MEMBERS & RACE REPORT
http://www011.upp.so-net.ne.jp/dan/tamagawa-club/
[報告作成:ジョーさん サイト作成:ヤマドリさん
横浜マラソンの写真と動画は、神奈川新聞のサイトでご覧ください。 高田選手のFINISH写真も左上に載っています。(拡大できます) |
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2015年 3月15日(日) 第1回 横浜マラソン |
ハーフからフルマラソンに一新され、10キロと車いす(10、2キロ)の部を合わせた計2万3430人が、みなとみらい大橋から赤レンガ倉庫、中華街、山下公園などの観光名所を巡り、レース中盤には首都高速湾岸線を約11キロ疾走した。待ち望んだ地元のフルを笑顔で駆け抜けた「ハマジョ」4人の心意気に迫った。
ゴールの瞬間、高田佐知恵さん(42)は両手をぐっと握った。2時間56分31秒でフル女子の部優勝。「高速道路の起伏がきつくて30キロ以降は足が動かなかった。でも、若くて速い子がいなくてラッキーでした」と笑った。 七里ガ浜高、日体大、実業団で長距離ランナーとして活躍。25歳で引退し、36歳で川崎市の特別支援学校の教員になった頃、再び走り始めた。38歳で湘南国際、40歳でかすみがうらを制したが、ここ数年は右ふくらはぎの肉離れが長引き、今回は2年ぶりのフル。自身の復活、地元開催への思いから気合が入った。 「私は横浜市出身。フルがメインになった第1回大会に当選したから、半年間かけて練習してきた。沿道の応援がすごく、私も道を知ってるから走りやすかった。バーテンダーのパフォーマーには笑っちゃいましたけどね」。出産、育児で休職していた教員に来月から復職。多忙な中、より効率的な練習を模索していくつもりだ。 |
2015年 3月25日(水) スポーツ報知より
横浜市初の市民参加型フルマラソン大会「横浜マラソン2015」が15日、同市西区のみなとみらい21(MM21)地区などで開催され、フルマラソン、一般と車いすの10キロ、車いすの2キロに計2万3430人が参加(完走2万2531人)した。
みなとみらい大橋をスタート、横浜市中央卸売市場南部市場(金沢区)で折り返し、パシフィコ横浜にゴールするフルマラソンには2万2462人(完走2万1572人)が参加。男子は小山祐太さん(フリー)が2時間24分39秒で、女子は高田佐知恵さん(多摩川クラブ)が2時間56分31秒で優勝した。全体トップは、順位に反映されない招待選手のサイモン・カマウ・カニ選手で、記録は2時間21分48秒だった。 一般10キロには941人が参加(完走932人)し、男子は若松貴秀さん(高崎郵便局)が31分52秒で、女子は中島万理那さん(フリー)が43分2秒で制した。車いす10キロの男子は伊藤尚弘さん(フリー)が24分5秒、同女子は緑川まり子さん(フリー)が32分24秒で優勝した。 (曇り、気温8・0度、湿度45%、北の風0・3メートル=午前8時30分現在) ◆背中押した沿道の声 30キロ付近で強い疲労感に襲われたが「女性で1位だよ」という沿道の声に背中を押された。両拳を突き上げてゴールすると「冷たい風で、足が棒のようになって苦しかった」と振り返った。 七里ガ浜高、日体大で長距離走者として鳴らし、卒業後は一時実業団に所属。約10年のブランクを経て35歳で再び走り始め、大会1カ月前から週6日のトレーニングで大一番に備えてきた。 その成果を実らせた高田さんは「応援がとても多くてうれしかった」と笑顔を見せ、「これからも能力を落とさないよう頑張ります」とますますの活躍を誓った。 |
2015年 3月16日(月) 神奈川新聞より
D.minetaさんが雑誌に紹介されましたので、紹介致します。
峰田さんは、現在、トライアスロンを中心に活躍されているアスリートです。川崎月例マラソンにも参加されています。
平成24年3月18日(日) 板橋シティーマラソン 多摩川クラブ ヨビリン |
昨年は大震災、一昨年は強風により、連続で中止になった板橋Cityマラソン、今年は走ることができました。毎年、この大会は福岡国際の標準タイム突破の対象にしてきた大会でした。
しかし、ランナーたるもの、当然福岡がすべてではなく、トレーニング、体調管理、レース本番といった一連の流れの中で、いかにベストをつくし、身心の充実と成長を感じることができるかが大事です。 浮間船渡の駅から会場に到着すると、無風!荒川名物の風がない!加えて、低温の高湿度。コースはフラットだし、今のとこ、最高のコンデションです。このまま持ってくれ。 受付直前、トムさんに会いました。多摩クラからの大会エントリーは30名を越えていました。初サブスリーを目指し、実際いけそうなランナーが多い。モルゲン、ムカイ、アッシー、ヤマモト、ウェンツなど。 このコンデション、初サブスリー続出の予感です。他PB続出含め、レース後の祝杯が楽しみです。東京マラソン後、脚を痛め、5日間走れなかったり、その後内臓を痛めたりで、まともな、また思うようなトレーニングができなかったですが、この10日間、集中して調整、体調管理にはげみ、東京マラソン前より、はるかに良くなってきました。
このグループ、いいかも。力んだランナーがまったくいない。ジョッグのように、軽く走っているように見えるランナーばかり 10キロ スプリット 38分30秒 ラップ19分07秒
ラップ 19分03秒 ハーフは1時間21分を切るタイムで通過できそうで、これはレース前に予想できませんでした。 理由
30キロ スプリット 1時間55分12秒 ラップ 19分28秒
42分切り、キロ350グループがどんどん離れていきます。足重く、とても追いつけない。 ああ、、目の前に見えている福岡切符が遠ざかっていく、、。
30キロは東京マラソン通過より5分いいので、ゴールタイム、2時間43分台予想。なんとか43分を切るPB狙いに目標変更。しかし、30キロ以降の落ち込みは予想以上でした。
35キロ ラップ 19分50秒わだっちに抜かれました。トイレに行ったわだっちに抜かれるのは3レース目です。この近辺では、ランナーが完全分散。周囲にランナーがほとんどいなくなりました。失速度は治まりません。
40キロ スプリット 2時間35分34秒 ラップ 20分32秒 平坦、無風でこのラップ。情けない。43分台さえ出ないことがわかり、がっかり。しかも、45分切りさえが危ない!最後2.195キロ、あきらめず、全力振り絞り、フィニッシュ。 42.195キロ スプリット 2時間44分27秒(グロス) ラップ 8分53秒
総合 48位 登録 42位 ネット 2時間44分25秒 レース前に45分出るかもと思っていたので、ほぼその通りになったわけです。風が吹けば、46分から47分になったと思われ、自己タイムの予想が随分うまくなってしまいました。途中で42分切りも期待しましたが、そんなトレーニングはできていず、身体は正直です。
349 354 354 349 356 19分23秒
東京マラソンなど、前日雨、当日最高、翌日月曜からまた崩れた。今回の板橋は前日雨、当日最高、翌日月曜は春の嵐による強風。これら多くの、数々のレースがそろって風がなく、低温。こんなこと、普通有り得ません。
レース後、ゴール地点で3時間まで待ってましたが、多摩クラのサブスリー候補、誰もこない、、。社のテラさんが、2時間59分58秒か59秒で入ってきて、大喜びに感動しました。私も59分59秒でフィニッシュしたことがありますので。 サブスリー確実と思われたモルゲンが敗退。3時間2分(でもPB) マラソン2回目でサブスリーを狙ったムカイも敗退。3時間00分22秒(でもPB)マラソンの神様は甘くなーい。2年ぶりのフルマラソン出場のあきらさん敗退。3時間08分。
一般総合の部、表彰。 わだっち4位。40代年齢別優勝。 2時間41分台。
このビッグ大会。年齢別優勝の商品の数々は素晴らしい。わだっちの気持ちがわかりました。
応援の方々が集合してくれました。 他PB達成、トラッキー(初サブフォー!)、WinWin、タナ マラソン完走後です。皆、食べる食べる、、私は1週間の禁酒をとき、弾けるほど飲みました。記憶は藪の中、ラップ 20分32秒 |
読売新聞・夕刊連載 平成23年 11月7日〜11日 ”しあわせ小箱”から 遅咲きのランナー 中野陽子さん (多摩川クラブ) |
遅咲きのランナー 1 ぎらぎらとした日差しをまともに浴びて、約20人の選手が陸上トラックのスタート位置についた。8月、和歌山市で開かれた「全日本マスターズ陸上選手権」3000m女子。「ヨーイ!」。ピリピリとした空気が張りつめる。東京・大田区の中野陽子さん(75)は体をグッと前傾させた。 小さい頃から体を動かすのは好きだったけれど、運動神経はいまいち。体育では「ボールよ来ないで」と願ったものだ。ところが、70歳で始めたマラソンは合っていた。楽しく走っているだけなのに、不思議とタイムは伸び、3時間49分の自己記録を持つ。 乾いた号砲の音で一斉にスタートした。先頭集団の背中が見る見る遠ざかる。でもこれは作戦通り。転倒が何より怖いから、序盤はペースを抑えめに走ろうという作戦だ。後半、マラソンで鍛えた健脚でグッとペースを上げ、自分よりも若い選手も次々と抜き去りゴールに飛び込んだ。 電光掲示板に映し出された記録は14分05秒77。女子75〜79歳の部の世界記録更新だった。アナウンスが流れ、マイクを向けられた。感動の涙があふれてーと思いきや、あまりにもあっさりと達成してしまい、現実感がない。運動音痴だった私が世界記録?年は取ってみるものだわあ。 |
遅咲きのランナー 2 遅咲きのランナー中野陽子さん(75)は、マラソンを始めた70歳までは、スキーに夢中だった。でも、けがが心配になり、新しい趣味を探していた。「誰でも主人公になれるスポーツがいい。」そう考えて選んだのが、マラソンだった。 初レースはハワイのホノルルマラソン。「タイムは5時間半はかかるわよね。」前夜、妹夫婦と食事しながら交わしたたわいもないこの会話が、とんでもない勘違いを生む。5時間半と言っているうちに、スタートの時間を午前5時半と思い込んでしまったのだ。本当は5時なのに・・ 翌朝、会場近くで体を温めていると、夜明けの空に花火が上がった。「きれいねえ。」目を細めて見入っていたがどうも様子がおかしい。スタート地点にいたのはウォーキングの選手ばかり。「マラソンはもう出ましたよ。」あの花火は、スタートの合図だったのか。 慌てて走り始めた。もう、記録なんてどうでもいいわ。美しい風景を眺めつつ、のんびり走ることにした。 ところがタイムは4時間44分44秒。一瞬、「何と縁起の悪い!」と思ったけれど、年代別で1位なのだという。スタートが遅れたのに、驚きのタイムである。当時71歳。眠っていた才能に、遅まきながら気付いた瞬間だった。 |
遅咲きのランナー 3 「走るなら、若いうちよね。」70歳でマラソンを始めた中野陽子さん(75)が、100キロという途方もない距離を走ろうと決意したのは、こんな理由だった。今年は走り始めて5年という節目の年でもある。年明けから、チャレンジ精神がメラメラと燃えていた。 「サロマ湖100キロウルトラマラソン」を目指した。13時間以内にゴールしないと失格という過酷なレースだ。つきに200キロの走り込みを270キロに増やし、レース展開もしっかり計算して、6月の本番に臨んだ。 スタートからしばらくはいい調子だった。「これなら計算通り走れそう。」だが2時間もたつと暑さがこたえ、給水ポイントで頭から水をザブザブかぶった。70キロ、足がマンホールの縁に引っかかり、「あっ」と思った瞬間転倒、手のひらをすりむいた。ラスト10キロは足が重い。500秒だけ走ろう。苦しくなったら歩いて、一息ついてまた走って。ついにゴールテープ。小さく両手を上げ、ガッツポーズで駆け込んだ。 タイムは12時間30分10秒。75歳での完走は、女性最高齢だった。仲間が駆け寄ってくる。じんわりと喜びが込み上げてきた。同い年ぐらいの女性に「一緒に写真を撮ってください」なんて言われて。やっぱりマラソンは、やめられないわ。 |
遅咲きのランナー 4 「どうしてそんなに速く走れるんですか?」70歳からマラソンを始めた東京都大田区の中野陽子さん(75)は、よく聞かれる。「練習は無理をせず距離を走ること。あとは呼吸法かしら。」ほほ笑みながら答えるのだが、本当のところは、自分でもよく分からない。 一つ思うのは、精神力の強さだろうか。人よりも、少し多くの苦労をしてきたと思っている。心臓が弱かった父親は、18歳の時に病で倒れた。6人きょうだいの長女。一番下の妹は6歳だった。子育てと看病に忙しい母親は働けずうら若き乙女が一家の大黒柱になった。 時計会社で働きながら夜学の高校に通い、帰宅後はさらに内職の日々。学校を終え、電車で蒲田駅に帰り着くのは午後10時25分、そこから、真っ暗な夜道を重い足取りで帰ったものだ。 楽しみは職場のクラブ活動の観戦だった。バレーボール、卓球、ダンス・・・見るだけで心がときめいた。今でも駅の近くを通ると、あの頃を思い出してほろ苦い気分になる。 父親は20歳のときに亡くなった。運動をしていた記憶はないけれど、運動神経のいい親類が多かった。36歳で亡くなった2歳下の弟もリレーのアンカーで活躍した。レース前、ふと思う時がある。 「2人が見守ってくれてるのかな」 |
遅咲きのランナー 5 70歳でマラソンを始めた東京都大田区の中野陽子さん(75)は、母親のアイさん(99)の介護を しながら日々練習に励んでいる。早起きすれば走る時間は作れるし、車いすを押しての通院もトレーニングと思えばいい。そんな前向きな生き方は、明るく、お人よしのアイさんから学んだものだ。 独り身の中野さんを気遣い、「1日でも長く生きなきゃね」とアイさん。「サロマ湖100キロウルトラマラソン」の前に体調を崩して食事ものどを通らなかったのに「私は大丈夫。気をつけて走っておいで」と励ましてくれた。 だが、出場3日後、肺に水がたまり入院。「心配をかけまい」と気を張っていたのだろう。お母さん、ありがとう。「人生には楽しみがないと駄目よ」母は常々言っている。だから私も、70歳にもなってマラソンに出会えたのかもしれない。 いつまでも楽しく、走り続けていたい。記録が載った記事を目を細めて眺める母の横顔を見て、そう思うのだった。 |
平成23年 2月27日(日) 東京マラソン 多摩川クラブ やまちゃん |
たくさんの応援、ありがとうございました。 東京マラソンは、応援がすごくとても助けられました。 35km以降は、応援がなかったら、もっとラップが落ち込んでいたと思います。応援に助けられました。 結果は、2時間44分12秒、女子19位でした。
ひでりんとの2戦目となる今シーズンのフルのタイムで勝負には、28秒差で負けてしまいました。 (ひでりん 湘南で2時間43分44秒) これで、神奈川ハーフとフルで、1勝1敗です。3戦目の富士五湖72kmが最後の勝負です。みなさん、楽しみにしていてください。 必ず、コテンパンにやつけますから!!ひでりんの新しいHNを考えていてください。 今回の東京マラソンでは、昨年シーズンの青太の2時間44分59秒のタイムを上回ったので、タイムも満足しています。 でも、やや、体調のピークが下り坂となっていました。3週間前の神奈川ハーフがピークで、その後、ポイント練ではどうにか走れるけれど、どうも、調子がいまいちとなっていました。 いつも、レース前日に行う1000m1本も東京前は、神奈川、湘南の時より、10秒も遅かったです。ごまかし、ごまかし3週間過ごしたといった感じでした。 当日は、とにかくがんばって走ったという感じです。3月は、ゆっくり過ごし、4月より、サロマに向けてウルトラモードで行きます。 |
平成23年 2月27日(日) 東京マラソン 多摩川クラブ メロス |
東京マラソンを快走された皆様おめでとうございます。また、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。私も5回目にして初めて当選し、今回、走せてもらいました。 絶えることのない沿道の声援に驚きながら、東京の大通りを快走する。ランナーで良かったと感激しました。 しかし、35Kを過ぎるとやっぱり苦しく登りは泣きそう、そんな中、皆様に声援を頂いて見掛けは兎に角心だけはゴールまで走り続けることができ3:34でフィニッシュしました。 今回、「東京マラソン」と言う特別なイベントに参加し、とても楽しい思いをさせてもらいました。 この体験を一人でも多くのランナーに体感して欲しいと思い、来年はエントリーを辞退すべきか悩みました。でも、やっぱり走りたい! |
平成23年 2月27日(日) 東京マラソン 多摩川クラブ ゴンゾウ |
今回私は東京マラソンに初参加してきました。声援を力にしてひそかにPBを狙ってトラのかぶりものをして挑みました。 多くのギャラリーから『トラがんばれ!』『タイガーマスク』『ぷーさん?』とかいろいろ多くに声援をもらい30km過ぎまでは笑顔で声援に答えていましたが30km以降は大幅ペースダウンつらい表情(ゴールドナンバーに食らいつくゴンゾウ<トラ>の写真)で何とか走りました。 残念ながら1ケ月前の湘南マラソンの記録を更新できませんでした。でもあの応援の中のレースはとっても楽しかったです。 結果は3:24’45(3:23’50グロス)3:20の壁はやはり厚い!しかしそんなことは言ってられないので練習に精進します。 また、多摩クラ応援団の皆さん多くの声援本当にありがとうございました。 |
平成23年 2月27日(日) 東京マラソン 多摩川クラブ タコナカ |
東京マラソン走ってきました。既報の通り、手元タイムでグロス2'58"57
ネット2'57"45 51歳と3月、フルマラソン4回目の挑戦で初めてサブスリー達成しました!! 陸連登録を失念したワタシはBブロックからのスタート(この時点で既に失態です)。スタートラインを跨ぐまで1分以上要し、しかも直後2-300mはのろのろ運転。 それを挽回しようとペースアップしたりで、なかなか巡航速度を掴めず、一事はどうなることかと・・・。更に、歳のせいで最近頻尿気味の中年オヤジには、スタート前40分の立ちんぼはキツカッタ。 何と10km過ぎからおしっこを催しペースを考える余裕もありません。このまま我慢すべきか、思い切って「トイレ休憩」か悩んだ挙句、20km過ぎで本能的に『ピットイン』。約1分のはやわざ。 高校時代から「男は早飯・早○○」と教え込まれていた教訓が30年経った大舞台で見事に生きました。ハーフ通過1'27"52 は トイレ休憩を勘案すると良いペースです。 すっかり気分的に楽になると、周りの景色も楽しく、応援を楽しむ余裕も生まれ、水天宮前を通過する際には思わず手を合わせてお祈りしました。「待てよ、安産の神様に祈ってどないするんや」 と一人でボケとツッコミを楽しんでニヤニヤし、また30km地点ではヨビリンさんの「第二のスタート地点がここにある」との名言を思い出しながら、周囲を省みず「うおっしゃー、ここからが本番。やったるで〜」と大声で気合を入れました。 一連のアクションはランニングハイで頭がおかしくなったオヤジの奇行以外の何ものでも無く、気がついたら周囲2mから誰もいなくなっておりました・・・。そんなことに構っている余裕もなく、銀座4丁目の交差点を左折すると、若干の逆風が・・・。 ご存知の通り逆風と上り坂に極端に弱い私は、もう駄目か と弱気になりかけましたが、そこでお助けマン ペースメーカー登場。恐らくスタート直後の雑踏と、わけの判らない興奮&ハイペースの渦中で、知らずのうちにペースメーカーを追い越していたんでしょう。 頭に風船をつけた3時間ペースメーカーが後方からやってきました。ここで食らい付かねば末代まで禍根を残す、ランニング人生最大の正念場と必死に食らいつき、横に見えた築地本願寺に心の中で手を合わせながらも、「本願寺って走りの神様やったっけ。 そもそも神様ちゃう、仏様やし、仏様に祈ってどうすんねん。それにオレまだ成仏してないし・・・」と朦朧とする意識のなかで、かろうじてボケとツッコミを繰り返したのは大阪人の本能でしょうか?とにかく必死のパッチ・・・ 途中、朦朧とする意識の中でも不思議と「タコナカ〜」との応援の声ははっきりと聞こえました。 手を挙げて応える余裕なく、大変失礼しましたが、ヘロヘロの肉体にはまさに「天使の声」に聞こえました。本当にありがとうございました。仲間が居るってやっぱりすばらしいですね。 ゴール後は、まさに『生きているのが精一杯』の状況で、打ち上げに参加する余力は全く無く、這う様に帰巣本能だけで自宅に帰りつき、夜8時には爆睡でした。改めて応援頂いたみんなに感謝感謝です。 途中ラップです。 5km 20"19 10km 40"50 (20"31) 15km 1'01"35(20"44) 20km 1'22"36(21"01) half 1'27"52 25km 1'44"21(21"45) 30km 2'05"39(21"18) 35km 2'26"49(21"09) 40km 2'48"30(21"41) goal 2'57"45 |
8月29日(日) 北海道マラソン 多摩川クラブ くぼっち |
8/29 7:30 前日から宿泊していたススキノから少し外れたところのゲストハウスにて起床(*゚ー゚)vオハヨ♪ 体調は…、まあ、まずまず(^^) 朝飯は食パン3枚、シチュー、サラダ、オレンジジュース。 個人的にはご飯、味噌汁、焼き魚、おひたしが…。 とは思っても出てくるわけではないのでいただきます(-人-) んでもって、ごちそうさま(-人-) 歯を磨いて、顔を洗って、いざ、会場へ! 9:30 中島公園到着。 天気は曇り。気温は27度。路面温度は29度。 天気予報では晴れ予報だったのでまあまあのコンディション。 とりあえず時間があるからもう一回飯を食べることに( ´ー`) だって、スタート0:10だし…。 てなわけで近くのコンビニで買ったおにぎりを食べながらしばらくマッタリ。 こんなんで大丈夫か俺…。 10:30 いよいよストレッチと軽いJOG。 …。JOGでもめっちゃ汗かくんですけど…(;´Д`) なんて思いながら、栄光の多摩川クラブユニフォームを身にまとい、いよいよ整列へ。 11:20 自分は陸連登録ハーフマラソンタイム申告者なので陸連登録フルマラソンタイム申告者の後方Bブロック。んでもって、立っていてもしょうがないので座り込む。 しばらく待っていると某男性に遭遇(*゚▽゚)/ウイッス! そして、お互いの健闘を祈る←なんかカッコイイ そうすると何故か急に眠気が…(-_-;) その眠気に逆らわずにウトウト…。←緊張感ゼロ(・∀・) スタートが近づいてきて列が前に詰めることになったので起きて立ち上がる。 やっとこさ少し緊張感が出てきたぐらいで実はちょうどよかったのかも。 高橋はるみ北海道知事が壇上に立ち開会宣言し、知事の号砲で12:10スタート! とにかく、目的は設定したペースを維持すること。 1km…4min26sec 4min30secからはやや早いがまあ、こんなもん。 それからは4min30sec〜4min35secを維持してひたすら突き進む。 途中15kmで左腕につけていたポーチから補給用のSAVASを飲む。 …甘ぇ! 即座に給水ポイントの水をとり何とか…。 そして、20kmぐらいにさしかかる頃からいよいよ北海道マラソンの洗礼を受けることに…。 脚に出てくる疲労が早い…。 日差しがないとはいえ、気温が秋冬のマラソンとは全然違う。 最初から筋肉が温まっているので限界がくるのが早い。 結局はビルドダウンするという恒例のオチ(*´∀`) その辺りから歩き出すランナーがちらほら…。 この頃からはタイムがすでに5分台に…。 「あー、やめたい…。」 なんて思いながらもやめない。 25kmを過ぎ、ようやく折り返し。 「もう、やめたい…。」 と思いながらそれでも走ることをやめない。 30km辺りになると対向車線に収容車が…。 「本当にやめたい…。」 なんて思いながらもあきらめが悪いのかやめない。 そんなこんなで結局やめるタイミングを見失い、そのまま走ることに…orz もうとっくに周りの景色に目を向ける余裕はない。 でも、「多摩川〜」と応援してくれる声には精一杯応える。 やっとこさ、北海道大学のキャンパス付近にさしかかり、残す距離もあとわずか。 そんな自分が気にすることはただ一つ。 次の距離表示…(^^;) 道庁舎そばを通過し、いよいよ大通公園。 最後の直線でちょっと先に黄色のユニフォームを着た女性ランナーに追いつく。 女性の方が頑張っているのにここで少しは踏ん張らなければと最後の力を振り絞りダッシュして追い抜く!そして、栄光のフィニッシュ ε=ε=ε=ε=\(;´□`)/ もう、へろへろになりながらアイシングし、おにぎり食い、着替えて帰宅の途へ…。 函館行きの列車を待つ札幌駅の中ではかくかくいいながら電車を待ち、乗車してからは2時間ほど爆睡(-_-) しかし、函館駅に着いてからも最終の路面電車に乗るためまたしてもダッシュ! もうへろへろの俺にまだ走れと…。 かくかくの脚でようやく実家に戻って、母の作った雑炊をいただきようやく就寝…ヾ(´○` )お♪( ´▽`)や♪(´ε` )す♪( ´θ`)ノみ♪ 給水は数多く、しかも長く取られており、スポンジもたくさんあり、こんなに水浸しになりながら走ったレースは初めて。 ゴール後は給水にスポーツドリンク、アイシング用の氷の用意や完走サービスでたくさんのおにぎりもあり、アフターサービスがシンプルながらも充実していたし…('-'*)ミンナアリガト♪ 伊達に24回も回を重ねているレースではないな〜、と実感した。 んでもって、なんだかんだ言って北海道マラソンはまた来年も出たいと思ったり…(´∀`) 天候… 曇り スタート時気温… 27度 路面温度・・・ 29度 Finish Time… 3h37min20sec 順位… 852/5715/7959(自身順位/完走者数/出場者数) 完走率… 71.9% |
6月27日(日) サロマ ウルトラマラソン 多摩川クラブ すずお |
今回の段取りや手配をして頂いた、ヨビリンさん、ヤマちゃん、有難うございました。 運転して頂いたまっきーさん、ひでりんさん、お疲れ様でした。 それにしても、この暑さの中、ロンブーの4位、まっきーさんの8位は、本当に驚異的でした。やはりこれまでの練習と摂生の賜物でしょう。おめでとうございます。来年こそは表彰台ですね。 私自身、3回目となった第25回記念大会は、残念ながらリタイアしてしまいました。 55kmのレストステーションで収容者に乗りました。とても残念で、悔しかったです。 今まで大会ではウェストポーチをつけて走ったことがないのに、暑くなることは分かっていたので、塩熱飴とWGHと前日貰った塩を入れ、後頭部が隠れる帽子を被り、多摩クラのランパン、ランシャツでスタートしました。そして、ラン中も給水ではスポドリを飲み、被り水を全て使用し、塩熱飴とWGHも適度な間隔で口にしたつもりでした。 ところが51km過ぎのエイドでスポドリを軽く飲んだあと、WGHを取り出して飲もうとした時に、少しめまいを感じ、すぐに吐き気もしてきました。すぐにこれはヤバイと思い、テント内の空いている椅子に座ろうとしたら、ボランティアの方が近づいてきて、症状を聞くや、テントのシート上に横になるように言われました。 それから2人のボランティアの方が急いで氷を持ってきて、後頭部、両わきの下、両太ももの間に挟んでくれました。30分か40分ほど寝ていたら、吐き気もめまいも治まったので、薄めのジュースを飲んで、氷を両手にレストステーションまで歩いていきましたが、今まで経験したことがなかったし、その時は恐怖感も湧いていたので、まだ完走できる可能性があったものの、リタイアすることにしました。 収容車でゴール地点に戻ってから、多摩クラのメンバーが次々に帰ってくるのを見ていると、またまた悔しさが募ってきました。暑さに対する当日の対策が原因ではなく、そもそもあのコンディションで走り切れる体力がなかったということだと思います。過去13回のウルトラでリタイアしたことがなかった、それを過信していたんだと思います。そんな簡単に完走はさせてやらないよと。 まだ、ウルトラのレースはありますが、サロマ湖でなければ、この悔しさは晴れません。来年まで、この悔しさを胸に秘めてリベンジを果たします。 |
「ニュージーランドでトライアスロン(プロから指導)」報告
多摩川クラブ 峰田 正隆
早いもので私が62歳でトライアスロンを始めて4年半経過しました。
昨年は長崎五島の「アイアンマンジャパン」・「佐渡トライアスロン大会」の二大会に完走できました。これはフルロングの大会で水泳3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Kmです。自分ながらここまで順調に力をつけてきたと思います。
海外レースに向け
来年は海外レースに挑戦します。三大有名大会(ハワイ・ニュージーランド・カナダ)の中からNZに決めました。決め手はスポーツの本場で景色が美しく透明度の高い湖で泳げることです。
そのためニュージーランド「アイアンマン」のコース下見と観光を兼ね4月13日から一週間NZに(妻同行で)行ってきました。
それも現地プロから指導受けながら大会コースを走るかなり充実した内容です。
NZ訓練
4月14日11時間のフライト後オークランドの(宿泊先近く)海で早速水泳練習に入る。
オークランドは既に初秋に入り水温も冷たい(23℃位?)のですが現地の外人は平気で泳いでいました。
プロから「腰が沈みがち」と欠点を指摘される。(体脂肪8%も理由にならない?)
