堀越 庸夫
いろいろ
2018.11.17 【山岳ドライブに行ってきました】

高ボッチ山から諏訪湖越しに富士山を遠望。左は八ヶ岳、右は南アルプス。

御岳ロープウェイから乗鞍岳を遠望。

翌朝は鈴蘭高原から御岳を望む。
標高3000mを超える山が日本には21座あるそうですが、天候に恵まれ15座ほど確認できました。

2018.10.04 地方私鉄 1960年代の回想写真展に行ってきました。

初日の10/3の夕方に行きましたが、会場はたくさんの人で賑わっていました。
改めて感じたのは「写真集」と「写真展」はこれほど違うものなのかということです。
展示は最大が全倍に近いサイズで40枚以上あり、そのうちなんと17枚が写真集に載っていない
作品でとても見応えがありました。
「写真集」では、写真が大きさの違いを含め念入りに考慮されたうえで配列され各私鉄ごとの
まとまりが重視されるので、いくらいい写真でも単発では使いようがありません。それに対し「写真
展」では、私鉄単位にこだわる必要がないので、写真の選択も自由で目を見張るような新鮮さが
ありました。
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2018.09.17
地方私鉄 1960年代の回想写真展が開催されます。
風間さんは、ご自身のブログで「毎日会場に立合います」と書いています。

10/3(水)~10/15(月) 10:30~18:30 ※10/9(火曜)は休館

リコーイメージングスクエア新宿 ギャラリーⅠ


2018.09.15
【本サイト「新シリーズ」へ】
本サイト「蒸気機関車がいた時代」は2011年5月1日に開設され、年間24回更新を繰り返し7年を
越えています。スキャン画像は4500枚ほどありますが、そろそろ初出画像一巡が近くなりました。
そこで、本9/15アップの「中央西線 贄川から鳥居峠へ」から再編集し「新シリーズ」として継続する
ことにしました。
しばらくは「新シリーズ」が混在することになります。今後ともよろしくお願いいたします。

 
2018.08.25
写真集地方私鉄 1960年代の回想は色々なことを感じさせます】
 改めて上下巻を通しで眺めようとするが、途中で何十回も手が止まり先に進まない。
 あの当時のこの国の地方の様子をこれほど見事に活写した写真集はこれまでになかった。

 巻末の座談会で、オリンパスペンの話が出てくる。宮本常一がオリンパスペンで膨大な量の
写真を残していることに触れているが、確かにこのお二人の写真には共通するところがあると
感じる。
 それは、被写体であるその地域の人々、生活、文化などに対する尋常ならざる敬意のこもった
優しさであり、視線の温かさであろう。この写真集を鉄道写真集のくくりに入れてよいのかとさえ
思う。

 そして気になることがある。オリンパスペンで模型の参考になるような車輛写真を撮りながら、
もう1台のフジカ35EEで著者の主題でもある「日本の風情」を撮ることは容易ではないはずだ。
 頭の切り替え、気持ちの切り替えが簡単にできるとは、とても思えない。
それを難なくこなし、名作と言える多くの写真を残している著者のハイブリッド撮影に驚くばかりだ。
 さらに望遠レンズを使わなかったことが、結果的に著者の感性と合い、よい結果につながったの
かもしれない。写真は撮影者が強調したいものを主体に、余計なものはカットしたほうが見栄え
がすると思っていた。望遠レンズを手にすると、視野が狭く背景もボケやすいので画面構成的には
シンプルになり、分かりやすく撮りやすいような気になり濫用につながる危険がある。
 反対に焦点距離45mmはやや広角気味で、街中で撮ればいろいろなものが写りこみ情報満載の
画面になる。それが雑然とした印象につながることもしばしばだが、この写真集の見開きの多くの
名作を見ていると、一歩踏み込んで何が画角に入っているか、完全に把握した上でシャッターを
押しているように感じる。

 平成の終わりも近いこの時代に、これほど充実した半世紀前の時代を表現した写真集が刊行
されるとは本当に驚いた。 当時の著者には、「地方私鉄」の神様がついていたのかもしれない。

2018.08.20
「熊本市交通局」
「雨の熊本」 昭和42年3月4、6日
最初のタテ1枚、アーケード内から「健軍町」電停停車中の電車を見ている。手前には買い物客の
ものと思われる、懐かしいホンダスーパーカブと数台の自転車が停めてある。
そしてダイハツミゼットが走る、思いのほか空いている幹線道路(調べたらこの日は土曜日)、熊本
駅前、ここでも雨で光る路面が効果的だ。
見開きは妙な迫力が感じられる写真だ。画面左側には電車から降りたばかりの5、6人の雨傘を
差した後ろ姿、そして真ん中に向こう側へ進む発車したばかりの電車。画面の右側にはこれから
来る電車を待つ5人ほどの傘を差した客。画面奥は道路に面した大きく古風な「イカリソース」
「ヤマサ醤油」のカンバンを掲げた中山商店。その隣は両側に卯建(うだつ)をあげた見慣れない
造りの「長崎書店」。画面左奥側は大きな商店街のようにもに見える。写っている傘を差した人々は
ほとんどが女性だ。夕方の買い物時間帯なのだろうか。
単純な交差点ではないようなので、ネット地図で調べてみたところ、今でもこの写真と符合する構造
であることが分かった。道路は直角交叉の四叉路だが、この「新町」電停はちょうど90度で交わる
道路の間から、専用軌道から道路に乗り入れるところにある。なるほど、舗装路面なのに画面下に
小砂利が散らばっているように見える理由はこれだった。
なぜ「新町」電停の表示がついている電柱がこれほど傾いているのか、ちょっと気になる。


2018.08.12
「北辺の機関車たち」トークイベントを行います。
8/17~8/19に東京ビッグサイトで開催される「第19回 国際鉄道模型コンベンション」にて、「北辺の
機関車たち」をテーマに、8/19(日)12時からトークイベントを行います。
2018.08.20
250人以上の方に聴いていただきました。ありがとうございました。
またコンベンション全体としては昨年を大きく上回り、2万人以上の入場者数があったようです。

2018.08.10 「井笠鉄道」
「早春の陽光」
笠岡の駅を出て、民家の軒下をかすめるように軽便の列車が進む。1軒の家は線路にあまりにも
近いので、列車との干渉を避けるために屋根の一部を切り欠いている。そして腕木式の場内信号
機の向こうには、「東宝・大映封切館」のカンバンがある映画館。「雁」(出演:若尾文子・山本学)、
「3匹の狸」(出演:伴淳三郎・小沢正一・星由里子)「大魔神 怒る」などのカンバンが見える。
自分がここにいたら画面に入らないようにしたと思われる様々なものが雑然と写っている。
著者の面目躍如といえそうな写真だ。線路沿いの細い道路脇には「ホルモン 中華料理」のカン
バンも見える。ここを抜けると一気に軽便ムード溢れる田園地帯になるが、笠岡駅周辺の写真の
印象が強く残る。

2018.08.07 「西大寺鉄道」
「3フィートゲージの軽便鉄道」 昭和37年7月29日
ここの気動車はバケット付きが多く、自転車を乗せている姿を見るといかにも軽便風で楽しくなる。
財田駅の交換風景。駅員さんが3人写っているが、夏の白い制服で帽子にも夏カバーがかかり、
この鉄道の誇りと矜持が表現されている。この鉄道は本邦唯一の軌間ということもあるのだろうが、
車輛の統一感もあり全体に格調高く、昭和初期の写真といっても通用しそうに見える。
見開きの広谷駅、単行の気動車のバケットにはお約束通り自転車が乗っているのが嬉しい。
線路は雑草に埋もれそうだ。民家のような渋い駅舎とホームの客たち。壊れかけたような小屋は
資材置き場だろうか。周辺は田園地帯で、画面には夏の昼間の強い日が差し、草いきれが匂い
立つようだ。

2018.08.04 「淡路交通」
「島の電車」 昭和40年8月2~3日
著者がタマゴ型と呼ぶ、元南海電鉄の前面曲面5枚窓の古風な木造電車がなんとも好ましい。
見開きは、宇山駅に2輌編成の電車が着いたところ。洲本の島祭りの日で、何組もの家族連れが
電車に乗ろうとしている場面。構内は手入れが追いつかないようで雑草が伸び放題。ホームの塗り
壁はボロボロ剥がれ落ちているが、これから祭りに向かう人々の華やぎと夏の強い日差しが勝り、
オーソドックスな構図ながら印象深い写真となっている。

2018.07.30 「南海和歌山軌道線」
「朝の東和歌山駅前」 昭和39年7月10日
見開きの1枚が際立つ。朝の東和歌山駅前、新和歌浦・紀三井寺・海南方面行きの折り返し電車
乗り場は白い夏姿の男女高校生で溢れ、彼らの元気な話し声がうなる様に聞こえてくる。
古びた鉄道弘済會の建物、ひび割れた舗装路、そしてボンネットバスがよく似合う。
「手荷物預り・御進物用和洋菓子 ○村商店」「旅館 寿楽」「ホテル たちばな」「紀州みかん 俵屋」
「南海電鉄バスツアー 能登半島・志賀高原・伊豆修善寺」「ねずみ退治 デスモア 人畜無害」の
雑然としたカンバン群も、つい一枚一枚読んでしまう。少し引いて眺めると、「和歌山の夏」三部作の
1枚でもあるかのようで、地元新聞社カメラマンの作品のようにも見える写真だ。

2018.07.27 「江若鉄道」
「秋の琵琶湖畔」 昭和44年10月19日
見開きの2枚。朝もやが晴れつつある秋冷の朝、斜光線が琵琶湖畔を行く気動車を際立たせる。
この写真集は晴れの日の写真がかなり少ないが、この見開き2枚は朝もやが残る、運が良くないと
撮れない写真だ。そして「比叡山ケーブル当駅下車」の大きな標識がそそり立つ日吉駅に到着する
2連の気動車、たくさんの行楽客が気持ちのいい秋の日に憩う。そして気になる写真がある。
「三井寺下駅」は名刹三井寺最寄り駅だろうが、とにかく駅前広場に向けてついている駅名板が
どうにも不釣り合いなほど大きい。何か理由がありそうな気がする。これは妄想だが、たとえば以前
はもっと大きな駅舎だったが、何らかの理由で建て替えられ駅舎は小さくなったが看板をそのまま
流用したとか。この写真集は観る人を刺激する写真がとても多い。

2018.07.23 「北陸鉄道加南線」
「加賀温泉郷行き電車」 昭和39年12月29日
ここもまた雨で、ホーム、道路が光っている。川南駅ホームの雨傘を差す乗降客。山中温泉駅前、
山代温泉駅前の建物、看板、車、心惹かれる情景が展開している。そして見開き写真がとてもいい。
田園の中を単行の電車が走っている。晴れか普通の曇天であれば、「のどかな風景の中を行く
電車」でまとまってしまうところだが、これは違う。
冬の北陸地方、鉛色の厚い雲が微妙なグラデーションで垂れ込めている。その向こう、遠くの空
だけが明るく晴れ、霊峰白山の山並みが神々しく輝いている。特別な印象を受ける写真だ。

2018.07.18 「北陸鉄道金石線」
「駅裏から出ていた小私鉄」 昭和39年12月31日
大晦日の北陸だが雪ではなく小雨が降っている。並走する金石(かないわ)街道の舗装路面が
濡れ光っている。まっすぐ伸びるガラガラに空いた街道に並走する線路を1輌の電車が行く。
そしてページをめくった瞬間にギョッとする見開き写真が現れる。街中が近いようで道路、軌道の
両側には建物が続いている。民家の塀越しに雪吊りをしている庭木が見える。1輌の汚れた電車が
こちらに来るが、その電車よりもずっと大きく道路脇、線路に接するように駐車しているクライスラー
ダッジが画面の半分に大きく写っている。
この写真の主役はダッジ車(更に道路側には、絶妙のタイミングで現れた、ダッジ車をよける様に
歩いている傘を差した下駄履き着物姿のおばさんの後ろ姿が写っている。そういえば花巻電鉄の
タテ写真でも、先を急ぐ勤め人が偶然画面左に飛び込んできたように見える写真がある。著者は
運をも味方にする能力があるのかも)だが、著者はどういう気持ちでこの構図で撮ったのだろうか。
このダッジ車は、今見ればクラシックカーで古びた電車に似合うが、当時はそうではない。わざわざ
ダッジ車をこれほど大きく配置したわけを聞いてみたい。著者の考える一般的な「日本の風情」とは
異なると思われるが、このインパクトがある写真があることによって、この写真集に「立体感」が出た
ような気がする。

