生命の「肯定」 31
                              2016年6月19日 寺岡克哉


 今回は、「あとがき」と「参考文献」を紹介します。



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あとがき

 いても立ってもいられなくなり、ついにこのような本を書いてしまいました。少し
堅苦しい文章で申し訳ないですが、私の心の内は、分かって頂けたのではない
かと思います。

 私は、常々こんな本を書きたいと思っていたのですが、私のキャリアが畑違い
のような気がしてずっと迷っていました。と、いうのは、私は長いこと大学院の
学生として物理学の研究に携わっていたからです。無給の身分で三十四歳まで
研究にかじりついていました。しかし博士学位を取得することが出来ず、研究者
になる道を断念してしまいました。その後、ラーメン専門店に調理師見習いとして
入れてもらい、足かけ二年ほど、調理の修行を体験させてもらいました。それから
フリーになり、本書を執筆した次第です。

 ところで、年齢的には遅かったのですが、私は二十六歳の時にトルストイと
武者小路実篤に心酔し、その影響を受けました。そして私もいつかは「愛と生命」
をテーマにした本を書きたいと思うようになりました。その一方で、「科学の発達
が人間を本当に幸福にしているのか?」という迷いも生じてきました(注129)
現代社会は、何か人間として非常に大切なものが、すっぽりと抜け落ちている。
漠然としたこのような思いが、五年、六年と研究室で時を過ごすうちに、だんだん
と強くなっていきました。結局はこの迷いが、意識的、無意識的に働いて、科学者
への道の断念という形になったのだと思います(注130)。しかしながら、延々
と三十四歳まで続けた研究を断念した時は、少なからず挫折感を味わったのも
正直なところです。

 大学を去る時、漠然とですが執筆の決意を固めていたように思います。しかし、
「本を書くには、私にはまだ何かが足りない。大学の研究室とは全く違う世界も、
経験しなければならない」と、本能的に感じていました。それでラーメン店に就職
したのです(注131)

 ラーメン店を選んだ理由は、私は調理が嫌いでなかったのと、ラーメンがいち
ばん好きな食べ物であったこと、そして、ラーメンを食べるとなぜか心が暖かく
なり、現代人の失ってしまった何かが、そこにあるような気がしたからです。研究
が行き詰まり、殺伐とした気持ちになった時には、よくラーメンを食べて心をなご
ませたものでした。

 食べ物の仕事の世界に入って分かったことは、「食べ物の仕事は、心の仕事
なのだ!」と、いうことでした。いくら完璧に調理が出来ても、店の雰囲気やウエ
イトレスの対応が悪ければ、お客さんの気分を害します。そうなるともう、ラーメン
を美味しいとは絶対に思ってくれません。お客さんの心の状態が、食べ物の味を
決定的に決めてしまうのです。逆に、こちらの真心がお客さんに通じれば、お客
さんは満足してまた店に来てくれるのです。このようなことを、店で厳しく教え込ま
れました。

 私は、「食と心」を扱う世界で仕事をしているうちに、「飽食の現代人が、本当に
飢えているのは心なのだ。心の食べ物、心の栄養が必要なのだ。人間は心が
餓死すれば、自ら死を選んで自殺し、本当に死んでしまうのだ。」と、いうことに
気がついて来たのです。そして、この心の栄養こそが「生命の肯定」、つまり「愛」
なのである・・・ という考えに発展していきました。

 私が執筆を決意した直接の契機は、ラーメン店で働く先輩から、「自分の本当
にやりたいことを、できる時にやるべきだ!」と、励まされたことです。そして彼は、
今では古書店でも手に入りにくい、武者小路実篤の『人類の意志について』という
本を、私にくれたのです。そのことが契機となって、私はこの本を書き始めました。

 私は、表向きの人あたりは悪くないけれど、元来は傲慢でプライドが高く、自己
否定的な人間です。だから長年に渡って生命の否定に苦しんできました。何より
も私自身が、「生命の肯定」を渇望している人間の一人なのです。


                       平成十三年十二月吉日     寺岡克哉



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注129:
 たとえば福島第1原発の事故などは、科学の発達が生み出した「大きな
不幸」の、まさしく典型的な例だと言えるでしょう。
 その他にも、大量破壊兵器の開発や、大規模な環境汚染など、科学の発達
が無条件に人類を幸福にする訳でないのは、自明のことだと思います。

 しかしながら、近年における地球温暖化研究の進歩や、再生可能エネルギー
の開発などにより、
 このままだと将来的に起こることが予想される「地球生態系の壊滅的な被害」
を、いくらかでも軽減できる可能性が生まれつつあります。
 つまり、これらの分野における科学的な発達が、人類と地球生態系が存続
できるかどうかを決定づけるほど重要になっているのです。

 なので現在の私は、「科学の発達が人間を本当に幸福にしているのか?」
と、いうような迷いは持っていません。


注130:
 もちろん、研究者になるための能力と努力が不足していたというのが、より
直接的な原因でした。


注131:
 今から思うと、こんな動機でラーメン店に就職したのでは、店の方でも迷惑
だったことでしょう。
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参考文献

 『人生論』                 トルストイ         新潮文庫
 『人類の意志について』       武者小路実篤       角川文庫
 『人生論・愛について』        武者小路実篤       新潮文庫
 『新約聖書』               新共同訳         日本聖書協会
 『原始仏教 その思想と生活』    中村元           NHKブックス
 『論語の世界』              金谷治          NHKブックス
 『老子』                  金谷治         講談社学術文庫
 『荘子』                  金谷治           岩波文庫
 『生きることと愛すること』      W・エヴァレット      講談社現代新書
 『自己愛とエゴイズム』       ハビエル・ガラルダ    講談社現代新書
 『生命の奇跡 DNAから私へ』  柳澤桂子           PHP新書
 『進化論が変わる』        中原英臣 佐川峻   講談社ブルーバックス
 『進化論の不思議と謎』       小畠郁夫 監修      日本文芸社
 『生命40億年はるかな旅』      NHK取材班        NHK出版
 『ハッブル望遠鏡が見た宇宙』  野本陽代 R・ウィリアムズ 岩波新書
 『文明の逆説』              立花隆          講談社文庫
 『詳説 世界史研究』         木下康彦 他       山川出版社



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