翌15日早朝 NZアイアンマンの開催地ターポに到着(オークランドから180Km車で移動)
すぐ水泳練習のため湖に移動。ターポ湖はとても美しく、水底まで見えるほど透明度が高かった。しかし水温は17℃位で(日本の国際プールでも27度位)ウエット着用でも寒い。湖なのに波が高いのには驚きです。
寒さで手足が痺れ結局1kmでギブアップ。
終了時は手足が紫色になり、感覚麻痺状態。
プロからは@「両呼吸の練習」(片側呼吸では波が口に入る)とA「波の対処」の仕方を練習する必要がありと指導される。
その後マラソンコースに出発。
マラソンコースは@「風が強い事」とA「ダラダラ坂」の攻略がポイントとプロからアドバイスを受ける。
私は夜中に走る事になるので足元の注意箇所を教わる。(昨年日本人が転倒し怪我をした場所らしい)
NZは日中暑くても湿気が無いので走るには快適です。しかし朝晩は冷えるので防寒対策をして走るようにとアドバイスを受ける。
ランの試走は「美しい湖周辺」を気持ち良く走れました。
16日早朝バイクコース(一般道路)に出発。このコースは100Km道路と言われコンテナトラックが時速100Kmでビュンビュン飛ばし、その風圧で自転車が横転しそうになるとても恐ろしい道路です。
しかしプロが私を真ん中にはさみ前後を走ってくれるたで何とか付いていけました。
バイクコースの周りは羊・牛・馬などがたくさん放牧されていました。とてものどかな景色がどこまでも続いています。
日本と違い路面は粗くドンドンと振動が肩に響きます。(長時間走行はダメージが大きい)@「長いダラダラ坂」とA「向かい風」が攻略のポイントと言われる。又これを克服するのには「パワー不足」との指摘も受ける。
バイク練習後、再びラン練習に向かう。
バイクからランにシフトする際極端にスピードが落ちるので、普段から「切替の練習をするように」アドバイスを受ける。
練習から観光へ
NZは島国で温泉も多く日本人好みの国だと思います。美しい自然が多く食べ物が(チーズ・蜂蜜・ワイン・ビール・羊肉・牛肉・果物のキウイ・シーフード等)とても美味しいのです。
練習後無料の露天風呂(川温泉)に入りましたが、日本人には気持ち良い温度(40度強)も外人には暑いらしく下流の方で浸かっていました。
翌17日、次のリゾート地「ロトルア」に向けて出発。ここは原住民(マリオ)が居住する場所で温泉地でも有名です。
間欠泉・蜂蜜工場を見学し、レッドウッドフォレスト(赤松林で)オゾンたっぷりの森林浴を楽しむ。
ヘルズゲートのポリネシアンスパで入浴する。このスパは広くて深いので急きょ「水泳教室」が始まった。
見ていた外人客はニヤニヤしながら「段々上手くなっているよ」と声援してくれました。
苦手の水泳は都合3回指導を受けたがやはり一番課題が多いことを痛感する。
プロの家で最後の夕食
翌日プロのお宅で一泊させていただいた。
最後の夕食はNZローストビーフを焼きながら地酒のビール・ワインをいただいたが、どれも本当に美味かった。(デザートのキウイも甘すっぱく美味)
NZはゴルフ・ヨット・ダイビング・釣り・トレッキング・トライアスロン等スポーツ好きにはたまらない国です。又自然を愛する旅行愛好者にも絶対お勧めの国だと思います。また来年行けるのかと考えると今からわくわくします。
今回の特訓で得た課題を克服し初の「海外アイアンマン」に挑戦するつもりです。 |
平成22年 4月25日(日) チャレンジ富士五湖 100km |
多摩川クラブ まっきー 富士五湖周辺も、朝5時の気温は0度でしたが、日中は澄みきった青空が広がり穏やかで、富士山の雄大な姿もしっかりと見れて気持ちがいい一日でした。 今回のチャレンジ富士五湖には多くの多摩クラメンバーが参加し、前日から和気あいあいとしたアットホームな雰囲気で、皆それぞれにリラックスして楽しめたと思います。 そんな中で、ヤマちゃんは72km女子の部で総合優勝! 脚の調子がイマイチと言っていましたが、本番では実力を思う存分発揮。また優勝、と周りから声が出るほどの貫禄の勝利。おめでとう! そして、ロンブーは112km男子の部で総合6位入賞! 一人別宿、一人4:30スタートで心細かったと思いますが(^^)、、毎年着実に進化するロンブーを見るのは楽しみです。おめでとう! 私は100km男子の部に出場。目標は、8時間30分(キロ5+上り等でのペースダウン10分)で、8位入賞(昨年タイム参考)でした。 栄養補給の為、起床(2:30)後入れられるだけ目一杯食べ物を胃に押し込んだので、スタート(5:00)から最初の山中湖周回が終わって河口湖に向かう30km位迄(7:30頃迄)は、身重の状態でかなりつらい走りでした;;この間、小2、大1。。。 ようやく身体が軽くなった頃、何故か昨年100km優勝者のmy☆のN村さんが前を走っているのが見えました。恐らく故障でもしていたのでしょう、自重気味の走り。でもこんなチャンスは滅多にないので、しっかり後ろに付かせてもらいました。 キロ4:45〜4:50のペース。よし、せっかくなので本栖湖迄ついていっちゃおうかな、と思ってイイ感じになっていたら、N村さん43kmのエイドに立ち止まり。私は50km迄は(トイレ以外は)ノンストップのつもりだったので仕方なく一人で先行。 すると、すぐさま背後に足音が聞こえ、よしよしまた後ろにつこうと思ってたら、逆にぴったり付かれて前に出てこようとしません。え、あのN村さん引っ張る訳・・!? しびれました。50km地点を二人で通過。3時間57分58秒。しっかり後ろに付かれてます。貴重な体験。でもこの緊張感も53km迄。またもや腹にきました。ここのエイドで。。でもここ体育館があって、その入口で靴脱いで奥の方まで行かないとトイレに到達できないのでした。。。 3分のロスタイム。あーあ、N村さん行っちゃった・・ 西湖→精進湖と巡り本栖湖へ。ここで約70km。112kmの部は本栖湖を周回しますが、100kmと72kmはここにあるエイドで折返し。 エイドの手前で折り返してきたN村さんと遭遇。手を上げて挨拶されました。ちゃんと憶えててくれたのね・・・ちょっと元気に^^ カステラとバナナ食べて、ラスト30km! 80km手前のエイドでは簡易マッサージをしてくれるんですけど、そこに腰を押してもらっていた彼がいました。やっぱり調子悪いのね・・・そう思いつつ私は水だけ飲んで先行。 でも、またまた神様のイタズラがお腹に。。仕方ない次のエイドで・・・86km地点のエイド。えっ、またあの体育館。。入口で靴脱いで奥まで行って。。。3分のロスタイム。 でも90km手前でN村さんをあっけなくパス。かなりのペースダウン。故障ですか?と声を掛けました。ついでに、いつも応援してますよN村さん、というと、ありがとうございます!との返答。速くてイケメンで性格も良い3拍子リズムのランナーでした^^ と思っていたところへ、ゲストランナーとして72kmの部へ参加したエリック・ワイナイナが後ろからやってきて、アトチョットダカラガンバレ!ファイト!ファイト!と声を掛けてくれました。彼もきっとイイ奴なんだろうな、と思う間もなく、はるかかなたに行ってしまいました。。速っ! そういえば、もう一人のゲストの猫ひろしは走ってなかったけど、本栖湖のエイドでハイタッチをしてくれたな、でも小さかったな、ハイタッチ跳びあがってしてたな、と最後の激坂上りを猫ひろしで気を紛らわせて、ゴール地点にたどり着きました。 タイムは8時間22分16秒。総合10位でした。 まだまだ走り込みが出来ていない段階でのこのタイムには満足しています。 ウルトラ本命のサロマでは、8時間切りを目指して頑張ります! |
平成22年 2月28日(日) 東京マラソン |
応援団 1 | 応援団 2 |
TOKIO REPORT 多摩川クラブ ヨビリン 冷たい、みぞれまじりの雨に襲われた昨日28日、東京マラソン、月例参加選手の皆さま、普段の何倍も、お疲れさまでした。 東京マラソンに参加してまいりましたが、雨のなか、応援に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。 タイムは2時間55分30秒 スタート気温5度、ゴール気温4度。 別府大分マラソン直前より、体調がいい感じで、楽しみだったのですが、冷たい雨、みぞれ、風にやられまくりました。 濡れによる冷えは、普通ではありませんでした。ほとんどの多摩クラメンバーも敗退。 (月例でも「好タイム」続出だったそうですね(笑)) トシを取ると、寒さにさらに弱くなるそうですが、、風をひかなくてよかったです。 新宿駅で多摩クラメンバーと待ち合わせ、陣地定めて降りしきる雨の中、新宿西口公園で軽くアップしましたが、なぜか他にアップしている選手が、ほとんどいません。 スタート地点には、50分前にロンブーやきやきやと並びました。 ラインラインまで、わずか30mほど。 それからの待ち時間、冷えとの闘いです。しばらくその場駆け足。 1分前に、前に詰めるドサクサにまぎれて、スタートラインから5mくらいまで迫りました。 スタートして1キロのラップは3分55秒でしたが、体感的に、別大よりキロ5秒以上悪いのがわかります。 最前列スタートの、エリートヤマちゃんが8キロくらいで見えてきて、並ぶと、寒さでやられ、相当不調そうでした。(残念ながら25キロでDNF) ノジ&ナオが声援してくれ、この時点では余裕があったのですが、、 福岡旅行への切符、2時間45分切りを狙った望みのラップをギリギリ守れたのは、15キロまででした。それ以降、キロ4分を守るのさえ、苦しくなりました。 その時点で全身がこごえ、足先、指先の感覚がなくなりミニポシェットのチャックが開けられず、ゼリーを取り出せなかったり 、給水の紙コップがつかめず、3回以上取り落としたりしました。 ストップウォッチを、うまく押すことさえできなくなりました。 銀座のハーフ地点で1時間23分6秒かかり、45分切りは完全にあきらめ。 銀座を過ぎた25キロでは、べチャベチャと冷たいみぞれが 肩や腕にあたり、 走っているのに、寒さで全身に胴ぶるい。 気が遠くさえなってきます。 さらにペースダウンして、抜かれ放題です。 多摩川クラブ!と何度も声をかけていただきましたが、手をふる余裕もなくなりました。 そこから、ビルドアップしての復活が不可能なのは、経験から明白。 もう、東京観光を楽しむことで完走を目指す気持ちに、切り替えざるをえません。 そうはいっても、完全にジョグして3時間半程度でゴールするまで開き直る気にもなれないので、それなりに頑張って35キロ地点に差しかかると、観客がざわめき、私の後ろを指差して「あ、猫ひろしが来た」と騒ぎ始めました。 「まさか、、!」 すぐに、つきそいランナーや、芸能人好き市民ランナーグループに囲まれた、大きな「猫ひろし集団」にあっと言う間に抜かれました。 猫ひろしは、素晴らしいバネと躍動感! まるでスタート直後のような元気ぶりで、「シャー!シャー!」とこぶしを周囲に振り上げて、アピールする余裕ぶりです。 その瞬間、負けを覚悟して、この報告のタイトルを「猫ひろしに敗退したヨビリンです」とする覚悟を決めました。 しかし、猫ひろしは本気で走っていなかった(ように見えた) おかげか、 差が一気に広がりません。 沿道に次々「猫ひろし!猫ひろし!」と、猫ひろしコールが連続してわき上がり すぐ後ろなので、それを5キロにも渡ってずっと聞かされながら、走るハメとなりました。 サブスリー確実なペースなので、ガッツポーズを何度も繰り返し、左右をキョロキョロ見回し、手を周囲に振りたくっています。 それを見ているうちに、「こいつには負けたくない」という気持ちがムクムクわきあがりました。 少しずつ差をつめ、それ以降、抜きつ抜かれつ。 40キロから全力スパートして差をつけましたが、41キロの登り坂で失速。 抜き返されるのでは、という恐怖から必死に逃げました。 その、芸人相手に本気でムキになった見苦しい模様は、猫ひろしのフィニッシュを伝えるテレビ放送に、しばらく映されてしまったそうです。 また、よりによって彼のブログに出されてしまいました。 http://blog.oricon.co.jp/neko_hiroshi/ 私 2時間55分30秒 猫ひろし 2時間55分45秒 彼は強いです。フォームも素晴らしい。本気出されていれば負けていました。 将来、その気になれば50分は切れますね。 フィニッシュ後は大井町で、月例からかけつけたひでりんはじめ、青竹メンバーと合同打ち上げ。 参加できず、無念の涙雨を降らせたヨースケも合流し、久々のアルコールを楽しみました。 スプリット・ラップタイム 5キロ 19分22秒 10キロ 38分46秒 (19分24秒) 15キロ 58分31秒 (19分45秒) 20キロ 1時間18分36秒 (20分05秒) ハーフ 1時間23分06秒 25キロ 1時間39分27秒 (20分51秒) 30キロ 2時間01分15秒 (21分48秒) 35キロ 2時間24分14秒 (22分59秒) 40キロ 2時間46分00秒 (21分46秒) ← 猫ひろしのおかげ フィニッシュ 2時間55分30秒 ( 9分30秒) |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン |
before race 1 | before race 2 | before race 3 |
after race 1 | after race 2 | after race 3 |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ すなぎも 2月7日日曜日・・最終コールを済ませあとは整列。仮設テントにお邪魔して多摩川クラブのメンバーに挨拶、互いの健闘を誓う。 別大・べつだい・ベツダイ。市民ランナーにとって憧れのレースでもある。今時分はそのスタートラインに立っている。帰宅部出身かつての運動音痴がどこまでできるか試すときが来た。ほとんどプロジェクトX状態である。 整列は持ちタイムの完全番号順。皆整然と並んでいる。スタートラインへ移動の時も大きく乱れない。強豪ランナーはマナーも素晴らしい!中継ヘリが低空で飛んでいく。余分な演出もなくスタート直前の静寂が嫌でも緊張感を高くする・・ 号砲一発いよいよスタート!42.195kの旅が始まった。さすがに速い。スタート直後にありがちなジグザグ走もなくストレスを全く感じない。夢にまで見たレースにテンションは上がるけどペースは上げすぎるなと自分に言い聞かせる。別府市街に入り応援が多くなる。 5k 19:09 やや突っ込み気味だが19分台なら許容範囲。最初の給水ではセンターラインよりを走っていたおかげでとり損ねてしまった。すぐ斜め前のランナーから「少ししかありませんがどうぞ」と紙コップを受け取る。「ありがとうございます」と口に含む。嬉しかった・・ 亀川付近の折り返しを過ぎると少しずつ集団が形成される。・・折り返しといえば・・風向きが変わらない??風が舞っているのだろうか。想定外ではある。 10k 38:25(19:16) 最初の関門はクリア。次の給水ではペットボトルを取ることができた。2,3口飲んだ後横のランナーに渡す。これも通常のレースではないこと。この連帯感がいい! 沿道の「頑張れ!」に混じって「前の集団に追いつけ〜」と檄も飛ぶ。国際レースならではか。 15k 57:31(19:06) 先ほどの檄のせいか?この旅いやレース最高ラップが出た。やがて別府市街を離れ高崎山の麓を走る。「キャッキャッ」と鳴き声が聞こえる。猿たちも応援してくれているのだろうか。スタート地点のうみたまごを過ぎやや集団がばらけてきた。 このペースでひとり旅はなるべく避けたい。何とか前の集団に追いつこうとする。 20k 1:17:01(19:30) HALF 1:21:15 最大の難関、ハーフ地点の関門はクリア。しかしコース上の難関も待ち受けていた。別大国道名物の「バンク」。カーブに沿って道が傾いている。位置取りを間違えると足首を痛めてしまう。最も内側に沿って走り何とか切り抜けた。 建物が多くなり大分市街に入った。 25k 1:36:23(19:22) ここからが正念場だ。変わり映えのしない景色が続くコース。大分川にかかる弁天大橋を渡る。前後のアップダウンがつらい。ここから徐々に脚が重くなってくる。裏川橋付近でトップ集団とすれ違った。30k手前でパワージェルを吸う。 30k 1:56:05(19:42) しかし体は復活しても脚が追いつかない。そんなばかな・・今まであれほど30k走をやってきたのに・・柳通りに入ると片側1車線道路になり沿道の人の数も増え声援も近くに聞こえるようになる。 「頑張れぇ〜」と声を枯らして応援してくれる人もいる。・・でも応えられない走りしかできない自分がもどかしい。沿道の皆さん、ごめんなさい・・ 西中浜交差点から再び大通りに。 35k 2:16:03(19:58) ペースが落ちているのが自分でもはっきりわかるほどになった。やばい。でもせっかくここまで来たんだ。意地でも完走して帰宅部出身の力を見せてやる!そんな気迫の前に再び弁天大橋が立ちはだかる。 と、そのとき前を見慣れたユニフォームが。ヒデリンさん!あんなに前を走っていたはずなのに・・しかし声をかける余裕は僕にはなかった。橋の上り坂ではふくらはぎを痙攣が襲う。 耐えろ!浜町交差点付近でヨビリンさんにパスされたことさえ全く気づかないほど周りが見えなかった・・再び左折して大分県庁へ向かう。あと数百メートルで最後の関門・・ 40k 2:36:51(20:48) もうボロボロ状態だった。気持ちとは裏腹に前に進まない脚・・あまりのもどかしさに「なんでだよ!」と叫んでしまった。今自分の背中を押しているのは執念と沿道の声援だけのようだ・・ また、中1のときの担任の先生・体育担当のY先生の顔も浮かんだ。あまりの運動音痴ぶりに手を焼かせてしまったY先生、天国から見守ってくれているだろうか・・ 最後の橋・舞鶴橋をJOGのようなペースで走り抜ける。競技場までの細い道が異常に長く感じられた。ひたすら無心に走る。ついに競技場に入った。トラックに入り思わずサングラスを外す。 今までのことが頭をよぎり涙が出てきた。最後の直線に入りフィニッシュラインが見えた。思わずガッツポーズ。ゴールの瞬間は頭が真っ白になった。 GOAL 2:46:29(9:28) レースはボロボロだったけど自己ベストだ。すぐにヨビリンさんを見つけた。45分台・・すごい。まっきーさん、山ちゃんさん、よーすけさん、クロカンさん・・皆さん素晴らしいタイムでのゴール。 自己ベストで一旦は安心したものの再び僕の心に火がついてしまった。 また来よう。次は45分切り!! 超長文、大変失礼しました。 |
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平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ まっきー 恥を忍んで書いてしまいますが・・・ 3年3か月前の私は、体重約80kg、ウエスト約90cmの超メタボでした。 健康診断ではこれ以上太っちゃダメと言われていました。 メタボ解消で始めたランニングも、最初は300m走ったら苦しくて動けませんでした。中・高校で陸上をやっていたとはいえ30年のブランクがありました。 2年8か月前に多摩川クラブに入り、周りの意識の高い方々に刺激を受け、次第に私も真剣に取り組むようになりました。 あと4か月で50歳。こんな典型的なおやじランナーでも、多摩クラで頑張れば別大参加も夢ではありません。 そして、記念すべき2010年2月7日・・・ 11:55 高崎山・うみたまご。ゼッケン順に整然と待機していた全ランナーが軽快にスタート地点に移動した。念願だった別大の始まりにいやがおうにも気持ちが高ぶってきた。超低空飛行で旋回するヘリの音が高揚感を煽った。 12:00 第59回別府大分毎日マラソンのスタート。今の自分に出来ることはやってきたつもりだったので、絶対にあきらめないでゴールまで行こうと決意。 7人の多摩クラ仲間が一緒なので心強かった。 前後左右にランナーが溢れていたが、皆淡々と脚を進めていた。カツカツカツというシューズがアスファルトを踏む音がリズムよく響いていた。 今回の目標タイムは、強気の2時間43分切り。設定ペースは、5km19:10(キロ3:50)。 スタートから近くを走っていたひでりんと、お互い何となく意識し合って抜きつ抜かれつで5kmを通過。18分51秒。前半の貯金を考えるとまずまず。 ここから10kmまでは、ついていく集団探しに没頭。単独走が大の苦手な私にとってこの作業はとっても大切。集団への身の置き方の条件は、なるべく大きな集団で走る、なるべく前の方を走る、なるべく上下動の無いフォームのランナーの後ろにつく。 9kmの折返し付近で、かなり前を走るたかちゃんとよーすけに遭遇。いつもながらのオーラを感じるクールな走りのたかちゃんと、気合い十分に手を挙げて合図するよーすけの好対照が印象的だった。 5〜10kmは18分50秒。条件に合った集団が形成されつつあった。11kmの給水ポイントでは、ペットボトルのスポーツドリンクを周りで分け合った。皆同じ思いのようだ。この集団にずっとついていこうと決めた。 10〜15kmは18分54秒。理想的な展開。風が舞っていたけどそんなに気にならなかった。集団に一人いた外人さんの動きが激しいダイナミックなフォームはかなり気になったけど。。 左手に海を見ながらほどなくスタート地点に戻ってきた。 他のメンバーがどの辺を走っているのかはまったく分からなかった。 やがて、噂に聞いていたバンクがやってきた。曲がりくねった走路の中で集団がバラけ、皆思い思いのコースを走っていた。でも手こずっていた。 15〜20kmは19分14秒掛かった。 その余韻かどうか集団全体がやや疲れてきたようだ。私も中間点辺りでは少しキツくなってきて、自分にゲキを飛ばすようになってきた。 ハーフの通過は1時間20分2秒。 気持ちを立て直そうとしていた頃、多摩川クラブと書かれた幟が見えた。えっ何、と思っていると、多摩川クラブファイト!とご婦人の声。(後から聞くと、ひでりんの奥さんのお手製の幟だとか)何よりの応援、元気回復! 20〜25kmは19分16秒。 大分市の市街地に入ると大分川に掛かる弁天大橋を渡る。この橋のアップダウンは結構キツい。橋の上りで元気そうな2人が集団の先頭に立った。元気回復の私はその後ろについた。集団はやや縦長になったようだ。 下りでこの2人が飛び出した。1人が追走し始めた。あとは誰もいかない。3番手を走っていた私はポツンと残された。どうしたらいいんだ?オーバーペースで潰れたくない。集団はあきらかにペースダウン・・・仕方ない、、、大嫌いな単独走がここから始まった。 25〜30kmは19分38秒。 想定外のレース展開。 相変わらず舞っている風も気になってきた。でも、今回はあきらめないと決めていたんだ。ポジティブなことだけを考えた。別大を走っているんだと思いっきり脳みそに意識させた。沿道の大声援もしっかり受け止めるようにした。 あと10km。時計を見て、キロ4で行けば2時間42分台でゴールできると確認した。 よし、30kmペース走のラスト1往復だ。 35km手前でひでりんの背中が見えた。はるか前を走っていると思っていたのでビックリ。かなり疲れていたようだけど、変に刺激してバトル展開になるのはイヤだったので、手だけあげて抜いた。 30〜35kmは19分37秒。 40kmまでは沿道の声援もさらに大きくなり支えになったけど、それ以上にキツかった。壁が立ちはだかってきた。とにかく必死で走るしかなかった。だけど何度かめげそうになった。息をはく声をわざと大きくしてそれでリズムを取った。 35〜40kmは20分05秒。 ラスト1kmでゴール地点の大分市営競技場が見えたときはホッとした。やっとここまできた。 競技場に入ってからはトラックを300m走る。そのラスト300mでドラマが起きた。 山ちゃんが軽快な足取りで突如として現れた。今までどこにいたの?と思う間もなくどんどん離されていった。よし、ならばと私も最後の力を振り絞り、ラスト50m位で並びかけた。が、さすが山ちゃん。そのまま見事に逃げ切られた。 でも一生の思い出ができた。 ゴールタイムは2時間42分54秒。 最後は山ちゃんに引っ張ってもらって、目標の43分切り達成。 二人で固い握手を交わしていたところに、よーすけがやってきた。 2時間34分台でのフィニッシュとのこと。自分で思いっきり高い壁を作って見事に目標達成。スゴイ、よくやった。 三人で真剣に抱き合った。よーすけは感極まって男泣き。 最高の瞬間! 今回のスプリットとラップタイムは次のとおりです。 5km 0:18:51 10km 0:37:41 (18:50) 15km 0:56:35 (18:54) 20km 1:15:49 (19:14) half 1:20:02 25km 1:35:05 (19:16) 30km 1:54:43 (19:38) 35km 2:14:20 (19:37) 40km 2:34:25 (20:05) finish 2:42:54 (08:29) PB この別大でも多摩川クラブの連帯感は最高で、想像以上に貴重な体験をさせていただきました。 よーすけ、たかちゃん、山ちゃん、クロカン、すなぎも、そして、おやじ三兄弟のまとめ役長男ヨビリン、やんちゃな三男ひでりん。 皆さんの高い意識は本当に勉強になります。これからも更にさらに上を目指しましょう。 どうもありがとう! 長文大変失礼しました。 P.S. 家で録画していた別大見たら、スタート前のよびりんがしっかり10秒程映ってました^^ |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ さんちゃん 別府大分毎日マラソン2010報告 ○レース目標 今回は、35kmまでは我慢のレース。35kmから苦しい中で自分との闘いに勝ってゴールすることを目標に置きました。 レースペースは、キロ3分50秒を目標に置きました。もっといけるかも、という気持ちはありましたが、1月に実施したヤッソ800や、昨年10月のハーフの記録や自分の練習状況やコンディションなどを考えるとこれがベストかなと考えて設定しました。 ○レース スタートは、最後尾。ヨビリンさんの報告にもあったとおり、レース前の緊張感とランナー同士の会話ありの少し和やかなムードが漂っていました。どうやらスタート直後にテレビに後姿が映ったようですね。もっと、アピールしとけばよかった。 スタートから1kmは、最後尾を走り、走りの感触・レースの感覚を楽しみました。