MEMBERS & RACE REPORT



http://www011.upp.so-net.ne.jp/dan/tamagawa-club/

[報告作成:ジョーさん  サイト作成:ヤマドリさん






横浜マラソンの写真と動画は、神奈川新聞のサイトでご覧ください。
高田選手のFINISH写真も左上に載っています。(拡大できます)

                

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     2015年 3月15日(日) 第1回 横浜マラソン



 ハーフからフルマラソンに一新され、10キロと車いす(10、2キロ)の部を合わせた計2万3430人が、みなとみらい大橋から赤レンガ倉庫、中華街、山下公園などの観光名所を巡り、レース中盤には首都高速湾岸線を約11キロ疾走した。待ち望んだ地元のフルを笑顔で駆け抜けた「ハマジョ」4人の心意気に迫った。

 ゴールの瞬間、高田佐知恵さん(42)は両手をぐっと握った。2時間56分31秒でフル女子の部優勝。「高速道路の起伏がきつくて30キロ以降は足が動かなかった。でも、若くて速い子がいなくてラッキーでした」と笑った。

 七里ガ浜高、日体大、実業団で長距離ランナーとして活躍。25歳で引退し、36歳で川崎市の特別支援学校の教員になった頃、再び走り始めた。38歳で湘南国際、40歳でかすみがうら制しが、ここ数年は右ふくらはぎの肉離れが長引き、今回は2年ぶりのフル。自身の復活、地元開催への思いから気合が入った。

 「私は横浜市出身。フルがメインになった第1回大会に当選したから、半年間かけて練習してきた。沿道の応援がすごく、私も道を知ってるから走りやすかった。バーテンダーのパフォーマーには笑っちゃいましたけどね」。出産、育児で休職していた教員に来月から復職。多忙な中、より効率的な練習を模索していくつもりだ。

                             2015年 3月25日(水) スポーツ報知より



 横浜市初の市民参加型フルマラソン大会「横浜マラソン2015」が15日、同市西区のみなとみらい21(MM21)地区などで開催され、フルマラソン、一般と車いすの10キロ、車いすの2キロに計2万3430人が参加(完走2万2531人)した。

 みなとみらい大橋をスタート、横浜市中央卸売市場南部市場(金沢区)で折り返し、パシフィコ横浜にゴールするフルマラソンには2万2462人(完走2万1572人)が参加。男子は小山祐太さん(フリー)が2時間24分39秒で、女子は高田佐知恵さん(多摩川クラブ)2時間56分31秒優勝した。全体トップは、順位に反映されない招待選手のサイモン・カマウ・カニ選手で、記録は2時間21分48秒だった。

 一般10キロには941人が参加(完走932人)し、男子は若松貴秀さん(高崎郵便局)が31分52秒で、女子は中島万理那さん(フリー)が43分2秒で制した。車いす10キロの男子は伊藤尚弘さん(フリー)が24分5秒、同女子は緑川まり子さん(フリー)が32分24秒で優勝した。

(曇り、気温8・0度、湿度45%、北の風0・3メートル=午前8時30分現在)

◆背中押した沿道の声

 
「横浜市民として第1回大会で優勝したいと思っていた。狙い通りの頂点に、フルマラソン女子の高田さんは喜びをかみしめた。

 30キロ付近で強い疲労感に襲われたが「女性で1位だよ」という沿道の声に背中を押された。両拳を突き上げてゴールすると「冷たい風で、足が棒のようになって苦しかった」と振り返った。

 七里ガ浜高、日体大で長距離走者として鳴らし、卒業後は一時実業団に所属。約10年のブランクを経て35歳で再び走り始め、大会1カ月前から週6日のトレーニングで大一番に備えてきた。

 その成果を実らせた高田さんは「応援がとても多くてうれしかった」と笑顔を見せ、「これからも能力を落とさないよう頑張ります」とますますの活躍を誓った。

                               15年 3月16日(月)  神奈川新聞より










D.minetaさんが雑誌に紹介されましたので、紹介致します。







峰田さんは、現在、トライアスロンを中心に活躍されているアスリートです。川崎月例マラソンにも参加されています。













     平成24年3月18日(日)  板橋シティーマラソン

                 多摩川クラブ  ヨビリン




 
昨年は大震災、一昨年は強風により、連続で中止になった板橋Cityマラソン、今年は走ることができました。毎年、この大会は福岡国際の標準タイム突破の対象にしてきた大会でした。


一昨年は
2時間45分、昨年は2時間42分。両方の年とも、いけそうな仕上がりだったので、とても残念でした。ひるがえして今年は、2時間42分突破の体調にはとても仕上げることはできなくつくづく縁がありません。

しかし、ランナーたるもの、当然福岡がすべてではなく、トレーニング、体調管理、レース本番といった一連の流れの中で、いかにベストをつくし、身心の充実と成長を感じることができるかが大事です。

                            

浮間船渡の駅から会場に到着すると、無風!荒川名物の風がない!加えて、低温の高湿度。コースはフラットだし、今のとこ、最高のコンデションです。このまま持ってくれ。


                       

受付直前、トムさんに会いました。多摩クラからの大会エントリーは30名を越えていました。初サブスリーを目指し、実際いけそうなランナーが多い。モルゲン、ムカイ、アッシー、ヤマモト、ウェンツなど。


このコンデション、初サブスリー続出の予感です。他PB続出含め、レース後の祝杯が楽しみです。東京マラソン後、脚を痛め、5日間走れなかったり、その後内臓を痛めたりで、まともな、また思うようなトレーニングができなかったですが、この10日間、集中して調整、体調管理にはげみ、東京マラソン前より、はるかに良くなってきました。


2時間46分から47分は出そうな予感です。加えてこの気候。45分を目標にしました。昨年のつくば、今年の東京マラソンと、後方スタートでリズムが崩れ失敗しているので、スタート40分前にスタートラインに。すぐ後方に、タマ蔵、ヤマドリ。陸連登録の最前列に、あきらさんと陣取りました。
17000名参加選手の最前列ということになります。



9時スタート。朝3時起床しているので、身体は完全に目覚め、体調はすこぶる良い。最前列なので、当然、抜くランナーはいないので、無駄な力はいらない。


多くの実力ランナーには抜かれる一方ですが、その視覚の影響でリズムを崩すのを避けるため、いかに見ないようにするかもポイント。TMの姫田くんが、合図しながら高速で抜いていきました。


ちなみに、国際大会では、タイム実績順に整列するので、抜いたり抜かれたりが極めて少なく、スタートと同時に完璧に近いリズムです。すぐに女子優勝の常連、星野さんを中心としたグループが形成されたので、その後方につきました。


1キロ 3分49秒
・・きつくない。トレーニングでは、いつもきついタイムでした。調整成功。その後、キロ平均353に落ちましたが、星野さんの最近のタイムからすれば順当なラップ。45分を切れるラップなのでついて行くことに。4キロで、一般参加のわだっちが抜いていきました。やっぱり大きなハンデです。5キロ 19分23秒


星野グループの前にも列がつらなっていたので、横に出て少しずつ前へ出て、ひとつ前の集団に。ややペースが早いようだが、余裕があったので後方密着。

このグループ、いいかも。力んだランナーがまったくいない。ジョッグのように、軽く走っているように見えるランナーばかり  10キロ スプリット 38分30秒    ラップ19分07秒


1週間前、皇居を2周10キロを全力で走って38分30秒でした。うまく調整できればこうできます。20名を越える大集団ですが、コースがせまいので、ランナー密度が濃い。80平方pに1名のような感じで、すぐに他ランナーと手足が触れてしまいそうですが、集団に引っ張ってもらうのはその方がいい。


前後左右にランナー密着状態で、キロ350ペースをジョッグ感覚で走れるのは、別府大分しか経験しかなかったので、「これはいい!」と喜びました。  
15キロラップ 19分04秒

                           


この集団、明らかに2時間42分切り狙い、
福岡切符狙いのグループです。田沢湖マラソンで知り合った、セカンドウィンドの深見さんが同じ集団。彼は今年の別府大分で40分切りを達成しており、本日は調整レースとのこと。


「この集団についていけば、42分を切れますね」と言われましたが、前半ハーフ、後半ハーフを完全イーブンで行くのは、普通の市民ランナーにはとても難しいことです。20キロ スプリット 1時間16分37秒

ラップ 19分03秒  ハーフは1時間21分を切るタイムで通過できそうで、これはレース前に予想できませんでした。


  理由 

 @ 調整がうまくいったこと  A コースコンデションの良さ B ついた集団の良さ



21キロをすぎて折り返し。さあ、このペース、どこまで維持できるか。この時点で、このままイーブンで押し、42分を切るスケベ心。すぐ後方にわだっち。あれ、4キロで抜いていったはずだが、、。多分トイレ。


25キロ ラップ 19分07秒ラップはまだ順調ですが、脚が少しずつ少しずつ、微妙に重くなってきました。前半の楽さが信じられない。まあ、マラソンでは普通のことではありますが。


工事区間のコースが細くなっている箇所で集団が縦長になり、先頭と大きく離れてしまったところからリズムの起点を失い、少しずつ集団と離れるハメに。追いついていける足がありません・・孤立状態に。


組長が審判員としてコースに立っていてくれ、「54位!」と叫んでくれました。

    


30キロ スプリット 1時間55分12秒    ラップ 19分28秒


42分切り、キロ350グループがどんどん離れていきます。足重く、とても追いつけない。

ああ、、目の前に見えている福岡切符が遠ざかっていく、、。


30キロは東京マラソン通過より5分いいので、ゴールタイム、2時間43分台予想。なんとか43分を切るPB狙いに目標変更。しかし、30キロ以降の落ち込みは予想以上でした。

                            


35キロ ラップ 19分50秒わだっちに抜かれました。トイレに行ったわだっちに抜かれるのは3レース目です。この近辺では、ランナーが完全分散。周囲にランナーがほとんどいなくなりました。失速度は治まりません。


しかし、たまに私より失速したランナーを拾っていきます。キロ3:50グループからも、多くが脱落してきました。それらのランナー丹念に「食う」ことで気力を保ちます。


36.5キロあたりで、カケシタさん、ときさんが大声で応援してくれ、とても励みに。40キロまでの道のりはきつく、体感的に東京マラソンより落ち込んだ感じ。

                   


ツキジー、はたけん、タコナカさんなどバラバラにコース脇で応援してくれ、一番もがき苦しむ区間、気力を保つのに最高でした。  ありがとうございます。

                           



40キロ スプリット 2時間35分34秒   ラップ 20分32秒


平坦、無風でこのラップ。情けない。43分台さえ出ないことがわかり、がっかり。しかも、45分切りさえが危ない!最後2.195キロ、あきらめず、全力振り絞り、フィニッシュ。

                               

42.195キロ スプリット 2時間44分27秒(グロス)   ラップ 8分53秒


合 48位   登録 42位   ネット 2時間44分25秒

レース前に45分出るかもと思っていたので、ほぼその通りになったわけです。風が吹けば、46分から47分になったと思われ、自己タイムの予想が随分うまくなってしまいました。途中で42分切りも期待しましたが、そんなトレーニングはできていず、身体は正直です。

直後に女性優勝の星野さんが入ってきて、もの凄く久しぶりに女子優勝者に勝つことができました。

 


349  354  354  349  356    19分23秒
346  352  350  350  349    19分07秒   38分30秒
347  340  358  349  350    19分04秒
346  350  335  401  351    19分03秒   38分07秒  1時間16分37秒
345  353  349  350  350    19分07秒
352  351  355  355  355    19分28秒   38分35秒  1時間55分12秒
353  353  357  402  405    19分50秒
406  409  409  403  405    20分32秒   40分22秒  2時間35分34秒

407  409  357                     8分53秒  2時間44分27秒



唐突ですが、
マラソンの神様っていると思います。昨年の大震災で、多くのマラソン大会が中止になり、多くのランナーが泣きました・・で、今シーズン。あらゆるビッグレースの天候コンデションがいい。

         


男子国際大会である、福岡、別府大分、びわ湖、どのレースも、昨年よりはるかに素晴らしかった。女子国際の、大阪国際、名古屋ウィメンズも素晴らしかった。私のかかわったつくば、東京、板橋も素晴らしかった。

東京マラソンなど、前日雨、当日最高、翌日月曜からまた崩れた。今回の板橋は前日雨、当日最高、翌日月曜は春の嵐による強風。これら多くの、数々のレースがそろって風がなく、低温。こんなこと、普通有り得ません。


マラソンの神様は人間の中止決定は防げなかったが、泣いた多くのランナーのため、天候を配慮してくれたのかもしれません。

        

レース後、ゴール地点で3時間まで待ってましたが、多摩クラのサブスリー候補、誰もこない、、。社のテラさんが、2時間59分58秒か59秒で入ってきて、大喜びに感動しました。私も59分59秒でフィニッシュしたことがありますので。

サブスリー確実と思われたモルゲンが敗退。3時間2分(でもPB) マラソン2回目でサブスリーを狙ったムカイも敗退。3時間00分22秒(でもPB)マラソンの神様は甘くなーい。2年ぶりのフルマラソン出場のあきらさん敗退。3時間08分。

同じくマラソン2回目でサブスリーを狙ったヤマモトアッシーもサブスリーならず。(でも両者ともPB)マラソンの神様は甘くなーい。この素晴らしい天候、サブスリー続出と思われたので意外でした。皆、敗退気分でがっかり。でもPB続出なので、天候の恩恵はあったと思います。タマ蔵 謎の大崩れによりLSDとなり、トム、イイズカ両氏はPB


               一般総合の部、表彰。

     わだっち4位。40代年齢別優勝。    2時間41分台

                    


               


ちなみに7位の方が50代年齢別優勝ですが、私よりタイムは下でした。(一般で出てれば優勝できたかも)

このビッグ大会。年齢別優勝の商品の数々は素晴らしい。わだっちの気持ちがわかりました。


陸連登録の部参加では、スタート有利でタイムに貢献しますが、私の年齢ではほぼ絶対に近く入賞できない。賞狙いの実力者を後方スタートさせる、この制度、何か釈然としません。




応援の方々が集合してくれました。  





会場で販売していた、肉とレンコンを合わせた珍味の肉団子。

                       

美味しかったです。打ち上げは蓮根駅の「千年の宴」。応援のツキジーが合流してくれました。

他PB達成、トラッキー(初サブフォー!)、WinWin、タナ

マラソン完走後です。皆、食べる食べる、、私は1週間の禁酒をとき、弾けるほど飲みました。記憶は藪の中、ラップ 20分32秒

                                























読売新聞・夕刊連載 平成23年 11月7日〜11日 ”しあわせ小箱”から

  遅咲きのランナー 中野陽子さん (多摩川クラブ)   



                    
                     遅咲きのランナー  1



ぎらぎらとした日差しをまともに浴びて、約20人の選手が陸上トラックのスタート位置についた。8月、和歌山市で開かれた
「全日本マスターズ陸上選手権」3000m女子。「ヨーイ!」。ピリピリとした空気が張りつめる。東京・大田区の中野陽子さん(75)は体をグッと前傾させた。


小さい頃から体を動かすのは好きだったけれど、運動神経はいまいち。体育では「ボールよ来ないで」と願ったものだ。ところが、70歳で始めたマラソンは合っていた。楽しく走っているだけなのに、不思議とタイムは伸び、
3時間49分の自己記録を持つ。


乾いた号砲の音で一斉にスタートした。先頭集団の背中が見る見る遠ざかる。でもこれは作戦通り。転倒が何より怖いから、序盤はペースを抑えめに走ろうという作戦だ。後半、マラソンで鍛えた健脚でグッとペースを上げ、自分よりも若い選手も次々と抜き去りゴールに飛び込んだ。


電光掲示板に映し出された記録は14分05秒77。女子75〜79歳の部の
世界記録更新だった。アナウンスが流れ、マイクを向けられた。感動の涙があふれてーと思いきや、あまりにもあっさりと達成してしまい、現実感がない。運動音痴だった私が世界記録?年は取ってみるものだわあ。







                       遅咲きのランナー  2



遅咲きのランナー中野陽子さん(75)は、マラソンを始めた70歳までは、
スキーに夢中だった。でも、けがが心配になり、新しい趣味を探していた。「誰でも主人公になれるスポーツがいい。」そう考えて選んだのが、マラソンだった。


初レースはハワイの
ホノルルマラソン。「タイムは5時間半はかかるわよね。」前夜、妹夫婦と食事しながら交わしたたわいもないこの会話が、とんでもない勘違いを生む。5時間半と言っているうちに、スタートの時間を午前5時半と思い込んでしまったのだ。本当は5時なのに・・


翌朝、会場近くで体を温めていると、夜明けの空に花火が上がった。「きれいねえ。」目を細めて見入っていたがどうも様子がおかしい。スタート地点にいたのはウォーキングの選手ばかり。「マラソンはもう出ましたよ。」あの花火は、
スタートの合図だったのか。


慌てて走り始めた。もう、記録なんてどうでもいいわ。美しい風景を眺めつつ、のんびり走ることにした。


ところがタイムは
4時間44分44秒。一瞬、「何と縁起の悪い!」と思ったけれど、年代別で1位なのだという。スタートが遅れたのに、驚きのタイムである。当時71歳。眠っていた才能に、遅まきながら気付いた瞬間だった。


                     




                     遅咲きのランナー  3



「走るなら、若いうちよね。」70歳でマラソンを始めた中野陽子さん(75)が、100キロという途方もない距離を走ろうと決意したのは、こんな理由だった。今年は走り始めて5年という節目の年でもある。年明けから、チャレンジ精神がメラメラと燃えていた。


「サロマ湖100キロウルトラマラソン」を目指した。13時間以内にゴールしないと失格という過酷なレースだ。つきに200キロの走り込みを270キロに増やし、レース展開もしっかり計算して、6月の本番に臨んだ。


スタートからしばらくはいい調子だった。「これなら計算通り走れそう。」だが2時間もたつと暑さがこたえ、給水ポイントで頭から水をザブザブかぶった。70キロ、足がマンホールの縁に引っかかり、「あっ」と思った瞬間転倒、手のひらをすりむいた。ラスト10キロは足が重い。500秒だけ走ろう。苦しくなったら歩いて、一息ついてまた走って。ついにゴールテープ。小さく両手を上げ、
ガッツポーズで駆け込んだ。


タイムは
12時間30分10秒。75歳での完走は、女性最高齢だった。仲間が駆け寄ってくる。じんわりと喜びが込み上げてきた。同い年ぐらいの女性に「一緒に写真を撮ってください」なんて言われて。やっぱりマラソンは、やめられないわ。








                     遅咲きのランナー  4 



「どうしてそんなに速く走れるんですか?」70歳からマラソンを始めた東京都大田区の中野陽子さん(75)は、よく聞かれる。「練習は無理をせず距離を走ること。あとは呼吸法かしら。」ほほ笑みながら答えるのだが、本当のところは、自分でもよく分からない。


一つ思うのは、精神力の強さだろうか。人よりも、少し多くの苦労をしてきたと思っている。心臓が弱かった父親は、18歳の時に病で倒れた。
6人きょうだいの長女。一番下の妹は6歳だった。子育てと看病に忙しい母親は働けずうら若き乙女が一家の大黒柱になった。


時計会社で働きながら夜学の高校に通い、帰宅後はさらに内職の日々。学校を終え、電車で蒲田駅に帰り着くのは午後10時25分、そこから、真っ暗な夜道を重い足取りで帰ったものだ。


楽しみは職場のクラブ活動の観戦だった。バレーボール、卓球、ダンス・・・
見るだけで心がときめいた。今でも駅の近くを通ると、あの頃を思い出してほろ苦い気分になる。


父親は20歳のときに亡くなった。運動をしていた記憶はないけれど、運動神経のいい親類が多かった。36歳で亡くなった2歳下の弟もリレーのアンカーで活躍した。レース前、ふと思う時がある。

                    
「2人が見守ってくれてるのかな」









                     遅咲きのランナー  5


70歳でマラソンを始めた東京都大田区の中野陽子さん(75)は、母親のアイさん(99)の介護を
しながら日々練習に励んでいる。早起きすれば走る時間は作れるし、車いすを押しての通院もトレーニングと思えばいい。そんな前向きな生き方は、明るく、お人よしのアイさんから学んだものだ。


独り身の中野さんを気遣い、「1日でも長く生きなきゃね」とアイさん。「サロマ湖100キロウルトラマラソン」の前に体調を崩して食事ものどを通らなかったのに「私は大丈夫。気をつけて走っておいで」と励ましてくれた。


だが、出場3日後、肺に水がたまり入院。「心配をかけまい」と気を張っていたのだろう。お母さん、ありがとう。
「人生には楽しみがないと駄目よ」母は常々言っている。だから私も、70歳にもなってマラソンに出会えたのかもしれない。


いつまでも楽しく、走り続けていたい。記録が載った記事を目を細めて眺める母の横顔を見て、そう思うのだった。


                         




                             


























平成23年 2月27日(日) 東京マラソン 

多摩川クラブ    やまちゃん




       たくさんの応援、ありがとうございました。
           

東京マラソンは、応援がすごくとても助けられました。

35km以降は、応援がなかったら、もっとラップが落ち込んでいたと思います。応援に助けられました。
           


     結果は、
2時間44分12秒女子19位でした。


 18'49-19'08-19'21-19'11-19'16-19'59-20'01-19'55-8`32



ひでりんとの2戦目となる今シーズンのフルのタイムで勝負には、28秒差で負けてしまいました。

     (ひでりん 湘南で2時間43分44秒)


これで、神奈川ハーフとフルで、1勝1敗です。3戦目の富士五湖72kmが最後の勝負です。みなさん、楽しみにしていてください。


必ず、コテンパンにやつけますから!!ひでりんの新しいHNを考えていてください。



今回の東京マラソンでは、昨年シーズンの青太の2時間44分59秒のタイムを上回ったので、タイムも満足しています。


でも、やや、体調のピークが下り坂となっていました。3週間前の神奈川ハーフがピークで、その後、ポイント練ではどうにか走れるけれど、どうも、調子がいまいちとなっていました。


いつも、レース前日に行う1000m1本も東京前は、神奈川、湘南の時より、10秒も遅かったです。ごまかし、ごまかし3週間過ごしたといった感じでした。



当日は、とにかくがんばって走ったという感じです。3月は、ゆっくり過ごし、4月より、サロマに向けてウルトラモードで行きます。

                            













 平成23年 2月27日(日) 東京マラソン

多摩川クラブ   メロス




東京マラソンを快走された皆様おめでとうございます。また、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。私も5回目にして初めて当選し、今回、走せてもらいました。

絶えることのない沿道の声援に驚きながら、東京の大通りを快走する。ランナーで良かったと感激しました。
                
しかし、35Kを過ぎるとやっぱり苦しく登りは泣きそう、そんな中、皆様に声援を頂いて見掛けは兎に角心だけはゴールまで走り続けることができ3:34でフィニッシュしました。

今回、「東京マラソン」と言う特別なイベントに参加し、とても楽しい思いをさせてもらいました。

この体験を一人でも多くのランナーに体感して欲しいと思い、来年はエントリーを辞退すべきか悩みました。でも、やっぱり走りたい!
 
                           













 平成23年 2月27日(日) 東京マラソン

多摩川クラブ  ゴンゾウ



 今回私は東京マラソンに初参加してきました。声援を力にしてひそかにPBを狙ってトラのかぶりものをして挑みました。
                         

多くのギャラリーから『トラがんばれ!』『タイガーマスク』『ぷーさん?』とかいろいろ多くに声援をもらい30km過ぎまでは笑顔で声援に答えていましたが30km以降は大幅ペースダウンつらい表情(ゴールドナンバーに食らいつくゴンゾウ<トラ>の写真)で何とか走りました。

残念ながら1ケ月前の湘南マラソンの記録を更新できませんでした。でもあの応援の中のレースはとっても楽しかったです。

結果は3:24’45(3:23’50グロス)3:20の壁はやはり厚い!しかしそんなことは言ってられないので練習に精進します。
                          


また、多摩クラ応援団の皆さん多くの声援本当にありがとうございました。

                        

                     


















  平成23年 2月27日(日) 東京マラソン

   多摩川クラブ   タコナカ




東京マラソン走ってきました。既報の通り、手元タイムでグロス2'58"57 ネット2'57"45   51歳と3月、フルマラソン4回目の挑戦で初めてサブスリー達成しました!!


陸連登録を失念したワタシはBブロックからのスタート(この時点で既に失態です)。スタートラインを跨ぐまで1分以上要し、しかも直後2-300mはのろのろ運転。

それを挽回しようとペースアップしたりで、なかなか巡航速度を掴めず、一事はどうなることかと・・・。更に、歳のせいで最近頻尿気味の中年オヤジには、スタート前40分の立ちんぼはキツカッタ。

何と10km過ぎからおしっこを催しペースを考える余裕もありません。このまま我慢すべきか、思い切って「トイレ休憩」か悩んだ挙句、20km過ぎで本能的に『ピットイン』。約1分のはやわざ。

高校時代から「男は早飯・早○○」と教え込まれていた教訓が30年経った大舞台で見事に生きました。ハーフ通過1'27"52 は トイレ休憩を勘案すると良いペースです。

すっかり気分的に楽になると、周りの景色も楽しく、応援を楽しむ余裕も生まれ、水天宮前を通過する際には思わず手を合わせてお祈りしました。「待てよ、安産の神様に祈ってどないするんや」 と一人でボケとツッコミを楽しんでニヤニヤし、また30km地点ではヨビリンさんの「第二のスタート地点がここにある」との名言を思い出しながら、周囲を省みず「うおっしゃー、ここからが本番。やったるで〜」と大声で気合を入れました。

一連のアクションはランニングハイで頭がおかしくなったオヤジの奇行以外の何ものでも無く、気がついたら周囲2mから誰もいなくなっておりました・・・。そんなことに構っている余裕もなく、銀座4丁目の交差点を左折すると、若干の逆風が・・・。

ご存知の通り逆風と上り坂に極端に弱い私は、もう駄目か と弱気になりかけましたが、そこでお助けマン ペースメーカー登場。恐らくスタート直後の雑踏と、わけの判らない興奮&ハイペースの渦中で、知らずのうちにペースメーカーを追い越していたんでしょう。

頭に風船をつけた3時間ペースメーカーが後方からやってきました。ここで食らい付かねば末代まで禍根を残す、ランニング人生最大の正念場と必死に食らいつき、横に見えた築地本願寺に心の中で手を合わせながらも、「本願寺って走りの神様やったっけ。

そもそも神様ちゃう、仏様やし、仏様に祈ってどうすんねん。それにオレまだ成仏してないし・・・」と朦朧とする意識のなかで、かろうじてボケとツッコミを繰り返したのは大阪人の本能でしょうか?とにかく必死のパッチ・・・

途中、朦朧とする意識の中でも不思議と「タコナカ〜」との応援の声ははっきりと聞こえました。

手を挙げて応える余裕なく、大変失礼しましたが、ヘロヘロの肉体にはまさに「天使の声」に聞こえました。本
にありがとうございました。仲間が居るってやっぱりすばらしいですね。
                   

ゴール後は、まさに『生きているのが精一杯』の状況で、打ち上げに参加する余力は全く無く、這う様に帰巣本能だけで自宅に帰りつき、夜8時には爆睡でした。改めて応援頂いたみんなに感謝感謝です。
                            


     途中ラップです。

     5km   20"19

    10km  40"50 (20"31)

    15km 1'01"35(20"44)

    20km 1'22"36(21"01)

    half 1'27"52

    25km 1'44"21(21"45)

    30km 2'05"39(21"18)

    35km 2'26"49(21"09)

    40km 2'48"30(21"41)

    goal 2'57"45





















           8月29日(日) 北海道マラソン

             多摩川クラブ  くぼっち




               8/29 7:30

前日から宿泊していたススキノから少し外れたところのゲストハウスにて起床(*゚ー゚)vオハヨ♪


体調は…、まあ、まずまず(^^)
朝飯は食パン3枚、シチュー、サラダ、オレンジジュース。

個人的にはご飯、味噌汁、焼き魚、おひたしが…。

とは思っても出てくるわけではないのでいただきます(-人-)
んでもって、ごちそうさま(-人-)
歯を磨いて、顔を洗って、いざ、会場へ!



               9:30

中島公園到着。

天気は曇り。気温は27度。路面温度は29度。
天気予報では晴れ予報だったのでまあまあのコンディション。

とりあえず時間があるからもう一回飯を食べることに( ´ー`)
だって、スタート0:10だし…。

てなわけで近くのコンビニで買ったおにぎりを食べながらしばらくマッタリ。
こんなんで大丈夫か俺…。


               10:30

いよいよストレッチと軽いJOG。
…。JOGでもめっちゃ汗かくんですけど…(;´Д`)
なんて思いながら、栄光の多摩川クラブユニフォームを身にまとい、いよいよ整列へ。

               11:20

自分は陸連登録ハーフマラソンタイム申告者なので陸連登録フルマラソンタイム申告者の後方Bブロック。んでもって、立っていてもしょうがないので座り込む。

しばらく待っていると某男性に遭遇(*゚▽゚)/ウイッス!
そして、お互いの健闘を祈る←なんかカッコイイ

そうすると何故か急に眠気が…(-_-;)
その眠気に逆らわずにウトウト…。←緊張感ゼロ(・∀・)

スタートが近づいてきて列が前に詰めることになったので起きて立ち上がる。
やっとこさ少し緊張感が出てきたぐらいで実はちょうどよかったのかも。

高橋はるみ北海道知事が壇上に立ち開会宣言し、知事の号砲で12:10スタート!


