マガンへの影響 2007年10月28日 寺岡克哉
「マガン」は、冬に、日本へやってくる「渡り鳥」です。
ところで近年、このマガンのやって来る時期が「遅く」なり、旅立つ
時期が「早く」なっています。
また、マガンが冬の間に滞在する「越冬地」も、だんだん北方に
出現するようになりました。
これらの現象は、地球温暖化の影響ではないかと考えられています。
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マガンは、体長が65〜78cm、羽を広げると130〜165cmの大きさが
ある鳥です。
全体の色は、灰色がかった、やや黒みをおびた茶色で、オスもメスも同じ
色をしています。そして胸から腹にかけては、黒い横班があります。
くちばしはオレンジ色で、額から、くちばしのつけ根までは白くなってい
ます。足もオレンジ色です。
マガンは、「植物を食べる」鳥です。
沼地などで、水生植物の葉や茎を食べたり、
稲刈りの終わった田んぼで、「落ちモミ」を食べたり、
そのほか、草の葉や茎、根などを食べたりします。
とくに田んぼの「落ちモミ」は、マガンにとって大好物のようです。
マガンは、冬の間も、そのような草の種や茎、葉っぱなどを食べています。
だから、地面や沼が凍りついたり、雪が積もったりすると、マガンは餌を
得ることが出来ません。それで冬になると、南に渡ってくるわけです。
このような鳥であるマガンは、1971年に狩猟が禁止され、国の天然記念
物に指定されました。さらには、準絶滅危惧種としても指定されています。
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マガンのように、冬に渡ってくる鳥を「冬鳥」といいます。
マガンの場合は、だいたい10月ごろに日本へやって来て、4月ごろに
旅立って行きます。
現在、日本に来るマガンの9割以上は、宮城県にある伊豆沼、内沼、
蕪栗沼(かぶくりぬま)などで越冬します。
それら、宮城県にやってくるマガンの繁殖地は、カムチャツカ半島から
さらに1000kmほど北の、ベーリング海に面した湿地帯です。
マガンは、そのような場所で夏に子育てをし、冬が近づくと日本に渡って
くるのです。
ところで・・・
1990年代の後半になってから、宮城県にマガンのやって来る時期が
遅くなり、旅立つ時期が早くなっています。
とくに「旅立ちの時期」が、明らかに早くなっています。
以前は、おもな群れが飛び立つのは2月の中旬でした。それが現在
では、ひと月ほど早くなっているのです。
これは、地球温暖化の影響ではないかと考えられています。
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さらには、マガンの「越冬地」も、だんだん北方に出現しつつあります。
ちなみにマガンは、じつは北海道にもやって来ます。しかしそれは、
一時的な中継地であり、さらに南方の越冬地へ飛びたって行きます。
東北地方でも、秋田県など北の方は、マガンの中継地となっているだけ
で、以前は越冬することがありませんでした。
しかし1990年代以降になると、秋田県にある小友沼(おともぬま)
では、真冬でもマガンが居るようになりました。そして、だんだんとマガン
が越冬するようになって行きました。
また、1995年以降からは、北海道の静内町でも、マガンの越冬が
確認されるようになったのです。
上でも話しましたが、地面や沼が凍ってしまったり、雪が積もったりすると、
マガンは餌を得ることが出来なくなり、越冬するのは不可能です。
だから、このようにマガンの越冬が北方でも可能になったのは、地球
温暖化が原因なのは間違いありません。
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ところでマガンは、出来ることなら可能なかぎり、越冬地を北に選ぼうと
する傾向があるみたいです。
たとえば、むかしは九州にも越冬するマガンが居ましたが、今では宮城県
が太平洋側の南限になっています。
その理由は、まだ今のところ良く分かっていません。しかし、マガンは環境
の変化にとても敏感な鳥なので、南方の環境悪化が原因ではないかと考え
る研究者がいます。
つまり、北方でも越冬が可能になったのは温暖化の影響ですが、南方に
マガンが住まなくなるのは、人間の影響が大きすぎて生息しづらいという
理由があるようです。
現在、宮城県に9割以上のマガンが集中しているのも、人間がそこに
追いやったからだと考えられています。
人間の活動による「圧力」が、マガンを越冬可能なギリギリの北方まで、
追いやっているのかも知れません。
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