堀越 庸夫
いろいろ
2019.10.29 写真集地方私鉄 1960年代の回想」が島秀雄記念 優秀著作賞を受賞!】
 昨年この「いろいろ」でご紹介しました「地方私鉄 1960年代の回想」が高い評価を
受け素晴らしい賞をいただいたようです。
鉄道友の会HPはこちら
https://www.jrc.gr.jp/award/cyosaku

   
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2019.10.15 【深夜の音威子府駅】
 「宗谷路のC55 その3 音威子府-稚内 昭和46年」をアップしました。
 深夜の音威子府駅、下り「利尻」の到着は3:13で接続する天北線の始発721Dは3:
47発でした。3時台の始発は他に見当たらず、この未明の接続は妙な感じがしました。
 後年調べたところ天北線の方が今の本線より歴史的に古く、稚内まで全通した大正11
年当時の宗谷本線は天北線の方だったということを知りました。なるほど本線からローカ
ル線に格下げになってしまった天北線沿線に旧来の利便性をある程度確保するためのダイ
ヤのようです。接続時間は30分ほどでしたが「利尻」からたくさんの荷物を天北線始発の
721Dのキハユニに移す作業があり、それも配慮された接続時間になっていたようです。
 ちなみに上り「利尻」は音威子府23:38発ですが、天北線の上り最終列車は音威子府着
が23:29とこちらはピッタリの接続で貨物は別にして文化の流れは下りが太かったことが
よく分かります。

2019.09.01 【C62添乗
 9/1アップの「函館本線 急客ていね・ニセコ その3」にC62重連の本務機に添乗
した際の写真を掲載しました。
以下に「国鉄時代」39号に掲載した「重連の行路」から転載します。

 1回だけ許可をいただき重連の本務機に添乗したことがある。通票も制動も信号確認も
前補機が扱うので本務機はいかに協調して総合力を発揮するかということなのだろうが、
とにかく重連協調運転の格好よさにしびれた。発車は長緩汽笛二声、息を合せて空転を
起さないように慎重かつ思い切りよく加速しなければならない。そして駅が近づくと分岐
器の速度制限のための減速。「ボーー、ボッ、ボッ」という絶気合図が聞こえると2
ともにレギュレータを戻し、間もなく平坦になる。そして前補機が扱う制動の響き、山間
の小さな駅の分岐を制限速度いっぱいで激しい走行音を蹴立てて通過、その際の横方向の
加速度が半端ではなく何かに掴まっていないと弾き飛ばされそうになる。制限解除で再び
短急汽笛二声、機関士は腰を浮かせて重い加減弁を引き力強く加速する。力行中は機関車
の振動とブラスト音、走行音、自動給炭機と重油併燃装置の音が相まって運転室は轟音に
包まれる。日没寸前、上目名手前の隧道に入った時の音はすさまじかった。真冬なのに
急に熱気が襲ってくる、シンダーがバラバラバラと音を立てて大量に降り注ぎ、運転室に
猛烈に入って来る煙で目を開けていられない。上目名を過ぎてからは急坂もなく、漆黒の
闇の中をすさまじい勢いで疾走する。あまりの迫力に、倶知安に着いた時は御礼を言うの
が精一杯で写真を撮ることも出来ず呆然とC62の発車を見送ったこと今でも思い出す。


2019.07.19 【「ひるのいこい」
 撮影のために列車を待っているときに、NHKラジオの「ひるのいこい」のテーマ曲が
風に乗って聞こえてくることがよくありました。農家の庭先から、または田畑でお昼を
とる人々のラジオからなんとも懐かしい感じがするテーマ曲が聞こえてきます。
 そして「○○県○○郡○○町にお住まいの××さんからのお便りです。」と続き季節の
話題、日々の生活の何気ない観察などが紹介されます。

 この番組(http://www.nhk.or.jp/r1/hirunoikoi/)が前身の「農家のいこい」放送
開始から今年70周年を迎えたそうですが、私も今年ちょうど古希を迎えましたのでさらに
親近感を覚えました。
 今でもこの曲が聴きたくて、この時間(12:20~12:30)だけラジオを聞いています。
 この曲を聴くと様々な旅先での景色、情景が懐かしさとともに思い出されます。

クリックするとテーマ曲が流れます!
http://www.youtube.com/watch?v=9QLuvzjLlQo
作曲:古関裕而

                                                     
2019.07.15 【「日本奥地紀行」】
 「米坂線 晩秋から初冬へ その3 手ノ子」をアップしました。
 イザベラ・バードの「日本奥地紀行」という本を読んだことがあります。
 この47歳の英国人女性旅行家は、明治11年の春から夏にかけて通訳兼従者一人と東北
から北海道へ旅行しました。そのルートが驚くべきもので、前半だけでも鹿沼から例幣使
街道で今市へ、日光でしばらく滞在した後いよいよ‘奥地’へと旅立ちます。そして会津西
街道(現在のR121)で鬼怒川、五十里、山王峠を越えて北上し会津田島(会津線)、
大内、会津坂下(只見線)、野沢、野尻、津川(磐越西線)、ここから川船で新潟へ。
 さらに越後下関、小国、手ノ子と鉄道ファンの行きたいところをまさに先取りしている
ことに驚きました。当時の東北地方は、旅行者にとっては情報もなく殆んど未知の土地
でしたが、春から梅雨を挟んで夏という時期にノミ、シラミ、蚊の大群に悩まされ、
住民の好奇の目にさらされ、食事で苦労しつつ馬と徒歩で旅を続けました。
 米坂線の沿線に関する部分は「十三峠(じゅうさんとうげ)越え」として記述され、
13の峠の名前の12番目に「宇津」とあります。バードは雨にたたられ苦労しながらこの
区間を抜け、当時から重要な宿駅だった手ノ子の茶屋で受けた親切に「心をひどく打た
れるものがあった」と最大級の賛辞を送る逸話がありました。
 そして最後の諏訪峠を下ったバードは、米沢盆地(置賜盆地)の広やかさとよく手入れ
された田園、民家、そこで暮らす人々の生活ぶりなどを見て「東洋のアルカディア」と
まで言っており、それを読んでなんだか嬉しくなった覚えがあります。