とにかく、目的は設定したペースを維持すること。

1km…4min26sec

4min30secからはやや早いがまあ、こんなもん。
それからは4min30sec〜4min35secを維持してひたすら突き進む。


途中15kmで左腕につけていたポーチから補給用のSAVASを飲む。
…甘ぇ!
即座に給水ポイントの水をとり何とか…。

そして、20kmぐらいにさしかかる頃からいよいよ北海道マラソンの洗礼を受けることに…。
脚に出てくる疲労が早い…。

日差しがないとはいえ、気温が秋冬のマラソンとは全然違う。
最初から筋肉が温まっているので限界がくるのが早い。

結局はビルドダウンするという恒例のオチ(*´∀`)
その辺りから歩き出すランナーがちらほら…。

この頃からはタイムがすでに5分台に…。
「あー、やめたい…。」
なんて思いながらもやめない。



25kmを過ぎ、ようやく折り返し。
「もう、やめたい…。」
と思いながらそれでも走ることをやめない。

30km辺りになると対向車線に収容車が…。

「本当にやめたい…。」
なんて思いながらもあきらめが悪いのかやめない。

そんなこんなで結局やめるタイミングを見失い、そのまま走ることに…orz
もうとっくに周りの景色に目を向ける余裕はない。
でも、「多摩川〜」と応援してくれる声には精一杯応える。

やっとこさ、北海道大学のキャンパス付近にさしかかり、残す距離もあとわずか。
そんな自分が気にすることはただ一つ。
次の距離表示…(^^;)

道庁舎そばを通過し、いよいよ大通公園。
最後の直線でちょっと先に黄色のユニフォームを着た女性ランナーに追いつく。

女性の方が頑張っているのにここで少しは踏ん張らなければと最後の力を振り絞りダッシュして追い抜く!そして、栄光のフィニッシュ ε=ε=ε=ε=\(;´□`)/





もう、へろへろになりながらアイシングし、おにぎり食い、着替えて帰宅の途へ…。
函館行きの列車を待つ札幌駅の中ではかくかくいいながら電車を待ち、乗車してからは2時間ほど爆睡(-_-)

しかし、函館駅に着いてからも最終の路面電車に乗るためまたしてもダッシュ!
もうへろへろの俺にまだ走れと…。

かくかくの脚でようやく実家に戻って、母の作った雑炊をいただきようやく就寝…ヾ(´○` )お♪( ´▽`)や♪(´ε` )す♪( ´θ`)ノみ♪

給水は数多く、しかも長く取られており、スポンジもたくさんあり、こんなに水浸しになりながら走ったレースは初めて。

ゴール後は給水にスポーツドリンク、アイシング用の氷の用意や完走サービスでたくさんのおにぎりもあり、アフターサービスがシンプルながらも充実していたし…('-'*)ミンナアリガト♪

伊達に24回も回を重ねているレースではないな〜、と実感した。
んでもって、なんだかんだ言って北海道マラソンはまた来年も出たいと思ったり…(´∀`)




     
     天候… 曇り

          スタート時気温… 27度

          路面温度・・・ 29度

          Finish Time… 3h37min20sec

          順位… 852/5715/7959(自身順位/完走者数/出場者数)

          完走率… 71.9%
















 6月27日(日) サロマ ウルトラマラソン

  多摩川クラブ  すずお 




今回の段取りや手配をして頂いた、ヨビリンさん、ヤマちゃん、有難うございました。
運転して頂いたまっきーさん、ひでりんさん、お疲れ様でした。

それにしても、この暑さの中、ロンブーの4位、まっきーさんの8位は、本当に驚異的でした。やはりこれまでの練習と摂生の賜物でしょう。おめでとうございます。来年こそは表彰台ですね。


私自身、3回目となった第25回記念大会は、残念ながらリタイアしてしまいました。
55kmのレストステーションで収容者に乗りました。とても残念で、悔しかったです。


今まで大会ではウェストポーチをつけて走ったことがないのに、暑くなることは分かっていたので、塩熱飴とWGHと前日貰った塩を入れ、後頭部が隠れる帽子を被り、多摩クラのランパン、ランシャツでスタートしました。そして、ラン中も給水ではスポドリを飲み、被り水を全て使用し、塩熱飴とWGHも適度な間隔で口にしたつもりでした。


ところが51km過ぎのエイドでスポドリを軽く飲んだあと、WGHを取り出して飲もうとした時に、少しめまいを感じ、すぐに吐き気もしてきました。すぐにこれはヤバイと思い、テント内の空いている椅子に座ろうとしたら、ボランティアの方が近づいてきて、症状を聞くや、テントのシート上に横になるように言われました。


それから2人のボランティアの方が急いで氷を持ってきて、後頭部、両わきの下、両太ももの間に挟んでくれました。30分か40分ほど寝ていたら、吐き気もめまいも治まったので、薄めのジュースを飲んで、氷を両手にレストステーションまで歩いていきましたが、今まで経験したことがなかったし、その時は恐怖感も湧いていたので、まだ完走できる可能性があったものの、リタイアすることにしました。


収容車でゴール地点に戻ってから、多摩クラのメンバーが次々に帰ってくるのを見ていると、またまた悔しさが募ってきました。暑さに対する当日の対策が原因ではなく、そもそもあのコンディションで走り切れる体力がなかったということだと思います。過去13回のウルトラでリタイアしたことがなかった、それを過信していたんだと思います。そんな簡単に完走はさせてやらないよと。


まだ、ウルトラのレースはありますが、サロマ湖でなければ、この悔しさは晴れません。来年まで、この悔しさを胸に秘めてリベンジを果たします。
















「ニュージーランドでトライアスロン(プロから指導)」報告

多摩川クラブ 峰田 正隆

   早いもので私が62歳でトライアスロンを始めて4年半経過しました。

昨年は長崎五島の「アイアンマンジャパン」・「佐渡トライアスロン大会」の二大会に完走できました。これはフルロングの大会で水泳3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Kmです。自分ながらここまで順調に力をつけてきたと思います。




海外レースに向け


来年は海外レースに挑戦します。三大有名大会(ハワイ・ニュージーランド・カナダ)の中からNZに決めました。決め手はスポーツの本場で景色が美しく透明度の高い湖で泳げることです。

そのためニュージーランド「アイアンマン」のコース下見と観光を兼ね413日から一週間NZに(妻同行で)行ってきました。

それも現地プロから指導受けながら大会コースを走るかなり充実した内容です。






NZ訓練


41411時間のフライト後オークランドの(宿泊先近く)海で早速水泳練習に入る。

オークランドは既に初秋に入り水温も冷たい(23℃位?)のですが現地の外人は平気で泳いでいました。

プロから「腰が沈みがち」と欠点を指摘される。(体脂肪8%も理由にならない?)

翌15日早朝 NZアイアンマンの開催地ターポに到着(オークランドから180Km車で移動)

すぐ水泳練習のため湖に移動。ターポ湖はとても美しく、水底まで見えるほど透明度が高かった。しかし水温は17℃位で(日本の国際プールでも27度位)ウエット着用でも寒い。湖なのに波が高いのには驚きです。

寒さで手足が痺れ結局1kmでギブアップ。

終了時は手足が紫色になり、感覚麻痺状態。

プロからは@「両呼吸の練習」(片側呼吸では波が口に入る)とA「波の対処」の仕方を練習する必要がありと指導される。

その後マラソンコースに出発。

マラソンコースは@「風が強い事」とA「ダラダラ坂」の攻略がポイントとプロからアドバイスを受ける。

私は夜中に走る事になるので足元の注意箇所を教わる。(昨年日本人が転倒し怪我をした場所らしい)

NZは日中暑くても湿気が無いので走るには快適です。しかし朝晩は冷えるので防寒対策をして走るようにとアドバイスを受ける。

ランの試走は「美しい湖周辺」を気持ち良く走れました。

6日早朝バイクコース(一般道路)に出発。このコースは100Km道路と言われコンテナトラックが時速100Kmでビュンビュン飛ばし、その風圧で自転車が横転しそうになるとても恐ろしい道路です。

しかしプロが私を真ん中にはさみ前後を走ってくれるたで何とか付いていけました。

バイクコースの周りは羊・牛・馬などがたくさん放牧されていました。とてものどかな景色がどこまでも続いています。

日本と違い路面は粗くドンドンと振動が肩に響きます。(長時間走行はダメージが大きい)@「長いダラダラ坂」とA「向かい風」が攻略のポイントと言われる。又これを克服するのには「パワー不足」との指摘も受ける。

バイク練習後、再びラン練習に向かう。

バイクからランにシフトする際極端にスピードが落ちるので、普段から「切替の練習をするように」アドバイスを受ける




練習から観光へ


NZは島国で温泉も多く日本人好みの国だと思います。美しい自然が多く食べ物が(チーズ・蜂蜜・ワイン・ビール・羊肉・牛肉・果物のキウイ・シーフード等)とても美味しいのです。

練習後無料の露天風呂(川温泉)に入りましたが、日本人には気持ち良い温度(40度強)も外人には暑いらしく下流の方で浸かっていました。

17日、次のリゾート地「ロトルア」に向けて出発。ここは原住民(マリオ)が居住する場所で温泉地でも有名です。

間欠泉・蜂蜜工場を見学し、レッドウッドフォレスト(赤松林で)オゾンたっぷりの森林浴を楽しむ。

ヘルズゲートのポリネシアンスパで入浴する。このスパは広くて深いので急きょ「水泳教室」が始まった。

見ていた外人客はニヤニヤしながら「段々上手くなっているよ」と声援してくれました。

苦手の水泳は都合3回指導を受けたがやはり一番課題が多いことを痛感する。




プロの家で最後の夕食


翌日プロのお宅で一泊させていただいた。

最後の夕食はNZローストビーフを焼きながら地酒のビール・ワインをいただいたが、どれも本当に美味かった。(デザートのキウイも甘すっぱく美味)

NZはゴルフ・ヨット・ダイビング・釣り・トレッキング・トライアスロン等スポーツ好きにはたまらない国です。又自然を愛する旅行愛好者にも絶対お勧めの国だと思います。また来年行けるのかと考えると今からわくわくします。



 今回の特訓で得た課題を克服し初の「海外アイアンマン」に挑戦するつもりです。



      牛の群れを横目にバイク




         海岸線をラン


    
  redwood  forest        間欠泉


























 平成22年 4月25日(日) チャレンジ富士五湖  100km


 
       
  多摩川クラブ      まっきー



富士五湖周辺も、朝5時の気温は0度でしたが、日中は澄みきった青空が広がり穏やかで、富士山の雄大な姿もしっかりと見れて気持ちがいい一日でした。

今回のチャレンジ富士五湖には多くの多摩クラメンバーが参加し、前日から和気あいあいとしたアットホームな雰囲気で、皆それぞれにリラックスして楽しめたと思います。

そんな中で、ヤマちゃんは72km女子の部で総合優勝!

脚の調子がイマイチと言っていましたが、本番では実力を思う存分発揮。また優勝、と周りから声が出るほどの貫禄の勝利。おめでとう!

そして、ロンブーは112km男子の部で総合6位入賞!
一人別宿、一人4:30スタートで心細かったと思いますが(^^)、、毎年着実に進化するロンブーを見るのは楽しみです。おめでとう!

私は100km男子の部に出場。目標は、8時間30分(キロ5+上り等でのペースダウン10分)で、8位入賞(昨年タイム参考)でした。

栄養補給の為、起床(2:30)後入れられるだけ目一杯食べ物を胃に押し込んだので、スタート(5:00)から最初の山中湖周回が終わって河口湖に向かう30km位迄(7:30頃迄)は、身重の状態でかなりつらい走りでした;;この間、小2、大1。。。

ようやく身体が軽くなった頃、何故か昨年100km優勝者のmy☆のN村さんが前を走っているのが見えました。恐らく故障でもしていたのでしょう、自重気味の走り。でもこんなチャンスは滅多にないので、しっかり後ろに付かせてもらいました。

キロ4:45〜4:50のペース。よし、せっかくなので本栖湖迄ついていっちゃおうかな、と思ってイイ感じになっていたら、N村さん43kmのエイドに立ち止まり。私は50km迄は(トイレ以外は)ノンストップのつもりだったので仕方なく一人で先行。

すると、すぐさま背後に足音が聞こえ、よしよしまた後ろにつこうと思ってたら、逆にぴったり付かれて前に出てこようとしません。え、あのN村さん引っ張る訳・・!?

しびれました。50km地点を二人で通過。3時間57分58秒。しっかり後ろに付かれてます。貴重な体験。でもこの緊張感も53km迄。またもや腹にきました。ここのエイドで。。でもここ体育館があって、その入口で靴脱いで奥の方まで行かないとトイレに到達できないのでした。。。



3分のロスタイム。あーあ、N村さん行っちゃった・・

西湖→精進湖と巡り本栖湖へ。ここで約70km。112kmの部は本栖湖を周回しますが、100kmと72kmはここにあるエイドで折返し。

エイドの手前で折り返してきたN村さんと遭遇。手を上げて挨拶されました。ちゃんと憶えててくれたのね・・・ちょっと元気に^^
カステラとバナナ食べて、ラスト30km!

80km手前のエイドでは簡易マッサージをしてくれるんですけど、そこに腰を押してもらっていた彼がいました。やっぱり調子悪いのね・・・そう思いつつ私は水だけ飲んで先行。

でも、またまた神様のイタズラがお腹に。。仕方ない次のエイドで・・・86km地点のエイド。えっ、またあの体育館。。入口で靴脱いで奥まで行って。。。3分のロスタイム。

でも90km手前でN村さんをあっけなくパス。かなりのペースダウン。故障ですか?と声を掛けました。ついでに、いつも応援してますよN村さん、というと、ありがとうございます!との返答。速くてイケメンで性格も良い3拍子リズムのランナーでした^^

と思っていたところへ、ゲストランナーとして72kmの部へ参加したエリック・ワイナイナが後ろからやってきて、アトチョットダカラガンバレ!ファイト!ファイト!と声を掛けてくれました。彼もきっとイイ奴なんだろうな、と思う間もなく、はるかかなたに行ってしまいました。。速っ!

そういえば、もう一人のゲストの猫ひろしは走ってなかったけど、本栖湖のエイドでハイタッチをしてくれたな、でも小さかったな、ハイタッチ跳びあがってしてたな、と最後の激坂上りを猫ひろしで気を紛らわせて、ゴール地点にたどり着きました。

タイムは8時間22分16秒。総合10位でした。

まだまだ走り込みが出来ていない段階でのこのタイムには満足しています。
ウルトラ本命のサロマでは、8時間切りを目指して頑張ります!




















 平成22年 2月28日(日)  東京マラソン






   
応援団 1  応援団 2



                       
                         VS  Mr.Y 
                


                



            TOKIO  REPORT


         多摩川クラブ   ヨビリン



冷たい、みぞれまじりの雨に襲われた昨日28日、東京マラソン、月例参加選手の皆さま、普段の何倍も、お疲れさまでした。

東京マラソンに参加してまいりましたが、雨のなか、応援に来ていただいた方々、本当にありがとうございました。

タイムは2時間55分30秒

スタート気温5度、ゴール気温4度。

別府大分マラソン直前より、体調がいい感じで、楽しみだったのですが、冷たい雨、みぞれ、風にやられまくりました。

濡れによる冷えは、普通ではありませんでした。ほとんどの多摩クラメンバーも敗退。
(月例でも「好タイム」続出だったそうですね(笑))

トシを取ると、寒さにさらに弱くなるそうですが、、風をひかなくてよかったです。



新宿駅で多摩クラメンバーと待ち合わせ、陣地定めて降りしきる雨の中、新宿西口公園で軽くアップしましたが、なぜか他にアップしている選手が、ほとんどいません。

スタート地点には、50分前にロンブーやきやきやと並びました。
ラインラインまで、わずか30mほど。

それからの待ち時間、冷えとの闘いです。しばらくその場駆け足。
1分前に、前に詰めるドサクサにまぎれて、スタートラインから5mくらいまで迫りました。

スタートして1キロのラップは3分55秒でしたが、体感的に、別大よりキロ5秒以上悪いのがわかります。

最前列スタートの、エリートヤマちゃんが8キロくらいで見えてきて、並ぶと、寒さでやられ、相当不調そうでした。(残念ながら25キロでDNF)

ノジ&ナオが声援してくれ、この時点では余裕があったのですが、、

福岡旅行への切符、2時間45分切りを狙った望みのラップをギリギリ守れたのは、15キロまででした。それ以降、キロ4分を守るのさえ、苦しくなりました。

その時点で全身がこごえ、足先、指先の感覚がなくなりミニポシェットのチャックが開けられず、ゼリーを取り出せなかったり 、給水の紙コップがつかめず、3回以上取り落としたりしました。

ストップウォッチを、うまく押すことさえできなくなりました。

銀座のハーフ地点で1時間23分6秒かかり、45分切りは完全にあきらめ。

銀座を過ぎた25キロでは、べチャベチャと冷たいみぞれが 肩や腕にあたり、
走っているのに、寒さで全身に胴ぶるい。 気が遠くさえなってきます。

さらにペースダウンして、抜かれ放題です。
多摩川クラブ!と何度も声をかけていただきましたが、手をふる余裕もなくなりました。

そこから、ビルドアップしての復活が不可能なのは、経験から明白。
もう、東京観光を楽しむことで完走を目指す気持ちに、切り替えざるをえません。

そうはいっても、完全にジョグして3時間半程度でゴールするまで開き直る気にもなれないので、それなりに頑張って35キロ地点に差しかかると、観客がざわめき、私の後ろを指差して「あ、猫ひろしが来た」と騒ぎ始めました。

「まさか、、!」

すぐに、つきそいランナーや、芸能人好き市民ランナーグループに囲まれた、大きな「猫ひろし集団」にあっと言う間に抜かれました。

猫ひろしは、素晴らしいバネと躍動感!

まるでスタート直後のような元気ぶりで、「シャー!シャー!」とこぶしを周囲に振り上げて、アピールする余裕ぶりです。

その瞬間、負けを覚悟して、この報告のタイトルを「猫ひろしに敗退したヨビリンです」とする覚悟を決めました。

しかし、猫ひろしは本気で走っていなかった(ように見えた)
おかげか、 差が一気に広がりません。

沿道に次々「猫ひろし!猫ひろし!」と、猫ひろしコールが連続してわき上がり
すぐ後ろなので、それを5キロにも渡ってずっと聞かされながら、走るハメとなりました。

サブスリー確実なペースなので、ガッツポーズを何度も繰り返し、左右をキョロキョロ見回し、手を周囲に振りたくっています。

それを見ているうちに、「こいつには負けたくない」という気持ちがムクムクわきあがりました。

少しずつ差をつめ、それ以降、抜きつ抜かれつ。

40キロから全力スパートして差をつけましたが、41キロの登り坂で失速。
抜き返されるのでは、という恐怖から必死に逃げました。

その、芸人相手に本気でムキになった見苦しい模様は、猫ひろしのフィニッシュを伝えるテレビ放送に、しばらく映されてしまったそうです。

また、よりによって彼のブログに出されてしまいました。

http://blog.oricon.co.jp/neko_hiroshi/


私    2時間55分30秒
猫ひろし 2時間55分45秒


彼は強いです。フォームも素晴らしい。本気出されていれば負けていました。
将来、その気になれば50分は切れますね。

フィニッシュ後は大井町で、月例からかけつけたひでりんはじめ、青竹メンバーと合同打ち上げ。

参加できず、無念の涙雨を降らせたヨースケも合流し、久々のアルコールを楽しみました。



  スプリット・ラップタイム

5キロ                  19分22秒

10キロ       38分46秒 (19分24秒)

15キロ       58分31秒 (19分45秒)

20キロ 1時間18分36秒  (20分05秒)

ハーフ 1時間23分06秒

25キロ 1時間39分27秒  (20分51秒)

30キロ 2時間01分15秒  (21分48秒)

35キロ 2時間24分14秒  (22分59秒)

40キロ 2時間46分00秒  (21分46秒) ← 猫ひろしのおかげ


     フィニッシュ

     2時間55分30秒 ( 9分30秒)























 平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン




                    BETSUDAI  PHOTOS


     
before race  1  before race  2  before race 3
     
 after race  1   after race 2   after race 3









 
 平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


            
  多摩川クラブ  すなぎも



2月7日日曜日・・最終コールを済ませあとは整列。仮設テントにお邪魔して多摩川クラブのメンバーに挨拶、互いの健闘を誓う。

別大・べつだい・ベツダイ。市民ランナーにとって憧れのレースでもある。今時分はそのスタートラインに立っている。帰宅部出身かつての運動音痴がどこまでできるか試すときが来た。ほとんどプロジェクトX状態である。

整列は持ちタイムの完全番号順。皆整然と並んでいる。スタートラインへ移動の時も大きく乱れない。強豪ランナーはマナーも素晴らしい!中継ヘリが低空で飛んでいく。余分な演出もなくスタート直前の静寂が嫌でも緊張感を高くする・・

号砲一発いよいよスタート!42.195kの旅が始まった。さすがに速い。スタート直後にありがちなジグザグ走もなくストレスを全く感じない。夢にまで見たレースにテンションは上がるけどペースは上げすぎるなと自分に言い聞かせる。別府市街に入り応援が多くなる。

5k 19:09

やや突っ込み気味だが19分台なら許容範囲。最初の給水ではセンターラインよりを走っていたおかげでとり損ねてしまった。すぐ斜め前のランナーから「少ししかありませんがどうぞ」と紙コップを受け取る。「ありがとうございます」と口に含む。嬉しかった・・

亀川付近の折り返しを過ぎると少しずつ集団が形成される。・・折り返しといえば・・風向きが変わらない??風が舞っているのだろうか。想定外ではある。

10k 38:25(19:16)

最初の関門はクリア。次の給水ではペットボトルを取ることができた。2,3口飲んだ後横のランナーに渡す。これも通常のレースではないこと。この連帯感がいい!

沿道の「頑張れ!」に混じって「前の集団に追いつけ〜」と檄も飛ぶ。国際レースならではか。

15k 57:31(19:06)

先ほどの檄のせいか?この旅いやレース最高ラップが出た。やがて別府市街を離れ高崎山の麓を走る。「キャッキャッ」と鳴き声が聞こえる。猿たちも応援してくれているのだろうか。スタート地点のうみたまごを過ぎやや集団がばらけてきた。

このペースでひとり旅はなるべく避けたい。何とか前の集団に追いつこうとする。

20k 1:17:01(19:30)

HALF 1:21:15

最大の難関、ハーフ地点の関門はクリア。しかしコース上の難関も待ち受けていた。別大国道名物の「バンク」。カーブに沿って道が傾いている。位置取りを間違えると足首を痛めてしまう。最も内側に沿って走り何とか切り抜けた。

建物が多くなり大分市街に入った。

25k 1:36:23(19:22)

ここからが正念場だ。変わり映えのしない景色が続くコース。大分川にかかる弁天大橋を渡る。前後のアップダウンがつらい。ここから徐々に脚が重くなってくる。裏川橋付近でトップ集団とすれ違った。30k手前でパワージェルを吸う。

30k 1:56:05(19:42)

しかし体は復活しても脚が追いつかない。そんなばかな・・今まであれほど30k走をやってきたのに・・柳通りに入ると片側1車線道路になり沿道の人の数も増え声援も近くに聞こえるようになる。

「頑張れぇ〜」と声を枯らして応援してくれる人もいる。・・でも応えられない走りしかできない自分がもどかしい。沿道の皆さん、ごめんなさい・・
西中浜交差点から再び大通りに。

35k 2:16:03(19:58)

ペースが落ちているのが自分でもはっきりわかるほどになった。やばい。でもせっかくここまで来たんだ。意地でも完走して帰宅部出身の力を見せてやる!そんな気迫の前に再び弁天大橋が立ちはだかる。

と、そのとき前を見慣れたユニフォームが。ヒデリンさん!あんなに前を走っていたはずなのに・・しかし声をかける余裕は僕にはなかった。橋の上り坂ではふくらはぎを痙攣が襲う。

耐えろ!浜町交差点付近でヨビリンさんにパスされたことさえ全く気づかないほど周りが見えなかった・・再び左折して大分県庁へ向かう。あと数百メートルで最後の関門・・

40k 2:36:51(20:48)

もうボロボロ状態だった。気持ちとは裏腹に前に進まない脚・・あまりのもどかしさに「なんでだよ!」と叫んでしまった。今自分の背中を押しているのは執念と沿道の声援だけのようだ・・

また、中1のときの担任の先生・体育担当のY先生の顔も浮かんだ。あまりの運動音痴ぶりに手を焼かせてしまったY先生、天国から見守ってくれているだろうか・・

最後の橋・舞鶴橋をJOGのようなペースで走り抜ける。競技場までの細い道が異常に長く感じられた。ひたすら無心に走る。ついに競技場に入った。トラックに入り思わずサングラスを外す。

今までのことが頭をよぎり涙が出てきた。最後の直線に入りフィニッシュラインが見えた。思わずガッツポーズ。ゴールの瞬間は頭が真っ白になった。

GOAL 2:46:29(9:28)

レースはボロボロだったけど自己ベストだ。すぐにヨビリンさんを見つけた。45分台・・すごい。まっきーさん、山ちゃんさん、よーすけさん、クロカンさん・・皆さん素晴らしいタイムでのゴール。

自己ベストで一旦は安心したものの再び僕の心に火がついてしまった。
                      

        また来よう。次は45分切り!!


                   超長文、大変失礼しました。










 

 平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


            
  多摩川クラブ  斉藤3世



別大でお世話になりました、斉藤3世です。


学生時代はバレーボールに励んでいて、団体競技だったので、今回のように九州遠征一人旅は新鮮でワクワクします。でもレース会場に行くと周りはみなさん速そうで怖気づきましたが、ヨビリンさんやクロカンさんが声をかけてくれたおかげで、たいぶ落ち着くことができました。

まず自己紹介をすると走歴は3年目。(人生歴32年、間もなく33年)
1年目は5kmオンリー(近所の赤羽月例など)。あまりに長く辛かったのでこれ以上距離を伸ばすつもりはありませんでした。元々、運動不足解消のためのランニングだったので十分に満足。

2年目。5kmのレースでF・ヒロシさんと出会う(このレースでクララさんとデッドヒート)。この後、駅伝、10kmと走りの幅を広げました。

F・ヒロシさんや不忍池ACの方の話を聞いて札幌国際ハーフに憧れ、資格取得→出場(再びクララさんとの対決!)。国際レース独特雰囲気、醍醐味を知りました。トレイルレースにも挑み30kmクラスに出場しました。

3年目。
ハセツネ出場、中盤胃をやられ水すら飲めなくなるも気力で完走(完歩)。
あとはフルマラソンに挑戦、ということで大田原に出ました。(ヨビリンさんと話ながら走りました!)2時間47分11秒で完走。

ということで今回2度目のフル。予定になかったですが2時間50分切れたので思い出作りに出ました。



レースではクロカンさんと同じ集団で走りました。集団前方には多摩川クラブのユニフォームが見えました。(山ちゃんさんでした。)

何度か集団から遅れかけましたが、しぶとくついていき、クロカンさんから給水を回してもらって気持ちをつなぎました。41kmの給水では猛烈に追い上げてきた山ちゃんさんに水を回してもらいました。(そして山ちゃんさんは颯爽と先に行ってしまいました。)

走りでも助けてもらい、2時間43分台でゴールできました。


すごく気持ちのいいレースができました。ありがとうございました。
これからも練習やレースでお会いすることがあると思いますが、よろしくお願いします。

機会があれば川崎月例にも参加したいと思っています。そのときはお手柔らかにお願いします。長文失礼しました。




               斉藤













     平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


            
  多摩川クラブ  まっきー



           
恥を忍んで書いてしまいますが・・・

3年3か月前の私は、体重約80kg、ウエスト約90cmの超メタボでした。
健康診断ではこれ以上太っちゃダメと言われていました。

メタボ解消で始めたランニングも、最初は300m走ったら苦しくて動けませんでした。中・高校で陸上をやっていたとはいえ30年のブランクがありました。

2年8か月前に多摩川クラブに入り、周りの意識の高い方々に刺激を受け、次第に私も真剣に取り組むようになりました。

あと4か月で50歳。こんな典型的なおやじランナーでも、多摩クラで頑張れば別大参加も夢ではありません。


      そして、記念すべき2010年2月7日・・・


11:55 高崎山・うみたまご。ゼッケン順に整然と待機していた全ランナーが軽快にスタート地点に移動した。念願だった別大の始まりにいやがおうにも気持ちが高ぶってきた。超低空飛行で旋回するヘリの音が高揚感を煽った。

12:00 第59回別府大分毎日マラソンのスタート。今の自分に出来ることはやってきたつもりだったので、絶対にあきらめないでゴールまで行こうと決意。
7人の多摩クラ仲間が一緒なので心強かった。

前後左右にランナーが溢れていたが、皆淡々と脚を進めていた。カツカツカツというシューズがアスファルトを踏む音がリズムよく響いていた。
今回の目標タイムは、強気の2時間43分切り。設定ペースは、5km19:10(キロ3:50)。

スタートから近くを走っていたひでりんと、お互い何となく意識し合って抜きつ抜かれつで5kmを通過。18分51秒。前半の貯金を考えるとまずまず。

ここから10kmまでは、ついていく集団探しに没頭。単独走が大の苦手な私にとってこの作業はとっても大切。集団への身の置き方の条件は、なるべく大きな集団で走る、なるべく前の方を走る、なるべく上下動の無いフォームのランナーの後ろにつく。

9kmの折返し付近で、かなり前を走るたかちゃんとよーすけに遭遇。いつもながらのオーラを感じるクールな走りのたかちゃんと、気合い十分に手を挙げて合図するよーすけの好対照が印象的だった。

5〜10kmは18分50秒。条件に合った集団が形成されつつあった。11kmの給水ポイントでは、ペットボトルのスポーツドリンクを周りで分け合った。皆同じ思いのようだ。この集団にずっとついていこうと決めた。

10〜15kmは18分54秒。理想的な展開。風が舞っていたけどそんなに気にならなかった。集団に一人いた外人さんの動きが激しいダイナミックなフォームはかなり気になったけど。。

左手に海を見ながらほどなくスタート地点に戻ってきた。
他のメンバーがどの辺を走っているのかはまったく分からなかった。

やがて、噂に聞いていたバンクがやってきた。曲がりくねった走路の中で集団がバラけ、皆思い思いのコースを走っていた。でも手こずっていた。
15〜20kmは19分14秒掛かった。

その余韻かどうか集団全体がやや疲れてきたようだ。私も中間点辺りでは少しキツくなってきて、自分にゲキを飛ばすようになってきた。

ハーフの通過は1時間20分2秒。

気持ちを立て直そうとしていた頃、多摩川クラブと書かれた幟が見えた。えっ何、と思っていると、多摩川クラブファイト!とご婦人の声。(後から聞くと、ひでりんの奥さんのお手製の幟だとか)何よりの応援、元気回復!

