生命の「肯定」 1
                             2015年11月15日 寺岡克哉


 先日、本サイトの読者の方からEメールを頂いたのですが、以前に出版した
”生命の「肯定」” という本を、読んでみたいとのことでした。

 しかし、あの本は絶版になって久しく、今ではもう、古書店でも手に入りにくい
かと思います。また、すでに出版契約も切れており、再版の可能性が無くなっ
てしまいました。

 そこで良い機会なので、拙書 ”生命の「肯定」” の内容を、今回から本サイト
にアップロードして行くことにしました。

 ところで本来なら、原稿の「文書データ」があれば、全部を一気にアップロード
できるはずです。
 ところが、あの本の原稿は(すでに故障して廃棄した)昔のワープロで書いた
ので、文書データは(2HDよりもさらに古い2DDの)3.5インチフロッピーディス
クに保存されており、しかもワープロ用の特殊なフォーマットがされているので、
「文書データ」をパソコンに移行できそうにありません。

 そのため、毎週できる範囲で、少しずつ手で打ち込んで行くことになりますが、
何卒(なにとぞ)ご了承ください。

 また、この本は13年前に書いたものであり、現在では社会状況が変わってい
たり、私自身の考え方が変わっている所もあるかも知れません。
 あるいは逆に、最近ますます、この本で予測した通りになっている所があるか
も知れません。
 ただ本の内容をコピーするだけでは、すでに本書を持っている方はつまらない
でしょうから、そのような所には「注釈」をつけて、現在の私の視点や考えを書い
てみたいと思います。


 それでは先(ま)ず、「目次」から紹介して行きましょう。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


               
目次


はじめに


第1部 生命の否定とその解消 -大生命について-

 第1章 死について
  1-1 死の性質
  1-2 死は苦ではない

 第2章 苦について
  2-1 生こそが苦である
  2-2 科学の発達
  2-3 金や地位
  2-4 肉体的快楽
  2-5 結婚と家族
  2-6 生命維持の苦
  2-7 根源的な苦

 第3章 生命の否定
  3-1 生命の否定とは
  3-2 生命の否定は理性の働きである
  3-3 生命否定の蔓延は人類衰退の兆候である
  3-4 個の生命観
  3-5 新しい生命観の必要性

 第4章 大生命
  4-1 大生命の定義
  4-2 大生命は1つの生命維持システム
  4-3 大生命の起源は1つ
  4-4 大生命は1つの生命体
  4-5 大生命の意志
  4-6 大生命の成長
  4-7 大生命は不死である
  4-8 大生命は神ではない

 第5章 生命の仕事
  5-1 生命の仕事
  5-2 生命の仕事は死によって終わらない
  5-3 無限の欲望を生命の仕事に向ける
  5-4 個体の死も生命の仕事
  5-5 生命の否定の解消


第2部 生命の肯定 -愛について- 

 第1章 愛について
  1-1 生命の肯定とは愛である
  1-2 大愛
  1-3 植物の愛

 第2章 自己愛
  2-1 自己愛とは
  2-2 自己愛を可能にするのは大愛である
  2-3 人間の絶対価値
  2-4 あなたは唯一の存在
  2-5 自己愛への願い

 第3章 生命肯定へのアプローチ
  3-1 根源的な苦を生命の肯定に向ける
  3-2 自己愛へのアプローチ
  3-3 隣人愛へのアプローチ

 第4章 愛の進化
  4-1 愛も進化する
  4-2 高度な愛の具体例
  4-3 妊娠中絶とクローン実験

 第5章 生命の存在意義
  5-1 生命に存在意義を与えるのは愛である
  5-2 存在意義の階層構造

 第6章 生命の肯定
  6-1 生命を肯定しなければならない理性的な根拠
  6-2 生命肯定の生き方
  6-3 生命肯定の完成
  6-4 一生を通して生命肯定の努力をせよ!


あとがき


参考文献


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


             はじめに(注1)

 私は何としても生命を肯定したい!
 私がこの本を書いたのは、生命を肯定したいからである。生命の肯定は、私の
人生最大の目的である。
 生命の肯定とは、「生きることは素晴らしい!」と思えるようになることである。
生きることに意義や目的を見出し、生きがいを感じて、いきいきと生きることであ
る。生きることに喜びと感謝を感じることである。

 ところで・・・生きることが辛くて辛くてどうしようもない人。息が詰まり、吐き気を
もよおすくらい生きるのが辛い人。生きる意義や生きる目的を全く見出せない人。
自殺をすれば楽になれるといつも考えている人・・・。私はこのような人達の一人
でも多くが、このがんじがらめの窒息と不安、焦燥、苦悩、怒り、空しさと無力感
から解放され、自由にいきいきと生きられるようにと心から願っている。だから私
はこの本で、力の限りを尽くして生命を肯定する。

