宗教と科学          2003年6月1日 寺岡克哉


 世間の一般常識では、「宗教と科学は対立するもの」と、考えられています。

 確かに宗教は、客観性や合理性を軽視し、主観的で神秘的な考え方に偏る傾
向があります。そして、地動説や進化論を否定し、科学の進歩の足を引っ張りま
した。
 また科学の方も、盲目的な宗教への信仰を、「非科学的」とか「精神の麻薬」な
どと言って批判しました。
 これらのことから、「宗教と科学は対立するもの」という認識が広がったのだと思
います。

 しかし、それは表面上の話だけで、「本当の宗教」と「本当の科学」は、「対立
するものではない」と、私は考えています。

 なぜなら、宗教も科学も、人間の「脳の働き」によって為されるものだからです。
 つまり、自然万物の在り方や働きを、観察や体験によって認識し、考察すること。
そして、自然万物の根底に存在する真理(つまり神)を探求すること。これらについ
ては、宗教も科学も全く同じだと思うからです。

 「自然の摂理」と「生命の摂理」を謙虚に受け止め、「人間の在り方」を理性的に探
求する「本当の宗教」は、科学を否定したりしません。
 それどころか、むしろ科学が進歩するためには、宗教の影響(神の存在)が働い
ていたと考える方が、事実に近いと思います。
 というのは、人類を代表する一流の科学者たちが、「神の存在」を強く意識してい
たからです。そして彼らは、自然万物(宇宙)の根底に存在する法則、つまり「神の
法則」を探求するために、研究を行っていたからです。

 例えば、惑星の運動を研究したケプラーは、プロテスタントの牧師であり、宗教の
敬虔な信仰者でした。
 ケプラーは、水星、金星、地球、火星、木星、土星などの太陽系の惑星が、太陽
の周りを楕円軌道で回っていることを発見した、とても有名な科学者です。
 ケプラーの伝記を見てみると、彼は最初、「神学」の研究を志していました。そし
て後に行った天文学の研究も、惑星の運動をつかさどる「神の法則」を発見する
ことが、その動機であったと書かれています。
 これらのことから、ケプラーが「神の存在」を強く意識していたことは、間違いあり
ません。

 また、ニュートンは「万有引力の法則」を発見した科学者ですが、ニュートンも宗教
の敬虔な信仰者(イギリス清教徒)でした。彼には、「神学」に関する著述もあるぐら
いです。
 ニュートンが「人類で最も偉大な科学者」であることは、誰にも異論はないと思いま
す。しかしながら、ニュートンも「神の存在」を強く意識し、宇宙全体をつかさどる「神
の法則」を求めて研究していたことも、周知の事実なのです。

 そして、20世紀最大の科学者と言われるアインシュタインもまた、「神はサイコロ
遊びをしない!」と言って、量子力学(物理学の理論の一つ)を批判しました。
 この、アインシュタインの批判そのものは、現在では間違いとされています。しかし
このエピソードから、彼もまた、宇宙全体をつかさどる「神の法則」を強く意識してい
たことが分かります。

 そしてまた、この宇宙がビッグバンと呼ばれる大爆発によって誕生したという、「ビッ
グバン宇宙論」が作られたことにも、宗教の影響が強く現れているように私は思うの
です。
 なぜなら、過去の宇宙でビッグバンが起こったという確実な証拠がまだ見つかって
いないのに、そのような学説がすぐに発表されたからです。
 現在、宇宙の観測結果から確実に言えることは、「現在の宇宙は膨張し続けてい
る」と、いうことだけです。それなのに、宇宙が大爆発によって誕生したとする学説
が作られたのは、旧約聖書の神の最初の言葉、「光あれ!」が強く影響していると
思うのです。
 多分、ユダヤ・キリスト教圏でなければ、ビッグバン宇宙論は、なかなか発表され
なかったのではないかと思います。

 以上から、偉大な科学者たちも、「神の存在」を強く意識していたと言えます。
 宗教と科学が対立するのは、人間の自分勝手な思惑によって神の概念をねじ曲
げ、それを盲目的に信仰させようとする「偽の宗教」と、自然の真理の探究を目的
としない、単なる機械的な「科学技術」です。
 これらの二つが、お互いに罵り合っているか、あるいは無視し合っているのです。

 「本当の宗教」と「本当の科学」は、宇宙と生命の根底にある真理(つまり神)
を「理性的」に求めるという点で、お互いに対立して否定し合うものではないと、
私は思うのです。

 (しかしながら、「偽の宗教」と「出たら目な科学」も対立しないので、それには注意
が必要です。)


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