20〜25kmは19分16秒。

大分市の市街地に入ると大分川に掛かる弁天大橋を渡る。この橋のアップダウンは結構キツい。橋の上りで元気そうな2人が集団の先頭に立った。元気回復の私はその後ろについた。集団はやや縦長になったようだ。

下りでこの2人が飛び出した。1人が追走し始めた。あとは誰もいかない。3番手を走っていた私はポツンと残された。どうしたらいいんだ?オーバーペースで潰れたくない。集団はあきらかにペースダウン・・・仕方ない、、、大嫌いな単独走がここから始まった。

25〜30kmは19分38秒。

想定外のレース展開。

相変わらず舞っている風も気になってきた。でも、今回はあきらめないと決めていたんだ。ポジティブなことだけを考えた。別大を走っているんだと思いっきり脳みそに意識させた。沿道の大声援もしっかり受け止めるようにした。

あと10km。時計を見て、キロ4で行けば2時間42分台でゴールできると確認した。
よし、30kmペース走のラスト1往復だ。

35km手前でひでりんの背中が見えた。はるか前を走っていると思っていたのでビックリ。かなり疲れていたようだけど、変に刺激してバトル展開になるのはイヤだったので、手だけあげて抜いた。
30〜35kmは19分37秒。

40kmまでは沿道の声援もさらに大きくなり支えになったけど、それ以上にキツかった。壁が立ちはだかってきた。とにかく必死で走るしかなかった。だけど何度かめげそうになった。息をはく声をわざと大きくしてそれでリズムを取った。

35〜40kmは20分05秒。

ラスト1kmでゴール地点の大分市営競技場が見えたときはホッとした。やっとここまできた。
競技場に入ってからはトラックを300m走る。そのラスト300mでドラマが起きた。

山ちゃんが軽快な足取りで突如として現れた。今までどこにいたの?と思う間もなくどんどん離されていった。よし、ならばと私も最後の力を振り絞り、ラスト50m位で並びかけた。が、さすが山ちゃん。そのまま見事に逃げ切られた。

でも一生の思い出ができた。

ゴールタイムは2時間42分54秒。


最後は山ちゃんに引っ張ってもらって、目標の43分切り達成。
二人で固い握手を交わしていたところに、よーすけがやってきた。

2時間34分台でのフィニッシュとのこと。自分で思いっきり高い壁を作って見事に目標達成。スゴイ、よくやった。
三人で真剣に抱き合った。よーすけは感極まって男泣き。
最高の瞬間!


今回のスプリットとラップタイムは次のとおりです。
5km 0:18:51
10km 0:37:41 (18:50)
15km 0:56:35 (18:54)
20km 1:15:49 (19:14)
half 1:20:02
25km 1:35:05 (19:16)
30km 1:54:43 (19:38)
35km 2:14:20 (19:37)
40km 2:34:25 (20:05)
finish 2:42:54 (08:29) PB


この別大でも多摩川クラブの連帯感は最高で、想像以上に貴重な体験をさせていただきました。

よーすけ、たかちゃん、山ちゃん、クロカン、すなぎも、そして、おやじ三兄弟のまとめ役長男ヨビリン、やんちゃな三男ひでりん。
皆さんの高い意識は本当に勉強になります。これからも更にさらに上を目指しましょう。

どうもありがとう!

長文大変失礼しました。

P.S. 家で録画していた別大見たら、スタート前のよびりんがしっかり10秒程映ってました^^













     平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


              多摩川クラブ  さんちゃん





 
        別府大分毎日マラソン2010報告



○レース目標


今回は、35kmまでは我慢のレース。35kmから苦しい中で自分との闘いに勝ってゴールすることを目標に置きました。

レースペースは、キロ3分50秒を目標に置きました。もっといけるかも、という気持ちはありましたが、1月に実施したヤッソ800や、昨年10月のハーフの記録や自分の練習状況やコンディションなどを考えるとこれがベストかなと考えて設定しました。


○レース


スタートは、最後尾。ヨビリンさんの報告にもあったとおり、レース前の緊張感とランナー同士の会話ありの少し和やかなムードが漂っていました。どうやらスタート直後にテレビに後姿が映ったようですね。もっと、アピールしとけばよかった。

スタートから1kmは、最後尾を走り、走りの感触・レースの感覚を楽しみました。ラップは、4分越えていたでしょうか。

ちょっと遅いな、と感じ徐々にペースをあげ、キロ3分50秒くらいの集団につけたのが約4km地点くらい。そこから34km地点までの約30km、見ず知らず方でしたがゼッケン563番のランナーにぴったりとついて走りました。

ペースも安定していて、走りも無駄が少なく、とても感謝です。
はじめの折り返しで、ヨウスケとたかちゃんを確認する。すでに自分とは大きな差になっている。

20km地点あたりでは、大集団の中、クロカンさんも同じ集団に位置しているのを確認する。5kmあたりからずっと同じ位置にいたとは気づきませんでした。

30kmを過ぎてから徐々に足が重くなり、普段は気にならないロードのわだちやアップダウン(特に下り)も敏感に感じるようになる。そして、34km地点、ペースが4分までダウンしたのを機に、ここからは自分のレースと前へ出ました。

36kmくらいでひでりんに追いつく。少し疲れている様子。応援し、そのまま前に出る。

37km過ぎから40kmくらいまでは、マラソンランナーにあこがれていたころの昔の自分がふと思いだされ、何かに後ろから押されているかのように体が前へ動きました。

そして40kmからは本当の意味で自分との闘いでした。半分祈る気持ちで体を前へ前へと走りました。この時点では、もう今の自分のタイムがどうとか全く意識に無く、全力を出し切ることのみを意識しました。

ひょっとしたら14年前の自分に勝てるかもしれない。そんな感じでした。そして、ドラマは待っていました。ちょうど競技場に入る手前でマッキーさんが見えてきました。

まさか、こんな展開になるとは。勢いのままマッキーさんを競技場入口手前でとらえ、そのまま前へ。そのまま数人のランナーをとらえ、ゴールも間近のホームストレートに入る直前に、スパートしている自分の後ろから気配を感じ、ちょっと振り向くとなんとマッキーさんが迫っているではないか。

もう、必死でした。レース中に、「うゎ、」と驚きの声を発したのは、生まれて初めてです。そこから渾身のラストスパートで、自分では思いっきり引き離したつもりでしたがマッキーさんとは同着フィニッシュでした。

42.1kmを走ったあとで、こんなドラマが待っているとは、ほんと想像もできませんでした。(このゴールタイム、実は同着で4名がゴールしていました。驚きです。)


5km 19’02”

10km 38’13” (19’12”)

15km 57’23” (19’10”)

20km 1°16’55” (19’33”)

ハーフ1°21’11”

30km 1°55’44” (10kmLAP 38’50”)

35km 2°15’25” (19’42”)

40km 2°34’52” (19’27”)

42.195km 2°42’54” (8’03”)




○自己ベスト


14年ぶりの自己ベストで完走することができました。自分の目標だった学生時代の記録を36秒超えることができました。たぶん、14年前の自分に追いついたのは競技場に入る頃・ちょうどマッキーさんに追いついたころじゃないかと思います。

マラソン6回目。今回は、はじめてエネルギー切れすることなくラストまで走りきることができました。

マラソンは、まだまだみんなから学ぶことが多いです。ようやくこれでスタートラインに立てた感じです。ありがとうございました。

そして、他のみんなも自己ベスト続出。35分切のヨウスケをはじめ、おめでとうございます。


○国際レース


はじめての国際レース。ちょっとの時間ですがケニア・エチオピアの選手を間近に見ることもできました。あの場所で走ることができたことに感謝です。
そして、給水のペットボトルをランナー同士で渡しあうマナー。集団にあっても給水がとれ、とてもありがたかったです。


○ヤッソ800


1月に実施したときのタイム
2’49”→2’42”→2’44”→2’42”→2’42”→2’43”→2’43”→2’43”→2’40”→2’34”
平均2’42”
ヤッソどおりのタイムで走れました。不思議ですね。


○おやじ3兄弟


は、とても意識の高い方々だと改めて感じました。ヨビリンさん、ほんとあと少しで45分切りでした。あの時は、横でみていた僕もスローモーションになりました。ひでりんさんは、家族サービスも兼ねての遠征。お疲れ様でした。マッキーさんには、強靭なスタミナとパワーを感じました。1週間前の月例10kmを彷彿させるトラック勝負でした。


◎ここで六郷駅伝


クララ→ファイティング→きやさん→自分のメンバーで走らせて頂きました。
この駅伝、レース後の打ち上げもあり、とても盛り上がりました。参加できて良かったです。きやさん・クララ・クボッチ、そして中山さんはじめとてもありがとうございました。

駅伝の結果は2位。喜ぶべきか、どうか。トップとはあと18秒ということもあって、やっぱり2位という順位は、正直悔しい気持ちのほうが強いです。これに終わることなく、また次を目指して頑張ろうと誓いました。



以上、興奮冷めやらぬ間に書いておこうと思ったら長文になってしまいました。失礼します。















    平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


              多摩川クラブ  クロカン





週末各地大会参加、練習会など皆様お疲れ様でした。
また別大に参加の方々お疲れ様でした、また、お世話になりました。

別大は昨年(旧コース)に続き2回目の出場でした。昨年は後半大失速し2時間51分もかかってしまい、別大、特に別大国道に苦手意識を持ってしまい、また今年は直前に体調が今一であったので、2時間40分切りを狙って失速するリスクを避け、確実に45分を切れるよう、前半から抑えていきました。

結果としてタイム2:43:57で、PBではないものの何とか最低限の目標は達成できました。

スタートして5Kくらいからたまたま山ちゃん、斉藤3世と同じ集団(19:10/5Kくらい)に入り、山ちゃんに気付かれないように(首を左右に振っても気付かれないように)死角を走り続けましたが、20K近辺でばれてしまい、また、自分の後ろをずっとコバンザメのようについてきた斉藤3世とともに28Kくらいから徐々に置いていかれました。

25Kまでは本当にラクで、速めのJogくらいの感覚でしたが、やはりやや脚にきてしまい走り込み&実力不足を痛感しました。終盤何とかまとめましたが、危うく45分切れないところでした。

多摩川クラブでは、よーすけ、たかちゃんは別格として、自分は3着を意識していましたが、山ちゃんとまっきーさんに先着されました。(+斉藤3世)

”ミスター月例川崎”の山ちゃんと中学時代に800mを2分4秒で走られたまっきーさんの底力を感じました。この2名には1月17日の多摩川30Kペース走のラスト5Kで完勝していましたが(勝負していたわけで訳ではありませんが。。)結果として見事にリベンジされました。

ヨビリンさんの故障中での45分、ヒデリンさんの30K通過タイム1:54:04とおやじ3兄弟、強いです。自分自身、3兄弟に最も手頃なターゲットで、日頃の御3名の言動から強く意識されていると感じているので、今後は油断せずより気を引き締めて、踏み台にならずに、大きな壁として立ち塞がりたいと思います。


フルは2001年から約7年間走っておらず、一昨年のつくばから再開し2時間48分ー>46分ー>43分と徐々に上がってきたので来季は40分切りを狙おうと思います。フルは今季これで終了で、春のトラック5000mでPB目指そうと思います。


以下今回の別大のラップになります。
5K   19:09
10K  38:16   (19:07)
15K  57:26   (19:10)
20K  1:16:56 (19:30)  Half 1:21:11 (4:15)
25K  1:36:23 (19:27)
30K  1:55:58 (19:35)
35K  2:15:36 (19:38)
40K  2:35:23 (19:47)
G     2:43:57  (8:34)

なお、別大は資格タイム3時間どころか、コース拡幅工事が終わる来年から"市民マラソン化"も検討されているようですね。



AM2:38〜フジテレビで丸亀ハーフ。ウエンツが映っているかチェックしようと思います。













   
平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン

    
       多摩川クラブ   たかちゃん






       まず、最初にお詫びしておきます。
             

ゴール後、しばらくは平静だったのですが、競技場でシャワーを浴びた後くらいから急に具合が悪くなり、頭が痛く、固形物を受け付けない状態となりました。

ゼリー飲料を持っていたのでそれを飲み込みましたが、頭がくらくらしたので一目散にホテルに帰り、ベッドで休みました。
1、2時間休んで、お風呂に入ってさっぱりして何とか回復した次第です。
ゴール後健闘を讃えあいたかったのですが、そんな訳でご容赦いただきたいと思います。

私自身としては、若干福岡で燃え尽きており(笑)、昨年の例から見ても自己ベストは難しいだろうなと思っていました。

昨年の福岡2:39:28で別大2:39:38
今回の福岡2:35:47で別大は?


とはいえ、一応35分切りを目指して突き進むことにします。
福岡ではキロ3分40秒を超えてしまっても、特段気にせずにペースを保つことに意識を持っていましたが、今回は3分40秒というタイムにこだわりを持って走ることにしました。

おかげで最初の5kmは18分を切って入り、若干息もあがりましたが、まだ4〜5kmのタイムが3分20秒を切っていたのを見て、また距離表示おかしいよ〜と思う余裕がありました。

8km地点でよーすけが追いついてきて声をかけられますが、私には返事する余裕なし(笑)。

そこから2kmほど併走したと思いますが、すこしずつよーすけが前に出ます。

風も巻いているような感じで、その頃ついていた集団にも置いていかれ、一人で別大国道を乗り切る羽目になってしまいました。
この集団には30kmあたりで追いつくことになるのですが、ここで集団につけなかったのが痛かったです。

35kmあたりまではよーすけの背中もみえていたのですが、だんだんと姿が小さくなり、つけを払う時期が近づいてきます。

35km以降は3分45秒になり、3分50秒になりしていきますが、挽回する足が残っていません。40kmを2時間27分過ぎて通過し、35分切りは難しくなったことを悟ります。

競技場手前で2時間33分40秒なのを知り、35分切りは無理だが自己ベストはいけそうだと思い何とか粘ってゴール。2時間35分29秒となりました。


先にゴールしていたよーすけと声をかけあい、33分くらいいけた?と聞きましたが、34分20秒前後との返事。

スタート場所と集団に恵まれなかったのが原因でしょうが、次回はスタートから同じレベルの集団で走れるのでもっといけるでしょう。
福岡の方が記録出せるよ!

さんちゃんとまっきーさんは同じ時間のゴールだったんですね。さんちゃんはまっきーさんの1分後ろを淡々と35kmまで走っていて、40kmで30秒差、ゴールで追いついています。

お二人の完走記を是非読みたいですね。何にしてもお二人とも大幅なベスト更新。おめでとうございます!


ヨビリンさんが書かれている通り、次回は60回記念大会で参加記録が3時間以内に緩和されるような噂が出ています。

サブスリーの皆さん一緒に走りましょうと言いたいのですが、確か50回のときは参加記録は緩和されましたが、関門は緩和されなかった気がします。


つまり、、、いくら参加できても、本当にサブスリーの実力だと完走できません。

あまり噂に惑わされず、こつこつと切磋琢磨していきましょう!今後とも宜しくお願いします。












 
   平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


               多摩川クラブ よーすけ





レースの結果自体はもちろんのこと、そこに至るまでの流れ、
大会の雰囲気、そして何より共に走った多摩川クラブメンバーとの絆
(もちろん打ち上げも含む)・・・
すべてが最高のレース、そして至福の1日でした。

何から振り返ればいいのか、あまりにも色々有りすぎて見当もつきませんが、詳細はブログに譲るとして、2時間34分18秒の66位で走った別府大分毎日マラソンの報告です。


充実感、そして「無」の心境で迎えた号砲。
スタートは多少混雑し、ジクザグ走を余儀なくされましたが1kは3'48で通過。ロスタイムを考えればむしろ速いぐらい。

快調にピッチを刻み5kは18'02。その後たかちゃんに追い着き並走。
オーバーペースとは感じず、高速レース特有のリズムが快適です。

9k過ぎの折り返しで向かい風にあおられ「話がちがうじゃん」と思いましたが、目標達成には怯んでいられません。

風よけ、そしてペースを作り直すために1度逃がした集団を
追うしかありません。たかちゃんとは自然と分かれ、攻めの単独走を決意します。

途中市街地を走っていると「多摩川クラブ頑張れ」「多摩川って東京の?」といった声が聞こえます。
多摩川の持つ偉大さを遠く九州で実感します。

じき、ばらけた集団に追い着くとそこからは
しばらく着いては抜け出すの繰り返し。

みな向かい風の中集団を引っ張るのにためらいがあるのでしょう。自分は
明確に目指すタイムがありましたし、風の影響もそんなに感じなかったので、どんどん押していきます。

途中、これがランナーズ・ハイというやつでしょうか、自然と笑みがこぼれてきます。

ハーフの通過は1:16'51。ちょうど1年前、
神奈川ハーフを走ったときのタイムが1:18'29。

それより速いペースでフルを走ろうとしている自分が何だか不思議な感じです。そして頭の中で計算「34分切りへ、貯金は40秒、ということは・・・」「1kあたり2秒、5kを18'30なら許容範囲」

幸い足も呼吸もまだまだ余裕、気が楽になります。

23k過ぎに大集団を発見、どうやら3'40前後。
多少遅れても、2度目の折り返しまで体力を温存するには最適の集団。この大会で初めてといっていい集団走は本当に楽でした。なのに・・・


わずか1k、体が勝手に反応します。結局、またすぐに単独走。本能のままに攻めてしまうのが長所なのか、欠点なのか、いずれにせよ覚悟を決めた以上、自分で責任を負って突き進むのみです。


30kは1:49'19。貯金を計算する余裕はさすがになくなってきました。
幸いまだ足は動きます。変に落としたりすることなく、あとトラック30周、皇居2周と少しに意識を傾けます。


それでも人間は弱いモノ。ゴールが近づくと、途端に逃げ出したくなります。35k辺り、「あと7kで・・・」そう思うと体は自然と重く。特にハムストリングスが悲鳴をあげ始めます。

「まだ4分ペースに落とせないのか」そんなことを考え始めるころに、湘南国際でもおなじみの「ゴールお預け」。フィニッシュ地点のすぐそばを通のにゴールは許されません。身も心もいっぱいいっぱいになってきます。


40kは2:26'04。3'40はすでに維持できず、4分に落とすことも
許されません。ここからが本当に自分との戦いでした。

「いままでどれだけ我慢してきた。あとたった8分、これに耐えなければすべてが無駄になるぞ」自分に言い聞かせ最後の力を振り絞ります。


あと1k地点を通過、時計をみてやっと35分切りは大丈夫と確信。
競技場に入るとランニングタイマーとともに「58」という数字。

フィニッシュラインを超えた選手の数だと理解するのに数秒を要しましたが「これは相当な順位だ」と力が沸いてきます。あと300m少々、土練のインターバルの競り合いを思えばかわいいもの。

最後はサングラスと取り、東京マラソンよりは控えめなガッツポーズでフィニッシュ!

達成感、満足感・・・。どの言葉も陳腐に聞こえてしまう、至福の一時。涙はなかったのですが・・・


ゴールに目をやると「多摩川クラブ」のユニホームが2つ。
まっきーと山ちゃんが並んでフィニッシュ。自然と抱きつき涙が溢れました。


すでにゴールしていたたかちゃん、直後にやってきた
ヨビリンさん、クロカンさん、すなぎもさん、ひでりんさん。

「このメンバーで別大を走って、ベストを出せて、本当にうれしかった」

この感情を抱けたことが今回、一番の収穫でした。


長文失礼しました。最後になりましたが、応援ありがとうございました。
日曜の昼間という多忙な時間にテレビを通じて送ってくださったエール、確かに遠く別府と大分まで届いていましたよ。




   以下、LAPです。

5k      18'02

10k     36'05(18'03)

15k     54'18(18'13)

20k   1:12'49(18'31)

half  1:16'51

25k   1:31'05(18'16)

30k   1:49'19(18'14)

35k   2:07'34(18'15)

40k   2:26'04(18'30)

finish   2:34'18(PB)

http://ameblo.jp/redwind-tama/




















平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


               多摩川クラブ ひでりん


 2月7日別大マラソンに参加してきました。


結果2"53'49.目標の43分台より、10分も遅かった。

初の国際レースで気合い入りすぎたのと、まわりのハイペースに飲み込まれた。前半飛ばしすぎて、30K以降失速。36K以降歩きながら、ようやくゴール。

前半、果敢に攻めたつもりだが、今の自分の実力からは、やはり速すぎた。
10K地点で速すぎとは思いつつ、それほど苦しくないし、調子いいからこのままいけるのでは?という過信から、その後も多少ペースを緩めたが、自分の設定ペース(5K19'20から19'25)を超えるペースのまま25K通過。このまま行けるかと思いきや、フルマラソンはそれほど甘くなかった。

27K付近から足が重くなってきた。32Kあたりでペース維持できなくなってきた。まだ10Kもあるのに、これはピンチだ。33Kあたりでマッキーさんに抜かれ、気持的にも切れた。36K付近でついに歩いた。

その後も走ったり、歩いたりしている間にさんちゃん、クロカンさん、よびりんさんと次々に抜かれる。

もう記録はどうでもいい。早くレースを終わらせたい。すっかり戦意喪失。
40Kの関門を2時間41分で通過。制限時間は42分だったので、なんとか残り1分ですり抜けた。

その後も、這うようにして、なんとかゴール。

5KごとのLAPは以下の通り。

5K   18'48

10K   18'32

15K   18'49

20K   19'04

25K   19'16

30K   19'36

35K   20'32

40K   26'22

2.195K  12'52

          こういうレースもあるさ(^^)


今回の反省を活かし次回(佐倉)は、30Kまでは自重したレースにしたい。

                            















 
  平成22年  2月7日(日) 別府大分毎日マラソン


               多摩川クラブ  ヨビリン




遠征初日 レース前日 土曜日


まっきーと9時40分羽田発。

ランチは大分空港で、長崎ちゃんぽんと「やせうま」という郷土和菓子を食べました。

「やせうま」は超太麺に、きな粉と黒砂糖がかけてあります。
郷土食「だんご汁」の麺を使用していて、歯ごたえがモチモチシコシコ、
とても美味しいです。カーボローディング!

大分空港から、湯布院行きのバスに乗ってしまいました!

すぐ気がつき、100mで降ろしてもらえましたが、危うく湯布院1号、2号寸前でした。

快晴の別府にバス移動して投宿。



まっきーはコース試走にでる。
超強風とのことで、もし明日もならば大変なことですが、2日連続はないでしょう。

受付会場に到着すると、すぐにひでりん、すなぎも、タカちゃん、よーすけ、山ちゃんと自然に集合。

夕方5時からの「激励の夕べ」は、クラス別に選手がテーブルごとに分けられ、私は持ちタイムが一番悪い最下位エリアでした。

山ちゃんと隣席。ホテルも相部屋だが、「激励の夕べ」のバイキングも、今晩の宿の食事も、「2食とも両方、がっつり食べますよ!」。

頼もしい!

バイキングの食事内容は驚いたことに、あっという間になくなった
関あじ、関さばはともかく、鳥唐揚げ、ローストビーフ、ビーフシチュー、ビーフステーキ、鳥クリームシチュー、エビマリネ、焼き魚、魚フライ、寿司、サラダ類など。

炭水化物がほとんどなし!
寿司飯、少々の焼きそばとご飯、パン、バナナくらい。

前日夜は、肉はおろか魚も食いたくなかったのですが、せっかくだからと、どれも一口だけ、と味見しているうちに種類が豊富なので、あっという間に腹いっぱいになってしまいました、、。

トレイルレースの前夜祭では、こんな食事では不満の声が確実にあがります。

実際あるトレイル大会前夜食が、揚げ物や肉ばかりだったのが、翌年は各種炒め飯、焼きそば、うどん、そば、多くのケーキ、果物類に変わっていました。

意外にロードランナーは炭水化物に無頓着のようです。

可笑しかったのが、前にいた選手。
ほとんどの選手はビールに手をつけなかったので、瓶ビールが大量に
あまっていましたが、数本を目の前に並べ、肉を中心としたオードブルを数皿山盛りにして、手酌で次々飲むわ食うわ、、。

聞くと、ハーフで参加資格をゲットした埼玉の方。持ちタイム1時間10分!
ハーフ組はラスト組に並べられるのです。

ステージで記念写真取って、解散。

近くの宿のよーすけも暇だというので、ホテルの部屋に来て、4人でゼッケンつけなど。

夕飯はこれまた、肉や刺身ばかり。さすがにおかずは半分残し、
ご飯は3杯食べましたが、結局、激励の夕べ分合せて、肉、魚を
食いすぎてしまいました、、。

間違いなく余計な重量です。まっきーと山ちゃんも少し腹が出た様子。

じき、よーすけは帰り、私たちは温泉。

それからは3名で静かな夜を淡々と、レース支度をして過ごし、11時には就寝です。

坐骨神経痛は完治はしていませんが、相当、回復模様。
ここ3週間の週末ポイントランでは、痛みを回避しており、明日も大丈夫の予感。

なんとか、レースをフルに楽しめれば、、!

良いイメージで眠りに落ちました。







闇の中、物音で目が覚めました。

山ちゃんが、朝ジョッグの着替えをしています。
朝6時、山ちゃんが出たあと、私も起床。電気をつけさせてもらって着替え。

朝焼けの豊後水道方面の水平線を眺めながら、ストレッチ、散歩とジョッグ、30分。
風がほとんどなく一安心。空模様は快晴、間違いなし!

また、計画どおり便通があり、またまた一安心。

まっきーは7時すぎまでたっぷり睡眠。

7時半朝食。また魚。ご飯ばかり食って、おかずはほとんど食いませんでした。

来年、また別府に来たら、このホテルだけは避ける決心を固めました。

9時半出発のバス停に行くと、別大選手団がズラッと並んでいます。

スタート会場「うみたまご」までバスで10分ほど。有名なサル山のある高崎山のすぐ下の海ぞいです。
26年ぶりにコースが変更になり、スタート場所が大分陸上グランドから「うみたまご」に変更になったのです。ゴールはこれまで通り、大分陸上グランド。

全国中継されるので、テレビカメラが設置されていましたが、確実に写らないので他人事。

「基地」は駐車場の選手更衣用テントとし、外に多摩クラ小旗を立てかけておきました。

ゼッケン確認のあと、メンバーが続々集合し、ヨビリン、まっきー、ひでりん、クロカン、タカちゃん、山ちゃん、ヨースケがテントに。
あとからすなぎもさんにも会いました。ひでりんの奥さまも、挨拶に見えました。

全員、10時半から11時にはアップ開始。アップコースは海ぞいにえんえんと続く歩道で、青い海から渡る海風が気持ち良い。多くの選手がいったり来たり。

招待選手の黒人選手団、白人選手も集団でジョッグしています。

20分ジョッグ、軽いストレッチ。さあ、流しができるか?
まだ、8割以上のスピードは出せませんが、この一ヶ月でもっとも速く流せました!

「今日はこれなら大丈夫!」と明るい気持ちに。

目標は2時間44分から46分の範囲。

昨今のペース走や、レースタイム結果を見ると、不可能ではないタイムだと考えています。
範囲が広いのは、1月はトレーニング不足ですが、休養にもなっているので、予想がむずかしいことによります。

理想のシナリオは、まっきー、ひでりん、私のダメオヤジ3兄弟とも2時間45分を切って、福岡国際マラソンの参加権利を手に入れることです。

しかし、まっきー、ひでりんは、達成確実な様相に比べ、
私は12月のオーバーワークにより年末から、強度の座骨神経痛に襲われ、危機。

1月は、平日治療 → 改善 → 週末レースまたはペース走 → ケガ再発 → 平日治療
のローテーションを、見事に4週間繰り返してきたのでしたが、今週末は一番調子が良い!
しかし、完治はしていないので、怖くてハイペースでつっこむ度胸はありません。無謀。

11時半にはテントに戻り、多摩クラユニフォームに着替え。

気持ちがズン!とレースモードに。

11時40分にはトラックに荷物預け。テントの目の前で楽チン。
多摩クラ選手は三々五々、自分のスタートエリアに散っていきます。

私は当然、最後尾エリアに。それでも天下の別大選手団として列につきことができ、軽い緊張感、高揚感が高まってきました。
山ちゃんと「楽しいね、ワクワクするね」と、ニコニコ顔を見合わせました。

そこらの市民マラソンのように名士の挨拶や、元有名選手の気合かけ、司会者の無理くりのスタート盛り上げ絶叫などはなく、「スタート時間まであと3分」と機械的にコールされるだけです。










12時。
ピストルが鳴りました。


周囲の選手はあわてず落ち着いたもの。整然と一斉に同じテンポでスタート!
605名出走しましたが、左右に広いスタート会場なので、後ろから3列目の私がスタート地点についたのはわずか8秒後。

あわててダッシュしたり、ジクザクで抜いていく選手などほとんど見えず、ペース走のように、静かにレースは幕開けました。たまにハーフの高速選手が道端っこをダッシュして行きます。

軽い向かい風。折り返してから追い風になるはずで、その追い風区間を増やすためのコース変更です。

まっきーやひでりんの「駆」が見え、追いつける感じがしたので、少しずつつめようとしているうちに、間に選手が入り、見失いました。
クロカン氏や山ちゃんがすぐ斜め前を走っています。斎藤3世も見えました。

前後左右の集団全体のリズムが、軽いジョッグのようで、力みが感じられる選手などいません。
まして、荒い息つかいなどまったく聞こえず、自然にリラックスできます。

周囲を観察したり、痛めている左ももに意識を集中しているうちに、1キロから3キロまでの表示を見失いました。

宿泊ホテル近くのバス亭をすぎましたが、まだ調子が出ず、心肺が多少苦しいのですが、遅いペースに思えたので、
「5キロは20分を少し切るくらいかな。そうだったらペース上げて行こう」と考え、5キロ通過。

19分08秒。え!?

