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デパート大食堂の思い出|給水塔の妖気|いにしえのコンピューター

◇いにしえのコンピューター◇



 アナログ人間の私が日夜コンピューターと向き合っているのだから、たいへんな時代である。たしかにコンピューターは便利だ。だがその能力が知れ渡った分、神秘性みたいなものはなくなってしまった。
 私たちがものごころついた頃、マンガや映画の中には神秘の固まりのような存在としてコンピューターが登場した。たいていこの絵のような姿をしており、何故か必ず白衣姿の研究員みたいな人がつきっきり。埋込まれたランプがちかちかして、わけのわからない紙テープがはきだされてくる。これを「フムフム。なるほど」なんてつぶやきながら白ヒゲの博士かなんかが解読し、「コンピューターの予測によれば…」と御託宣を下す。コンピューターの神通力のおかげで、その言葉は絶対だった。ともあれ物語の中でコンピューターとは「なんでもアリ」の約束事だったのだ。
 テレビの「ルパン三世」にもそんな話があった。結末でルパンはコンピューターの裏をかいて逃走し、警察のおエラ方が「なぜコンピューターの予想通りにならんのだ〜」と嘆くのだが、こんなの今の子どもには通用しまい。コンピューターが万能なはずがないのは今では常識。神通力が失せてしまっているのだ。
 映画のウーパーマンにもコンピューターが敵役の話があったっけ。自分で発電までしまう悪役コンピューターが出てくる。もともと荒唐無稽を売りものにしたシリーズだが、もしかするとこれがコンピューターの神通力を頼りにして作った最後の映画かもしれない。

 コンピューターが意志をもちはじめるというのもある時期流行だったパターンだった気がする。たいてい核ミサイルなんかを制御するコンピューターが意志をもって人類を支配しようとする。なんにせよ、当時のよからぬ奴はすぐ「人類を支配」したがるのだった。さてこの場合、コンピューターが意志を持ったことをどう表現するかが作り手の腕の見せどころとなる。こういうコンピューターは言葉をしゃべったりするのだが、安っぽい映画だとそれまで普通の機械だったくせに、いきなり「オ・マ・エ・タ・チ・ニ・ン・ゲ・ン・ハ…」なんてしゃべりはじめたりして面白い。意志を持つことと発声機能とはぜんぜん関係ないと思うのですがね…。

 その点「2001年宇宙の旅」はコワかった。宇宙船のコンピュータ(HAL9000という名前がついている)は、もともと知能を持っているらしく、ごくふつうに乗員と会話するのだが、コイツが行く手にあるものに対する恐怖で狂ってゆくのである。これがコワイ…。さすがに名画として名高いことはあり、現在も通用するリアリティがある。それでも基本的に、かつてコンピューターが持っていた神秘性をうまく用いていることはまちがいないだろう。

 時は流れ、コンピューターの神秘性や神通力は薄れていまったが、どっこい、完全に消え失せたわけではない。ゲームコーナーなんかの「コンピューター相性占い」なんていう機械にコインを入れれば、今でもちゃんと「神のお告げ」が出てくる。なんだかかつての人気歌手が場末の酒場で歌っているのを見つけたような、悲しいような懐かしいような気持ちになるのだった…。



(1992.2記)

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