 私は、このように生きることを苦しくしている原因は「生命の否定」であると考え
ている。その心情を述べると次のようになる。
 ・・・「生きる」ということは苦悩や苦痛の連続であり、それはまるで拷問(ごうも
ん)のようだ。ところがこの拷問に耐えて一生懸命に生きても、最後に必ず死んで
しまう。そして死ねば、地位、財産、家族、友人、経験や思い出など、生きてきた
成果の全てが無意味となる。つまり、苦しみながら長々と生き続けても、最終的
な結果は「死と無意味」だ。これでは生きていても何の意味もない! しかも、い
たずらに苦悩や苦痛を強いるだけの生命の存在は、無意味を通り越して悪でさ
えある。こんな生命など始めから存在しない方がよかった・・・。
 「生命の否定」とは、このようなものである。つまり、苦しみと無意味でしかない
生命を憎悪し、その存在意義を否定してしまう。

 また、生命の否定が特に自己だけに向けられた場合は「自己否定」になる。
自己否定の心情とはだいたい次のようである。
 ・・・自分は、どうせ生きていても何も出来ないし、生きていてもつまらない。自
分には生きる価値もないし、生きる資格もない。自分が生きていることは、只々
他人様に迷惑をかけるだけであって、たいへん申し訳なく思っている。自分でも
しっかりしなきゃと思っているが、どうしてもだめなのだ。自分は世間の厄介もの
だ。何の役にも立てない。生きることは辛くて辛くてしょうがない。このまま苦し
みながら生きているよりも、ひと思いに死んでしまった方がましだ。なぜならその
方が世のためだと思うし、自分も楽になるから・・・。
 このように、自己否定は自分を無価値だと判断して劣等感を持つ。そして、自
分の存在を罪悪視し、憎悪し、否定してしまう。

 人間は多少の苦痛や困難があっても、「生きる意義」さえ見失わなければ、結
構平気で生きられるものである。人間を自殺にまで追い込む本当の苦しみは、
生きる意義の喪失である。そして生命の否定は、人間から生きる意義を失わせ
る最低最悪のものである。

 ところで、前述のような「死ねば全てが無意味となる生命観」を「個の生命観」
と呼ぶことにしたい。というのは、それぞれ個々の人間の「自分の生命」だけに
しか生命の意義が存在しないからである。つまり「自分が存在している状態」と
いうことに生命の意義の全てがあり、自分が死ねば、全世界の全ても無に帰す
からである。個の生命観は、昔からあるごく当たり前の自然な生命観である。し
かしながら、苦に耐えて生きた努力の全てが無意味となってしまう個の生命観
は、生命の否定が起こる根拠そのものである。個の生命観において唯一の生
きる拠(よ)り所は、「自分が生きている間に楽しめるだけ楽しみ、そして死ねば
それでいい」といった欲望や快楽の追及である。しかし、そんなことをしてみた
ところで、死ねば無意味になるのは依然として変わらない。その上、欲望や快楽
の追及は生きる意義にならないどころか、逆に「自分が生きている間」の苦悩や
苦痛を増加させるだけである。これは第1部第2章で詳しく述べる。
 以上により、個の生命観では生命の意義が完全に失われてしまう。だから、
生命を肯定していきいきと生きるためには、これに代わる新しい生命観がどうし
ても必要である。そこで私は「大生命」という新しい生命観を提唱したいと考え、
本書の執筆に至った。

 大生命の生命観では、「あなたの生命の意義は、あなたの死後にも永遠に
生き続ける」となる。こうするためには、他の生命との関わり合いの中で自分の
生命の意義を捉える必要がある。なぜなら、自分の生命の意義を自分の死後
にも伝えてくれるのは他の生命だからである。大生命の生命観は、生命の進化
や地球の生態系、そして地球環境など、時間的、空間的に非常に幅広い生命
同士の関わり合いの中で生命の意義を捉え直そうとするものである。少し荒唐
無稽な感じがするかも知れないが、しかし似たような考え方は、既に二千年も
前からインドや中国に存在していた。大生命の生命観は、これに人類が新しく
得た知識を加えて再構築をしたものである。また最近は、地球環境や生態系の
議論が活発だから、大生命は多くの人にとって理解しやすい生命観だと思う。
大生命の生命観は、生命の否定を解消し、さらには生命の肯定をも可能にする
画期的なものと考える。

 ところで、これからの人間は、各人の基礎素養として「生命を肯定する能力」
というものを身に付ける必要があると私は感じている。なぜなら、人間は古来
より「死にたくない!」という生存本能が生きる原動力になっていたが、現代で
は、非常に多くの人間の、「死にたくない!」という生存本能が弱くなってきた
からである(この理由についての私の考察は、第1部第3章3節で述べる)。
現代では慢性的に「生きていてもつまらない」「生きるのが辛い」「生きていたく
ない!」と感じる人が非常に多くなっている。そして、自殺の衝動が発作的に
生じると、この「死にたくない!」という生存本能では食い止められなくなって
来ている。つまり、何が何でも生き抜くという、いわゆる「命根性のきたなさ」と
まで言われていた生存本能が、現代では非常に弱くなっているのである。

