心の貧困           2005年10月2日 寺岡克哉


 先日、マザーテレサの映画を見て、とても感動しました。

 病気や貧困で死んでいく人々を、マザーテレサが哀れみ深い顔で見つめながら
祈っています。そのシーンを見ると、胸がキューンとしめつけられ、目頭が熱くな
り、頭がジーンとしました。そして自分の心の中も、「哀れみ」と「愛」の感情でいっ
ぱいになりました。

 マザーテレサは言います。
 「インドのスラム街よりも貧しい人々が、(先進国)の大都市にいる!」
 この言葉が、私にはとても印象的でした。そしてそれは、「心の貧困」のことを
言っているのだと思いました。

 現代社会において、根本的に欠如しているもの。
 マザーテレサは、それを的確に示してくれたように思います。

                * * * * *

 不安、寂しさ、孤独、空しさ、裏切り、人間不信、対人恐怖・・・。
 現代社会は、このような「苦しみ」に満ちあふれています。

 たしかに今の社会は、物質的には恵まれていて、衣食住にはまったく困ることが
ありません。
 しかしそれなのに、
 人生を、心の底から満足できない・・・。
 生きることに、希望や喜びがまったく感じられない・・・。
 生きるための、なにか「根本的なもの」が失われている・・・。
 心が渇き、心が飢え、心が寒い・・・。
 このような思いに苦しんでいる人が、とても多いのではないでしょうか?
 それが「心の貧困」なのです。

 そして、その「心の貧困」を穴埋めするかのように、
 お金や、物(高級ブランド品、車、貴金属、宝石など)を求めたり・・・。
 不倫や売買春などの、異性との不純な関係に耽ったり・・・。
 ドラッグや麻薬をやったり・・・。
 弱いものいじめや、虐待を行ったり・・・。
 あるいは、生きる意欲を失って「うつ病」になったり、「死」を望んだりするのでは
ないでしょうか。

 このような「心の貧困」は、物や金、あるいは異性との単なる肉体関係などでは、
決して満たすことが出来ないのでしょう。また、ドラッグや麻薬、いじめ、虐待など
で解消するはずも絶対にありません。
 それはきっと、食料や生活物資の不足(物質的な貧困)を、「我慢して耐える!」
という精神論で乗り切ろうとするのと同じぐらいに、ナンセンスなことなのでしょう。

 「物質的な貧困」が致命的になれば、餓死や凍死をしてしまいます。
 しかしながら「心の貧困」もまた、致命的になれば自ら死を選んで自殺し、
「本当に死んでしまう」のです!
 この意味で、「心の貧困」は「物質的な貧困」と同じぐらい、人間の生命に
とって深刻な問題だと言えるでしょう。


 物質的な貧困は、食料や物資がなければ絶対に解消しません。
 心の貧困もまた、「心の糧」がなければ絶対に解消しないのです。

               * * * * *

 しかし「心の糧」とは、いったい何なのでしょう?

 それは、音楽や芸術、文学や思想、学問、生きがいのある仕事など、いろいろな
ものが考えられるでしょう。しかしながら、マザーテレサが私たちに示してくれたの
は、
 心の底から、安心して信頼できる人間関係。
 人と人、心と心の温かなふれあい。
 お互いに相手のことを思いやり、慈しみ合うこと。
 ではないかと私は思いました。

 つまり、それは「愛」です!
 人と人との、愛し愛される関係。
 それがいちばん基本的で、人類に共通の「心の糧」なのでしょう。


 人間としての本当の豊かさとは、物や金の豊かさではなく、「心の豊かさ」です。
 そして心の豊かさとは、「愛の豊かさ」です。
 マザーテレサは生涯を通して、そのことを私たちに伝えようとしていたのだと
思いました。



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