キセノン133の放出について
2011年10月2日 寺岡克哉
前回では、
福島第1原発の事故によって、3月11日から16日まで
の間に、
1100万テラベクレルもの、大量の「キセノン133」が、
大気中へ放出されたことについて、お話しました。
ところが・・・
キセノン133は、その6日間にわたって、つねに一定に
放出していた訳ではありません。
ある時点において、突発的に、大量放出したのです!
だから、
何日の、何時何分に、大量放出が起こったのか?
そのときの「風の向き」は、どうだったのか?
大量放出による被曝量は、一体どれくらいだったのか?
等々のことが、ものすごく気になってきました。
なので今回は、それらのことについて調べてみました。
* * * * *
まず、平成23年6月6日付け、原子力安全・保安院の、
「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に係る
1号機、2号機及び3号機の炉心の状態に関する評価について」
という資料に載っている、表や図をくわしく読み取ると、以下の
ことが分かりました。
たとえば福島第1原発の1号機では、
340万テラベクレルの、キセノン133が放出されましたが、
事故発生から、23時間30分後〜24時間後までの、30分間
にかけて、
その85%にあたる、290万テラベクレルが一気に放出され
ていました。
また2号機では、
350万テラベクレルの、キセノン133が放出されましたが、
事故発生から、79時間後〜89時間後までの、10時間に
わたって、
その95%にあたる、333万テラベクレルが放出されました。
そして3号機では、
440万テラベクレルの、キセノン133が放出されましたが、
事故発生から、43時間後〜46時間後までの、3時間に
かけて、
その80%にあたる、352万テラベクレルが放出されています。
* * * * *
ところで、
福島第1原発の事故が発生したのは、3月11日の14時47分
でした。
それから計算して、大量放出が起こった日時を求め、時系列
順にまとめると、次のようになります。
1号機は、
3月12日の14時17分〜 47分にかけて、
290万テラベクレルの、キセノン133が放出。
3号機は、
3月13日の10時13分〜 13時13分にかけて、
352万テラベクレルが放出。
2号機は、
3月14日の21時47分〜 3月15日の7時47分に
かけて、
333万テラベクレルが放出。
ちなみに、
チェルノブイリ原発事故で放出された、キセノン133などの
「希ガス類」は、185万テラベクレルと言われています。
だから福島第1原発では、それよりも多い量が、突発的に
3回も放出されたわけです。
そんな、ものすごい大量放出が起こったので、
その時点での「風向き」が、ものすごく気になってきました。
* * * * *
それで次に、
「スピーディー」と呼ばれる、放射能拡散のシュミレーション
に使われていた「気象データ」から、
福島第1原発周辺の、「風の状況」を調べてみました。
そうすると、以下の表のようになっていました。
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福島第1原発周辺における風の状況
日時 風向き 流れる方向 風速
(メートル/秒)
(1号機の放出)
3月12日14時 北 南 2.9
15時 北東 南西 2.3
(3号機の放出)
3月13日10時 西 東 3.9
11時 西南西 東北東 3.8
12時 南南西 北北東 3.2
13時 南南西 北北東 4.1
(2号機の放出)
3月14日21時 北西 南東 6.3
22時 北北西 南南東 5.8
23時 北 南 6.9
3月15日 0時 北 南 6.4
1時 北北東 南南西 6.1
2時 北 南 6.6
3時 北 南 7.3
4時 北 南 7.7
5時 北 南 6.9
6時 北北東 南南西 5.4
7時 北北東 南南西 4.9
8時 北北東 南南西 4.8
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上の表で、
たとえば北風が吹くと、(北風とは、北から南に向かって
吹く風のことなので)、キセノン133は南に(関東方面に)
流されます。
また、たとえば東風が吹くと、キセノン133は西に(福島市
や郡山市の方面に)流されることになります。
3回目の、2号機からキセノン133が放出したときは、
北よりの、比較的つよい風が、長くつづいていたので、
関東方面への拡散が懸念されます。
* * * * *
ところで!
これら3回の、キセノン133の大量放出によって、
一体、どれくらいの被曝が心配されるのでしょう?
もしかしたら、
関東圏を含む、たいへん多くの人々が、ほとんど逃げる
間もなく、
100ミリシーベルトに近いような大量の被曝を、受けて
しまったのでしょうか?