2018.07.12 「北陸鉄道能登線」
「夏の能登海岸」 昭和37年8月2日
国鉄七尾線から接続する羽咋駅。立派な跨線橋があるが、能登線の駅員が国鉄からの荷物を
線路を渡り、能登線のホームに運んでいる。
ホーム屋根の上には、国鉄ホーム側に向けてカンバンが上がっている。「一の宮 柴垣 高浜 
三明 富来 門前 行のりば」とある。屋根の下には、「柴垣海水浴場 キャンプ村」と読めるカン
バンがある。ホームには発車を待つ1輌の気動車、ベンチには、ハンカチで汗を拭くおばさんが
座っている。
見開きは、よく晴れた夏の日、松林からバケットがついた古風な気動車が顔を出す。画面奥には
広く美しい砂浜と海、そして集落があるが、人影が全くなく画面からはかすかな波音とエンジン音
だけが聞こえてくる。

2018.07.08 「頚城鉄道」
「くびき野に消えた軽便」
「ホジに揺られて」の車内風景に驚いた。単行運転だが、なんと男性の車掌さんが乗っている。
さらに車室に大きく出っ張ったエンジン室のカバーが大きな箱状になっており、そこにおばあさんが
慣れた様子で座っている。そして見開きは印象的なカットだ。草むした土のホームで赤子を背負った
近所のおばさんが筵の上に豆のようなものを干している。小さな子供が2人、お手伝いをしている。
カーブの先には今発車したばかりのホジが森の中に消えていく。秋の日の午後、穏やかな時間が
流れている。この1枚が「くびき野に消えた軽便」を代表する印象的な写真になっているが、著者は
この列車に乗ってきたのか、それともこの駅で到着を待っていたのかが気になる。待っていたとした
ら、この写真の前のカットも是非観てみたい。

2018.07.04 「新潟交通」
「昭和の街並みと電車」 昭和43年8月17~18日
「地方私鉄」を特に感じさせる写真がある。一つは田畑の中の専用軌道をステップの低い路面
電車が走る姿、もう一つは反対に腰高の普通の電車が舗装した併用軌道を脇に車を従えて走る
姿。この新潟交通は後者の方だ。立派な建物の県庁に電車が横付けされ、その脇を懐かしい
スバル360、410ブルーバードなど時代を感じさせる車が走る。
そして、見開きは歩道橋から併用軌道を見下ろしたと思われる写真。この写真は雨上がりのようで
傘を差している人といない人が見える。アスファルト路面が光り画面を引き立ててとてもいい感じに
なっている。道路中央に単線の軌道線、その両側の道路車線はどちらもバスが1台でギリギリの
幅だ。くすんだ羽目板の民家が両側に続く。 この位置から見下ろすと普通の民家のように見える
が、カンバンがたくさん見える。「焼鳥・餃子 とん」「丸末時計店」「マルマンライター」「北村商店」、
「○○印章店」「ゼネラルカラーテレビ」「ブラザーミシン」「ドライクリーニング」「資生堂化粧品」「北越
銀行」。新潟県庁から停留所一つ離れていない地点のようだが、まだまだ懐かしい地方の景観が
残されている。

 2018.06.27 「遠州鉄道奥山線」
「消えた里山と軽便」
見開きの写真が素晴らしい。車輛はいないが、丸いバスの後ろ姿が強い印象を残す。
「となりのトトロ」のネコバスがうずくまっているような気がする何とも不思議な写真だ。このカットの
前後の写真も是非観たい。列車はどちらからきてどちらに去ったのか。そもそも著者はその列車に
乗ってきたのか、それともこの砂利道の踏切で待っていたのか。降車したように見える4人連れは
線路を向こうに歩いていくのか。ネコバスはこの停留所と呼ぶのがふさわしいような小さな駅で、
列車との接続のために待っていたのか。キャプションからは廃線後に備えて並走するこの街道を
バスすでに走り始めていたという記述があるが、様々なことが気になる。

2018.06.22 「静岡鉄道駿遠線」
「駿河と遠州を結んだ巨大軽便」
東海道本線に接続し、これほどの長さの軽便鉄道が1970年まであったことに今更ながら驚く。
最初のタテ写真、合造車のロングシートに正座で座るおばさん、その向こうに今日の売り上げの
束ねたお札を数えているおばさん。この場面に遭遇してもアマチュアにはとても撮れそうもない
瞬間だ。二人とももんぺ姿で、大きな風呂敷で包んだ荷物をシートに乗せている。岡崎の町に
朝早くの列車で地元産品を売りに行き、帰りは地元へ別の商品を持って戻るようだ。
広大な河川敷を持つ大井川を渡る橋は、細い木材を組み合わせた造りのようで頼りなく見える。
その木橋を、下校する高校生をたくさん乗せた個性的な形の3輌のボギー車がゆっくりと渡る。

2018.06.17 「松本電鉄浅間線」
「浅間温泉行き電車」 昭和38年7月20日
北杜夫の「ドクトルマンボウ青春記」で初めてその名前を知った浅間温泉。本の中に学友と電車に
乗って浅間温泉に行く話があったが、実際にどんな電車が走っていたのかは全く知らなかった。
最初のタテ写真。夏空の下、松本駅前通りを行くビューゲルの古色蒼然たる木造路面電車とその
後ろに続くボンネットバス、この写真で一気に惹きこまれる。「学校前の急カーブ」を曲がる電車
からはギシギシと音を聞こえるようだ。街中の「電車通り」と呼ばれていたらしい結構な幅の併用
軌道の道路が未舗装なのが時代を感じさせる。専用線に入り、車庫のある横田駅での上下交換
風景。浅間温泉近くの広々とした田んぼと後ろの山並み、そこを走るビューゲルの路面電車との
取り合わせが印象に残る。特に見開きの写真がシブく秀逸だ。森の中のように見える中浅間駅に
夏の朝の斜光線が差し込んでいる。ホームもある専用線に路面電車が到着し、10人ほどの乗降客
がシルエットで浮かぶ。近くにトトロの森がありそうな気がしてくる。
 ちなみに、「学校前」停留所の「学校」とは北杜夫が通っていた旧制松本高校(現信州大学)の
ようだ。

2018.06.10 「上田丸子電鉄」
「信州上田 夏の日の思い出」 昭和45年8月15~17日
この路線は私も撮ったことがあるが、スキャン画像を見ると出来具合には大きな差がある。
著者とは異なりなるべく人が画面に入らないように撮っているようで、生活感がない写真ばかりに
なってしまった
真田傍陽線、別所線、どちらの沿線も山村風景が展開し、単行の電車がよく似合う。
まず最初の、信越本線のホームから見た別所温泉行きホームの賑やかな様子、そして乗換案内と
履物屋さんの大きな宣伝看板が当時の雰囲気を伝えてくれる。そして木造の「電車のりば」と書か
れた大きな屋根を乗せた電鉄上田駅の姿。さらに見開きが強い印象を残す。夏の電鉄上田駅、
お盆の帰省だろうか古風な駅建屋内の家族連れのシルエット写真が素晴らしい。家族の弾んだ
話し声が聞こえてくるようだ。

2018.06.05 「日本硫黄沼尻鉄道」
「正月の沼尻」 昭和39年1月2,3日
著者が「ドロ軌道」と呼ぶ泥道と軌道線が一緒に走る情景が次々に展開する。
もとは終点沼尻鉱山の硫黄を積み出すためにできた鉄道だが、終点にはスキー場もあり沿線には
いくつもの集落があったので、客車やガソリンカーなどもあり典型的な軽便鉄道といえそうだ。
「正月の賑わい」のページ。オープンデッキに鈴なりの客を乗せた列車。寒いはずだが明るく弾んだ
話し声が聞こえてくるようだ。会津樋ノ口で途中増結の古典客車を押す駅員と子供たち。ホームの
ない途中駅でいきなり道路に降りる何人もの客。客車内の火鉢。
ここには、まさに軽便鉄道のエキスが詰まっている。
写真のほとんどは雪が融けて泥だらけの印象がある。「泥んこの川桁」というページがあるほどで、
その景観がまた懐かしさを呼び起こす。昔は国鉄の駅前でさえ未舗装があたりまえだった。
そういえば、この写真集を観ていると路面が泥だらけで水たまりがあちらこちらにある、泥はなくても
路面・軌道が濡れているという写真がかなり多いことに気がついた。下巻までをざっと見ると、半分
近くの鉄道でそのような写真がある。だが晴れてほこりだらけよりもよさそうだ。雨に濡れると普段
はくすんでいる枕木、道床の砂利までが光を帯び輝き始め、独特の雰囲気が醸しだされる。水たま
りがあればさらにいい。著者は雨男なのだろうか、ちょっと気になる。

2018.05.26 「福島交通軌道線」
「大晦日の賑わい」 昭和41年12月31日
大晦日という特別な日ではあるが、これほど密度の高い写真群がたったの一日で撮られたもの
とは信じがたいほどだ。
いきなりの見開きのインパクトは強烈だ。まるで社会派カメラマンの作品のように力強い。
画面中央にはかなり汚れた2輌編成の軌道線電車がいる。そして狭い交差点を急カーブで曲がる
軌道があり、その手前に道路を渡る笑顔を浮かべた白杖の紳士がまず目に飛び込んでくる。
後ろには子供を交えた買い物客が何人もいる。泥だらけで舗装か未舗装かも判然としない道路と
軌道。電車の向こうには懐かしいオート三輪車が電車をよけるようにハンドルを切っている。その
手前には小さな男の子が若い父親に手を引かれ楽しそうに歩いている後ろ姿。大晦日の賑わい、
新年を迎えようとする華やぎが画面から溢れんばかりに感じられ、上巻の中でも屈指の写真かも
しれない。
さらに人と車と電車が交錯する長岡分岐点。荷物満載の大八車、ぬかるんだ路面と電車が写る
保原。さらに、木造のさいわい橋を渡る見開き写真も素晴らしいが、これは表紙・裏表紙の折り返し
カバーに使われている同じさいわい橋の写真がさらに上回るようだ。

2018.05.19 「羽後交通雄勝線」
「西馬音内のポール電車」 昭和39年8月5、6日
西馬音内(にしもない)から「西」を取った馬音内(もない)という地名がないようなので、「にしもない」その
ものがアイヌ語由来かもしれない。旧盆の時期に行われる「西馬音内の盆踊り」をかなり昔にテレビ
で見たことがある。全国放送されるということは永い伝統に支えられた盆踊りのはずで、湯沢から
鉄道が敷かれるだけのわけが西馬音内という土地にあったのだろう。
ポール電車、ダブルルーフの木造客車、オープンデッキ・・・、ここは特に車輛がいい。
羽後三輪駅の、夏の強い西日を浴びた交換風景。画面からさざめく乗降客の声が聞こえてくるよう
で、旧盆の祭りの季節の華やぎが感じられる。
タテ1枚の湯沢駅前通りの七夕祭りの街の賑わい、大きな笹そのままの素朴な飾りつけ、菅笠を
被った行商のおばさんたち、自転車の人々、たくさんの看板。「パン・洋菓子」、「お食事・喫茶の
甘から屋」、「氷」の旗、「千葉はきもの店」、祭りを前に、街中の浮き立つような活気が見事に写し
出されている。電車も線路も写っていないが、この写真があることでこの章がさらに引き締まって
いるようだ。
最後の見開き。手前に田んぼ、遠くの山は靄っている。画面から夏の朝の空気の重さが感じられる。
そこをポール電車とデッキまで開け放ったダブルルーフの客車の2輌が、たくさんの客を乗せ湯沢へ
向かってのんびりと走っている。画面の右にはアカマツだろうか、形のよい大きな木が画面を引き
締めており、じっと見入ってしまう写真だ。