ネットならば、19分00秒です。キロ3分49秒。
まったくそんなハイペースだと思えません。周囲の選手はみな、楽そう。私もゆっくり気分。

これが「別大リズム」なのか、と驚きました。

日差しが強く、5キロごとに給水。
普通の市民マラソンのように大量の紙コップがなく、すぐテーブルから、水の入った紙コップが切れてしまい、
選手間の回し飲みは当たり前でした。
他市民マラソンではほとんどないことで、選手間の連帯感が感じられ、すごく良い気持ちになりました。

ペースは楽に感じるのですが、設定タイムより早いし、痛めていないはずの左でん部が痛み出し、左太ももも気になるので、とにかく怖くてややペースダウン。

一緒に走っていた山ちゃん、クロカンを先に見送りました。
今度は、すなぎもさんが、目の前に見えています。自分とリズムが自然に合う集団につきます。

9キロ地点で折り返し。トップ選手団が通過してしばらくして、ヨースケの勇姿確認。

植え込みに邪魔され、まっきーやひでりんなど見つけられず。
山ちゃんの妙に冷静な表情は確認できました。とにかく楽そうで、アップしているみたいです。

10キロ通過 38分27秒。この5キロ 19分19秒。

なぜか、折り返したのに軽い向かい風が続いています。あちこち小集団ができるかと思ったらそうでもなく、選手の列がずっと連続しています。

とにかく力まず、省エネを心がけながらも、リズムに合う選手団の背中に意識を合わせます。
再び宿泊ホテル横を通過。

15キロ通過 57分40秒。この5キロ 19分13秒。

目標タイムには問題ないペースなので、すなぎもさんが、遠く離れて先にいきますが、マイペースを守ります。

多摩川クラブ関係は皆、先に行ってしまいましたが、
「理想的なペースだから、何も問題ない。このペースを維持していこう」と言い聞かせます。

スタートのときに胸に刻んだ「スタートは30キロ先にある」を、また自分にリフレイン。

スタート地点の「うみたまご」に戻ってきましたが、この辺りの車道は道がわずかに斜めに傾いています。
車がカーブで走りやすいようになっているのですが、とにかくランナーには走りにくい。
私は道の一番下の排水コンクリの上を走りました。少しは水平です。

多少登り、向かい風がさらにきつくなり、ラップがこの区間、相当落ちました。

他の選手にもきつい区間のようで、前後の選手密度が減ってきて、多少まばらになってきました。

20キロ通過 1時間17分28秒 この5キロ 19分48秒。
ハーフ通過 1時間21分49秒

45分切りの可能性を残すため、ハーフは1時間21分30秒を目標にしていましたが、やや悪い。
しかし、設定ペースにこだわって頑張っては、いつ左ももが爆発して固まり、セメント状態になるか、わかったものではありません。

これでいいのだ。

この辺りで、多摩クラ30キロペース走に2回参加していただいた、マツモトさんの背中を見つけて声をかけ、
しばしお話。息が多少上がってきています。

23キロから、ついに左ふとももが重くなってきました。

おいおい、早すぎるよー。
あまり良い信号ではありません。
今までの経験では大沈没ですが、呼吸は追い込まれてないから、力まず頑張らず、ペース維持だけを心がけます。
ゼリーを取り出し、エネルギー補給。胃に何か入れると、しばらく呼吸が苦しくなります。

大分市の市街地に入り、
25キロ通過 1時間37分04秒 この5キロ 19分36秒。

マツモトさんとは、ずっと並走したり抜いたり抜かれたり、よい競り合いを展開しています。
いつもは28キロくらいから脚にきますが、23キロ地点からの脚の重さのまま維持し、頑張れています。

ゼリー効果か!?

ついに私のスタート地点、
30キロ通過 1時間56分46秒 この5キロ  19分42秒

なんとか、あまり頑張らず、すべて5キロごと、19分代でまとめてこれました。

しかし、これから12キロレーススタートと考えても、ダッシュするわけにも行きません。
そんなことしたら沈没なので、とにかく35キロまでは、これまでの19分代を維持するよう、
力まず冷静に頑張り、残り7キロから上げるつもりで行こうと、作戦を考えました。

この辺りは沿道の声援が素晴らしく、子供たちが大声で励ましてくれます。

「多摩川ー!」「多摩川クラブ、ガンバレー!」と聞こえてきます。
ひでりんの奥さまも、声援を送ってくれました。

35キロ通過 2時間16分31秒 この5キロ 19分45秒。

さあ、ここから勝負だ!、、と、ペースアップしたいとこですが、、。
さすがに両脚重く、ピッチがあがりません。息だけがはあがります。

でも、周囲の別大ランナーがどんどん落ちてきて、ゴボウ抜き状態が始まりました。
次々、天下のランナーを抜いていくことができ、充実感。

周囲はほとんど大幅に、キロ4分以下に落ちてます。
さすがに、たまに高速ランナーが、とてもつけない猛烈スパートで抜いていきますが。

36キロくらいだったか、ひでりんが見えたときは驚きました。
相当脚に来ていて、ほとんどジョッグ状態。
「ファイト!」とコールしましたが、本人は苦笑いしているように見えました。どのような異変が、、?

すなぎもさんも見えてきました。とてもきつそうで、スローモーションのようになっています。
先に出ましたが、いくら抜いていっても、私がビルドアップしていのではなく、周囲が落ちているだけなのです。

ダッシュしているつもりですが、脚重く、ペースは現状維持程度が推察されます。
ラップの変遷からも、45分切りは相当厳しいことが感じられます。

ラスト5キロの表示がきました。2時間25分26秒。

2時間45分を切るためには、残り5キロを19分34秒で走らなければなりません。
30キロペース走の、残り5キロを思い出せば、無理な数値ではないので、あきらめずキックしますが、大きな橋の登りで大幅に失速。
ゴールまで間もないですが、そこで歩いている選手もチラホラ。

40キロ通過 2時間36分27秒 この5キロ 19分56秒。

ここからは何も考えずスパートするのみ。ラスト1キロで凄いスパートかける選手についていきましたが、
100mしかつけず。もっと付けなかったか?執念が足りなかったのでは?

やっと競技場に入り、トラックをダッシュしていると、多くの電光掲示板があり、2時間44分代を表示しています!
そのタイムは、学生時代のスピードだったら、残り距離から見て、2時間45分を切れそうでした。

つまり、、今のスピードでは、もう無理に近いのがわかったのです。

しかし、1秒でも短縮するべく、最後まで腕立て伏せで鍛えた腕を振りたくり、渾身スパート!

42.195キロ 2時間45分11秒でゴール!
(ラスト2.195キロ 8分44秒)

わずか、11秒差で福岡国際参加を逃した残念な気持ちと、練習よりケガの治療ばかりだった1月を回想し、
「俺って結構やれるよな」という、自分を褒める気持ちの複雑な気分でした。

福岡国際参加は、ひでりんもダメだったし、そんなに勝負の女神は甘くなーい。
元々シナリオが贅沢すぎるのです。
3人揃って別府の地を踏めたことでだけで、感謝しなくてはいけません。

また、4分以上のPBなのだから、当然、自分を褒めなければいけないですね。

別大タオルをかけてもらっていると、よーすけが駆け寄ってくれました。
2時間34分18秒が出たとのこと!予想、目標どおり。

よーすけは1年間、この大会のみに絞ってきて、どんどん目標を上方修正してきて、見事達成したのです。
本人はいつも自信に満ちあふれているように見えましたが、いかにプレッシャーだったのでしょうか。
目がうるんでいました。私も一定の達成感があったので、健闘を讃え合い、しばしのハグでした。

ゴールすぐ横、まっきー、山ちゃん、タカちゃん、クロカン、斉藤3世まで、同じところに勢揃いしていました。
暖かいので、しばらく歓談、歓談、歓談。
レース後の交歓が楽しく、冷静にじっくりクールダウンなどしていられません。

タカちゃん、2時間35分29秒。さすがです。失敗がありません。

そして、まっきーと山ちゃんが2時間42分54秒の同タイム。順位は山ちゃんが上でした。
月例ならともかく、別大でそんなおもしろいことになっていたとは!

斉藤3世は、2時間43分17秒。大田原でも一緒でしたが、そのときは47分代。
私とそれ以来そろって、4分短縮したわけです。

クロカン氏は、まっきーと山ちゃんに敗退してしまい、2時間43分57秒。
千葉マリンから不調のようです。

おもしろいもので、出るのではないか?と思われたタイムが、次々出ています。
私も、自分でいけるかもと思っていたタイムエリアに、結果的に収まりました。
(昨年12月は、今回まっきーのタイムが目標だったが、、)

すなぎもさん、マツモトさんも次々ゴール。健闘を讃え合って握手。
すなぎも 2時間46分29秒
マツモト 2時間47分11秒

ひでりんの急ブレーキぶりは心配でしたが、2時間53分51秒で、なんとか完走達成。
本人は、ニコニコさばさばしてやってきました。
別大独特の、速いペースなのに遅く感じる、魔の領域に飲み決まれてしまったようです。

しかし、35キロまでは2時間42分から43分を狙えるペースで走っていたのだから、1月に590キロ走ったという、危ぶまれた疲労は、意外に回復しているようだし、カラダの中に相当の実力が貯金されていると思われます。(私は今回で、昨年12月までの貯金を使い果たした)

12月のタマサブのペース走で競り合った、クラブマイスターの中山さんとも会いました。
私よりわずか4秒遅れ。あいかわらず、実力は拮抗しています。

とにかくこのレースは、集団で走っていて、周囲に力みや無駄があまり感じられず整然としたリズムで淡々と推移して走ることができるので、実に走りやすく、いつのまにやら、いつもより省エネで走れていると思われます。

風や気温などの条件とは別に、全国から集合するストロングランナーに
引っ張ってもらえる効果は大きいです。
その証拠に、全員結果を見て下さい。PBばかり、、。

あくまで噂ですが、、来年の別大マラソンは60回記念大会で、参加資格がサブスリーに緩和されるかもしれないとのことです。
もっと多くのメンバーで参加できたら楽しいですね。(50回大会は3時間が制限タイムだった)


結果
5キロ           19分08秒(グロス) ネット19分00秒
10キロ          38分27秒   (19分19秒)
15キロ          57分40秒  (19分13秒)
20キロ     1時間17分28秒 (19分48秒)
ハーフ     1時間21分49秒
25キロ     1時間37分04秒  (19分36秒)
30キロ     1時間56分46秒  (19分42秒)
35キロ     2時間16分31秒  (19分45秒)
40キロ     2時間36分27秒  (19分56秒)
42.195キロ 2時間45分11秒  (8分44秒)
       ネット2時間45分3秒(自己計測)

305位 (605名出走中)
      完走470名 関門不通過またはリタイヤ135名
前半ハーフ 1時間21分49秒  後半ハーフ 1時間23分22秒

他結果

多摩川クラブ

よーすけ   2時間34分18秒 PB

タカちゃん  2時間35分28秒 PB

山ちゃん   2時間42分54秒 PB

まっきー   2時間42分54秒 PB

クロカン   2時間43分57秒

ヨビリン   2時間45分11秒 PB

すなぎも   2時間46分18秒 PB

ひでりん   2時間53分34秒 PB

多摩川クラブ練習メンバー

斉藤3世   2時間43分17秒 PB

マツモト   2時間47分11秒 PB








競技終了後、バスで大分陸上競技場をあとにして別府駅へ。
まっきーとホテルを移動。

新ホテルで温泉につかり、ロビーでクロカン氏、すなぎもと氏とおち会い、よーすけが調べてくれた打ち上げの割烹居酒屋に。
よーすけ、山ちゃんもすぐ集合。

まっきーが、「今夜は、なんでもありだー!」と宣言。
関さば、関あじ、他刺身類、だんご汁、鳥てん、えびかき揚げ、はもシュウマイなど地元の珍味を、生ビールと大分焼酎で次々と流し込みました。

途中から、すなぎもさんの昔からのラン仲間、こうじさんも合流。(写真左)2時間30分代前半のベストを持っている、茨城の方です。

とにかく、デザート含め、なんでもかんでも注文しまくり、飲みまくり、節制してきたこの一ケ月のストレスを発散しました。

まっきーは昨年末から禁酒、私は禁酒するつもりはなかったのですが、
ケガ治療のために酒は激減させていました。

残念なのは、WiFi電波圏外で、PCから報告カキコができなかったことです。

店が終了して、あとかたずけをする時間までねばって堪能しました。
泥酔に近い状態になり、ホテルで簡単に掲示板にカキコして、満足の眠りにつきました。

翌日は10時までゆっくりして、まっきー、すなぎも、よーすけと、海岸ぞいの「砂湯」へ。温泉湯のしみこんだ砂に埋められ、汗びっしょり。レースの疲れをとりました。

空と海を見ながら、最高の気分でした!

その後「別府地獄めぐり」へ。海地獄、鬼石坊主地獄、山地獄、かまど地獄、鬼山地獄、白池地獄、血の池地獄、龍巻地獄をまわります。

どんなところかは、、興味ある方は来年、行きましょう!

ランチはまたもや、だんご汁や鳥てん定食を取り、レトロな別府タワーに移動して、眺めを楽しみ、最終日の別府観光フィニッシュ。

最高の三日間でした。大人の道楽を堪能させていただきました。


皆さまに心から感謝いたします。


※異例の長文報告となりました。別大マラソンの魅力を多くの方に
 知っていただき、来年はもっと多くのメンバーと参加できればと
 思ったからです。ぜひ、来年、一緒に行きましょう!















     第32回 池上本門寺 花祭り家族健康マラソン大会  


                                   Barrie 梅野





                 1.レースとの出会い



「本門寺を、走るんですか?」

 2001年の秋に突然走ることに目覚めた私は、普通の運動靴で、多摩川大橋やガス橋のあたりをジョギングするのが習慣だった。2002年の1月からは走行距離を記録するようになり、2009年の本門寺マラソンスタート時点で通算7,756kmである。大会出場は90回目。最初にエントリーした大会は本門寺。そのきっかけは、ガス橋のあたりをゆっくりと走っていたときの出来事である。

 大勢の人が、胸に数字が書かれた紙をつけて集まっていて、運動会に使うテントが、ガス橋のたもとに張ってある。看板があるわけでもなく、訳がわからない。先を急ぐでもない私は、様子をうかがった。そのとき、テントの中から声がしたのである。

「選手の方の受け付けは、こちらですよ」

「選手」が私のことだと理解するまで、ちょっと時間がかかった。

「いえ、私は、通りがかりの者ですが、こちらでは今何をしているのですか?」

 今思えばずいぶん間抜けな質問であるが、その方はご丁寧に、これは一般の人が参加するマラソン大会であり、まもなくスタートすることを教えてくれた。オリンピックや福岡国際マラソンのような「選手」が走るレースと、「青梅マラソン」しか知らず、多摩川の河川敷でマラソン大会とは、私の想像をはるかに超えていた。

 もうすぐだというので、スタートを待った。程なくピストルがなる。選手たちは一斉に走り出す。先頭を行く選手たちはジョニーのように速い。その後に続く選手たちも、充分速い。でも、そのあとの選手たちは、そんなに速く見えない。後方は、もう「選手」とはいえないような方々ばかりであった。

「どうすれば、出場できるのですか?」

 私はテントに引き返していた。「次の大会はこちらです」といって1枚の紙を渡してくれた。「第25回池上本門寺花祭り家族健康マラソン」と書いてある。

「本門寺を、走るんですか?」

 こうして人生が変わってしまうのである。2002年の2月か3月の頃。現在は開催されていない大会がガス橋付近であったのだろう。私に声をかけてくださったのは、多摩川クラブの、少しばかり年上の女性だったと思う。

 池上本門寺へは、小さい頃、祖父に連れられて、何度も歩いて行った。決まってくずもちを食べて帰るのだが、そればどうでもいいことで、歩いていくことが私は好きであった。また私は、結婚してからしばらく仲池上に住んでいて、子供たちを連れてよく池上界隈を散歩したものである。そんな街を走るのがとても興味を引いた。

 その頃私には時間が無かった。その年の7月から、単身赴任することが決まっていてとても忙しかった。4月から転勤なのであるが、仕事の引継ぎの関係で3ヶ月延ばして貰っていたのである。日韓共催のワールドカップが終わると、単身赴任である。

 そんな時間がない時期ではあったが、エントリーすると週末に走る時間が長くなった。人間、目標ができると行動が変わってくる。そのころの月間走行距離を調べてみると、

 1月48.7km 2月51.7km 3月96.9km

である。だんだん長く走れるようになって、楽しかった思いがある。いつかは10kmを1時間で走りたいという目標は、あっという間に達成してしまった。

 別の用事ができてしまい、その年の本門寺はDNS。4月の走行距離はわずか30.8kmである。私の大会デビューは単身赴任の直前の父の日に開催されたガス橋マラソンとなった。本門寺デビューは翌年。2003年から連続して出場している大会は、本門寺だけである。








                    2.綱島へ



 本門寺マラソンと同じ日に、横浜ロードレースがある。同日開催はやめてもらいたいと思うのだが、どちらに参加するかで、その人となりがわかるので、それもまた面白い。本門寺に幟を立てるわけには行かないが、樽町公園では2色の幟を立てたいものだ。私が青の幟を2本預かっているので、1本は横浜ロードレース会場へ届けようと思っていた。前日の土曜日に練習会で誰かに預けるのが一番手っ取り早いし、次の手は当日の朝矢口渡駅できやきやさんを待ち伏せすることなのであるが、自分で持って行き、そこから本門寺まで走ってみようと思い立った。

 先週はお花見などでほとんど走らなかったので、今週は少し長く走りたかったのも、思い立った理由である。ジョギングシュミレータというサイトがあり、そこで地図上にマークすると距離が計測できる。綱島から本門寺までは10km。ちょうどいいくらい。電車でのはしごは得意技だが、走っての移動は初めて。不安もあったが、まあなんとかなるだろうと思う。

 多摩川線では、山本ケイイチ著「なぜ仕事ができる人は筋トレをするのか」を読んでいた。

 これからリュックをしょって走ろうと言うのに、本を持っていくのかと疑問に思われるかもしれないが、私は本を持っていないと落ち着かない性分である。ちょっと時間が空いたときに読むものが無いのは不安である。もし電車が止まってしまって閉じ込められたときに、本がないと時間が無駄だ。さすがに古市場へ行くときには持たないが、電車に乗るときは、何かしら読み物を持つ。ランニング大会の時は、内容も重さも軽い書を選んでいる。昔は会場でシートを広げて着替えた後、そこに座って本を読んだりしたが、近頃は多摩川クラブの皆さんとお会いできるので、それはやめるようになった。

 この本は、前日山ちゃんから推薦された朝原宣治著「肉体マネジメント」の巻末に紹介があり、早速購入したもの。実は最近、筋トレを始めたので、興味がある。

 2月18日に大腸ポリープの切除手術を受けたことは前著で述べたとおりであるが、治療後2〜3週間はランニングしないように指導を受けていた。私は医師の指示を忠実に守り、連続25回目となる月例の3kmと5km以外は全く走らなかった。しかし、荒川が迫ってきており、このままでは筋力が落ちると思い、スクワットや腹筋をするようになった。

 後で医師に聞いたところでは、治療後一番いけないのは、下腹部に力を入れるような運動とのことで、スクワットや腹筋をするくらいなら、ジョギングのほうが体に負担はかからない。医師は、私が走ってもよいか質問したので、ランニングはだめと言っただけらしい。そのとき渡された注意書きを再度見ると、お腹に力を入れないようにと書いてあるが、もう後の祭り。結果は良性腫瘍で、今は問題ないので、よしとするしかない。東京マラソンで幟を持って応援していたら、腕が筋肉痛になったので、以後はダンベルまで上げるようになった。風呂上りに鏡に映る自分の肉体を見るのが、ちょっとだけ楽しみになっている。

 筋トレを始めるきっかけは、4パターンあるそうだ。「流行系」、「メタボ系」、「もてたい系」、「コンプレックス系」。我が家にダンベルがあるのは、家内が「流行系」だからであろう。バランスボールは2つもある。私が払い下げを使うのが、我が家の風習である。

 これをランニングにあてはめると、私のランニングのきっかけは、「コンプレックス系」かなと思う。運動が苦手で、虚弱児だったからだ。今走るのは、もちろん「もてたい系」だ。なぜ走るのですかと聞かれて、「走ること自体が楽しい」とか、「自己実現のため」とか、「日常では味わえない達成感を得るため」と答えていたが、最近は「女性にもてたいから」とか、「すてきな中年になりたいから」と言うようになった。走り始めた頃と比較すると、体重は10kg近く、ウエストは8cm近くも戻しており、20代後半から30歳頃の時と同じ体型である。40代の時のスーツは全部着れなくなった。独身時代のもので、いつか息子にあげようと残しておいたスーツを、今私が着ている。そうすると気持ちも独身の頃に戻るようで、独身だった20年前にお会いしたかったなと思う女性が、私のまわりに何人もいる。

 電車には、ランニングシューズを履いた女性が乗っていた。綱島まで一緒だった。気持ちが独身でも行動にでてはいけない。「がんばってね」と声を出さずに挨拶して、改札を出ると、くうパパさんたちが待っていた。本当に幟を持ってきたと驚かれたが、これが私らしさの表現である。

 駅で幟を立て、会場まで歩く。シートを敷き、幟を立てるとこれで私の役目はおしまい。隣でタバコを吸っている女性は、さっきの娘だ。走る前にタバコはやめようよ。軽くストレッチをして、関係者にご挨拶し、9時頃に樽町公園を出発した。








                  3.本門寺へ



 鶴見川の右岸をゆっくり走り始めた。2kmほど進み、橋を渡る。ウインドブレーカーを脱ぎ、上は半そでのTシャツ1枚。今日はe3グリップを握って走っている。あまりグッズにお金をかけないが、これは衝動的に購入してしまった。どんな意味があるのか不明であったが、握って走ってみると、腕ふりが良くなるような感じがする。特にウォーキングの時、効果があるようだ。姿勢が良くなる感触である。

 矢上へ向かい、平間駅を通り、ガス橋へ抜ける。ここまでで6kmほど。日曜日の午前中は、道路がすいていて、歩道を走るのも心地よい。今日は曇り空で湿度が低く、とてもさわやかな気候である。走るには最適。ガス橋を渡って、トイレ休憩。このトイレは、きれいで良い。

 下丸子方面へ向かい、多摩川線を渡る。多摩川線という名前は、いまだになじめない。目黒に行かなくなっても目蒲線のままでよかったのにと、目蒲病院の前で思う。環八を渡り千鳥町へ。池上線を渡る。

 「池上線が走るまちに、あなたは二度とこないのね」

 思わず口ずさむ「池上線」。高校時代がなつかしい。

 私の通っていた都立田園調布高校は、福山雅治で有名な、土曜練習会でも走りに行く「桜坂」の近くにある。高校の運動系クラブでは、新幹線から多摩川大橋までを往復する走りこみをしていた。運動が得意な友人たちでさえ、しんどそうだったのを横目で見ていた私には、新幹線から多摩川大橋までの片道4km、往復8kmの道は果てしなく遠い距離であった。

 2001年暮れのある日の夕方、その距離を走ってみたくなった。目蒲線に乗って沼部まで行き、多摩川の河川敷に出た。そこから、多摩川大橋へ向かってゆっくり走る。ガス橋をこえ、ほどなく多摩川大橋に到着。時間は30分ぐらい。新幹線から多摩川大橋まで走れたことで、高校生時代からのコンプレックスを克服した。このときの感激は一生もの。人生が変わった日であった。

 第2京浜に出る。池上はもうすぐだ。一人でゆっくり走っていたためか、いろいろと思い出したり、懐かしがったりしたが、今日は本門寺マラソンの日。そろそろ集中だ。途中から裏道を走り、小学生の時に立ち寄ったくずもち屋さんのところを左にまがると、そこが本門寺の正門である。階段を上り、山門をくぐると、10時25分頃。前のレースが始まっていた。








                 4.五重塔へむかって



 「ほんとに綱島から来たの?」と、広報部長が笑いながら受付をしてくれた。シートを広げ、ユニホームのランニングシャツにナンバーカードをつける。すぐさま給水のところへ行き、紙コップ拾いを手伝った。

 この五重塔へ向かう通路は、つい先日一人で夜桜を見に来たところである。その日は新入社員の歓迎会。私の部下はこれで17人になった。蒲田の西口で1次会が終わり、皆2次会へ行ったが、私は駅へ戻らず、歩いて帰るといって、皆とは逆方向へ歩き出した。一人でコーヒーを飲み、このまま帰りたくないけど、飲み屋にも行きたくなく、歩いて本門寺へ向かった。途中のコンビニで菊水の一番絞りの缶を買い求めた。

 会社での飲み会は、部下を持つようになってから苦痛になり、今では嫌いである。新入社員の歓迎会をしないわけにはいかないので、やむを得ず開催するが、もう今年はだれかが辞表を出してやめない限り、飲み会はやらない。忘年会すらしない職場として、会社では有名だ。もちろん私がお酒好きなのも有名なので、なんで私の課が飲み会をしないのか不思議なようだ。最近は公式的な飲み会ではなく、帰りに一杯もしない。私のマラソンも有名なので、誘われても、「週末走るので、お酒は控えているのです」といって断る。土曜練習会に参加するようになってからは、金曜日の夜に遅くまで飲むという非生産的なことはしなくなった。反動が多摩川クラブの飲み会に出てしまうようで、こちらは家で指導を受けることが多い。

 五重塔の前の桜は、ライトアップの光で艶やかに浮かびあがっていた。夜桜を見に来る車が多い。それはきまって高齢者であって、少々足が不自由なようである。夜なら桜の真下に車をとめて、ゆっくり見ていられるからなのか、ひっきりなしに来る。明日は母を車椅子に乗せて、ガス橋の桜を見に行くことになっているのを思い出す。ジョギングしている人も多い。アベックばかりだったらという心配は無用であった。花見で一杯。菊水はいつも確かな味がする。

 今日は、ランナーで一杯だ。法事で線香と塔婆を持つ方々には、「ご迷惑をおかけします」と言ってお詫びする。紙コップの水を一杯もらい、スタートの準備に入った。第1列中央にジョニーとあきら。その後ろにエリマキさんが並ぶ。エリマキさんから右隣に一人おいて、ときさん、その隣が私バリーである。体調が今ひとつのワカさんは、遠慮がちに後方にいる。

 ときさんは、いつも私を牽制する。

「本番は来週だから、今日は1周11分で走って、55分が目標なの」

「いつもそうおっしゃて、実際は速いじゃないですか。それに、ここはときさん得意の坂道だし」

「さっき1周走ってみたけど、ここの坂道は短すぎるわ」

「え?」

「あの下り坂がもっと長ければ誰にも負けないんだけど、短すぎてスピードが出る前に坂がおわっちゃうのよ」

「ぼくは、ここの下り坂は、怖くて、恐る恐るしか降りれませんよ」

「まあ、私は、今日はゆっくりいくわ。家族が五重塔の前で応援してくれてるの」

前方を見ると、それらしき方々が、五重塔の前に整列している。

「ぼくは、今日は50分が目標です。ここでは、いままで50分切れたことがないんです」

 内心、50分は楽勝と思っている。途中で足をくじくとか、自転車と激突するなどの事故さえなければ、今の状態からすれば、問題なく走れるだろう。今日は、充分すぎるほどアップをしたし、暑いくらいだから、スタートから飛ばすつもりである。ジョニーやあきらのようにはいかなくとも、スタートダッシュでときさんを振り切ってしまう作戦である。










                   5.坂道を5回



 どん、どん、どん。

 いつもは慎重にスタートするが、今日は2列目だ。いきなりダッシュした。だが、ときさんが前にいる。五重塔では2mぐらい離された。ときさんはご家族の前を軽快に飛ばしていく。右に曲がって次は左に。苦手の下り坂に近づく。自分もかなり速いペースだが、あっという間にときさんは消えていった。

 1kmほど先、平地の部分でやっと見えてくる。

「ときさん、やっぱり坂道は速いですよ」

 そう話しかけて、一気に抜き去った。この先の平地と上り坂なら、追いつかれることはないだろう。それにしても恐るべき72歳。夏のスキー場で一気に急斜面を駆け下りる大会があれば、優勝間違い無しだ。