そのようなことが、ものすごく心配になります!
(不幸中にも)幸いなことですが、キセノン133は「不活性
ガス」であり、
体内に取り込まれること(つまり内部被曝をすること)は、
無いとされています。
なので被曝量を見積もるときは、「空間線量」による外部
被曝だけを考えれば良いでしょう。
ところが残念ながら、
3月13日より以前の、事故が起こった初期における
「空間線量のデータ」は、あまり見当たりません。
なので、
1回目のキセノン放出と、2回目の放出で、人々がどれくら
いの被曝をしたのか、よく分かりませんでした。
* * * * *
しかしながら、
3回目の放出による「キセノン133」が、南方に拡散して
行った様子は、
各地における「空間線量のデータ」に現れています。
たとえば、
福島第1原発から、南におよそ14キロ離れた、福島第2
原発では、
3月14日の22時50分から、空間線量が急激に上昇し、
3月15日の0時00分に、96マイクロシーベルト/時 を
記録しました。
その後、20マイクロシーベルト/時 ていどで上下し、
3月15日の3時50分に、913マイクロシーベルト/時
を記録しています。
その後は、ゆっくりと放射線量が低下していきました。
福島第1原発から、南南西におよそ70キロ離れた、茨城県
の北茨城市では、
3月15日の2時10分から、空間線量が急激に上昇し、
5時50分には、5.575マイクロシーベルト/時 のピーク
を観測しました。
その後、空間線量は、8時00分から低下していきました。
福島第1原発から、南南西におよそ110キロ離れた、茨城
県の「ひたちなか市」では、
3月15日の6時20分から、空間線量が急激に上昇し、
7時20分には、4.4マイクロシーベルト/時 のピークを
観測しています。
福島第1原発から、南南西におよそ220キロ離れた、千葉
県の千葉市では、
3月15日の15時から、0.05マイクロシーベルト/時
ていどだった空間線量が、急激に上昇し、
16時には、0.732マイクロシーベルト/時 のピークを
観測しました。
そして18時には、0.05マイクロシーベルト/時 ていど
に戻っています。
この千葉市のデータは、
「日本分析センター 千葉本部」で行った測定であり、
「放射性物質の種類」も判明しています。
それによると、
3月15日の16時に観測された、空間線量のピークは、
「キセノン133」によるものであることが、明確に分かっ
ています。
* * * * *
ところで、
原発に近い福島県内の被曝量も、たいへん気になります。
福島第1原発から、北西におよそ40キロ離れた飯館村では、
3月15日の18時20分に、45マイクロシーベルト/時 の
空間線量を観測し、
その後、20〜40マイクロシーベルト/時 ていどの線量が、
5日間ほど続きました。
第1原発から、北西におよそ60キロ離れた福島市では、
3月15日の15時から空間線量が上昇し、
18時50分には、24マイクロシーベルト/時 を観測しました。
その後、同じていどの線量がつづき、3月17日の17時から
下がり始めています。
* * * * *
以上、ざっと見てきましたが、
福島の原発事故における、キセノン133の放出量は、1100
万テラベクレルに達しており、
チェルノブイリ原発事故における、希ガス類の放出量(185万
テラベクレル)を、はるかに越えています。
なので、
最初(前回のレポートを書いたとき)は、ものすごく驚きました。
しかしながら、
関東圏までもの人々が、逃げる間もなく、100ミリシーベルト
近くの大量被曝をしたとか、
日本国民のすべてが、国外退避をしなければならなかった
とか、
そこまでの大変な事態には、なっていなかったように思います。
おそらく関東圏の人々は、
キセノン133が、1100万テラベクレル放出しても、
それによる被曝量は、1ミリシーベルト以下だったのではない
かと、考えられます。
しかし福島県内の人々は、たとえ避難区域の外であっても、
3回目のキセノン放出だけで、
30マイクロシーベルト/時 ていどの空間線量が5日間ほど
つづき、
3.6ミリシーベルトていどの、被曝をした可能性が考えられ
ます。
ものすごく大ざっぱな見積もりで恐縮ですが、
1回目の放出と、2回目の放出についても、同じていどの
被曝量だと仮定すると、
合計3回のキセノン放出(1100万テラベクレルの放出)に
よって、
10ミリシーベルトていどの被曝をした可能性が、考えられる
かと思います。
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