認められ赦されること   2005年10月23日 寺岡克哉


 自分の存在は、誰からも望まれていない・・・
 自分は、家族や世間のやっかい者だ・・・
 なぜ私の親は、私なんかを生んだのだろう・・・
 私など、この世に生まれて来なければ良かったのに・・・

 このような「自己否定」に陥って苦しみ、生きることを辛く感じている方へ、私から
お伝えしたいメッセージがあります。

 突然で恐縮ですが、それを以下に書いてみることにします。

                 * * * * *

 あなたは、「大いなるもの」によって「生かされて」います。
 あなたは「大いなるもの」によって、存在することが認められ、生きることが赦され
ています。

 「大いなるもの」によって存在することが認められ、生きることが赦されているから、
あなたは生きて存在することが出来るのです。
 もしも「大いなるもの」によって、存在することが認められず、生きることが赦されな
かったら、あなたは絶対に生きて存在することが出来ません。
 だから、あなたが「今ここに生きて存在すること」がまさに、存在することが認めら
れ、生きることが赦されている、絶対的な証拠なのです。

 あなたが存在することを認め、あなたが生きることを赦しているのは、あなたの
親でも、家族でも、恋人でも、友人でも、学校でも、会社でも、世間でも、お金でも、
そしてあなた自身でもありません。
 もっともっと大きなものによって、あなたは存在することが認められ、生きることが
赦されているのです。

 あなたは生きている限り、「大いなるもの」によって、あなたの存在は肯定され
ています。
 何者も、あなたの存在を否定することは出来ません。
 あなたが「今ここに生きて存在していること」が、その何よりの証拠です。

 だから生きている限りは、何も心配することなく、まったく安心して生きれば良い
のです。
 どうか皆さんには、少しでも安心して安らかに生きられるよう、心から祈ってやみ
ません。


                  * * * * *

 なんか宗教臭いメッセージになってしまいましたが、しかしこれは、べつに宗教
ではありません。「科学的な事実」と照らし合わせても、まったく矛盾のしない話な
のです。
 以下に、その説明をして行きたいと思います。

 まず第一に、「大いなるもの」とは、いったい何でしょうか?

 その具体的な例は、たとえば「植物の働き」です。
 植物は、「光合成」によって酸素を作っています。植物が酸素を作ってくれなけれ
ば、私たちは呼吸一つできずに、窒息して死んでしまいます。植物がなければ、私
たちは絶対に生きられないのです。
 つまり、私たちが生きるための「絶対的な根幹」を、植物に握られている訳です。
 ゆえに私たちは、植物によって「生かされている」と言えるのです。

 さらには、植物は「太陽の光」を使って光合成をしています。つまり太陽がなけれ
ば、植物は生きられないのです。そうなれば、もちろん私たちも生きられません。

 さらには、この宇宙が存在しなければ、そして各種の元素(原子)が存在しなけれ
ば、太陽も地球も存在することができません。だからもちろん、私たちが存在する
ことも、生きることも出来ません。

 これら、私たちを存在させている全てのもの、私たちを生かしている全ての作用
や働き・・・ それが「大いなるもの」です。
 つまり、素粒子や原子、宇宙、太陽、地球、生命、そして人間・・・ これら、この
世のすべてを存在させ、それらの作用や働きを司る根本原理が、「大いなるもの」
なのです。

 このように、自分の力ではどうにも出来ない「大いなるもの」の働きによって、私た
ちは存在させられ、生かされています。
 つまり私たちは、「大いなるもの」によって存在することが認められ、生きることが
赦されているのです。
 逆に、「大いなるもの」によって存在が認められず、生きることが赦されなかった
ら、私たちは絶対に生きられません。たとえば、太陽や地球が消滅してしまったら、
私たちは絶対に生きられないでしょう。
 だから、「今ここで生きて存在すること」がまさに、存在することが認められ、生きる
ことが赦されている絶対的な証拠といえます。

 あなたが「生きて存在する限り」は、あなたの存在は絶対的に認められています。
 何者も、それを否定することは出来ません。
 いわんや、親や家族、恋人、友人、学校、会社、世間などに、あなたの存在を
否定できる訳がないのです。
 だから、あなたは生きている限り、安心して安らかに生きれば、それでまったく良い
のです。

                 * * * * *

 自分は、誰からも必要とされていない・・・
 自分なんか、生まれてこなければ良かった・・・
 自分など、この世に存在しない方がよいのだ・・・

 このような、
 自己存在における絶対的な孤独・・・
 自己存在の、絶対的な否定・・・
 しかしそれでも、死ぬことができず、生きることもできない、とても深い心の闇・・・

 このような「絶対的な闇」を知る者こそ、「大いなるもの」による「自己存在の絶対的
な肯定」を、本当に心の底から求めるのではないでしょうか。私は、そのように思って
います。



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