2019.04.01 【「筑豊の夏」】
「筑豊の夏」をアップしました。
 私の頭の中の筑豊には若松-飯塚までの筑豊線、後藤寺線、伊田線、田川線を通り行橋
までが入っています。直方、飯塚を中心に見れば石炭列車、ボタ山がすぐ目に浮かび
ますが、田川の中心である後藤寺、伊田を中心に考えれば石炭と石灰が両雄であり香春
岳という全山石灰岩の山もあります。田川線、日豊本線の貨物支線を通り苅田港へは
石炭と石灰の両方を運ぶ列車がたくさん走っていました。日田彦山線では、中央部分の
添田から平尾台の石灰搬出の石原町まであたりが域内でしょうか。
 筑豊の「筑」は筑前国の「筑」、「豊」は豊前国の「豊」であることを思い出せば、
この筑豊の領域は外れていないかもしれません。

2019.02.05 【北海道の峠】
 今冬は北海道の天気が荒れることが多いようです。
毎年冬になると、どうしても気になって「北の道ナビ」の峠情報でライブカメラの画像を
見ています。
 必ず見るのは狩勝峠と石北峠です。

2018.12.16 【「鹿児島本線 田原坂」の頃】
 昨日、新シリーズで「鹿児島本線 田原坂」をアップしました。
 昭和39年12月25日の10時半頃から15時頃までの撮影で、すでに54年も前のことです。
 手元に当時の時刻表があります。鹿児島本線下りは237ページから243ページの途中
まで6ページ半もあります。
 区間が門司港から八代までなので博多を通り長崎本線分岐の鳥栖までの本数が127本も
ありますが、田原坂で見ると通過を含め33本と大きく減り、そのうち普通列車は13本
です。
ちなみに優等列車20本(内太字は蒸機牽引)は
・新大阪発西鹿児島行き急行「しろやま
(熊本着5:17)
・東京発西鹿児島行き急行「桜島
(熊本着8:27)
・東京発鹿児島行き急行「霧島
(熊本着9:20)
・門司港発別府行き準急「第2火の山」
(熊本着9:31)
・新大阪発熊本行き急行「ひのくに
(熊本着10:20)
・博多発山川行き準急「第一かいもん」
(熊本着10:37)
・博多発宮崎・西鹿児島行き準急「第1えびの」
(熊本着10:50)
・京都発熊本行き急行「天草
(熊本着11:51)
・大阪発西鹿児島行き臨時急行「第2桜島
熊本着12:06)
・名古屋発熊本行き急行「阿蘇
(熊本着13:07)
・東京発熊本行き特急「みずほ
(熊本着13:23)
・東京発西鹿児島行き特急「はやぶさ
(熊本着13:53)
・大分発別府行き準急「ひまわり」
(熊本着14:11)
・博多発宮崎行き準急「第2えびの」
(熊本着14:59)
・門司港発人吉行き準急「くまがわ」
(熊本着16:29)
・博多発西鹿児島行き準急「第2かいもん」
(熊本着17:05)
・宮崎発西鹿児島行き急行「フェニックス」
(熊本着18:08)
・新大阪発熊本行き特急「みどり」
(熊本着21:35)
・博多発熊本行き準急「有明」
(熊本着22:22)
・名古屋発鹿児島行き急行「さつま
(熊本着1:20)
気動車の準急
(キハ55系が多かった)も活躍しており、なかなかの活況です。

2018.11.17 【山岳ドライブに行ってきました】

高ボッチ山から諏訪湖越しに富士山を遠望。左は八ヶ岳、右は南アルプス。

御岳ロープウェイから乗鞍岳を遠望。

翌朝は鈴蘭高原から御岳を望む。
標高3000mを超える山が日本には21座あるそうですが、天候に恵まれ15座ほど確認でき
ました。

2018.10.04 地方私鉄 1960年代の回想」の 写真展に行ってきました。

 初日の10/3の夕方に行きましたが、会場はたくさんの人で賑わっていました。
 改めて感じたのは「写真集」と「写真展」はこれほど違うものなのかということです。
 展示は最大が全倍に近いサイズで40枚以上あり、そのうちなんと17枚が写真集に載って
いない作品でとても見応えがありました。
 「写真集」では、写真が大きさの違いを含め念入りに考慮されたうえで配列され各私鉄
ごとのまとまりが重視されるので、いくらいい写真でも単発では使いようがありません。
 それに対し「写真展」では、私鉄単位にこだわる必要がないので、写真の選択も自由で
目を見張るような新鮮さがありました。

2018.09.17
地方私鉄 1960年代の回想」の 写真展が開催されます。
風間さんは、ご自身のブログで「毎日会場に立合います」と書いています。

10/3
(水)~10/15(月) 10:30~18:30 ※10/9(火曜)は休館

リコーイメージングスクエア新宿 ギャラリーⅠ


2018.09.15
【本サイト「新シリーズ」へ】
 本サイト「蒸気機関車がいた時代」は2011年5月1日に開設され、年間24回更新を繰り
返し7年を越えています。スキャン画像は4500枚ほどありますが、そろそろ初出画像一巡
が近くなりました。
 そこで、本9/15アップの「中央西線 贄川から鳥居峠へ」から再編集し「新シリーズ」
として継続することにしました。
 しばらくは「新シリーズ」が混在することになります。今後ともよろしくお願いいたし
ます。