ラップは、4分越えていたでしょうか。 ちょっと遅いな、と感じ徐々にペースをあげ、キロ3分50秒くらいの集団につけたのが約4km地点くらい。そこから34km地点までの約30km、見ず知らず方でしたがゼッケン563番のランナーにぴったりとついて走りました。 ペースも安定していて、走りも無駄が少なく、とても感謝です。 はじめの折り返しで、ヨウスケとたかちゃんを確認する。すでに自分とは大きな差になっている。 20km地点あたりでは、大集団の中、クロカンさんも同じ集団に位置しているのを確認する。5kmあたりからずっと同じ位置にいたとは気づきませんでした。 30kmを過ぎてから徐々に足が重くなり、普段は気にならないロードのわだちやアップダウン(特に下り)も敏感に感じるようになる。そして、34km地点、ペースが4分までダウンしたのを機に、ここからは自分のレースと前へ出ました。 36kmくらいでひでりんに追いつく。少し疲れている様子。応援し、そのまま前に出る。 37km過ぎから40kmくらいまでは、マラソンランナーにあこがれていたころの昔の自分がふと思いだされ、何かに後ろから押されているかのように体が前へ動きました。 そして40kmからは本当の意味で自分との闘いでした。半分祈る気持ちで体を前へ前へと走りました。この時点では、もう今の自分のタイムがどうとか全く意識に無く、全力を出し切ることのみを意識しました。 ひょっとしたら14年前の自分に勝てるかもしれない。そんな感じでした。そして、ドラマは待っていました。ちょうど競技場に入る手前でマッキーさんが見えてきました。 まさか、こんな展開になるとは。勢いのままマッキーさんを競技場入口手前でとらえ、そのまま前へ。そのまま数人のランナーをとらえ、ゴールも間近のホームストレートに入る直前に、スパートしている自分の後ろから気配を感じ、ちょっと振り向くとなんとマッキーさんが迫っているではないか。 もう、必死でした。レース中に、「うゎ、」と驚きの声を発したのは、生まれて初めてです。そこから渾身のラストスパートで、自分では思いっきり引き離したつもりでしたがマッキーさんとは同着フィニッシュでした。 42.1kmを走ったあとで、こんなドラマが待っているとは、ほんと想像もできませんでした。(このゴールタイム、実は同着で4名がゴールしていました。驚きです。) 5km 19’02” 10km 38’13” (19’12”) 15km 57’23” (19’10”) 20km 1°16’55” (19’33”) ハーフ1°21’11” 30km 1°55’44” (10kmLAP 38’50”) 35km 2°15’25” (19’42”) 40km 2°34’52” (19’27”) 42.195km 2°42’54” (8’03”) ○自己ベスト 14年ぶりの自己ベストで完走することができました。自分の目標だった学生時代の記録を36秒超えることができました。たぶん、14年前の自分に追いついたのは競技場に入る頃・ちょうどマッキーさんに追いついたころじゃないかと思います。 マラソン6回目。今回は、はじめてエネルギー切れすることなくラストまで走りきることができました。 マラソンは、まだまだみんなから学ぶことが多いです。ようやくこれでスタートラインに立てた感じです。ありがとうございました。 そして、他のみんなも自己ベスト続出。35分切のヨウスケをはじめ、おめでとうございます。 ○国際レース はじめての国際レース。ちょっとの時間ですがケニア・エチオピアの選手を間近に見ることもできました。あの場所で走ることができたことに感謝です。 そして、給水のペットボトルをランナー同士で渡しあうマナー。集団にあっても給水がとれ、とてもありがたかったです。 ○ヤッソ800 1月に実施したときのタイム 2’49”→2’42”→2’44”→2’42”→2’42”→2’43”→2’43”→2’43”→2’40”→2’34” 平均2’42” ヤッソどおりのタイムで走れました。不思議ですね。 ○おやじ3兄弟 は、とても意識の高い方々だと改めて感じました。ヨビリンさん、ほんとあと少しで45分切りでした。あの時は、横でみていた僕もスローモーションになりました。ひでりんさんは、家族サービスも兼ねての遠征。お疲れ様でした。マッキーさんには、強靭なスタミナとパワーを感じました。1週間前の月例10kmを彷彿させるトラック勝負でした。 ◎ここで六郷駅伝 クララ→ファイティング→きやさん→自分のメンバーで走らせて頂きました。 この駅伝、レース後の打ち上げもあり、とても盛り上がりました。参加できて良かったです。きやさん・クララ・クボッチ、そして中山さんはじめとてもありがとうございました。 駅伝の結果は2位。喜ぶべきか、どうか。トップとはあと18秒ということもあって、やっぱり2位という順位は、正直悔しい気持ちのほうが強いです。これに終わることなく、また次を目指して頑張ろうと誓いました。 以上、興奮冷めやらぬ間に書いておこうと思ったら長文になってしまいました。失礼します。 |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ クロカン 週末各地大会参加、練習会など皆様お疲れ様でした。 また別大に参加の方々お疲れ様でした、また、お世話になりました。 別大は昨年(旧コース)に続き2回目の出場でした。昨年は後半大失速し2時間51分もかかってしまい、別大、特に別大国道に苦手意識を持ってしまい、また今年は直前に体調が今一であったので、2時間40分切りを狙って失速するリスクを避け、確実に45分を切れるよう、前半から抑えていきました。 結果としてタイム2:43:57で、PBではないものの何とか最低限の目標は達成できました。 スタートして5Kくらいからたまたま山ちゃん、斉藤3世と同じ集団(19:10/5Kくらい)に入り、山ちゃんに気付かれないように(首を左右に振っても気付かれないように)死角を走り続けましたが、20K近辺でばれてしまい、また、自分の後ろをずっとコバンザメのようについてきた斉藤3世とともに28Kくらいから徐々に置いていかれました。 25Kまでは本当にラクで、速めのJogくらいの感覚でしたが、やはりやや脚にきてしまい走り込み&実力不足を痛感しました。終盤何とかまとめましたが、危うく45分切れないところでした。 多摩川クラブでは、よーすけ、たかちゃんは別格として、自分は3着を意識していましたが、山ちゃんとまっきーさんに先着されました。(+斉藤3世) ”ミスター月例川崎”の山ちゃんと中学時代に800mを2分4秒で走られたまっきーさんの底力を感じました。この2名には1月17日の多摩川30Kペース走のラスト5Kで完勝していましたが(勝負していたわけで訳ではありませんが。。)結果として見事にリベンジされました。 ヨビリンさんの故障中での45分、ヒデリンさんの30K通過タイム1:54:04とおやじ3兄弟、強いです。自分自身、3兄弟に最も手頃なターゲットで、日頃の御3名の言動から強く意識されていると感じているので、今後は油断せずより気を引き締めて、踏み台にならずに、大きな壁として立ち塞がりたいと思います。 フルは2001年から約7年間走っておらず、一昨年のつくばから再開し2時間48分ー>46分ー>43分と徐々に上がってきたので来季は40分切りを狙おうと思います。フルは今季これで終了で、春のトラック5000mでPB目指そうと思います。 以下今回の別大のラップになります。 5K 19:09 10K 38:16 (19:07) 15K 57:26 (19:10) 20K 1:16:56 (19:30) Half 1:21:11 (4:15) 25K 1:36:23 (19:27) 30K 1:55:58 (19:35) 35K 2:15:36 (19:38) 40K 2:35:23 (19:47) G 2:43:57 (8:34) なお、別大は資格タイム3時間どころか、コース拡幅工事が終わる来年から"市民マラソン化"も検討されているようですね。 AM2:38〜フジテレビで丸亀ハーフ。ウエンツが映っているかチェックしようと思います。 |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ たかちゃん まず、最初にお詫びしておきます。 ゴール後、しばらくは平静だったのですが、競技場でシャワーを浴びた後くらいから急に具合が悪くなり、頭が痛く、固形物を受け付けない状態となりました。 ゼリー飲料を持っていたのでそれを飲み込みましたが、頭がくらくらしたので一目散にホテルに帰り、ベッドで休みました。 1、2時間休んで、お風呂に入ってさっぱりして何とか回復した次第です。 ゴール後健闘を讃えあいたかったのですが、そんな訳でご容赦いただきたいと思います。 私自身としては、若干福岡で燃え尽きており(笑)、昨年の例から見ても自己ベストは難しいだろうなと思っていました。 昨年の福岡2:39:28で別大2:39:38 今回の福岡2:35:47で別大は? とはいえ、一応35分切りを目指して突き進むことにします。 福岡ではキロ3分40秒を超えてしまっても、特段気にせずにペースを保つことに意識を持っていましたが、今回は3分40秒というタイムにこだわりを持って走ることにしました。 おかげで最初の5kmは18分を切って入り、若干息もあがりましたが、まだ4〜5kmのタイムが3分20秒を切っていたのを見て、また距離表示おかしいよ〜と思う余裕がありました。 8km地点でよーすけが追いついてきて声をかけられますが、私には返事する余裕なし(笑)。 そこから2kmほど併走したと思いますが、すこしずつよーすけが前に出ます。 風も巻いているような感じで、その頃ついていた集団にも置いていかれ、一人で別大国道を乗り切る羽目になってしまいました。 この集団には30kmあたりで追いつくことになるのですが、ここで集団につけなかったのが痛かったです。 35kmあたりまではよーすけの背中もみえていたのですが、だんだんと姿が小さくなり、つけを払う時期が近づいてきます。 35km以降は3分45秒になり、3分50秒になりしていきますが、挽回する足が残っていません。40kmを2時間27分過ぎて通過し、35分切りは難しくなったことを悟ります。 競技場手前で2時間33分40秒なのを知り、35分切りは無理だが自己ベストはいけそうだと思い何とか粘ってゴール。2時間35分29秒となりました。 先にゴールしていたよーすけと声をかけあい、33分くらいいけた?と聞きましたが、34分20秒前後との返事。 スタート場所と集団に恵まれなかったのが原因でしょうが、次回はスタートから同じレベルの集団で走れるのでもっといけるでしょう。 福岡の方が記録出せるよ! さんちゃんとまっきーさんは同じ時間のゴールだったんですね。さんちゃんはまっきーさんの1分後ろを淡々と35kmまで走っていて、40kmで30秒差、ゴールで追いついています。 お二人の完走記を是非読みたいですね。何にしてもお二人とも大幅なベスト更新。おめでとうございます! ヨビリンさんが書かれている通り、次回は60回記念大会で参加記録が3時間以内に緩和されるような噂が出ています。 サブスリーの皆さん一緒に走りましょうと言いたいのですが、確か50回のときは参加記録は緩和されましたが、関門は緩和されなかった気がします。 つまり、、、いくら参加できても、本当にサブスリーの実力だと完走できません。 あまり噂に惑わされず、こつこつと切磋琢磨していきましょう!今後とも宜しくお願いします。 |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ よーすけ レースの結果自体はもちろんのこと、そこに至るまでの流れ、 大会の雰囲気、そして何より共に走った多摩川クラブメンバーとの絆 (もちろん打ち上げも含む)・・・ すべてが最高のレース、そして至福の1日でした。 何から振り返ればいいのか、あまりにも色々有りすぎて見当もつきませんが、詳細はブログに譲るとして、2時間34分18秒の66位で走った別府大分毎日マラソンの報告です。 充実感、そして「無」の心境で迎えた号砲。 スタートは多少混雑し、ジクザグ走を余儀なくされましたが1kは3'48で通過。ロスタイムを考えればむしろ速いぐらい。 快調にピッチを刻み5kは18'02。その後たかちゃんに追い着き並走。 オーバーペースとは感じず、高速レース特有のリズムが快適です。 9k過ぎの折り返しで向かい風にあおられ「話がちがうじゃん」と思いましたが、目標達成には怯んでいられません。 風よけ、そしてペースを作り直すために1度逃がした集団を 追うしかありません。たかちゃんとは自然と分かれ、攻めの単独走を決意します。 途中市街地を走っていると「多摩川クラブ頑張れ」「多摩川って東京の?」といった声が聞こえます。 多摩川の持つ偉大さを遠く九州で実感します。 じき、ばらけた集団に追い着くとそこからは しばらく着いては抜け出すの繰り返し。 みな向かい風の中集団を引っ張るのにためらいがあるのでしょう。自分は 明確に目指すタイムがありましたし、風の影響もそんなに感じなかったので、どんどん押していきます。 途中、これがランナーズ・ハイというやつでしょうか、自然と笑みがこぼれてきます。 ハーフの通過は1:16'51。ちょうど1年前、 神奈川ハーフを走ったときのタイムが1:18'29。 それより速いペースでフルを走ろうとしている自分が何だか不思議な感じです。そして頭の中で計算「34分切りへ、貯金は40秒、ということは・・・」「1kあたり2秒、5kを18'30なら許容範囲」 幸い足も呼吸もまだまだ余裕、気が楽になります。 23k過ぎに大集団を発見、どうやら3'40前後。 多少遅れても、2度目の折り返しまで体力を温存するには最適の集団。この大会で初めてといっていい集団走は本当に楽でした。なのに・・・ わずか1k、体が勝手に反応します。結局、またすぐに単独走。本能のままに攻めてしまうのが長所なのか、欠点なのか、いずれにせよ覚悟を決めた以上、自分で責任を負って突き進むのみです。 30kは1:49'19。貯金を計算する余裕はさすがになくなってきました。 幸いまだ足は動きます。変に落としたりすることなく、あとトラック30周、皇居2周と少しに意識を傾けます。 それでも人間は弱いモノ。ゴールが近づくと、途端に逃げ出したくなります。35k辺り、「あと7kで・・・」そう思うと体は自然と重く。特にハムストリングスが悲鳴をあげ始めます。 「まだ4分ペースに落とせないのか」そんなことを考え始めるころに、湘南国際でもおなじみの「ゴールお預け」。フィニッシュ地点のすぐそばを通のにゴールは許されません。身も心もいっぱいいっぱいになってきます。 40kは2:26'04。3'40はすでに維持できず、4分に落とすことも 許されません。ここからが本当に自分との戦いでした。 「いままでどれだけ我慢してきた。あとたった8分、これに耐えなければすべてが無駄になるぞ」自分に言い聞かせ最後の力を振り絞ります。 あと1k地点を通過、時計をみてやっと35分切りは大丈夫と確信。 競技場に入るとランニングタイマーとともに「58」という数字。 フィニッシュラインを超えた選手の数だと理解するのに数秒を要しましたが「これは相当な順位だ」と力が沸いてきます。あと300m少々、土練のインターバルの競り合いを思えばかわいいもの。 最後はサングラスと取り、東京マラソンよりは控えめなガッツポーズでフィニッシュ! 達成感、満足感・・・。どの言葉も陳腐に聞こえてしまう、至福の一時。涙はなかったのですが・・・ ゴールに目をやると「多摩川クラブ」のユニホームが2つ。 まっきーと山ちゃんが並んでフィニッシュ。自然と抱きつき涙が溢れました。 すでにゴールしていたたかちゃん、直後にやってきた ヨビリンさん、クロカンさん、すなぎもさん、ひでりんさん。 「このメンバーで別大を走って、ベストを出せて、本当にうれしかった」 この感情を抱けたことが今回、一番の収穫でした。 長文失礼しました。最後になりましたが、応援ありがとうございました。 日曜の昼間という多忙な時間にテレビを通じて送ってくださったエール、確かに遠く別府と大分まで届いていましたよ。 以下、LAPです。 5k 18'02 10k 36'05(18'03) 15k 54'18(18'13) 20k 1:12'49(18'31) half 1:16'51 25k 1:31'05(18'16) 30k 1:49'19(18'14) 35k 2:07'34(18'15) 40k 2:26'04(18'30) finish 2:34'18(PB) |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン 多摩川クラブ ひでりん 2月7日別大マラソンに参加してきました。 結果2"53'49.目標の43分台より、10分も遅かった。 初の国際レースで気合い入りすぎたのと、まわりのハイペースに飲み込まれた。前半飛ばしすぎて、30K以降失速。36K以降歩きながら、ようやくゴール。 前半、果敢に攻めたつもりだが、今の自分の実力からは、やはり速すぎた。 10K地点で速すぎとは思いつつ、それほど苦しくないし、調子いいからこのままいけるのでは?という過信から、その後も多少ペースを緩めたが、自分の設定ペース(5K19'20から19'25)を超えるペースのまま25K通過。このまま行けるかと思いきや、フルマラソンはそれほど甘くなかった。 27K付近から足が重くなってきた。32Kあたりでペース維持できなくなってきた。まだ10Kもあるのに、これはピンチだ。33Kあたりでマッキーさんに抜かれ、気持的にも切れた。36K付近でついに歩いた。 その後も走ったり、歩いたりしている間にさんちゃん、クロカンさん、よびりんさんと次々に抜かれる。 もう記録はどうでもいい。早くレースを終わらせたい。すっかり戦意喪失。 40Kの関門を2時間41分で通過。制限時間は42分だったので、なんとか残り1分ですり抜けた。 その後も、這うようにして、なんとかゴール。 5KごとのLAPは以下の通り。 5K 18'48 10K 18'32 15K 18'49 20K 19'04 25K 19'16 30K 19'36 35K 20'32 40K 26'22 2.195K 12'52 こういうレースもあるさ(^^) 今回の反省を活かし次回(佐倉)は、30Kまでは自重したレースにしたい。 |
平成22年 2月7日(日) 別府大分毎日マラソン
多摩川クラブ ヨビリン
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第32回 池上本門寺 花祭り家族健康マラソン大会 Barrie 梅野 1.レースとの出会い 「本門寺を、走るんですか?」 2001年の秋に突然走ることに目覚めた私は、普通の運動靴で、多摩川大橋やガス橋のあたりをジョギングするのが習慣だった。2002年の1月からは走行距離を記録するようになり、2009年の本門寺マラソンスタート時点で通算7,756kmである。大会出場は90回目。最初にエントリーした大会は本門寺。そのきっかけは、ガス橋のあたりをゆっくりと走っていたときの出来事である。 大勢の人が、胸に数字が書かれた紙をつけて集まっていて、運動会に使うテントが、ガス橋のたもとに張ってある。看板があるわけでもなく、訳がわからない。先を急ぐでもない私は、様子をうかがった。そのとき、テントの中から声がしたのである。 「選手の方の受け付けは、こちらですよ」 「選手」が私のことだと理解するまで、ちょっと時間がかかった。 「いえ、私は、通りがかりの者ですが、こちらでは今何をしているのですか?」 今思えばずいぶん間抜けな質問であるが、その方はご丁寧に、これは一般の人が参加するマラソン大会であり、まもなくスタートすることを教えてくれた。オリンピックや福岡国際マラソンのような「選手」が走るレースと、「青梅マラソン」しか知らず、多摩川の河川敷でマラソン大会とは、私の想像をはるかに超えていた。 もうすぐだというので、スタートを待った。程なくピストルがなる。選手たちは一斉に走り出す。先頭を行く選手たちはジョニーのように速い。その後に続く選手たちも、充分速い。でも、そのあとの選手たちは、そんなに速く見えない。後方は、もう「選手」とはいえないような方々ばかりであった。 「どうすれば、出場できるのですか?」 私はテントに引き返していた。「次の大会はこちらです」といって1枚の紙を渡してくれた。「第25回池上本門寺花祭り家族健康マラソン」と書いてある。 「本門寺を、走るんですか?」 こうして人生が変わってしまうのである。2002年の2月か3月の頃。現在は開催されていない大会がガス橋付近であったのだろう。私に声をかけてくださったのは、多摩川クラブの、少しばかり年上の女性だったと思う。 池上本門寺へは、小さい頃、祖父に連れられて、何度も歩いて行った。決まってくずもちを食べて帰るのだが、そればどうでもいいことで、歩いていくことが私は好きであった。また私は、結婚してからしばらく仲池上に住んでいて、子供たちを連れてよく池上界隈を散歩したものである。そんな街を走るのがとても興味を引いた。 その頃私には時間が無かった。その年の7月から、単身赴任することが決まっていてとても忙しかった。4月から転勤なのであるが、仕事の引継ぎの関係で3ヶ月延ばして貰っていたのである。日韓共催のワールドカップが終わると、単身赴任である。 そんな時間がない時期ではあったが、エントリーすると週末に走る時間が長くなった。人間、目標ができると行動が変わってくる。そのころの月間走行距離を調べてみると、 1月48.7km 2月51.7km 3月96.9km である。だんだん長く走れるようになって、楽しかった思いがある。いつかは10kmを1時間で走りたいという目標は、あっという間に達成してしまった。 別の用事ができてしまい、その年の本門寺はDNS。4月の走行距離はわずか30.8kmである。私の大会デビューは単身赴任の直前の父の日に開催されたガス橋マラソンとなった。本門寺デビューは翌年。2003年から連続して出場している大会は、本門寺だけである。 2.綱島へ 本門寺マラソンと同じ日に、横浜ロードレースがある。同日開催はやめてもらいたいと思うのだが、どちらに参加するかで、その人となりがわかるので、それもまた面白い。本門寺に幟を立てるわけには行かないが、樽町公園では2色の幟を立てたいものだ。私が青の幟を2本預かっているので、1本は横浜ロードレース会場へ届けようと思っていた。前日の土曜日に練習会で誰かに預けるのが一番手っ取り早いし、次の手は当日の朝矢口渡駅できやきやさんを待ち伏せすることなのであるが、自分で持って行き、そこから本門寺まで走ってみようと思い立った。 先週はお花見などでほとんど走らなかったので、今週は少し長く走りたかったのも、思い立った理由である。ジョギングシュミレータというサイトがあり、そこで地図上にマークすると距離が計測できる。綱島から本門寺までは10km。ちょうどいいくらい。電車でのはしごは得意技だが、走っての移動は初めて。不安もあったが、まあなんとかなるだろうと思う。 多摩川線では、山本ケイイチ著「なぜ仕事ができる人は筋トレをするのか」を読んでいた。 これからリュックをしょって走ろうと言うのに、本を持っていくのかと疑問に思われるかもしれないが、私は本を持っていないと落ち着かない性分である。ちょっと時間が空いたときに読むものが無いのは不安である。もし電車が止まってしまって閉じ込められたときに、本がないと時間が無駄だ。さすがに古市場へ行くときには持たないが、電車に乗るときは、何かしら読み物を持つ。ランニング大会の時は、内容も重さも軽い書を選んでいる。昔は会場でシートを広げて着替えた後、そこに座って本を読んだりしたが、近頃は多摩川クラブの皆さんとお会いできるので、それはやめるようになった。 この本は、前日山ちゃんから推薦された朝原宣治著「肉体マネジメント」の巻末に紹介があり、早速購入したもの。実は最近、筋トレを始めたので、興味がある。 2月18日に大腸ポリープの切除手術を受けたことは前著で述べたとおりであるが、治療後2〜3週間はランニングしないように指導を受けていた。私は医師の指示を忠実に守り、連続25回目となる月例の3kmと5km以外は全く走らなかった。しかし、荒川が迫ってきており、このままでは筋力が落ちると思い、スクワットや腹筋をするようになった。 後で医師に聞いたところでは、治療後一番いけないのは、下腹部に力を入れるような運動とのことで、スクワットや腹筋をするくらいなら、ジョギングのほうが体に負担はかからない。医師は、私が走ってもよいか質問したので、ランニングはだめと言っただけらしい。そのとき渡された注意書きを再度見ると、お腹に力を入れないようにと書いてあるが、もう後の祭り。結果は良性腫瘍で、今は問題ないので、よしとするしかない。東京マラソンで幟を持って応援していたら、腕が筋肉痛になったので、以後はダンベルまで上げるようになった。風呂上りに鏡に映る自分の肉体を見るのが、ちょっとだけ楽しみになっている。 筋トレを始めるきっかけは、4パターンあるそうだ。「流行系」、「メタボ系」、「もてたい系」、「コンプレックス系」。我が家にダンベルがあるのは、家内が「流行系」だからであろう。バランスボールは2つもある。私が払い下げを使うのが、我が家の風習である。 これをランニングにあてはめると、私のランニングのきっかけは、「コンプレックス系」かなと思う。運動が苦手で、虚弱児だったからだ。今走るのは、もちろん「もてたい系」だ。なぜ走るのですかと聞かれて、「走ること自体が楽しい」とか、「自己実現のため」とか、「日常では味わえない達成感を得るため」と答えていたが、最近は「女性にもてたいから」とか、「すてきな中年になりたいから」と言うようになった。走り始めた頃と比較すると、体重は10kg近く、ウエストは8cm近くも戻しており、20代後半から30歳頃の時と同じ体型である。40代の時のスーツは全部着れなくなった。独身時代のもので、いつか息子にあげようと残しておいたスーツを、今私が着ている。そうすると気持ちも独身の頃に戻るようで、独身だった20年前にお会いしたかったなと思う女性が、私のまわりに何人もいる。 電車には、ランニングシューズを履いた女性が乗っていた。綱島まで一緒だった。気持ちが独身でも行動にでてはいけない。「がんばってね」と声を出さずに挨拶して、改札を出ると、くうパパさんたちが待っていた。本当に幟を持ってきたと驚かれたが、これが私らしさの表現である。 駅で幟を立て、会場まで歩く。