 コース整理の組長の前を通り過ぎ、上りの急斜面が近づいてきた。年に5回駆け上がるこの坂が楽しみ。ここを登るために、腹筋をしてきたのだ。

 軽い。すっと体が上がる。

 快調に、1回目の坂を通過した。

 次の難所は、砂利道である。これはもう、勢いで通過するしかない。両側から「バリーさん」の大合唱。大勢の方から声援をいただいた。これだから、やめられないんだよね。バリーというハンドルネームは、すっかり定着した。由来を知らない人も多くなってきた。

 左に曲がって給水。勢いよく左手で紙コップを取り、つぶして飲んで捨てる。Shimaちゃんに見せたいね。

 1周目は9分19秒。ちょっと速すぎ。

 すぐに2回目の坂道がきた。勢い良く坂を駆け上がる。左に曲がってもう一度左に曲がると、また登り坂だ。ここの坂が意外とつらい。急ではないが、波があって、じわっと襲ってくる。

 「バリーさん上位ですよ。いいペース。」

 山ちゃんの声援を受ける。一番きついところで声をかけてくれた。それにしても、「上位ですよ」とは。順位は関係ないが、前のほうを走っているようだ。

 砂利道と声援を抜けると、2回目の給水。

 「バリーさん」

 ちょっと低めの黄色い声援は、ちえちゃんだった。振り返ろうとして、よろめいてしまった。ちえちゃんとは、先日の土練の帰りに、第2京浜で出会った。反対車線から手を振ってくれた。

 よしもとばななさんの作で「チエちゃんと私」という物語がある。あるとき電車に乗っていて、隣の人の本を横目で盗み読みすると、主人公がジョギングする場面のすてきな描写があり、よしもとばななさんと出会った。それが「キッチン」で、以後何冊か読んでいる。私の中のチエちゃんは、多摩川クラブのちえちゃん。はたしてどんな物語だろうか。

 2周めのラップは9分50秒。ちょうど良いペースになった。

 3周目に入ると、かなりばらけてきた。中間部分の平地のところで、最後尾に追いつく。今日も後走はOhira君だ。ずいぶんやせた、というか元の体型に戻っている。彼とは、安方中学時代の同級生である。2003年10月こどもの国で偶然お会いし、それ以後何度かレースで会い、その度ごとに多摩川クラブに誘っていただいた。今の私があるのは彼のおかげである。

 後走を周回遅れにして少し進むと、私の会社の人に追いつく。内部監査室という、何が仕事なのか良くわからない部署の方である。もともとは人事関係の職場にいた方であり、当社のランニングサークルに所属している。そのサークルでは毎年横浜マラソンにそろって出場しており、私も誘われる。ほとんどの方が先輩だ。打ち上げは中華街で、こちらもお誘いがあるが、今は多摩川クラブの仲間と過ごすほうを選んでいる。昨年の横浜マラソン10kmのタイムは、会社のなかでは私が1位だった。多摩川クラブでは遅い部類であるが、ごく一般の週末おじさんランナーの中では、私は速いのである。

 私はランニングで精神修行をする会社に入った。新入社員研修は津久井浜の寮で行ない、毎朝三浦海岸を走る。工場実習では、毎朝6時半にラジオ体操をして道路を4km走った。指導員の方が、仕事中にいきなり「今日は山を走る」といいだし、山道を10km走って登ったこともある。研修や工場実習などのときは、必ず運動靴と体操服を持参するよう、人事部から指導されていた。

 今なら、なんてすばらしい会社なのだと思うところだが、当時はひどい会社に入ってしまったとずいぶん後悔した。数年でやめようと思っていたが、二度に渡る希望退職もくぐり抜け、いまでもその会社に勤めている。

 考え事をしているうちに3回目の坂を通過。昨日土練で初めてお会いしたサイトウさんから声援を受ける。砂利道にもどる。周回コースは、何度も応援してもらえてよい。

 ラップタイムは9分48秒。正確にペースを刻んでいる。

 4周目。まだまだ余裕がある。急な下り坂は、相変わらずおそるおそるだが、左に曲がった後のゆるい下りで少しペースをあげる。股関節がすっと開き、体が宙に浮く。

 ラップタイムは9分24秒。

 最後の給水も素速く取り、ファイナルラップに入る。ここからは、さらにペースアップだ。

 ますます快調になる。急な坂に入る。これで坂道が最後と思うと寂しい。最後も一気に駆け上がる。さすがにきつい。ちょうど力を出し切った感じだ。ゴール手前では、またしても大声援を受ける。私の前は女性。広報部長がカメラを構えているので、ポーズをとった。広報部長は女性にむけてシャッターを切る。私の写真は残らなかった。



      ラップタイムは9分08秒。ゴールタイムは47分30秒。
                   

 10kmとしては生涯で3番目に良い。本門寺でのベストタイムで走りきった。

                     










                    6.出会い



 記録証の発行は、何かトラブルがあるようだった。たかだかこの規模の大会で、トラブルとは情けないと思いながらよく見ると、順位が29だ。やりましたね。順位は関係ないと言っても「かけっこ」なのだから、上位は嬉しい。その記録証を片手に皆さんのいる最後の直線へいくと、エリマキさんがゴールするところであった。エリマキさんも、私のライバルである。

 新春マラソン30kmは、折り返しまでお話しながら並走した。青梅マラソン30kmでは、折り返しの手前で彼女に追いつき、しばらくの間は抜きつ抜かれつであった。エリマキさんは下り坂が速く、折り返したあと離されたが、その後の上り坂で再度抜きかえした。荒川フルでは、折り返してくるエリマキさんを見つけ、必死に追い上げ40kmでとらえ、彼女の直後から猛然とラストスパート。勢いをつけて抜き去ってフィニッシュした。そのままフィニッシュラインにとどまり、すぐ後にゴールしたエリマキさんに握手を求めた。私の目標は「すてきな中年」であったが、彼女が「ワイナイナみたいだった」と皆に話してくれたのが、このときのことである。

 お守りをいただき、シートに戻る。わだっちが呼びに来て、皆で記念写真を何枚もとった後も、まだ私の会社の人は走り続けていた。皆さんは先に食事に行ったが私は残り、最後にエリマキさんとかすみがうらでの健闘を誓い合い、帰途についた。



 初めて本門寺を走ったときはOhira君だけが知り合いだった。今は沢山の老若男女の方々とお友達だ。みんなとのつながりが、このクラブで得た最大の財産。それは、見ず知らずの私に、

       「選手の方の受け付けは、こちらですよ」

と声をかけてくださった方との出会いから始まったのだった。


その方とはどこかで再会していると思う。でも、どなたか、今でもわからない・・・







                            完















2009年 大会結果総集編   made by akira



           【5km男子】



位 HN   タイム(G)  開催日      大会名


1 Fヒロシ  0:15:58  2009/10/25 第202回日本体育大学長距離競技会

2 よーすけ  0:16:07  2009/10/10 H21.10.10等々力記録会

3 ラオウ   0:16:20  2009/2/15  第18回上里町乾武マラソン

4 わだっち  0:16:21  2009/9/5    第4回横浜市記録会(ナイター陸上)

5 クララ   0:16:32  2009/11/8   第203回日本体育大学長距離競技会

6 さんちゃん 0:16:35  2009/11/29  第405回月例川崎

7 きやきや  0:16:39  2009/11/8   第203回日本体育大学長距離競技会

8 たかちゃん 0:16:41  2009/5/30   第26回湘南陸上競技大会

9 ロンブー  0:16:43  2009/11/3   平成21年度横須賀市秋季記録会

10クロカン  0:16:51  2009/5/31   第121回東海大学長距離記録会

11ジョニー  0:17:03  2009/10/10  H21.10.10等々力記録会

12なおと   0:17:06  2009/4/29   第21回横浜駅伝

13ひでりん  0:17:37  2009/10/10  H21.10.10等々力記録会

14あきら   0:17:38  2009/2/21   H21.2.21等々力記録会

15モロハシ  0:17:40  2009/12/13  H21.12.13等々力記録会

16マディー  0:17:43  2009/10/10  H21.10.10等々力記録会

17王子    0:17:50  2009/10/10  H21.10.10等々力記録会

18タマ蔵   0:17:59  2009/3/15   H21.3.15等々力記録会

18タコナカ  0:17:59  2009/5/24   第38回皇居周回全国OB・OG同好者駅伝

20ホンナマ  0:18:04  2009/2/22   第396回月例川崎







           
5km女子】


位 HN   タイム(G)  開催日    大会名


1 みゆき   0:21:39  2009/7/19   第11回ナイター陸上競技大会

2 ホッシャン 0:22:29  2009/2/22   第396回月例川崎

3 ラケル   0:23:40  2009/9/27   第403回月例川崎

4 トキ    0:23:47  2009/7/26   第401回月例川崎

5 理科    0:24:14  2009/4/29   第21回横浜駅伝








           
【10km男子】


位 HN   タイム(G)  開催日     大会名


1 わだっち  0:33:44  2009/12/24  アトミクラブ記録会

2 さんちゃん 0:33:59  2009/4/29   第21回横浜駅伝

3 たかちゃん 0:34:20  2009/12/24  アトミクラブ記録会

4 Fヒロシ  0:34:23  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

5 クララ   0:34:27  2009/5/29   第3回葛西臨海公園ナイトマラソン

6 ロンブー  0:34:32  2009/12/20  第58回大田区ロードレース

7 きやきや  0:35:08  2009/11/22  第34回よこすかシーサイドマラソン

8 クロカン  0:35:30  2009/1/25   第395回月例川崎

9 王子    0:35:37  2009/4/12   第27回横浜ロードレース大会

10あきら   0:35:47  2009/1/25   第395回月例川崎

11よーすけ  0:36:03  2009/7/5    H21.7合同練習記録会

12ジョニー  0:36:16  2009/11/29  第405回月例川崎

13ラオウ   0:36:24  2009/2/22   第396回月例川崎

14なおと   0:36:40  2009/3/29   第397回月例川崎

15カイト   0:36:45  2009/12/20  第406回月例川崎

16タマ蔵   0:36:54  2009/3/8    第28回立川・昭島マラソン

17タコナカ  0:37:01  2009/4/29   第21回横浜駅伝

18ホンナマ  0:37:28  2009/10/25  第404回月例川崎

19ひでりん  0:37:35  2009/6/14   第11回関東マスターズロード選手権大会

20くうパパ  0:38:19  2009/6/28   第400回月例川崎








                
           
【10km女子】



位 HN   タイム(G)  開催日     大会名

1 みゆき   0:45:02  2009/3/15   H21.3合同練習記録会

2 shima    0:47:19  2009/12/6   第36回中原区民多摩川ロードレース

3 ホッシャン 0:48:21  2009/2/22   第396回月例川崎

4 えりまき  0:48:25  2009/3/29   第397回月例川崎

5 トキ    0:48:46  2009/1/25   第395回月例川崎








           
【ハーフ男子】



位 HN   タイム(G)  開催日     大会名


1 よーすけ  1:12:41  2009/11/29  第29回横浜マラソン

2 わだっち  1:13:29  2009/11/15  第22回2009上尾シティマラソン

3 たかちゃん 1:14:01  2009/3/8    第28回立川・昭島マラソン

4 Fヒロシ  1:14:29  2009/11/29  第29回横浜マラソン

5 ロンブー  1:15:41  2009/11/29  第29回横浜マラソン

6 さんちゃん 1:16:00  2009/10/25  第30回三浦弥平杯伊達市梁川ロードレース

7 クララ   1:16:24  2009/1/18   第33回サンスポ千葉マリンマラソン

8 クロカン  1:17:52  2009/10/25  第15回手賀沼エコマラソン

9 ヨビリン  1:18:34  2009/10/25  第15回手賀沼エコマラソン

10あきら   1:18:52  2009/1/18   第33回サンスポ千葉マリンマラソン

11なごやん  1:19:36  2009/11/23  2009名古屋シティマラソン

12きやきや  1:19:38  2009/11/29  第29回横浜マラソン

13ひでりん  1:19:51  2009/11/29 第31回丹沢湖マラソン

14王子    1:20:07  2009/11/8   第28回ねりま光が丘ロードレース・ハーフ

15まっきー  1:21:04  2009/10/25  第15回手賀沼エコマラソン

16タコナカ  1:21:11  2009/10/25  第15回手賀沼エコマラソン

17くうパパ  1:21:21  2009/1/18   第33回サンスポ千葉マリンマラソン

17ジョニー  1:21:21  2009/3/8    2009川崎ハーフマラソン大会

19タマ蔵   1:22:03  2009/2/1    第25回守谷ハーフマラソン

20なおと   1:23:47  2009/11/1   第8回尚巴志ハーフマラソン











           
【ハーフ女子】



位 HN   タイム(G)  開催日     大会名


1 ヤマちゃん 1:19:37  2009/11/29  第29回横浜マラソン

2 エーコ   1:31:47  2009/11/22  2009神戸全日本女子ハーフマラソン

3 みゆき   1:43:25  2009/10/25  第15回手賀沼エコマラソン

4 パティ   1:45:01  2009/12/6   第5回はだの丹沢水無川マラソン

5 ホッシャン 1:45:43  2009/11/15  2009川崎国際多摩川マラソンin川崎











           
【フル男子】


位 HN   タイム(G)  開催日     大会名


1 たかちゃん 2:35:47  2009/12/6   第63回福岡国際マラソン選手権大会

2 ロンブー  2:38:42  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

3 クロカン  2:46:41  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

4 ひでりん  2:46:48  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

5 王子    2:47:30  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

6 まっきー  2:48:25  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

7 よーすけ  2:48:36  2009/3/22   第3回東京マラソン

8 なおと   2:49:46  2009/12/6   第25回NAHAマラソン

9 ヨビリン  2:49:56  2009/11/23  第22回大田原マラソン

10さんちゃん 2:49:59  2009/4/19   第19回かすみがうらマラソン

11ジョニー  2:53:24  2009/3/15   第13回東京シティマラソン・RUN&WALK

12タマ蔵   2:55:46  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

13ヤマドリ  2:58:26  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

14イツキパパ 2:59:03  2009/2/1    第14回紀州口熊野マラソン

15あきら   3:00:08  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

16タコナカ  3:03:08  2009/3/29   第28回佐倉朝日健康マラソン

17tanabo   3:05:49  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

18ホンナマ  3:06:33  2009/3/22   第3回東京マラソン

19たるG   3:12:09  2009/3/15   第12回東京・荒川市民マラソンinITABASHI

20TAKE    3:12:20  2009/12/6   第25回NAHAマラソン










         
  【フル女子】


位 HN   タイム(G)  開催日      大会名


1 ヤマちゃん 2:45:00  2009/12/13  第23回国際青島太平洋マラソン

2 Y口    3:07:05  2009/3/8    第30回名古屋国際女子マラソン大会

3 エーコ   3:19:47  2009/3/1    第29回篠山ABCマラソン

4 みゆき   3:31:19  2009/11/22  エコシティ 第29回つくばマラソン

5 ホッシャン 3:43:29  2009/11/8   第4回湘南国際フルマラソン








            
100km男子】



位 HN   タイム(G)  開催日        大会名


1 ロンブー  7:53:19  2009/6/28   第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン

2 まっきー  9:26:37  2009/6/28   第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン

3 ヨビリン  9:39:56  2009/6/28   第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン

4 ジョー   9:51:15  2009/6/28   第24回サロマ湖100kmウルトラマラソン

5 サイトウ  13:26:25  2009/4/26   19thチャレンジ富士五湖


























平成21年 12月 6日(日)  第63回 福岡国際マラソン





                    
多摩川クラブ   たかちゃん





今年もやってきた檜舞台、福岡国際。


例年は本番前に一度はフルのレースを走っておくのだが、今年は走らずに福岡に集中した。

それゆえに距離に対する不安と気象条件が非常に気なったが、10月の走りこみとヨビリンさんの30kmペース走2回、40kmJOGで大丈夫だと自分に言い聞かせ、天気も曇りときどき晴れ、気温10度前後と、風が気になるものの幸いにも好条件となった。



やはり前年に一度出場していると言うのは強みだ。
前日受付をするとたらふくご飯を食べ、ゆったりと過ごす。当日は8時にゆっくりと朝食。

10時に現地へと向かい、知り合いと声をかけたりしながら、リラックスしてスタートラインに立った。

今年はいけるところまでキロ3分40秒で行くつもりで、最後まで行けば35分を切れる。どこまでいけるか自分でも楽しみである。


今年の大濠公園は例年以上に大混雑だ。

過去最高の出場者数だったがペース的にはすぐ落ち着いたので、しばらくは足を蹴ったり蹴られたり肘がぶつかったりするものの、それは致し方ないこととして気にはしない。

それよりも1kmのラップが気になる。

昨年は1km通過4分20秒、2km通過が3分30秒くらいであった。
間違いなく距離表示がおかしかったと思う(笑)。

今年の1kmはどうか、、、3分46秒。
微妙だ、、距離表示が正しいのなら遅れているし、正しくないのなら速いのか?
仕方ない、2km地点で判断しよう。

さぁ、2km、、、あれー、見過ごしたー!いつの間にか時計は4分を越えている。
まだかなりの団子状態なので見逃すのも仕方ないことかもしれない。

大濠公園を出て3km地点で判断、、、7分25秒。平均すると3分42,3秒。
やばい、これは距離表示は正しいとみるべき。もう10秒くらい遅れている。



だが、焦って取り返しはしない。とにかく目標ペースに戻すのだ。
4km3分39秒、5km3分39秒。よし、このペースで行くぞ。

練習会でもよく一緒になるSさんがすぐ横に来たので、何だかペース走のような感覚で距離を踏んでいく。

6km3分39秒、7km3分39秒、8km3分39秒、9km3分39秒、10km3分43秒、11km3分39秒、、、いや恐ろしい(笑)。

その後も坂などでは若干遅くなるものの、ほぼイーブンを刻む。


12km3分31秒や17km3分33秒、18km3分52秒は距離表示がおかしいと思うが、
集団のペースが落ちたと見るや一人でひっぱり、集団が追いついてくると2番手に下がり、なかなかいいペースメークができた。
             

20km3分47秒、21kmで3分43秒で、もはやこれまでかと思ったが余力がないわけじゃない。
ハーフ通過が自分の時計で1時間17分47秒くらい。17秒ほど借金している。ここから挽回できるかどうか。

15kmあたりからはゼッケン399の外人さんが集団の先頭を引っ張っていて、ハーフを過ぎてからもぐいぐい引っ張っていく。

ようし、あんたと心中するからいい調子で連れて行ってくれよ。
25kmを過ぎると32km手前まで直線の道が続き、次第に飽きてくる。
    
うー、我慢だ我慢。ここでついていかないとずるずる落ちるだけになる。
26km3分52秒、27km3分28秒、あきらかにおかしい距離表示(笑)。福岡でもこんなことはあるのだ。


折り返しのトップ争いを見るのを楽しみに進んでいたが、ちょうどこちらが給水のときにすれ違う。

くそー、なんてこった。見損ねた。でもモグスはいなかったような?
     
何とか31kmを過ぎて折り返し、すぐ給水そして32km地点だ。ようし、ラスト10kmここからだ。

すっと、集団の先頭に立ち、若干ペースを上げる。すると、右足ふくらはぎが急に痛み出した。攣る前兆である。


様子をみながらなんとか踏ん張る。集団は少しずつ後退しだした。
ゼッケン354の選手が飛び出していく。ついていかなくては!粘ってついていく。

帰りも長い一本道。集団はないが前にはぽつぽつとランナーがいる。一人ずつ一人ずつ捉えていく。

35km地点。ついにゼッケン354の選手についていけなくなった。一番きついところで一人となる。

前を見据える。

ランナーは一本の帯のように前に続いており、なんともいえない光景に胸が熱くなる。みんなもがきながら前へ前へと距離を勝ち取っていく。

あと7kmで福岡も終わってしまうのだ。ここで頑張らないでいつ頑張るのか!


福岡の声援はすばらしい。
とくに子供たちはあらん限りの力で叫んでくれる。

みっともない姿を見せるわけにはいかない。
外は整然と内は持てる力を総動員して推進力へと変える。

41km地点ついに競技場前の大通りに出る。
スパートしてるつもりなのにちっともスピードが出ない。


粘り倒して最後の坂を上り、競技場へ。

トラックにつくと2時間33分から34分に変わろうとしているところであった。
あと一周と100m、、、35分切りは無理か。


ラスト1周の間にもう一人抜きゴール!



            タイム2時間35分47秒。




35分切りは達成できなかったものの、自己ベストを3分40秒ほど更新する。
ほっと安堵すると共に、あのふくらはぎの痛みさえでなければという思いも去来する。


しかし、それもまた自分のせいである。また次回につなげればいいだけのこと。
今日走った選手、コース、声援をくれた沿道の方々、一緒に練習をしてきた仲間、全てに感謝したくなった。




            また、ここに戻ってこよう。

            そう思える大会でした。




多摩川クラブの皆さんにも御礼申し上げます。ありがとうございました。







 以下ラップタイムです。


5km    
18:30

10km   
18:20(36:50)

15km   
18:18(55:08)

20km   
18:31(1:13:39)


ハーフ  
 1:17:43


25km   
18:24(1:32:03)

30km   
18:29(1:50:32)

35km   
18:22(2:08:54)

40km   
18:41(2:27:35)

ゴール  
8:12


     
2:35:47























 平成21年 11月29日(日)  第29回 横浜マラソン






 
         
                        









後続を5分以上も引き離し、登録ハーフ女子の大会記録を塗り替えた山田は「地元開催で前から狙っていた大会。初めての参加で優勝できてうれしい。」と喜びを素直に表現した。

レースは男子の集団に交じって独走状態。「調子はすごく良くて、ペースダウンすることなく安定した走りができた。」1キロごとの表示が励みになった。

今年最大の目標である来月の国際青島太平洋マラソン(宮崎)へ向け、強化を兼ねた大会参加だった。「いい走りができれば結果につながると思っていただけで、大会記録は意識していなかった。」表彰式で更新を知ったほど無欲だった。

鶴見養護で教える傍ら、平日は10〜15キロをジョギングし、週末はスピード重視の練習や長くて30kmの距離練習を重ねる。数ヶ月前から多摩川クラブの練習会にも参加。男子と競い合うことでレベルアップを図ってきた。


七里ガ浜高で始めた陸上は、日体大2年からフルマラソンに挑戦。実業団時代に
2時間32分37秒を記録した実力派でもある。37歳になった現在は「精神的に成長したせいか、記録の浮き沈みがなくなった」と走る気持ちの良さ、達成感を心の底から楽しんでいる。


2週間後の宮崎で、
「2時間50分を切りたい」が次の目標だ

                              11月30日付 神奈川新聞から(写真・記事とも)








             第29回 横浜マラソン 登録ハーフの部  RESULT


登録ハーフ男子 所属 記録 登録ハーフ女子 所属 記録
富張 裕紀 横浜市陸協 1:08:08 山田 佐知恵 横浜市陸協 1:19:37
高塚 直樹 創価大 1:09:03 三沢 明子 横浜市陸協 1:24:41
大橋 智行 システムプロ 1:09:53 橋本 晴子 横浜市陸協 1:24:59
木村 充 横浜市陸協 1:10:29 片桐 幸那 山梨学院短大 1:25:12
村井 佳介 新潟信用金庫 1:10:55 大谷 祐美 東京陸協 1:25:21
藤井 翔太 作・AC北海道 1:11:38 絵野澤 恵 横浜PMクラブ 1:28:29
新居田 晃史 DRAC 1:11:54 徳野 明子 横浜市陸協 1:28:57
川村 庸介 多摩川クラブ 1:12:41 松井 優帆 NTTD−I 1:30:54
村田 博 不忍池AC 1:14:29 沼澤 里日 南蛮連合 1:31:27
新妻 拓弥 ENEOS 1:14:45 津留 由起子 東京陸協 1:32:01

                                            ※ 所属は神奈川新聞掲載による


登録ハーフ男子 記録
12位 古北 隆久 1:15:41
16位 下島 千明 1:17:03
31位 木屋村 守 1:19:38


一般ハーフ男子 記録
3位 高瀬 和明 1:14:35















平成21年 11月23日(月・祝)第22回 大田原マラソン




                              多摩川クラブ  チャレンジャー ヨビ 






つくば翌日、ヒデリンが帯同してくれた23日の大田原マラソン。

日差しがとても強くてちょっと暑く、風があり、ひど過ぎないが、良好でもない普通のコンデションでした。

この2週間、ポイント練習では非常に不調で、自信がまったくわいて来ませんでしたが、
トレーニングでいつも同等に競り合っている、マッキー、ヒデリンのタイムからすると、
絶対同等記録は出る、と信じてチャレンジするしかありません。

なにせ、チャレンジャー・ヨビですから!

スタート前、ノジさん、村上さんと合流。
スタートラインでホンナマさんと合流しました。
ジョーさんとは会えずじまい。



            ラップタイム

 19分45秒

 19分45秒

 20分30秒

 20分20秒  20キロ 1時間20分20秒  
ハーフ 1時間24分26秒

 19分43秒

 19分42秒  30キロ 1時間59分45秒

 19分55秒

 21分09秒  40キロ 2時間40分49秒

  9分6秒               
後半ハーフ1時間25分29秒



ネット結果 2時間49分55秒

グロス結果 2時間49分56秒




距離表示が5キロごとしかなく、10キロ地点を過ぎたところで、「この当たりから調子が出て、ペースアップしがちになる。
押さえよう、押さえよう。楽に、楽に」
と、楽に走ることを言い聞かせ過ぎた結果、5キロラップが急降下。20分30秒。まずい。

1キロごとのチエックができないハンデが、もろに響きます。

人間の脳は楽を選ぶもの。一度楽な走りを選んだ脳は、なかなか回復せず、次のラップも落ちたまま。金縛り的になってペースアップできません。


20キロ地点で50分切り達成が危機に瀕したことに愕然。大あわて。
大苦戦の原因に。

心拍数は30キロまであげない作戦でしたが、そんな事は言っていられない事態に。
吹きさらす向かい風などものともせず、ヤケクソでペースアップ。
19分台を3回連続で刻み、35キロ時点で、50分切り可能のラップに戻しました。


しかし、いきなり心拍数をあげてラップをあげ、20キロ地点から力みまくって単独で孤立して、ずっとペースを作ってきたのが響き、35キロから脚がなくなり急降下。両足がセメント状態に。

厳しい厳しい、格闘のようなラスト7キロとなりました。

まったく余裕のない、1秒もおろそかにできない現実に、逃げ出したくもなりました。

50分切りなど目指してなければ、こんなに苦しまなくてもすむのに、などと恨めしく思いながら、すべての力を絞りだそうともがきまくります。


残り2キロではヒデリンの声援に助けられ、あきらめない心、折れない心を保ち、ラスト100m、「シャー!」と手のひらを鼻まで振り上げ、顔を醜くゆがめて猛ダッシュ!



2時間49分56秒と、50分切り確認の瞬間は、感無量としかいいようがありませんでした。


調度1年前の多摩川フルでの、2時間59分59秒を思い出しましたが、意義は比較になりません。

この冬、何度もトライして敗退したPBはあっさり更新できましたが、やっぱりこれまでのトレーニングは甘かったし、レース前の調整方法は誤ってました。


これも多摩川クラブの素晴しいトレーニング環境や、ヤマちゃんなどの経験者からのアドバイスのおかげで、とても感謝です。

改めて思いましたが、最後まで秒を争うレースほど、レース中楽しくないレースはありません。漠然としたPB達成目標とは、プレッシャーが根本的に違います。


なにせ、チャレンジ。チャレンジは戦いなんですね。
そこにファンランの概念などなく、達成の充実感だけがモチベーションになるんですね。

一ヶ月前、オクランの終盤、手賀沼ハーフのタイムを持久係数なるもので計算すると、フルマラソンの予想タイムが2時間51分と計算されました。


1分足りない!