 
2018.08.25
写真集地方私鉄 1960年代の回想」は色々なことを感じさせます】
 改めて上下巻を通しで眺めようとするが、途中で何十回も手が止まり先に進まない。
 あの当時の地方の様子をこれほど見事に活写した写真集はこれまでになかった。
 巻末の座談会で、オリンパスペンの話が出てくる。宮本常一がオリンパスペンで膨大な
量の写真を残していることに触れているが、確かにこのお二人の写真には共通するところ
があると感じる。
 それは、被写体であるその地域の人々、生活、文化などに対する尋常ならざる敬意の
こもった優しさであり、視線の温かさであろう。この写真集を鉄道写真集のくくりに入れ
てよいのかとさえ思う。
 そして気になることがある。オリンパスペンで模型の参考になるような車輛写真を撮り
ながら、もう1台のフジカ35EEで著者の主題でもある「日本の風情」を撮ることは容易
ではないはずだ。
 頭の切り替え、気持ちの切り替えが簡単にできるとは、とても思えない。
 それを難なくこなし、名作と言える多くの写真を残している著者のハイブリッド撮影に
驚くばかりだ。
 さらに望遠レンズを使わなかったことが、結果的に著者の感性と合い、よい結果につな
がったのかもしれない。写真は撮影者が強調したいものを主体に、余計なものはカット
したほうが見栄えがすると思っていた。望遠レンズを手にすると、視野が狭く背景もボケ
やすいので画面構成的にはシンプルになり、分かりやすく撮りやすいような気になり濫用
につながる危険がある。
 反対に焦点距離45mmはやや広角気味で、街中で撮ればいろいろなものが写りこみ情報
満載の画面になる。それが雑然とした印象につながることもしばしばだが、この写真集の
見開きの多くの名作を見ていると、一歩踏み込んで何が画角に入っているか、完全に把握
した上でシャッターを押しているように感じる。
 平成の終わりも近いこの時代に、これほど充実した半世紀前の時代を表現した写真集が
刊行されるとは本当に驚いた。当時の著者には、「地方私鉄」の神様がついていたのかも
しれない。

2018.08.20
「熊本市交通局」
「雨の熊本」
昭和42年3月4、6日
 最初のタテ1枚、アーケード内から「健軍町」電停停車中の電車を見ている。手前には
買い物客のものと思われる、懐かしいホンダスーパーカブと数台の自転車が停めてある。
 そしてダイハツミゼットが走る、思いのほか空いている幹線道路(調べたらこの日は
土曜日)、熊本駅前、ここでも雨で光る路面が効果的だ。
 見開きは妙な迫力が感じられる写真だ。画面左側には電車から降りたばかりの5、6
人の雨傘を差した後ろ姿、そして真ん中に向こう側へ進む発車したばかりの電車。画面の
右側にはこれから来る電車を待つ5人ほどの傘を差した客。画面奥は道路に面した大きく
古風な「イカリソース」「ヤマサ醤油」のカンバンを掲げた中山商店。その隣は両側に
卯建(うだつ)をあげた見慣れない造りの「長崎書店」。画面左奥側は大きな商店街の
ようにもに見える。写っている傘を差した人々はほとんどが女性だ。夕方の買い物時間帯
なのだろうか。
 単純な交差点ではないようなので、ネット地図で調べてみたところ、今でもこの写真と
符合する構造であることが分かった。道路は直角交叉の四叉路だが、この「新町」電停は
ちょうど90度で交わる道路の間から、専用軌道から道路に乗り入れるところにある。
 なるほど、舗装路面なのに画面下に小砂利が散らばっているように見える理由はこれ
だった。
 なぜ「新町」電停の表示がついている電柱がこれほど傾いているのか、ちょっと気に
なる。


2018.08.12
「北辺の機関車たち」トークイベントを行います。
 8/17~8/19に東京ビッグサイトで開催される「第19回国際鉄道模型コンベンション」
にて、「北辺の機関車たち」をテーマに、8/19(日)12時からトークイベントを行い
ます。
2018.08.20
 250人以上の方に聴いていただきました。ありがとうございました。
 またコンベンション全体としては昨年を大きく上回り、2万人以上の入場者数があった
ようです。

2018.08.10 「井笠鉄道」
「早春の陽光」
 笠岡の駅を出て、民家の軒下をかすめるように軽便の列車が進む。1軒の家は線路に
あまりにも近いので、列車との干渉を避けるために屋根の一部を切り欠いている。
 そして腕木式の場内信号機の向こうには、「東宝・大映封切館」のカンバンがある
映画館。「雁」(出演:若尾文子・山本学)、「3匹の狸」(出演:伴淳三郎・小沢正一
・星由里子)「大魔神 怒る」などのカンバンが見える。
 自分がここにいたら画面に入らないようにしたと思われる様々なものが雑然と写って
いる。
 著者の面目躍如といえそうな写真だ。線路沿いの細い道路脇には「ホルモン中華料理」
のカンバンも見える。ここを抜けると一気に軽便ムード溢れる田園地帯になるが、笠岡駅
周辺の写真の印象が強く残る。

2018.08.07 「西大寺鉄道」
「3フィートゲージの軽便鉄道」 
昭和37年7月29日
 ここの気動車はバケット付きが多く、自転車を乗せている姿を見るといかにも軽便風で
楽しくなる。
 財田駅の交換風景。駅員さんが3人写っているが、夏の白い制服で帽子にも夏カバーが
かかり、この鉄道の誇りと矜持が表現されている。この鉄道は本邦唯一の軌間ということ
もあるのだろうが、車輛の統一感もあり全体に格調高く、昭和初期の写真といっても通用
しそうに見える。
 見開きの広谷駅、単行の気動車のバケットに自転車が乗っているのがなんとも嬉しい。
 線路は雑草に埋もれそうだ。民家のような渋い駅舎とホームの客たち。壊れかけたよう
な小屋は資材置き場だろうか。周辺は田園地帯で、画面には夏の昼間の強い日が差し、
草いきれが匂い立つようだ。