シートを敷き、幟を立てるとこれで私の役目はおしまい。隣でタバコを吸っている女性は、さっきの娘だ。走る前にタバコはやめようよ。軽くストレッチをして、関係者にご挨拶し、9時頃に樽町公園を出発した。 3.本門寺へ 鶴見川の右岸をゆっくり走り始めた。2kmほど進み、橋を渡る。ウインドブレーカーを脱ぎ、上は半そでのTシャツ1枚。今日はe3グリップを握って走っている。あまりグッズにお金をかけないが、これは衝動的に購入してしまった。どんな意味があるのか不明であったが、握って走ってみると、腕ふりが良くなるような感じがする。特にウォーキングの時、効果があるようだ。姿勢が良くなる感触である。 矢上へ向かい、平間駅を通り、ガス橋へ抜ける。ここまでで6kmほど。日曜日の午前中は、道路がすいていて、歩道を走るのも心地よい。今日は曇り空で湿度が低く、とてもさわやかな気候である。走るには最適。ガス橋を渡って、トイレ休憩。このトイレは、きれいで良い。 下丸子方面へ向かい、多摩川線を渡る。多摩川線という名前は、いまだになじめない。目黒に行かなくなっても目蒲線のままでよかったのにと、目蒲病院の前で思う。環八を渡り千鳥町へ。池上線を渡る。 「池上線が走るまちに、あなたは二度とこないのね」 思わず口ずさむ「池上線」。高校時代がなつかしい。 私の通っていた都立田園調布高校は、福山雅治で有名な、土曜練習会でも走りに行く「桜坂」の近くにある。高校の運動系クラブでは、新幹線から多摩川大橋までを往復する走りこみをしていた。運動が得意な友人たちでさえ、しんどそうだったのを横目で見ていた私には、新幹線から多摩川大橋までの片道4km、往復8kmの道は果てしなく遠い距離であった。 2001年暮れのある日の夕方、その距離を走ってみたくなった。目蒲線に乗って沼部まで行き、多摩川の河川敷に出た。そこから、多摩川大橋へ向かってゆっくり走る。ガス橋をこえ、ほどなく多摩川大橋に到着。時間は30分ぐらい。新幹線から多摩川大橋まで走れたことで、高校生時代からのコンプレックスを克服した。このときの感激は一生もの。人生が変わった日であった。 第2京浜に出る。池上はもうすぐだ。一人でゆっくり走っていたためか、いろいろと思い出したり、懐かしがったりしたが、今日は本門寺マラソンの日。そろそろ集中だ。途中から裏道を走り、小学生の時に立ち寄ったくずもち屋さんのところを左にまがると、そこが本門寺の正門である。階段を上り、山門をくぐると、10時25分頃。前のレースが始まっていた。 4.五重塔へむかって 「ほんとに綱島から来たの?」と、広報部長が笑いながら受付をしてくれた。シートを広げ、ユニホームのランニングシャツにナンバーカードをつける。すぐさま給水のところへ行き、紙コップ拾いを手伝った。 この五重塔へ向かう通路は、つい先日一人で夜桜を見に来たところである。その日は新入社員の歓迎会。私の部下はこれで17人になった。蒲田の西口で1次会が終わり、皆2次会へ行ったが、私は駅へ戻らず、歩いて帰るといって、皆とは逆方向へ歩き出した。一人でコーヒーを飲み、このまま帰りたくないけど、飲み屋にも行きたくなく、歩いて本門寺へ向かった。途中のコンビニで菊水の一番絞りの缶を買い求めた。 会社での飲み会は、部下を持つようになってから苦痛になり、今では嫌いである。新入社員の歓迎会をしないわけにはいかないので、やむを得ず開催するが、もう今年はだれかが辞表を出してやめない限り、飲み会はやらない。忘年会すらしない職場として、会社では有名だ。もちろん私がお酒好きなのも有名なので、なんで私の課が飲み会をしないのか不思議なようだ。最近は公式的な飲み会ではなく、帰りに一杯もしない。私のマラソンも有名なので、誘われても、「週末走るので、お酒は控えているのです」といって断る。土曜練習会に参加するようになってからは、金曜日の夜に遅くまで飲むという非生産的なことはしなくなった。反動が多摩川クラブの飲み会に出てしまうようで、こちらは家で指導を受けることが多い。 五重塔の前の桜は、ライトアップの光で艶やかに浮かびあがっていた。夜桜を見に来る車が多い。それはきまって高齢者であって、少々足が不自由なようである。夜なら桜の真下に車をとめて、ゆっくり見ていられるからなのか、ひっきりなしに来る。明日は母を車椅子に乗せて、ガス橋の桜を見に行くことになっているのを思い出す。ジョギングしている人も多い。アベックばかりだったらという心配は無用であった。花見で一杯。菊水はいつも確かな味がする。 今日は、ランナーで一杯だ。法事で線香と塔婆を持つ方々には、「ご迷惑をおかけします」と言ってお詫びする。紙コップの水を一杯もらい、スタートの準備に入った。第1列中央にジョニーとあきら。その後ろにエリマキさんが並ぶ。エリマキさんから右隣に一人おいて、ときさん、その隣が私バリーである。体調が今ひとつのワカさんは、遠慮がちに後方にいる。 ときさんは、いつも私を牽制する。 「本番は来週だから、今日は1周11分で走って、55分が目標なの」 「いつもそうおっしゃて、実際は速いじゃないですか。それに、ここはときさん得意の坂道だし」 「さっき1周走ってみたけど、ここの坂道は短すぎるわ」 「え?」 「あの下り坂がもっと長ければ誰にも負けないんだけど、短すぎてスピードが出る前に坂がおわっちゃうのよ」 「ぼくは、ここの下り坂は、怖くて、恐る恐るしか降りれませんよ」 「まあ、私は、今日はゆっくりいくわ。家族が五重塔の前で応援してくれてるの」 前方を見ると、それらしき方々が、五重塔の前に整列している。 「ぼくは、今日は50分が目標です。ここでは、いままで50分切れたことがないんです」 内心、50分は楽勝と思っている。途中で足をくじくとか、自転車と激突するなどの事故さえなければ、今の状態からすれば、問題なく走れるだろう。今日は、充分すぎるほどアップをしたし、暑いくらいだから、スタートから飛ばすつもりである。ジョニーやあきらのようにはいかなくとも、スタートダッシュでときさんを振り切ってしまう作戦である。 5.坂道を5回 どん、どん、どん。 いつもは慎重にスタートするが、今日は2列目だ。いきなりダッシュした。だが、ときさんが前にいる。五重塔では2mぐらい離された。ときさんはご家族の前を軽快に飛ばしていく。右に曲がって次は左に。苦手の下り坂に近づく。自分もかなり速いペースだが、あっという間にときさんは消えていった。 1kmほど先、平地の部分でやっと見えてくる。 「ときさん、やっぱり坂道は速いですよ」 そう話しかけて、一気に抜き去った。この先の平地と上り坂なら、追いつかれることはないだろう。それにしても恐るべき72歳。夏のスキー場で一気に急斜面を駆け下りる大会があれば、優勝間違い無しだ。 コース整理の組長の前を通り過ぎ、上りの急斜面が近づいてきた。年に5回駆け上がるこの坂が楽しみ。ここを登るために、腹筋をしてきたのだ。 軽い。すっと体が上がる。 快調に、1回目の坂を通過した。 次の難所は、砂利道である。これはもう、勢いで通過するしかない。両側から「バリーさん」の大合唱。大勢の方から声援をいただいた。これだから、やめられないんだよね。バリーというハンドルネームは、すっかり定着した。由来を知らない人も多くなってきた。 左に曲がって給水。勢いよく左手で紙コップを取り、つぶして飲んで捨てる。Shimaちゃんに見せたいね。 1周目は9分19秒。ちょっと速すぎ。 すぐに2回目の坂道がきた。勢い良く坂を駆け上がる。左に曲がってもう一度左に曲がると、また登り坂だ。ここの坂が意外とつらい。急ではないが、波があって、じわっと襲ってくる。 「バリーさん上位ですよ。いいペース。」 山ちゃんの声援を受ける。一番きついところで声をかけてくれた。それにしても、「上位ですよ」とは。順位は関係ないが、前のほうを走っているようだ。 砂利道と声援を抜けると、2回目の給水。 「バリーさん」 ちょっと低めの黄色い声援は、ちえちゃんだった。振り返ろうとして、よろめいてしまった。ちえちゃんとは、先日の土練の帰りに、第2京浜で出会った。反対車線から手を振ってくれた。 よしもとばななさんの作で「チエちゃんと私」という物語がある。あるとき電車に乗っていて、隣の人の本を横目で盗み読みすると、主人公がジョギングする場面のすてきな描写があり、よしもとばななさんと出会った。それが「キッチン」で、以後何冊か読んでいる。私の中のチエちゃんは、多摩川クラブのちえちゃん。はたしてどんな物語だろうか。 2周めのラップは9分50秒。ちょうど良いペースになった。 3周目に入ると、かなりばらけてきた。中間部分の平地のところで、最後尾に追いつく。今日も後走はOhira君だ。ずいぶんやせた、というか元の体型に戻っている。彼とは、安方中学時代の同級生である。2003年10月こどもの国で偶然お会いし、それ以後何度かレースで会い、その度ごとに多摩川クラブに誘っていただいた。今の私があるのは彼のおかげである。 後走を周回遅れにして少し進むと、私の会社の人に追いつく。内部監査室という、何が仕事なのか良くわからない部署の方である。もともとは人事関係の職場にいた方であり、当社のランニングサークルに所属している。そのサークルでは毎年横浜マラソンにそろって出場しており、私も誘われる。ほとんどの方が先輩だ。打ち上げは中華街で、こちらもお誘いがあるが、今は多摩川クラブの仲間と過ごすほうを選んでいる。昨年の横浜マラソン10kmのタイムは、会社のなかでは私が1位だった。多摩川クラブでは遅い部類であるが、ごく一般の週末おじさんランナーの中では、私は速いのである。 私はランニングで精神修行をする会社に入った。新入社員研修は津久井浜の寮で行ない、毎朝三浦海岸を走る。工場実習では、毎朝6時半にラジオ体操をして道路を4km走った。指導員の方が、仕事中にいきなり「今日は山を走る」といいだし、山道を10km走って登ったこともある。研修や工場実習などのときは、必ず運動靴と体操服を持参するよう、人事部から指導されていた。 今なら、なんてすばらしい会社なのだと思うところだが、当時はひどい会社に入ってしまったとずいぶん後悔した。数年でやめようと思っていたが、二度に渡る希望退職もくぐり抜け、いまでもその会社に勤めている。 考え事をしているうちに3回目の坂を通過。昨日土練で初めてお会いしたサイトウさんから声援を受ける。砂利道にもどる。周回コースは、何度も応援してもらえてよい。 ラップタイムは9分48秒。正確にペースを刻んでいる。 4周目。まだまだ余裕がある。急な下り坂は、相変わらずおそるおそるだが、左に曲がった後のゆるい下りで少しペースをあげる。股関節がすっと開き、体が宙に浮く。 ラップタイムは9分24秒。 最後の給水も素速く取り、ファイナルラップに入る。ここからは、さらにペースアップだ。 ますます快調になる。急な坂に入る。これで坂道が最後と思うと寂しい。最後も一気に駆け上がる。さすがにきつい。ちょうど力を出し切った感じだ。ゴール手前では、またしても大声援を受ける。私の前は女性。広報部長がカメラを構えているので、ポーズをとった。広報部長は女性にむけてシャッターを切る。私の写真は残らなかった。 ラップタイムは9分08秒。ゴールタイムは47分30秒。 10kmとしては生涯で3番目に良い。本門寺でのベストタイムで走りきった。 6.出会い 記録証の発行は、何かトラブルがあるようだった。たかだかこの規模の大会で、トラブルとは情けないと思いながらよく見ると、順位が29だ。やりましたね。順位は関係ないと言っても「かけっこ」なのだから、上位は嬉しい。その記録証を片手に皆さんのいる最後の直線へいくと、エリマキさんがゴールするところであった。エリマキさんも、私のライバルである。 新春マラソン30kmは、折り返しまでお話しながら並走した。青梅マラソン30kmでは、折り返しの手前で彼女に追いつき、しばらくの間は抜きつ抜かれつであった。エリマキさんは下り坂が速く、折り返したあと離されたが、その後の上り坂で再度抜きかえした。荒川フルでは、折り返してくるエリマキさんを見つけ、必死に追い上げ40kmでとらえ、彼女の直後から猛然とラストスパート。勢いをつけて抜き去ってフィニッシュした。そのままフィニッシュラインにとどまり、すぐ後にゴールしたエリマキさんに握手を求めた。私の目標は「すてきな中年」であったが、彼女が「ワイナイナみたいだった」と皆に話してくれたのが、このときのことである。 お守りをいただき、シートに戻る。わだっちが呼びに来て、皆で記念写真を何枚もとった後も、まだ私の会社の人は走り続けていた。皆さんは先に食事に行ったが私は残り、最後にエリマキさんとかすみがうらでの健闘を誓い合い、帰途についた。 初めて本門寺を走ったときはOhira君だけが知り合いだった。今は沢山の老若男女の方々とお友達だ。みんなとのつながりが、このクラブで得た最大の財産。それは、見ず知らずの私に、 「選手の方の受け付けは、こちらですよ」 と声をかけてくださった方との出会いから始まったのだった。 その方とはどこかで再会していると思う。でも、どなたか、今でもわからない・・・ 完 |
2009年 大会結果総集編 made by akira |
【5km男子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 Fヒロシ 0:15:58 2009/10/25 第202回日本体育大学長距離競技会 2 よーすけ 0:16:07 2009/10/10 H21.10.10等々力記録会 3 ラオウ 0:16:20 2009/2/15 第18回上里町乾武マラソン 4 わだっち 0:16:21 2009/9/5 第4回横浜市記録会(ナイター陸上) 5 クララ 0:16:32 2009/11/8 第203回日本体育大学長距離競技会 6 さんちゃん 0:16:35 2009/11/29 第405回月例川崎 7 きやきや 0:16:39 2009/11/8 第203回日本体育大学長距離競技会 8 たかちゃん 0:16:41 2009/5/30 第26回湘南陸上競技大会 9 ロンブー 0:16:43 2009/11/3 平成21年度横須賀市秋季記録会 10クロカン 0:16:51 2009/5/31 第121回東海大学長距離記録会 11ジョニー 0:17:03 2009/10/10 H21.10.10等々力記録会 12なおと 0:17:06 2009/4/29 第21回横浜駅伝 13ひでりん 0:17:37 2009/10/10 H21.10.10等々力記録会 14あきら 0:17:38 2009/2/21 H21.2.21等々力記録会 15モロハシ 0:17:40 2009/12/13 H21.12.13等々力記録会 16マディー 0:17:43 2009/10/10 H21.10.10等々力記録会 17王子 0:17:50 2009/10/10 H21.10.10等々力記録会 18タマ蔵 0:17:59 2009/3/15 H21.3.15等々力記録会 18タコナカ 0:17:59 2009/5/24 第38回皇居周回全国OB・OG同好者駅伝 20ホンナマ 0:18:04 2009/2/22 第396回月例川崎 【5km女子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 みゆき 0:21:39 2009/7/19 第11回ナイター陸上競技大会 2 ホッシャン 0:22:29 2009/2/22 第396回月例川崎 3 ラケル 0:23:40 2009/9/27 第403回月例川崎 4 トキ 0:23:47 2009/7/26 第401回月例川崎 5 理科 0:24:14 2009/4/29 第21回横浜駅伝 【10km男子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 わだっち 0:33:44 2009/12/24 アトミクラブ記録会 2 さんちゃん 0:33:59 2009/4/29 第21回横浜駅伝 3 たかちゃん 0:34:20 2009/12/24 アトミクラブ記録会 4 Fヒロシ 0:34:23 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 5 クララ 0:34:27 2009/5/29 第3回葛西臨海公園ナイトマラソン 6 ロンブー 0:34:32 2009/12/20 第58回大田区ロードレース 7 きやきや 0:35:08 2009/11/22 第34回よこすかシーサイドマラソン 8 クロカン 0:35:30 2009/1/25 第395回月例川崎 9 王子 0:35:37 2009/4/12 第27回横浜ロードレース大会 10あきら 0:35:47 2009/1/25 第395回月例川崎 11よーすけ 0:36:03 2009/7/5 H21.7合同練習記録会 12ジョニー 0:36:16 2009/11/29 第405回月例川崎 13ラオウ 0:36:24 2009/2/22 第396回月例川崎 14なおと 0:36:40 2009/3/29 第397回月例川崎 15カイト 0:36:45 2009/12/20 第406回月例川崎 16タマ蔵 0:36:54 2009/3/8 第28回立川・昭島マラソン 17タコナカ 0:37:01 2009/4/29 第21回横浜駅伝 18ホンナマ 0:37:28 2009/10/25 第404回月例川崎 19ひでりん 0:37:35 2009/6/14 第11回関東マスターズロード選手権大会 20くうパパ 0:38:19 2009/6/28 第400回月例川崎 【10km女子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 みゆき 0:45:02 2009/3/15 H21.3合同練習記録会 2 shima 0:47:19 2009/12/6 第36回中原区民多摩川ロードレース 3 ホッシャン 0:48:21 2009/2/22 第396回月例川崎 4 えりまき 0:48:25 2009/3/29 第397回月例川崎 5 トキ 0:48:46 2009/1/25 第395回月例川崎 【ハーフ男子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 よーすけ 1:12:41 2009/11/29 第29回横浜マラソン 2 わだっち 1:13:29 2009/11/15 第22回2009上尾シティマラソン 3 たかちゃん 1:14:01 2009/3/8 第28回立川・昭島マラソン 4 Fヒロシ 1:14:29 2009/11/29 第29回横浜マラソン 5 ロンブー 1:15:41 2009/11/29 第29回横浜マラソン 6 さんちゃん 1:16:00 2009/10/25 第30回三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース 7 クララ 1:16:24 2009/1/18 第33回サンスポ千葉マリンマラソン 8 クロカン 1:17:52 2009/10/25 第15回手賀沼エコマラソン 9 ヨビリン 1:18:34 2009/10/25 第15回手賀沼エコマラソン 10あきら 1:18:52 2009/1/18 第33回サンスポ千葉マリンマラソン 11なごやん 1:19:36 2009/11/23 2009名古屋シティマラソン 12きやきや 1:19:38 2009/11/29 第29回横浜マラソン 13ひでりん 1:19:51 2009/11/29 第31回丹沢湖マラソン 14王子 1:20:07 2009/11/8 第28回ねりま光が丘ロードレース・ハーフ 15まっきー 1:21:04 2009/10/25 第15回手賀沼エコマラソン 16タコナカ 1:21:11 2009/10/25 第15回手賀沼エコマラソン 17くうパパ 1:21:21 2009/1/18 第33回サンスポ千葉マリンマラソン 17ジョニー 1:21:21 2009/3/8 2009川崎ハーフマラソン大会 19タマ蔵 1:22:03 2009/2/1 第25回守谷ハーフマラソン 20なおと 1:23:47 2009/11/1 第8回尚巴志ハーフマラソン 【ハーフ女子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 ヤマちゃん 1:19:37 2009/11/29 第29回横浜マラソン 2 エーコ 1:31:47 2009/11/22 2009神戸全日本女子ハーフマラソン 3 みゆき 1:43:25 2009/10/25 第15回手賀沼エコマラソン 4 パティ 1:45:01 2009/12/6 第5回はだの丹沢水無川マラソン 5 ホッシャン 1:45:43 2009/11/15 2009川崎国際多摩川マラソンin川崎 【フル男子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 たかちゃん 2:35:47 2009/12/6 第63回福岡国際マラソン選手権大会 2 ロンブー 2:38:42 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 3 クロカン 2:46:41 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 4 ひでりん 2:46:48 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 5 王子 2:47:30 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 6 まっきー 2:48:25 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 7 よーすけ 2:48:36 2009/3/22 第3回東京マラソン 8 なおと 2:49:46 2009/12/6 第25回NAHAマラソン 9 ヨビリン 2:49:56 2009/11/23 第22回大田原マラソン 10さんちゃん 2:49:59 2009/4/19 第19回かすみがうらマラソン 11ジョニー 2:53:24 2009/3/15 第13回東京シティマラソン・RUN&WALK 12タマ蔵 2:55:46 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 13ヤマドリ 2:58:26 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 14イツキパパ 2:59:03 2009/2/1 第14回紀州口熊野マラソン 15あきら 3:00:08 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 16タコナカ 3:03:08 2009/3/29 第28回佐倉朝日健康マラソン 17tanabo 3:05:49 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 18ホンナマ 3:06:33 2009/3/22 第3回東京マラソン 19たるG 3:12:09 2009/3/15 第12回東京・荒川市民マラソンinITABASHI 20TAKE 3:12:20 2009/12/6 第25回NAHAマラソン 【フル女子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 ヤマちゃん 2:45:00 2009/12/13 第23回国際青島太平洋マラソン 2 Y口 3:07:05 2009/3/8 第30回名古屋国際女子マラソン大会 3 エーコ 3:19:47 2009/3/1 第29回篠山ABCマラソン 4 みゆき 3:31:19 2009/11/22 エコシティ 第29回つくばマラソン 5 ホッシャン 3:43:29 2009/11/8 第4回湘南国際フルマラソン 【100km男子】 位 HN タイム(G) 開催日 大会名 1 ロンブー 7:53:19 2009/6/28 第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン 2 まっきー 9:26:37 2009/6/28 第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン 3 ヨビリン 9:39:56 2009/6/28 第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン 4 ジョー 9:51:15 2009/6/28 第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン 5 サイトウ 13:26:25 2009/4/26 19thチャレンジ富士五湖 |
平成21年 12月 6日(日) 第63回 福岡国際マラソン |