チャレンジしがいがあるじゃないかと、マッキー、元々50分切り宣言をしていたヒデリンに、オクラン掲示板で一緒にやろうと呼びかけて、一ヶ月に渡りチャレンジしてきたわけですが、とりあえず一段落。ヨビリンに戻ります。


タカちゃん、ヨースケ、わだっち、山ちゃん、クロカンなど他(?)に加え、冷や水ハナの中年トリオも資格にまぜていただけることになりましたが、50歳の爺いでもやれるんだと、発奮していただければ幸いです。(ロンブーも出ようよ)

これからハーフでチャレンジされる方もいるかと思います。頑張ってください。


ちなみにエイジシュートのですが、私が50歳で2時間49分、マッキーが49歳で2時間48分、ヒデリンが47歳で2時間46分と、3名揃って1年ずつ潜って余裕で2時間代エイジシュートを達成できたのもうれしいことでした。

今までは2時間台ではジョニーさんしか知りません。

4時間切り、半切り、サブスリーなどの目標目安がありますが、ぜひ4時間代エイジシュート、3時間代エイジシュート、2時間代エイジシュートなども目標に加えていただければと思います。


つけたしのようになりましたが、ノジさんは15分短縮のPB。(本人は不満)
ホンナマさんは大異変の絶不調でしたが、根性の完走を果たしました。

ヒデリン、村上さんあわせ、私の車で5人で帰京。
色々おしゃべりさせていただき、おかげさまで眠くならず安全に運転できました。




          どうもありがとうございました。












平成21年 11月22日(日)第29回 つくばマラソン





                                       多摩川クラブ   ひでりん





22日(日)つくばマラソンに出場しました。あずさ2号返上を宣言していた大会なので気合を入れて臨みました。曇り、一時雨、気温は10度以下と絶好のコンディション。


序盤から快調。5Kは
19'26。今回はあくまでも2時間50分を切ることが目標なので、慎重に5K19"50ペースぐらいまで落として、30K通過。

この時点で足の疲労感はほとんどなく、呼吸も楽。この時点(残り12K)で50分切は確信、あずさ2号の称号ともあと12Kでお別れかと思うとちょっとセンチな気分になりました。


30Kから多少ペースアップ。33K地点でラケルさんの声援にも笑顔で応える余裕(^^)。

さずがに疲労が見え始めた38K地点でヨビリンさんの声援受け、気合を入れ直す。


39K地点の折り返しコーンを回ったところで、クロカンさんによく似た人が目の前に。

まさかクロカンさんが、こんな位置を走っている訳ないと思いつつ、横に並んで顔をのぞき込んだら、間違いなく本人。

かなりバテている様子。並走することなく、スーっと抜く瞬間、嬉しさのあまり「やったー、今日は僕の勝ちだ!」みたいなセリフを本人にも聞こえる声で言ってしまった(この言葉が最後に災いする)。


クロカンさんは、ついて来れないだろうと安心(慢心?)し、撮影ポイントでピースサインする余裕。40KすぎでFヒロシさんの声援も受け、少しでもクロカンとの差を広げておこうと、出力全開。いよいよ競技場に入って残り300m。ここで思わぬ展開が。。


なんと、クロカンさんがすぐ後ろに迫っており、残り200mであっと言う間に抜かれた。クロカンさんの猛スピードに追従できる訳なく、あえなく敗退。


レース後、クロカンさんとの話をした際「ヒデリンのあの一言で火がついた」と言われてしまった。クロカンさんを甘く見過ぎてしまった自分の慢心を反省。


それでも、私のゴールタイムは
2時間46分48秒。タイムには大満足。


50分切を宣言していた、まっきーさん、よびりんさんともどもめでたく宣言通りに50分切ができたし、エージシューティング(私は47才なので、47分切)もできたので、満足度は98点。


最後、クロカンさんに抜かれなければ100点だったのに(悔しいーー)。

次は必ず勝たせてもらいますよ。今度抜く時は無言でね(フフフッ)。















平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン







                             多摩川クラブ     ヤマちゃん 




レースは、ヨビリンさんの記載通り、最初から、ドンドン飛ばしていきました。
レースだと、結構、ハイテンションになり、最初から、飛ばしてしまうんです。


しかし、ちょっと、オーバーペースがたたり、半ば、ペースダウンしてしまいました。
そして、ゴールを意識できる距離となった13km過ぎくらいから、再度復活できました。


後半に、がんばれるのは、やはり、ウルトラで鍛えたスタミナのおかげかなと思います。


多摩川クラブに出会えて、本当に良かったと思っています。
一人で走っていたときより、ずっと、モチベーションも上がったし練習の質も上がり!!


そして、良きライバル達(笑)に囲まれ、幸せです!
これからも、どんどん、「オナゴなどには負けられん!」パワーで、これからも、一緒に走ってくださいね。



最後に、荒木夫妻の豚汁、おいしかったです。
寒い中、ありがとうございました。













平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン



                                    多摩川クラブ    ヨビリン






レーススタートは、第一ブロックに、私、あずさ1号、タコナカ、マッキーなどオヤジ4人衆が、ヤマちゃんを囲むように陣取り、少し前にマッハ、クロカン、ロンブーなど強者が見えます。少し後ろにきやきや。


スタート後、驚愕!


ヤマちゃんのダッシュの凄まじいこと。ゴムまりのように軽やかに、はずむようなテンポで、コースの空いた横の端から、どんどん先行の野郎どもを抜いていきます。
とても背後にぴったりつけるペースではありません。


古武士の風格を持つ、
タコナカ、あずさ1号の両名は、「オナゴなどには負けられん!」
と追いかけ、両斜め後方でしっかりマーク。

私は、
両オヤジのマークを約20m後方から見物するような形となりましたが、
オーバーペースが怖く、すぐ背後にはつけなかったのが本当のとこ。

さらに後方の
マッキーからは、私も含めたオヤジ3名による女性選手への、
集団ストーカー的後方マークを見物する展開となったわけで、
さぞおもしい景観だったことでしょう。


ヤマちゃん
の1キロは、3分30秒ちょっと程度で入ったようです。
このように男性的にすっ飛ばしていく女性は、なかなか見当たりません。
ウルトラの選手とは思えません。これはいくら女人でも相手が悪すぎる。


3キロくらいで一度、
あずさ1号と並びましたが、呼吸が相当荒く、異変的な不調に感じました。


の5キロは18分19秒。18分30秒で入る予定だったので、やっぱりひっぱられています。
ヤマちゃんは18分10秒くらいでしょうか。


5キロを過ぎて、左右にエコロジーな自然あふれる手賀沼が広がる橋を渡ります。
涼しい微風が吹き、とても涼しく走りやすい気候です。湿度も適度にあり呼吸が楽です。


コースがふたつに分かれたところで
タコナカさんを見失いました。
オーバーペースで大沈没しないか、そのときは心配でした。


あずさ1号としばらく並走。

さらに差が開いてしまった遠くの
ピンクのウェアのヤマちゃんの強さに顔を見合わせました。

私たちオヤジは全然、まったく相手にされていません。
    


10キロ36分59秒、この5キロ18分40秒と落ちついてきました。

ヤマちゃんになかなか追いつけませんでしたが、12キロ地点でやっと並走。
互いに呼吸が荒く、話もできません。

登り下りの起伏が激しく、一番きつかったあたりで、この5キロは18分53秒まで落ちました。



15キロ通過55分52秒。

ウルトラやフルを中心にやっていると、ハーフはペースが速いこともあり、
15キロまであっという間に感じます。

あとわずか6キロだから、気分はスパートです。


実際、ロングスパートかけ、この5キロ18分39秒。
20キロ通過1時間14分31秒。ラスト1.1キロはダッシュが効き、3分52秒でした。

ずっと目の前に
ウィングACの荒木さんが見えましたが、9秒差で届かず。
ゴール後、すぐ
わだっちが出迎えてくれました。


振り返ると、
ヤマちゃんがすぐに入ってきてインタビューを受けています。
女子優勝ということがわかり、仲間の勝利にとてもうれしくなりました。


その後、
あずさ1号マッキー、タコナカ、きやきやなど、どんどんゴール。
多摩クラ先行選手では、
わだっち14分台、マッハ15分代、ロンブー16分代、クロカン17分台だったようで、レース中、私からは彼らの姿も見えず、力の差を無限に感じました。


今月はオクラン月。普通、記録の出る月ではありません。
マッキーやあずさ1号は前日までしっかり走り込んだ影響で不調でしたが、
私は距離を減らして疲労を抜いたので好結果でした。


しかし、その後先に書いた通り、PB続出。オクラン月に何故?


ヤマちゃんの表彰式終了後、青空宴会に。

ウィングACの荒木夫妻による全員への豚汁サービスがあり、
一度先週の30キロペース走にご一緒させていただいただけでそこまでやっていただき、
深い感謝はもちろんですが、ランナーの世界の連帯感や絆を改めて感じ、また教えていただきました。



柏駅前でウィングの2次会に合流。

会運営からトレーニング法、内臓の徹底的な強化ノウハウまで色々教えていただきました。
本当に何から何まで、どうもありがとうございました。











平成21年 10月25日(日)第15回 手賀沼エコマラソン



                                  
多摩川クラブ    タコナカ





僕は今日は思いっきり気合が入りました。この気候、このコース。こりゃあーいくしかないって感じで、スタート直後からフルスロットルです。


何とか
ヤマちゃんについて行こうと入りの1kmから3'35、3'41、 3'37と驚異的なペース。橋を渡る上り坂で置いていかれはしたものの、何とか食いしばり5km が18'14  ほとんどPBに近い記録です。


いつもなら、明らかなオーバーペースに少しペースダウンするのですが、今日は何故かそんな気持ちは微塵も起こらず、8km過ぎで右足太腿の裏側に違和感を感じ始めても、そのまま突っ走り、10kmラップが37'26のPBでした。


後半もひたすら自分で気合を入れ続け、ラスト4kmは
まっきー鬼軍曹に気合を注入して貰いながら一騎打ちとなり、最後の最後に振り切られましたが、結果は1'20"59(手元タイム)で、去年守谷ハーフで出したPBを2'20も短縮すると言う結果に、自分でも驚いています。


やっぱりこれは、
オクランヤマちゃんまっきーのトリプル効果でしょうか。

右足太腿は結構重症で、まともに歩けない状態なので、最終週に距離を稼いでオクラン目標に近づこうという計画は駄目かも知れませんが、何か今までの自分の集大成みたいなレースが出来、今日は満足です。


やっぱし皆と練習しての成果です。ありがとうございました。

・・・と、ここまで書込みをしたら、眠気のピークです。今日は良い夢を見ます。ではではZZZZZzzzzz
















 Maui Marathon In Hawaii 2009.9.20






                          
多摩川クラブ  イツキパパ  



スタートは朝5:30、まだ暗い内に島の中心部からスタートして、12q以降はずっと海沿いを走ります。

ちょうど海に近くなった頃からやっと明るくなりアップダウンが激しくなり、25q以降は、ほぼ平坦になりますが、気温も高くなります。

35qあたりはオールドタウン、ラハイナを走り、この辺だけは声援を受けます。グッ
ルッキン!グッジョブ!ゴーヘッド!などと励まされます。

気温はスタート時20度前後、ゴールの頃は30度近くなっていたと思います。


私は1マイル(キロ表示は5キロごと、他は1マイルごとだが、かなりアバウト)6分40前後の設定(キロ4分5〜10秒)で入りましたが、前半は、ほぼ予定通り、20qの通過は1時間21分でした。


順位も常に8〜10位でした。
このまま行けば自己ベストも期待できましたが、やはり暑さは堪えました。


初めての経験ですが、30qあたりから肩が重い感じがして、35q以降は喉が締め付けられる感じになり、給水したくても上手く飲み込めない状態になってしまい、首をまっすぐに保てなくなってしまいました。


走っていると首が右後ろに倒れてしまうようになり、ふらつくようになってしまいました。
最後は3時間切れるかギリギリの状況なのは判っていましたが、まっすぐに走るのがやっとでフラフラのゴール、ゴール付近で家族が声援を送ってくれていたのも認識できず、医務テント直行でした。


給水はこまめにしようと思っていましたが、お腹が痛くなるのを恐れて少なめにしていたのがいけなかったのかもしれません。



結果としては
3:00:55

総合8位
年代別3位。表彰台は死守しました。




午後からオフィシャルホテルの宴会場でビール、ソフトドリンク飲み放題、ピザ食べ放題のフィニッシャーズパーティーがあり、表彰式で、かめの形の木皿をいただきました。

土練で「必ず表彰台乗ります!」と宣言してしまったので、何とか実行できて良かったですが、給水の大切さを痛感したレースでした。





          皆さんも給水にはくれぐれもご注意を。



















渡国際トライアスロン大会   2009.9.6






    「佐渡国際トライアスロン大会」報告

         多摩川クラブ 峰田 正隆

200996日 「佐渡国際トライアスロン大会」Aタイプに出場しました。

昨年はBタイプ(スイム2Km・バイク105Km・ラン20Km127Km)でしたが、

今年はAタイプ初挑戦です。Bタイプには元ジャニーズの近藤真彦やモデルの

リサ・スティッグマイヤーなど有名人も出ていました。

Aタイプはスイム3.8Km・バイク190Km・ラン42.19Km(計236Km)のフルロング

600スタートで15時間30分が制限時間。 Aタイプ757名、出走し86.4%の完走率



スイム(3.8Km) 目標2時間  

水泳は苦手なので初めから無理な目標は立てず又バトルを避け、最後尾からスタート。

6月に「アイアンマンジャパン」で3.8Kmの経験があるので気分的に少しは楽でした。

結果は目標から7分つめたものの、殆どの選手はバイクをスタートしていた。(732

バイク(190Km) 目標7時間20

スイムからバイクに変わった当初はなかなかスピードに乗れません。苦手の水泳で身体が

バテバテの状態なのです。(この当たりが私のウイークポイント)

Aタイプバイクコースは佐渡一周ですが、急坂が多く難易度の高いコースです。これに備え

坂道の練習を重点的にしてきました。坂はさほど苦しいと思いませんでしたが結果的に

全体のタイムは伸びず目標時間より40分位遅れました。



ラン(42.19Km 目標6時間

バイクで目標より40分遅れ、ランの余裕がなくなりました。しかし身体がバイクモードから

切替できていない状態でした。そこで7Km位まではスローペースで走り折り返しから徐々

にスピードを上げることにしました。(問題はランの関門18ヶ所をどうクリアーするか)

序盤ごろ、見知らぬ青年が「どうしても完走したいのですが、どの位のペースで走れば

間に合いますか?」と後方から聴いてきました。(少し前、ランで苦戦していた仲間の青年に

アドバイスしている声が聞こえたのでしょうか?)

脚が痛そうだったので「一度ペースダウンし、軽く走り脚が落ちついたらペースを上げる事。

折り返しからが勝負です」と答えました。結果はハーフ過ぎから(折り返しに笑顔で手を振

って)どんどん飛ばし彼は見事ゴールしました。

私は前半の関門は押さえ気味に走り、折り返しまで飛ばしませんでしたが、段々各関門

の制限時間が厳しくなってきました。35Km付近の関門から最終マーシャルの車と収容バス

が後方ピタリと着いてくるのです。(これは気持ち悪いですね)

残り2Km位からは沿道の応援の人・ボランティアの人・ゴールインした選手などの声援に

勇気づけられ、なんとかゴールしました。ゴール直後に花火が上がったのは感動的でした。

これで2大会連続「フルロング(アイアンマン)完走」したことになるので満足しています。

帰りには「越後湯沢」で温泉に浸かり静養してきました。毎年帰りに妻と各地を旅行します

がこれが楽しみの一つでもあります








    トライアスロンを始める方にご参考(HP管理者からのご依頼)

1   トライアスロンには以下の種類があります。

 @スプリント(スイム0.75Km・バイク20Km・ラン5Km計25.75Km)

 Aショート (スイム1.5Km・バイク40Km・ラン10Km計51.55Km)


オリンピックの正式競技

 Bミドル(スイム23Km・バイク80100Km・ラン1525Km計100Km強)

 Cロング(スイム3Km・バイク155Km・ラン42.19Km計200Km強)

 Dフルロング(スイム3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Km計225Km強)

アイアンマン(鉄人レース)と呼ばれるのはフルロングのみでトライアスロン全てではありません



2  準備 大会に出る為に心積りすべき事があります。


@必需品の用意(バイク・バイクシューズ・ヘルメット・バイク速度計等、色々必要)A大会経費  (ロングの場合エントリー費3万〜45千円位」・宿泊代「離党が多いので泊まりになる」・交通費「船または飛行機代」)B休暇  ミドル以上は遠隔地の大会が多いので最低 土曜・日曜・月曜3日は必要




3  どこを目指すのか目指すものによって練習方法や装備が違ってきます。



@ レースを楽しむ(峰田式でタイム・順位に拘らず完走を目指しレース景色等を楽しむ)A 自分の体力や限界に挑戦(タイム・順位がどこまで行くか常に挑戦・レース志向)B アイアンマンの頂点を目指す(マサさんのようにハワイアイアンに行く、大会で優勝するか年代別上位を取る。彼は素晴らしいです)C オリンピックを目指す(瞬発力に自身のある人はショートに特化し51.5Kmの
スペシャリストになる)




   多摩川クラブで水泳に自身のある方は大丈夫です。(私が出来たのですから)

























昭和記念公園 トライアスロン 


平成21年 7月5日(日)     shima



昭和記念公園トライアスロン、参加してきました。



スイムでは頭はバシバシ叩かれるは、足は引っかかられるは、乗っかられるは
極めつけわき腹キック

呼吸は乱れて苦しいし、痛いし、ここから脱出したいけど、脱出しようにも
前後左右 囲まれて抜けられない・・・・

水が飲みたいんではないのよ!酸素が欲しいのよ!って息もろくに出来ない
接触プレイ格闘技系は大の苦手、コースを譲ってしまう始末・・・
そんなトラの洗礼を受け、激しい女の戦いからスタートしました。


バイクは大好きなのですが、一番練習が必要と感じていて心配でした。
横にちらつく女子のバイクが旦那と同じ車種 何故かカチーーン!

いつも必死に漕いでる私の横を、涼しい顔で通りぬける日頃の旦那への復讐?!
とばかりに、スイッチONになり、次のランへ足を残す事も考えず「こいつだけには負けらんねぇーーー!! ちょっとばかりお高いバイクだからって調子乗るなーーー!!」


全力を傾けて戦ってしまいました。
彼女には何を言われたわけでも、されたわけでもありません。
ただ、旦那と同じマークのバイクに反応してまいました。


お陰で最終種目のランの為の足の機能は残っておらず、気持ちだけで前へ動いてました。
フルマラソンの終盤のキツさによく似ていました。ランはトライアスロンの勝敗を決め手となるというのを身に沁みて感じました。


私を含めどんどん落ちてくる選手と、ぐんぐん進んであっという間に小さくなる選手と大きな差がありました。

クララは頑張っているだろうか・・と、ふと思ったりしていました。





RESULT

    
      レディース89名


スイム(0.75km) 15:44  46位

バイク(20km)  44:05  17位

ラン (5km)   26:08  19位

総合     1:25:57  22位

年代別            10位




2時間切れればイイと思っていましたので総合タイムは満足でした
大好きなバイクも今まで出した事ないスピードを出せて、見た事のないタイムで嬉しかったです。

トライアスロン・・・
3種もあるから苦手種もあり、得意種もあり
だから総合で巻き返せたり出来る面白い競技です。

家族の協力なくしては、こなせない競技と言われています。
だからなのか、ウェルカムファミリーなムード

選手一人一人にゴールテープを切らしてくれて、名前を呼び上げてくれる
表彰台だけでなく、一人一人がレースの当事者である事をすごく感じるスポーツでした。


弱点もやるべき事も見えました これからも、続けます!!
もう少しレース用にバイクを調整して、エンジン(Shima)も鍛えて
来年、ショート(S1.5km B45km R10km)を目指してみようかと思います









    夏はこれからだというのに、私の夏は終わったような全てでした。





















「アイアンマンジャパン」トライアスロン報告

多摩川クラブ 峰田 正隆

2009621日長崎県五島〔アイアンマンジャパン」トライアスロン大会に出場しました。

 

この大会はスイム3.8Km・バイク180Km・ラン42.19Km(合計226Km)

朝7:00スタートの制限時間15時間のフルロングディスタンスです。

日本を含めた世界26ケ国から1026選手の参加です。

気温24℃(水温℃)小雨降る蒸し暑い天気でした。

スイム(3.8Km) 目標2時間(900通過予定)

水泳が苦手なので(3年半前は25m泳げず)関門を通過するのが第一条件。

私の小中学校時代ではプールや(戦災で焼け)現在のようなスイミング教室などない時代で、泳ぐとすれば海で平泳ぎや水遊びをする程度でした。

62歳から水泳を始めたので苦労しました。おまけに体重を10Kgしぼり体脂肪8%の身体になっていましたから。(浮力が付かない)

私はバトルを(最短コースや先頭近辺は集中する)避ける為、最後尾からスタートしたので実質4Km泳いだことになります。

未知の距離(3.8Km)を泳ぐ不安はありましたが昨年「宮古島大会」で3Km泳いだ事もあり目標の10分前に通過しました。(しかし全身はすでにパンパン

バイク(180Km) 目標7時間(1600通過予定)

レース当日は小雨が降り路面が濡れていたため、スリップ事故などでかなりの人が救急車で搬送されていたようです。

アップダウンが多く難易度の高いコースのため1026人中87.3%の完走率。

いつものようにボランティアの人々に感謝しつつ、応援の子供たちと「ハイタッチ」をしたりお年寄りの声援に「ありがとうございます」とお礼を言いながら走り続けました。

結果は予定より45分オーバーしてしまいました。

反省 

@出だしがうまく回転しない(水泳の影響で疲労回復が遅かった)

Aスリップを恐れ急坂でスピード出せずB長距離(130Km以上)の練習不足

ラン(42.19Km) 目標5時間50分(2150ゴール予定)

バイクでかなり遅れた為「ランの折り返し」時点では2時間弱位しか残り時間がありませんでした。私の前を走っている人の中には諦めて歩き出す人が出始めました。そして沿道の観戦者の「あの人、ゴールに間に合はないよなー」と言う話し声が聞こえたのです。

それを聞いた私は「行ける所までいこう」と思い走りました。すると最後尾につけていたマーシャル(バイクに乗った)が近寄り「今の調子で行けばギリギリで間に合いますから頑張って下さい」と声をかけてくれました。

この一言で勇気がわいてくるしピッチも上がり始めたのです。そして残りのハーフはスピードが落ちることなく走りきり、ゴーしたのは2前の2158でした。妻も応援の仲間も今回は駄目だと思ったそうです。

(本人は以外に冷静に走れましたが)今回は一度で完走できるとは思っていなかったのでとても嬉しいです。

最後に  

私のモットー「練習は厳しくレースは楽しく」が実現できた大会で大変満足しています。62歳で始めたトライアスロンがここまでになれたのは、「走る仲間」・「水泳の仲間」・「自転車の仲間」さらに最大のサポーター(妻)の温かい支援のお陰だと感謝しています。



              バイク                             ラン

  
      finish            two shot  (as usual)
























平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン
 

まっきー






6月28日(日)午前2時。

同じホテルに宿泊したジョーさん、ロンブーとともに起床。
サロマの1日が始まった。


相変わらず大食いのロンブーに感化されて、かなり無理して目一杯の朝食を胃袋へ流し込み、スタート地点に向かうバスに乗り込む。外はまだ真っ暗。


4時前にスタート地点の「湧別町総合体育館」に到着。
寒い!そしてすごい霧。それでもサロマの朝は早く、すでに空は白くなってきた。


大勢のランナーが続々と集結。その数なんと3,400人余。
会場アナウンスのマイクの声につられ、皆だんだんと熱気を帯びてきたようだ。

4時40分。スタート地点に立つ。

長い間待ち望んでいた『サロマ湖100kmウルトラマラソン大会』の出場が叶い、ちょっと興奮してきた。これから先の100kmにワクワク胸躍る気持ち。
ここでヨビリンと遭遇。ジョーさん、ロンブーも全員モチベーションアップ!


午前5時スタート。いよいよだ。


私の今回の目標は、

1. 状態が良ければ、8時間20分(Ave.キロ5分)でフィニッシュ。

2. 状態が悪くなれば、(それに応じたタイムで)完走。

ずっと右脚の痛みに悩まされ、ここ1か月はほとんど練習も出来ていないので、走ってみなければどうなるか分からない状態。


とりあえず、目標1を目指して、(ほぼ同じ目標設定の)ヨビリンと並走&談笑。
霧で霞んだ牧草地の中をしばらく走る。家畜と肥料などがブレンドされたとてもいいニオイ...これが北海道のニオイだそうだ(北海道出身ヨビリン談)。


10km通過 48:27まずまずの出だし。

その先、半島を走り「竜宮台」という所を折り返す。竜宮城みたいな景色らしいが、霧でほとんど見えない。地元の子供たちが叩く太鼓の音だけが響き渡っていた。

折り返しのかなり手前で激走中のロンブーとすれ違った。
ヨビリンよりは若干先行して折り返し、折り返した後ほどなくジョーさんと遭遇。



その後、次から次へと向かってくる大勢ランナーに圧倒されながら20km通過
(10kmLAP)47:53。まあこんなもんか。


ところが、湖面をはずれて再び牧草地の中を走る25km辺りから、右脚の腰から膝に伸びてる靭帯がピリピリしびれ始めた。やな予感。

次第にしびれが痛みに変わり、膝に集中してきたので、仕方なくペースダウン。
30kmのエイドでしばらく時間を取り、ストレッチなど試みる。
(恐らくここでヨビリンに抜かれたみたい。)


30km通過 (10kmLAP)51:23。とりあえず、痛みが心配...


35kmを過ぎると、しばらく細かなアップダウンが続く国道を走る。
このアップダウンと妙に硬い国道のアスファルトで、一気に膝の痛みが増してくるのが分かった。右脚が地面を踏むたびにキリキリと激痛が走るようになった。
40km通過 (10kmLAP)52:51。ヤバイかも...


国道から湖面沿いの側道に入り42.195km地点を迎える。
ここには、記念のプレートが立っている。景色も最高ということだが、霧でよく分からない。膝が痛くてどうでもよかった。

42.195km通過 3:31:47。こちらもどうでもよくなった。


とにかく痛い。痛痛痛痛....
よく分からないけど、バイオリンの弓で膝の靭帯を擦られているみたい###
夢の島6時間走の時と同じ苦痛...




50km通過 (10kmLAP)54:38。あと5kmで終わりにしようか...

55km地点は「レストステーション」という名の大きなエイド。
ここで、着替えをしたりシューズを履き替えたりするランナーが大勢いる。眉毛書いたりするランナーはいないようだけど。


ちょうどここは、自分達が宿泊しているホテルの敷地内。
そのせいもあったのか、なんとかここまで辿りついてから、ここで止めてもいいかなって、しばらく呆然として考えていた。



結構な時間立ち尽くしていたが、頑張ってくださ〜い!っていう女子高生の声に脚が反応して動き出したので、仕方なく頭も付いていくことにした...

50km〜60kmは比較的大きなアップダウンが続く。

湖も見え隠れする。少しずつ霧が晴れてきて、湖面の景色が良く見えるようになってきた。脚をかばいながらも、なるたけ景色を見て気を紛らわそうとした。
なんとか
60km通過 (10kmLAP)1:04:15。



60kmを過ぎると「キムアネップ岬」という所の道を走る。
湖面沿いの一本道で、とっても素朴な風景が続く。そして白樺の木が連なったかなり長い林間コースへと入っていく。

絵心のある人は、思わずカンパスに筆を走らせたくなるに違いない。
まったく絵心の無い私は、どうにか言うことを聞かせて脚を走らせたかったが、激痛状態は相変わらずで無駄なあがきだった。

それでも
70km通過 (10kmLAP)1:03:10。午前11時22分。


何の根拠も無かったが、80kmまで行けば何とかなると思い始めた。
痛みを堪えて漠然と歩を進めていたが、少しずつ完走したいという気持ちになってきた。


70km付近では50kmコースと合流して、その後は同じ道のりを辿りゴールする。
超音速旅客機のように瞬く間に抜いていく50kmランナー達の幾つもの背中に、自分も必ずゴールへ行くぞと誓ったりした。


74kmのエイドで名物のおしるこを食べ、気合を入れたのもつかの間、凹凸の激しい歩道をしばらく走ることとなり、右膝は除夜の鐘を突いているようにゴーンゴーンと痛さが鳴り響いた。
ようやく
80km通過 (10kmLAP)1:05:15。午後0時27分。


どうにか「ワッカ原生花園」への入り口までやってこれた。

あと皇居4周分だ。それだけ我慢して走ればいいんだ。もうどうなってもいいと思った。
細かいアップダウンが続く道だが、柔らかめの路面に救われた。膝の痛みが若干軽減
されたような気がした。麻痺してきたのかもしれない。この道をほぼ90km地点まで行って折り返してくれば、あとはゴールだ。


ワッカに入ってすぐ、大爆走のロンブーがやってきた。あと3kmだ、ガンバレー!


左はサロマ湖、右はオホーツク海。天気が曇りでサロマンブルーは見れないけど、オレンジ色のエゾスカシユリがたくさん咲いていて綺麗な風景だ。

皇居はいつでも走れるけど、この場所は滅多には走れない。
しっかりとサロマを噛みしめて走ろうと思った。


途中、脚のトラブルで相当辛そうな走りのヨビリンと遭遇した。
きっと同じ気持ちでゴールを目指しているのだろう。


90km通過 (10kmLAP)1:00:12。午後1時28分。

ここで、反対から走ってきた、比較的元気そうなジョーさんに気合のハイタッチをもらった。

あと皇居2周分だ。完走はできると思った。だったら、最後は無理して頑張ってみようと思った。

前を走るランナーを一人ずつ追ってみた。少し息が上がってきた。脚はマヒしてるみたい。そのままでいてねとお祈り。


あと8km→あと6km→あと5km。

初めて走ってるっていう気がしてきた。ペースはボロボロだけど、初めてサロマを体感している気持ちになった。

あと3km→あと2km→あと1km。


我慢して走ってきてよかった。
来年も走りたいと思った。



ここを右に曲がればゴールという所。おつかれさま!さいごがんばれ!と大歓声が聞こえてきた。何故か目が潤んできた。




       
100km (10kmLAP)58:33。

  <Finish Total> 9時間26分37秒。午後2時26分37秒。






その後、私の右膝は腫れ上がり、病院に行ったら、腸脛靭帯部分断裂、4週間絶対安静と診断されました...

(誤解の無いように、これはウルトラマラソンのせいではなく、自己管理を怠った自分のせいです。)


>ジョーさん
今回のサロマでは、色々とお世話になりました。
大会翌日、脚が軽いと言って走りたそうにしていた姿には驚きました。
これからもウルトラ兄弟の長男として、僕らを引っ張っていってください。


>ロンブー
サロマでの上位入賞、本当におめでとう!嬉しさは格別でしょうね。
これからすごいウルトラランナーになっていくと思います。
ずっと目標にさせてもらいますよ。


>ヨビリン
お互い今回は痛い走りとなってしまいましたが、この完走を糧に頑張りましょう。
良きライバルとして、一緒にロンブーを追いかけていこう・・・ウルトラは先が長いからね。















平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン
 

ロンブー






        皆さん、応援ありがとうございました!