2018.05.10 「仙北鉄道」
「穀倉地帯を行く軽便の活気」
駅構内も大きく、列車の編成も長く乗客も貨物も多い。全体に軽便のイメージとは異なる活気が
ある。夏休みのせいか子供たちも多く、たくさんの客が小さな車輛を乗り降りし、にぎやかな声が
聞こえてくる。
瀬峰駅の軽便ホームでは、レールを跨いで発車を待つ代行?バスが不思議な光景。築館につな
がる路線が廃止となって廃線跡に砂利土を敷き、バスが走っている。
夏の白く乾いた砂利道。おばあさんが、雨よけなのかトタン板で荷を覆ったリアカーを引き、それを
二人の男子中学生が押している。昔見たような既視感がある。
もっと大きい画面で見たかったのは米谷駅舎全景。キャプションによれば「駅入口の郵便ポスト、
夏休みの女の子、ベンチに休む客、たばこの看板、アイスクリームのボックス、小さな売店。
ジオラマの小道具のようだ。」とある。軽便鉄道は駅舎、周辺も小ぶりなものが多いが、この駅は
広い未舗装の駅前広場に接続のバスがのんびりと待っており、懐かしい様々な情景が散りばめ
られている。

2018.05.05 「山形交通 高畠線」
「七ヶ宿街道 二井宿まで走っていた頃」 昭和41年3月6日
糠の目駅で国鉄の列車を待つ1輌の電車。ホームを歩いているのはモミの木のようなきれいな
シルエットの防寒マントの客。宮沢賢治の世界が頭に浮かぶようだ。
さらにぬかるんだでこぼこの街道と煙り出しのついた大きな茅葺きの民家、そして終点二井宿駅
のひっそりとした雰囲気もとてもいい。
そして見開きは、右ページを今にも雪が舞ってきそうな曇天の山が迫るところを、1輌の電車が
やってくる。左ページやや離れた民家には乾きそうもない洗濯物が干してある。その真ん中に
「山形縣指定 清水前古墳」の塗料が剥げかけた細い標柱が立っているという不思議な写真だ。
標柱は綴じ部に近いところなので本の背の部分を押えると標柱が消える。それでも山里のひな
びた景観を行く美しい写真だが、綴じ部を開くと標柱が出てくる。印象がまるで違う。
古墳があるということは、太古から人間が生活していたということ。人が踏み分けた道ができ、
それが長い時間をかけ街道と呼ばれるまでになり、さらに発展して大正期に街道に沿って鉄道が
敷かれたが、水害もあり50年も経たずこの区間は廃止となってしまった。縄文時代の東北地方は
気温が高く、またほとんどすべてが広葉樹の原生林だったと聞いたことがある。周辺の山々の
豊かな森では落葉が土に還りそれが数千年繰り返されてきた。
ここには長い長い時間が降り積もっている。塗料が剥げかけた1本の細い標柱が色々なことを
考えさせてくれる。

2018.04.29 「庄内交通湯野浜線」
「庄内砂丘を抜け日本海へ」 昭和41年2月28日
砂丘の中の七窪駅構内の佇まいもいいが、線路さえ写っていないが目を惹かれた写真がある。
昔でいえば「新日本紀行」、その後も何回もテレビで見た記憶のある、風除けの竹で作った垣根が
善宝寺街道沿いの泥道脇の民家にある。
調べたところ、有名なものは能登半島輪島近くの大沢町に今でもあるようで「間垣(まがき)」と
いうらしい。ただし、能登の間垣は竹をそのまま立てているようだが、ここの間垣は竹を上下逆に
立てている。上側が切り揃えた線になるので微妙な美意識のちがいによるものか。冬の季節風は
同じように吹くのでどちらの地区も古くから使われていたのだろう。
そして見開き写真がいい。湯野浜の街はずれ、背景は茫洋たる日本海。そこを1輌の貨車を従えた
電車が上ってくる。民家などもたくさんあるが画面からは不思議な静けさが感じられ、モータのうなり
音だけが聞こえてくるようだ。

2018.04.24 「花巻電鉄軌道線」
「花巻温泉郷行き電車」 昭和39年8月2日・昭和41年3月4日
最初の見開き。改札口からホームへと多くの人で活気ある電鉄花巻駅の写真を眺めていると
なんだか嬉しくなってしまう。すぐに車輌に駆け寄りたいところだが、著者は落ち着き払って情景
そのものにカメラを向けているようfだ。半歩引いた感じの45㎜レンズの特徴が発揮されたという
ことかもしれない。
さらに、両側に住宅もある狭い泥んこの併用軌道のタテ写真。道路端の軌道を幅の狭い電車が
行く。オートバイもスリップしないよう慎重に走っている。そして滑らないように足元を見ながら
道を急ぐ勤め人、反逆光の朝の泥んこ道が新しい一日を迎える一瞬が見事だ。
著者は電車とオートバイ、手前の濡れて光る路面の位置関係をタテに構えたカメラのファインダー
を通してタイミングを計っていたと思う。そして、ここだとシャッターを押した瞬間に画面の左に先を
急ぐ勤め人が偶然飛び込んできたように見える。この勤め人がいることによって、画面がさらに
引き締まり、誰も真似ができないレベルの写真になっている。
そして最後のページのタテ写真。砂利道が画面左上から手前右下に伸びている。道の向こう端
にはうっかりすると見逃がしそうな、か細い軌道線の線路がある。
そこを手ぬぐいを頭に被り地下足袋を履き荷物を背負ったおばあさんが杖を突きながらもしっかり
した足どりでこちらに歩いてくる。
このおばあさんの位置がすごい。自分がここにいたら道路の真ん中に立ち、横位置で右に線路、
左におばあさんを入れて撮り、半端な結果になったと思う。
著者は路肩のやや高い位置から、縦位置でおばあさんを思い切り引きつけ画面右下に配置した。
これが45㎜レンズを完璧に使いこなした技なのか。
この写真をこの大きさでレイアウトしたセンスにも脱帽!

2018.04.20 写真集「地方私鉄 1960年代の回想」は色々なことを感じさせます】

「秋田中央交通軌道線」

「八郎潟の寒風を受けて」 昭和41年3月5日
まず、パンプレットにも使われている見開き写真の印象が強烈だ。
この当時の365日、どの時間帯、どの天候で撮ったとしてもこれを上回る写真は撮れないだろう。
どんよりした空の下、電動貨車が客車を牽く列車がそろそろとやって来る。雪が融けて水たまり
だらけのでこぼこ泥道が手前にあり、そこを荷物を高々と積み上げたトラックを先頭に数台の車が
やってくる。
著者は、このでこぼこ泥道と列車の組み合わせで撮るつもりだったところに、たまたまこのトラックを
先頭にした車列がやってきて、結果的にこの絵柄になったのだろうか。
もし自分がこの場所にいたら、車が来ても列車にかぶらないように恐らく右側の田んぼの、線路
から50~100m程離れたとこらから撮ったと思う。そして車が列車にかぶらなくて正解だったと満足
しただろう。ところが結果が大違いなのかは明らか。
著者がなぜこのアングルで撮ろうとしたのか、この時の心の動きを聞いてみたい。

2018.04.15 写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下】のパンフレット(表裏)です。
(2)  

2018.04.15 写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下巻 を観ました】
著者:風間克美氏

予想を大きく上回る素晴らしい写真集で、感銘を受けました。
もちろん列車、車両が写っていますが、ページをめくるたびに著者の優しい眼差し、細やかな
感性が見事に表現された、「鉄道写真」の一言ではくくれないあの時代を鮮やかに切り取った
世界が北から南へと次々に展開します。(なんとよく観たら車両が全く写っていない、それでいて
なんとも味わい深い写真が何枚もありました。驚きました、大胆な構成です。)
著者のブログは観ていましたが、見開きは殆んどが初めての写真で新鮮な驚きの連続でした。
上下巻を繰り返し3回続けて観て、心地よい疲れを感じました。
あまたある鉄道写真集の中でも、明らかにベスト5に入る内容と思います。
平成の終わりも近いこの時代に、これ程充実した半世紀前の時代を表現した写真集が刊行
されるとは本当に驚きました。

   

2018.04.04 【写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下巻 のこと】 4/20発売
発行:OFFICE NATORI 
発売:株式会社 電気車研究会 鉄道図書刊行会

必見の写真集が刊行されます。
本「蒸気機関車がいた時代」のサイトをどのようにつくるかを色々考えていた頃、ネット上で
参考になりそうなサイトをかなり調べました。その結果、意外なことに最も波長が合ったサイトが
国鉄の写真は殆んど出てこない地方私鉄 1960年代の回想だったのです。
その際にメールでやりとりし、家が近かったこともあり以後定期的に地元でお会いしています。
私は軽便鉄道、ローカル私鉄、それを取り巻く情景も大好きで趣味誌などではよく見ていましたが
すぐそばに国鉄の蒸気機関車が走っていた状況では、いざ撮影になると国鉄蒸機ばかりを撮る
結果になってしまいました。

このたび4/20に同タイトルで写真集が刊行されることが決まったそうです。
著者の風間克美さんは、知る人ぞ知るこの道では著名な方ですが、車両優先ではなく、懐かしい
あの頃、あの時代の空気感を見事に写しとった写真集となるはずで、今から大いに楽しみにして
います。

2018.03.21 【季刊誌「国鉄時代」に10ページ掲載されました】
3/20発売の季刊誌「国鉄時代」53号に「筑豊線 原田から冷水峠へ」(10ページ)が
掲載されました。
是非ご覧ください。

2018.02.07 【 「筑豊」のこと 】
昭和47年秋頃まで10年ほど蒸気機関車を撮るために日本中を旅していました。できうれば
風景の美しいところで撮りたいので、次第に各地の景色には詳しくなりました。景勝地ではなく
ても、美しい山々、季節の表情豊かな田畑、里山、渓谷、そして峠があり、さらに白砂青松の
海岸線、輝く雪景色…、季節ごと、蒸機を引き立ててくれる風景には事欠きません。心に染み
入るような日本の風景が、旅するごとに好きになっていきました。

しかし、筑豊はどこの風景とも異なっていました。最初に足を踏み入れた時はまだ石炭列車が
たくさん走っており大きな空の下をD50D6096008620C55が右から左から次々にやって
きます。
美しいと言えるような景色はなくても、「鉄道」の存在が圧倒的でした。
ボタ山を背景にした駅、線路の印象は特別深く脳裏に刻み込まれました。当時は既に閉山が
進み、石炭から石油へとエネルギー資源が置き換わり高度成長が大きく進み、筑豊にとっても
大転換の時代でした。この筑豊でいつものような撮り方をしても筑豊らしさは出せないと思い、
いろいろ悩んだことが思い出されます。そして最後の訪問の昭和46年11月の際は、駅、ホームで
できるだけ乗降客を画面に入れるようにして撮ったのですが、今から考えれば駅前広場、駅舎、
なども撮っておくべきだったと後悔しています。


2017.11.18 【写真展開催のお知らせです】
写真展【「鉄路」へのときめき】が12月に我孫子で開催されます。(12/15~12/20)

※2017.12.21
家族連れも含め670名ほどの方々にご来場いただきました。御礼申し上げます。

2017.10..16 【写真展のご案内】
豪華メンバーです。 是非ご来場ください。
私も1枚出展しています。

※2017.10..22
開催7日間のうち6日は雨という、この時期にしては不安定な天候の中を500名近い方にご来場
いただきました。厚く御礼申し上げます。
ほぼ同じ内容で12/15~12/20に我孫子市民プラザギャラリーでも写真展を開催いたします。
もう少し近づいたところで改めてご案内いたします。

