無宗教という宗教     2003年5月11日 寺岡克哉


 日本人には、「宗教アレルギー」といえるような人が、結構多いのではないでしょ
うか? つまり、宗教を必要以上に恐れ、忌み嫌う人々のことです。
 ではなぜ、日本には宗教を忌み嫌う人が多いのでしょう?
 私は、現代の日本に「無宗教」という、一種の「宗教」みたいなものが、はびこっ
ているからだと思うのです。

 私の言う「無宗教の宗教」とは、「特定の宗教を信仰しない」という意味での「無宗
教」のことではありません。
 このような、「本当の意味で無宗教」の人は、宗教を必要以上に忌み嫌ったりは
しませんし、逆に、本当の宗教に対する正しい知識を持っていたりします。
 ここで言う「無宗教の宗教」とは、「宗教は全て悪だ!」というような、盲目的な信仰
に取り憑かれることです。これは、「宗教を否定する宗教」といえる代物です。
 このような人たちは、「非科学的な宗教など、人類には必要ない!」と決めてかか
り、世界中の大部分の人間が宗教を必要としている事実(人類の76パーセントは、
何某かの宗教を信仰しています)を、認めようとしません。

 確かに、宗教は過去に大きな過ちを犯しました。
 宗教戦争や魔女狩りによって大勢の人間を殺し、地動説や進化論を否定して、人
類の科学的な進歩を妨げたりしました。
 また、特に日本の例を言えば、戦前の国家神道によって天皇を神と崇め、戦争へ
の道へ突き進んだこと。あるいは、戦後に色々な新興宗教が興って、社会と様々な
トラブルを巻き起こしたこと。これらのことが、戦後の日本で「無宗教の宗教」が広が
る原因になったのだと思います。
 さらには、戦後に広がった共産主義思想によって「宗教は精神の麻薬だ!」とい
われ、宗教が否定されたこと。あるいは、戦後の日本において科学技術を発達さ
せ、経済を発展させるためには、宗教的な思想(お金や物に対する欲望を抑制す
ること)が邪魔だったこと。これらのことなども、戦後の日本で「無宗教の宗教」が広
がった原因ではないかと思います。

 ところで、宗教を否定するのは個人の自由です。そのような人を、私は否定しま
せん。しかし私は、「無宗教の宗教」にも、いくつかの弊害があると考えているので
す。それについて、これから見ていきたいと思います。

 まず第一に、あまりにも宗教を忌み嫌ったり、宗教に全く無関心だったりすると、
「宗教の正しい知識」を学ぶ機会が失われてしまうことです。
 そして、「宗教の正しい知識」を持っていないと、あるとき突然に、出たら目な宗
教に簡単に騙されてしまうのです。
 大学教育などの高等教育を受けた人間でさえも、「宗教の正しい知識」を持って
いないと、すぐに騙されてしまいます。つまり、学校教育を受けただけでは、この種
の問題にたちうち出来ないのです。
 普段、いくら「自分には宗教なんか必要ない!」と思っていても、人生の挫折を経
験したり、不治の病にかかったりした時などに、赤子の手をひねるように騙されて
しまいます。
 これは、若いときにあまりにも異性に対して潔癖だった人が、中年になってから
急に恋に狂いだすことがあるのと、似ているような気がします。

 出たら目な宗教に騙されないためには、「まともな宗教」について、ある程度
の知識を持っておく必要があるのです。

 「まともな宗教」を知るのには、新約聖書(日本聖書協会、新共同訳)と、仏教経
典の「真理の言葉(ダンマパダ)」(岩波文庫、中村元訳)を一読するのが良いかと
思います。さらに良い本があるのかも知れませんが、私の知る限りでは、これらが
一番良い本だと思います。
 しかしながら、例えば新約聖書などを読むと、キリストが行った奇跡の話や、わけ
の分からないたとえ話に閉口するかも知れません。しかし、そこの部分はあまり気
にしないで、取り合えず読み飛ばせば良いと思います。
 これらの書物には、「人間の心」に対する深い洞察と、客観的な観察が、数多く
含まれています、そこの部分を読み取るようにするのです。
 これらの本を一通り理解すれば、ただ単に念仏や祈りの言葉を唱えたり、神仏
を祭ったり、宗教的な儀式を行えば救われるというような、「子供騙しのインチキな
宗教」を見分けることが出来るようになります。これらのことについては、釈迦も
キリストも(特にキリストは痛烈に)批判しています。
 宗教の「教え」に、人間の心や人生に対する深い洞察と教訓が含まれていなけれ
ば、そんなもので人間が本当に救われる訳がないのです。

 ところで宗教には、「満たされない心を満足させる」という役割があります。
 「無宗教の宗教」のもう一つの弊害は、何かの原因で心が空しくなり、それに耐え
られなくなると、性的快楽や酒、ギャンブル、麻薬、ドラッグなどに走ってしまう恐れ
があることです。
 「宗教は精神の麻薬」と言われたことがありますが、本当に麻薬をやるよりは、
「まともな宗教」を信仰した方が、心も体もよほど健全に保てます。

 さらに宗教には、「人を愛する心や、人を思いやる心を育てる」という、役割があり
ます。
 だから、「無宗教の宗教」があまりにも蔓延すると、「人の心を失った無慈悲な人
間」が増える恐れがあります。最近の、わけの分からない通り魔殺人や、幼児虐待
死などの報道を見ると、正にそれが現実のものになっているような気がします。

 経済が低迷し、社会不安が高まっている昨今。色々な新興宗教が、これからも
続々と出てくると思います。
 それらに騙されないためにも、「宗教の正しい知識」を持っていることが、今後ま
すます必要になって行くと思います。
 何も、特定の宗教の信者になる必要はないのです。ただ宗教とはどのようなもの
なのか、その効用と弊害を、一般常識として知っておけば良いのです。



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