シミュレーションは本当か? 3
2008年9月14日 寺岡克哉
今回は、シミュレーションの予測に対して向けられている、
「1週間後の天気予報も当たらないのに、100年後の気候が分かるわけが
ない!」
という批判について、考えてみたいと思います。
* * * * *
まず、この問題を考えるためには、「気象」と「気候」のちがいを、はっきり
と区別しなければなりません。
「気象」とは、「いつ、どこで、どんな天気で、どれぐらいの気温か」などの
情報をいいます。
たとえば具体的には、「9月9日の札幌では、天気は晴れで、最高気温が
25℃でした」と、いうような情報です。つまり、いつも天気予報でやっている
のが「気象」です。
一方、「気候」とは、あるていどの長い期間(たとえば30年間)にわたる、
「気象の平均状態」のことです。
たとえば札幌市の、1971〜2000年の30年間における、降水量の平均
とか、気温の平均とか、そのような情報です。
いまの話から分かると思いますが、100年後の「気象」を予測することは、
もちろん不可能です。
つまり、2108年9月14日における、札幌市の天気や最高気温など、いま
現在において予測できる訳がありません。
しかし、100年後の「気候」ならば、あるていどの精度で、予測することが
可能です。
つまり、2071〜2100年の30年間における、降水量の平均とか、気温の
平均が将来どうなるかは、あるていどの誤差があるにしても、現在において
予測することが出来るのです。
* * * * *
上で話したような気象と気候のちがいは、人間の「平均寿命」の場合とくらべ
てみると、さらに分かりやすいかも知れません。
たとえば、今年に発表された日本人の平均寿命は、女性が85.99歳で、
男性が79.19歳となっています。
このような平均寿命。つまり、すごくたくさんの人間に対する、寿命の「平均値」
ならば、かなりの精度で求めることが出来るのです。
そしてまた、日本人の平均寿命が、将来どうなって行くのかも、あるていどの
精度で「予測することが可能」です。
しかしながら・・・
一人ひとりの、個々の人間における寿命。
つまり、あなたや私が、あと何年ぐらい生きられるのかを予測することは、
ほとんど不可能でしょう。
当たり前のことですが、すべての人間が、きっちりと平均寿命を生きるわけ
ではありません。
生まれて直ぐに死ぬ人がいれば、100歳以上まで生きる人もいるでしょう。
私とて、明日に死ぬかも知れませんし、あるいは100歳まで生きるかも知れ
ません。
このように、
一人ひとりの人間に対する「寿命」を予測するのは不可能ですが、
たくさんの人間に対する「平均寿命」ならば、あるていどの精度で、予測
することが可能です。
これは、
個々の現象には「偶然の作用」が大きく影響するのですが、
大多数の平均ならば、個々における偶然の作用が打ち消され、全体として
「ある一定の法則」に従うようになるからです。
そして「気象」と「気候」の関係も、これとまったく同じようになっているのです。
* * * * *
ところで、
温暖化対策を考えたり、私たち人類の行動方針を決めるためには、
気象の予測にはあまり意味がなく、
「気候の予測」にこそ、大きな意味があります。
つまり、50年後とか100年後の未来における、平均的な降水量や気温
が問題になるのです。
たとえば、
降水量が平均的に増える地域では、河川の堤防を強化しなければなりま
せん。また、土砂崩れなどの対策も必要でしょう。
その逆に、降水量が平均的に減る地域では、貯水施設を増強しなければ
なりません。
また、平均気温が上がれば、農業や漁業にも大きな影響が出てきます。
農作物の種類を変えたり、暑さに強くなるように品種改良しなければならなく
なるでしょう。
漁業では、漁獲量が変わったり、獲れる魚の種類が変わったりするでしょう。
このような問題について、政策的に対応するためには、未来の気象ではなく、
「未来の気候」がとても重要になるのです。
これは、いま大問題になっている「年金政策」の場合とくらべれば、分かり
やすいかも知れません。
年金の運営には、一人ひとりの個々の寿命は、ほとんど関係ありません。
それよりむしろ、国民全体としての「平均寿命」が、とても大きく影響するの
です。
つまり年金は、国民の平均寿命が延びれば、掛け金や補助金を多くするか、
支給を始める年齢を引き上げなければ、運営が成り立たたなくなってしまい
ます。
このような問題に対処するためには、個々の人間の寿命が予測できなく
ても、国民全体における「平均寿命の変化」が予測できれば十分です。
地球温暖化の場合も、まったく同じです。
温暖化対策を考えたり、それを進めて行くためには、
未来における、「ある特定の日の気象」が予測できなくでも、
未来の「平均的な気候」が予測できれば、それで十分なのです。
* * * * *
ところが、
「シミュレーションによって、未来の気候が予測できるのは認めるにしても、
しかし、その予測には幅がありすぎる!」という、批判がなされているみたい
です。
たとえば、IPCCの第4次報告書によると、100年後の気温上昇は1.1〜
6.4℃という予測になっています。
こんなに予測の幅が広くては、「何も予測していないのと同じだ!」という
わけです。
たしかに、予測の幅が大きいとは、私も思います。
シミュレーションの精度が、まだ十分でないのも否定できないでしょう。
しかし、予測の幅が大きいのは、それ以外にも理由があります。
つまりそれは、将来に向けての「人類の行動選択」によって、気温上昇
の大きさが違ってくることです。
たとえば、
世界の経済構造が、サービスや情報の分野に向かって急速に変化し、
人々の物質志向が減少し、
大量消費をやめ、
クリーンで省資源の技術が導入される社会。
そのような社会(いわゆるB1シナリオと言われるもの)では、100年後の
気温上昇が1.1〜2.9℃で収まります。(最良の見積もりは1.8℃)
しかしながら、
今までと同じように、化石燃料をたくさん使って、高度経済成長を推し進めて
いく社会。
そのような社会(いわゆるA1FIシナリオと言われるもの)では、100年後の
気温上昇が2.4〜6.4℃になります。(最良の見積もりは4.0℃)
このように、これから人類が築いていく社会によって、気温上昇の大きさが
ずいぶん違ってきます。
そしてそれが、シミュレーションによる予測の幅を、さらに広げている原因に
なっているのです。
* * * * *
ところで、
IPCCが挙げている「社会のモデルケース」は、B1とA1FIだけでなく、その他
にも色々とあります。(たとえばA1T、B2、A1B、A2など。)
それらの中でも、
いちばん気温上昇が小さいのがB1で、
いちばん気温上昇が大きいのがA1FIなのです。
そして、ここがとても重要ですが、
IPCCは、「どのモデルケースも、同等の根拠を持っていると考えるべき
である」と言っています。
つまり未来の社会が、B1になる可能性も、A1FIになる可能性も、まったく
同等だとしているのです。
まさしく、これから地球温暖化がどうなって行くのかは、これから人類がどの
ような社会を築いて行くかに、全てかかっているのです。
つまり、人類の努力次第によって、地球温暖化を弱めることが可能で
あり、「最悪の事態」を避けることが出来るのです!
この主張に、たしかな根拠を与えていること。
それこそが、シミュレーションのいちばん重要な役割なのだと思います。
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