多摩川クラブ たかちゃん 今年もやってきた檜舞台、福岡国際。 例年は本番前に一度はフルのレースを走っておくのだが、今年は走らずに福岡に集中した。 それゆえに距離に対する不安と気象条件が非常に気なったが、10月の走りこみとヨビリンさんの30kmペース走2回、40kmJOGで大丈夫だと自分に言い聞かせ、天気も曇りときどき晴れ、気温10度前後と、風が気になるものの幸いにも好条件となった。 やはり前年に一度出場していると言うのは強みだ。 前日受付をするとたらふくご飯を食べ、ゆったりと過ごす。当日は8時にゆっくりと朝食。 10時に現地へと向かい、知り合いと声をかけたりしながら、リラックスしてスタートラインに立った。 今年はいけるところまでキロ3分40秒で行くつもりで、最後まで行けば35分を切れる。どこまでいけるか自分でも楽しみである。 今年の大濠公園は例年以上に大混雑だ。 過去最高の出場者数だったがペース的にはすぐ落ち着いたので、しばらくは足を蹴ったり蹴られたり肘がぶつかったりするものの、それは致し方ないこととして気にはしない。 それよりも1kmのラップが気になる。 昨年は1km通過4分20秒、2km通過が3分30秒くらいであった。 間違いなく距離表示がおかしかったと思う(笑)。 今年の1kmはどうか、、、3分46秒。 微妙だ、、距離表示が正しいのなら遅れているし、正しくないのなら速いのか? 仕方ない、2km地点で判断しよう。 さぁ、2km、、、あれー、見過ごしたー!いつの間にか時計は4分を越えている。 まだかなりの団子状態なので見逃すのも仕方ないことかもしれない。 大濠公園を出て3km地点で判断、、、7分25秒。平均すると3分42,3秒。 やばい、これは距離表示は正しいとみるべき。もう10秒くらい遅れている。 だが、焦って取り返しはしない。とにかく目標ペースに戻すのだ。 4km3分39秒、5km3分39秒。よし、このペースで行くぞ。 練習会でもよく一緒になるSさんがすぐ横に来たので、何だかペース走のような感覚で距離を踏んでいく。 6km3分39秒、7km3分39秒、8km3分39秒、9km3分39秒、10km3分43秒、11km3分39秒、、、いや恐ろしい(笑)。 その後も坂などでは若干遅くなるものの、ほぼイーブンを刻む。 12km3分31秒や17km3分33秒、18km3分52秒は距離表示がおかしいと思うが、 集団のペースが落ちたと見るや一人でひっぱり、集団が追いついてくると2番手に下がり、なかなかいいペースメークができた。 20km3分47秒、21kmで3分43秒で、もはやこれまでかと思ったが余力がないわけじゃない。 ハーフ通過が自分の時計で1時間17分47秒くらい。17秒ほど借金している。ここから挽回できるかどうか。 15kmあたりからはゼッケン399の外人さんが集団の先頭を引っ張っていて、ハーフを過ぎてからもぐいぐい引っ張っていく。 ようし、あんたと心中するからいい調子で連れて行ってくれよ。 25kmを過ぎると32km手前まで直線の道が続き、次第に飽きてくる。 うー、我慢だ我慢。ここでついていかないとずるずる落ちるだけになる。 26km3分52秒、27km3分28秒、あきらかにおかしい距離表示(笑)。福岡でもこんなことはあるのだ。 折り返しのトップ争いを見るのを楽しみに進んでいたが、ちょうどこちらが給水のときにすれ違う。 くそー、なんてこった。見損ねた。でもモグスはいなかったような? 何とか31kmを過ぎて折り返し、すぐ給水そして32km地点だ。ようし、ラスト10kmここからだ。 すっと、集団の先頭に立ち、若干ペースを上げる。すると、右足ふくらはぎが急に痛み出した。攣る前兆である。 様子をみながらなんとか踏ん張る。集団は少しずつ後退しだした。 ゼッケン354の選手が飛び出していく。ついていかなくては!粘ってついていく。 帰りも長い一本道。集団はないが前にはぽつぽつとランナーがいる。一人ずつ一人ずつ捉えていく。 35km地点。ついにゼッケン354の選手についていけなくなった。一番きついところで一人となる。 前を見据える。 ランナーは一本の帯のように前に続いており、なんともいえない光景に胸が熱くなる。みんなもがきながら前へ前へと距離を勝ち取っていく。 あと7kmで福岡も終わってしまうのだ。ここで頑張らないでいつ頑張るのか! 福岡の声援はすばらしい。 とくに子供たちはあらん限りの力で叫んでくれる。 みっともない姿を見せるわけにはいかない。 外は整然と内は持てる力を総動員して推進力へと変える。 41km地点ついに競技場前の大通りに出る。 スパートしてるつもりなのにちっともスピードが出ない。 粘り倒して最後の坂を上り、競技場へ。 トラックにつくと2時間33分から34分に変わろうとしているところであった。 あと一周と100m、、、35分切りは無理か。 ラスト1周の間にもう一人抜きゴール! タイム2時間35分47秒。 35分切りは達成できなかったものの、自己ベストを3分40秒ほど更新する。 ほっと安堵すると共に、あのふくらはぎの痛みさえでなければという思いも去来する。 しかし、それもまた自分のせいである。また次回につなげればいいだけのこと。 今日走った選手、コース、声援をくれた沿道の方々、一緒に練習をしてきた仲間、全てに感謝したくなった。 また、ここに戻ってこよう。 そう思える大会でした。 多摩川クラブの皆さんにも御礼申し上げます。ありがとうございました。 以下ラップタイムです。 5km 18:30 10km 18:20(36:50) 15km 18:18(55:08) 20km 18:31(1:13:39) ハーフ 1:17:43 25km 18:24(1:32:03) 30km 18:29(1:50:32) 35km 18:22(2:08:54) 40km 18:41(2:27:35) ゴール 8:12 2:35:47 |
平成21年 11月29日(日) 第29回 横浜マラソン |
後続を5分以上も引き離し、登録ハーフ女子の大会記録を塗り替えた山田は「地元開催で前から狙っていた大会。初めての参加で優勝できてうれしい。」と喜びを素直に表現した。 レースは男子の集団に交じって独走状態。「調子はすごく良くて、ペースダウンすることなく安定した走りができた。」1キロごとの表示が励みになった。 今年最大の目標である来月の国際青島太平洋マラソン(宮崎)へ向け、強化を兼ねた大会参加だった。「いい走りができれば結果につながると思っていただけで、大会記録は意識していなかった。」表彰式で更新を知ったほど無欲だった。 鶴見養護で教える傍ら、平日は10〜15キロをジョギングし、週末はスピード重視の練習や長くて30kmの距離練習を重ねる。数ヶ月前から多摩川クラブの練習会にも参加。男子と競い合うことでレベルアップを図ってきた。 七里ガ浜高で始めた陸上は、日体大2年からフルマラソンに挑戦。実業団時代に2時間32分37秒を記録した実力派でもある。37歳になった現在は「精神的に成長したせいか、記録の浮き沈みがなくなった」と走る気持ちの良さ、達成感を心の底から楽しんでいる。 2週間後の宮崎で、「2時間50分を切りたい」が次の目標だ。 |
登録ハーフ男子 | 所属 | 記録 | 登録ハーフ女子 | 所属 | 記録 | |
富張 裕紀 | 横浜市陸協 | 1:08:08 | 山田 佐知恵 | 横浜市陸協 | 1:19:37 | |
高塚 直樹 | 創価大 | 1:09:03 | 三沢 明子 | 横浜市陸協 | 1:24:41 | |
大橋 智行 | システムプロ | 1:09:53 | 橋本 晴子 | 横浜市陸協 | 1:24:59 | |
木村 充 | 横浜市陸協 | 1:10:29 | 片桐 幸那 | 山梨学院短大 | 1:25:12 | |
村井 佳介 | 新潟信用金庫 | 1:10:55 | 大谷 祐美 | 東京陸協 | 1:25:21 | |
藤井 翔太 | 作・AC北海道 | 1:11:38 | 絵野澤 恵 | 横浜PMクラブ | 1:28:29 | |
新居田 晃史 | DRAC | 1:11:54 | 徳野 明子 | 横浜市陸協 | 1:28:57 | |
川村 庸介 | 多摩川クラブ | 1:12:41 | 松井 優帆 | NTTD−I | 1:30:54 | |
村田 博 | 不忍池AC | 1:14:29 | 沼澤 里日 | 南蛮連合 | 1:31:27 | |
新妻 拓弥 | ENEOS | 1:14:45 | 津留 由起子 | 東京陸協 | 1:32:01 |
登録ハーフ男子 | 記録 | |
12位 | 古北 隆久 | 1:15:41 |
16位 | 下島 千明 | 1:17:03 |
31位 | 木屋村 守 | 1:19:38 |
一般ハーフ男子 | 記録 | |
3位 | 高瀬 和明 | 1:14:35 |
平成21年 11月23日(月・祝)第22回 大田原マラソン |
ラップタイム 19分45秒 19分45秒 20分30秒 20分20秒 20キロ 1時間20分20秒 ハーフ 1時間24分26秒 19分43秒 19分42秒 30キロ 1時間59分45秒 19分55秒 21分09秒 40キロ 2時間40分49秒 9分6秒 後半ハーフ1時間25分29秒 ネット結果 2時間49分55秒 グロス結果 2時間49分56秒 |
平成21年 11月22日(日)第29回 つくばマラソン |
平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン |
平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン |
平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン |
Maui Marathon In Hawaii 2009.9.20 |
佐渡国際トライアスロン大会 2009.9.6 |
2009年9月6日 「佐渡国際トライアスロン大会」Aタイプに出場しました。
昨年はBタイプ(スイム2Km・バイク105Km・ラン20Km計127Km)でしたが、
今年はAタイプ初挑戦です。Bタイプには元ジャニーズの近藤真彦やモデルの
リサ・スティッグマイヤーなど有名人も出ていました。
Aタイプはスイム3.8Km・バイク190Km・ラン42.19Km(計236Km)のフルロング
朝6:00スタートで15時間30分が制限時間。 Aタイプ757名、出走し86.4%の完走率
スイム(3.8Km) 目標2時間
水泳は苦手なので初めから無理な目標は立てず又バトルを避け、最後尾からスタート。
6月に「アイアンマンジャパン」で3.8Kmの経験があるので気分的に少しは楽でした。
結果は目標から7分つめたものの、殆どの選手はバイクをスタートしていた。(732位)
バイク(190Km) 目標7時間20分
スイムからバイクに変わった当初はなかなかスピードに乗れません。苦手の水泳で身体が
バテバテの状態なのです。(この当たりが私のウイークポイント)
Aタイプバイクコースは佐渡一周ですが、急坂が多く難易度の高いコースです。これに備え
坂道の練習を重点的にしてきました。坂はさほど苦しいと思いませんでしたが結果的に
全体のタイムは伸びず目標時間より40分位遅れました。
ラン(42.19Km) 目標6時間
バイクで目標より40分遅れ、ランの余裕がなくなりました。しかし身体がバイクモードから
切替できていない状態でした。そこで7Km位まではスローペースで走り折り返しから徐々
にスピードを上げることにしました。(問題はランの関門18ヶ所をどうクリアーするか)
序盤ごろ、見知らぬ青年が「どうしても完走したいのですが、どの位のペースで走れば
間に合いますか?」と後方から聴いてきました。(少し前、ランで苦戦していた仲間の青年に
アドバイスしている声が聞こえたのでしょうか?)
脚が痛そうだったので「一度ペースダウンし、軽く走り脚が落ちついたらペースを上げる事。
折り返しからが勝負です」と答えました。結果はハーフ過ぎから(折り返しに笑顔で手を振
って)どんどん飛ばし彼は見事ゴールしました。
私は前半の関門は押さえ気味に走り、折り返しまで飛ばしませんでしたが、段々各関門
の制限時間が厳しくなってきました。35Km付近の関門から最終マーシャルの車と収容バス
が後方ピタリと着いてくるのです。(これは気持ち悪いですね)
残り2Km位からは沿道の応援の人・ボランティアの人・ゴールインした選手などの声援に
勇気づけられ、なんとかゴールしました。ゴール直後に花火が上がったのは感動的でした。
これで2大会連続「フルロング(アイアンマン)完走」したことになるので満足しています。
帰りには「越後湯沢」で温泉に浸かり静養してきました。毎年帰りに妻と各地を旅行します
がこれが楽しみの一つでもあります
トライアスロンを始める方にご参考(HP管理者からのご依頼)
1 トライアスロンには以下の種類があります。
@スプリント(スイム0.75Km・バイク20Km・ラン5Km計25.75Km)
Aショート (スイム1.5Km・バイク40Km・ラン10Km計51.55Km)
オリンピックの正式競技
Bミドル(スイム2〜3Km・バイク80〜100Km・ラン15〜25Km計100Km強)
Cロング(スイム3Km・バイク155Km・ラン42.19Km計200Km強)
Dフルロング(スイム3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Km計225Km強)
アイアンマン(鉄人レース)と呼ばれるのはフルロングのみでトライアスロン全てではありません
2 準備 大会に出る為に心積りすべき事があります。
@必需品の用意(バイク・バイクシューズ・ヘルメット・バイク速度計等、色々必要)A大会経費 (ロングの場合エントリー費「3万〜4万5千円位」・宿泊代「離党が多いので泊まりになる」・交通費「船または飛行機代」)B休暇 ミドル以上は遠隔地の大会が多いので最低 土曜・日曜・月曜の3日は必要
3 どこを目指すのか目指すものによって練習方法や装備が違ってきます。
@ レースを楽しむ(峰田式でタイム・順位に拘らず完走を目指しレース景色等を楽しむ)A 自分の体力や限界に挑戦(タイム・順位がどこまで行くか常に挑戦・レース志向)B アイアンマンの頂点を目指す(マサさんのようにハワイアイアンに行く、大会で優勝するか年代別上位を取る。彼は素晴らしいです)C オリンピックを目指す(瞬発力に自身のある人はショートに特化し51.5Kmのスペシャリストになる)
多摩川クラブで水泳に自身のある方は大丈夫です。(私が出来たのですから)
昭和記念公園 トライアスロン |
平成21年 7月5日(日) shima |
RESULT |
「アイアンマンジャパン」トライアスロン報告
多摩川クラブ 峰田 正隆
2009年6月21日長崎県五島〔アイアンマンジャパン」トライアスロン大会に出場しました。
この大会はスイム3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Km(合計226Km)
朝7:00スタートの制限時間15時間のフルロングディスタンスです。
日本を含めた世界26ケ国から1026選手の参加です。
気温24℃(水温℃)小雨降る蒸し暑い天気でした。
スイム(3.8Km) 目標2時間(9:00通過予定)
水泳が苦手なので(3年半前は25m泳げず)関門を通過するのが第一条件。
私の小中学校時代ではプールや(戦災で焼け)現在のようなスイミング教室などない時代で、泳ぐとすれば海で平泳ぎや水遊びをする程度でした。
62歳から水泳を始めたので苦労しました。おまけに体重を10Kgしぼり、体脂肪8%の身体になっていましたから。(浮力が付かない)
私はバトルを(最短コースや先頭近辺は集中する)避ける為、最後尾からスタートしたので実質4Km泳いだことになります。
未知の距離(3.8Km)を泳ぐ不安はありましたが昨年「宮古島大会」で3Km泳いだ事もあり目標の10分前に通過しました。(しかし全身はすでにパンパン)
バイク(180Km) 目標7時間(16:00通過予定)
レース当日は小雨が降り路面が濡れていたため、スリップ事故などでかなりの人が救急車で搬送されていたようです。
アップダウンが多く難易度の高いコースのため1026人中87.3%の完走率。
いつものようにボランティアの人々に感謝しつつ、応援の子供たちと「ハイタッチ」をしたりお年寄りの声援に「ありがとうございます」とお礼を言いながら走り続けました。
結果は予定より45分オーバーしてしまいました。
反省
@出だしがうまく回転しない(水泳の影響で疲労回復が遅かった)
Aスリップを恐れ急坂でスピード出せずB長距離(130Km以上)の練習不足
ラン(42.19Km) 目標5時間50分(21:50ゴール予定)
バイクでかなり遅れた為「ランの折り返し」時点では2時間弱位しか残り時間がありませんでした。私の前を走っている人の中には諦めて歩き出す人が出始めました。そして沿道の観戦者の「あの人、ゴールに間に合はないよなー」と言う話し声が聞こえたのです。
それを聞いた私は「行ける所までいこう」と思い走りました。すると最後尾につけていたマーシャル(バイクに乗った)が近寄り「今の調子で行けばギリギリで間に合いますから頑張って下さい」と声をかけてくれました。
この一言で勇気がわいてくるしピッチも上がり始めたのです。そして残りのハーフはスピードが落ちることなく走りきり、ゴーしたのは2分前の21:58でした。妻も応援の仲間も今回は駄目だと思ったそうです。
(本人は以外に冷静に走れましたが)今回は一度で完走できるとは思っていなかったのでとても嬉しいです。
最後に
私のモットー「練習は厳しくレースは楽しく」が実現できた大会で大変満足しています。62歳で始めたトライアスロンがここまでになれたのは、「走る仲間」・「水泳の仲間」・「自転車の仲間」さらに最大のサポーター(妻)の温かい支援のお陰だと感謝しています。
平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン |
まっきー |
平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン |
ロンブー |
今回特に良かった点 |
平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン |
多摩川クラブ ヨビリン |
ハンドル | タイム |
ロンブー | 2:47:47 |
王子 | 2:55:25 |
ヨビリン | 2:57:46 |
tanabo | 3:06:09 |
ヤマドリ | 3:06:47 |
エーコ | 3:20:56 |
ジョー | 3:23 |
テカ | 3:36:30 |
ジュニア | DNS |
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霜月11日、気温30度、湿度80%のバリ島から帰国。バリ島のハーフマラソン・・・サバイバルレース(生きてゴールしたいレース) @10キロまで水なし Aオートバイ&車&動物の死骸&裸足の子供をうまく避けながら走る Bコース上、岐路に誘導員無くコース不明 トレイルランと少し似ているかな? だけど、やまぐち、またバリマラソン走りたいですね!しかも、最低7日間は滞在したい! なぜか、それは、人間も、自然も素朴だからかな!? そして、今日迎えた東京国際女子 今まで10回参加、この第30回大会が、最後の大会! 田舎者の私にとっては、ずうっと憧れの大会でした。これからも私の心の中では永遠の憧れの大会! 忘れることのできない沢山の仲間からの声援と共に・・ 走りを続けてきて良かった! ここまで走ってこれたのは、家族・ラン仲間のお陰です! 気持ちよく楽しく完走し、やまぐちの東京国際女子は今日で完結しました。 今回警備された皆様、大変お疲れ様でした。また沿道のご声援、本当にありがとうございました。 これからもよろしくお願いしまーす! |
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本日の各種「国際」大会の選手・要員の皆さま、お疲れさまです。 私の「国際」は、「2008川崎国際多摩川マラソン」でハーフの部に参加しました。 多摩川クラブの先週の横浜ハーフの好成績に刺激され、ここホームコースで山ちゃんとジョニーのマッチレースを実況できる位置を前半だけでも走ることができればと思い、等々力競技場に入りました。 大会参加者は意外と多く、スタート前に残念ながら山ちゃんが足の故障により欠場すると聞き、また他の多摩川クラブメンバーを見つけることができないままスタートしました。 5キロを19分25秒、19分09秒と刻み、10月の手賀沼に比べると今ひとつの調子でガマンのレースとなりました。 折り返しで自分の位置を確認すると、35番手くらいで年代別で2位? あれっ、ジョニーは? 何と後方を走っていましたがやはりプレッシャーになります。 その後の5キロを19分29秒、19分28秒と刻み、どうにかイーブンで走りきり、お陰さまで1時間21分34秒、年代別2位の表彰台に上がることができました。 ゴール後に聞くとジョニーは、最後尾からのスタートとなってしまい前半で飛ばし消耗し、それでもトータル3500人程を抜いたとのこと。 ジョニーのほか共にレースに参加したタコG、オカピ、甘栗、TAKE、ネーサン、アシザワさん、ジュニア(追加したよ。他にいましたらゴメンなさい。)お疲れさまでした。 コースで応援してくれた山ちゃん、エグジュン、ヨシカワさん、ありがとうございました。 |
直木賞候補作品 私の湘南国際 [ たま書房 ]
多摩川クラブ Barrie・梅野
第1章 準備万端
7月から徐々に走行距離を増やし、11月16日に照準をあわせ調整してきた。10月は180kmも走った。会社の帰りに着替えて遠回りして走るなんて、病的なこともした。
一週間前の横浜マラソンの日だけは、ちょっとご褒美でビールを飲んだけど、あとは2週間ほど禁酒。こんなに飲まないのは、不整脈で会社を休んだとき以来だ。そして、金曜日の夜からは、食事の量を増やす。「カーボローディング」なんて言葉も覚えた。
前日は、自分でゼッケンを受け取りに行く。二宮駅から徒歩で40分。時刻表をみると朝の電車は少ない。明日は少しでも早く行こう。二宮駅は大変混雑するはずだ。
会場からの帰路は大磯駅まで歩き、蒲田で病院へ寄る。「心臓は問題ない」と言ってもらうだけのために、高校生のときから通っている近所の医師を訪ねた。注意事項に書いてあるじゃん。
不整脈の人は、走る前に医師の診断を受けましょうって。そういうのをちゃんと守るのが、私のいいところ。もちろん心臓はなんともなく、しかし今度は大腸の検査をすることになってしまったが、明日走ることができればそれでよし。
ユニフォームにナンバーカードをつけ、10時前には消灯した。いつもより3〜4時間も早いのに、すぐに眠れた。
当日の朝は多摩川線の始発。川崎からはグリーン車。同じ車両には、あと2人ランナーがいるだけ。おにぎり3個、ゼリー1個、エネルギーバー1個、無理して食べているうちに、6時10分頃に二宮駅についてしまった。スタートまで3時間。
人は少なく、ちょうどきたバスに皆乗ってしまったので、私の前後に歩く人はいない。一人、傘をさして会場へ。ウォーキング大会のように道中道案内の人には必ず挨拶し、雨が上がることを祈って歩く。私の初めての大会は2002年のガス橋マラソン。
それから数えて、今回が82回目の大会参加。台風や雪で中止になったことはあるが、走るのに支障があるほどの雨に降られたことはない。日ごろの行ないがよいからである。だから絶対に雨はあがると確信して歩いた。
大磯駅からの人は大勢で、合流してやっとマラソン大会らしくなってきた。人の流れに沿って行くと、そこはボーリング場だった。何でこんなところで、みんな着替えているんだ。その先は、プールの更衣室。なるほどここで着替えるのか。混んでいてボーリング場にあふれているんだ。
でも、まだトイレに行列はなく、スムーズに用をたし、更衣室の真ん中あたりに場所を見つけ腰を下ろした。着替えはしたが、外は雨。時間もあるので、携帯でサザンを聴く。 そんなとき見ず知らずのおじさんが話しかけてきた。
「初めてフルマラソン走るんです」
不安で、誰かに話しかけたかったのだろう。私の100円のビニールカッパを見て、
「それどうするんですか」
と尋ねるので、
「直前まで着ていて、スタート前に捨てるのです。」
と答えた。感心された。私も、ベテランランナーかな。
7時半になって、荷物預かりを開始したとのアナウンス。100円を着て外に出る。意外に雨が強い。カッパを着たまま、ステージの近くを、ゆっくりと走った。こんな雨だから、アップしている人はほとんどいない。
いつもの土曜日の朝のように、じっくりとストレッチをすると、少し汗ばんできた。ドリンクとおにぎりをもらい、荷物預かり所へ向かう。
多摩川クラブのランパンランシャツ、帽子に手袋、シューズはターサーだ。ここまで全部asics。右手に石井琢朗のリストバンド。100円のカッパをもう一度着て、荷物を預ける。
いけない、もう8時を過ぎている。スタート地点へ急ごう。
「バリー」
おっと、カオリンじゃないか。Shimaさんやミーさんも。こんな道端に荷物置いとくの。でも預ける時間もないしね。私は先に行くよ。
あれ、先へ行けない。この金網の隙間をどうやって通るんだ。あんなに早くきたのに、間に合わないじゃないか。プラカードをもった人は歩き出している。いくら私でも6時間のグループでは遅すぎる。途中にトイレがある。ちょっと寄っていく。ジョーさんもトイレにならんでいる。話している暇はない。急いで前に進む。
もうここまで。4時間のあたりの、道路の脇の空地で、進めなくなった。
「国際マラソンなのに、民家の駐車場からスタートするんだ。」
笑いが広がり、肩の力が抜けた。そう、あとは走るだけ。靴紐を締めなおし、道端の土の上で、私はスタートを待った。
正確にあわせてある時計が9:00になり、私はstartボタンを押した。号砲は聞こえない。拍手の波が前方から押し寄せてきて、皆少しずつ歩き始めた。
「今日はマラソンには絶好の天候です。」
とマイクがしゃべっている。そうだよね、風はないし、日差しもないし、暑くも寒くもない天気だ。
集団はウォーキングから小走りになり、私はスタートラインを超える。最初のラップタイムは3:55。7月から始まったこのレース、ラスト42.195kmだ。
第2章 マイペース
今日の目標タイムは4時間05分。PBが4時間7分18秒なので、これを更新することを目指している。軽井沢72さんは、昨年4時間07分19秒で年代別1位となった。私は1秒勝っている。勝手にライバルと思っていたが、今回は3時間50分が目標ときいて、これからは、あこがれのおねえさんに修正だ。
そんなことより、今日の私の作戦であるが、入りは4時間ペースつまりキロ5分40秒。これは横浜よりキロあたり1分遅い。5kmで28分20秒。このペースで30kmまで行き、そこで余力があればサブフォーをめざし、きつければなんとか粘ってPBは更新する。
30kmまでは絶対にスピードを上げない。注意するのはこれだけ。あとは練習してきた自分を信じて走るだけである。
しだいに、集団は、キロ6分ぐらいまでスピードが上がってきた。
5m前に、多摩川クラブのユニフォーム発見。本生さんのようである。後ろから
「バリーさーん」
の声。マカプウさんだ。あっという間に過ぎ去っていった。ちょっと飛ばしすぎ。まだ先は長いのだから、そんなに人の間をぬって行かなくても。
あれ、たるGだ。たるGは私の苦手なタイプなのか、話かけにくい。東京駅で偶然会ったとき、声が出なくてただ見つめてしまった。今日もそうだ。続いてテカさん。調子はよさそうだ。皆さんお先にどうぞ。私には私のペースがある。