2017.08.21 【JAM(国際鉄道模型)コンベンション】
最終日のステージイベント「シリーズ 乗務員が語る蒸機時代 3」
国鉄OBの御三方(川端新二氏・宇田賢吉氏・大山正氏)のお話を聞いてきました。
川端氏の、昭和20年6月20日豊橋大空襲の際の危機一髪で難を逃れたお話は特に印象に残り
ました。
C59で東京行きの旅客列車を牽き豊橋に6/19の23:59着、定刻で0:02発のところ助役から「空襲
警報が出ているのですぐに出発してください」と言われ1分ほどの停車で発車。数分後にB29の
大編隊が襲来し、この旅客列車を豊橋駅で待避していた上り貨物列車の乗務員ほか殉職者が
何人も出て、自分たちは間一髪助かったがなんともやるせない気持ちになったことを話されて
いました。
また宇田氏は、勾配途中でやむをえず停車した際の「圧縮牽き出し」のやり方を図を使いアカデ
ミックでありながら分かりやすくお話しされました。

イベントそのものも盛りだくさんの趣向で楽しめますが、御三方のお話はまさに一聴の価値が
あります。
来年も楽しみにしています。


2017.08.03 【JAM(国際鉄道模型)コンベンション】
今年もお盆明けの週末(8/18~20)に有明のビッグサイトで開催されます。
http://kokusaitetsudoumokei-convention.jp/stage_2017/
昨年の最終日のステージイベントで、蒸気機関車の機関士、機関助士として活躍され趣味誌
でも数々の発表をなさっている国鉄OBの御三方(川端新二氏・宇田賢吉氏・大山正氏))の
現役当時の貴重なお話を聞くことができ感銘を受けました。
イベントそのものも盛りだくさんの趣向で楽しめますが、御三方のお話はまさに一聴の価値が
あります。今年も楽しみにしています。
※8/20(日)15:30~16:30


2017.07.27 【昔の時刻表-その3】 (1957年[昭和32年]8月号時刻表を見ながら)
この時刻表にはなんと関門連絡船
Wikiの時刻も載っています。
下りの便は一番が6:18発、最終が22:40(所要20分)で、ほぼ30分おきに28往復が運航され
ています。
関門トンネルは戦時中に開通していましたが、トンネルが通らない門司港と下関の間の旅客
輸送の需要があったようで1964年[昭和39年]10月31日まで運航されました。


2017.07.17 【昔の時刻表-その2】 (1957年[昭和32年]8月号時刻表を見ながら)
北海道の路線を見ていたら、旭川-網走間が「石北線・網走本線」、そして池田-北見間の
池北線が「網走本線」と表示されているのを見つけとても驚きました。
直通列車の運行は当然のことながら旭川-網走ルート(1932年[昭和7年]4月開通)のみで
池北線は池田-北見間のみ運行のローカル線になっています。
(旭川-網走間を石北本線、池田-北見間が池北線と改称したのは、だいぶ遅く1961年
[昭和36年]4月のことだそうです)
池田から北見、網走とつながる網走本線の方が石北線ルートより数十年も開通が早かった
(野付牛[現北見]で30年、網走では20年)歴史を、戦争を挟んで30年近く残していたという
ことと思います。


2017.07.08 【昔の時刻表-その1】
実家の納戸から1957年(昭和32年)8月号時刻表が出てきました。
見始めると、後年何回も行った場所の当時の様子が目に浮かび飽きることがありません。

例えば東京駅発の東海道本線下り長距離優等列車は以下のようです。
(昭和31年11月東海道本線全線電化完成の後で昭和33年4月姫路電化完成の前)
08:50発臨時特急「さくら」3001ㇾ大阪行き
 (終着16:20:所要7時間30分)
09:00発特急「つばめ」1ㇾ大阪行き
 (終着16:30)(「はと」とともに俗に言う「青大将」)
10:00発急行「阿蘇」31ㇾ熊本行き
 (終着10:35)
10:30発急行「西海」33ㇾ佐世保行き
 (終着11:06:所要24時間以上)
11:00発急行「高千穂」35ㇾ西鹿児島行き
 (終着18:28)(日豊本線経由:所要31時間28分)
12:30発特急「はと」3ㇾ大阪行き
 (終着20:00)
13:00発急行「霧島」37ㇾ西鹿児島行き
 (終着16:20:所要27時間20分)
13:30発急行「雲仙」39ㇾ長崎行き
 (終着14:38:所要24時間以上)
18:30発特急「あさかぜ」7ㇾ博多行き
 (終着11:55)
20:00発急行「明星」13ㇾ大阪行き
 (終着6:30)
20:15発不定期急行「彗星」1015ㇾ大阪行き
 (終着06:41)
20:30発急行「筑紫」41ㇾ博多行き
 (終着19:45)
20:45発急行「安芸」21ㇾ広島行き
 (終着14:40)
21:00発急行「銀河」15ㇾ神戸行き
 (終着08:20)
21:15発急行「瀬戸」23ㇾ宇野行き
 (終着12:03)
21:30発急行「月光」17ㇾ大阪行き
 (終着08:10)
21:45発急行「さつま」43ㇾ鹿児島行き
 (終着05:46:所要32時間01分で車中2泊の旅!)
22:15発急行「出雲」25ㇾ大社行き
 (終着18:30)
22:30発急行「大和」201ㇾ湊町行き
 (終着09:06)
23:00発急行「伊勢」203ㇾ鳥羽行き
 (終着08:29)

※夜行の特急が「あさかぜ」1本しかない時代でした。

※さらに普通夜行列車として以下の3本があります。
21:50発129ㇾ大阪行き
 (終着10:27)
23:35発131ㇾ大阪行き
 (終着12:29)
23:40発421ㇾ大阪行き
 (終着14:50)

書いているだけでワクワクしてきます。
あまりに面白いので、その2に続けることにします


2017.06.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「国鉄時代」50号に「“北辺の機関車たち”復刊記念誌上写真展」(16ページ)が
掲載されました。
“北辺の機関車たち”本編には掲載されなかった写真のみで構成しました。

【季刊誌「蒸気機関車EX」に8ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「蒸気機関車EX」29号に“北辺の機関車たち”から抜粋して8ページが掲載され
ました。



2017.03.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
3/21発売の季刊誌「国鉄時代」49号に「道北の96たち」(16ページ)が掲載されました。

あの当時の「道北」の鉄路の主役だった9600が、厳冬の天北線、羽幌線、深名線、名寄線、宗谷
本線音威子府以北を舞台に
活躍する雄姿を是非ご覧ください。



2017.02.25 【「北辺の機関車たち」の復刊が決まりました】
昭和46年(1971)8月に初版が刊行されました写真集「北辺の機関車たち」が、復刊ドットコム社
から復刊されることになりました。
昨年、同社から「鉄道讃歌」が復刊されたことは知っていましたが、「北辺・・・」の復刊のお話を
最初に聞いた時は驚きました。

当時の版はもちろんないので、ネガを引っ張り出し、プロ写真家の大木茂氏が独自のデジタル
技術で複写しました。
復刊なので再現をするわけですが、当時のグラビア印刷とは異なったイメージの美しい印刷に
なりそうです。
5月下旬には刊行されるようです。ご期待ください。


2016.12.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
12/21発売の季刊誌「国鉄時代」48号に「加太越えの印象」(16ページ)が掲載されました。

かつてはC51も峠を越えた、関西本線の加太-柘植間の通称加太越えを走る重装備D51たち。
沿線は旧大和街道に沿い、駅施設、隧道ポータルなどの鉄道関連を含み見事な景観が続き、
歴史の深さを感じさせます。



2016.11.07 【赤沢自然休養林】 
10月の下旬に岐阜方面で開催されたOB会に車で行き、帰りに赤沢自然休養林に寄りました。
ご存知の方が多いと思いますが、ここはかつての木曽森林鉄道(Wiki)の名残として観光用に
復活された「赤沢森林鉄道」が走っているところです。周辺の紅葉もちょうどよく、片道1.1kmの
線路の往復を昔のことを思い出しながら楽しみました。


2016.09.21 【季刊誌「国鉄時代」に9ページ掲載されました】
9/21発売の季刊誌「国鉄時代」47号に「南国のC55」(9ページ)が掲載されました。

南九州の吉都線(谷頭、京町)、日豊本線(宮崎機関区、田野、帖佐)、肥薩線(吉松、栗野)あたりを
ゆったりと走るC55を是非ご覧ください。


2016.08.15

【厳冬の小海線】
8/15アップの「小海線 その5」でいよいよ冬季の撮影となります。この季節は野菜運搬の
臨時列車もなく、ハイカーのための「八ヶ岳高原号」もなく、蒸機牽引の列車は1往復の貨物
列車のみとなります。3000m級の高峰が取り巻くこの地区からの景観は冬季が最高とな

ますが、3回行った冬季の運転には毎回苦労しました。快晴の日を選んでいくので、未明の
特に冷え込んだ時間帯にノーマルタイヤに鎖の鉄製チェーンを巻かなければなりませんでした。
車はダイハツ「ベルリーナ」という800ccのもので、R20の国界まではなんとかチェーンなしで
行けたように記憶しています。本格的な寒波が来た後などは避け、快晴が約束されている時を
狙って行くようにしていました。鎖のチェーンでは10cm以上の積雪があればよいのですが、
少ない降雪、凍結のみというような路面状態のときには誠にひどい乗り心地になり、最悪で
はチェーンが切れてしまうこともありました。とにかく1本の貨物列車を追いかけながら撮るの
ですが、小淵沢大カーブから甲斐大泉までは農道に近いようなガタガタ道を走ります。特に
小泉と大泉の間は線路に沿って道があり、ここまでで3カットは撮れました。大泉を出ると線路は
川俣川を渡るためにΩ形に曲がり、線路を望める道路が全くなくなるので清里駅へ向かい
ます。清里駅で30分ほど停車するので、その間に駅で撮り先回りして最高地点前の有名な
撮影ポイントに行きます。
特に2月に行った時には清里駅前などもガチガチに凍りついており、厳冬期の北海道にも
負けないくらいの「油氷」でした。この車はオーバーヒートとは逆のオーバークールがひどく、
冬場に寒冷地に行くと暖房が全く効かなくなり寒くてとても走っていられなくなります。
対策としては風が直接ラジエターに当たる面積を減らすためにラジエターグリルにガムテープを
貼るしかありませんでした。ところが深夜のR20を走るうちに外気温がどんどん下がるので、
逐次ガムテープを貼り足しながら走ることになり早朝に小淵沢に着く頃にはグリルの90%ほど
の面積は塞がれているという有様でした。



2016.07.07 【新日本紀行】
今年の5月に「新日本紀行」テーマ曲を作曲した冨田勲さんが亡くなりました。
「新日本紀行」は、1963年秋から放送されていたテレビ番組ですが、始まったのが14歳の時、
最初から毎週必ず食い入るように視ていました。知らない土地に行ってみたくて仕方がない
年頃でしたが、画面には鉄道、特に蒸気機関車がよく出ていたこともあり、いつか行けるかも
しれないと思いながら夢中になって視ていました。
ほぼ10年間、蒸気機関車の撮影と同時進行的に視聴していましたが、半世紀経った今でも
このテーマ曲を聴くと条件反射のようにあの頃、あの時代へと一気に引き戻されます。
この国が活気に満ち大きく成長しながらも、まだ古き良き日本を十分に残していたあの時代
を彷彿とさせる名曲と思います。

クリックするとテーマ曲が流れます!
https://www.youtube.com/watch?v=k__WJ16qwWI
https://www.youtube.com/watch?v=YoMRp3P8d_g

上段:旧 下段:新
(いずれも作曲冨田勲氏)


2016.06.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「国鉄時代」46号に「豊の国紀行 久大本線の山里を歩く」(16ページ)
が掲載されました。

玖珠川沿いの渓谷、豊後森から豊後中村へ続く美しい山村、由布岳が見下ろす穏やかな
由布院盆地、大分川の河岸段丘沿いの道など変化に富んだ美しい沿線風景が旅人を楽し
ませてくれました。
是非ご覧ください。


2016.06.06 【留辺蘂のこと】
次回6/15に「石北本線 留辺蘂
(るべしべ)」をアップします。
冬の北海道には昭和41年3月から毎年2、3月に7年続けて行っていましたが、この間で
最も低い気温を経験したのがここ留辺蘂だったので今でも特別な印象が残っています。

