「大いなるもの」と「神」    2005年11月20日 寺岡克哉


 ここのところ、「大いなるもの」について書いたエッセイが多いですが、今回はこの
「大いなるもの」と、「神」との違いについてお話したいと思いました。

 私は以前、「大いなるもの」を表現するのに「神」という言葉を使っていました。
しかしなにか違う感じがして、漠然とした違和感をいつも持っていました。
 「大いなるもの」と「神」とでは、やはり何かが違うのです。いつも抱えていたその
「違和感」を、そろそろはっきりさせたいと思いました。

                 * * * * *

 ところで「大いなるもの」とは、私たちを生かし、私たちを存在させている、「根源的
なもの」でした。
 「大いなるもの」とは、宇宙、銀河系、太陽、地球、生命、人間、原子、素粒子など、
およそこの世のすべてを存在させ、それらの作用や働きを司っている、「この世の
根本原理」です。
 つまり、「この世のすべてを、いま在るように在らしめているもの」です。(「大いなる
もの」については、エッセイ192も参照してください。)

 しかしながら、この「大いなるもの」と「神」とは、いったい何が違うのでしょう?

 色々と考えてみたのですが、私が「神」という言葉に違和感を感じる理由は、
神には私の考えている「大いなるもの」の概念の他に、さまざまな違う概念も含ん
でいるからでした。
 だから、「大いなるもの」を表現しているつもりで「神」という言葉を使うと、いろいろ
な誤解を生じる恐れがあるのです。

 その例として、たとえば「多神教の神」が挙げられます。
 日本に古来からある、山の神、海の神、竜神などの神々。
 あるいは、ゼウスやアポロンなどの、古代ギリシャの神々。
 またあるいは、インドラやシヴァなどの、古代インドの神々。
 不用意に「神」という言葉を使えば、これら「多神教の神々」をイメージする人も
多いのではないでしょうか。
 しかし、「大いなるもの」は「この世の根本原理」なので、一つしか存在しません。
なぜなら、もしも「根本原理」が複数個あれば、それらを司っている「さらなる根本
原理」が、かならず存在するはずだからです。
 ゆえに、いちばん奥の深い「根本原理」は、一つだと考えられるのです。

 また、ヤハウェやアッラーなどの「一神教の神」であっても、これらは人間と同じ
ような人格をもち、人間の言葉を語ったりする「人格神」です。
 しかし「大いなるもの」は、人格を持ったり、人間の言葉を語ったりしません。
なぜなら「大いなるもの」とは、「この世のすべてを司る根本原理だからです。「大い
なるもの」は、「一個の人間の人格」などというちっぽけなものに、収まりきれるはず
がないのです。
 そしてまた、「大いなるもの」が人間の言葉で私たちに語ったり、人間の言葉で
私たちに命令したりするはずもありません。

 以上のように、いわゆる宗教の世界で言われる「神」と、私の考えている「大いなる
もの」とでは、やはり違いがあるのです。
 それなのに「神」という言葉を不用意に使えば、「大いなるもの」と「宗教の神」を混同
してしまう人がいるでしょう。とくに、何かの宗教を信仰している人は、なおさらだと思い
ます。
 それで私は、「神」という言葉を使うことに対して、いつも違和感を感じていたの
です。

                 * * * * *

 「大いなるもの」と「宗教の神」の違いには、他にも以下のものがあります。

 たとえば「大いなるもの」は、科学的な事実を否定しません。なぜなら「大いなる
もの」とは、この世のすべてを司る根本原理であり、「大自然の普遍法則」だから
です。ゆえに、自然科学によって見い出された「科学的な事実」を、「大いなるもの」
が否定することはあり得ません。
 ところが一方、たとえばキリスト教の神は、かつては地動説を否定し、今でも進化
論を否定しています。

 また「大いなるもの」は、自然法則を超越するような「奇跡の力」など発揮しませ
ん。なぜなら「大いなるもの」は、あくまでも大自然の法則に従った作用や働きしか
しないからです。
 しかし「神」は、病気を一瞬で治したり、死者をよみがえらせたりするなど、超自然
的な「奇跡の力」を発揮するとされています。

 また「大いなるもの」は、テロや戦争を煽り立てたりしません。布施や寄付を要求
したり、生けにえや捧げ物を求めたりもしません。

 以上のことを比較すれば、やはり「大いなるもの」に対して「神」という言葉を使うの
は、かなり違うような気がしてしまいます。
 そして神を信仰している人から見れば、やはりその人にとっては、自分の信仰して
いる神が「神」なのです。だから、私が「大いなるもの」を表現しているつもりで「神」
という言葉を使っても、その人は、その人の信仰する神をイメージしてしまうでしょう。

 私は今まで、私の考えている概念(つまり大いなるもの)を表現するのに、「神」に
代わるよい言葉がないかと、ずいぶん長いあいだ捜していました。しかしそれが、
なかなか見つからないでいました。それで苦し紛れに、「本当の神」などという言葉を
使ったりもしました。
 しかし今は「大いなるもの」という言葉を見つけ、たいへんしっくりとして、とても満足
しています。



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