                             
私は、2泊3日でジョーさん、まっきーさんと北海道・佐呂間町へ(ヨビリンさんは
26日から北海道入りしていたそうです)。サロマ湖ウルトラマラソンを走ってきました。
100kmマラソン、疲れましたー。一日で走る距離じゃないです(笑)


28日はスタート・早朝5時。霧がかかりやや肌寒いという、これから100km走る気候としては
申し分ない、最高のコンディションでした。


スタート前に、横浜中央走友会の小沢さんから「8時間切り、できるよ!」と檄を受け、不安大でしたが、今回の目標である8時間15分を大幅に修正し、8時間切りを目指しました。
【走り切るんだ!】【行ける所まで行く!】という気持ちを強く持ちながらスタートしました。



序盤は濃霧で視界が悪く、眼鏡を数回ランシャツで拭きました。
およそ16km、竜宮台折り返しの手前で先を行く小沢さんから『がんばれ』と励ましの声を掛
けられました。振り返るとレース中、一番心に残る力強い言葉でした。


もうお一人、夢の島6時間走で優勝された方ともすれ違いざま声を掛け合い、手を振りまし
た。 80kmからのワッカ原生花園でもお二人とすれ違い、もう力がほとんど残って無かった
ですが、声掛けが凄く励みになりました。


30km地点ではトイレに行きたくなり、50秒のタイムロス。しかしここであまり躍起になって
時間を取り戻そうとしなくて良かったです。


42.195kmの通過が3:12:04。このあたりから膝を極力曲げない走りに変え、スピードを保ちながら走り続けることができたので、結果的にこの走法が功を奏しました。


50kmで3:47:47(4:33/km)、ここで完全に8時間切りを意識しました。『残り50km5:00/kmで走り切れば8時間が切れる!』そう思いながら、1km毎のラップを何度も頭の中で計算しました。


55km地点のエイド(泊まったホテルの前)では、一口おにぎりとバナナ、アミノバイタルス
ーパースポーツを3つ頂きました。


60kmの上り坂で女子トップ選手を抜きましたが、そこから前のランナーが見えなくなり、富
士五湖と同じく変に孤独を感じました(沿道の人から2分は離れていると言われた時は焦りました)。



70km付近は林の中、そしてクライマックス、自分の中で折り返しと思っていた80kmからのワ
ッカ原生花園は、花々もオホーツク海も見る余裕が全く無い、小刻みアップダウンが続く地
獄でした。

応援も少なくなり、どこまで続くの〜!?という感じで、心の中では『わぁ〜もうしんどい!なんじゃこりゃ〜!!』と叫びっぱなしでした。


ワッカが一番辛かったですが、ヨビリンさん、まっきーさんに会えましたし、すれ違うラン
ナーには「ファイト!」と自らすすんで声を掛ける事で、疲れを忘れさせました。


ワッカを越えた所で、両手を挙げられるジョーさんに会い、互いに激励。ついに残り2km、ラ
ストスパート!




…ゴール…。完走が嬉しくて感極まり、思わず泣いてしまいました。


          フィニッシュタイムは、7時間53分19秒。


初北海道、それも初100kmで8時間切り!あまりに出来過ぎです。

一般の部8位と、年代別3位入賞のおまけが付いてきました(バースデープレゼントかな)。





            
今回特に良かった点




@スタートまでのカーボローディング
 
A最高の気候

B素晴らしい応援とランナー同士の檄

C走法の切り替え

D当日までの走り込み、の5点です。 

これら一つでも欠けていたら、8時間切りは絶対にあり得ません。





この大会の沿道の応援は素晴らしく、エイドでは休日にもかかわらず、学生たちが大きな拍
手で手厚く出迎えてくれ、『頑張って下さい!』と励まされると、こちらも俄然力が入りました。エイドを去る時、自分も「行ってきます!」や「頑張ります!」と大きな声で、張り切って再スタートしました。


今思うと、ワッカを走っている時はあまりのしんどさに、92km地点で少し歩いてしまい、練
習も当分したくない!と思いましたが、日本第3位の広さを誇る勇壮なサロマ湖とオホーツク海の間を走り抜けるのは感動ものでした。


改めて、目標以上のものが残せ、最高に満足のできる一日でした。北海道に来て本当に良か
ったです(…その後食べまくってしまい、100km走ったのに太ってしまいました (笑)


足は依然として筋肉痛ですが、来年も予算に余裕があれば(!?)出てみたいな〜と思いま
した。
























 
平成21年 6月 28日(日) サロマ ウルトラマラソン
 

                 
多摩川クラブ  ヨビリン






共にサロマウルトラに参加したジョーさん、マッキー、ロンブー、とてもとてもお疲れ様でしたー。


100キロ走は自分としてレースは初めての気分です。意識してトレーングして目標タイムとラップ設定してのぞんだことはありません。


天気は相当暑くなるという予報でしたが、しっとりした朝霧の中のスタート。


スタートしてすぐロンブーはダッシュしていきましたが、マッキーと設定ラップキロ5分と同じだったので、しばらく並走。左右の牧場が霧の中で、とても幻想的で楽しくなり、マッキーと話しもはずんで足も軽やか。5キロラップ自己計測24分とちと早い。しかし全く楽です。


じきY澤という女性選手が見えてきました。富士五湖72キロで10キロくらい並走した選手で、その大会では3分上回れたのですが、昨年のサロマを7時間58分で走っている選手です。


これはまずい、ハイペースではないかと考え追いつかないペースに落としました。マッキーは先に行き見えなくなります。しかし5キロラップはしばらく24分台を保ってしまいまして、フルマラソン通過タイム3時間25分。呼吸は楽ですが、足が徐々に重くなってきました。


50キロ4時間7分。目標タイムが8時間30分なのでラップとしてはこんなもんでしょうか。
しかし足の重みは獣が忍び寄るように痛みに変わってきました。


実は、富士五湖72キロで薄いマラソンシューズ使用してなんとかなったので、この100キロも同じ靴を使用したのです。50キロ足が痛くても残り20キロならば、逆にスパートできましたが、残り50キロでは耐えるのみ。


アドレナリンも出ません。この時点で72キロレースと100キロでは全く別のものだと身体で悟りました。


そして60キロのエイド。アミノ酸を服用して回復しようと携帯小口パッケージを破いて上を向いて口中に流し込んでいた時、破いた小片も同時に飲み込んでしまったのです。


胃に鈍痛が走ります。口に手を突っ込んで吐き出そうとしましたが、血が足に行っているせいか反応しません。なんと体内に異物を抱えて、サロマファイティングするはめになったしまいました。


それから10キロほど、小片の角が胃に当たる痛みをこらえ続け全身脂汗。1度はリタイアも考えましたが。こんな北辺の地まできて、サプリケースを飲みこんでリタイアしては多摩クラの笑いものです。やめたい自分と戦う、断じてやめないことがファイティング!


エイドで水分と食料を摂りまくるうちに痛みも収まってきました。
しかしこの辺りの5キロは40分かかってしまい、しかもスピードが遅いのに靴のせいか両膝に激しい痛み。目標は大幅な下方修正。断固完走にり切り替えました。


80キロからのワッカ原生花園圧は、右にオホーツク海、左にサロマ湖、そして天然のお花畑が左右に広がる絶景です。折り返してきたロンブーにファイト!ゴール7時間台確実のペースに驚嘆。


怪我人同様、足を引きずりながら、歩いたり走ったりしていると、何と前にいると思ってたマッキーが後ろからきて驚き。今回も怪我の回復が思わしくなく、エイドで休んでいたもよう。


「完走頑張ろうと」と励ましあい、 マッキーはややペースが回復したようで、先に行って見えなくなりました。折り返してからジョーさんとハイタッチして、ラスト10キロの表示で気を少し取り直し、痛みをこらえてややペースアップ。


結局
9時間39分で目標に1時間半及ばず(笑)ゴール。


ロンブーは7時間55分で一般に部で8位!多摩クラの誇りです!
改めておめでとう!


マッキーは私より13分程度先にゴール。
とにかく怪我治そうね!回復すれば爆裂できる予感があります。




                PS


ジョーさん、塩カラハプニング残念でした。でも最後に見事なサロマファイティングで昨年の自分に勝ちましたね。私もそうですが、ウルトラのような長いレースは色んなことが起きるし、まして遠隔遠征だから
・・                                                           





                         

























     平成21年 1月25日(日) 勝田全国マラソン


                                        多摩川クラブ  ロンブー





私も勝田全国マラソンに参加しました。ひたちなか市は、最低気温が零下5℃の予報も、日差しにぬくもりが感じられました。

結果から報告しますと、 2時間48分03秒(ネットタイム2時間47分47秒) でした。やりました!!
フルマラソン7回目の挑戦にして、念願だった2時間50分切りを果たす事が出来ました!!

フルの前・ベストタイムが昨年の湘南国際の2時間50分54秒だったので、2分51秒も更新する事が出来ました。 来年の別大のチケット、ゲットです! →でもどう手続きすればいいのでしょうか…??

この記録も切磋琢磨し合った、クラブの皆さんのお蔭です。ありがとうございます!

今回、勝田マラソンに当たっては、前夜に超大食いし、即寝&甘甘カーボを実施。当日の朝食は、カロリー系のアミノバイタルゼリー、大好きなぶどう食パン3枚、粒アンパン2個、アミノバイタル3600(粉)、特急車内でリポビタンD、鮭おにぎり、粒アンパン2個、ソイジョイ2個 と、食べまくり。


レース中は5km毎、氷砂糖を食べました。お蔭で、最後までガス欠にならずにゴール出来ました。しかし、足は棒になりました。。

レースは、街の店のショーウィンドウで自分のフォームを確認し、力んでいたのが分かったので、軽く楽に、35kmまで体力温存、を念頭にしました。

そして、レースで25km以降から翔ひろ子さんを37km過ぎまでペースメーカーに付いて行きました(抜きつ抜かれつでしたが)。流石に、翔さんとは大通りに出てから離されました。

上りが多く、足にきたので、下りで楽に、一気にを心掛けました。今はお尻が筋肉痛です。。
掲示板にあったバリーさんの給水法も利きました。コップの飲み口を大きく潰したことで、鼻に水が入らずしっかり飲めました。


    
 5km  19:31

    
10km  19:05 (00:38:36)

    
20km  19:46 (01:17:44)

    
中間点  4:21 (01:22:06)

    
25km   15:25 (01:37:31)

   
 30km   19:57 (01:57:28)

    
35km   20:07 (02:17:35)

    
40km   20:57 (02:38:32)

   
 ゴール  9:31 (02:48:03)





30kmで1:57:28。ここで2:50:00を切れる事を調子の良さもあって確信しました。3:55/kmを目標にしたので、超ピッタンコでした。しかし、想像以上に上りが終盤続きました。

帰りの特急は、テカさんと仕事&マラソン談義をしながら、のんびりしました。





KATSUTA RESULT               
ハンドル タイム
ロンブー 2:47:47
王子 2:55:25
ヨビリン 2:57:46
tanabo 3:06:09
ヤマドリ 3:06:47
エーコ 3:20:56
ジョー  3:23
テカ 3:36:30
ジュニア DNS

















           12月7日(日) 福岡国際マラソン





                          タカセ

お疲れ様です。タカセです。

ヒロシさん、きやきやさん、ロンブーさん、コメントありがとうございました。
福岡国際マラソン何とか走ってきました。

30過ぎてから走り始め、自分がまさかこの舞台に立てるとは思っていませんでしたが、
努力を積み重ねれば夢は叶うんですね。

自分にスピードがないことはわかっているので、とにかくイーブンで走りきろうとプランを立てていました。2月の別大でもネガティブスプリットで44分台でしたので、同じ戦略です。

貯金はタイムではなく、体力ですべきと我慢しました。とはいえ、このペースでフルは走ったことがありませんからドキドキものでしたが・・



    タイムは福岡国際のホームページに出ていますが、ご参考までに。


 
5km   18分49秒

 
10km   18分58秒  計 37分47秒

 
15km   18分58秒  計 56分45秒

 
20km   19分01秒  計 1時間15分46秒


 
ハーフ    1時間19分50秒)


 
25km   18分39秒  計 1時間34分25秒

 
30km   19分01秒  計 1時間53分26秒

 
35km   18分51秒  計 2時間12分17秒

 
40km   19分01秒  計 2時間31分18秒

 
2.195km  8分10秒



 FINISH    2時間39分28秒




またしてもネガティブスプリットで
自己ベスト達成でした。


        どうもありがとうございました。








   
  11月30日(日) つくばマラソン  




             
ヒロシ

遅くなりましたが、つくばマラソンの報告です。
つくばマラソンに参加された皆さんお疲れ様でした。

応援してくれた皆さんありがとうございます。

フルマラソン・ラストレースということで、2時間40分切りを目標としていましたが、
30km以降失速して、目標達成は、なりませんでした。

つくばマラソン一ヶ月前までは、継続して練習ができ、好調でしたが、残り3週間となった、大事な所で、仕事が忙しくなり、平日と週末に継続した練習が出来なかったことがひびき、30kmを超えてから練習不足による、スタミナ切れをおこしました。35kmからは、脚にきました・・・。


   
■H20.11/30(日)つくばマラソン・フル 68位/8169人中


 
5k    17:48

 
10km   36:07(18:19)

 
15km   54:52(18:45)

 
20km  1:13:32(18:39)


 
中間点  
1:17:18


 
25km  1:31:35(18:02)

 
30km  1:50:16(18:40)

 
35km  2:10:29(20:13)

 
40km  2:34:01(23:31)



  
G   2:45:22(11:21)




完全休養が続く中で、焦りと苛立ちを感じ、大会1週間前に、30km走をkm4分ペースで強引に行いましたが、そんな直前のポイント練習のみで、結果が出るほど、フルマラソンは、甘くはありませんでした。

継続した日々の練習以外に、だましがきかないのが、フルマラソンです。それでも、厳しい環境の中、あきらめずに最善を尽くしてきたので悔いはないです。

このレースで、フルマラソンは、引退します。フルマラソンは、これまで60回以上出場。初マラソンの佐倉に始まり、福岡国際・ 別府大分・ 東京・ 延岡西日本・ 防府・ 北海道・ 信濃毎日・ 中日豊橋・ つくば・ 大田原・ 掛川・ 新潟・ 田沢湖・ 洞爺湖・ 岩手北上・ 長井・ 館山若潮・ 勝田・ かすみがうら、 荒川・ 東京喜多  頑張って走ってきて、やり尽くし、燃え尽きた感があるので、フルマラソンは、もう当分いいかなと思っています。

来年からは、自分が出たいと思う、5km、10km、ハーフ、トラック、クロカン、トレイル、などいろんな種目や大会に出場し、楽しむ練習や、レーススタイルを開拓し、新たな方向性で挑戦していきます。

これから、フルマラソンを目指す、若手、ベテランの皆様、完走と目標達成を応援しています。頑張ってください。










            
みゆき

つくばマラソンは、スタート直後から眠たくなり、ほとんど景色も時計も見る余裕がなく、走りました。

半分を過ぎてもまだ眠たく、途中で止まってしまうかもと思っていましたが、止まらず完走しました。

途中4時間のペースランナーに抜かれましたが、結果は3:57:12でした。
とりあえず無事にゴールにたどり着いてほっとしました。

タコナカさんもまっきーさんもtanaboさんも、いい結果でおめでとうございます。
王子さんは、心配ですが、しっかり直してくださいね。


       
tanabo

ほとんどレースには出ていなくて4月の霞ヶ浦フル以来となりましたがつくばフルに参加してきました。

今回は、余裕をもって4:30/kmペースで30kmまで行き、後はペースダウンして3時間12〜13分位でゴール出来たらいいと思っていましたが、予想より少しですがいい結果に満足しています。

23:18−22:28−22:45−45:07−22:42−23:06−22:36−9:48

前半1:35:43 後半1:36:06  3:11:49(ネット)

35km過ぎから4:30/kmペースに戻すことが出来て、前後半とほぼイーブンで走れました。

これも多摩川クラブで刺激を受けているおかげです、ありがとうございました。(Jさんが小金井公園でいい記録で走り、とっても刺激されました)

次回、勝田では3時間一桁を狙いたいと思います。(Jさんも参加するレースはいつも撃沈しているので少々不安)









           まっきー

僕は、初フル「つくばマラソン」に参加してきました。
事前の目標は、キロ4:05〜4:10(5km:20:25〜20:30)のランで、密かに2時間55分切りを狙っていました。

ただ、横浜ハーフの直後から、右のでん部に激痛が走るようになって、最低限の調整+テーピングを繰り返して、お尻に優しい走りをすることも目標になりました。

その甲斐あってか(?)、スタート直後から、逆に脚がえらく軽くて、、そして行ってしまいました。。別に、マサ大将の天才的な走りに触発された訳ではないのですが;

5km〜20km 19:47-20:13-20:03-20:20(ハーフ 1:24:36) →25km〜30km 20:06-21:14
はい、ここまででした。。フル・マラソンはそんな甘いものではありませんでした。。

30km以降、重〜い長〜い暗黒の世界を体験して、なんとか2時間57分26秒(NET)でゴールしました。

今回は、本当にいい勉強になりました。また、初フル、サブスリーを実現させてもらった多摩川クラブには、大変感謝しています。

この環境の中で頑張って、次回のフル(荒川)では55分を切って、遠くない将来に50分を切りたいと思います。






             王子

こんにちは。各地大会参加の皆様お疲れ様です。
私も40才トリオの方々同様につくばマラソン行ってきました。

結果は15キロ地点でのリタイアというお粗末な結果です。原因は2週間前の川崎国際多摩川マラソン10キロで痛めた右足甲の痛みです。

MRIの結果、右足甲の中指骨付近の腱の損傷でした。疲労骨折は免れたので行ける所までと思いレースに参加したのですが・・・甘くはありませんでした。

リタイア後いち早くアイシングをしたく皆さんより先に失礼してしまいました。すみません。最近不本意なレースが続き凹みますが多いに反省して来年再生したいです。





            タコナカ

お待たせしました。つくばマラソンの結果報告です。スポーツ新聞風に見出しを書けば《江戸の黒豹 2時間57分台、タコGホマレ3時間10分切り達成!!》ってな感じでしょうか。

まっきーからは別途報告があると思うので、一足先にタコG改め「帰ってきたタコナカ」が戦況を振り返ります。

何せはじめてのフルマラソン。練習でも30km以降は全くの未知数で、後半の落ち込みが恐怖だったので、とにかく前半は体力温存しようと作戦を立てました。

フラットなコースで追風にも助けられ、リラックスした入りでスタートから5km毎のラップは20'43, 21'07。その後意識的にペースを落とし15mから 21'33, 21'57で20kmを1'25"21。

ハーフが1'29"50。ほぼ思い通りで前半は周りの景色を賞味する余裕もありました。25kmで折り返した後30km付近までの逆風に悩まされながらも22'05で走り“こりゃ行ける”と思いましたが、やはりそんな甘いもんじゃあなかった。

30kmを過ぎたあたりから右足ふくろはぎが痙攣を起こし、30-35kmは23'21にペースダウン。

ほぼ4-5分毎にピクッと来る恐怖に脅かされ、あと7kmもあるのか〜と泣きたくなった時歩道に居た監視員の方から「このあたりを走っておられる方は3時間10は切れるペースです」との声が!!これで少し元気になり、35-40kmは23'00にややペースアップ。

その後は徐々に痙攣の頻度を増す右足袋はぎに「頼むから最後まで我慢してくれ!!」と祈りながら、最後は正にゴールに『辿り着いた』という感じでした。手元の時計で確認したタイムは3時間5分29秒でした。

やはり10月の走りこみ不足がもろに響いた感じはありましたが、初めてフルマラソンで完走でき、しかも3時間5分台で走れたことに自分でも驚いています。やっぱり仲間で走ると驚くほど記録も伸びますねえ。皆さんに感謝・感謝です。

沿道で応援中の横浜中央走友会の皆さんからの『多摩川クラブファイト』の声援も励みになりました。ありがとうございました。レース後は階段も降りれず、帰宅後は即爆睡です。今日会社まで辿り着けるか心配です。














 
 11月23日(日) 多摩川フルマラソン



          くうパパ 

連休、各地の大会に参加された皆様、どうもお疲れ様でした。

私は昨日の多摩川フルマラソンに参加してきました。
微風、快晴の絶好のコンディションの下、かなり気持ち良く走ることができました。

結果は、PBに3分ほど届かない、3:17’36”。
余裕の自己新ペースだったのですが、お約束通り、ラスト5キロで大失速してしまい
ました。
オクトーバーランで月間550キロ走ったといっても、負荷の低いLSDが中心だった
ので、この結果はある程度予想していました。

1年10か月ぶりにフルマラソンを完走できたことを、素直に喜びたいと思います。
そして、東京マラソンでの3時間10分切りを新たな目標にして頑張りたいと思います。

それにしても、男子46才〜55才部門の表彰式は圧巻でしたね!
1位から3位を多摩川クラブで独占している光景は、初めてみました。
(月例川崎ですら見た事がありません。)

総合でも2位のジョニーさん、2:59’59”のヨビリンさん、初マラソンでの好記録の
TAKEさん、おめでとうございました。

練習がてら最初からずっと引っ張ってくれたあきらさん、応援に来ていただいた大勢の
皆様、お忙しい中どうもありがとうございました。

東マラレインボーガールズとのハイタッチは、嬉しかったです。
まさに、地の利を感じた大会でした。
       (以下、私の覚えている範囲で)
            
【参加者】
 くうパパ、ジョニー、ヨビリン、TAKE、ホヤッピー、鈴木つ
          【自主練参加者】
 あきら、山ちゃん
            
【応援】
 aki、ワカヤマ、サマンサ、ミー、shima、ちえ、ゆきティ、カオリン、たるG、
 くうママ、くう、セラ

         
 【すれ違った人】
 ジョー、タマ蔵、タカダ、Tracy、○尾、くうジジ、くうババ、ミミィ、
 ポポロH氏
            
【審判

           知り合い多数

       
(多摩川フルマラソンの評価)

            
【good】
・近い。
・参加者が少なく、混雑しない。
・地元なので知っている人の応援が多数。審判も知り合いばかり。
・何度もすれ違うコースなので、仲間からパワーがもらえる。
・土のコースで足に優しい。練習には最適。
・好タイムを出せば表彰も狙える。

            
【bad】
・土のコースなのでスピードは出ない。
・陸連未公認。
・何度も同じコースを走るので飽きるかも。
・最後のタスキはかなりショボイ。
・大田原、つくば、河口湖といった本気大会と日程が近い。

     
 結論:来年も出たいと思った大会でした。
           




             
ヨビリン 

23日は多摩川フルマラソンに参加させていただきました。快晴、微風の良好なコンデションの中、この時期としては望外の2時間59分59秒という、薄氷を踏むようなズルいサブスリーで、年齢別で2位に入賞することができました。

              
ラップタイム

22.06 22.01 21.55 21.50 20.45 21.12 20.51 20.55 8.23


見事に年齢別1位のジョニーさん、初マラで好タイム3位のTAKEさん、1年半ぶりのマラソンで健闘したくうパパさんはじめ参加の皆様、お疲れさまです。

このコース独特のセッティングのおけがで、何度もすれ違う度に励まし合うことができ、「闘走」心を保つことができました。

また、フルに伴走されたあきらさんはじめ、とても多数の多摩川クラブの応援の方々に何度も終始声をかけていただき、本当にありがとうございます。トレーニング中の方も多く、まさにクラブ地元大会の良さを感じましたね。

最後はシートをひいてピクニック気分で、まだレース中の選手を眺めながらの飲み会となり、とても楽しい1日となりました。













                       
TAKE 

応援に駆けつけてくれたギャル軍団、黄色い声援でありがとうございました。伴走のあきらさん、山ちゃんありがとうございました。また、すれ違いながらの応援の、ジュニア、丸尾さん、ありがとうございました。

そして、多摩川クラブ審判部の方々、お疲れ様でした。TAKEはおかげさまで、初フルを3時間14分55秒で走りきることができました。初なので、とりあえずハーフぐらいまでは1Kmを4分20秒ペースで行き、後は「どーにでもなれ!」で、走りました。

突っ込みすぎ?と、誰かの突込みが入るかな?本日各方面での大会参加の皆様、お疲れ様でした。とにかく「うれしいです。」本当にクラブの皆様ありがとうございました。



















 11月23日(日) 横須賀シーサイドマラソン







           
ロンブー 

本日、各方面での大会参加の皆様、そして音響マラソン参加のヒロシさん、お疲れ様です。

ヒロシさん、入賞おめでとうございます
多摩川フルマラソン参加で、年代別一位のジョニーさん、二位の芳川さん、そして初フルにしての好タイム、三位のTAKEさん、皆様おめでとうございます。

私は、きやさん、クララさんの下記の通り、私の地元である、横須賀はシーサイドマラソンに参加しました。4月に企画したシーサイドランと同じコースです。

6月の体重別皇居マラソンから私の出る大会の大概は雨だったので、スカッと晴れて、久し振りに雨男解消でした。馬堀海岸沿いから富士山が綺麗に見えました(意外に余力あった?)。

前日は夜勤で、体重はコーヒーやら炭水化物の摂り過ぎでベストより3キロ増。。しかも、半日寝たので体はとっても重かったです。

尚且つ3週連続レースの本日が最終回でした。
そんなレース中は序盤からDNFの英文字が頭の中に浮かんできましたが、そんな中でも、塩グレートさんの力強い応援(カメラマン?!)があったり、地元の走友会仲間の応援があったりとパワーを得て、上りではかなり挫けそうになりましたが、なんとか完走し、目標にしていた入賞(一般6位)を果たすことが出来ました。

タイムは手賀沼より速く、横浜より遅い、1時間18分24秒でした。私の母校の陸上部の後輩が、一般の部(39歳以下)で1・2フィニッシュでした。

スタート時は、参加の皆さん正直なのでしょうか?!70分の申告タイムに集まる人はとても少なかったです。私は勿論、70分の所にいました(笑)

クララさんは、潜在能力が凄いです。これからもっと伸びていきますね!コツコツと、頑張って下さい!

きやさんは、話しませんでしたが、私が3年連続横須賀で10キロに出場していた記録を、あっさり抜いてしまいました(私の横須賀での10キロベストは36分16秒)。走歴2年とは思えない走りです! フライングですが、お誕生日おめでとうございます!

レース後は、海軍カレーを食べるわけでもなく(笑)、横須賀中央駅近くの食堂で、ビールを飲み、きやさんは海老天丼、クララさんは、味噌ラーメン、私はうな丼とあんみつを食べました。600km走って痩せてないし…、、またお腹が出てしまう(Θ_Θ;)

で、塩グレートさんは、その後、休日で家族サービスをされたとの事です。良きパパですね〜(^o^)












            
クララ 

こんばんわ、クララです!
各地でレースに出場された皆さんお疲れ様でした、御報告楽しみにしています。

私はきやきやさん、ロンブーさんらとともに「よこすかシーサイドマラソン」に出場してきました。この大会は私が初めて高校1年生の時に出た大会であり、それ以来9年間で7回目の出場となります。
結果ですが、10`レースに挑み、34分37秒と跳ね返されました・・。
始めの1`を3分12秒で入り、5`通過が16分56秒だったんですが、後半もたず3分30秒前後でしか身体が動きませんでした。
なんとかセカンドベストだったのですが、自己記録更新を目標に掲げていたので、今回は収穫もなく、帰りは疲れがどっと出てしまいました。

実は3〜4`くらいでもう集団についていけない状態が続き、なんとかもたしていましが、「もうダメかな〜・・」と諦めかけたその時!!
左側の沿道に塩グレートさんの姿が・・!周りの時間が止まるかのような大声で応援してくれた塩グレートさんの姿を見て、もう一頑張りだ。。と気合いを入れなおしました。
残念ながら塩グレートさんのいなくなった寂しい沿道では力が出るハズもなく、後半は遅れてしまいましたが、元気の出る応援ありがとうございました。また終わった後には心を癒やすメールも送っていただきました。表題のように塩グレートさんの力を魅せられた大会でした。

一緒に出場されたきやきやさん、ベストおめでとうございます。もう35分も目の前のようなので、ついでに年内大井競技場で記録を出しておきます??

また600`男ロンブーさん、78分台での入賞おめでとうございます。横浜、湘南についで3週連続大会出場はありえません!体の構造はどうなっているのですか?何はともあれ表彰台おめでとうございます、あのあんみつは忘れません!