2018.08.04 「淡路交通」
「島の電車」 
昭和40年8月2~3日
 著者がタマゴ型と呼ぶ、元南海電鉄の前面曲面5枚窓の古風な木造電車がなんとも好ま
しい。
 見開きは、宇山駅に2輌編成の電車が着いたところ。洲本の島祭りの日で、何組もの
家族連れが電車に乗ろうとしている場面。構内は手入れが追いつかないようで雑草が伸び
放題。ホームの塗り壁はボロボロ剥がれ落ちているが、これから祭りに向かう人々の華や
ぎと夏の強い日差しが勝り、オーソドックスな構図ながら印象深い写真となっている。

2018.07.30 「南海和歌山軌道線」
「朝の東和歌山駅前」 
昭和39年7月10日
 見開きの1枚が際立つ。朝の東和歌山駅前、新和歌浦・紀三井寺・海南方面行きの折り
返し電車乗り場は白い夏姿の男女高校生で溢れ、彼らの元気な話し声がうなる様に聞こ
えてくる。古びた鉄道弘済會の建物、ひび割れた舗装路、そしてボンネットバスがよく
似合う。「手荷物預り・御進物用和洋菓子 ○村商店」「旅館 寿楽」「ホテル たちば
な」「紀州みかん 俵屋」「南海電鉄バスツアー 能登半島・志賀高原・伊豆修善寺」
「ねずみ退治 デスモア 人畜無害」の雑然としたカンバン群も、つい一枚一枚読んで
しまう。
 少し引いて眺めると、「和歌山の夏」三部作の1枚でもあるかのようで、地元新聞社
カメラマンの作品のようにも見える写真だ。

2018.07.27 「江若鉄道」
「秋の琵琶湖畔」 
昭和44年10月19日
 見開きの2枚。朝もやが晴れつつある秋冷の朝、斜光線が琵琶湖畔を行く気動車を際立
たせる。この写真集は晴れの日の写真がかなり少ないが、この見開き2枚は快晴だが朝
もやが残る運が良くないと撮れない写真だ。そして「比叡山ケーブル当駅下車」の大きな
標識がそそり立つ日吉駅に到着する2連の気動車、たくさんの行楽客が気持ちのいい秋
の日に憩う。そして気になる写真がある。
 「三井寺下駅」は名刹三井寺最寄り駅だろうが、とにかく駅前広場に向けてついている
駅名板がどうにも不釣り合いなほど大きい。何か理由がありそうな気がする。これは妄想
だが、たとえば以前はもっと大きな駅舎だったが、何らかの理由で建て替えられ駅舎は
小さくなったが看板をそのまま流用したとか。
 この写真集は観る人を刺激する写真がとても多い。

2018.07.23 「北陸鉄道加南線」
「加賀温泉郷行き電車」 
昭和39年12月29日
 ここもまた雨で、ホーム、道路が光っている。川南駅ホームの雨傘を差す乗降客。山中
温泉駅前、山代温泉駅前の建物、看板、車、心惹かれる情景が展開している。そして見開
き写真がとてもいい。田園の中を単行の電車が走っている。晴れか普通の曇天であれば、
「のどかな風景の中を行く電車」でまとまってしまうところだが、これは違う。冬の北陸
地方、鉛色の厚い雲が微妙なグラデーションで垂れ込めている。その向こう、遠くの空
だけが明るく晴れ、霊峰白山の山並みが神々しく輝いている。
 特別な印象を受ける写真だ。

2018.07.18 「北陸鉄道金石線」
「駅裏から出ていた小私鉄」 
昭和39年12月31日
 大晦日の北陸だが雪ではなく小雨が降っている。並走する金石(かないわ)街道の舗装
路面が濡れ光っている。まっすぐ伸びるガラガラに空いた街道に並走する線路を1輌の電
車が行く。
 そしてページをめくった瞬間にギョッとする見開き写真が現れる。
 街中が近いようで道路、軌道の両側には建物が続いている。民家の塀越しに雪吊りを
している庭木が見える。1輌の汚れた電車がこちらに来るが、その電車よりもずっと大き
く道路脇、線路に接するように駐車しているクライスラーダッジが画面の半分に大きく
写っている。この写真の主役はダッジ車(更に道路側には、絶妙のタイミングで現れた、
ダッジ車をよける様に歩いている傘を差した下駄履き着物姿のおばさんの後ろ姿が写って
いる。そういえば花巻電鉄のタテ写真でも、先を急ぐ勤め人が偶然画面左に飛び込んで
きたように見える写真がある。著者は運をも味方にする能力があるのかも)だが、著者は
どういう気持ちでこの構図で撮ったのだろうか。
 このダッジ車は、今見ればクラシックカーで古びた電車に似合うが、当時はそうでは
ない。わざわざダッジ車をこれほど大きく配置したわけを聞いてみたい。著者の考える
一般的な「日本の風情」とは異なると思われるが、このインパクトがある写真があること
によって、この写真集に「立体感」が出たような気がする。

