土の独自性を評価することの方が、もっとずっと大事なことだろう。こうした日本社会の中にある独自な優位性、いわゆる米国産「グローバル・スタンダード」とは異なる個性を、いかに伸ばし利用していくかが、われらが製造業の復活を左右するポイントのはずだ、と思うのである。
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