なぜ「利他の心」が生じるのか  
                                   2004年1月18日 寺岡克哉


 人間には、なぜ「利他の心」などというものが存在するのでしょうか?
 人間は利己的にだけ、つまり「自分だけのため」に生きれば、それで良いのでは
ないでしょうか?
 しかしながら、なぜ人間は自分が損をしてまで、他人の利益になることをするので
しょうか?
 今回は、この「利他の心」が起こる理由について考えてみたいと思います。

 利他の心が起こる理由として、まず最初に考えられるのは、
 「他人に親切にすると自分も気持ちが良くなり、他人に意地悪をすると自分も嫌な
気持ちになる」
と、いうことだと思います。
 他人に親切にすると、喜ばれたり感謝されたりします。それで自分も良い気持ち
になるのです。反対に他人に意地悪をすると、嫌われたり憎まれたりします。それ
で嫌な気持ちになるのです。

 中には、他人に意地悪をすると良い気持ちになったり、他人から親切にされると
「人から情けは受けない!」などと言って腹を立てる人もいますが、そのような人は
心のひねくれた人間です。
 そのような人間は、世間の人々から憎まれるので不幸です。そして本人も、自分
の人生に幸福を感じていないと思います。いつもイライラし、自分でもわけが分から
ずに腹が立ち、幸福そうな世間の人々を憎んでいるのではないかと思います。

 ふつう人間は、他人から好かれることを望み、他人から憎まれることを嫌います。
だから、人から好かれるようになるために、あるいは人から嫌われないようにする
ために、「利他の心」が起こるのです。

 「利他の心」が起こる理由としてつぎに考えられるのは、「情けは人のためならず」
というのがあります。
 これは、
 「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分にもよい報いが来る」とか、
 「人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」
という意味です。
 この場合は、自分が行った利他の行為が、直接に報われるわけではありません。
 しかし自分が親切にしたその人が、「人に親切にするのは良いことだ!」と実感し
て今度は別の人を親切にし、そのような「親切の連鎖」が人々の間にめぐりめぐって、
いつかは自分も誰かから親切にされることを言っています。
 あるいは、「親切な心」がめぐりめぐって人々の間に浸透すれば、犯罪や争いごと
が無くなって社会が平和になり、ひいてはそれが自分の利益にもなっている。と、
いうことかも知れません。

 ところで今お話したことは、利他の行為をすれば直接的であれ間接的であれ、何か
しら自分によい報いが返ってくるというものでした。
 しかし私は、「報い」がまったく返らなかったとしても、「利他の行為」は自分の大き
な利益になると考えています。

 それは、利他の行為によって「自分の生命の意義」が与えられ、しかもそれを
「永遠のもの」にしてくれるからです。


 自分はいつか必ず死にます。だから「自分だけのため」にしか生きていなければ、
自分が死ねば、それですべてが無意味となってしまいます。
 たとえ莫大な財産を築いても、最高の喜びや快楽を得ても、さらには「究極の真理」
を悟ったとしても、それらが「自分だけのもの」でしかないならば、自分が死ねばすべ
て無意味となってしまうのです。それらの財産や喜びや快楽や真理は、最初からこの
世に存在しなかったのも同じです。
 自分の行う何らかの行為(思考や行動)が、他の生命にまったく影響を与えなけれ
ば、自分がこの世に存在しないのも同然なのです。
 だから、自分が生きて存在することの意義、つまり「自分の生命の意義」を与えてく
れるのは「他の生命」なのです。
 (生命の意義については、エッセイ11でもお話していますので、そちらも参照して
下さい。)

 そして、自分が他の生命に与えた影響(自分の生命の意義)は、他の生命から他
の生命につたえられ、自分が死んでも永遠に存在しつづけます。つまり他の生命は、
「自分の生命の意義」を永遠に生かしてくれるのです。
 しかしながら、自分が他の生命に「悪い影響」を与えたならば、それは永遠に
つたわらずに消滅してしまいます。

 なぜなら生命には、良い影響を取り入れ、悪い影響を捨て去ろうとする働きがある
からです。もしもその逆だったら、生命はとっくの昔に滅んでいたことでしょう。
 この地球に生命が存在し続けるためには、「良い影響」を取り入れてそれを大切
に守り、後世につたえて行かなければなりません。そして「悪い影響」は、その場で
すぐに捨て去らなければならないのです。
 だから、自分が他の生命に与える「良い影響」だけが、永遠に伝わって行く
のです。


 他の生命が幸福になるように苦労し、他の生命に「良い影響」を与えること。つまり
「利他の行為」は、「自分の生命の意義」を永遠のものにする行為なのです。
 人間は、「いずれ自分は必ず死ぬ!」と、はっきり自覚している生物です。だからこ
そ、人間には「利他の心」が生じるのです。

 完全に利己的な人間・・・。
 「世の中のすべては自分だけのためにある!」という人間は、「死」がとても恐ろし
く、耐え難く、やりきれないものに感じるに違いありません。
 それは「自分の死」によって、「自分の生命の意義」も完全に消滅してしまうからな
のです。



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