2018.07.12 「北陸鉄道能登線」
「夏の能登海岸
」 昭和37年8月2日
 国鉄七尾線から接続する羽咋駅。立派な跨線橋があるが、能登線の駅員が国鉄からの
荷物を線路を渡り、能登線のホームに運んでいる。ホーム屋根の上には、国鉄ホーム側に
向けてカンバンが上がっている。「一の宮 柴垣 高浜 三明 富来 門前 行のりば」
とある。屋根の下には、「柴垣海水浴場 キャンプ村」と読めるカンバンがある。ホーム
には発車を待つ1輌の気動車、ベンチには、ハンカチで汗を拭くおばさんが座っている。
 見開きは、よく晴れた夏の日、松林からバケットがついた古風な気動車が顔を出す。
 画面奥には広く美しい砂浜と海、そして集落があるが、人影が全くなく画面からはかす
かな波音とエンジン音だけが聞こえてくる。

2018.07.08 「頚城鉄道」
「くびき野に消えた軽便」
 「ホジに揺られて」の車内風景に驚いた。単行運転だが、なんと男性の車掌さんが
乗っている。さらに車室に大きく出っ張ったエンジン室のカバーが大きな箱状になって
おり、そこにおばあさんが慣れた様子で座っている。そして見開きは印象的なカットだ。
 草むした土のホームで赤子を背負った近所のおばさんが筵の上に豆のようなものを干し
ている。小さな子供が2人、お手伝いをしている。カーブの先には今発車したばかりの
ホジが森の中に消えていく。秋の日の午後、穏やかな時間が流れている。この1枚が「く
びき野に消えた軽便」を代表する印象的な写真になっているが、著者はこの列車に乗って
きたのか、それともこの駅で到着を待っていたのかが気になる。待っていたとしたら、
この写真の前のカットも是非観てみたい。

2018.07.04 「新潟交通」
「昭和の街並みと電車」 
昭和43年8月17~18日
 「地方私鉄」を特に感じさせる写真がある。一つは田畑の中の専用軌道をステップの
低い路面電車が走る姿、もう一つは反対に腰高の普通の電車が舗装した併用軌道を脇に
車を従えて走る姿。この新潟交通は後者の方だ。立派な建物の県庁に電車が横付けされ、
その脇を懐かしいスバル360、410ブルーバードなど時代を感じさせる車が走る。
 そして、見開きは歩道橋から併用軌道を見下ろしたと思われる写真。この写真は雨上が
りのようで傘を差している人といない人が見える。アスファルト路面が光り画面を引き
立ててとてもいい感じになっている。道路中央に単線の軌道線、その両側の道路車線は
どちらもバスが1台でギリギリの幅だ。くすんだ羽目板の民家が両側に続く。この位置
から見下ろすと普通の民家のように見えるがカンバンがたくさん見える。「焼鳥・餃子
 とん」「丸末時計店」「マルマンライター」「北村商店」「○○印章店」「ゼネラル
カラーテレビ」「ブラザーミシン」「ドライクリーニング」「資生堂化粧品」「北越
銀行」。新潟県庁から停留所一つ離れていない地点のようだが、まだまだ懐かしい地方の
景観が残されている。

 2018.06.27 「遠州鉄道奥山線」
「消えた里山と軽便」
 見開きの写真が素晴らしい。車輛はいないが、丸いバスの後ろ姿が強い印象を残す。
 「となりのトトロ」のネコバスがうずくまっているような気がする何とも不思議な写真
だ。このカットの前後の写真も是非観たい。列車はどちらからきてどちらに去ったのか。
 そもそも著者はその列車に乗ってきたのか、それともこの砂利道の踏切で待っていた
のか。降車したように見える4人連れは線路を向こうに歩いていくのか。ネコバスはこの
停留所と呼ぶのがふさわしいような小さな駅で、列車との接続のために待っていたのか。
 キャプションからは廃線後に備えて並走するこの街道をバスすでに走り始めていたと
いう記述があるが、様々なことが気になる。

2018.06.22 「静岡鉄道駿遠線」
「駿河と遠州を結んだ巨大軽便」
 東海道本線に接続し、これほどの長さの軽便鉄道が1970年まであったことに今更ながら
驚く。最初のタテ写真、合造車のロングシートに正座で座るおばさん、その向こうに今日
の売り上げの束ねたお札を数えているおばさん。この場面に遭遇してもアマチュアには
とても撮れそうもない瞬間だ。二人とももんぺ姿で、大きな風呂敷で包んだ荷物をシート
に乗せている。岡崎の町に朝早くの列車で地元産品を売りに行き、帰りは地元へ別の商品
を持って戻るようだ。
 広大な河川敷を持つ大井川を渡る橋は、細い木材を組み合わせた造りのようで頼りなく
見える。その木橋を、下校する高校生をたくさん乗せた個性的な形の3輌のボギー車が
ゆっくりと渡る。

2018.06.17 「松本電鉄浅間線」
「浅間温泉行き電車」 
昭和38年7月20日
 北杜夫の「ドクトルマンボウ青春記」で初めてその名前を知った浅間温泉。本の中に
学友と電車に乗って浅間温泉に行く話があったが、実際にどんな電車が走っていたのかは
全く知らなかった。
 最初のタテ写真。夏空の下、松本駅前通りを行くビューゲルの古色蒼然たる木造路面電
車とその後ろに続くボンネットバス、この写真で一気に惹きこまれる。
 「学校前の急カーブ」を曲がる電車からはギシギシと音を聞こえるようだ。街中の「電
車通り」と呼ばれていたらしい結構な幅の併用軌道の道路が未舗装なのが時代を感じさせ
る。専用線に入り、車庫のある横田駅での上下交換風景。浅間温泉近くの広々とした田ん
ぼと後ろの山並み、そこを走るビューゲルの路面電車との取り合わせが印象に残る。
 特に見開きの写真がシブく秀逸だ。森の中のように見える中浅間駅に夏の朝の斜光線が
差し込んでいる。ホームもある専用線に路面電車が到着し、10人ほどの乗降客がシルエッ
トで浮かぶ。近くにトトロの森がありそうな気がしてくる。
 ちなみに、「学校前」停留所の「学校」とは北杜夫が通っていた旧制松本高校(現信州
大学)のようだ。