 例えば、いじめによる中学生や高校生の自殺(注2)、リストラによる中高年
の自殺、または登校拒否や出社拒否、ひきこもりなどで非常に無気力な状態
に陥るなど、生きる意欲の低下を示す社会現象は既にいくらでもあると思う。
現代の自殺する人々は、餓死する心配の全くない非常に豊かな社会の中で
敢えて死を選んでいるのである。これからの時代は、ただ「死にたくないから生
きる」という理由だけでは生きていけなくなる人が、さらに増え続けて行くであろ
う。特に日本では第一次ベビーブームで生まれた、いわゆる「団塊の世代」と
言われる人たちが老齢に達して仕事を手放した時が非常に危ないと私は感じ
ている。なぜなら、エコノミックアニマルとまで言われた仕事一辺倒の人間から
仕事を取り上げたら、後には何も残らないからである。現在も、リストラによって
仕事を失った中高年の人たちがよく自殺をしているし、過労自殺などでも、これ
は自分の命より仕事の方を重要視しているから起こるのである。このような人達
から強制的に仕事を取り上げてしまったら、精神的な危機が起こるのは想像に
難くない(注3)。また「お金さえあれば豊かな老後」というのも非常に甘い考え
だと私は思う。なぜなら、老人福祉が行き届いている北欧諸国においても老人
の自殺が多いからである。

 これからの時代は各人が積極的に生命を肯定し、「生きたい!」という
強い意志をあえて持つようにしなければ、「自分の生命を維持することが
不可能」になるような気がしてならない。
第1部第3章3節で詳しく述べるが、
これはある意味で人類の種としての危機であるとも感じている。物質文明を発
達させて豊かになり、人口も爆発的に増加して生物進化の頂点を極めた人類
が、種の発展の限界に達して衰退に転じる兆候なのかもしれない。

 ところで、古来より生命肯定の方法として「宗教」というものが存在していた。
しかしながら、理性を伴わない盲目的な信仰によるこの生命肯定の方法は、
既に破綻を来たしている。それは、現在の宗教が抱えている諸問題(宗教戦争
や霊感商法、カルト集団など)を見れば明らかであろう(注4)。現代では宗教の
価値が破綻し、それに代わって現われた物質的な豊かさの価値(物質文明や
経済発展の価値)も、すでに破綻の兆しが見えている。だから先進国の人間は、
心の拠り所を失い、精神の危機に陥っている。そして、際限のない金銭の獲得
や性的快楽の追及、ひどい場合はドラッグにさえ狂奔している(注5)。もはや、
宗教や物質文明、金銭(経済発展)などへの盲目的な信仰により、自分の人生
を誤魔化せた時代は終わりつつある。これからは、盲目的な信仰によらない
「理性による生命肯定の方法」の確立が、人類の早急な課題となるであろうし、
既になっていると思う。本書で提唱する「大生命の生命観」は、「理性による生命
肯定の方法」の一案として、ここに提示を試みるものである。

 本書では、第1部の第1章から3章を使って生命の否定を考察し、第4章で大
生命の生命観を提唱する。そして第1部第5章で生命の否定を解消し、第2部
全体で生命の肯定を行いたい。



---------------------------------
注1:
 いま改めて拙書を見ると、ずいぶん堅苦しい文章に思えます。この本を書く
前の私は、理系の学術論文を書くトレーニングしかしておらず、「である調」の
文章しか書けませんでした。

注2:
 学校での「いじめ」による自殺は、現在でも大きな問題になっており、もちろん
「いじめを無くす取りくみ」は絶対に必要です。
 しかしながら太字の部分で後述しているように、”各人が積極的に生命を肯定
し、「生きたい!」という強い意志をあえて持つようにする” というような、「メンタ
リティーのトレーニング」というのも、おそらく絶対に必要ではないでしょうか。

注3:
 現在すでに、「団塊の世代」の人々は定年を迎えていますが、ここで述べた
ような「精神的な危機」は生じていないように思えます。というのは、年金の支
給開始年齢が引き上げられ、定年後も働かなけばならない人たちが多くなって
いるからです。
 それよりも最近のマスコミを見ると、「老人漂流社会」とか「下流老人」、「老後
破産」など、経済的な貧困の問題がクローズアップされているように思います。

注4:
 現在では「イスラム国(IS)」の台頭により、宗教的な問題が一段と大きくなっ
ています。

注5:
 この本を書いた頃は、「ドラッグ」といえば欧米が主流でしたが、現在では
「危険ドラッグ」として注意を呼びかけなければならないほど、日本でも蔓延する
ようになってきました。
---------------------------------



 以上、

 拙書 ”生命の「肯定」” の、「目次」と「はじめに」を紹介しました。

 申し訳ありませんが、この続き(第1部第1章1節)は、次回でやりたい
と思います。



      目次へ        トップページへ