トルコ情勢について 2
                              2016年8月14日 寺岡克哉


 今回は、いまのトルコ情勢というよりも、

 私が以前に持っていた「トルコという国の印象」について、

 お話してみたいと思います。


            * * * * *


 もう、20年ぐらい前の話になりますが・・・ 

 じつは、私は以前。トルコ人と、親睦(しんぼく)を図(はか)らなければ
ならない状況になったことがありました。



 というのは、

 当時、私が所属していた大学院の研究室は、国際共同の実験で中心的
な役割をしていたため、

 実験参加者による「ミーティング」をやるとなると、イタリアやドイツ、ベル
ギー、韓国などの国々から、研究者たちが集まってくるのが常(つね)だっ
たからです。

 そのような環境の中、ある日に行われる予定になっていたミーティングで、

 新しく実験に参加することになった「トルコの研究者」が、来日することに
なったのでした。



 その当時、大学院生だった私や仲間たちは、

 ミーティングをやるとなると、懇親会の準備をしなければならない立場に
ありました。

 そのような訳で、

 「トルコ人はイスラム教を信仰しているから、お酒を進めたら悪いのでは
ないか?」とか、

 「ブタ肉は食べないのではないか?」

 「とつぜん、メッカの方に向かって礼拝をするのではないか?」

 などと、半分は冗談まじりでしたが、大学院生の仲間たちと、いろいろ
なウワサ話をしていました。



 つまり、私が最初に持っていた、

 トルコのイメージというか、「トルコ人」にたいするイメージは、

 大体そんな感じだったわけです。


            * * * * *


 さて、

 そのときに行なわれたミーティングで、トルコから来日したのは、

 けっこう年寄りの女性の先生と、すこし若手の30代後半ぐらいの
男性の研究者でした。



 ミーティングが無事に終了し、

 各国の偉い先生方がいる、フォーマルな懇親会が終わったあと、

 若手の研究者だけで、居酒屋に行くことになりました(つまり二次会
です)。



 ところが、そのときに入った居酒屋は、

 いろいろなメニューが、1品ずつ、1枚の貼り紙に書いてあり、

 そのメニューを書いた貼り紙が、壁中に貼られているような店だった
のです。



 そのような居酒屋に、

 (お酒は飲んでも大丈夫だと言ったので)トルコ人の男性の研究者
を連れていったのですが、

 その他に、ドイツ人やベルギー人の若手研究者たちもいました。

 もちろん彼らは、日本語で書かれたメニューの意味など、まったく
分かりません。



 私は、

 いちいちメニューの貼り紙を指さして、その意味を英語で説明する
のが面倒だったし、

 そんなことをやっていたら、いつまで経っても料理が注文できない
と思いました。



 そこで私は、外国人の若手研究者たちに向かって、

 「皆さんはゲームのつもりで、どれでも良いからメニューの貼り紙を、
一人ずつ指し示してください」

 「そうすれば、私はそれを注文します」

 「どんな料理が来るのかは、出来てからのお楽しみとしましょう」

 と、提案しました。



 そうしたら、

 トルコ人の研究者は、「アジの生き作り」を指さしたのです。

 料理が来ると、アジの生きはとても良く、まだ尾ひれがピクピクと
動いていました。

 じつは私も、「アジの生き作り」を実際に見たのは、その時が初めて
で、すこし「ギョッ」としたぐらいです。



 これはさすがに、トルコ人にとって食べるのは抵抗があるかも知れな
いと思い、

 「この料理は、このようにして食べるんですよ」と説明しながら、わさび
と醤油を皿に取り、私が先に一口食べて見せました。

 そして、「もしも食べたくなかったら、無理して食べなくても良いですよ」
と、トルコ人の研究者に言ってあげました。



 しかしながら、私の意に反して、

 トルコ人の研究者は、けっこう平気な感じで「アジの生き作り」を食べ
たのです。


 ところが・・・ 

 食べ終わってから、「生まれて初めて、生きたアニマルを食べた」と、
すこし声を震わせて言ったのでした。

 そのとき私は、「とても悪いことをした」と思いました。


 おそらくトルコ人の研究者は、場の雰囲気を壊さないようにと、かなり
無理をしたに違いありません。

 ほかの外国人の研究者たちが、何のメニューを指さしたのか、今では
全く覚えていません。

 しかし、このことだけは、今でも鮮明に思い出せるのです。


            * * * * *


 以上ここまで、お話しましたように、

 たった1人の例なので、普通とは異なる例外であった可能性も否定
できませんが、

 いちおう「トルコ人」と付き合ってみた印象では、

 「敬虔(けいけん)で戒律に厳しいイスラム教徒」という感じではなく、

 お酒は普通に飲むし、いちおう刺身なども食べたし、イスラム教徒に
しては、ずいぶん「世俗的」なのだなあという感じがしました。



 そして事実、最近になって知ったのですが、

 トルコは、イスラム世界でも屈指の世俗主義国家として、有名なのだ
そうです。

 それは、上で話した私の経験からしても納得できます。



 ところが!

 そのようなトルコのお国柄、つまり「世俗主義」が、

 エルドアン大統領によって、一変してしまうかも知れないのです。


 そのことについては、次回でお話したいと思います。



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