2018.06.10 「上田丸子電鉄」
「信州上田 夏の日の思い出」 
昭和45年8月15~17日
 この路線は私も撮ったことがあるが、スキャン画像を見ると出来具合には大きな差が
ある。著者とは異なりなるべく人が画面に入らないように撮っているようで、生活感が
ない写真ばかりになってしまった
 真田傍陽線、別所線、どちらの沿線も山村風景が展開し、単行の電車がよく似合う。
 まず最初の、信越本線のホームから見た別所温泉行きホームの賑やかな様子、そして乗
換案内と履物屋さんの大きな宣伝看板が当時の雰囲気を伝えてくれる。そして木造の「電
車のりば」と書かれた大きな屋根を乗せた電鉄上田駅の姿。さらに見開きが強い印象を
残す。夏の電鉄上田駅、お盆の帰省だろうか古風な駅建屋内の家族連れのシルエット写真
が素晴らしい。家族の弾んだ話し声が聞こえてくるようだ。

2018.06.05 「日本硫黄沼尻鉄道」
「正月の沼尻」 
昭和39年1月2,3日
 著者が「ドロ軌道」と呼ぶ泥道と軌道線が一緒に走る情景が次々に展開する。
 もとは終点沼尻鉱山の硫黄を積み出すためにできた鉄道だが、終点にはスキー場もあり
沿線にはいくつもの集落があったので、客車やガソリンカーなどもあり典型的な軽便鉄道
といえそうだ。
 「正月の賑わい」のページ。オープンデッキに鈴なりの客を乗せた列車。寒いはずだが
明るく弾んだ話し声が聞こえてくるようだ。会津樋ノ口で途中増結の古典客車を押す駅員
と子供たち。ホームのない途中駅でいきなり道路に降りる何人もの客。客車内の火鉢。
 ここには、まさに軽便鉄道のエキスが詰まっている。写真のほとんどは雪が融けて泥だ
らけの印象がある。「泥んこの川桁」というページがあるほどで、その景観がまた懐かし
さを呼び起こす。昔は国鉄の駅前でさえ未舗装があたりまえだった。
 この写真集を観ていると路面が泥だらけで水たまりがあちらこちらにある、泥はなくて
も路面・軌道が濡れているという写真がかなり多いことに気がついた。下巻までをざっと
見ると、半分近くの鉄道でそのような写真がある。だが晴れてほこりだらけよりもよさそ
うだ。雨に濡れると普段はくすんでいる枕木、道床の砂利までが光を帯び輝き始め、独特
の雰囲気が醸しだされる。水たまりがあればさらにいい。
 著者は雨男なのだろうか、ちょっと気になる。

2018.05.26 「福島交通軌道線」
「大晦日の賑わい」 
昭和41年12月31日
 大晦日という特別な日ではあるが、これほど密度の高い写真群がたったの一日で撮られ
たものとは信じがたいほどだ。
 いきなりの見開きのインパクトは強烈だ。まるで社会派カメラマンの作品のように力強い。
画面中央にはかなり汚れた2輌編成の軌道線電車がいる。そして狭い交差点を急カーブで
曲がる軌道があり、その手前に道路を渡る笑顔を浮かべた白杖の紳士がまず目に飛び
込んでくる。後ろには子供を交えた買い物客が何人もいる。泥だらけで舗装か未舗装かも
判然としない道路と軌道。電車の向こうには懐かしいオート三輪車が電車をよけるように
ハンドルを切っている。その手前には小さな男の子が若い父親に手を引かれ楽しそうに歩
いている後ろ姿。大晦日の賑わい、新年を迎えようとする華やぎが画面から溢れんばかり
に感じられ、上巻の中でも屈指の写真かもしれない。
 さらに人と車と電車が交錯する長岡分岐点。荷物満載の大八車、ぬかるんだ路面と電車
が写る保原。さらに、木造のさいわい橋を渡る見開き写真も素晴らしいが、これは表紙・
裏表紙の折り返しカバーに使われている同じさいわい橋の写真がさらに上回るようだ。

2018.05.19 「羽後交通雄勝線」
「西馬音内のポール電車」 
昭和39年8月5、6日
 西馬音内
(にしもない)から「西」を取った馬音内(もない)という地名がないようなので、
「にしもない」そのものがアイヌ語由来かもしれない。旧盆の時期に行われる「西馬音内
の盆踊り」をかなり昔にテレビで見たことがある。全国放送されるということは永い伝統
に支えられた盆踊りのはずで、湯沢から鉄道が敷かれるだけのわけが西馬音内という土地
にあったのだろう。
 ポール電車、ダブルルーフの木造客車、オープンデッキ・・・ここは特に車輛がいい。
 羽後三輪駅の、夏の強い西日を浴びた交換風景。画面からさざめく乗降客の声が聞こえ
てくるようで、旧盆の祭りの季節の華やぎが感じられる。
 タテ1枚の湯沢駅前通り七夕祭りの街の賑わい、大きな笹そのままの素朴な飾りつけ、
菅笠を被った行商のおばさんたち、自転車の人々、たくさんの看板。「パン・洋菓子」、
「お食事・喫茶の甘から屋」、「氷」の旗、「千葉はきもの店」、祭りを前に、街中の
浮き立つような活気が見事に写し出されている。電車も線路も写っていないが、この写真
があることでこの章がさらに引き締まっているようだ。
 最後の見開き。手前に田んぼ、遠くの山は靄っている。画面から夏の朝の空気の重さが
感じられる。そこをポール電車とデッキまで開け放ったダブルルーフの客車の2輌が、
たくさんの客を乗せ湯沢へ向かってのんびりと走っている。画面の右にはアカマツだろう
か、形のよい大きな木が画面を引き締めており、じっと見入ってしまう写真だ。