キロ5分台になったのは確かなのだが、自分がどの程度のスピードなのか今ひとつわからない。GPSをつけていれば、SOGがわかるのだが、そんな高価なものには手を出せない。最初の給水もすぎ、海岸に出て、まもなく5kmのはず。ここでのタイムチェックが最初のポイントだ。
もうそろそろ。もうそろそろ。まだこない。35分。もうそろそろのはずはない。距離表示は、最低でも5km毎にはあるはずだ。なかった? 見落とした? こうなったら、自分のペース感覚を信じていくしかない。キロ5分30〜40分で行くしかない。だいじょうぶ、いけてると思う。走りやすい道になってきた。
2回目の給水を過ぎ、10kmが近づいているはずである。今度は見逃せない。5km付近では右側を走っていて見失ったようだ。中央を走り、左右を注意して走る。
え、こんな小さな看板なの? 多摩川フルマラソンの方が見やすいぞ。もう少し、走る人のことを考えてもらいたいな、なんて思いながらLAPボタンを押す。
10km地点。ラップ57:57。
さあ、このタイムをどう判断するか。最初は遅かったが、5kmすぎからは設定ペースで走ったつもり。57:57から28:20を引くと、29:37。前半はもっと遅かったような気もする。すると後半は28分ちょうどぐらいか。このまま同じペースで進んでみよう。次の5kmでわかるはずだ。
景色も今ひとつで、タイムの計算ばかりしていたが、ふと気がつくと、回りの人にどんどん抜かれて行くのに気づく。自分は同じペースで走っている自信がある。たぶん、皆スピードアップしているのだろう。ここで飛ばしたら後半ばてるのは必死。人は人、自分は我慢してマイペース。体調は良い感じである。
15km通過。この5kmは27:45。ちょっと速いが、このままで行こう。
江の島が見えてきた、折り返しも近い。今年のお正月にウォーキングクラブの方々と七福神めぐりをしたことが思い出される。仲間とすれ違うのも楽しみだ。
ジョーさんには声をかけた。「マカプウ」って叫ぶのをためらっているうちに、すれ違ってしまった。テカさんには声をかけたが、気がつかなかったようだ。そして折り返し。
PIROSHIは、私のかなり後方だった。ここのところずっと最後にさされて負けている。今日はぜひ先にフィニッシュしたいものだ。ジャイアン、ロクさんとはご挨拶した。初フルのお二人、がんばっている。
20km通過。タイムは、27:43。いいね。さっきとほとんど同じだ。
ふと横を見ると、タカダさんがあえいでいる。横浜では私より1分ぐらい速かったが、今日はどうしたのだろう。この地点で完全に失速している。まるで、私の東京マラソンを見るようだ。軽く会釈して先に行かせてもらった。
25km。27:55。快調だ。号砲からのタイムは2:25:16。
スタートまで3:55かかったのだから、25kmのネットタイムはここから3:55を引けばいいが、暗算ができない。難しい。いや待て、こういうときは4分引いて5秒足せば良い。こんなことはガウスでなくたって気がつかなきゃ。今でもマラソンより算数のほうが得意。ネットで2時間21分21秒。ジャスト4時間ペースだ。
子供のころは、体が弱くて運動が苦手。勉強ばかりしていた私は、特に算数が得意であった。算数とマラソンには通じるものがある。それは日々の地道な努力が成果となってあらわれること。
将来使うことのない数学が入学試験にあるのは、数学の学力を試しているのではなく、地道に努力できるかどうかをみるためである。だから、マラソンは、私向きだと思う。マラソンを走るのは少し前までは想像もできなかったが、人生はこんなものかなと思う。
しかし人生について考えているほど余裕はない。今はマイペースで走るだけだ。
第3章 ギアチェンジ
タカダさんを見たからかもしれないが、ここまで順調に来すぎているようで怖くなってきた。いつ大失速するかわからない。ここは思い切って設定ペースまで落とす。それでも夢のサブフォーだ。
ペースを落とすと、すごく楽になった。それまでも苦しくはなかったが、今はやけに気分がいい。雲に隠れて見えないが、あそこにあるはずの富士山のふもとまで、このまま走っていける。
看板が見えてきた。多摩川フルの30km地点で、「残り12.195km」とOnさんに言われたのを思い出す。
30km。ラップタイム28:13。通過タイムは2:53:30。
おれは天才だな。意識してぴったりペースを落とせた。ネットタイムは、2時間49分35秒。2時間50分で4時間なので、理想的なタイムである。しかも意識してペースを落とし、余裕があってこのタイム。まだ喜ぶには早いが、いけるかもしれないサブ4。
今の通過は、「グロス」で考えると、4時間までまだ1時間6分30秒もある。まてよ、仮に12.2kmとして、ここからキロ5分半で行ったとすると、2kmで11分、12kmで66分だから、200mに1分かかるとして、4時間00分30秒でゴールとなる。
ちょっとじゃないか。がんばればグロスでサブフォー。どうする。飛ばすか。安全策か。ええい、ここは行くしかない。30kmまで我慢するのが今日の作戦だ。ここからはいけるところまで行く。
息が苦しくなってきた。まわりの人を、どんどん追い抜いていく。給水所で止まったりしない。スピードをあげ、あっという間に次の看板がきた。
35km。26:57。グロスタイム3:20:27。
もうネットタイムの計算なんかはしない。残り7.195kmであと39分33秒。5分半なら39分30秒ぐらい。このままで行けば、ぎりぎりゴールタイムは3時間台だ。
大磯プリンスホテルが見えてきた。テカさんとすれ違う。反対車線に倒れている人がいる。この道は西湘バイパス。高速道路には100mごとに標識がある。時計を気にして走る。100m32〜33秒ぐらいだ。この5kmは27分30秒ぐらいで通過できるはずだ。どこも痛くない。快調。
第4章 ラストスパート
40km。27:24。グロス3時間47分51秒。
4時間まであと12分09秒。ラストスパートは心臓に悪いなんて言っていられない。もうこうなれば、死んでもサブ4だ。
あっ。救急車だ。こちらに向かってくる。
救急車は目の前で止まった。倒れている人にAEDを使っている。一瞬スピードが落ち、頭の中が真っ白になった。
私はニトログリセリンを持って走っていたのだった。
死んでも走るというのは間違いだ。
私のウエストポーチには、飴、補給食、絆創膏などが入っているのだが、大切なものは、緊急連絡先を書いた紙、保険証のコピー、それとニトログリセリンである。狭心症の発作を起こしたときに使うものである。
私は運動しても大丈夫とお墨付きをもらっている。幸い、まだ一度も使ったことはない。狭心症はすぐに生命の危険にさらされるわけではないが、常に持ち歩いている。もし、急に苦しくなったら、舌の下で溶かし、それで発作がおさまれば、狭心症であることがわかる。それを確かめるために持っているのである。
一方、不整脈の方は、ランニング歴とほぼ同じくらいであったが、思い切って手術してからは一度も再発していない。
私の不整脈は、期外収縮を頻発するのが主な症状で、1日に約2万回異常な脈があった。5〜6回に1回は異常となる計算。よく生きているなと自分でも思っていた。さらに、寝ているときなどに突然発作を起こして脈が速くなる症状もあり、このときの脈拍は心電図計で計測すると190くらいになる。
これが数分続く。ランニングの文献では最大心拍数は(220−年齢)とあり、私なら170である。190は、それ以上である。大丈夫とわかっていても、発作のときは胸が苦しくなり、生命の危険を感じる。手術後の検査で異常な脈は24時間で3回と言われたときには、不覚にも涙ぐんでしまったものである。
手術前は、脈を押さえる薬を飲んで走っていたので、少しくらいスパートしても脈はあがらない。これってドーピングだよなと思っていた。薬をやめてから、スピードを出せば脈があがって息が苦しくなり、スピードを落とせば脈が下がって息も楽になるように戻った。人間の体はよくできている。
今は息が苦しい。あと1kmの看板がある。このままでもぎりぎりサブ4だ。心臓に負担をかけてスパートする必要はない。これ以上のスピードアップは危険だ。
PIROSHIとすれ違う。危険と思いつつも、自然とスピードがあがる。
もう、とまらない。
息が苦しい。足が熱い。
左におれる。
もう一度、左におれる。急な坂。
ここは本門寺か。
一気に駆け上がる。右にカーブする。
前に振り出した右手をそのまま強く握り締める。
両手をあげる。
ゲートの表示、3:59:28。
目標、達成 !
振り返ると、表示が4:00:00に変わるところだった。ドリンクをもらい、膝の屈伸を始める。曲げたまま、立ち上がれない。右膝と右踵に激痛が走る。しゃがんだまま、動けない。
足に何がおきたのかわからない私は、そのままの姿勢で、3:59:29でとまっている自分の時計をじっとみつめていた。
最終章 エピローグ
しばらくして、ようやく立ち上がった私は、右手にはめた石井琢朗のリストバンドで、ほおをそっとぬぐい、荷物をとりにいく。
戻ると、先にゴールしたみんなが微笑んでいる。塩Gがカバンから宝焼酎のカップを出す。テカさんがカバンから缶ビールを出すと、それをみんなで回し飲み。今回は完璧に準備したつもりだったけど、ここまでは考えなかったなあ。
この数ヶ月間、よく走った。そして、今日42.195kmを4時間で走ったのは、確かに自分の足なのだけど、自分の力だけではない。土練のみんながいたからだよね。
「先週の湘南国際マラソンでは、念願のサブ4を達成できて、大変嬉しいです。土曜練習会の皆さんと出会うことができて、私は、なんと運のよい、幸せな人生を送っているのだろうかと思いました。」
今度の土曜日、一言タイムはこれでいこう。今夜も良く眠れそうだ。
(了)
小雨の降る中、湘南フルを完走した皆さん、お疲れ様でした。 グロス記録は、3時間29分で初の3時間半切り! これもオクトバーランの成果ですね。 そして、走っている時の仲間の励ましが、大きな力になりました。 塩Gさん、すごい!! 流石、350kmを走った賜物ですね。 マカプウさんとテカさんの、残り3kmでの苦しい時の「ほんなまさ〜ん」は、歩きたかった時だったので、最後の力を振り絞れ、有難かったです! エーコさんの颯爽とした走りは、かっこいい!40kmで抜かれた時は、あっけにとられてしまいました。 今回は初めて歩かずに完走しました。まだまだ、35km以降は、スタミナ不足です。 次回の東京フルでは、大きな目標☆に向かってがんばります☆ |
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今日は湘南国際・フルに参加しました。 朝、大船駅〜二宮駅までギュウギュウ詰め。。 希望を言えばキリがないのですが、やはり二宮駅から会場の大磯ロングビーチまで遠かったです。。 2万人のランナーが一同に会場に集まり、かなり気持ち的にいっぱい・いっぱいでした。 レースコンディションは小雨が降ったり止んだりでしたが、走り易かった(私個人としては、蒸し暑かった)です。 皆さんPB続出(オクラン効果?)で、塩Gさんは3時間37分台と大幅に更新! PB達成、初マラソンの皆さん、おめでうございます。 私は、PB更新も、目標だった2時間49分台を出せず、撃沈しました(腕時計で2時間50分54秒)。 雨天の為、富士山を眺める事が出来ず。きつい所は湘南大橋の地面がやたらと固く足が痛み、そして一番きつかったのは30km越えての西湘バイパスはまーっすぐでしんどかったです。キロ4分キープは難しいですね。35kmまで2時間20分でしたが… 体重が5年前から現状維持なので、もっと痩せないといけませんね。 |
10km わだっち | 10km 高嶋さん |
10km バリー 45’38 BR | 野村さん 登録1位 1’07”27 |
富張さん 登録2位 1’08”21 | 山中さん 登録3位 1’08”41 |
一般1位 ローレンスさん 1’09”18 | 藤澤さん 登録4位 1’10”15 |
楠さん 登録5位 1’11”53 | 高瀬さん 一般4位1’15”21 |
横中さん | 横中さん |
ロンブー 一般8位 1’16”56 | まっきー 1’19”22 BR |
横中さん | 横中さん |
くうパパ 今日の記録はセカンドベスト | アランチュールさん |
横中さん | 須藤さん・・かも |
佐藤さん | 横中さん |
加藤さん | 横中さん |
シッチさん(伴走)と秋山君 | 粂さん |
Tracky | 小椋さん |
Mr.Onn 1’56”(祝!制限時間内完走) | 隣で観戦していました。Nice meeting you. |
氷川丸 | MM地区 |
きやきやさん 1’18”56(祝!80min切り) | Good smile |
登録ハーフ男子・表彰 | 一般男子・表彰 Well done ! |
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名前 | ハンドル | タイム | |
村田 | ヒロシ | 1’13”41 | 年代別5位 |
下島 | クララ | 1’17”00 | 年代別3位 |
古北 | ロンブー | 1’18”38 | |
天野 | あきら | 1’20”13 | 年代別6位 |
木屋村 | きやきや | 1’21”04 | BR |
片岡 | タマ蔵 | 1’21”19 | |
田中(誠) | まっきー | 1’21”37 | BR |
岡田 | オカピ | 1’22”49 | |
和田 | わだっち | 1’23”32 | |
中野 | タコG | 1’24”26 | |
美谷島 | くうパパ | 1’28”39 | |
定祐 | ジョー | 1’34”31 | |
矢沢 | エーコ | 1’35”36 | |
雨宮 | みや | 1’37”31 | |
加塩 | 塩G | 1’39”37 | BR |
門田 | マカプウ | 1’40”16 | |
雨宮 | PIROSHI | 1’47”26 | BR |
中野(陽) | 軽井沢72 | 1’47”50 | 年代別1位 |
麻生 | Dr.A | 1’50”58 | |
峰田 | D.ミネタ | 1’53”31 | |
前岡 | Tracky | 1’55”42 | BR |
内藤 | 王子 | DNF |
私は、なんとか 6時間41分49秒 の総合30位でゴールすることができました。 77kmのコースで、延々と続くアップダウンを走る最中、箱根の山の神や横須賀シーサイドのゴジラの坂などの場面場面が、頭の中をオーバーラップしてきました。 また、下りから上りの切替えの場面では、何故かインターバル・トレーニングのスピード走→ジョグの状況が頭から離れず、極力上りはジョグ感覚でリラックスすることを心掛けました。 日常の経験をしっかりと自分の中で受け止め、行動に移すことは大切だなと改めて思いました。 ・・折返しのエイドで、水着のお姉さんが頭から水をかけてくれた時は、そういう経験が無かったので、どうしていいか困りました^^ 長い距離、長い時間をへこたれずに走れたことは、次の経験への自信につながりました。 P.S. 土曜日の夜は、温泉(風)露天風呂に入れたし、ビールも飲めたし、個室で安眠できたし、満足でした! PP.S. 甘栗さん、テーピング&バームクーヘンありがとう! |
みなさん、お疲れ様でした!結果は7時間7分 53位でした。 最初の市街地コースの、直射日光と給水所が5kmごとで体調がおかしくなり、20kmあたりから本当にリタイヤしようか考えながら走っていました。 30位以内が目標で走るも、ラスト20kmで難しいなと判断して、各エイドステーションの人達と少し話をしたりで、ゆっくり帰ってきました。 青木ママさんを選手収容の車で見ました、たぶん時間関門だと思いますが、6〜7時間暑い中ひたすら登りを走っていたと思います、正直凄いと思いました。 |
2008奥武蔵ウルトラマラソン参戦記
多摩川クラブ テカ
再チャレンジ
昨年は、初ウルトラで奥武蔵を走り、完走したものの終盤の下りで大腿を痛め、足を引きずりながらやっとこさのゴールでした。
いつも多摩川を走っているため、あまりアップダウンを走ったことがないのに気付き、その後の合宿や多摩川の土手を利用し強化に取り組み、その成果を試すべく奥武蔵に再チャレンジしました。
前日
飯能市のホテルに一人で前泊し、近くの中華屋で夕食(茄子揚、餃子)と生ビール2杯、 部屋に戻りロング缶2本を注入爆睡。
レース前
ホテルのバスで会場まで送ってもらい、6時半頃に会場の毛呂山総合公園に到着、体育館で着替をしていたら、たるGさんからいまどこメール、折り返し電話すると、同じ体育館にいた、たるGさん、まっきーさん、甘栗さん、わだっちさんの4人と合流。
4人は前夜ゆうパークおごせの大部屋だったのを得意(?)の交渉術で4人部屋をゲットし、大いに盛り上がり今日のレースは宴会のアフターだとか、凄い!!着替で甘栗さんの超ど派手な人間馬レース着に吃驚!!目立ちます。
貴重品を預けに行く途中くんたまさんから電話、携帯と肉声がステレオで聞こえ(?)なんと目の前のくんたまさんが、これでメンバー集合。
貴重品を預けて体育館に戻ろうとすると、ツッチーさんが会場にいて(?)たしか今日は走らないのでは、曰く「膝の調子が悪く走れない。申込金を払ったが、ナンバー等が事前に送付されないため、確認にきた。」とのこと「今日はがんばって」と活を入れられる。
スタート
気合の入っているメンバー(くんたまさん、甘栗さん、まっきーさん)に巻き込まれて、前のほうに陣取ってスタート、早々にはぐれ一人旅となる。
レース前半
昨年と前半15キロまではコースが変更され、結構アップダウンがあり、木々も少ないので、暑い前半となりました。あまり暑いので、集中力が切れそうなため準備のミュージック(BZ)で脳に鞭を入れながら走る。
鎌北湖畔を過ぎ、いよいよ登りの山岳コースに、木々が出てきたので、ミュージックを止め、蝉の声を聞きながら走る。
レース中盤
先導車(3輪バイク)の後部シートに座ったレースクィーン(?)の声援を受けて、後ろに続く俊足ランナーに声援を送っていたら、突然、まっきーさんが現れ吃驚!
多摩川クラブ1番と人差指を突き上げて、ビューンとうなりをあげて下っていきました。登りをとことこ歩いていると甘栗さん、たるGさん、わだっちさんに会い、あれもう一人と思っていると、「足が攣った」とちょっとよろけながら走るくんたまさんに会いエール交換。
折返し地点
恒例の水着美女に水をかけてもらいながら、隣の空白地帯を見ると、とても女性は近づきそうもない原始人がいた。見て見ぬふりをして、相変わらずエイドで食べて走る。
エイド
スタートから2、3のエイドは水やスポーツドリンクだけでしたが、鎌北エイドから食べだし、残りの全エイドは飲食しました。食べたものは、冷たい汁粉、トマト、蒸かしたジャガイモ、スイカ、メロン、キウイ、ソーメン、蒸しパン、サンドイッチ、冷奴、かき氷、おかゆ、おにぎり、梅干でした。
去年はトマトがおいしかったのですが、今年は蒸したジャガイモがおいしく、往復とも食しました。
折返しすぎ
登りをひたむきに走る青木ママと出会い、がんばってとエールを送る。
ゴール
昨年足を引きづって走ったところも快調に通過し、くんたまさんやまっきーさんなどが待っていてくれたゴールに9時間33分で到着、タイムは1時間10分短縮でき、やはり練習は裏切ないと確信しました。
メンバー成績
まっきーさん 6時間41分 総合30位(驚異的です!)
甘栗さん 7時間7分 総合53位(最後手を抜いてもこの成績)
たるGさん 7時間53分 (冷静なレース運び。)
くんたまさん 9時間3分 (足ケイレンで失速したか。)
わだっちさん 9時間14分 (レース途中爆睡でこの記録)
アフター
ゴールして着替えて、一人でこっそりと会場で生ビール1杯・缶ビール2本・冷やし中華・冷やしうどんを飲食。普段は大嫌いなきゅうりが最高にうまいのに感動しました。
宮古島トライアスロン報告レポート
2008年4月20日(日)
多摩川クラブ 峰田 正隆
2008年4月20日 全日本トライアスロン宮古島大会に出場し完走しました。小泉元首相の号砲で午前6時30分に1398人が一斉にスタートしました。このレースは200.19Km制限時間14時間のロングディスタンスです。
スイム(3Km)
私はスイムが苦手で第一関門(1700m50分)通過が最大の課題でした。二年半前
に始めた時は25mも泳げませんでした。(体脂肪8%になった身体は浮きません)
不安はあったものの、なんとかスイムを終えバイクにつなげました。
それにしても宮古島の海はとても美しく透明でした。(泳いでいる魚が見える)
バイク(155Km)
宮古島のバイクは風対策が大事でした。私のような軽量級は風の影響をもろに受け
ます。そこでDHバーの練習(前傾姿勢をとり、ハンドルに取りつけたバーに両手を
乗せ風の抵抗を少なくする)を多く積みました。
結果は風があまり強くなかったこともありバイクは余り苦しみませんでした。
沿道のボランティアの皆様の応援と奉仕には「ありがとう」・「ご苦労様」と感謝の
声を出して走りました。(小中学生が水のボトルを持って走り寄るのには感動です)
トライアスロンは競技人口が少なく会場・道路・係員など諸条件が整わないと大会の
運営はできません。また多くのボランティアの人々のサポートがなければ大会は成立
しません。それだけに私は沿道の応援者・ボランティアの人々には感謝をしながら
走りました。
ラン(42.19Km)
フルマラソンだけの時はキロ6分台強のペースですが三種目になると7分台に落ち
ます。ランは夜間走る事を覚悟していたので、「トレッキング」用のベストに
懐中電灯・攣り防止薬・水・補給食などを積んだ重装備で臨みました。
20Km付近で爪が(足親指の)はがれ痛みだしましたが、「歩いては、走り」の繰り
返しでなんとか走りぬきました。(5:18)
最後に
制限時間約50分を残しゴールしましたが、やはり達成感と熱き感動を覚えました。
(ビールが美味かった)
今思うに62歳でトライアスロンを始め2年半で「よくここまでこれたなー」と自分
でも驚いています。
島をあげて声援してくれた人々・影で支えてくれたボランティアの皆様に(良きサポ
ーターである妻にも)感謝しつつ次のレースに向けてまた練習するつもりです。
「練習は厳しくレースは楽しく」をモットーにマラソンもトライアスロンも
順位に関係なく完走を目指して頑張りたいと思います。
みなとみらいを臨む | 氷川丸 |
10km自己ベストのタコナカさん | 同じく自己ベストの梅野さん |
アランチュールさん | 船岡さん |
きやきやさん | 横中さん |
横中さん | くうパパ |
横中さん | N藤さん |
佐藤さん | タマ蔵さん |
横中さん | 坂口さん |
横中さん | ジョーさん |
横中さん | 城近さん |
粂さん | 横中さん |
PIROSHI さん | M.Eさん |
横中さん | 吉川さん |
フィニッシュゲート | ハーフマラソン優勝の藤澤さん(横中) |
多摩川クラブトップはプリンスさんで1’19” | みなさん、おつかれさまでした。 |
2007年 10月28日(日)
手賀沼エコ・ハーフマラソン
多摩川クラブ 天野 揚(あきら) [プリンス]
内藤(王子) | 1’23”43 | 1 |
木屋村(きやきや) | 1’25”28 | 2 |
中野(タコナカ) | 1’27”41 | 3 |
岡田(オカピ) | 1’27”57 | 4 |
本生(ホンナマ) | 1’34”42 | 5 |
Ms.鈴木・志(shima) | 1’50”26 | 6 |
雨宮(PIROSHI) | 1’50”50 | 7 |
Ms..石橋(ミー) | 2’11”36 | 8 |
1 |
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2 |
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3 |
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4 |
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5 |
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6 |
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7 |
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8 |
ファッションタウン児島 第9回倉敷国際トライアスロン大会
カオリン
[大会前日]
朝8時集合、車4台で岡山まで向かう。
私の所属する チーム ガナス(トライアスロンショップ名)からは、12人参戦。
ファミレスで昼食を食べ、受付会場に到着。
車検(自転車=バイク)を済ませ、バイクコース下見のバスへ乗り込む。初参加者は義務になっている。鷲羽山スカイライン(高低差 200m)を2周回するコース。
帰りがけに下見バスが、一般乗用車と接触事故を起こし、私たちの仲間は歩いて戻ることになる。さすが、トライアスリート。炎天下の中を元気に歩く。
夕方から、開会式と競技説明会。これは全員参加義務で、遅刻者はペナルティとして、ゴール時間に3分加算されることとなる。(厳しい!)
参加者600人弱に対して、ボランティアは3500人とのこと。「選手の皆さん、明日は、ありがとうの声掛けをお願いします」という主催者の挨拶があった。。
懇親会(カーボパーティー)がエントリー代に含まれている。ビールあり・蛸の唐揚げ・フグの唐揚げ・手打ちうどんなどなど・・ 豪華!! 私が過去に出たカーボパーティー(ホノルル・四万十100キロ・サロマ100キロ)では、あっという間に無くなったが、ここではあり余るくらい豊富だった。まぁ、エントリー代が18000円ですもの・・
国民宿舎に泊まり、24時間テレビの欽ちゃんを気にしながら、22時すぎに眠りにつく・・が、暑過ぎて眠れない。エアコンを18度に設定しても、全く効き目なし、どうして・・。レース前の緊張感ではなく、暑さのせいで眠れないとは・・全くの想定外だった。
[大会当日]
朝、4時過ぎに起床。アラームが鳴っても、同室の3人はビクともしない。ここで2度寝をしたら、ヤバイと頑張って跳び起きる。
4時半、和朝食。先輩アスリート(男子)はご飯を3杯お替りしていた。デザートにバナナあり。
6時より選手登録。両腕と両足に太いマジックで番号を書かれる。(養豚場の豚?)
