自分は生きていて良いのか?  
                                  2004年11月28日 寺岡克哉


 私は、この世に存在することを認められているのか?
 私は、生きることが赦されているのか?
 私は、生きる資格があるのか?
 私は、生きていて良いのか?

 これら上に挙げたように、「私の存在など無価値だ!」とか、「私なんか死んだ方が
ましだ!」と強く感じてしまう苦しみ。つまり「自己否定の苦しみ」は、たいへん大きな
ものです。時と場合によっては、この苦しみのために自殺をしてしまう人がいるほど
です。
 私は、まず自分自身がこの苦しみから救われたいがため、そして一人でも多くの
人がこの苦しみから救われるようにとの願いから、日々いろいろと考え、文章を書き
続けています。

 私はもう15年ぐらい、このことについて考え続けて来ました。そして得られた
結論は、
 自分が存在することを認め、自分が生きることを赦しているもの・・・。
 それは、自分自身でも、親でも、彼女でも、彼氏でも、友人でも、学校でも、
妻でも、夫でも、子供でも、会社でも、世間でもない・・・。 と、いうことです。


 たとえば、私はいつも「呼吸」をしていますが、私が呼吸できるのは地球の大気に
「酸素」があるからです。そして酸素を作っているのは植物です。だから植物がなけ
れば、私は窒息してすぐに死んでしまいます。
 また私は、毎日食事をして命をつないでいますが、これも、米、麦、野菜、牛、豚、
鳥、魚などの、植物や動物たちによって支えられています。
 そしてこれらの植物や動物は、地球の生態系、つまり地球の生命全体によって支え
られています。だから私の命は、地球の生命全体によって支えられているのです。
 つまり、私が存在することを認め、私が生きることを赦しているのは、地球の生命
全体なのです。

 しかし、それだけではありません。
 地球の生命全体が生きるためには、海や大地、大気、水、そして太陽も存在しな
けらばならないからです。そしてそのためには、地球や太陽、銀河系、そしてそもそ
も、ビッグバンによって「この宇宙」が作られなければなりませんでした。
 つまり、今ここに私が生きて存在するためには、140億年前に「この宇宙」が作ら
れなければならなかったのです。
 それだけの膨大なエネルギーと時間を費やして、私は今ここに存在することが認
められ、生きることが赦されているのです。

 しかしさらに、それだけではありません。
 この宇宙が誕生する前にも、いろいろな力や作用や偶然が、無限の長いあいだ
働き続けていたはずだからです。そしてその結果として、140億年前にビッグバンが
起こったはずだからです。
 何かが起こるため、つまり「結果」が生じるためには、その前に「原因」がかならず
存在しなければなりません。ビッグバンという「結果」が生じたからには、偶然であれ
なんであれ、その「原因」がかならず存在するはずです。そしてこの「原因」と「結果」
の関係は、ビッグバンの直前だけでなく、そのずっとずっと前の「無限の過去」まで
続いているはずです。

 だから、今ここに私が生きて存在するためには、無限の長い時間と、無限の力や
作用、そして無限の偶然のつみ重ねが必要だったのです。
 つまり、私が今ここに存在することを認め、私が生きることを赦しているもの
は、無限の時間、無限の力や作用、無限の偶然なのです。


 これらのはかり知れない、無限の時間、無限の力や作用、無限の偶然・・・ その
ようなものは、やはり「神」としか表現しようがないように思います。
 (たとえばエッセイ131では、「宇宙の原理」という言葉を導入しました。しかし無限
の力、無限の作用、無限の偶然、・・・つまり「神の働き」は、この宇宙ができるずっと
以前の「無限の過去」から続いています。だから「大宇宙」という概念でさえも、「神」
にとっては小さすぎるのです。)

 あなたや私は、生きて存在している限り、存在することが認められ、生きることが
赦されています。
 あなたや私が、今ここで生きて存在しているというその事実がまさに、存在する
ことを認められ、生きることが赦されている絶対的な証拠なのです。
 何によって認められ、赦されているのか?
 それは「神」によってなのです。

 あなたや私が生きて存在することを認め、赦しているのは、あなた自身や私自身
ではありません。
 また、親でも、妻や夫でも、子供でも、恋人や友人でも、学校や会社や世間でも
ありません。
 あなたや私の存在を認めたり、生きることを赦しているのは、そんなちっぽけな
ものではないのです。

 この大宇宙をもはるかに越える、無限の時間、無限の力や作用、無限の偶然の
つみ重ね・・・ 「神の働き」。
 その「神」によって、あなたや私そして全ての生命は、存在することを認められ、
生きることが赦されているのです。

 あなたや私そして全ての生命は、生きている限り、生きていて全く良いの
です!
 それでなにも問題がありませんし、なにも心配する必要がありません。
 なぜなら、今ここで生きているというその事実がまさに、「神」によって生き
ることが赦されている絶対的な事実だからです!




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