2018.05.10 「仙北鉄道」
「穀倉地帯を行く軽便の活気」
 駅構内も大きく、列車の編成も長く乗客も貨物も多い。全体に軽便のイメージとは異な
る活気がある。夏休みのせいか子供たちも多く、たくさんの客が小さな車輛を乗り降り
し、にぎやかな声が聞こえてくる。
 瀬峰駅の軽便ホームでは、レールを跨いで発車を待つ代行?バスが不思議な光景。築館
につながる路線が廃止となって廃線跡に砂利土を敷き、バスが走っている。
 夏の白く乾いた砂利道。おばあさんが、雨よけなのかトタン板で荷を覆ったリアカーを
引き、それを二人の男子中学生が押している。昔見たような既視感がある。
 もっと大きい画面で見たかったのは米谷駅舎全景。キャプションには「駅入口の郵便
ポスト、夏休みの女の子、ベンチに休む客、たばこの看板、アイスクリームのボックス、
小さな売店。ジオラマの小道具のようだ。」とある。軽便鉄道は駅舎、周辺も小ぶりな
ものが多いが、この駅は広い未舗装の駅前広場に接続のバスがのんびりと待っており、
懐かしい様々な情景が散りばめられている。

2018.05.05 「山形交通 高畠線」
「七ヶ宿街道 二井宿まで走っていた頃」
 昭和41年3月6日
 糠の目駅で国鉄の列車を待つ1輌の電車。ホームを歩いているのはモミの木のような
きれいなシルエットの防寒マントの客。宮沢賢治の世界が頭に浮かぶようだ。
 さらにぬかるんだでこぼこの街道と煙り出しのついた大きな茅葺きの民家、そして終点
二井宿駅のひっそりとした雰囲気もとてもいい。
 そして見開きは、右ページを今にも雪が舞ってきそうな曇天の山が迫るところを、1輌
の電車がやってくる。左ページやや離れた民家には乾きそうもない洗濯物が干してある。
 その真ん中に「山形縣指定 清水前古墳」の塗料が剥げかけた細い標柱が立っていると
いう不思議な写真だ。標柱は綴じ部に近いところなので本の背の部分を押えると標柱が
消える。それでも山里のひなびた景観を行く美しい写真だが、綴じ部を開くと標柱が出て
くる。印象がまるで違う。
 古墳があるということは、太古から人間が生活していたということ。人が踏み分けた道
ができ、それが長い時間をかけ街道と呼ばれるまでになり、さらに発展して大正期に街道
に沿って鉄道が敷かれたが、水害もあり50年も経たずこの区間は廃止となってしまった。
 縄文時代の東北地方は気温が高く、またほとんどが広葉樹の原生林だったと聞いたこと
がある。周辺の山々の豊かな森では落葉が土に還りそれが数千年繰り返されてきた。
 ここには長い長い時間が降り積もっている。塗料が剥げかけた1本の細い標柱が色々な
ことを考えさせてくれる。

2018.04.29 「庄内交通湯野浜線」
「庄内砂丘を抜け日本海へ」 
昭和41年2月28日
 砂丘の中の七窪駅構内の佇まいもいいが、線路さえ写っていないが目を惹かれた写真が
ある。昔でいえば「新日本紀行」、その後も何回もテレビで見た記憶のある、風除けの
竹で作った垣根が善宝寺街道沿いの泥道脇の民家にある。
 調べたところ、有名なものは能登半島輪島近くの大沢町に今でもあるようで「間垣(ま
がき)」というらしい。ただし、能登の間垣は竹をそのまま立てているようだが、ここの
間垣は竹を上下逆に立てている。上側が切り揃えた線になるので微妙な美意識のちがいに
よるものか。冬の季節風は同じように吹くのでどちらの地区も古くから使われていたのだ
ろう。
 そして見開き写真がいい。湯野浜の街はずれ、背景は茫洋たる日本海。そこを1輌の貨
車を従えた電車が上ってくる。民家などもたくさんあるが画面からは不思議な静けさが
感じられ、モータのうなり音だけが聞こえてくるようだ。

2018.04.24 「花巻電鉄軌道線」
「花巻温泉郷行き電車」
 昭和39年8月2日・昭和41年3月4日
 最初の見開き。改札口からホームへと多くの人で活気ある電鉄花巻駅の写真を眺めて
いるとなんだか嬉しくなってしまう。すぐに車輌に駆け寄りたいところだが、著者は落ち
着き払って情景そのものにカメラを向けているようだ。半歩引いた感じの45㎜レンズの
特徴が発揮されたということかもしれない。
 さらに、両側に住宅もある狭い泥んこの併用軌道のタテ写真。道路端の軌道を幅の狭い
電車が行く。オートバイもスリップしないよう慎重に走っている。そして滑らないように
足元を見ながら道を急ぐ勤め人、反逆光の朝の泥んこ道が新しい一日を迎える一瞬が見事
だ。著者は電車とオートバイ、手前の濡れて光る路面の位置関係をタテに構えたカメラの
ファインダーを通してタイミングを計っていたと思う。そして、ここだとシャッターを
押した瞬間に画面の左に先を急ぐ勤め人が偶然飛び込んできたように見える。この勤め人
がいることによって、画面がさらに引き締まり、誰も真似ができないレベルの写真になっ
ている。
 そして最後のページのタテ写真。砂利道が画面左上から手前右下に伸びている。道の
向こう端にはうっかりすると見逃がしそうな、か細い軌道線の線路がある。そこを手ぬぐ
いを頭に被り地下足袋を履き荷物を背負ったおばあさんが杖を突きながらもしっかり
した足どりでこちらに歩いてくる。このおばあさんの位置がすごい。自分がここにいたら
道路の真ん中に立ち、横位置で右に線路、左におばあさんを入れて撮り、半端な結果に
なったと思う。著者は路肩のやや高い位置から、縦位置でおばあさんを思い切り引きつけ
画面右下に配置した。これが45㎜レンズを完璧に使いこなした技なのか。この写真をこの
大きさでレイアウトしたセンスにも脱帽!

