私の小さな行動 2006年12月31日 寺岡克哉
このエッセイが、サイトにアップロードされるときには、もう正月になっているでしょ
う。だから今回は、あまり深刻な話をしないようにしたいと思います。
ここでは、地球温暖化に対して、とても小さなことだけど私が実際に行っている
行動について、ご紹介したいと思います。
私が実際にやっていることと言えば、たとえば電気をこまめに消すようにしたり、
自動車の使用を控えたり(ほとんど徒歩と、公共交通機関です)、冬の暖房を控え
たり、「買い物袋」をもらわないようにしています。
その内で、「冬の暖房」と「買い物袋」について、いまの私が感じていることを、
お話してみましょう。
* * * * *
私が子供のころ・・・ 北海道における冬の暖房は、かなり強烈でした。
というのは、ストーブに「石炭」を使っていたので、こまめに温度調節が出来なかっ
たからです。
たとえば私の通った学校では、小学校、中学校、そして高校までも、まだ石炭
ストーブが使われていました。(私が高校を卒業するころ、やっと新校舎ができて、
スチームの集中暖房になりました。それは1982年の話です。)
石炭ストーブは、石炭を少しでも入れすぎるとストーブが真っ赤になり、赤外線が
顔に当たってジリジリとし、暑くて頭がボーッとするほど火力が強烈です。今にして
思えば、よく熱射病にならなかったと思います。
また石炭は、いちど火を消してしまうと、簡単に再点火することができません。
石炭ストーブに火を入れるためには、まずはじめに油を染(し)みこませた、おが屑
(くず)を固めたもの、つまり「炊きつけ材」に火をつけます。
そして、その火の上に石炭を少しずつ乗せて行き、だんだんと火を石炭に移して
行きます。しかし石炭は、紙や木のように、なかなか簡単には火がつきません。一応
火力の安定するまでに、30分以上はかかったと思います。
だから石炭ストーブは、いちど火を入れると、途中で消すわけには行きません。
それで部屋が暖かくなっても、石炭を入れ続けることになります。
そのような理由もあって、冬の部屋の温度は、夏よりも高いぐらいでした。いつも30
度近くはあったと思います。
一方、家庭はすでに石油ストーブでしたが、それでもやはり、それまでの生活習慣
を引き継いでおり、部屋の温度はかなり高かったのです。
よく、「北海道でビールとアイスクリームが美味いのは冬だ!」と、言われていた
ほどです。
ところが現在の私は、部屋の中で半纏(はんてん)を着ていると、ちょうど良いぐら
いの室温にしています。知り合いなどが訪ねてくると、私の部屋は、すこし寒く感じる
みたいです。
今にしてみれば、ずいぶん、意識というか生活環境が変わったように思います。
* * * * *
ところで・・・ じつは昔の学生時代、私は無造作に「買い物袋」をもらい、それを
気にも留めていませんでした。
コンビニやスーパーで、菓子パン1つや、牛乳1パックを買うのにも、買い物袋に
入れてもらっていました。
だから私の部屋は、いつも買い物袋でいっぱいでした。部屋のゴミの半分ぐらいが
「買い物袋」です。
そして数ヶ月に1度は、買い物袋に、買い物袋をギュウギュウに詰めて、ゴミに出し
ていました。その「買い物袋のゴミの山」を見ては、ずいぶん無駄なことをしているな
と、ぼんやり思っていたのです。
そのときの反省もあって、文章を書き始めるようになった7年ほど前から、私は
買い物袋をもらわないことに決めました。買い物に行くときは、かならずカバン
(デイバック)を持って行くようにします。
私はこの7年間で、「袋は要りません!」と、レジの前で何千回言い続けたのか
分かりません。
はじめのうちは、それが面倒でなりませんでした。また、レジの前で声を出すと、
周りにも目立ちます。それがとても嫌でした。
しかしそれを続けているうちに、レジの人に声をかけると、そのことによって小さい
ながらも、ある種のコミニュケーションの作られることが分かってきました。
そしてレジの人は、私のことを覚えてくれるようになるのです。また私も、レジの人
と顔見知りになることができます。それが、だんだんと嬉しく感じるようになって行き
ました。
最初は、温暖化対策にすこしでも貢献しようと思って、買い物袋をもらわないように
したのです。が、しかしそれによって、小さなこととは言え、ぎゃくに「心が豊か」になっ
た面、つまり生活のうるおいというか、生活が豊かになった面もたしかにあるのです。
「省エネ」といえば、「我慢して窮乏に耐える!」というイメージが強いかもしれませ
んが、そんなことはないと思います。
「省エネ」によって、生活の豊かになる面がたしかに存在します。それはとても小さ
なことだけど、省エネの推進にとって、とても大きな要素だと思います。
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