神の力について       2003年9月14日 寺岡克哉


 今回は、「神の力」というものについて考えてみたいと思います。

 しかしここで言う「神の力」とは、病気を一瞬で治したり、死者を生き返らせたりす
るような、超自然的な「奇跡」を起こす力のことではありません。
 人間の心の奥底に働きかけて、愛の感情や利他の精神、自己犠牲の勇気など
を生じさせる力。そして、実際にそのような行動を人間に行わせる力です。
 あるいは、人間に生きる目的や生きる意義を与え、生きる意欲、生きる勇気、生
きる元気、生きる原動力、生きるエネルギーなどを生じさせる力です。
 つまりここで言う「神の力」とは、人間としての「愛と生命」を生じさせる力のことで
す。

 このような意味では、「神の力」は実際に存在すると言えます。

 「神の力」が働くと、普通では出すことのできない勇気や行動力が出せるようにな
ります。神と共にあると、自分一人だけでは絶対に出せないような、勇気や行動力
が出せるのです。
 それは例えば、「恋愛の力」とよく似た所があります。
 恋愛に激しく取り憑かれると、相手のためならたとえ火の中水の中、普通なら絶
対に出せない勇気や行動力が出てきます。
 また、恋人とただ一緒にいたり、相手のことを考えたりするだけで大きな幸福と満
足を感じ、生きる希望や生きる元気が溢れてきます。
 そして、
 「あなたのためなら、何でもしてあげたい!」
 「あなたに、身も心も私の全てを捧げたい!」
 「あなたに、私の命と生涯の全てを捧げたい!」
というような、自己犠牲の気持ちも起こってきます。

 このように「神の力」と「恋の力」は、よく似た所があるのです。しかし、大きく違う所
もあります。
 それは、「恋は盲目」と言われるほど感情的なものですが、神には「理性的な要素」
が存在することです。
 ところで一般に巷で「神」といえば、「盲目的な信仰」というイメージが強いのではな
いかと思います。しかし神のもともとの概念には、「理性的な要素」がちゃんと存在し
ているのです。
 それは例えば、「理性」という言葉を辞書で引くと、「概念的思考の能力」とか「真偽、
善悪を識別する能力」という意味のほかに、「絶対者を直感的に認識する能力」
いうのがあることで分かります。(岩波書店 広辞苑)
 そして「絶対者」とは、「宇宙の根底として無条件・無制約・純粋・完全で、自ら独立
に存在する唯一の最高存在。形而上学的にはおおむね神の概念と同一。」とありま
す。つまり「理性」という言葉には、「神を認識する能力」という意味があるのです。
 このように、「神」と「理性」には切っても切れない関係があります。理性を完全に排
斥して、盲目的な信仰だけを強要するような神は、やはり「間違った神」としなければ
なりません。

 正しい「神の力」は、人類の理性や良識に反することが絶対にありません。
 その上で、普通では考えられないほどの勇気や行動力を、人間に発揮させ
るのです。

 例えば釈迦やキリストのような、「まさに神のような人」が歴史上に現れたのも、人
間にそのような行動を起こさせる何らかの力、つまり「神の力」が彼らに働いていた
からです。

 しかしながら釈迦やキリストは、もう既に2千年以上も前の人物です。だから彼らが
歴史上に実在したことは信じるとしても、彼らの本当の顔や、彼らが実際に話した言
葉を知ることが出来ません。私はそのことに、ある種の寂しさを感じていました。
 というのは、釈迦やキリストの本当の顔や、実際の言葉を知ることが出来たなら
ば、「神の力」の存在にもっと確信が持てると思うからです。
 (ところで、釈迦やキリストの意志が2千年以上も生き続け、現代でも世界中の多
くの人々に「愛と生きる力」を与えているその事実がまさに「神の力」です。だから私
は、「神の力」の存在を疑ってはいません。しかし、彼らの実像が分からないという
のが少し寂しいのです。)

 私は、本当の顔が分かり、実際の言葉や行動や生き様が知ることのできる「神の
ような人」が、現代にも存在してほしいと心ひそかに願っていました。
 しかし、インチキな宗教や偽教祖が実に多く、安易にそのような人物を求めるの
は、たいへん危険であることも非常に強く感じていました。
 ところが、私が信頼することのできる「神のような人」が、現代にも存在した
のです! それがマザーテレサです。

 確かにマザーテレサの他にも、ガンジー、キング牧師、ヨハネパウロ2世、ダライ
ラマ14世などの素晴らしい人はいます。しかし、私がいちばん「神のような人」と思え
るのはマザーテレサなのです。それはたぶん、彼女が「神と隣人への愛」ひとすじに
生涯を捧げ、「政治との絡み合い」がほとんど無かったからだと思います。

 マザーテレサの生い立ちや、彼女の行った偉大な仕事については、下記の参考文
献を読まれることをお勧めします。そうすれば、なぜ私がマザーテレサを「神のような
人」と思うのかが分かってもらえると思います。
 (この本は、小学生向きに書かれたものです。しかし、それだからこそ本質と要点
が的確に分かりやすく書かれており、たいへん優れた本だと私は思います。)
 ただ、ここで一つだけお話したいことは、マザーテレサ(とその姉妹たち)の活動の
原動力は、「祈り」と「ミサ」から来ているということです。つまり彼女たちの原動力は
「神の力」から来ているのです。それは、マザーテレサ本人が確かにそう言っている
のです。

 マザーテレサのような人がこの世に現れたのは、確かに「神の力」が働いた
ことによるものです。それは否定のできない事実です。
 マザーテレサの生き様を通して、私は「神の力」が本当に存在することに、ま
すます確信を持つようになりました。



 参考文献
 マザー・テレサ かぎりない愛の奉仕   沖守弘   くもん出版



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