生命の「肯定」 13
                               2016年2月7日 寺岡克哉


 前回は、拙書 ”生命の「肯定」” の、第1部の最後まで紹介しました。

 今回から、いよいよ第2部を、ご紹介して行きたいと思います。


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第2部 生命の肯定 -愛について-


第1章 愛について


1-1 生命の肯定とは愛である
 第1部の最終章では生命の否定の解消を行ったが、ここでは、さらに進んで
生命を積極的に肯定する。生命の肯定は本書の目的であり、私がこの本を書い
た動機である。私はこの第2部で、力の限り生命を肯定したいと思う。

 第2部のまずはじめに、「生命の肯定とは愛である」ということについて述べ
たい。つまりこの第2部全体は、愛について述べることになる。しかし突然に
こう言っても、にわかには判然としない人も多いと思う。なぜなら世間一般で
よく使われる「愛」という言葉は、恋愛や性愛などの男女の愛をさす場合がほと
んどだからである。しかしながら、自己愛や親子の愛、家族愛、隣人愛、人類愛、
慈悲(生きとし生けるもの全てに対する愛)など、「愛」という言葉にはもっと広く
て深い意味がある。そしてこれらの愛の意味するところ、結局は「生命の肯定」
に行き着く。

 例えば、
 生命の存在を好ましく感じること。
 生命を大切に考えること。
 生命を尊重すること。
 生命を思いやること。
 生命を慈しむこと。
 生命の存在に喜びを感じること。
 異性と結ばれて新しい生命を産むこと。
 新しく生まれた生命を、正しく成長するように育てること。
 飢えや病気、怪我などで死にそうになっている生命を救うこと。
 困っている生命を助けること。
 他の生命に喜びを与えること。
 他の多くの生命を救うために、自己の生命の限りを尽くすこと。
 等々、これら生命を肯定する思考、感情、行動の全てが愛の現われである。

 これとは逆に、生命を否定する感情は「憎悪」である。生命の否定は、生命
全体に対する憎悪である。自己否定は、自分に対する憎悪である。傷害や
殺人、自殺、大量殺戮(さつりく)など、これら生命を否定する行動動機のほと
んどは憎悪である。このように、生命の否定が憎悪であることを考えれば、
生命の肯定が愛であることが納得できると思う。

 生命の肯定とは、生命を愛することである。また逆に、愛なくして生命の肯定
はありえない。以下この第2部は、愛についての色々な考察を述べていく。



1-2 大愛
 愛とは生命の肯定であるが、肯定する生命の範囲によって、愛にはさまざま
な名称が付けられている。

 例えば、自己の生命を肯定し、正しい自助努力によって自己完成を目指す
のは「自己愛」である。

 隣人の生命を肯定し、お互いの生命を尊重しあって助け合い、他人に対して、
その人も自己完成ができるように骨をおるのは「隣人愛」である。

 人類全体の生命を肯定し、飢餓や病気の根絶、教育の普及、世界平和の
実現など、人類全体の正しい進歩と発展に貢献するのは「人類愛」である。

 そして、地球上の生命全体を肯定するのが「大愛」である。大生命は、地球上
の全生物による全生物のための生命維持システムである。だから大生命は
地球上の全ての生命を肯定する。ところで、第1部で述べた大生命の意志とは、
生命全体の維持、強化、高等化、永続への志向であった。この大生命の意志が
大愛である。大愛は、生命全体による生命全体の肯定であり、大生命の自己愛
であるとも言えよう。

 もしも大生命が生命を肯定しなければ、つまり大愛が存在しなければ、地球
の生命が四〇億年も存在することは出来なかった。言い換えれば、そもそも
大愛の全く存在しない場所、つまり生命の存在を否定するような場所では生物
は生きられない。大愛の全く存在しない場所とは、例えば宇宙空間である。
宇宙空間には酸素も食糧もない。また、生命に有害な紫外線や宇宙放射線
がたくさん降りそそいでいる。つまり宇宙空間は、生命の存在を拒否する場所
であり、これは大愛の全く存在しない場所であると言える。このような大愛の
存在しない場所では、生物は一瞬たりとも生きていくことが出来ない。地球の
環境が生物に適しているのは、大生命が長い時間をかけて地球環境を整備
して来たからである。これは全て、大生命が生命の存在を肯定しようとする
働き、つまり大愛の働きによるものである。



1-3 植物の愛
 大生命の維持と発展にいちばん大きな貢献をしているのは、植物及び植物
性プランクトンである。したがって、大愛の中で最も大きな部分を占めている
のは、植物の愛である。

 植物は、全ての動物に食物を与えている。たとえ肉食動物といえども、植物
に養われている。なぜなら、肉食動物が餌にしている草食動物は、植物を食べ
て生きているからである。虫や鳥も植物に養われている。

 また、海の動物も植物(海草や植物性プランクトン)に養われている。サンゴ
のようなものでさえ、海の植物に養われている。ウニやヒトデ、貝、魚類、クジラ
やイルカなど、全ての海洋動物も同様である。そして植物は動物に食べられて
も決して不平や不満を言わない。植物は黙って食べられるのみで、それで全て
の動物に命を与え続けている。

 そしてまた、地球に六〇億人(同注70)もの人類が生きられるのも、米や
麦などの穀物のおかげである。食肉用の牛や豚といえども、結局は植物によっ
て育てられているから、人類が生きていけるのも、全て植物のおかげである。

 また、植物は光合成によって酸素を作っている。動物が呼吸できるのは植物
が酸素を作ってくれるからである。魚類は水中でエラ呼吸をするが、これは水
に酸素が溶けているからで、その酸素も植物が作っている。

 さらに酸素はまた、大気の上空でオゾン層を作り、太陽の紫外線をさえぎって
いる。この紫外線は、生物にとって非常に有害なものである。例えば洗濯物を
野外で乾すと紫外線殺菌が出来るし、日焼けも度を越すと皮膚ガンを誘発す
る。それでも何とか動物が陸上に住めるのは、オゾン層が紫外線の大部分を
さえぎってくれるからである。オゾン層の作られる前は、生物は水中だけにしか
住めなかった。水は紫外線をさえぎるからである。つまりオゾン層がなければ、
生物は陸上に進出することが出来なかった。当然、人類の出現も不可能である。

 全ての動物は、植物の愛によって生かされている。植物の愛はとても大きな
ものであり、我々人類もこの愛に頼って生きている。もしも地球から植物がなく
なれば、人類は、食事はおろか呼吸一つさえも出来なくなる。私はこのことに
感謝し、常に植物の愛を忘れないようにしたいと思う(注73)



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同注70:
 世界人口は、2016年1月現在で、およそ73億人と見積もられています。

注73:
 私は、ここで書いたことを思うたびに、世間でよく言われる「自立して生きる」
という言葉が、ものすごく傲慢(ごうまん)であるように感じてしまいます。
 たとえ、いくら金があっても、この地球に植物が存在しなければ、何人(なん
びと)たりとも絶対に生きることはできません。完全に自立して生きている人間
など、この世に1人も存在しないのです。
 また、経済活動のために自然破壊を平然と行う人間なども、この節で述べた
ようなことを全く理解しない、ものすごく傲慢な人間であると思います。
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 申し訳ありませんが、この続きは次回でやりたいと思います。



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