悪霊と精霊         2004年4月25日 寺岡克哉


 「悪霊」とか「精霊」といえば、おとぎ話などに登場したり、あるいは宗教の世界で
使われる概念です。
 しかし私は、昔の人々が「悪霊」とか「精霊」という概念を考え出したのには、それ
なりの根拠があったのだと思うのです。
 つまり、いまの私たちが生きている現代にも、「悪霊」や「精霊」に相当する
ものが、「現実に存在している!」と思うわけです。


 社会的に蔓延している、「悪い雰囲気」や「良い雰囲気」。
 あるいは、自分の心の中に存在する「闇」と「光」。
 そのようなものを昔の人々は、「悪霊」とか「精霊」とか言っていたのではないかと
思うのです。

 たとえば、怒り、憎悪、恨み、妬み、不安、焦燥などを掻き立てるような、社会に蔓
延している雰囲気(マスコミ報道や世論、戦争、大きな災害、テロの脅威、伝染病の
脅威など)。
 あるいは、不安やストレスの多い生活環境(学校や仕事場、家庭、近所づき合い、
いじめを受けたり、他人から恨みや妬みを買うなど)。
 そのような、自分の周りを取り囲んでいる悪い雰囲気、嫌な雰囲気、暗い雰囲気、
不快な雰囲気などが、昔から「悪霊」と言われていたものの正体ではないかと思う
のです。

 そして、理由もなく襲ってくる不安や焦燥。胸がしめつけられるような圧迫感。
咽のつまるような窒息感。動悸、息切れ、めまい、吐き気をもよおす嘔吐感。
 さらには、うつ病やノイローゼ、ヒステリー、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、
パニック傷害、突然にキレて暴れだすなど・・・。
 精神的なものが原因で起こるこれらの症状を、昔の人々は「悪霊に取り憑かれ
ている!」としか、表現できなかったのだと思います。
 現代社会で活躍している精神科医やカウンセラーは、さしずめ「現代の祈とう師」
と言えるのではないでしょうか?

 ところがその逆に、たとえば、
 暖かな日ざし、まっ青な大空、白い雲。
 見渡すかぎりの山々、広い海や大地。
 野原の草花や、木々の緑。
 赤ん坊や子どもの、笑顔や笑い声。
 楽しそうなカップルや家族連れ。
 犬や猫などの、可愛い小動物。
 リラックスする音楽や、鐘や鈴の音、虫の鳴き声。
 アロマテラピーで使われるような、良い香りのする香水やお香。
 さらには、
 我々を温かく見守ってくれる、釈迦の慈悲や、キリストの愛。
 地球の生命全体を慈しんでいる、神の愛、仏の慈悲、大生命の大愛。

 これらのものに囲まれると、心が安らいで優しい気持ちになれるのです。
 このように、自分の周りを取りかこむ良い雰囲気、優しい雰囲気、暖かな雰囲気、
明るい雰囲気、穏やかな雰囲気、安らかな雰囲気、好ましい雰囲気。
 そのようなものが、「精霊」と言われるものの正体だと思うのです。

 そして、理由もなく突然に湧き起こってくる、感動、勇気、優しさ、安らぎ、心の温か
さ、思いやり。
 さらには、
 「ギューッ」と抱きしめたくなるような愛情。
 「ジーン」と感じる幸福感。
 身も心も溶け合ってしまいそうな一体感。
 すべてを優しく包み込んであげたくなるような慈しみ。
 「大いなるもの」に抱かれ、守られているような安心感。
 これらの感情で心の中が満たされることを、昔の人々は「精霊が降りてきた!」
とか、「心と体が精霊に満ちている!」と表現したのだと思います。

 ところで現代社会では、自分を取りかこむ「悪い雰囲気」から少し距離を置き、意
識的に「良い雰囲気」を探し求め、さらには自ら進んで積極的に「良い雰囲気を作り
出していくこと」が、とても大切になっていると思うのです。
 社会的に蔓延している「悪い雰囲気」に押し流されることなく、心の安定と優しさを
しっかりと保つこと。
 それを昔風の言葉で表現すれば、「悪霊を払いのけて、心身を精霊で満たす!」
と、いうことになるのだと思います。



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