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雑記帖

ここは思いつきの雑文、書きかけのエッセイ、読書録らしきものナドナドを
とりあえず放りこんである倉庫のようなページです。お暇な方向き。
そのうちにちゃんと推敲して、イラストを付けて…とも考えていますが、さていつのことになりますか…。


◇百人一首のこと◇


 百人一首というものは奥が深い。齢を重ねるにつれていつも新しい発見がある。と書くとこれから大変高尚な文章が始まるのだと思われるかもしれないがお門違い。それはおいおいわかって頂けるだろう。

 ものごころついた頃、百人一首の札とは坊主めくりのためにあるのだとばかり思っていた。箱にはもちろん「爆笑!! 坊主めくりゲーム」などと書いてあるのだと思っていたわけだ。それにしては使わない札がたくさんあるのが変だし、だいいち箱だって目にしているはずなのだが、思いこみというのは恐ろしい。
 坊主めくりというゲームは面白かったというか、実に可笑しかった。坊主の札が出るととにかく可笑しくてたまらず、呼吸が苦しくなるほど笑い転げた。自分が引こうが他人が引こうが可笑しいのに変わりはない。プレイヤー全員がそのたびに床の上をのたうちまわってゲラゲラ笑っているのだから、ちっとも進まない。ようやくおさまったと思ったら誰かがプッと吹き出して元の木阿弥である。それでもどうにか次の札を引くとまた坊主! ひとしきり狂乱の図が繰り広げられるのだ。
 たいていは友だち数人が誰かの家に集まってやっていたのだと思うが、その家の親御さんはさぞかし呆れ返っていたことだろうと、今になって思う。

 どうしてあんなに可笑しかったのだろうか。すまして座っているお坊さんの絵が面白かったということもあるだろうが、日本の歴史を代表する教養人の、叡智の結晶とでも言うような業績を使って、こともあろうに「坊主が出たら札をとられて姫さまが出たらもらえる」などという単純きわまるゲームをやっている、その落差が可笑しかったのではないか。無意識のうちにその落差を感じていたのではないかと思うのである。
 それにしても百人一首に含まれる坊主の札、姫の札それぞれの数の比率は絶妙で、このゲームにぴったりなのが不思議だ。だからあの一連の札は「爆笑!! 坊主めくりゲーム」ではなく、百人一首という歌留多の1種であるということを知った時も、にわかには信じられなかったほどだ。

 ともあれ私の人生で百人一首に対する認識を改める第一の発見が訪れたわけだが、無教養の悲しさで、しばらくは絵の付いているのが取り札で、字だけ書いてあるのが読み札だとばかり思っていた。だってカルタって普通そうじゃないか…などと抗弁してさらなる無教養ぶりをさらけだすのは止そう。この誤解はまもなく解けたが、これが第二の発見である。小学校中学年ぐらいの頃だっただろうか。

 やがて青年期に達した私に第三の発見が訪れる。それは意外なところからやってきた。
 ♪まっくろケ〜のケ〜の歌があって、私はこれを昔ボールペンのテレビCMで聞き齧って知っていた。幼い頃、その節回しが妙に印象に残り、やたらと「まっくろケ〜のケ〜」と大声で歌っていたら、何故かそばで聞いている大人がニヤニヤする。ますます調子に乗って歌っていたら「やめなさい!」と母親にたしなめられた。別に傷付いたというわけではないが、なんとなく釈然としなかったのを憶えている。
 つまりこの歌のほんとうの文句を知ったのが第三の発見というわけ。たしかラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で聞いたのだったと思う。青年期にふさわしい発見であった。

 このように低俗な付き合いが続いてきた百人一首と私であるが、最近ではおさめられている歌とその作者についても興味を抱くようになった。中でも逢阪の関の歌を詠んだ蝉丸は印象深い。
 この人はお坊さんなのだが絵では頭巾を被っているので一見、坊主には見えない。それで安心すると大間違いで「それ坊主だよ」と指摘され、せっかくとった札を差し出さなければならないのだ。悔しいったらなかった。こんなフェイント技を使うなんて、蝉丸という人はきっと歌人としても技巧派だったに違いないと思う。

 ところで昔、五目並べのことを囲碁だとばかり思って…。いや、もう止めておこう。
(2004.6記)



◇倍額補償◇


「深夜の告白」という映画をビデオで観た。あまり有名ではないと思うが、「お熱いのがお好き」や「アパートの鍵貸します」のビリー・ワイルダー監督作品だ。ずっと気になっていて、ようやく観たという感じなのだが、その因縁話を少々。

 この映画の原題は「倍額補償」という。同名の小説が原作で、作者はジェイムズ・M・ケイン。「郵便配達はいつも二度ベルを鳴らす」の作者である。ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングが出ていた映画をご覧になった方もいるだろう。ラブシーンがHだというので話題になったりした。さてこの「郵便配達夫」は今でも書店に文庫本が並んでいるが「倍額補償」はない。

 そもそもの発端は早川書房の「レイモンド・チャンドラー読本」だった。「深夜の告白」の脚本を監督のビリー・ワイルダーとレイモンド・チャンドラーが共同で書いているのである。あのフィリップ・マーロウ生みの親にしてハードボイルド小説の巨匠であるチャンドラーだ。当時は人気作家を大金でもってハリウッドへ招くのが流行で、フィッツジェラルドの「ラストタイクーン」で描かれているように、金におぼれて駄目になっていく作家がたくさんいたらしい。チャンドラーは結局、映画の仕事はこの1本だけで、その後に名作「長いお別れ」を書いているから、あまり駄目にならなかったようでヨカッタ。

 この共同執筆作業のことをワイルダーが語っているのを「読本」で読んだわけだが、マァそりが合わずに困ったような話だった。性格的なものもあったのだろうが、チャンドラーにしてみれば師と仰ぐハメットを「理解できない」と言うようなケインの小説を脚色するなど、そもそも気にそまない仕事だったのではないだろうか。

 さてチャンドラーもケインもワイルダーも好きな私はこの映画にがぜん興味をひかれたが、一方でワイルダーが「滅法おもしろい」と言う原作を読まなければと思ったのだった。
「倍額補償」が「殺人保険」という珍妙なタイトルで新潮文庫から出ていることを、しばらくして知った。が、もはや絶版。けれど灯台もと暗しで地元図書館にあったので喜んだ。ナルホド面白い。映画もよく出来ている。脚本のどの部分にチャンドラーの手が入っているのかわからないが、無実の容疑者を行動でかばうあたり、原作にはないチャンドラー的…というかフィリップ・マーロウ的なところと言えよう。アンクレットという小道具も「湖中の女」を思い起こさせて面白い。

 何年越しの因縁もこれにて幕…と思いきや、実は後年再び映像化されている。今度の監督はジャック・スマイト。ロス・マクドナルドの「動く標的」の映画化で、非常に冴えた演出を見せてくれた。あぁ、スマイト版「倍額補償」をなんとかして観たいものだ。この道は果てしなく続く…。
(1997.9記)


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