足首に計測チップを巻きつけ輪ゴムで固定。
全員で記念写真を撮り、ウエットスーツに着替え、いざ出陣。
8時〜
SWIM/ 児島競艇場内レース水面 /1500m
足のつかない場所で泳ぐのは、生まれて初めての経験。
プールで25m完泳できたのは、40歳をとっくに過ぎて立派な大人になってる2年前のこと。
こんな私が、根性と体力だけで「トライアスロン」に挑戦するなんて、無謀だった・・と
気付いたのは、高価なバイクとウエットスーツを購入した後。
もう、やるしかない。週4日は、ジムのプールに通い、とにかく息継ぎのコツを覚えようと必死だった。あとから聞いた話では「絶対無理」とジムで噂されてたらしい。
そして、大会当日。
ウエットスーツを着ると、面白いように体が浮く。踵が水面から出てる!
蛇行しながら、ユラユラしながら、海水を飲み込みながら
制限時間50分のところを、42分16秒でゴール(527位)
バイク/ 児島競艇所から旧鷲羽山スカイライン折り返し /40km
スイムの関門にかからなかったので、ホッと一安心。
瀬戸内海、瀬戸大橋を左手に見ながら、走る。
坂道は、大の苦手。折り返して下ってくる男子のトップ集団の走りに見とれそうになる。
給水所では、バイクに乗ったまま(シューズがペダルに固定)紙コップを受け取る。
フラフラして、給水エイドのポールをなぎ倒し、突進して転倒。
肘を擦りむくケガは、毎度のこと。肘、膝の生傷は絶えません。
仲間とすれ違うたびに、「ガンバレ」と声をかけてもらう。
沿道からの応援はすごかった。名簿を見ながら私に向かって、「(フルネームで)ガンバレ〜」と途切れることなく続いた。遅い私は、2周回目に、1人旅になり心細くなりそうだったが、オジサンらのグループが、身を乗り出して、団扇で扇いで「イチ・ニ・イチ・ニ!」と、スローモーションのように上り坂を漕ぐ私に併走してくれた。
「ありがとございます」と言いながら会釈して、嬉しくて泣きそうだった。
あと5キロの標示を見て、またまた関門にかかりそうで、ラストスパート。
その後のランのことは、忘れてとにかく、ゴールへ。
2時間6分50秒(536位)制限時間11分まえに、セーフ。
ラン/ 児島競艇所から味野地区を折り返す /10km
やっと最後の種目。
日焼け止めを塗りなおす余裕などなく、ヘルメットをキャップに替え、ランニングシューズに履き替える。
マラソン大会なら、バナナなど給食があるのに、トライアスロンの短い大会ではないらしい。食いしん坊の私には、楽しみがなく残念。
ゼリー飲料を搾り出し、飲み込み、走り出す。
前を走ってる人達は、かなり遅い。ここからが私の本気モード。
走り始めは、足が重いが、面白いように抜かせる。13人は、抜いた。
マラソン大会では、味わえない爽快感。やっぱり私はランが大好きと実感できる。
最初は遠慮がちに首筋に水をかけてもらっていたが、暑過ぎる。
自宅のホースで放水してくれる応援の人に、まともに顔にかけられた。
エイドでは、かち割り氷をビニールに入れて渡してくれる。
両手に掴み、頬や首や足を冷やしながら、走る走る。
58分53秒(333位)で、フィニッシュ。
児島競艇所の大きなスクリーンに、姿が映し出される。
サングラスを取って最高の笑顔で、完走証用の撮影、バッチリ!
総合順位は513位。(完走者は534人)
タイムは3時間47分59秒(制限時間は4時間)
結果はどうであれ、無事に完走できたことに大満足。
一生一度でいいから、トライアスロンをやってみたいなと、漠然と思っていた。
出会いがあり、練習できる環境があり、仲間ができて、許してくれる家族がいて
実現できた。
ママチャリでさえ、メンテできない私の面倒をみてくれた人たちに、溺れたように泳ぐ私を見るに見かねて指導してくれた人たちに、ガンバレ!とずっと言ってくれた友達にも
感謝している・・ありがとう!
また、トライアスロンは、私に謙虚な気持ちをもつことの大切さを教えてくれた。
そして未知の世界へ飛び込む勇気を持てて、良かったと思っている。
これからも、やりたいことにはチャレンジし続けて、元気なおばあちゃんになりたい。
2007年の夏は最高に暑かったけど、さわやかな至福のひとときを私に与えてくれた。
2007年 5月30日(日) PARACUP 2007
多摩川クラブ 遠藤眞喜子
=PARACUP2007
世界の子供たちに贈るRUN=
2007.5.13(日)start 10:30
丸子橋多摩川サイクリングロードにてフィリピンの孤児達を支援することを目的としている団体『PARASIYOパラサイヨ)』が 2005年から開催しているチャリティーマラソン大会で、収益金は世界の子ども達に寄付金として贈られる。
第3回となる今年は、地元の丸子橋で開かれるとのこと。日本では珍しいチャリティーマラソン大会だし近いので参加してみようかしらと思っていたら、伴走クラブでご一緒している仲良しの視覚障害者Aさんから、その大会の伴走を頼まれた。
この大会はランナーだけではなく、ボランティア参加者からも参加料をとるので、さすがチャリティー大会と思った。大会前からボランティア申込者には、幾度もメールが送られてきて、準備の集まりが数回にわたって行われた。
当日、丸子橋下は、いつもの見慣れた風景と全く違う。ランナーの黄色のシャツ、ボランティアの紺色のシャツで埋め尽くされていた。そしてそれらを着ている人たちは、みな20代、30代の若者ばかり。私達50歳代のおばさん、おじさんは皆無に近く、通常のマラソン大会とは、全く違うムードだった。
通常の大会では、ランシャツ、ランパンの俊足ランナーが前を陣取っているのだがそれもほとんど見られず、黄色のシャツの若者達と走り出した。皆いつも走っているとは思えない感じの人たちばかりで、楽しくおしゃべりをしたりしている。伴走相手のAさんとは、何度も走っていて気心がわかっているが、彼女にとって、多摩川河川敷のような砂利、土、草地、を走るのは初めてだったそうで足裏の違った感触に、驚かせないようなアナウンスが必要だった。
無事10キロを57分で走り終え、ゴールでは、フィリピンの子供達がこの日のために、ひとつひとつ手作りしてくれた木のビーズのメダルをもらった。全員が少しずつ異なったメダルが、可愛らしかった。ゴール後の河川敷では、若者達が趣向を凝らした出店や、青空囲碁教室などが開かれていて、それも通常のマラソン大会とは異なった雰囲気をかもし出していた。
終了後もボランティアへのメールが何通か届き、内容は打ち上げの案内とか、収益金の報告などだった。このマラソン大会は、最後まで普通の大会とは違ったムードを持っていて、若者達がメール、ネットを介して情報を共有し、その情報の伝わり方が速く、そして広く広がり、事前の盛り上げ方が巧みであること。
大会を支えるボランティア側とランナー側との一体感が感じられること。そんなことが、わずか3回目にして参加者が1700人という大きく広がったのではないかと感じられた。
これからのマラソン大会のありかたのひとつの見本になるのではないかとさえ思ったほど。そして「なんでもカッタルイ〜」と片付けてしまうのが、現在の若者達かと思っていた自分の認識を変えさせられた出来事でもあり、気持ちのよい一日を過ごせました。
スタート前に坂本さんを見つける。伴走相手 のAさんは、5年前肝臓の半分を、瀕死の全 盲のご主人に移植し、 二人とも今は元気に なりました。その後マラソンを始めた女性です |
黄色軍団の中の、おばさん二人。 |
可愛らしいボランティア全員の腕に、名前が。 | ゴール後東京新聞社のインタビューを受ける |
多摩川にチアガールが! | 凄腕の美人主催者、森村ゆき さん。笹川財 団の職員でもある彼女は、2月の東京マラソ ンのボランティアの総監督でもありました。 |
遠藤 眞喜子さん提供(文・写真とも)
東京新聞に掲載された写真(多摩川クラブ大平さん提供) |
第34回JALホノルルマラソン
2006年12月10日 多摩川クラブ 川村 操
平成18年12月10日開催のホノルルマラソンに参加するために、7月末頃から計画をしました。参加者は多摩川クラブからは、川村、藤井さん、岩室さんの3名と、佐藤さん(岩室さんの友人)、野村さん(川村の友人・・観光)の合計5人です。
出発は、仕事の都合等で別々の日程になりました。
川村、野村さんは12月7日ノースウエスト便午後6:30分。藤井さんは同日大阪より成田着後乗り継ぎで全日空の午後7:00発。また岩室さん、佐藤さんの2名は12月8日のノースウエスト便午後6:30分となりました。
ホノルル到着後、バスにてホテルまで行き当日の予定説明会があり、一時解散となりました。午後1:30分まで時間がありましたので、コンベンションセンターに行きゼッケンの引き換え等手続きをしました。
今回は、男女混合チームで登録をしていましたので確認をしたところ、チーム名がtamaga clubになっていましたのでtamagawa
clubに訂正してもらいました。
インターネットで「アミノバリューのランナー募集」に申し込んでおいたので、ここで藤井さんを待つことにしました。ところが、本人は忘れていてすぐそばを通って戻られていました。
そして午後1:30分の説明会会場でようやく再会することが出来ました。その後はワイキキをぶらぶらしインターナショナルショッピングセンターの奥にある韓国料理店にて夕食を済ませてホテルにもどりました。
翌日は、午前中にホノルル動物園を散策しワイキキの北側にあるアラワイ運河をコンベンションセンター付近まで散歩しながら、途中で昼食を軽く済ませ、ワイキキビーチで夕日を見ながら海岸を歩いてホテルまで帰りました。
この夜は、オプションでポリネシア・カルチャー・センターに藤井さんのほか4名は出かけて行きました。バスで2時間ほどかかり、到着後すぐに食事を済ませてショーの始まるドームに入りました。ショーは約1:30分で終わり、帰りのバスが待つ所に行きましたら、予定のバスが到着していませんでした。そこで一緒に行った人達と分散して、他のバスでホテルまで帰ることになりました。
到着後の朝練は、午前6:15分にホテルの近くの公園に集合し準備体操(国立競技場のトレーニングセンターの内山先生が指導)後、ダイヤモンドヘッドの見晴らし広場までの約2kmを往復し解散。土曜日は、準備体操後カピオラニ公園を一周(最後約800mを自分のペースでゴールラインまで走る)して解散。岩室さんが遅れて着かれたので2人でコースの下見のつもりでダイヤモンドヘッドまで往復しました。
いよいよ大会当日です。
朝2時のモーニングコールと言う事でしたが1:45分にコールが鳴りだしました。(チョット早いのでは)
岩室さん、佐藤さんはバスでスタート地点のアラモアナ公園に行くということなので3:00〜3:30の間に乗車します。その後バス組は公園で軽く準備体操後、自分の目標タイム付近に散らばっていきました。(岩室さん、佐藤さんはスタートラインまで6分かかったようです)。
川村と藤井さんはアラモアナ公園にジョグで行きました。(しかし途中からジョグが出来ないくらいの混雑で仕方なく歩くことになりました)。二人は、スタートラインすぐ後ろに位置しました。そして川村が最終トイレに行って戻って来たら藤井さんはもう見当たりませんでした。
午前5時5分前に自転車の人達が一足早くスタートしていきました。そして5:00ちょうどに花火が打ち上げられ、第34回ホノルルマラソンが開始されました。
スタートラインまでは約20秒位でした。200〜300m位走ったところに独特の走りをした人がいました。なんとその人は、我が多摩川クラブの藤井さんでした。一緒に2mile付近まで並走して行き、その後カラカウア通りに入り、ワイキキ東部カピオラニ公園(ゴール地点)約10kmを48分で通過し、ダイヤモンドヘッドに向かう最初の坂に差し掛かりました。
暗いせいもあったかもしれませんが、坂のイメージがわかず、なんなりと通過して行きました。そして11mileからのカラニアナオレ・ハイウェイに入っていきました。このカラニアナオレ・ハイウェイは幅が広く直線がずうっと続くので単調でいやになると言う話でしたが、私には気持ち良く走ることが出来ました。
いよいよ中間地点の13mileを通過して行きましたが日の出はまだでした。目標は14mile〜15mileにしていましたので予定通りに走れていました。ちなみに、日の出は15mileの少し手前でした。
いよいよカラニアナオレ・ハイウェイともお別れしてハワイ・カイの折り返しに入っていきました。すると足にいつものイヤなものを感じ始めましたが、ここはなんとか乗りこらえる事が出来、走り続けました。
しかし、19mile手前で右太股に痙攣が走りましたので歩道に上がりストレッチを行いました。ストレッチを始めたら今度は他が痙攣を始めたのでとりあえずゆっくり歩く事にし、後は歩く、走るを繰り返していましたが、20mileを過ぎた頃、後ろから組長と言う声が聞こえました。振り返ってみると藤井さんでした。
藤井さんは、私が途中で歩いていない事を望んでいたそうですが、期待に反することになっていました。ここからは、少し並走して走りましたがつらいので藤井さんに前にいっていただき、私は後ろから付いて走ることに決めました。そのときの私の足は自分のものではないように思われ、何か重い物がはり付いている感じがしました。
その後は、藤井さんの姿が見えなくなったら走りだし、追いついては歩くという繰り返しでした。そしてコースマップに書かれてある24miel〜25mileのなだらかな上り坂、最後の難所(坂とは感じませんでした)をなんとか走りきり、ようやくダイヤモンドヘッドに着きました。
ここからカピオラニ公園までは下り坂と平坦コースなので下り坂で藤井さんに追い付こうと思いがんばって走りましたが藤井さんには、なかなか追い付く事が出来ませんでした。
しかし坂を過ぎ平坦なコースに入ったら藤井さんのスピードが少し落ちたようなのでようやく追い付く事ができました。そしてそのまま並走していきました。
カピオラニ公園の入り口のカーブを過ぎ、いよいよラスト1kmの直線コースに入りました。「はるか遠くにゴールゲートが見える」「よし行くぞ」と藤井さんに声を掛けて全力疾走しました。。あとゴールまでは最後のエイドステーションを横に見て走るのみでした。そしてようやくゴールラインを通過しました。
これで、長かったホノルルマラソンが終わったと実感しました。
シャワーを浴びて、完走Tシャツ・その他を済ませてテントに戻り少し休みました。
今日のレースをいろいろな思いで、振り返ってみました。印象的だったのは、途中、ダイヤモンドヘット頂上付近からゴールまでの間、あちこちから「多摩川クラブガンバレ!」という声援をたくさん受けたことでした。
その後、岩室さん達のゴールを待つためにコース付近に行きました。そしてしばらくすると二人がゴールイン。これで全員完走です。(日の出後はやはり暑かったでした。)
夕方5:30分よりみんなで完走記念パーテイに参加しました。
いよいよ、帰京の日が来る朝5:45に公園に集合しダイヤモンドヘットの頂上に朝ランを兼ねて岩室さんと二人でランニングをしました。これで終わりです。
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完走後の記念写真 |
第46回ガス橋開通記念
多摩川堤マラソン大会
平成18年 6月18日(日) 午前10時・11時スタート
多摩川河川敷コース 距離 8km
天候・曇り、時々小雨 気温26.0度 湿度80%
着順 | NO | 氏名 | 所属 | タイム |
男子 29歳以下 |
||||
1 | 27 | 植木原 宗平 | 武蔵野市 | |
2 | 24 | 河野 陽一 | 赤ちゃん本舗 | 26’04” |
3 | 1 | 稲葉 裕也 | 南房総走友会 | 27’48” |
4 | 90 | Hagan Mark | 福生市 | 28’23” |
5 | 879 | 上村 佳嗣 | 日獣医大陸上同好会 | 28’23” |
男子 30歳代 |
||||
1 | 940 | 藤澤 広明 | 横浜中央走友会 | 25’59” |
2 | 244 | 鈴木 英明 | 鈴木RC | 27’29” |
3 | 113 | 安蒜 直樹 | WING.R.C | 28’00” |
4 | 213 | 羽方 茂浩 | 所沢市 | 28’02” |
5 | 236 | 小金澤 貴史 | 川崎市消防局 | 28’17” |
男子 40歳代 |
||||
1 | 495 | 白水 晃二 | ハートブレイク | 28’36” |
2 | 351 | 水野尾 哲也 | 東京教員クラブ | 28’59” |
3 | 965 | 加藤 人望和 | 多摩川サブスリー | 29’05” |
4 | 964 | 鈴木 エリオ | Pe na rua | 29’19” |
5 | 321 | 久保 貫司 | 多摩湖RC | 29’20” |
男子 50歳代 |
||||
1 | 554 | 荒木 敏文 | ウイングRC | 29’18” |
2 | 564 | 小瀬良 雅俊 | 東芝京浜RC | 29’40” |
3 | 556 | 小山 智 | IHI横浜 | 30’04” |
4 | 616 | 井坂 重春 | 目黒区 | 30’34” |
5 | 527 | 木村 潔 | 東京都庁 | 30’42” |
男子 60歳代 |
||||
1 | 755 | 小金 啓志 | 川崎OBMC | 30’14” |
2 | 722 | 宇山 武彦 | 久我山火曜会 | 32’21” |
3 | 740 | 山崎 和男 | 海老名2000 | 33’01” |
4 | 754 | 飯田 昭夫 | 横浜中央クラブ | 33’08” |
5 | 746 | 鈴木 昇 | 三興管理所沢 | 33’20” |
男子 70歳代 |
||||
1 | 804 | 市川 邦夫 | 町田いだ天クラブ | 33’57” |
2 | 814 | 佐々木 久治 | 八潮市 | 36’50” |
3 | 819 | 川又 文士 | 我孫子走友会 | 37’11” |
4 | 806 | 齊藤 剛 | 町田いだてん | 37’22” |
5 | 811 | 植竹 英夫 | 鎌倉FRC | 38’14” |
女子 39歳以下 |
||||
1 | 90 | 冨岡 順子 | 品川区 | 31’34” |
2 | 114 | 竹内 悠 | 相模原市 | 32’36” |
3 | 166 | 熊澤 妙子 | DNP駅伝部 | 33’37” |
4 | 61 | 岡本 幸子 | 岡本歯科医院 | 34’13” |
5 | 154 | 斉藤 綾子 | 川崎市 | 34’31” |
女子 40歳以上 |
||||
1 | 262 | 山口 美津子 | 多摩川クラブ | 34’09” |
2 | 225 | 大野 朋子 | 大田区 | 34’42” |
3 | 261 | 鈴木 ロラ二エ | Pe na rua | 36’23” |
4 | 255 | 阿邊 宏子 | PGM | 37’03” |
5 | 232 | 長谷川 珠美 | 下田市 | 37’24” |
大会レポート:第1回 掛川・新茶マラソン
2006年 4月 16日(日)
多摩川クラブ 麻生信宏(Dr.Asou)
=前日の行動=
5:30 起床
6:30
六郷トラックまでジョグで往復。トラックで400mと100mを各1本で喝入れ。
10:45
川崎駅で村下孝蔵を口ずさみ、踊り子105号に乗り込む。
大船駅を通過したところで回ってきた車内販売で大船軒の鯵寿司(980円)を購入。
小田原で、缶ビール1本(500ml)を調達し、JR新幹線こだま539号へ乗車。
車内で鯵寿司とビールを味わう。個人的には、大分市の鯵寿司“松岡寿司”のほうが好み。
12:39
掛川着。
早速腹ごしらえ。
まず、ラーメン「あじ助」へ。
系醤油豚骨のスープの“さむらい麺” (850円)を味わう。濃いスープは飲みにくいが、味はよし。
13:30
前日受付け会場の掛川城に到着。
まず、受付を済まして、おむすび2個(@100円)とやきそば(300円)を味わう。
大会参加者以外でも、某国営放送局の大河ドラマの影響で、お城見物の観光客が大勢。
14:30
今回は、ミズノランニングクラブのマラソンクリニックを受講。
前日の過ごし方からスタート前までの留意事項を真面目に聞く。“レースの運び方”で、コースの起伏を知る。(別紙:コースマップ参照)RUNNETには載ってなかったぞ。
16:30
お隣駅の菊川まで電車で移動し、ホテルへチェックイン。
さて、夕食をどうするか。お店で食べると、酒が進んでしまうため、スーパーへ買出しに。
10分程度のところにあるスーパーで翌朝の分まで買い込み、部屋に戻る。
Jリーグ放送を見ながらの食事。
偶然、スーパーの買い物袋の中から銘酒“喜平”と缶チューハイが出てきてしまったので、仕方なしに飲酒・・
今日は沢山食べた。満足じゃ。
21:30 就寝
大会当日・・・4:30起床(予定通り)
カーテンを開けると、あいにくの雨。でも、適度なクーラントと思える程度の降りです。ベッドの上でゴロゴロして体をほぐし、6時から朝食。膝とアキレス腱をキネシオテープで補強した上にレースウエアを身につけ準備完了。7時に出発。電車とシャトルバスでスムーズにつま恋到着。
話は、マラソンから外れますが、1983年のつま恋ガス爆発事故が記憶にある方は、何人くらいいるでしょうか。このときの被災者の中に日本リーグ・東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)のスター選手で、メキシコ五輪日本代表で銅メダル獲得に貢献した松本育夫さんがいました。目がくりッとした精悍な選手でした。
日本代表でのポジションは当時の言い方で右ウィングです。ちなみに左ウィングは杉山隆一さん・三菱重工(浦和レッズの前身)、センターフォワードは得点王に輝いた釜本邦茂さん・ヤンマーディーゼル(ガンバ大阪の前身)でした。監督は長沼健さんです。(川淵チェアマンの先輩です。)
この事故で松本さんは、手足骨折、大火傷を負い、延べ8回にわたる皮膚移植、左指切断手術を受けましたが、不屈の闘志でサッカー界に復活し、現在も指導者・解説者としてご活躍中です。(そのときのいきさつが「燃えてみないか今を」という本に詳しく記されています。お奨めの一冊です。)
8:30 スタート。
4時間のペースアドバイザーのちょっと前を走って行こうと決め、3時間30分〜4時間のゾーンに並びました。つま恋から一般道に出るとすぐに片側一車線道の左側走行となるので少し窮屈です。同じペースのランナーの中に強烈なウエア(女性用スポーツインナー???)をまとった人がいました。こういう人は苦手なので、少し離れて走っていくことにしました。
2Kmを過ぎると長めの上り。上りが終わるとすぐに急な下りとなります。このとき一面に茶畑が広がります。晴れていたらもっとすばらしい景観だったことでしょう。この下りは右膝と左アキレス腱にとても堪えました。
急な下りの後、しばらくして街並みの中を走るようになると、応援の人数も増えてきます。沿道で見かけたサッカー関連ショップは、さすがサッカー処。「ちょっとだけ寄り道したい。」そんな浮気心をこらえて先に進みました。
途中で雨がやみました。17Kmからは、いよいよ上りが始まります。20Kmから30Kmの間では、高低差70mを2度体験できます。ペースアドバイザーから「下りは、もうちょっと前傾姿勢にしたほうが良いですよ」とアドバイスをもらったのですが、前傾姿勢が保てない私は、かなり脚に来てしまいました。
30Kmあたりで重大なミスをして走っていることに気づきました。給水所で水分補給はできていたのですが、“エネルギー補給”を一度もしていないのです。私が今まで参加したフルマラソンでは、沿道に“飴ちゃんキッズ”があちこちにいて、給水所では水分補給のみで走りきれたのです。キウイ・イチゴ・バナナで補給しようとしましたが遅かったようです。
35Kmあたりで走れなくなりました。帰ってからインターネットで調べてみると、低血糖に陥ってしまったようです。掛川市街地に入り、たくさんの声援あるので頑張りたいのですが、歩くことしかできません。頭を垂れ、歩いてつま恋に入りました。
このまま情けなくゴールか思っていると、ラスト200mで“応援キッズ”がでてきました。キッズの伴走で、最後だけは元気なオヤジとなって、ゴールできました。そのときの写真がこれです。RUNNETに載っていました。
30Kmまでは、楽しいランでしたが最後はやはり辛かったです。しかしこれからも懲りずにフルマラソンに参加していくつもりです。次は、エネルギー補給のタイミングを考えてからスタートします。前日の飲酒もやめるようにします(忍耐)。
「掛川・新茶マラソン」・・・走った後、入浴・観光もできる。起伏のコースであることを除けば、皆さんにもお奨めできる大会のひとつだと思います。
記録は、以下の通り。35Km以降は、キロ10分で歩いています。
計測ポイント |
スプリット |
ラップ |
Start |
0:01:38 |
0:01:38 |
5km |
0:30:51 |
0:29:13 |
10km |
0:57:07 |
0:26:17 |
15km |
1:23:14 |
0:26:07 |
20km |
1:51:18 |
0:28:05 |
25km |
2:18:28 |
0:27:10 |
30km |
2:44:49 |
0:26:21 |
35km |
3:15:28 |
0:30:40 |
40km |
4:04:48 |
0:49:20 |
goal |
4:24:20 |
0:19:33 |
タイム(グロス) |
4:24:20 |
|
タイム(ネット) |
4:22:43 |
|
種目別順位 |
230/321 |
|
総合順位 |
1346/1981 |
|
出走者数 |
2488 |
平成18年4月9日(日)
本門寺桜祭りマラソン上位5名
距離・10km 本門寺境内周回コース
一般 30才未満
順位 | ゼッケン | 氏名 | タイム | 所属 |
1 | 1 | ハスラーステファン | 35’47” | 南蛮連合 |
2 | 3 | 穴原 健 | 35’52” | 所沢走友会 |
3 | 9 | 狩野 剛史 | 36’35” | 江東区 |
4 | 16 | 斉藤 良介 | 39’38” | トラジャルOB |
5 | 13 | 小林 国重 | 41’22” | 大田区 |
一般 30才代
順位 | ゼッケン | 氏名 | タイム | 所属 |
1 | 174 | 藤澤 広明 | 33’11” | 横浜中央走友会 |
2 | 520 | 金井 雅也 | 34’09” | |
3 | 169 | 林 憲吾 | 35’20 | はやし整骨院 |
4 | 132 | 木村 昌義 | 36’03” | 横浜陸協 |
5 | 135 | 黒川 賢一 | 37’20” | アイケイ |
一般 40才代
順位 | ゼッケン | 氏名 | タイム | 所属 |
1 | 254 | 古田 秀之 | 37’15” | 横浜市 |
2 | 213 | 松本 浩史 | 37’31” | 八王子走ろう会 |
3 | 225 | 大村 俊一 | 40’10” | 町田いだ天 |
4 | 231 | 河村 秀紀 | 40’37” | 東京学芸大ARC |
5 | 204 | マイヤー ケレン | 40’39” | 南蛮連合 |
一般50才以上
順位 | ゼッケン | 氏名 | タイム | 所属 |
1 | 365 | 馬場 正直 | 37’34” | UFJ東京三菱銀行 |
2 | 380 | 村田 玲一 | 39’41” | 快鍼堂 |
3 | 346 | 小野 清美 | 40’15” | NTT横田会 |
4 | 382 | 小池 親一郎 | 40’31” | 愛知教育大中RC |
5 | 324 | 芹田 仁 | 41’23” | RC−虹 |
女子の部
順位 | ゼッケン | 氏名 | タイム | 所属 |
1 | 59 | 弓削田 真理子 | 42’29” | 坂戸市 |
2 | 2 | 大竹 香 | 44’50” | 大田区 |
3 | 26 | 小野崎 まどか | 45’18” | 小山市 |
4 | 48 | 林 佳代子 | 45’27” | はやし整骨院 |
5 | 34 | 酒井 香寿恵 | 46’40” | 世田谷区 |
2006年3月12日(日) 川崎ハーフ&5km入賞
種目順位 | 総合順位 | タイム | 氏名 | 所属 |
A ハーフ | ||||
1 | 1 | 1’20”20 | 秋山貫太 | 早大アトム |
2 | 2 | 1’20”40 | 野口淳史 | 九州ドランカーズ |
3 | 3 | 1’22”37 | 今枝伸広 | 筑波大同好会 |
4 | 6 | 1’25”06 | 茅根靖典 | eA茨城 |
5 | 8 | 1’25”41 | 片岡泉 | RJK |
6 | 12 | 1’26”03 | 富岡康彦 | 走魂 |
B ハーフ | ||||
1 | 4 | 1’23”09 | 清水正秀 | アトミクラブ |
2 | 5 | 1’23”30 | 出藤清隆 | JMSDF |
3 | 9 | 1’25”47 | 熊川清行 | メタコRC |
4 | 11 | 1’25”57 | 但馬広秋 | イツキパパ&多摩川クラブ |
5 | 13 | 1’26”09 | 鈴木誠 | |
6 | 16 | 1’26”47 | 臼井義哉 | 佐々木走友会 |
C ハーフ | ||||
1 | 7 | 1’25”19 | 矢部義孝 | (有)まりも商会 |
2 | 10 | 1’25”48 | 牟田静 | TeamMED |
3 | 34 | 1’30”06 | 高橋欣三 | 駒沢公園J.C |
4 | 39 | 1’30”56 | 三浦秀美 | 渡辺食品機械東京 |
5 | 43 | 1’32”01 | 岡野裕 | 浦安ランナーズ |
6 | 58 | 1’33”21 | 山本道男 | |
D ハーフ | ||||
1 | 26 | 1’27”54 | 中根史恵 | |
2 | 47 | 1’32”17 | 田村幸恵 | トライガルズ |
3 | 92 | 1’38”49 | 永田真理 | |
4 | 106 | 1’40’29” | 海和慶子 | |
5 | 109 | 1’40”46 | 平島由香 | 美野里クラブ |
6 | 110 | 1’41”01 | 佐久間さつき | Kiss Me |
E ハーフ | ||||
1 | 51 | 1’32”29 | 山口美津子 | 多摩川クラブ |
2 | 79 | 1’36”28 | 馬 少芳 | 南蛮連合 |
3 | 120 | 1’42”20 | 安藤有希 | |
4 | 147 | 1’44”19 | 山中洋子 | |
5 | 152 | 1’44”41 | 富田維久美 | |
6 | 184 | 1’46”59 | 岩永麻季江 | THL3 |
F ハーフ | ||||
1 | 292 | 1’55”27 | 原妙子 | 南蛮連合 |
2 | 308 | 1’56”51 | 柿内佐保子 | |
3 | 427 | 2’15”08 | 鍋島光恵 | チームJ |
4 | 455 | 2’21’16 | 内藤千恵子 | |
5 | 462 | 2’24”16 | 三枝令子 | |
6 | 490 | 2’30”02 | 池田美知子 | |
G 5km | ||||
1 | 1 | 16’52” | 岡本篤史 | 新戸塚病院 |
2 | 2 | 17’38” | 木村昌義 | 横浜陸協 |
3 | 3 | 17’46” | 益戸宏 | 皇居21AC |
4 | 4 | 17’54” | 青木昌弘 | 横浜中央走友会 |
5 | 5 | 17’55” | 永山公士 | オアシス武蔵小杉 |
6 | 6 | 17’57” | 本間洋 | |
H 5km | ||||
1 | 17 | 20’12” | 山内佑紀 | |
2 | 25 | 21’36” | 薄田美枝 | |
3 | 30 | 22’01” | 武者俊子 | 東京RC |
4 | 49 | 25’33” | 米倉亜希子 | |
5 | 52 | 26’48” | 花輪由香 | |
6 | 54 | 27’35” | 瀧山紗恵子 | ストロベリージャム(株) |
第33回JALホノルルマラソン
2005年12月11日
多摩川クラブ 峰田 正隆
ホノルルマラソン参加して
平成17年12月11日開催のホノルルマラソンに妻と二人で行ってきました。
ホノルルマラソンは世界三大市民マラソンの一つで日本人にとても人気のある大会です。今年の出場者は約33500人(日本人17350人)で日本人の出場者は前年の2000人増でした。
人気の理由として @制限時間が無いこと、Aお祭り的要素が濃いこと、Bとても楽しくランニング出来ること、などが挙げられると思います。また数多くの芸能人・有名人といっしょに走ることが出来るのも魅力のひとつではないでしょうか?