2018.04.20 写真集「地方私鉄 1960年代の回想」は色々なことを感じさせます】

「秋田中央交通軌道線」
「八郎潟の寒風を受けて」 
昭和41年3月5日
 まず、パンプレットにも使われている見開き写真の印象が強烈だ。この当時の365日、
どの時間帯、どの天候で撮ったとしてもこれを上回る写真は撮れないだろう。どんより
した空の下、電動貨車が客車を牽く列車がそろそろとやって来る。雪が融けて水たまり
だらけのでこぼこ泥道が手前にあり、そこを荷物を高々と積み上げたトラックを先頭に
数台の車がやってくる。著者は、このでこぼこ泥道と列車の組み合わせで撮るつもりだっ
たところに、たまたまこのトラックを先頭にした車列がやってきて、結果的にこの絵柄に
なったのだろうか。もし自分がこの場所にいたら、車が来ても列車にかぶらないように
恐らく右側の田んぼの、線路から50~100m程離れたとこらから撮ったと思う。そして
車が列車にかぶらなくて正解だったと満足しただろう。ところが結果が大違いなのかは
明らか。
 著者がなぜこのアングルで撮ろうとしたのか、この時の心の動きを聞いてみたい。

2018.04.15 写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下巻】のパンフレット(表裏)です。
(2)  

2018.04.15 写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下巻 を観ました】
著者:風間克美氏

 予想を大きく上回る素晴らしい写真集で、感銘を受けました。
 もちろん列車、車両が写っていますが、ページをめくるたびに著者の優しい眼差し、
細やかな感性が見事に表現された、「鉄道写真」の一言ではくくれないあの時代を鮮やか
に切り取った世界が北から南へと次々に展開します。(なんとよく観たら車両が全く写っ
ていない、それでいてなんとも味わい深い写真が何枚もありました。驚きました、大胆な
構成です。)
 著者のブログは観ていましたが、見開きは殆んどが初めての写真で新鮮な驚きの連続で
した。上下巻を繰り返し3回続けて観て、心地よい疲れを感じました。
 あまたある鉄道写真集の中でも、明らかにベスト5に入る内容と思います。
 平成の終わりも近いこの時代に、これ程充実した半世紀前の時代を表現した写真集が
刊行されるとは本当に驚きました。

   

2018.04.04 【写真集 「地方私鉄 1960年代の回想」上下巻 のこと】 4/20発売
発行:OFFICE NATORI 
発売:株式会社 電気車研究会 鉄道図書刊行会

 必見の写真集が刊行されます。
 本「蒸気機関車がいた時代」のサイトをどのようにつくるかを色々考えていた頃、
ネット上で参考になりそうなサイトをかなり調べました。その結果、意外なことに
最も波長が合ったサイトが国鉄の写真は殆んど出てこない地方私鉄 1960年代の回想
だったのです。その際にメールでやりとりし、家が近かったこともあり以後定期的に
地元でお会いしています。
 私は軽便鉄道、ローカル私鉄、それを取り巻く情景も大好きで趣味誌などではよく見て
いましたがすぐそばに国鉄の蒸気機関車が走っていた状況では、いざ撮影になると国鉄
蒸機ばかりを撮る結果になってしまいました。

 このたび4/20に同タイトルで写真集が刊行されることが決まったそうです。
 著者の風間克美さんは、知る人ぞ知るこの道では著名な方ですが、車両優先ではなく、
懐かしいあの頃、あの時代の空気感を見事に写しとった写真集となるはずで、今から大い
に楽しみにしています。

2018.03.21 【季刊誌「国鉄時代」に10ページ掲載されました】
 3/20発売の季刊誌「国鉄時代」53号に「筑豊線 原田から冷水峠へ」(10ページ)が
掲載されました。是非ご覧ください。

2018.02.07 【 「筑豊」のこと 】
 昭和47年秋頃まで10年ほど蒸気機関車を撮るために日本中を旅していました。でき
うれば風景の美しいところで撮りたいので、次第に各地の景色には詳しくなりました。
 景勝地ではなくても、美しい山々、季節の表情豊かな田畑、里山、渓谷、そして峠が
あり、さらに白砂青松の海岸線、輝く雪景色…、季節ごと、蒸機を引き立ててくれる風景
には事欠きません。心に染み入るような日本の風景が、旅するごとに好きになっていき
ました。
 しかし、筑豊はどこの風景とも異なっていました。最初に足を踏み入れた時はまだ石炭
列車がたくさん走っており大きな空の下をD50、D60、9600、8620、C55が右から左
から次々にやってきます。美しいと言えるような景色はなくても、「鉄道」の存在が圧倒
的でした。ボタ山を背景にした駅、線路の印象は特別深く脳裏に刻み込まれました。
 当時は既に閉山が進み、石炭から石油へとエネルギー資源が置き換わり高度成長が大き
く進み、筑豊にとっても大転換の時代でした。この筑豊でいつものような撮り方をしても
筑豊らしさは出せないと思い、いろいろ悩んだことが思い出されます。そして最後の訪問
の昭和46年11月の際は、駅、ホームでできるだけ乗降客を画面に入れるようにして撮った
のですが、今から考えれば駅前広場、駅舎、なども撮っておくべきだったと後悔していま
す。


 
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