この地区で初めて泊ったのは昭和44年2月18日のことでした。

例年通り急行「石北」で生田原下車、6:27発の523列車で常紋へ行き、夕方まで撮影。
何日も夜行が続いていたので、とにかく風呂に入りたかった。留辺蘂にもYHはあったが、
いつものように突然の電話連絡で泊るとまず風呂はなかった。温根湯なら共同浴場が
あると思い夕方留辺蘂駅前から電話して温根湯の花水荘YHに泊ることにする。
この時は友人と3人連れだった。突然の連絡なので駅前食堂で夕食を済ませてから
バスで温根湯に向かう。予想通り風呂は沸いてなかったので、歩いて5分ほどの共同
浴場に行く。温泉で温まったがこの夜はかなり冷え込み、帰り道に皆で濡れたタオルを
振り回してみたら、あっと言う間に棒のように凍りつき歓声をあげ盛り上がったことを
覚えている。
このあたりの冬の晴れた朝は氷点下20度以下は当たり前だったが、翌2月19日は快晴で
放射冷却により強烈に冷え込んだ。朝一番のバスでR39(「大雪国道」といういい名前が
ついていた)を留辺蘂に向かい、石北本線の線路が見えたところで降りる。留辺蘂まで
2km半、金華まで3km半ほどのところ。あまりの寒さに息を吸うたびに鼻毛が凍りつくのが
妙な感覚だ。
しばらく撮り列車間隔が開いたところで朝飯用に前夜作ってもらったおにぎりの包みを
開けると、ご飯がみるみるうちに凍り白い雛あられのように真っ白になってビックリ。
ろくに味がしなかったことを覚えている。留辺蘂駅で聞いたところ、今朝は氷点下28度まで
下がったとのこと。7年間冬ばかり行っていたが、この時が最低記録となった。

3年ほど前に、この道の先輩方と4人連れで2泊3日で北海道に出かけました。
目的は「狩勝高原 エコトロッコ鉄道」と「丸瀬布いこいの森の雨宮21号」です。
「狩勝高原 エコトロッコ鉄道」では、予想を大きく上回る面白さに何回も繰り返しトロッコに
乗りました。
「狩勝高原 エコトロッコ鉄道」サイトは以下です。
http://ecotorocco.jp/about/
その晩は丸瀬布までの移動途中にある温根湯温泉に44年ぶりに泊りましたが、季節が
違うこともあり蒸機現役当時の温根湯を偲ぶことは叶わず、皆で鉄道談義をしながら
楽しく飲んだくれました。


2016.03.19 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
3/19発売の季刊誌「国鉄時代」45号に「常紋」(16ページ)が掲載されました。

留辺蘂から金華、常紋信号場、そしてトンネルの向こう側まで、9600、D51が急勾配とスイッチ
バックの厳冬の峠道を走ります。
是非ご覧ください。


2016.02.15 【TV放送:日本三大車窓・・・狩勝峠旧線の現在】のご案内
2月19日(金)19:00~ 日本テレビ系列「沸騰ワード10」で「北海道新幹線開通直前!
冬の絶景列車スペシャル!」が放映されます。
冬の道内各所の鉄道風景が紹介されますが、その中で狩勝旧線の跡をたどる映像
(スノーモビル、ドローン使用)及び現役当時の画像も写るようです。

以前本サイトで掲載した「根室本線 狩勝峠」は以下です。
http://locomotivesteam.web.fc2.com/PhotoKarikachi.htm

視聴後◆2/20:狩勝だけで10分ほど放映されました。
「狩勝高原 エコトロッコ鉄道」
http://ecotorocco.jp/blog/?eid=615
の増田さんが案内人になり、旧線跡をスノーモビルで途中の景観を交えながら走り、
ドローンからの初めて見るアングルの大カーブの画像等、とても見応えがありました。


2015.12.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
12/21発売の季刊誌「国鉄時代」44号に「皚い季節
(しろいきせつ) 釧網線ところどころ
(16ページ)が掲載されました。
細岡、塘路などの釧路湿原、補機運用がある人煙稀な原生林に埋もれたような川湯-緑の
峠道、斜里岳が素晴らしい清里町、流氷の北浜、浜小清水。どこをとっても国内はもちろん
道内でも指折りの撮影地で内地の人間にとって憧れの地であり、そこを走るC58はとても
輝いていました。
是非ご覧ください。


2015.11.21 【全ての写真を見てほしい】その2
同タイトルで「2013.10.27」でこの欄に書いて、2年経ちました。
スキャン原画は10000枚以上ありましたが、使えそうな画像は4500枚ほどです。
毎月2回、年間24回新規掲載しています。11/15掲載まででサイト開設以来55ヶ月110回に
なりました。毎回、平均25枚程度の掲載なので既に2800枚ほど掲載したことになります。
この計算で行くとあと70回、3年分ほどありそうです。

基本的に路線別にまとめていますが、どういう区切りにするか(その路線で3回分あるとしたら
どういう基準で3回に分けるか)、そして区切り内でどういう順に写真を並べるか、さらにキャプ
ションを考えることも面白く、いろいろ楽しんでいます。
そこそこ写っている写真は「全ての写真を見ていただきたい」ということで今後も進めていき
ますのでよろしくお願いいたします。

※全てが一巡した後は、路線別かどうかは別にして画像を絞ってまとめなおすことを考えて
います。


2015.09.19 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
9/19発売の季刊誌「国鉄時代」43号に「筑豊
 蒸機王国の黄昏」(16ページ)が掲載されました。
石炭から石油へのエネルギー転換がどんどん進んでいた時代でしたが、筑豊にはまだ
繁栄の余韻がそこかしこに残っていました。
美しい景観の中を行く汽車が一番と思っていましたが、「筑豊」という特別な地域を密度高く
走るD50、D60、9600、C55などのスポーク動輪の美しい機関車たちは特別な輝きを放って
いました。
是非ご覧ください。


2015.09.03 【機関区大好き】
9月1日に「呉線 その5 糸崎機関区」をアップしました。
機関区が大好きでした。そこには必ず機関車がいるのでシャッターチャンスが連続的に
無限にありますし、複数の機関車を1枚に入れて配置でき、同形式が何台もいれば更に
迫力があると思います。
また転車台、扇形庫、給炭塔ほか絵になる構造物が多く、さらに様々な作業をする職員の
方たちもいます。
この道の先輩方に教えていただいた通り、必ず撮影前に当直助役さんにごあいさつし、
撮影許可を得ます。初めて一人で許可を得た時は、あっさりOKが出て嬉しくて感激した
ことをよく覚えています。職員の皆さんから見れば邪魔にしかならないはずで、万一事故
でも起したらとんでもない迷惑をかけてしまいますが、幸いなことに1回も断られたことが
ありません。
本当にありがとうございました。複数回訪問した機関区もありますが、数えたら55回あり
ました。
夜景を三脚使用でゆっくり撮れるのも機関区のいいところでした。

最近、昔の資料を整理していたら糸崎機関区を夜(多分19時~21時頃と思います)訪問
した時に当直助役さんからいただいた資料が出てきました。

◆「写真撮影者へお願い」 糸崎機関区
1. 夜間の撮影は原則として禁止する
2. 掛から腕章及び安全帽を受取り、着用すること
 (なお、終了したときは必ず返納すること)
3. 作業中の人物は 本人の承諾を得て撮影すること
4. 作業の邪魔をしないこと
5. 駅構内へ 立入らないこと
6. 傷害事故防止のため 次のことを厳守すること
 (1) 指定通路以外の線路を横断しないこと
 (2) 機関車及び車両が運転中 直前直後を横断しないこと
 (3) 集灰坑(アスピット 深さ2.5m)へ絶対近づかないこと(落ちて死亡した例が 多くある)
   
(※堀越注:この部分は赤鉛筆の手書き下線あり)
 (4) その他危険と思われる場所での撮影はしないこと
7. 各掛員の詰所内に立入らないこと

B6サイズのガリ版刷り(茶色くなったわら半紙に青色のインクが滲んでいる)のいかにも
懐かしいものです。


2015.06.20 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/20発売の季刊誌「国鉄時代」42号に「天空の径」(16ページ)が掲載されました。
南アルプス連峰、八ヶ岳を望む小海線の小淵沢-信濃川上間を走るC56の姿を是非
ご覧ください。

小海線は近かったこともあり、鉄道趣味の全くない友人ともかなり行きました。八ヶ岳、
清里という地名は当時の学生たちには魅力的な響きがあったようで、みんな二つ返事で
つきあってくれました。深夜を含めて片道5時間はかかったのでこちらも話し相手がいないと
睡魔と闘うのが難しくなります。車の中で泊まることもありましたが多くは夜行日帰りで
基本的には朝7:45小淵沢発の193貨物列車を車で追いかけながら、小淵沢大カーブ、
小泉-大泉間、清里駅(30分近く停車した)、清里-野辺山、野辺山-川上で撮って、R141→
R20でそのまま帰京するというものでした。午後の講義に間に合うように戻ったこともあり
ます。

通常の季節は朝の下り貨物列車1本しか撮りませんでしたが、9月の高原野菜出荷の季節に
なると小淵沢-信濃川上間で臨時の野菜専用貨物列車が何本も増発され一日中撮っていた
こともありました。秋空の下、高原のさわやかな空気の中を走る姿はC56によく似合い何回も
行きました。またゴールデンウィーク以降の週末には新宿を深夜に出る臨時列車で「霧ヶ峰
高原・八ヶ岳高原号」があり、小淵沢で切り離された3輌の客車をC56が牽いて野辺山まで
走ります。下りは小淵沢6時過ぎに出て野辺山に7:30頃着、上りは14時半頃野辺山発を出て
小淵沢に15時半頃着というものでした。

何回か行くうちにダラダラ混んでいる帰りのR20を走ることに耐えられなくなり、未舗装でしたが
冬場以外は秩父へ抜け、さらに奥武蔵の峠を越えて東京へ戻る道を走るようになりました。
車の運転が好きだったので、道が空いていれば時間がかかっても苦になりません。よく走った
道は川上村から三国峠を越えて秩父方面へ抜ける中津川林道でここを何回も走るうちに砂利
道を走る面白さを覚え、就職とともに鉄道写真から引退した後は車にのめり込むようになり
ました。


2015.05.12 【宮脇俊三さんの本のカバーに使用されました】
2001年6月に角川文庫から初版発行された「増補版 時刻表昭和史」が、本年4/25に角川
ソフィア文庫から改訂初版発行され表紙カバーに本サイトで掲載された「米坂線 その3
手ノ子 -晩秋-
」の最初の1枚が使われました。大きくトリミングされており最初は驚きましたが、
題字、著者名、帯の配置が優先されるのは当然でプロのデザイナーの力量を思い知りました。
著者の作品は「時刻表20000km」しか読んでいませんでしたが、戦前から戦後の昭和23年
までの記事で構成されたこの本には大いに興味を惹かれました。
中でも戦前編の最終第13章
(13という数字がイザベラ・バード「日本奥地紀行」の十三峠越えを想起させます)
「米坂線109列車」で昭和20年8月15日の玉音放送を米坂線今泉駅前で聞き、それでも
時刻表通りに走っている109列車に乗ったが質の悪い石炭のため宇津峠トンネル内で力が
尽きで止まってしまったこと。峠を越えてからは快走し山峡の鉄橋を次々に渡り、山々と
樹々と水流の美しさ、優しさに包まれ懸命に走る汽車、著者がまさに「国破れて山河あり」の
感慨に浸る場面が特に印象に残りました。


2015.04.09 【狩勝峠 鉄道写真展】のご案内
昨年に続き今年も札幌で開催されます。
期間:4月14日(火)から5月31日(日)
http://ecotorocco.jp/photoexhibition/
大ベテランの方々にまじって私の写真も数枚展示されると思います。

2015.03.20 【季刊誌「国鉄時代」に8ページ掲載されました】
3/20発売の季刊誌「国鉄時代」41号に「荒涼の道」(8ページ)が掲載されました。
根室本線の音別-古瀬信号場、音別-尺別の荒涼とした海沿いの道をD60、D51が走ります。
是非ご覧ください。

