生命肯定の根源       2005年6月19日 寺岡克哉


 「生きること」は、地獄のような苦しみです。
 ところが「死」は、苦しみでも何でもありません。
 それならなぜ、わざわざ苦しみに耐えてまで、生きなければならないのでしょう?
 どうせいつかは、必ず死んでしまうのに・・・ 。
 「生きていたくない!」
 「生きる意味などない!」
 そもそも「生きること」自体が、非合理であり、不自然であり、悪なのだ!
 このような思考や感情に取りつかれてしまうことが、私のいう「生命の否定」で
した。

 ところが一方、
 「生きることは素晴らしい!」
 「生まれてきて良かった!」
 この世に自分の存在することが、嬉しくて嬉しくて仕方がない! そしてそのこと
に、とても大きな感謝と、涙が出るほどの有りがたさを感じる・・・。
 と、このように感じている人も、世の中には確かに存在するのです。そのような
考え方や感性をもつこと。それが、私のいう「生命の肯定」です。

                 * * * * *

 「生命の否定」の行きつく先・・・ それは、苦しみ、絶望、闇、孤独です。

 しかし生命を肯定すると、
 「愛」や「幸福」を感じることが出来るようになります。
 生きるエネルギーが、心の底から湧いてきます。
 「生きる意味」や「生きる目的」を得て、いきいきいと生きることが出来ます。
 「生きることは素晴らしい!」
 「生まれてきて良かった!」
と、心の底から実感することが出来るのです。

 生命を否定すれば、地獄の苦しみです。
 生命を肯定すれば、幸福の極致です。
 しかしなぜ、人間はそのように感じるのでしょう?
 それは「人間」というものが、「生命の否定」を忌み嫌って避け、「生命の肯定」
を好ましく感じて望み求めるように、(生命進化によって)そのように作られている
からです。
 だから「生命の否定」は間違いであり、「生命の肯定」が正しいのです。
 これは「生命の真理」であり、それについて反論の余地は全くありません。

 もうすこし考察を一般化して広げると、
 もしも「自然万物の真理」によって「生命の存在が否定されている」ならば、この
地球に生命が誕生するはずがなく、しかも地球の生命が40億年も続く訳がありま
せん。
 「この地球に生命が存在する」という、絶対に否定できない事実!
 まさにその事実が、「自然万物の真理」によって「生命の存在が肯定されている」
ことの、絶対的な証拠なのです。
 だから「生命の否定」が間違いであり、「生命の肯定」が正しいことには、
論理的に反論する余地が全くないのです。


                  * * * * *

 しかし、一体どうしたら、生命を肯定することが出来るのでしょう?
 それは、「生命肯定の根源」を持つことが出来るかどうかに、かかっています。
 つまり、
 「生きること」を肯定する、根源的なもの。
 「自分の存在」を肯定する、根源的なもの。
 そう言うものの存在を「確信」し、その存在を「実感すること」が出来るかどうか。
 全ては、それにかかっているのです。

 私は、「生命肯定の根源」を求めて、今まで悪戦苦闘をしてきました。そしてそれ
を、エッセイに書き続けてきたのです。その抜粋したものを、以下に挙げてみまし
た。「生命の否定」に取りつかれて苦しんでいる方には、ぜひ読んで頂きたいと
思っています。

 「生命の否定」を払拭し、「生命の肯定」に至らせるのは至難の業です。やはり、
本一冊分ぐらいの文章の量になってしまうのは、やむおえません。
 そして全ての人が、以下のエッセイを読んで生命を肯定できるようになるかと言え
ば、その保障もまったくありません。
 しかし、私がこれらのエッセイを書く中で、私自身が生命を肯定できるようになっ
たことだけは、誰にも否定できない事実です。


 エッセイ13 生命の肯定とは愛である

 エッセイ14 生命の存在に意義を与えるのも愛である

 エッセイ19 「大生命」に受け入れられていること

 エッセイ20 「大生命」に愛されていること

 エッセイ21 「大生命」の役に立っていること

 エッセイ23 生命の絶対価値

 エッセイ25 愛の感情

 エッセイ29 自己愛の実感

 エッセイ35 愛を与えることが幸福の本質である

 エッセイ36 与える愛について

 エッセイ37 無限の欲望を「愛の増大」に向ける

 エッセイ38 「求める愛」を満たしてくれるもの

 エッセイ43 自我意識の消滅から人間を救うもの

 エッセイ45 自我意識の「波及効果」は永遠に消滅しない

 エッセイ58 生命の実感

 エッセイ62 「最高の愛」の感覚

 エッセイ63 愛の完成

 エッセイ71 慈悲について

 エッセイ72 隣人愛について

 エッセイ73 神の愛について

 エッセイ77 神に愛されるということ

 エッセイ78 神を愛するということ

 エッセイ79 愛の根源

 エッセイ80 愛と生命と究極の幸福

 エッセイ81 神の認識のアプローチ

 エッセイ82 神の力について

 エッセイ83 人間を孤独から救うもの

 エッセイ85 生命の真理

 エッセイ87 神にすがって生きること

 エッセイ89 「祈る」ということ

 エッセイ93 「新しい自分」の誕生と成長

 エッセイ94 新たな真の生命

 エッセイ95 永遠の生命について

 エッセイ97 努力が報われないとき

 エッセイ115 大生命の確信

 エッセイ120 心の食べ物

 エッセイ124 無上のありがたさ

 エッセイ129 何のために生きるのか 2

 エッセイ145 自分は生きていて良いのか?

 エッセイ150 「外なる神」と「内なる神」

 エッセイ161 まる3年にあたって



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