神の認識へのアプローチ  2003年9月7日 寺岡克哉


 人間が、真の幸福を得る唯一の方法は、「愛すること」です。
 つまり、自分を正しく愛し、隣人を愛し、人類を愛し、地球の全ての生命を
愛することです。


 しかし一体どうやったら、自分を正しく愛することが出来るのでしょうか?
 どうしたら、隣人や人類や他の生命を愛することが出来るのでしょうか?
 そのことを私は、もう20年ちかくも考え続けています。
 そして今までに分かったことは、「愛するため」には、その前にまず自分が
「大いなる存在」から愛されなければならないと言うことです。
 そしてその「大いなる存在」とは、究極的には「神」であると言うことです。

 今回は、私がそのような「神の認識」に至ったいきさつについてお話したいと思い
ます。

 まず最初に人間は、何らかの「大いなる存在」に触れ、その愛を実感することが
できて初めて、自分を愛することが出来るようになります。そして、隣人や他の生命
も愛することが出来るようになるのです。それは例えば、
 「私は誰からも愛されない厄介者だ!」
 「私なんか、生まれて来ない方が良かった!」
と思い込んでしまったら、「愛すること」などとても出来ないので分かります。しかしな
がら逆に、
 「私はいつも愛されている!」
 「私がこの世に生まれたことは祝福されている!」
と心の底から実感することが出来れば、「愛する心」が自然に湧き起こって来るの
です。

 そして、親や恋人などの「人間」からではなく、「大いなる存在」から愛されなけれ
ばならないのは、いつでもどこでも常に確実に永遠に、自分が愛される必要がある
からです。
 確固とした揺るぎない愛を持つためには、自分もそれと同じように愛される必要
があるのです。しかしながら「人間」からの愛では、とてもそのような訳には行きま
せん。

 そこでまず私は、この「大いなる存在」の一候補として、「大生命」というもの
を考えました。

 「大生命」とは、地球の全ての生命を含む生態系です。つまり、地球の生物全体で
一つの大いなる生命、「大生命」を形作っているという考え方です。(大生命の詳し
い説明については、エッセイ1、19、20、21を参照して下さい。)
 大生命は、地球の全ての生物に酸素や食料を供給することにより、全ての生命を
生かし育んでいます。つまり大生命は、この地球に生命が存在し続けることを望ん
でおり、それを維持しようとしています。その愛を「大愛」と名づけました。
 もしも「大愛」が存在しなければ、酸素も食料も存在せず、私たちは一瞬たりとも
生きることが出来ません。
 あなたや私を含めた全ての生命は、大生命の「大愛」によって愛されているから生
きることが出来るのです。

 この「大愛」を実感すれば、自分を愛することができ、隣人も人類も他の生命も愛
することが出来るようになります。
 しかも「大愛」は誰にでも実感できます。深呼吸を一回すれば大愛は実感できます。
ご飯を一口食べれば大愛は実感できるのです。
 このように大生命の「大愛」は、物質的、肉体的に実感できるので、「神への信仰」
を必要としません。これはこれで、大生命の思想のたいへん優れた点です。

 「大生命の思想」を考え出してしばらくの間は、とても安心して充実した気持ちにな
れました。
 しかしだんだんと、それだけでは私の心は満たされず、心の奥底の不安や不満が
拭い去れなくなって行きました。それは、
 「なぜ大生命や大愛が存在するのか?」
 「なぜ生命や愛が存在するのか?」
という問題が解決しなかったからです。「愛と生命」の因ってきたる根源が、依然とし
て分からなかったからです。

 それで次に、ビッグバンから始まる宇宙の進化に「愛と生命の根源」を求めました。
つまり、ビッグバンのエネルギーによる素粒子や原子の生成、銀河系や太陽系や
地球の形成、そして生命の誕生・・・。そのようにして「愛と生命」が生まれたのだと考
えたのです。
 この考え方は論理的に正しいし、科学や宇宙へのロマンを駆り立てることから、巷
でもよく聞かれる考え方です。
 しかしながら、「愛と生命の根源」を宇宙や物質に求めるだけでは、私の不安と不満
は拭い去れません。なぜなら、宇宙とか原子とか物質とか、そんなものに愛や生命が
存在する訳がないからです。
 この考え方は全く無機的で物質的であり、ますます「愛と生命の本質」から遠ざかっ
てしまいます。それで私の心は満たされないのです。

 やはり、「神」が存在しないとだめなのです!

 この世を在らしめる根本の原理。無限の愛の根源。生命力の根源。愛と生命の根
源的な本体そのもの。
 そのような存在・・・ つまり「神の存在」を無条件に心の底から認めて信じ、しかも
それを実感することが出来なければ、「完全な安心と満足」が得られないのです。

 ところで、神の存在を認めない思想(唯物論)では、生命現象とは様々な化学物質
の、複雑な化学変化の結果にすぎないと説明します。
 だから「神の実感」や「愛の感情」が生じることも、脳内化学物質の分泌による、脳
の状態の一時的な変化にすぎないと説明するでしょう。
 しかしそんな説明では、心の奥底の不安や不満が解消しないのです。生きる動機
や愛する動機が、心の底から湧き起こってこないのです。

 上の話はむしろ、「神の存在を心から認めて信じること」が根本であり、それが
契機となって脳内化学物質の分泌を引き起こし、「神の実感」が生じるのだと考える
べきです。
 そしてさらには、生きる原動力(生命力)や愛の感情、利他の行動などを人間に生
じさせるのです。
 つまり「神の力」が実際に働いて、現実のこの世界に「愛と生命」を生じさせて
いるのです。


 「神の無限の愛」を実感すること。つまり神の無限の愛と自分が一つになることに
より、自分を本当に心から愛せるようになります。そして隣人も他の生命も、本当に
心から愛せるようになるのです。
 愛と生命の根源。完全なる安心と満足。究極の幸福。生命肯定の完成。これらを
極限まで追求すれば、その結論は必然的に「神」に行きついてしまうのです。



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