ひとつ注意することといえば、日本を出発する時は寒さの厳しい冬ですが、現地は暑いので体調管理に気をつけなければならないということです。
今回で私は3回目の参加です。前々週に”つくばマラソン”を調整のつもりで走り、万全の状態でスタートを迎えました。
スタートはアラモアナ公園を午前5:00恒例の花火の合図で動きだしました。(スタートラインまで徒歩で7分かかりました)
約一時間位は真っ暗な中を走るのでとても危険です。(何人か転倒者あり)ダイヤモンデヘッド付近で朝日が見られました。ここからの眺めは最高で、感動的でした。気分はとてもよかったのですが、実は前日にちょっとしたアクシデントがありました。
前日夜safety box(金庫)が故障し、長時間修理していたが直りませんでした。結局、睡眠時間は1時間半位しかとれませんでした。「この影響がレースに出なければよいのにな。」という心配を抱きながら走っていました。
30Km位までは何とか順調に走れましたが、ダイヤモンドヘッドの登り付近(35Km)で、やはり前日の睡眠不足のためか“ふくらはぎ”がつり、さらに“腿”までつり始め、ついに歩くはめになってしまいました。
しかし沿道のボランティアの人や声援の人々の励ましに支えられ、元気を出して又走りはじめ最後には完走する事が出来ました。
ゴールのカピオラニ公園に着いた時は我ながら感動的でした。タイムには不満ですが・・・
今年も1月にTBSテレビで放映が予定されています(長谷川理恵・坂口憲二などが出ます)のでもう一度感激を味わいたいと思います。
完走証をいただきました。 | ゴール・カピオラニ公園にて |
完走記念パーティ会場で | ! or ? |
第25回 筑波マラソン
2005年11月27日(日)
初のサブ4達成! 多摩川クラブ 藤井 かおり
記録:3時間59分37秒
順位:275位
ネットタイム(参考):3時間56分43秒
ついにフルマラソン12回目にして、念願のサブフォーを達成できました。今までの自己新が平成12年2月の「勝田全国マラソン」での4時間45分12秒(ネットタイム 4:44:02)でしたので大幅に短縮することができました。前回も茨城、今回も茨城で私は茨城県の大会と相性が良いようです。茨城県万歳!次回は霞ヶ浦で更に短縮できるかも・・
つくばマラソンは、コースが平坦で好タイムがでやすいとされ、大会終了まで6時間と比較的ゆとりを持って設定されていることから、毎年1万人以上の人がエントリーしているようです。更に今年はつくばエクスプレス開業もあって過去最高のエントリー数だったとか。
さていよいよ始まります。4時間と5時間のペースアドバイザーが帽子に風船をつけてスタート地点にいましたが、私は4時間は絶対に無理だろうと最初は思っていましたので、気にせず、研究学園都市の街路樹の紅葉を眺めながら、マイペースでスタートしました。
5キロを過ぎたあたり(28:53:68経過)で、私の前に「フル百回楽走会」のランニングを着た男性がいて、隣の人と「ウルトラ100キロを走ったら、フルなんて短いもの」と話しているのが聞こえて、ウルトラ経験者で100回もフルを走っている人ならペースを乱すことなく走ってくれるのでは・・と淡い期待をいだきながら他力本願でついて行くことにしました。
気づくと20キロ地点でタイムが1:50:10でした。今までハーフで一度も2時間を切ったことの無い私は、「腕時計が狂ってる?」「ラップをとりながら、途中で操作を間違えた?」と自分のタイムを疑いましたが、前方に、風船がフワフワ浮かんで、背中に4時間の文字が見え、集団になっていたので「もしかしたら、最初で最後のチャンスでサブ4を狙えるかも」と初めて本気でサブ4を意識しました。
スタート前に「30キロのエイドで名物の”お汁粉”が出るけど、遅いと無くなってるらしい」というのを聞いていたので、「4時間の風船集団より前にたどり着かないと、食べ損なう・・」と思い100m短距離走ごとくスパートして、走りながら紙コップにつがれたお汁粉を食べました。「満足 満足・・」
35キロ地点(3:15:13経過)を過ぎたところに、上り坂がありましたが、それまでがずっと平坦だったので、少しは変化が欲しいと思っていたので、それほど苦しまずに駆け上がる事ができました。そこでは、風船もランニングの男性も遥か先に行っていました。
自分の時計で残り時間と今のペースを計算すると、ネットでギリギリ4時間だったので先週の東京国際の”高橋尚子”になりきり、「夢を実現させよう!」と頑張ってみました。そこからは、給水所も無視して、あと3キロ・2キロ・1キロと夢中で走りました。
そしてトラック内でのアナウンスが「あと1分40秒で4時間越えます」と言うのが聞こえたので、必死でラストスパートしました。なんとか、間に合いました。その場で発行された完走記録証は、今の私の一番の宝物です。
今までは、同じペースの人がいれば、話しかけて、楽しくゆっくり完走するのが私のモットーでしたが、今年になって知り合った人に「何年も走っているのに、遅すぎる」とハッキリ言われ、真面目に練習してみる気になり、この多摩川クラブを見つけ練習会に参加させてもらうようになりました。
目標は10キロ記録会で、遠藤さん岩室さんに追いつき追い越すことです。これからも、徐々に進化していきたいと思っています。よろしくお願いします。
合同練習記録会での藤井さん |
第19回成田ロードレース大会
2005年 11月6日(日)
「成田POPラン大会に参加して」 多摩川クラブ 岩室ふみ子
種目 ハーフ女子16歳以上
タイム 2:03:16
93位/150人中(種目別)
100位/165人中(総合)
当日は曇り空で、また空気もいくらか湿気を含んでおり、まずまずのレース日和でした。
会場は成田市陸上競技場なので、体育館内の更衣室やトイレが使えて、着替えや手足を伸ばしてのストレッチが室内でゆっくり出来るのが嬉しかった。
スタートポイントを確認するためにトラックに出てみる。、トラック内を走った後、そのまま下の公園まで足を延ばしてみると実に心地よい。「こんなに走りやすい公園が自宅近くにあったら毎日走るのに!」と思った。
10時、スタートの合図と同時に第一歩を踏み出した。まず競技場から三車線道路に出て、直ぐ脇道に入り、住宅街の中を走る。緩やかな下り坂が続いて脚を運ぶリズムが速くなる。そしてそのまま広々した住宅街を通り抜けながら走っていく。
途中に大きな下り坂が2つあった。「帰りは上り坂か、辛いだろうなあ」と思いながらも、ドドドッ・・・・と下って行く。3k地点で給水を摂る。6k地点でひときわ急な下り坂があり、そこを下ると平坦な田園風景になる。
田畑の中をくねりながら走っていくと遥か彼方にアリの行列のように前を走って行く人が見える。人・人・人、いったい私の前に何人のランナーがいるのだろう?「気球に乗って先頭集団まで運んでもらいたいな。」前に長い行列を見るといつも思うことです。
2度目の給水を摂り中間地点を過ぎると、12k地点で高台にビルが現れてくる。そろそろ「上り坂が来るな」と思っていると、「来た!来た!」13kで上り坂。手を大きく振って一生懸命登る。登りきると再び住宅街に入り、14k,15kと1k毎の表示を楽しみに走る。
16k地点で後5kの表示に変わったので、「5kだと皇居一周だな」と考えをチェンジさせる。「何とか大丈夫、走りきれる!」自分に言い聞かせる。後4k地点で再び急な上り坂が現れこれには息が切れたが、何とか止まらずに登りきれた。
後3kで最後の給水をしてさらに気持ちを奮い立たせて走り続ける。ゴール競技場手前の遊歩道は道幅が狭く、走り辛く、また思ったほど速く走れず、結局2時間3分でゴールに着いた。
感想
成田POPランは今まで私が参加したどのハーフマラソンより坂が多くて、半分は坂道を走っていたような気がする。コース中盤までは起伏があって面白いコースと感じたけれど最後は膝が心配になった。案の定、翌日は膝が痛くて足を引き摺って歩いていた。
沢山の坂をぴょんぴょん下るからPOPランかと思ったが、聞いたら「人気がある」のPOPULARからとったPOPと言うことでした。「坂」には不思議な魅力があるのかしら・・・
合同練習記録会での岩室さん |
2005年 8月 5日 ヘルシンキ(フィンランド)
ヘルシンキ シティーマラソン
多摩川クラブ 遠藤 眞喜子
第25回ヘルシンキシティマラソンは翌日から始まる世界陸上選手権大会に先立ち、8月5日の午後3時にスタートした。35ヶ国から集まった7000人を超える参加者。
私の記録はグロス4:07:56、ネット4:06:35、ハーフ通過タイム1:58:22、4993人の完走者のうち2158位、W50のクラスでは93人中16位。
日本人参加者は4人(男3、女1)
抜ける様な青い空の下、真上から太陽がぎらぎら照りつけまったく日陰のないtheTaivallahti Tennis Center脇の道路には7000人のランナーが集まった。私は360度、2m近い大男たちの壁に囲まれていた。ついにスタート地点に立っているのだ。
日本を出発して17日目、その間ロンドン、北欧各国を廻り、およそフルマラソンを走る者とはかけ離れた旅行日程をこなし、最後に遊び感覚で走っちゃおうという軽い気持ちでここまで来たが、とうとうそのステージの上にいる。
前日のゼッケンピックアップでは外国人専用のテーブルがあり、英語が通じたが、本番の今日は放送も表示案内も、もちろん飛び交っている言葉もみなフィンランド語。ドイツ語以上にウムラウトがたくさんついているフィンランド語の渦の中だが、さほど緊張はない。
いつものように後ろからついて行けば最後にはゴールに着くから。それよりも今日の一番の問題は25℃という暑さと陽射しだ。
北緯60度に位置するヘルシンキは樺太より北、カムチャッカ半島の付け根と同じ緯度にあり、午後3時といっても太陽は真上にあるのでかなりきつい。帽子、サングラス、手袋に、腕や顔にたっぷり日焼け止めを塗ってのスタートとなった。
大半のフィンランド人はこの太陽を楽しむがごとく、帽子もサングラスもしていない。スタート地点で声援を送ってくれた二人の娘と別れを告げ、長い長い42Kの旅が始まった。
フィンランドは人口約500万人、国土の65%が森、10%が湖沼と河川、8%が耕作地という自然の宝庫。1割の50万人が住むヘルシンキの街は、首都でありながら政治経済文化の中心となる地域はさほど大きくなく、広い森と数々の湖が点在し南はバルト海に面している。
最初の7Kはその市内を走る。2K地点の交差点で大きくに右に曲がる時、「頑張って!」と日本語が耳に入った。
大勢の地元声援者の中に、若い日本女性が手を振っているのがわかった。すると私の脇を、黒の上下を着た日本人青年がその声に手を振りながら勢いよく抜いていった。スタート前にトイレ前ですれ違ったあの20歳台の青年だった。
あんなに速く走って最後までもつのだろうか?腕には時計もはめていなかったし、きっと今回が初マラソンなのでは?などと思いながら私はいつものようにスローペースでいく。
3Kから4K地点にかけて翌日から始まる世界陸上が開かれるオリンピック競技場があるはずなのだが、残念ながら森に囲まれていて見えず、その周りの道路を走った。1952年に開催されたヘルシンキオリンピックのために造られたものだ。
7K地点の2回目の給水を済ますと市街から別れを告げ、森と湖のコースへと入り、ぐっと応援者が減る。この市民マラソンコースは3分の1が街の中、3分の2が自然の中、といっても走るコースはほとんどが舗装か石畳で、42K通して平らなところはなく、細かなアップダウンが続く楽ではないコースだ。
わぁーきれい!ホントにきれいな景色だ!湖の深い青色、森の緑、その上に真っ青な空のブルー、青緑青の色がサンドイッチになって、所々にヨットの白が浮かんでいる。私の目に入るすべてがこの3色で彩られた大画面。
景色というより色彩の美しさ、鮮やかさにうっとりしながら、ただただ足が軽やかに前に進んで行った。
フィンランドといえば、昨今はNOKIAで有名だが、私の中では長年童話のムーミンとMarimekkoの国だった。まじりっけのない綺麗な色のみを使い、おおらかな図柄を長年作り続けている私の大好きなテキスタイルメーカーのMarimekko だが、この国に来てみればそれが生まれたのもうなずける。出来ることなら涼やかな日陰でこの景色を楽しみたいところだ。
そんなことを考えているうちに18K地点の大きな橋に来た。ここは復路31K地点でもあり、早くもアフリカ系の男性ランナーが一人快調なペースで戻ってくるのにすれ違った。今日の賞金3500ユーロ獲得は間違いなく彼だろう。橋を下りると市街地にはいり、再び沿道の声援が多くなった。スタートした時からこの応援が気になっていた。
フィンランドに入って4日目だが、レストランでも店頭でも彼らはとてもにこやかで親切に話しかけてくれる。女性は美人が多く笑顔が絶えない。
ところがマラソンの応援となると、あまり大声を出さず手を叩いて応援してくれるだけ。バンドもほとんどない。静かな応援だ。普段は苦虫を潰したような顔をしたドイツ人が、マラソンの応援となると全身で声を張り上げ、お祭り気分なのとは大違い。
ここは日本のマラソンと似ている気がする。そんな声援を受けながらハーフを1時間58分22秒で通過した。
ここからは左手に高級住宅地、右手にはいくつもの大型豪華客船が出発するバルト海が広がっている。下り坂の途中の日本大使館が入っているビルに日の丸を見つけ、ふと右を見ると、赤ちゃんを乗せた3輪バギーを押した男性ランナーが元気よく脇を走っていった。あーぁ、赤ちゃんに抜かれちゃった。
これで自分のペースが落ちていることに気づいた。もうすぐ娘達の待つ25k地点だから頑張らなくっちゃ。下りきったところは、今日3人で昼食をとった港のマーケット広場。屋台で食べたフィンランド風シーフードチャーハンは美味しかった。
マーケットを直角に左に曲がると、いよいよこのマラソンコースで最も賑わっている
Pohjoisesplanadi通りに入る。Esplanadi公園を挟んで高級ブティク店が並び、大きさもムードもDuesseldorfのKoenigsalleeとよく似ている。走る幅が2m位になるほど両脇に人々が応援に出ている。ほぼ約束どおりの時間に娘達と再会した時には、黄色のシャツの背中と、そして背中から長く突き出た三角の黄色旗に、4:00と書かれた4人の大男たちと一緒になってしまった。
汗と給水で濡れた手袋を娘に預け、二人から元気をもらったが、人垣が少なくなるにつれ、自分の望みとは反対にこの4時間のペースメーカーの集団から徐々に離されていった。
29K辺りで、先ほどの日本人青年が歩いているのが目に入る。「だめよ、こんなところで歩いては。まだ10K以上あるんだから頑張って。」と心の中で声をかけた。30Kからは再び湖に戻り、いくつもの島を渡るため、そのたびに橋を上らなければならない。
さすがに足が重くなり、森と湖の美しい景色を楽しむ余裕がなくなり、だんだんこの大自然が疎ましくさえ思えてくる。暑さは相変らず厳しく、私はスポンジを捨てずに持ちながら走り、次の給水所で水をかけるということを繰り返した。
シャワーポイントもあるのだが、ほとんどの人はそれを避けて通っているのは、私のように濡れるのがいやなのか、あるいは暑いのが平気なのか?サウナの発祥の地だけあって、走る人も見ている人も本当に太陽と暑さが好きなようだ。
39K地点で最後の島が終わると再び沿道に応援が戻ってきたが、この声援も効果なく足どりは重いし、給水をとっても何となくすっきりしない。昨夜食べたトナカイの肉と昼のシーフードの混ざったような妙な味が胃から口に戻ってくるようだった。あと少し、頑張ろう!
ここまでいくつもある上り坂を頑張ってきたが、40k辺りの最後と思われる上り坂は自分との戦いだった。「こんな走りなら歩いた方が速い。いや、今まで6回のフルマラソンを一度も歩いていないのだから、絶対歩いたらだめよ。一歩でも歩いたら‘完走’にならないでしょ。でもこの苦しい坂を走るのにエネルギーを費やしたら、上りきったら走れなくなっちゃう。」と自問自答を繰り返す。
足は次第に歩きに近くなり、ついに一歩。「あ!ダメダメ」とまた2,3歩走る。また一歩歩く。また走る、歩く、1歩、2歩、3歩…あぁ、ついに上りきるまで20歩を歩いてしまった。歩かなければよかったと思ってももう遅い。『歩かない、止まらない』を自分のマラソンのモットーにしていたのが、この瞬間崩れてしまった。
ようやくSibeliuksen公園まで来た。フィンランドの代表的作曲家であるシベリウスを記念して造られた公園である。
今日のマラソンは午後3時スタートなので、時間潰しに午前中は観光バスツアーに参加し、この公園も案内してもらったのでよくわかっている。
この辺りから両側の応援者の数は増し、ゴールの花道へと続いていた。途中、自己ワースト記録になってしまうかと思ったが、かろうじて6分台でゴール!無事に娘達と再会。
時間は夕方の7時を廻っていたが、フィンランドの空は、「今日はまだまだこれからよ。」とでも言うように高く青く広がっていた。
最後に面白いエピソードをいくつか…。
@ スタートの列の他に長い行列があり、その先には4人の牧師さんがいた。大勢のランナーがひとりひとり、牧師さんに祈りを捧げていた。何を祈っているのだろう。日本人が怪我をしないで完走出来ますようにと神社に祈願するのと同じだろうか?移動神様っていうところかしら?
A 同じくスタート前の行列といえば、トイレ。
今回の北欧旅行の最初に降り立ったデンマーク、コペンハーゲンのカストロップ国際空港からずっと気になっていたのだが、北欧の公共の場のトイレは男女共用が多い。ファッションはユニセックスというが、トイレでもその言葉を使うかどうかはわからない。このマラソンの仮設トイレも男女共用。私の前の人は男性で、その後に入るのがいやだったのだが仕方がない。
入ってみると真ん中に普通の洋式便座があり、両脇にはご丁寧に棚がある。用をたす為座ると、ちょうど頭の位置の左右にその棚がある。が、棚の形が微妙に違う。左の棚にはペットボトルなど要らないものが置かれてしまって一杯だ。右の棚は空いている。でもよくよく見ると棚なのに横から直径5センチほどのパイプがついていて、内側は濡れている。
この時点でやっとこれが男性用便器ということに気がついた。おー、危ない危ない。もうちょっとで頭が触れるところだった。それに荷物を持っていれば、私は確実にこちらの方の棚に置いたに違いない。それにしてこの便器、付いている位置が高すぎる!
B このマラソンでは持参のイエローチップは使えず、全員が大会専用チップを使用したのだが、靴紐に通さず装着できる器具が付いていて、ゴール後係りの人が取ってくれる。疲れた体には嬉しいサービス。
C ゴール後のご褒美がまた楽しかった.メダル、スポーツドリンクはここも同じ。その後スーパーでくれるビニールの手提げ袋が配られ、用意された道順に沿っていくと、その袋の中に次々と入れてくれるのだ。
まずバナナ、クッキー、ヨーグルトドリンク、黒パン、アイスクリーム。最後は温かなコーヒー。私は図々しく娘達の分までアイスクリームを貰い、3人で食べた北欧のアイスは美味しかった。
こうして私にとって非日常的な大イベントのヘルシンキマラソンは終わった。ロンドンにいる長女の卒業にあたり、娘二人との旅行を兼ねてのマラソンだったが、それを許してくれた主人に感謝!!
そして最期までサポートしてくれた娘達にも感謝!!
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