残留孤児関連年表

戦争中、国策として旧満州(中国東北部)に送られ、敗戦後、いろいろな事情で、混乱を極める中国東北部の地に残され、長い間日本に帰ることもできずに、中国で生きてきた「中国残留日本人孤児」と呼ばれる人たち。
日本政府はこれらの人々を手を尽くして探し、保護し、帰国させねばならなかったのに、ずっと彼らを放置してきました。
日中国交正常化後も、様々な制限を設け、孤児たちの帰国と祖国への永住を妨害してきました。
帰国後も政府は自立支援を怠り、孤児の人たちは現在もなお、日本語が十分に話せず働くことさえままならない大変苦しい生活をしています。
中国「残留日本人孤児」関連年表

1931.

9.18.

満州事変(関東軍は柳条湖事件をおこし、15年にわたる戦争の発端となる)。

1932.

3.1.

「満州国」の建国を宣言。

 

5.15.

515事件。

 

10.15

試験移民開始。

1933.

2.24

日本を除くすべての国際連盟加盟国は「満州国」を不承認。

1936.

2.26.

226事件。

 

8.25.

広田弘毅内閣が七大国策を決定。20年間で開拓民100万戸、500万人の送出を計画。

1937.

7.7.

盧溝橋事件。日中戦争開戦。

 

11.30.

第1次近衛内閣「満蒙開拓青少年義勇軍」の送出を閣議決定。

1939.

12.22

満州開拓政策基本要綱決定。移民を重要国策と位置づけ。

1941.

12.8.

太平洋戦争開戦。

 

12.31

第二期五か年計画要綱策定、5年間で開拓民22万戸、110万人の入植を計画。

1945.

4.5.

ソ連は日ソ中立条約の不延長を日本に通告。

 

5.30.

満鮮方面対ソ作戦計画要綱を策定。満州の4分の3に及ぶ地域の防衛と邦人保護を放棄した。

 

7.10.

在満邦人のうち18歳以上45歳以下の男性を一斉召集(根こそぎ動員)。

 

8.9.

ソ連軍満州に侵攻。開拓団民の逃避行始まる。

 

8.14.

日本外務省が「ポツダム宣言受諾に関する在外現地機関に対する訓令」を発する。居留民はできる限り現地に定着させる方針。

 

8.15.

日本無条件降伏。

1946.

5.5

コロ島より満州からの第1次引き揚げ船が出港。488月の中断までに約104万人が引き揚げ。

1949.

10.1.

中華人民共和国成立。日本は承認せず、日中国交断絶。

1951.

9.8.

サンフランシスコ平和条約調印。日米安全保障条約調印。

1952.

12.1

中国が在留邦人の帰国を支援する意思を表明し、民間レベルでの引き揚げが開始された(中国紅十字会と、日本赤十字社、日中友好協会、日本平和連絡会との間で北京協定締結)。

1958.

5.2.

長崎切手展で中国国旗侮辱事件が発生し、民間レベルの引き揚げ中断。

 

12.1

未帰還者の特別一斉調査。中国地域の未帰還者は約22000人。

1959.

3.3.

「未帰還者に関する特別措置法」公布。未帰還者の多くに戦時死亡宣告、戸籍抹消がなされ、調査が打ち切られた。

1966.

 

文化大革命始まる(〜1976年)。

1972.

9.29.

日中共同宣言。日中国交回復。

1973.

 

民間レベルでの肉親探し開始。

1981.

3.2

日本政府による訪日調査開始。

1984.

2.1

中国帰国孤児定着促進センター(埼玉県所沢市、後に中国帰国者定着促進センターに改称)開所。

1994.

4.6

中国残留邦人支援法公布。

2002.

12.20

中国残留孤児が国家賠償を求め、東京地裁に提訴。集団訴訟始まる。

2004.

3.30

兵庫県などに住む中国残留孤児が神戸地裁に提訴(兵庫訴訟)。

2006.

7.14

兵庫訴訟が結審。

 

12.1

兵庫訴訟で、神戸地裁が原告勝訴判決。国に賠償命令、全面解決を迫る。

 

12.11

国が神戸地裁判決を不服として控訴。

2007.

7.8

全国の原告代表が、与党PTが提示した支援策の受け入れを決定。

 

7.29.

参院選で自民党が大敗。9月、安倍首相が辞任。

 

11.28

改正中国残留邦人支援法が成立。

2008.

2.22

兵庫原告団が訴訟を取り下げ。

2008.

4.

新支援策開始。