2015.02.22 【札幌みそラーメン 「喜龍」】
冬の北海道を旅行中、当日の撮影を終えて札幌発の夜行列車で別の場所に行く時は、
夕食で「喜龍」という店によく行きました。
最初は円山公園のユースホステルで札幌ラーメンのおいしいお店を聞いたら、ここを教えて
もらったのだと思います。当時はラーメンと言うよりは中華そばが一般的な時代だったので、
札幌ラーメン特にみそラーメンが珍しく、こんなにおいしいラーメンがあったなんてと感激した
覚えがあります。
このお店は札幌のラーメン横丁に今でもあるようです。

2014.12.20 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
12/20発売の季刊誌「国鉄時代」40号に「肥薩の道」(16ページ)が掲載されました。
かつての鹿児島本線でもあった肥薩線の人吉、スイッチバック、ループ線のある大畑
Wiki
そして矢岳へと続く道を重装備のD51が走ります。
是非ご覧ください。

2014.10.12 【ユースホステル】
実家の天袋を整理していたら当時のダイヤ、旅行メモ、いろいろなものが出てきました。
その中に、YHの領収書が1枚だけありました。
昭和44年2月23日の稚内「喜登旅館ホステル」のもので、合計570円(内訳は宿泊料300円、
夕食料180円、暖房料90円)とあります。旅程は天候などの都合で明日どこに行くかも決めて
ないことが多かったので、夜行列車ではなくYHに泊まる場合は駅から公衆電話で「今晩泊
めていただけますか?」と連絡していました。冬季は空いているので北海道では必ず泊まれ
ましたが、突然のことなのでほとんどの場合夕食なし、風呂なしでした。それでも横になって
暖かい部屋で寝られることは最高の贅沢でした。

2014.09.20 【季刊誌「国鉄時代」に17ページ掲載されました】
9/20発売の季刊誌「国鉄時代」39号に「重連の行路」(17ページ)が掲載されました。
函館本線長万部-小樽間の急客「ていね」、「ニセコ」を牽くC62重連の雄姿を26枚の写真で
構成しました。
後志山中のいくつもの雪の峠道をC62重連が圧倒的な迫力で駆け抜ける姿には打ちのめ
されました。
是非ご覧ください。

2014.08.10

【軽便鉄道】Wiki
7/15掲載の「木曽森林鉄道」は、このサイトでは初めての軌間762mmの軽便規格の鉄道
です。
実は軽便鉄道、それを取り巻く情景も大好きで趣味誌などではよく見ていましたが、
軽便規格のDLDCのすぐそばに国鉄の蒸気機関車が走っていた状況では、いざ撮影に
なると軽便にまでは全く手が回らず蒸機優先になってしまいました。

木曽森林鉄道以外では、越後鉄道栃尾線、遠州鉄道駿遠線をついでに少し撮った程度で、
蒸機が無くなるのと歩調を合わせ、また沿線風景の大きな変化と共にあっという間に
消えてしまいました。
(現在でも一部に保存鉄道などの特殊路線が残っています)

軽便規格だけではなく、狭軌も含め当時の地方私鉄の素晴らしい写真満載のサイト
地方私鉄 1960年代の回想」をよく見ています。


2014.06.20 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「国鉄時代」38号に「鹿児島への道」(16ページ)が掲載されました。
田原坂から鹿児島まで、C59、C60、C61の写真24枚で構成しました。
ブルートレイン「みずほ」、「はやぶさ」を筆頭に、特別に美しい九州の大型蒸気機関車たちの
活躍する姿を是非ご覧ください。

2014.05.07

【冬の北海道】
北海道は昭和41年から昭和47年まで毎年、冬ばかり行っていました。きっかけは昭和40
夏に発売された「SL1号に載った「急行まりも」と「狩勝峠」の記事を見たことです。写真の
素晴らしさもさることながら、文章を読んでいると居ても立ってもいられなくなり、次の冬には
絶対に行く!と勇んだことが思い出されます。当時の北海道均一周遊券は21日間有効、
急行以下乗り放題、学割の冬季割引で5000円という価格でした。しかも1回行ってみると
九州よりも効率よく動けることが分かりました。ユースホステルと夜行列車を組合せて行程を
組むことが安く済ませることにつながるわけですが、北海道は札幌を中心にして函館、稚内、
網走、釧路の各方面との間に夜行列車が走っており、しかもそれらが冬季で空いているので
自由席車のボックスシート一つを占有してゆっくり寝られるという最高の環境でした。
また駅が石炭ストーブで暖かくこれも助かりました。これが九州だと、夜行に乗ると端から端
まで行ってしまい、途中の路線の撮影に時間を合せることが案外難しく、さらに駅の待合室に
は扉どころか暖房も殆んどないので冬の朝などは震え上がったものでした。またどんな季節
でもボックス一つを占有することは出来なかったので、なおさら北海道内での移動の快適さが
印象に残ることになりました。

 2014.03.25 【狩勝峠 鉄道写真展】のご案内
4月2日(水)から4月30日(水)まで札幌で開催されます。
※2月8日(土)から3月2日(日)まで帯広で開催されましたが好評につき札幌開催が決まった
とのことです。
http://ecotorocco.jp/photoexhibition/
大ベテランの方々にまじって私の写真も数枚展示されると思います。

 2014.03.20 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
3/20発売の季刊誌「国鉄時代」37号に「呉線 C62・C59の楽園」(16ページ)が掲載され
ました。
市街地の中、海辺のみち、山坂もありという変化のある沿線風景がよく、ほとんど無改造で
手入れの行き届いたC59、C62が気持ちよさそうに走る姿がとても好きでした。

 2014.02.18 駅が好き】
このサイトを見た友人から、「駅の中の写真が割と多いね」と言われたことがあります。
言われてみれば確かにそうかもしれません。改めて今考えてみると、駅構内での写真が
多い理由は「撮影機会が多い」からという単純な理由のようです。
歩くことがあまり好きではないということも少しあるかもしれません。
構内には列車だけではなく、乗降客、駅職員、駅名板、跨線橋、通票授受、信号梃子
扱い、腕木式信号機、分岐器、転轍小屋、駅舎など被写体はいくらでもあります。
停車している機関車の近くに寄れば煙だけではなく油の焼ける臭いまで感じられます。
さらに列車のすれ違いでもあれば、たとえ気動車同士であっても最高のシャッターチャンス
となります。
駅職員の方々は、列車から降りて撮影に来たことを告げると非常に親切にしてくださり、
節度を守れば構内でも自由に撮影させていただけた時代でした。列車、機関車がいなく
ても、架線のない大きな空の下、駅構内に居るだけで飽きることはありませんでした。

「特に好きだった駅」をざっと挙げてみますと・・・
【宗谷本線】幌延、【石北本線】生田原、【釧網本線】緑、細岡、【函館本線】二股、鹿部、
【花輪線】岩手松尾、【米坂線】今泉、手ノ子、越後金丸、【磐越西線】大寺、【信越本線】
豊野、【川越線】武蔵高萩、【中央西線】薮原、須原、【関西本線】加太、【木次線】出雲横田、
【筑豊】筑前内野、伊田、油須原、【日田彦山線】宝珠山、大行司、【久大線】夜明、日田、
豊後中村、南由布、【肥薩線】栗野、【鹿児島本線】津奈木、伊集院、【日豊本線】宇佐、
などです。

※スイッチバック、機関〔支〕区のある駅は好きで当然なので除きました。


2014.01.15 【狩勝峠 鉄道写真展】のご案内
2月8日(土)から3月2日(日)まで帯広にて開催されるそうです。
http://ecotorocco.jp/photoexhibition/
大ベテランの方々にまじって私の写真も数枚展示されると思います。

2013.12.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
12/21発売の季刊誌「国鉄時代」36号に「氷雪の路 宗谷本線のC55」(16ページ)が
掲載されました。
当時、本当の宗谷路らしさは冬季、それも音威子府以北にあると感じていました。
今回は厳冬期の宗谷本線音威子府-稚内を走るC55形蒸気機関車をその美しい1750
mmのスポーク動輪と共にご覧いただけます。この区間を走るC55牽引の列車は一日
2往復ありましたが、明るいうちに撮れるのは1本かせいぜい2本のため夜間撮影が多く
なりました。是非ご覧ください。

 2013.10.27  【全ての写真を見てほしい】
スキャン原画は10000枚以上あり、フォトショップによる処理が終わった段階で4500
ほどです(2年前に一応完了)。残りの5500枚強の内容は、フォトショップで拡大して
分かったブレ、ボケ、修正が難しそうなムラ、過度の露出不足/過多、どうにもつまらない
もの(もちろんこれが一番多い)などです。もちろんフォトショップ処理したものであっても
単独であれば公開するほどのこともないレベルの写真が大半です。
10/15掲載までで30ヶ月60回になりました。毎回、平均25枚程度の掲載なので既に
1500
枚ほど掲載したことになります。この計算で行くとあと1205年分ほどはありそう
です。

そこそこ写っている写真は全て見ていただきたいと思っていますので、連続写真が多い
のがこのサイトの特徴かも知れません。
今から考えると駅前、バス、車、民家、土地の人々などの鉄道を取り巻く状景をもっと
撮っておけばよかったと後悔していますがフィルムが貴重品だったので節約したことも
あり、そのような写真がほとんどありません。一方、手巻き連写で1本の列車を何枚も
撮ったのですから全て見ていただかないと悔しいというのが本音かも知れません。
また、わずかなアングル違いもそれなりに面白い場合があるようなので、それも全て
掲載するつもりです。

「全ての写真を見ていただく」ということで今後も進めていきますのでよろしくお願い
いたします。


 2013.09.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
9/21発売の季刊誌「国鉄時代」35号に「米坂線の風景」(16ページ)が掲載されました。
今回は晩秋から厳冬期の米坂線を走る蒸気機関車9600をたっぷりご覧いただけます。
美しい里山、渓谷、峠道、真冬の豪雪、日本の原風景とも言える沿線風景を25枚で構成
しました。
是非ご覧ください。

 2013.09.05 【撮影仲間】
北海道へは昭和41年から47年まで毎年23月に7年連続で行っていました。
行き帰りはいつも撮影仲間と一緒でしたが、道内では12日一緒に撮って次は3日後の
どこそこで会おうというようなことをやっていました。一緒だと間違いなく天気と光線と
被写体が同じになるので、違いはアングルだけになってしまいます。結局同じような
写真を撮るのはあまりにももったいないということになり、何日も連続して同行するのは
自然とやめるようになりました。
そうすると数日後に会って情報交換することがまた楽しくなります。こういういい所だから
是非行けと言うと、何ヶ月も経ってから行けと言った本人が思いもよらないような写真を
見せられるということが多く、このやり方はよかったようです。

 2013.07.13 【函館駅前のおでん屋台】
鹿部、大沼、姫川、森などでD52を中心に撮った時は、始発の夜行列車に乗るために
暗くなった頃に函館へ戻ります。そして駅近くで夕食をとるのですが、時間がありすぎる
ので連絡船を撮りに行ったり喫茶店で時間をつぶしたりしていました。そして再度改札を
入る前に、当時は駅前に「おでん」屋台が出ており、ここの生姜の効いた味噌おでんを
よく食べました。これは体が温まりよく寝られるので特にお気に入りでした。
そして準急「たるまえ」(ヨンサントー以降は急行「すずらん6号」)を撮ったりしつつ、ガラ
ガラの函館を日付が変わる直前に出発する釧路行き普通列車に乗りしばしの眠りにつく
ときうことをよくやっていました。
この場合は午前2時過ぎに長万部で降りて始発まで待合室で時間をつぶしたり、上りの
C62重連を撮るために銀山、小沢あたりで降りたりするのがパターンでした。
北海道で親しまれていた味噌おでんが青函連絡船を通じて青森に伝わり、青森で
生姜味噌おでんへ転じたものが連絡船を通じて函館に伝わった、というような連絡船
ファンとしては嬉しくなるような話を思い出しましたが真偽のほどは定かではありません。

