負の発展原理         2004年4月11日 寺岡克哉


 前回は「負の競争原理」について考えましたが、今回は「負の発展原理」というも
のについて考えてみたいと思います。

 前回でお話した「負の競争原理」とは、競争による足の引っぱり合いや不正によ
り、進歩や発展が妨げられたり、さらには衰退を招いたりするというものでした。
 つまり、「競争原理が、かならず進歩や発展をもたらす訳ではない!」という話で
した。

 しかし今回お話する「負の発展原理」は、現象としては前回のそれと似ています
が、ちょっとニュアンスが違うのです。
 「負の発展原理」は、進歩や発展をするにはします。しかしその進歩や発展の方
向が、「悪い方向」へと向かっているのです。

 そのいちばん代表的な例は、やはり「戦争」です。
 戦争によっても、たしかに色々なものが進歩発展します。
 たとえば、軍隊が高度に組織化され、情報収集の能力が向上し、戦略や作戦が
緻密に計画され、その実行が迅速かつ正確になります。
 また、戦闘機やミサイル、あるいは原爆、水爆、精密誘導爆弾などの新兵器の
開発により、テクノロジーも進歩します。
 さらには軍事特需がおこり、軍事関連の産業が活気をおびて、経済の景気も良く
なります。
 しかし結局それらは、「人間を大量に殺す方法」を進歩発展させているのです。

 そしてこれは、テロリズムにも同様のことが言えます。
 テロリストの集団も、高度に組織化され、世界的に連携をとり、その手口がどんど
ん巧妙になっています。
 これもたしかに、進歩や発展をしていると言えばしているのです。しかし、その進
歩や発展の方向が、「悪い方向」へと向かっているのです。

 ところで人間には、「相手に勝ちたい!」とか、「相手より強くなりたい!」という、
本能的な欲求があります。
 そして、この「本能的な欲求」は、善悪を区別しません。善いことでも悪いことで
も、相手に勝ちさえすればよく、相手より強くなりさえすればよいのです。なぜなら
「本能」には、そもそも善悪を判断する能力が存在しないからです。
 それで、今お話したような「負の発展原理」というものも、生じてしまうのです。

 この、「負の発展原理」の特徴としては、
 「怒り」や「憎しみ」を、進歩や発展の原動力にしていること。
 その原動力を維持するために、つねに怒りや憎悪を駆り立てていること。
 怒りや憎しみを萎えさせないようにするために、敵に対して無慈悲になり、残虐に
なること。(これには例えば、「敵も人間である」と考えようとはせずに、犬かブタのよ
うな動物と同等に見なすことなどがあります。それは、もし「敵も人間である」と見なし
てしまったら、無慈悲や残虐に対する「反省の心」が生じ、怒りや憎しみが萎えてし
まうからです。)
 などが、挙げられます。

 たしかに怒りや憎しみは、強い精神力やパワーを引き出します。
 しかし、怒りや憎しみを原動力とした「負の発展」は、長い目で見れば、やはり社会
全体を衰退に導いてしまうのです。
 それは、戦争をくり返してきた「人類の歴史」によって、すでに証明されています。
 たしかに戦争が始まって最初のうちは、軍事特需で工業生産や経済が発展するこ
ともあります。
 しかし戦争や紛争が長く続けば、人口が減少し、国力も経済力も低下し、人々の
心が疲弊して、社会全体としては必ず衰退に向かうのです。
 このように少し長い目で見れば、「負の発展原理」は、前回の「負の競争原理」と
本質的には同じです。「負の発展」とは、ごくごく近視眼的に見た発展なのです。

 戦争やテロなど、人類どうしで足の引っぱり合いをいつまでも続けていれば、人類
のこれ以上の進歩は望めません。
 人類がさらに進歩し、発展するためには、「人間の心」が本質的に重要なの
です。
 人類は、もっと「心を良くする」必要があるのです。
 「人間の心」がまだ十分に良くないために、人類の持つ能力をフルに生かし
きれていないのです。
 「人間の心」がもっと良くなれば、人類は今まで以上に、進歩や発展ができる
はずなのです。


 もしも、すべての人類が争うことなく協力すれば、たとえば地球温暖化の解決や、
砂漠の大規模な緑化などは、すぐに実現可能になると思います。
 そしてまた、人類が大宇宙に進出することさえも、そう遠くない未来に実現可能に
なるかもしれません。
 人類の持つ能力やテクノロジーを、「争いごと」などに浪費するから、それがいつ
までも実現できないでいるのです。
 これから人類がさらに進歩発展していくためには、やはり「人間の心を良くするこ
と」が、本質的な課題になっているように思います。

 しかし、「人間の心を良くする! などと言っても、自分ひとりの力ではどうしようも
ないではないか」と、途方にくれるかも知れません。
 しかしながら、私たち一人一人にも必ず行えることがあるのです。
 それは、「自分の心の中にある、怒りや憎しみと戦うこと」です。
 つまり、自分の心に怒りや憎しみが生じたら、その感情にふり回されることなく、
つねに理性的に、良識的に、良心的に対処するということです。

 ところで、これは口で言うほど簡単なことではありません。それは、自分で実際に
試してみると良く分かります。私などは、少しでも気をゆるめると、ついつい怒りや
憎しみに思考や言動がふり回されてしまいます。
 しかしこれこそが、私たち一人一人の誰もが、いつでもどこでも行うことので
きる「真の努力」であり、「真の行動」であり、「真の実践」であると思います。
 そして結局、最終的にはこの方法によってしか、人類から「争いごと」を無く
することは出来ないと思うのです。




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