小麦の日本での事情

日本では古代から現代にいたるまで米が主食の座にありますが、小麦も古くから五穀の一つとして大切に扱われ、 ハレの食材として人々の食生活に彩りを与えてきました。

名前の由来 小麦は大麦に対する"小さい麦"という意味ではありません。 古くからある麦という意味(古麦)という説、粉として使う麦(粉麦)という意味だという説などがありますが、 本当の所はよく分かりません。 古事記(712年に成立)には、「スサノオのミコトがオオゲツヒメノ神を殺した所、 その身体から稲、蚕、小豆、粟、大豆、麦が生えてきた」という話がありますが、これが大麦なのか小麦なのか分かりません。 しかしその直後から大麦と小麦は区別されて記述されるようになります。 この時代(奈良時代)から小麦が粉にして利用されるようになり、粒のまま食べられる大麦との違いが明確になったからでしょう。
江戸時代以降は単に"麦"と言えば大麦を指すようになっています。(麦茶、麦飯など)
ちなみに麦というグルーピングは日本と中国だけで、例えば英語では大麦"barley"、小麦"wheat"、ライ麦"rye"、 燕麦(エンバク)"oats"、のようにそれぞれ全く別の言葉で呼ばれています。
栽培の歴史
  • 小麦は3世紀頃に朝鮮半島から伝えられ、稲を刈り取った後の裏作用に栽培されます。
  • 8世紀(奈良時代)には「夏場に雨が降らないので、蕎麦や大麦・小麦を植えるように」 という詔(みことのり)が下された記録が残っています。 しかし小麦栽培は本格的には広まってはいきませんでした。
  • 奈良時代には大麦よりも小麦の方が圧倒的に多く栽培されていたようですが、その後は長らく大麦の方が多く栽培されます。 その理由は、大麦の方が土地や気候に対する適応性が高く安定した収穫が見込める事。 また製粉技術がなかなか普及しなかったので、粒で利用できる大麦の方が利用価値が高かったからです。
  • 17世紀(江戸時代)になって、やっと稲の裏作としての小麦栽培が全国的に広まっていきます。
製粉の歴史
  • 日本では奈良時代から小麦を粉にして食材にするようになりましたが、 この時代は「石臼に入れた小麦を棒で突いて粉にする」という大変手間のかかる方法がとられました。
  • 平安時代(9世紀)に回転式のひき臼が伝来しますが、これが一般に普及したのは江戸時代になってからです。
  • 江戸時代には小麦栽培も普及し、都市部においては水車による製粉業が成立。農村部にもひき臼が行き渡って、 ようやく小麦粉が食材として手軽に利用できるようになるのです。
ハレの食材 柳田国男の民俗学にあるハレとケ(ハレとはお祭りなどの時に特別な食事をすること。ケとは日常で、質素な食事をする。)の 考え方によれば、小麦はまさにハレの食べ物でした。日々の生活では米が最上の主食の地位にあるのですが、 人々は小麦粉のグルテンの持つ特徴を愛し、ハレの日にはうどんや饅頭を作って食べる風習がありました。 理由は以下の2つです。
  • 製粉技術が未発達だったので、製粉が重労働で小麦粉が貴重品だった事
  • 小麦粉の持つグルテンの性質で、色々な形に加工でき、祭りの食べ物として形で色々な意味を表現できる
ヨーロッパと中国では、小麦は神からの贈り物としてその製粉業も王侯貴族や教会などが管理し利益を得ていました。 しかし日本では権力者は"米"に執着していたので、 「小麦は庶民のもの。粉にするのに大変な手間がかかるが、努力さえすれば庶民でも手に入れられるもの」として、 庶民のハレの食材になったのです。これは世界的に見ても大変めずらしい食材の位置付けです。


小麦のページへもどる

食材事典のホームへもどる



制作日:2003年9月22日
上田 泰久