2013.06.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「国鉄時代」34号に「龍ヶ森の冬」(16ページ)が掲載されました。
今回は冬の花輪線龍ヶ森を走る蒸気機関車8620をたっぷりご覧いただけます。
33.3‰の急勾配を上る三重連、盛岡行き3両編成の客車列車、快晴あり吹雪あり、
冬の様々な表情を見せる赤坂田-龍ヶ森-岩手松尾の区間を23枚で構成しました。
是非ご覧ください。

2013.05.01 【大木茂さんのサイトが刷新されました】
タイトルは「モノクロームの残照」です。
カメラアイの素晴らしさが十分楽しめます。更に未発表の作品も期待できるということなので
今後が大いに楽しみです。

2013.03.21 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
3/21発売の季刊誌「国鉄時代」33号に「北のD52」(16ページ)が掲載されました。
今回は冬の函館本線を走る国内最大の貨物用蒸気機関車D52を、五稜郭、仁山、大沼、
鹿部、姫川、森、八雲、国縫、長万部で撮影した29枚で構成しました。
是非ご覧ください。

2012.12.21 【季刊誌「国鉄時代」に8ページ掲載されました】
12/21発売の季刊誌「国鉄時代」32号に「あの頃の川越線」(8ページ)が掲載されました。
今回の掲載は、美しい田園風景と雑木林など武蔵野の風情を色濃く残すのどかな景観を
12枚で構成しました。
是非ご覧ください。

2012.12.03 【撮影場所不明】
スキャンを全部終わらせて、思いのほか撮影場所不明が多かったのには自分ながら
呆れています。撮影メモはもともといい加減で、ネガフォルダーに連番と撮影日付、
場所が書いてあるのが唯一の頼りで、行動のメモなどはつけていませんでした。
このサイトでもこれまで「場所不明」でアップしてからメールで「○○駅と××駅の間」等
何回も教えていただいています。
12/1アップの「日豊本線 大分機関区・宇佐・日出・今津 昭和39年 」でも大分機関区と
特急「富士」通過の宇佐駅以外は全く場所が分からず、YouTubeの前面展望動画など
でも探したのですが、結局半世紀近くも前のことなのでどうにも分かりませんでした。
そこで以前メールのやり取りをさせていただいた現地近くにお住まいの方の現地調査等
多大なご協力をいただきやっと判明しました。
カメラが1台の頃はまだ分かりやすかったのですが、一眼レフが2台、他に6×6が1台と
いう構成が多かったので、一眼のメイン機はともかく、サブ機と6×6機はどうしても撮影
枚数が少ないために場所も飛び飛びになりわかりにくくなってしまいました。そして車で
行った時は行動の自由度が高いことが仇となり、さらにわかりにくいことになります。
またスキャンしてからはネガのような連続性がなくなり、1枚ずつの切れ端のような
データになってしまうので、混乱してもう1回ネガの撮影順を確認することがたくさん
ありました。たとえメイン機でも自分が乗っている列車の交換風景を撮ったという場合も
場所不明のデータがたくさん発生しましたが、ネガフォルダーに書く地名は下車駅のみ
だったので、40年も経てば思い出せなくても仕方がありません。フォトショップで大きく
拡大して浅い角度で小さく写っている駅名板をなんとか読めた時などは積年の謎が
解けたような快感があります。

2012.10.04  「ひるのいこい」
撮影のために列車を待っているときに、NHKラジオの「ひるのいこい」のテーマ曲が
風に乗って聞こえてくることがよくありました。農家の庭先から、または田畑でお昼を
とる人々のラジオからなんとも懐かしい感じがするテーマ曲が聞こえてきます。
そして「○○県○○郡○○町にお住まいの××農林通信員からのお便りです。」と
続き、季節の話題、日々の生活の何気ない観察などが紹介されます。

この番組(http://www.nhk.or.jp/r1/shou/ikoi.html)は今でも続いており、最近はこの
曲が聴きたくて、この時間(12:2012:30)だけラジオを聞くという有様です。
この曲を聴くと様々な旅先での景色、情景が懐かしさとともに思い出されます。

まさに「蒸気機関車がいた時代」にふさわしい、あの時代に対する懐かしさを強く感じ
させる名曲だと思います。

クリックするとテーマ曲が流れます!
http://www.youtube.com/watch?v=9QLuvzjLlQo
作曲:古関裕而


 2012.09.21 【季刊誌「国鉄時代」に10ページ掲載されました】
9/21発売の季刊誌「国鉄時代」31号に「北の夜汽車」(10ページ)が掲載されました。
今回の掲載は、北海道に6往復あった夜行列車を23枚の写真で構成したもので、
函館駅のC62牽引の下り「すずらん6号」、函館埠頭の青函連絡船、桟橋風景、
札幌駅出発前の上り「すずらん6号」、帯広駅の上り424列車、生田原駅の下り
「石北」、旭川駅の下り「利尻」、遠軽駅の上り「石北」、呼人-網走間の下り1527
列車などが掲載されていますので是非ご覧ください。

2012.08.11 「大木茂写真展」が大盛況のうちに終了しました。
会場は連日活況を呈しており、毎日詰めていた大木茂さんも多くの方とお話ができ、
大変充実した1週間だったようです。

2012.08.02 昨8/1、大木茂さんの「写真展」が開幕しました。
素晴らしい仕上りの大画面は必見です。

2012.06.29 大木茂さんが「写真展」を開催します

『北辺の機関車たち』の共著者で昨春写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶』を出版した
大木茂さんが「写真展」を開催することになりました。
素晴らしい仕上りの大画面で、必ずご満足いただける内容になることは間違いありません。

大木茂さんのサイト記事を転載します。
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「汽罐車」 よみがえる鉄路の記憶 1963-1972
日時:2012年8月1日(水)~8月10日(金)
場所:コニカミノルタプラザ ギャラリーC
開館:10:30~19:00 (最終日は15:00まで)無休・入場無料
住所:東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
アクセス:JR新宿駅東口、地下鉄丸の内線新宿駅A7出口から徒歩1分(フルーツの新宿高野4F)

◆以下は大木茂のコメントです。
昨春刊行した写真集を再構成しました。モノクロネガをスキャナーで読み込んだデジタル
データを"明るい暗室"で調整して仕上げました。プリント出力はインクジェットプリンターを
使いバライタプリントにも負けない高質なものを目指します。
露出計もついていないカメラで勘を頼りに撮影したものです。フィルム現像の腕も確かでは
ありませんでした。とてもプリントできないようなネガがたくさん残っています。かつて多階調の
印画紙が出た時にずいぶんと救ってやれたのですが、現代のデジタル技術はそれを大きく
上回っています。古いネガを現代の技術でよみがえらせ、大きなプリントで見ていただこうと
思っています。どうぞご期待下さい。

◆展示写真は約60枚。A1ノビ(約90cmX60cm) 、A2ノビ、A3ノビの3サイズで構成します。
迫力ある大画面をお楽しみいただけます。
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2012.06.20 【季刊誌「国鉄時代」に16ページ掲載されました】
6/21発売の季刊誌「国鉄時代」30号に「石北本線生田原 補機の待つ駅」(16ページ)が
掲載されました。
「過去リスト」にありますが「石北本線 生田原 -夜明け-」というタイトルで2011. 9/1~12/31の間、
本サイトに載せていましたが、今回の掲載は払暁から日暮れまでを29枚の写真で構成した
もので、未発表写真もたくさんありますので是非ご覧いただきたいと思います。
また、表紙の人吉駅のD51後補機の写真も合せてご覧ください。


2012.04.19 【寺社巡り】
4/15アップ「日田彦山線」の中に、英彦山(ひこさん)神社Wikiによれば昭和51年に英彦山神宮に改称)
写真が3枚あります。なんとも不思議なことに、ネガの並びを見ると昭和42113日の
秋晴れの日、唐突に彦山駅頭の風景から神社山内へと掲載した写真が続いていました。1本でも
多く撮りたかったあの頃、よく晴れた絶好の撮影日和の日に数時間を費やして神社にお参りした
ことが今でも信じられません。
中学の修学旅行はお決まりの京都、奈良で、金閣寺、三十三間堂、八坂神社、東大寺、法隆寺
などへ行った記憶がありますが、それ以来この時まで寺社とはご無沙汰状態でした。そして時は
経ち、転勤で大垣に住んでいた昭和63年(1988)の夏に、友人の影響で御朱印帳(Wiki)を持って
神社仏閣巡りを始めました。もともと木造の建造物が好きで、車で走っていても木造の校舎、
茅葺きの民家などがあればすぐに停まって写真を撮るようなことをしていましたが、大垣は日帰り
圏内で京都、奈良はもちろん、近江、若狭小浜など素晴らしい寺社がいくらでもある土地柄なので
毎週のように出かけるようになりました。数年後にはパソコンで「行きたい所:寺社データベース」を
作り、私なりの基準で現在1389ヶ所登録してあります。
既に行った所はまだ半分ちょっとで、どうしても行きにくいところが残ってしまうので最近はなかなか
進みません。
後年の趣味となった寺社巡りのはしりとして、昭和42年の英彦山神社の写真が突然出てきたことに
驚きを禁じ得ませんでした。


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2012.04.05 【雨が好き】
雨が好きというと語弊があるかもしれません。撮影中に雨が降ると傘が邪魔になるし、レンズに
しずくがかからないように注意を払わないといけないし、さらに雨がやんだ後でも歩いていると
濡れた草で靴に水が染みてとても具合が悪いものです。
急な夕立で折り畳み傘では歯が立たず、腰から下がビショビショになったことも一度や二度では
ありません。しかし、それでも写真的には曇天よりはずっといいと思っていました。降っている
最中はともかく、傘を差さずに済む雨上がりは特に好きでした。雨に濡れると普段はくすんでいる
枕木、道床の砂利までが光を帯び輝き始め、独特の雰囲気が醸しだされます(水たまりが一緒に
写ればもっといいかもしれません)。
春から夏の間の日本の気候を考えると、雨の中を走ることはごく日常の光景だったはずなので、
嫌うよりは好きになってよかったと思います。


2012.02.20 【夏は九州】
2/1、2/15更新と夏の九州が2回続きましたが、初期の頃は九州には夏に行くことが多かったよう
です。ご存知のように蒸気機関車の「煙」には本物の煙と飽和水蒸気が混じっているので、気温の
高い夏場は飽和水蒸気量が大きく減り、ほとんど本来の煙だけになってしまいます。つまり上り
勾配なのに煙が出ていないということが起き(機関助士のウデがよいほど)、なまじ黒い煙がたく
さん出ているとそれは不完全燃焼ということになります。やはり煙があったほうが絵になりやすいし、
また夏場は歩くのが厳しいこともあり夏を避ける人もいるようですが、もちろん蒸気機関車は真夏の
炎天下でもいつも通り走っていました。
どんなに気温が上がろうが下がろうが、ダイヤ通り坦々と走ることが鉄道の役割です。自分では
北海道には冬(2,3月)しか行かないと決めていたので、いくら暑くても九州には夏に行くことが多く
なりました。

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2012.01.09 【同時代の気動車たち】
実は気動車(ディーゼルカー)もかなり好きでした。わざわざ気動車だけを撮りに行くことはあり
ませんでしたが、私が撮っていた頃は蒸気機関車にとって晩年から終焉間近の時期でもあり、
一部を除けば非電化区間でも既に気動車のほうがかなり優勢でした。
どこに行っても優等列車は殆んど気動車で、準急のキハ55系、急行のキハ58系、特急のキハ
82系などが蒸機牽引の列車に混じって架線のない広い空の下を気持ちよさそうに走っていた
ことが昨日のことのように思い出されます。
古い型式では、キハ04、07は昭和39年の宇品線、木次線、40年の宮原線で、キハ02レールバスは
昭和39年の木次線、昭和41年の留萌線増毛で辛うじて現役最後に間に合いましたが、特に古い
ものが好きということもなくキハ58の長大編成の急行列車、ピカピカのキハ82の特急なども大好き
でした。
私にとっての「蒸気機関車がいた時代」とは、蒸気機関車が気動車たちとともに走っていた時代でも
ありました。


2011.11.12 写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶』の大木茂さんが「ラジオ深夜便」に出演します

