前世の業について        2004年2月8日 寺岡克哉


 前回のエッセイ102では、「輪廻(りんね)」や「前世(ぜんせ)」について考えまし
た。その続きとして今回は、「前世の業(ぜんせのごう)」というものについて、考え
てみたいと思います。
 (今回の話は、エッセイ102を読まれていないと、すこし分かりにくいかと思いま
す。まだ読んでいない方は、先にそちらを読んで頂くようにお願いします。)

 「前世の業」の「前世」とは、エッセイ102でお話しましたように、いまの私が生ま
れる前の、私の「過去の生命」のすべてです。そして「業」とは、「行為」とか「行動」
という意味です。
 この「業」には、歩いたり走ったりする身体の運動のほかに、食べたり飲んだりす
ること。見たり聞いたりすること。あるいは、思考、意思決定、喜怒哀楽などの、精
神や心による行為。そしてまた、話をしたり、文章を読んだり書いたりする、言語に
よる行為も含まれます。
 だから「前世の業」とは、「今の私が生まれる前」に私が行った、私の思考や言動
のすべてを言います。

 ところで仏教の教えによれば、今の私が置かれている状態や状況は、すべて「前
世の業」が原因になっていると説明します。
 つまり、「今の私が生まれる前」に行ったさまざまな行為が原因となり、その結果と
して、今の私が苦しんだり喜んだりしているというのです。
 この「前世の業」という考え方は、あまりにも非科学的なので、これも以前の私は
まったく信じていませんでした。
 しかし「前世の業」についても、それなりの科学的な根拠があることに気がついた
のです。

 たとえば私には、性欲や、異性を求める欲求があります。そのために、人生にお
いて色々と悩み苦しんだり、あるいは至福の喜びを与えられたりします。
 恋愛のこの上ない喜びも、失恋のどん底の苦しみも、すべてこの欲求が原因とな
っているのです。
 しかし、どうして私には、性欲や異性を求める欲求があるのでしょうか?
 それこそまさしく、「前世の業」が原因となっているのです。

 エッセイ102でお話しましたが、「私の前世」は、地球で最初の生命体に始まり、
バクテリア、プランクトン、軟体動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、人類までの、
生命進化のすべてでした。
 その過程で生命は、オスとメスが互いに求め合って結ばれるという、「有性生殖」
を獲得したのです。
 つまり、「私の前世」が有性生殖を獲得したために、今の私に性欲や、異性を求
める欲求が存在するのです。そしてさらには、そのような欲求が原因となって、私の
人生にいろいろな苦しみや喜びが生じるのです。
 このように、「有性生殖を獲得した」という「前世の業」が、いまの人生に影響して
いるのは確かです。

 そしてまた人生には、強い者に虐げられる苦しみや、さまざまな競争、闘争、争い
による苦しみが存在します。
 あるいは、弱い者を知らないうちに虐げてしまう罪や、ほかの生き物を殺して食べ
なければ、自分も生きられないという悲しみが存在します。
 これらの原因は、生命の進化において、「食物連鎖」や「生存競争」などの「弱肉
強食の競争原理」を採用したことです。
 だからこれも、「前世の業」が原因となっているのです。

 また、今の私たちが暮らしている、社会の環境や、世界の情勢。
 たとえば、国家、民族、政治、経済、軍事。あるいは、教育、文化、学問、芸術。
 これらは、人類の過去の歴史・・・ つまり過去の人々の行った、さまざまな行為が
原因となって形成されています。
 そしてエッセイ102でお話しましたように、私たちの親や、そのまた親たち。つまり
私たちの先祖も、私たちの「前世」なのでした。
 だから、現代の社会や世界がこのようになっているのも、すべて「前世の業」が
原因となっているのです。

 このように「前世の業」は、現在の私たちに色々な影響を与えているのです。
 ところで、「前世の業」を未来に向けて考えると、今の私たちの生き方そのものが、
未来の生命の「前世の業」になっているのが分かります。
 だから今の私たちには、未来の生命に対する責任があるのです。

 今まで何度もお話していますが、「私の生命」の始まりは、40億年前に誕生し
た、地球で最初の生命体です。

 そして、この最初の生命体は、「たった一つ」であったろうと考えられています。
 それは、「すべての生命がDNAを持つ!」という、まったく同じ基本構造をしてい
ることから、そのように考えられているのです。
 つまり、「一つの生命体」から子孫が増えていったので、すべての生命が同じ基本
構造をもつのです。

 地球にかつて存在した生命や、いまの地球に存在する生命、そして未来に存在す
るであろう生命は、すべてこの最初の生命体(つまり私の生命の始まり)の子孫な
のです。
 ゆえに、過去に存在したすべての生命は、「私の生命」の変化したもの(前世)で
す。
 そして、いま生きているすべての生命も、「私の生命」の変化したもの(現世)です。
 さらには、未来に生まれるすべての生命も、「私の生命」の変化したもの(来世)な
のです。
 だから「前世」も「現世」も「来世」も、そのすべての生命が、「私の生命」の生まれ
変わったものなのです。
 そしてそれは、私だけでなく、すべての生命についても言えるのです。

 あらゆる時代において、すべての生命は、すべての生命の生まれ変わりで
ある!
 これは、「生命」というものの、一つの真実を表しています。すこし不思議な感じが
しますが、「生命」をDNAの視点から見れば、確かにこのような主張が可能になる
のです。

 私たちの死によって、私たちの生命が終わるのではありません。
 未来の生命も、「私たちの生命」の生まれ変わりなのです。

 だから私たちには、未来の生命が幸福になるように努力する動機があり、責任
があるのです。

 ・・・我々は、「前世の業」を受けて生まれた。だから「現世の苦しみ」が存在する。
「前世の業」は、もはや変えられない。しかし「現世」で良い業を積めば、「来世」に
幸福な生命として生まれ変わることができる・・・。
 このような仏教の考え方を、今お話したようにように解釈をすこし変えれば、現代
でも通用する考え方になると思うのです。



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