裁判について

なぜ、残留孤児たちは祖国を訴えたのか。帰国しても日本語が話せず、経済的にも追い込まれた彼らは2001年と2002年に、約11万人の署名を添え、生活保障を求めて国会に請願したが、いずれも採択されなかった。高齢を迎えた孤児たちが、日本人としての尊厳を取り戻す方法は、集団訴訟しか残されていなかった。こうして、2002年の東京地裁を皮切りに、帰国した残留孤児の約9割にあたる約2200人は、国に1人あたり3300万円の損害賠償を求め、全国15地裁に提訴した。
2006年12月、これらの裁判の中で唯一神戸地裁判決だけが歴史に残る画期的な勝訴判決だった。
これを受けて2008年4月に新支援策が実施され、全国の裁判は裁判取り下げにより、終結に向かった。
全国の裁判の一覧表
地裁 原告総人数 一次提訴年月日 判決内容と年月日
東京 1092 2002.12.20 敗訴 (2007.1.30)
札幌 85 2003.11.26 敗訴 (2007.6.15)
仙台 85 2005.5.19 中断
山形 34 2005.6.17 中断
長野 79 2004.4.28 中断
名古屋 210 2003.9.24 敗訴 (2007.3.23)
京都 109 2003.9.24 中断
大阪
(大阪高裁)
144 2003.12.25 敗訴 (2005.7.6)
中断
神戸
(大阪高裁)
65 2004.3.30 勝訴 (2006.12.1)
中断
岡山 27 2004.2.20 中断
広島 59 2003.9.24 敗訴 (2007.4.25)
徳島 4 2003.1029 敗訴 (2007.3.30)
高知 56 2003.10.30 敗訴 (2007.6.15)
福岡 137 2004.12.8 中断
鹿児島 24 2003.8.20 中断
合計 2210

神戸地裁判決

神戸判決の概要
裁判で闘った兵庫の中国「残留日本人孤児」原告は65名。その平均年齢は67歳(2007年現在)です。彼らは「日本人として自立し、人間らしく生きることを保証して欲しい」と2004年3月、国を相手に国家賠償裁判を起こし、2006年12月1日神戸地裁で勝訴を勝ち取りましたが、国はただち控訴、彼らの闘いは終わりませんでした。しかし、2008年2月22日与党プロジェクトチームの新支援策を受け入れ、裁判は取り下げられました。
訴訟のあらまし
残留孤児が生み出されたのは,そもそも戦前の「満州」移民政策が原因です.国は,不況にあえぐ国民を駆り立て,「満州」移民を大々的に推進しました.国は,ソ連軍の侵攻が確実になっても開拓団を避難させず,終戦時にはかえって開拓団を現地に土着させる方針を採りました.そのため,多くの開拓団民が帰国を果たせぬまま亡くなり,大量の日本人孤児が生き延びるために中国人の庇護下に入りました.ところが,国は,中国内戦終結以降も,孤児たちを帰国させる措置を採りませんでした.この間,孤児たちは,「小日本鬼子」として,文革期を懸命に生き延び,1972年の日中国交回復の報に帰国への希望を抱いたのです.しかし,現実に訪日調査が開始するまでには10年近くを要し,また,現実に帰国を果たすまでにはさらなる時間が費やされました.
 帰国後の孤児たちの生活も容易ではありませんでした.言葉の壁,習慣の壁・・・,孤児たちは,社会内で孤立し,現在では約8割の孤児たちが生活保護を受給せざるをえない状態です.
 裁判では,@国が孤児たちを早期に帰国させる義務を怠ったこと(早期帰国義務違反),A国が帰国した孤児たちが社会で自立できるように支援する義務を怠ったこと(自立支援義務違反)という二つの義務違反を訴えています.
<中国「残留孤児」国賠訴訟兵庫弁護団>
与党プロジェクトチームの支援策とその「受け入れ」について
浅野慎一(神戸大学大学院教授)
 今回の支援策では、政府の従来の自立支援策が不十分だったこと、またそれによって残留邦人の「人間としての尊厳」が傷つけられたことなど、政府の責任がごく限定的ですが明記されました。それをふまえ、残留邦人の実情をかなり配慮した給付金制度が設けられ、老後の生活安定という点では大きな前進がありました。また、これまで残留邦人は生活保護制度のもと、非人間的な監視・束縛に苦しめられてきましたが、この点でも大幅な改善がなされました。
 これは、過去5年間におよぶ残留邦人の国家賠償訴訟運動、およびそれを支持する国民世論が自らの手で勝ち取った貴重な成果といえます。とりわけ神戸地裁での感動的な勝訴判決(2006年12月)は、与党・政府を動かす大きな原動力となりました。
 しかし一方、今回の支援策では、残念ながら課題も数多く残されました。
まず何より、政府は今も残留邦人に対し明確な謝罪をしていません。また新たな給付金は、すべての残留邦人への政府の責任にもとづく補償であるべきなのに、給付に際して個々人の収入認定を課すのは筋が通りません。特にこれまで無理を重ねて働き、ようやく厚生年金や貯金を確保した残留邦人が、収入認定によって給付金を全額受け取れないのは重大な問題です。
 支援策と引き換えに国家賠償訴訟の終結を迫るのも、理不尽といわざるをえません。政府として当然行なうべき支援策を――遅ればせながらようやく――実施すること、および、これまでの政府の責任を明確にして残留邦人の被害に賠償することは本来、全く別の独立した問題です。原告として闘ってきた残留邦人、とりわけ神戸地裁ですでに政府の法的責任を明確にした兵庫県の原告にとって、今回の支援策を受け入れ、訴訟の終結を決めるのは、まさに苦渋の選択でした。全国の残留邦人の高齢化や困窮した現状をふまえると、もはやこれ以上、当面の差し迫った問題解決を長引かせることはできなかったのです。
 今後、新たな支援策の運用に際して、政府・行政は二度と残留邦人の人権・尊厳を犯すことのないよう十分に配慮すべきです。また新たな支援策が実施されても、残留邦人の日本語が話せない状況や社会からの孤立、2世の就労問題などが直ちに解決するわけではありません。今なお中国から日本に帰国できず、苦しんでいる残留邦人もいます。こうした問題が残り続ける限り、残留邦人とその苦難を生み出した日本政府の責任はこれからも問われ続けるでしょう。