『北辺の機関車たち』の共著者で今年写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶』を出版した
大木茂さんがあの名物番組「ラジオ深夜便」に出演することになりました。
◆NHKラジオ第一放送「ラジオ深夜便」
『機関車が私の先生』(聞き手=佐野剛平)
第1回:川端新二さん:12/1(木)午前4:00~4:40
第2回:大木 茂さん:12/2(金)午前4:00~4:40

大木茂さんは私が大学生時代からの友人で、撮影当時はお互いに学生同士だったわけですが 、
その頃から技量は明らかに我々他の仲間の レベルを大きく超えていました。空間の奥行きと
広がりを柔らかくかつ印象的に感じさせるカメラアイの素晴らしさ、さらにきめの細かい仕上りの
美しさを併せ持っており、彼の写真を見せられると、感覚、技術ともに仲間のレベルから抜きん
出ていることが一目瞭然でした。
そして彼だけがプロ写真家としての道を歩み始めた時、仲間の皆全てがそれを当然のように
受け止めました。
しかし彼は『北辺の機関車たち』以外には蒸気機関車の写真集を出しませんでした。
そして40年以上が経ち、待望されていた写真集『汽罐車 よみがえる鉄路の記憶』がやっと世に
出ました。彼の原点である「蒸気機関車が美しい日本を走り続けたあの時代の日本の姿を、
情熱と愛情と冷静さを持って見つめた一人の青年の記録」の写真集として。
私もこの写真集制作のお手伝いをしましたので手前味噌にもなりますが、間違いなく後世に残る
出来映えの、素晴らしい鉄道写真集になったのではないかと思っています。
少しでもたくさんの方々に見ていただきたいと思います。
なお、川端新二さんは、大木茂さんとも親しいつきあいのある元蒸気機関車の機関士の方で、
私どもが『北辺の機関車たち』出版記念の写真展を開いたときからのお付き合いです。
雑誌への発表も多く、現場の経験を踏まえた分かりやすい文章に定評があり、主なる著書に
「ある機関士の回想」(2006年、イカロス出版)があります。
我々の知らない蒸気機関車の世界を語ってくれると思います。放送が楽しみです。

【12/5追記】
放送が終わりました。特に印象に残った内容は、川端さんが助士時代に「長いトンネルで苦しく
なったら石炭の隙間の空気を吸うんだ」と機関士に言われたという話です。
勾配区間の乗務員の、言葉では表せない厳しい業務を教えてくれます。
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2011.11.06

Web特有の構成】
このWebサイトを始めてから、写真集とWebサイトはまったく違うということに気がつきました。
本の場合はパラパラと流して、気になったところでとめてじっくり見る、または戻して見るという
見方が出来ますが、私のサイトではサムネイル画像もなく20枚以上を1つのファイルで連続して
載せているので、その順番でスクロールしながら見ていただくしかありません。流れを作ると、
単独であれば使うほどのこともない写真も使える場合がでてくるようです。またWebではページ
数の制限もないので、冗長にならなければ枚数は多くてもよいと考えていますが、ここは「もっと
シンプルにまとめろ」とお声がかかるところかもしれません。
やり過ぎかもしれませんが、連続
写真には面白さがあると考えています。(印刷ではとても出来ません)
また、わずかなアングル違いもそれなりに面白い場合があるようです。ということで、今までと
同じような構成を続けることにしますので、今後ともよろしくお願いいたします。


2011.10.05 【フォトショップ処理 一応終了
スキャンは基本的に全て行い結局10000枚以上やりましたが、その後少しずつ進めていたフォト
ショップによる処理が一応終わり4500枚ほどになりました。残りの5500枚強の内容は、フォ
ショップで拡大して分かったブレ、ボケ、修正が難しそうなムラ、過度の露出不足/過多、どうにも
つまらないもの(もちろんこれが一番多い)などです。またフォトショップ処理したものであっても
単独であれば公開するほどのこともないレベルの写真が大半ですが、とにかく初めて見るポジ
画像が殆んどなので、一応写っているだけで眺め入ってしまいます。
もったいなかったのは路線別に整理してみると、同じ場所で似たような写真を別の年にまた撮って
いるということが結構あったことですが、これはベタ焼きさえもしていなかったので、ある程度は
仕方がありません。
既に、まとめやすいものからサイトに掲載していますが、今後はどうやって掲載単位に編集するか
を楽しみながら考えます。


2011.09.01 【ASA1600増感現像】
9/1アップの「石北本線 生田原 -夜明け-」の最初の9枚は、ASA1600相当の増感現像写真です。
キッカケは本屋さんでの立ち読みでした。昭和41年の年末だったと思いますが「日本カメラ」をパラ
パラ立ち読みしていると舞台撮影の写真家の記事と写真があり、KodakのTri-Xをコニドール
スーパー(現像液)の増感現像でASA1600にする方法が書いてあったので即購入しました。
まだNeopanSSを使っておりTri-Xは高価なフィルムだったのでとても使えなかったころの話です。
昭和42年2月の北海道旅行が間近だったので、テストもせずに20枚撮りのTri-Xを3本買って持って
行きました。もともとは倶知安のC62重連の発進を手持ちで撮りたくて増感の方法を色々調べて
いましたが、今のようにネット検索もない時代だったので、この記事を見つけたときはとても嬉し
かった記憶があります。そして倶知安の発進の写真が増感現像もうまくいって、その年の鉄道P誌
のコンテストで入選した想い出があります。ところがやはりKodakのフィルムは只者ではなく、残り
2本のTri-Xで、ASA400で撮った昼間の写真はD76の標準現像でビックリするくらいの切れ味の
よさがあり、すぐに全てのフィルムをTri-Xに変えました。少しでも安くするために100フィートのロー
ルを購入し、ヨドバシカメラで空のパトローネをもらい、自宅の押入れで36枚撮りに仕立てました。
やがてTri-Xだけではなく、ASA125で粒子の細かいPlus-Xも併用するようになり、それが昭和47年
の最後まで続きました。
ASA1600以上の増感現像写真は、雪があるために夜が比較的明るい北海道の駅構内でよく撮り
ました。生田原以外では原点となる倶知安、そして長万部、幌延、音威子府などでも撮りましたが、
とにかく長い撮影旅行から帰り、それから現像してやっと結果が分かるわけですから、たとえ露出が
うまくいっても手ブレでがっかりということがよくありました。デジタル全盛の現在では想像もつかな
いことをやっていたわけですが、それしか方法がない時代でした。

2011.08.05 【1枚前がいい】
当時、列車が来るのを待って手持ち(35mm版で三脚を使わずに)で写真を撮る際は、ここぞという
タイミングで1枚だけ撮るわけではなく何枚か続けて撮ることが普通でした。線路の近くから撮る時
は、列車がこの位置に来たらシャッターを切るというタイミングをあらかじめ決めているわけですが、
その位置に来る前から数枚撮って、更に見送りでまた1枚、都合3~4枚撮ってしまうという感じです。
その結果、本命の1枚のタイミングがずれてしまったり、ブレてしまったりというお粗末も時々あり
ました。この数枚の中で露出が変えられるなら意味があるのですが、特別な場合を除くと無理でし
た。ここに、向うからやってくる列車を続けて3枚撮ったものがあるとします。本命はひきつけて
撮った3枚目(後追いはおまけ)で、当時引伸ばす時は3枚目のみでしたが、今回全てスキャナで
取り込んで3枚を続けてポジ画面で見てみると、当時ベストのタイミングで撮ったつもりの3枚目より
も、その前の2枚目、場合によっては1枚目のほうがいい、今の自分の気持ちに合っているという
ようなことが頻繁に起きました。その理由は、特に駅の近くの場合は早いタイミングで撮った写真は
周辺、特に背景が広く写っているので、民家などの建物、裏庭の畑、車、踏切、人など当時の生活
そのものが写り込んでいるからだということに気がつきました。特にあの時代、蒸機が走っていた
環境には鉄筋コンクリートの建物も少なかったので、なおのことモノクロで撮ると絵になることが
多いようです。ホームに進入する旅客列車を反対側のホームから撮る場合も、これから乗ろうと
する乗客が写っている1枚前のほうがずっといいと感じます。
もっとも40年以上も前の写真なので、あの時代を懐かしむ気持ちが強いのでなおさらそうなるの
かも知れませんが、鉄道とは本当に地域の生活に密着した交通機関だということを改めて感じ
ました。

2011.07.09 【スキャニング終了し編集作業へ】
スキャニングはなんとか6月下旬に終了し、その後はフォトショップで少しずつ編集をしています。
2ヵ月半くらいで10000枚以上スキャンしました。
コマによってゴミの数が全く違い、ゴミ取り作業は短いもので1分以下、長いと20分以上かかります。
しかし引伸ばしでは、時間もかかり結果もとても満足できなかった(素人にはとても難しかった)
スポッティングしか方法がなかったことに比べれば楽なものです。

2011.05.20 【スキャニングについて】
延々とスキャニングを続けています。今年は真夏でもエアコンは使いたくないので、6月の早いうち
にスキャンだけは終わらせたいと進めています。
フィルムスキャナはもう入手できないので、フラットベッドタイプでエプソンの「GT-X970」をこの
ために購入して使用しています。最初の設定で種々条件を変えてテストしましたが、性能は十分
満足できるもので設定条件はすぐに決まりました。
かつての銀塩の引伸ばしでは表現できなかった細かい階調が簡単に、きれいにモニタ上に映し
出されます。引伸ばしは費用がかなりかかるし、湿式なので作業も大変でしたが、これはランニング
の費用が全くかからずにできてしまうのでデジタル技術の進歩は大したものです。特にたわみの
あるフィルムで、取り込み後に大きく拡大しても周辺部まできれいにピントが合っているのは驚き
です。昔の引伸ばし機では、ネガを上下からガラス板で挟んで平坦を出していましたが、この
スキャナのホルダでは6コマ分で1枚のストリップを周辺で押さえているだけなのでフィルムは
たわんだままスキャンされています。光学でいうところの被写界深度が深いからなのか、デジタル
処理ソフトの効果なのか分かりませんが、結果がよいので気にせずに進めています。
ちなみに、このスキャナは35mmフィルムなら4本のストリップ(24枚相当)を一度にスキャンできる
ので、私は殆んど選択せずに基本的に全てのコマを取り込んでいます。

2011.05.01 【Webサイト「蒸気機関車がいた時代」を開設しました】よろしくお願いいたします。

学生時代からの鉄道写真仲間が、時間が出来たせいか昨年から続々とWebサイトを作り懐かしい
あの時代の写真をアップしはじめました。
驚いたのは、かつて銀塩で見せてもらった記憶がある写真が、モニタ上に見事な仕上りでよみ
がえっていることです。これには大いに刺激を受けて、昨秋頃から実家のかびくさい戸棚の中に
ある当時のネガを引っ張り出してどんな状態なのかチェックしたところ、思いのほかによい状態で
残っていました。一部にベコベコに変形したり、定着不足の変色があったりしましたが、殆んどが
問題なく使えそうで、その気になったというのが実情です。

(ネガは6×6版を含め450本ほどで12000枚くらい、期間は昭和37年8月から昭和47年3月まで)
今年になってからネガの詳細なチェックを始めました。すると意外にも引伸ばしをしていないそこ
そこの写真がたくさんあることに気がつきました。40年以上経って当時を懐かしむ気持ちで見て
いるので割引きする必要があるかも知れません。当時はこの路線の蒸気機関車はいつまでに
なくなりそうだという追われるような気持ちもあり、また当然ながらお金の余裕などあるはずもなく
引伸ばしするお金があったらそれで次の撮影旅行に行くということの繰り返しだったのでそのような
ことが起きたのだと思います。
今回スキャニングしながら、ベタ焼きさえもしていない写真を初めて
ポジ状態で見ながら、当時のことを久々に思い出しています。

2011.04.30 【2011年3月11日 「東日本大震災」】
大地震、そして想像を絶する大津波による信じられないほどの被害、さらには未だ収束の見通しも
立たず、被害の大きさも見通せない原発の大事故。言葉もありません。

お亡くなりになったj方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された地域の皆様に心よりお見舞い
申し上げます。