反省会?でも挙がったのですが、もう川崎フルマラソンまであと3週間ですね。
私はここにきて年末の疲れが強く出てきましたが、皆さんは風邪など引かぬよう元気に走って下さい。

それでは、連休の一時にお邪魔しました。。







          
きやきや 

この3連休は、各地でレースが行われているみたいですね。
レースが終わった皆様、お疲れ様でした。

きやきやは、横須賀シーサイドマラソン(10キロ)にクララ、ロンブーの3名で参加しました。各々で報告があると思いますので、私の報告をします。

まず、コースは、塩グレートさんが以前企画してくれた横須賀シーサイドランの海岸線の平坦なコースがそのまんまコースでした(5キロ折り返し)。

天候は曇り気味でしたが、前日のような冷たい風は殆どなく、絶好のコンディションかと思っていましたが、レース前に天気が良くなってました(体感的には暑さを感じたので、きやきや的には不安要素でした)。

その中、高校生集団に混じってクララと最前列に陣取ってスタートしました。
例の如く高校生がロケットスタートしたので、きやきやもちょっと突っ込み気味で折り返しを目指しました。

途中で、エライでかい声で叫んでいるおっさんがいて、熱心に応援してるなと思ったら、何やらきやきやの本名(姓)を叫んでいます。目があまりよくないので、近づくまで分かりませんでしたが、先日の湘南マラソンでPBを大幅更新した塩グレートさんでした。

塩グレートさんがカメラを構えていたので、移れる位置に行こうと思いましたが、競っている人が邪魔になって良い位置で撮ってもらえませんでした。そのまま、5キロは17分40秒で折り返しました。10キロのベストを出したときより10秒ほど良いタイムでした。

5キロを折り返して、再び塩グレートさんがカメラを構えていたので、今度こそ良い位置で写真を撮ってもらおうと思って、あえて塩グレートさんの方にコースを移動して撮ってもらいました。

でも、そのタイミングで競っていた集団から取り残されてしまいました(自爆)。
これはまずいと思い、リカバリーしようとしましたが、ここで暑さがボディブローの様に効いてきて、そのまま集団にずるずると引き離されてしまいました。その後はいつもの臀部痛とスタミナ切れで、最後はヘロヘロでゴールしました。

結果は、目標とした36分切りは果たせず、36分9秒でした。これで連続自己ベスト更新記録も止まったと思ってましたが、家に帰って確認したら、今までの10キロのベストは今年の横浜ロードレースの36分15秒でした。なので、辛うじて10キロの自己ベストは出せました。

でも、36分を切れなかったのは非常に悔しいです。やはり、いつもげん担ぎに食べていた食パン(ダブルソフト)を購入し忘れていた為、朝食で食べられなかったのが原因か、はたまた2週ペースでレースに出場していた為の疲労の蓄積かとも思いましたが、自分の力不足だと思います。

とりあえず、明日アラフォーの仲間入りをするので、ケーキをやけ食いして、(年末の忘年会シーズンに備えて)しばらく休みます。疲れている感じがするので、疲れを取って年内最後のレース(フルマラソン駅伝)に備えようと思います。

レースに出場したクララ、ロンブーお疲れ様でした。そして、家族サービスの合間を縫って
クラブ出場者を応援してくれた塩グレートさん、ありがとうございました。

予断ですが、レース後のランチでロンブーがエネルギー補給していた黒あんみつが無性に気になり、代わりに蒲田でおはぎを2つ買い食いしてしまいました。

やっぱり粒あん最高〜!    では。









11月16日(日) 第30回・東京国際女子マラソン



            
やまぐち 

霜月11日、気温30度、湿度80%のバリ島から帰国。バリ島のハーフマラソン・・・サバイバルレース(生きてゴールしたいレース)

@10キロまで水なし
Aオートバイ&車&動物の死骸&裸足の子供をうまく避けながら走る
Bコース上、岐路に誘導員無くコース不明

トレイルランと少し似ているかな?
だけど、やまぐち、またバリマラソン走りたいですね!しかも、最低7日間は滞在したい!

なぜか、それは、人間も、自然も素朴だからかな!?



そして、今日迎えた東京国際女子
今まで10回参加、この第30回大会が、最後の大会!

田舎者の私にとっては、ずうっと憧れの大会でした。これからも私の心の中では永遠の憧れの大会! 忘れることのできない沢山の仲間からの声援と共に・・

走りを続けてきて良かった!
ここまで走ってこれたのは、家族・ラン仲間のお陰です!
気持ちよく楽しく完走し、やまぐちの東京国際女子は今日で完結しました。

今回警備された皆様、大変お疲れ様でした。また沿道のご声援、本当にありがとうございました。

これからもよろしくお願いしまーす!







   
11月16日(日) 川崎国際マラソン



         

                 
山ちゃん(DNS)

湘南国際、多摩川国際ハーフそして東京国際と盛りだくさんな日曜、レース、係員、応援とお疲れ様でした。
特に、自己ベスト、表彰の方々はおめでとうございます。走りこみの成果がでましたね。

僕は、ちょっとした不注意から生じた足の怪我が、思ったよりも治らず、多摩川国際ハーフに出場予定でしたが、参加賞だけを受け取り、あとは応援することにしました。久々のレースだったので楽しみだったのですが、今回は、出走したらその後の競技に影響がでてしまいそうな状態でしたのでやむなく棄権しました。

なんとか来週の月例までに間に合うと今シーズンの目標も立つのですが。
こんどの月例で走れないようでしたら、駅伝までにある程度のレベルでの復帰は確実に不可能と考えてください。

て書いていたら、だんだん気持ちが盛り下がってきてしまいましたが、今はまず治すことが一番だと思うので、あせらずそれに専念します。










              
     甘栗 

仕事場の仲間で参加しました。スタートから異様に苦しく、今日は後半バタバタになるなと思ってましたが、結局2時間25分13秒で、キロ4分くらいで走りきれました。

あきらさん・2位入賞とは相変わらず強い!
たこGほまれさん・終いバタバタになる様、願っていましたが1ハロン負けました!
オカピ・自分より調子悪そうでした。

TAKEさん・調子良さそうでしたが、PBおめでとうございます!
ジョニーさん・流石に3000頭のけつからでは間に合いません!来年は逃げてください!さんちゃん・脚部不安で放牧中!応援ありがとう!

私事ですが、来年の3月にある資格試験があるので勉強をがんばります。
仕事で土曜練習会にも皇居ランにも参加できませんが、大会などで会った時は皆様よろしくお願いします!皆さんから噴出しているエネルギーをがっちり貰います!




             
TAKE  

走りましたよ。ハーフを。自分の時計で1時間30分ジャスト。これでも自己ベストです。目標は1時間30分以内だったけど、おそらくネットでは切ってるはずです。そして、速報掲示を見てませんでした。自分の言いたいことだけ言って申し訳ございません。

遅ればせながら昨日、各大会を走られた皆様お疲れ様でした。また、各大会の役員で参加された皆様お疲れ様でした。昨日の川崎国際では知人がボランティアで大会役員をされてました。皆様のおかげでランナーが走れるのです。感謝。

週末は多摩川のフルマラソンです。初フルです。不安と緊張でいっぱいです。大会役員される方、また、お世話になります。









                        
パティ 

各大会に参加された皆様、お疲れ様でした!私は、川崎国際ハーフに参加しました。初めてのハーフマラソンです。

今月初めに練習で皇居4周した時に2時間弱で走れたので、できれば2時間切れたらいいな〜と思い走り始めました。

前夜から緊張し始め、雨も降っていたのでそんな状況で自分が走れるのか不安もあり、会場に着いてからも人の多さに圧倒され益々緊張していたのですが、エアロビクスでの松田聖子の曲を聞いたり、知らないおじさんと話したりしたら少し緊張が和らいできて、スタートする時にはすごく楽しくなってきていました。

さらにスタートして少ししたらエグジュンさんがいて「ラスト20キロ!頑張れ!」って声をかけてもらい(私だとわかっていたのか不明ですが)、周りの人達も笑っていたし、かなりリラックスできました。ありがとうございました。

途中きつくなりだした頃、アキラさん、タコGさんとすれ違い、快走している姿を見て自分も頑張ろう!と気合が入りました!

ラスト5キロくらいがかなりきつかったですが、なんとか1時間58分くらいで2時間切り滑り込みセーフでゴールできました!

すごく楽しかったです!!次は1月末の新宿シティーハーフなので、それまで土練・皇居ランにまた参加して練習したいと思います。今後も宜しくお願い致します。










                 
 エグジュン 
昨日は川崎国際ハーフ、応援ついでにねーさんと走ってきました。

朝から連絡が。ピンク派手な半袖か白の長袖に黒に赤ライン帽子に赤い手袋&黒タイツ&グレー短パンに透明カッパかゴミ袋(これでも結構まとめました)、やっぱり白の長袖に変えたなど何度か連絡が。そんなに細かく言わなくてもわかるのに・・・。

そんなこんなでスタートには間に合わず、すでに多くのランナーが多摩川手前の道に。いるかな〜と眺めていると発見。ラッキー!カッパを預かり8キロポイントで待ってるねと声をかけ沿道で声援を。

王子&パティ、何でこんな所いるの!?ジョニー&折り返してきたあきら&タコG&TAKEさんを見送った後一緒に走る。ほぼ予定通りのペースで古市場を折り返すと同時に順位と年齢層の確認。ねーさん入賞出来るか気にする。

するとすれ違うランナーから「7番!!」との事。よっしゃ!!その後15キロ過ぎから徐々にペースが落ち始め何人かに抜かれるが、絶対キロ5分を越えないように引っ張る。「粘れ!!」「1時間45越えたら絶対許さん!!」などと声をかけラストスパートを。

最後はかなりきつくなり目標の1時間40切りは達成できなかったが、1時間44分56(ネット1時間43分位)でゴール。ヤッター!!入賞まであと1人でした。
次は中原ロードそして駅伝と、切込み隊長軽やかに走ってもらいましょう。お願いします!!
一緒に走れて楽しかったです!!










                      
タコG 

各大会に参加された皆様、お疲れ様でした。川崎国際ハーフに出場しました。勝手知ったるホームコースでスタート前には雨も上がり、まずまずのコンディション。

こりゃあ行くしかね〜という感じでしたが、土の地面が『やや重馬場』だったこともあり、デリケートな48才馬タコGホマレには少し走りづらかった感じでした。

つくばの前哨戦として、とにかくキロ4分ペースを意識し、結局前半は3分50-55, 後半は3分55-4分10と、「お約束」の後半の失速もなく、結果は先日の手賀沼の記録を4秒だけ更新し1'24"22のPBでした。

後半ひとり旅の際かなりペースが落ちましたが、後ろから並ばれると急にパワーが出て、振り切る余裕が持てたのが収穫でした。エグジュンさん初めクラブメンバーの熱心な応援にも助けられました。ありがとうございました。









                   
 ジュニア 

こんばんは。ジュニアです。
本日は各種大会の出場、皆様お疲れ様でした。

私も今日は川崎国際ハーフに出場しました。
会場到着がぎりぎりになってしまいましたが、何とかスタートラインに立つことができました。

最初の10kmは44分くらいでいけたので、まずまずかなと思ったのですが、後半はスタミナが持たず、結局初ハーフの結果は1時間36分12秒。男子35歳以下でジャスト100位でした。

途中10km手前でお会いした(追い越された)ジョニーさんの快走、あきらさんの表彰台を見て、すこしずつでも早く走れるようになれればと思いました。

それにしても、レース後のうどんは最高にうまかったです!!
一緒に走られた方々、応援していただいた方々ありがとうございました。











                     
アッシー 

アシザワ改め、今後、HNをアッシーにしようと思います。
以後、よろしくお願いいたします。

さて、各大会に参加された皆様、ロング練習会参加の皆様お疲れ様でした。
私は、初のハーフ挑戦となる「川崎国際多摩川マラソン」に参加しました。

これまで、最長で15km程度しか走ったことが無く、距離に対する不安もありましたが、目標タイムを2時間以内に設定しました。

朝から降り続いた雨もスタート時にはあがり、レースコンディションとしてはまずまずだったと思います。序盤はとにかくスタミナを温存しようと思い、キロ5分00秒〜10秒台をキープ。10kmまでは順調に進みました。

10kmを超えると5分20秒前後に落ち始め、ちょと弱気に・・・。その時、折り返しの先頭集団の中にあきらさんを発見。あっという間に行き過ぎ、声をかける間もありませんでしたが、その快速ぶりに勇気を頂きました。以後、5分10秒台に戻し、結果、1時間49分41秒と目標を達成することができました。

目標は達成したものの、中盤での落ち込みや給水のもたつきなど、課題も色々ですが、とりあえずハーフを走りきり、大きな自信となりました。
最後に、あきらさんはじめ、共に走られた皆様、沿道で応援いただいた皆様、ありがとうございました。





            
あきら 

本日の各種「国際」大会の選手・要員の皆さま、お疲れさまです。
私の「国際」は、「2008川崎国際多摩川マラソン」でハーフの部に参加しました。

多摩川クラブの先週の横浜ハーフの好成績に刺激され、ここホームコースで山ちゃんとジョニーのマッチレースを実況できる位置を前半だけでも走ることができればと思い、等々力競技場に入りました。

大会参加者は意外と多く、スタート前に残念ながら山ちゃんが足の故障により欠場すると聞き、また他の多摩川クラブメンバーを見つけることができないままスタートしました。

5キロを19分25秒、19分09秒と刻み、10月の手賀沼に比べると今ひとつの調子でガマンのレースとなりました。

折り返しで自分の位置を確認すると、35番手くらいで年代別で2位?
あれっ、ジョニーは? 何と後方を走っていましたがやはりプレッシャーになります。
その後の5キロを19分29秒、19分28秒と刻み、どうにかイーブンで走りきり、お陰さまで1時間21分34秒、年代別2位の表彰台に上がることができました。

ゴール後に聞くとジョニーは、最後尾からのスタートとなってしまい前半で飛ばし消耗し、それでもトータル3500人程を抜いたとのこと。

ジョニーのほか共にレースに参加したタコG、オカピ、甘栗、TAKE、ネーサン、アシザワさん、ジュニア(追加したよ。他にいましたらゴメンなさい。)お疲れさまでした。
コースで応援してくれた山ちゃん、エグジュン、ヨシカワさん、ありがとうございました。









平成20年 11月16日(日) 湘南国際マラソン

  


      直木賞候補作品   私の湘南国際          [ たま書房 ]




                                 多摩川クラブ     Barrie・梅野         






                    第1章 準備万端


 7月から徐々に走行距離を増やし、11月16日に照準をあわせ調整してきた。10月は180kmも走った。会社の帰りに着替えて遠回りして走るなんて、病的なこともした。

 一週間前の横浜マラソンの日だけは、ちょっとご褒美でビールを飲んだけど、あとは2週間ほど禁酒。こんなに飲まないのは、不整脈で会社を休んだとき以来だ。そして、金曜日の夜からは、食事の量を増やす。「カーボローディング」なんて言葉も覚えた。

  

 前日は、自分でゼッケンを受け取りに行く。二宮駅から徒歩で40分。時刻表をみると朝の電車は少ない。明日は少しでも早く行こう。二宮駅は大変混雑するはずだ。

 会場からの帰路は大磯駅まで歩き、蒲田で病院へ寄る。「心臓は問題ない」と言ってもらうだけのために、高校生のときから通っている近所の医師を訪ねた。注意事項に書いてあるじゃん。

不整脈の人は、走る前に医師の診断を受けましょうって。そういうのをちゃんと守るのが、私のいいところ。もちろん心臓はなんともなく、しかし今度は大腸の検査をすることになってしまったが、明日走ることができればそれでよし。

ユニフォームにナンバーカードをつけ、10時前には消灯した。いつもより3〜4時間も早いのに、すぐに眠れた。



 当日の朝は多摩川線の始発。川崎からはグリーン車。同じ車両には、あと2人ランナーがいるだけ。おにぎり3個、ゼリー1個、エネルギーバー1個、無理して食べているうちに、6時10分頃に二宮駅についてしまった。スタートまで3時間。

 人は少なく、ちょうどきたバスに皆乗ってしまったので、私の前後に歩く人はいない。一人、傘をさして会場へ。ウォーキング大会のように道中道案内の人には必ず挨拶し、雨が上がることを祈って歩く。私の初めての大会は2002年のガス橋マラソン。

それから数えて、今回が82回目の大会参加。台風や雪で中止になったことはあるが、走るのに支障があるほどの雨に降られたことはない。日ごろの行ないがよいからである。だから絶対に雨はあがると確信して歩いた。

大磯駅からの人は大勢で、合流してやっとマラソン大会らしくなってきた。人の流れに沿って行くと、そこはボーリング場だった。何でこんなところで、みんな着替えているんだ。その先は、プールの更衣室。なるほどここで着替えるのか。混んでいてボーリング場にあふれているんだ。

でも、まだトイレに行列はなく、スムーズに用をたし、更衣室の真ん中あたりに場所を見つけ腰を下ろした。
着替えはしたが、外は雨。時間もあるので、携帯でサザンを聴く。 そんなとき見ず知らずのおじさんが話しかけてきた。

             「初めてフルマラソン走るんです」

不安で、誰かに話しかけたかったのだろう。私の100円のビニールカッパを見て、

             「それどうするんですか」

と尋ねるので、

         「直前まで着ていて、スタート前に捨てるのです。」

と答えた。感心された。私も、ベテランランナーかな。

 7時半になって、荷物預かりを開始したとのアナウンス。100円を着て外に出る。意外に雨が強い。カッパを着たまま、ステージの近くを、ゆっくりと走った。こんな雨だから、アップしている人はほとんどいない。

いつもの土曜日の朝のように、じっくりとストレッチをすると、少し汗ばんできた。ドリンクとおにぎりをもらい、荷物預かり所へ向かう。

多摩川クラブのランパンランシャツ、帽子に手袋、シューズはターサーだ。ここまで全部asics。右手に石井琢朗のリストバンド。100円のカッパをもう一度着て、荷物を預ける。

いけない、もう8時を過ぎている。スタート地点へ急ごう。

                    「バリー」

おっと、カオリンじゃないか。Shimaさんやミーさんも。こんな道端に荷物置いとくの。でも預ける時間もないしね。私は先に行くよ。

 あれ、先へ行けない。この金網の隙間をどうやって通るんだ。あんなに早くきたのに、間に合わないじゃないか。プラカードをもった人は歩き出している。いくら私でも6時間のグループでは遅すぎる。途中にトイレがある。ちょっと寄っていく。ジョーさんもトイレにならんでいる。話している暇はない。急いで前に進む。

もうここまで。4時間のあたりの、道路の脇の空地で、進めなくなった。



        「国際マラソンなのに、民家の駐車場からスタートするんだ。」

 笑いが広がり、肩の力が抜けた。そう、あとは走るだけ。靴紐を締めなおし、道端の土の上で、私はスタートを待った。

 正確にあわせてある時計が9:00になり、私はstartボタンを押した。号砲は聞こえない。拍手の波が前方から押し寄せてきて、皆少しずつ歩き始めた。


            「今日はマラソンには絶好の天候です。」

とマイクがしゃべっている。そうだよね、風はないし、日差しもないし、暑くも寒くもない天気だ。

 集団はウォーキングから小走りになり、私はスタートラインを超える。最初のラップタイムは3:55。7月から始まったこのレース、ラスト42.195kmだ。





                    第2章 マイペース

 今日の目標タイムは4時間05分。PBが4時間7分18秒なので、これを更新することを目指している。軽井沢72さんは、昨年4時間07分19秒で年代別1位となった。私は1秒勝っている。勝手にライバルと思っていたが、今回は3時間50分が目標ときいて、これからは、あこがれのおねえさんに修正だ。

 そんなことより、今日の私の作戦であるが、入りは4時間ペースつまりキロ5分40秒。これは横浜よりキロあたり1分遅い。5kmで28分20秒。このペースで30kmまで行き、そこで余力があればサブフォーをめざし、きつければなんとか粘ってPBは更新する。

30kmまでは絶対にスピードを上げない。注意するのはこれだけ。あとは練習してきた自分を信じて走るだけである。

 しだいに、集団は、キロ6分ぐらいまでスピードが上がってきた。

 5m前に、多摩川クラブのユニフォーム発見。本生さんのようである。後ろから


                  「バリーさーん」


の声。マカプウさんだ。あっという間に過ぎ去っていった。ちょっと飛ばしすぎ。まだ先は長いのだから、そんなに人の間をぬって行かなくても。

 あれ、たるGだ。たるGは私の苦手なタイプなのか、話かけにくい。東京駅で偶然会ったとき、声が出なくてただ見つめてしまった。今日もそうだ。続いてテカさん。調子はよさそうだ。皆さんお先にどうぞ。私には私のペースがある。


 キロ5分台になったのは確かなのだが、自分がどの程度のスピードなのか今ひとつわからない。GPSをつけていれば、SOGがわかるのだが、そんな高価なものには手を出せない。最初の給水もすぎ、海岸に出て、まもなく5kmのはず。ここでのタイムチェックが最初のポイントだ。

 もうそろそろ。もうそろそろ。まだこない。35分。もうそろそろのはずはない。距離表示は、最低でも5km毎にはあるはずだ。なかった? 見落とした? こうなったら、自分のペース感覚を信じていくしかない。キロ5分30〜40分で行くしかない。だいじょうぶ、いけてると思う。走りやすい道になってきた。


 2回目の給水を過ぎ、10kmが近づいているはずである。今度は見逃せない。5km付近では右側を走っていて見失ったようだ。中央を走り、左右を注意して走る。

え、こんな小さな看板なの? 多摩川フルマラソンの方が見やすいぞ。もう少し、走る人のことを考えてもらいたいな、なんて思いながらLAPボタンを押す。


               10km地点。ラップ57:57。

 さあ、このタイムをどう判断するか。最初は遅かったが、5kmすぎからは設定ペースで走ったつもり。57:57から28:20を引くと、29:37。前半はもっと遅かったような気もする。すると後半は28分ちょうどぐらいか。このまま同じペースで進んでみよう。次の5kmでわかるはずだ。


 景色も今ひとつで、タイムの計算ばかりしていたが、ふと気がつくと、回りの人にどんどん抜かれて行くのに気づく。自分は同じペースで走っている自信がある。たぶん、皆スピードアップしているのだろう。ここで飛ばしたら後半ばてるのは必死。人は人、自分は我慢してマイペース。体調は良い感じである。


       15km通過。この5kmは27:45。ちょっと速いが、このままで行こう。

 江の島が見えてきた、折り返しも近い。今年のお正月にウォーキングクラブの方々と七福神めぐりをしたことが思い出される。仲間とすれ違うのも楽しみだ。

 ジョーさんには声をかけた。「マカプウ」って叫ぶのをためらっているうちに、すれ違ってしまった。テカさんには声をかけたが、気がつかなかったようだ。そして折り返し。

 PIROSHIは、私のかなり後方だった。ここのところずっと最後にさされて負けている。今日はぜひ先にフィニッシュしたいものだ。ジャイアン、ロクさんとはご挨拶した。初フルのお二人、がんばっている。

       20km通過。タイムは、27:43。いいね。さっきとほとんど同じだ。

 ふと横を見ると、タカダさんがあえいでいる。横浜では私より1分ぐらい速かったが、今日はどうしたのだろう。この地点で完全に失速している。まるで、私の東京マラソンを見るようだ。軽く会釈して先に行かせてもらった。

        25km。27:55。快調だ。号砲からのタイムは2:25:16。

 スタートまで3:55かかったのだから、25kmのネットタイムはここから3:55を引けばいいが、暗算ができない。難しい。いや待て、こういうときは4分引いて5秒足せば良い。こんなことはガウスでなくたって気がつかなきゃ。今でもマラソンより算数のほうが得意。ネットで2時間21分21秒。ジャスト4時間ペースだ。

 子供のころは、体が弱くて運動が苦手。勉強ばかりしていた私は、特に算数が得意であった。算数とマラソンには通じるものがある。それは日々の地道な努力が成果となってあらわれること。


将来使うことのない数学が入学試験にあるのは、数学の学力を試しているのではなく、地道に努力できるかどうかをみるためである。だから、マラソンは、私向きだと思う。マラソンを走るのは少し前までは想像もできなかったが、人生はこんなものかなと思う。

しかし人生について考えているほど余裕はない。今はマイペースで走るだけだ。






                  第3章 ギアチェンジ

 タカダさんを見たからかもしれないが、ここまで順調に来すぎているようで怖くなってきた。いつ大失速するかわからない。ここは思い切って設定ペースまで落とす。それでも夢のサブフォーだ。

 ペースを落とすと、すごく楽になった。それまでも苦しくはなかったが、今はやけに気分がいい。雲に隠れて見えないが、あそこにあるはずの富士山のふもとまで、このまま走っていける。

 看板が見えてきた。多摩川フルの30km地点で、「残り12.195km」とOnさんに言われたのを思い出す。

        30km。ラップタイム28:13。通過タイムは2:53:30。

おれは天才だな。意識してぴったりペースを落とせた。ネットタイムは、2時間49分35秒。2時間50分で4時間なので、理想的なタイムである。しかも意識してペースを落とし、余裕があってこのタイム。まだ喜ぶには早いが、いけるかもしれないサブ4。

 今の通過は、「グロス」で考えると、4時間までまだ1時間6分30秒もある。まてよ、仮に12.2kmとして、ここからキロ5分半で行ったとすると、2kmで11分、12kmで66分だから、200mに1分かかるとして、4時間00分30秒でゴールとなる。

ちょっとじゃないか。がんばればグロスでサブフォー。どうする。飛ばすか。安全策か。ええい、ここは行くしかない。30kmまで我慢するのが今日の作戦だ。ここからはいけるところまで行く。

 息が苦しくなってきた。まわりの人を、どんどん追い抜いていく。給水所で止まったりしない。スピードをあげ、あっという間に次の看板がきた。

          35km。26:57。グロスタイム3:20:27。

もうネットタイムの計算なんかはしない。残り7.195kmであと39分33秒。5分半なら39分30秒ぐらい。このままで行けば、ぎりぎりゴールタイムは3時間台だ。


 大磯プリンスホテルが見えてきた。テカさんとすれ違う。反対車線に倒れている人がいる。この道は西湘バイパス。高速道路には100mごとに標識がある。時計を気にして走る。100m32〜33秒ぐらいだ。この5kmは27分30秒ぐらいで通過できるはずだ。どこも痛くない。快調。



 


                   第4章 ラストスパート


               40km。27:24。グロス3時間47分51秒。

4時間まであと12分09秒。ラストスパートは心臓に悪いなんて言っていられない。もうこうなれば、死んでもサブ4だ。

 あっ。救急車だ。こちらに向かってくる。

救急車は目の前で止まった。倒れている人にAEDを使っている。一瞬スピードが落ち、頭の中が真っ白になった。


私はニトログリセリンを持って走っていたのだった。

 死んでも走るというのは間違いだ。

 私のウエストポーチには、飴、補給食、絆創膏などが入っているのだが、大切なものは、緊急連絡先を書いた紙、保険証のコピー、それとニトログリセリンである。狭心症の発作を起こしたときに使うものである。



 私は運動しても大丈夫とお墨付きをもらっている。幸い、まだ一度も使ったことはない。狭心症はすぐに生命の危険にさらされるわけではないが、常に持ち歩いている。もし、急に苦しくなったら、舌の下で溶かし、それで発作がおさまれば、狭心症であることがわかる。それを確かめるために持っているのである。

 一方、不整脈の方は、ランニング歴とほぼ同じくらいであったが、思い切って手術してからは一度も再発していない。


 私の不整脈は、期外収縮を頻発するのが主な症状で、1日に約2万回異常な脈があった。5〜6回に1回は異常となる計算。よく生きているなと自分でも思っていた。さらに、寝ているときなどに突然発作を起こして脈が速くなる症状もあり、このときの脈拍は心電図計で計測すると190くらいになる。

これが数分続く。ランニングの文献では最大心拍数は(220−年齢)とあり、私なら170である。190は、それ以上である。大丈夫とわかっていても、発作のときは胸が苦しくなり、生命の危険を感じる。手術後の検査で異常な脈は24時間で3回と言われたときには、不覚にも涙ぐんでしまったものである。


 手術前は、脈を押さえる薬を飲んで走っていたので、少しくらいスパートしても脈はあがらない。これってドーピングだよなと思っていた。薬をやめてから、スピードを出せば脈があがって息が苦しくなり、スピードを落とせば脈が下がって息も楽になるように戻った。人間の体はよくできている。

 今は息が苦しい。あと1kmの看板がある。このままでもぎりぎりサブ4だ。心臓に負担をかけてスパートする必要はない。これ以上のスピードアップは危険だ。


 PIROSHIとすれ違う。危険と思いつつも、自然とスピードがあがる。


 もう、とまらない。


 息が苦しい。足が熱い。


 左におれる。


 もう一度、左におれる。急な坂。


 ここは本門寺か。


 一気に駆け上がる。右にカーブする。


 前に振り出した右手をそのまま強く握り締める。


 両手をあげる。



                 ゲートの表示、3:59:28。



                    目標、達成 



 振り返ると、表示が4:00:00に変わるところだった。ドリンクをもらい、膝の屈伸を始める。曲げたまま、立ち上がれない。右膝と右踵に激痛が走る。しゃがんだまま、動けない。

 足に何がおきたのかわからない私は、そのままの姿勢で、3:59:29でとまっている自分の時計をじっとみつめていた。




                  
                
最終章 エピローグ


 しばらくして、ようやく立ち上がった私は、右手にはめた石井琢朗のリストバンドで、ほおをそっとぬぐい、荷物をとりにいく。

 戻ると、先にゴールしたみんなが微笑んでいる。塩Gがカバンから宝焼酎のカップを出す。テカさんがカバンから缶ビールを出すと、それをみんなで回し飲み。今回は完璧に準備したつもりだったけど、ここまでは考えなかったなあ。


 この数ヶ月間、よく走った。そして、今日42.195kmを4時間で走ったのは、確かに自分の足なのだけど、自分の力だけではない。土練のみんながいたからだよね。



「先週の湘南国際マラソンでは、念願のサブ4を達成できて、大変嬉しいです。土曜練習会の皆さんと出会うことができて、私は、なんと運のよい、幸せな人生を送っているのだろうかと思いました。」




        今度の土曜日、一言タイムはこれでいこう。今夜も良く眠れそうだ。







                            (了)















            ほんなま

小雨の降る中、湘南フルを完走した皆さん、お疲れ様でした。
グロス記録は、3時間29分で初の3時間半切り!

これもオクトバーランの成果ですね。
そして、走っている時の仲間の励ましが、大きな力になりました。

塩Gさん、すごい!! 流石、350kmを走った賜物ですね。

マカプウさんとテカさんの、残り3kmでの苦しい時の「ほんなまさ〜ん」は、歩きたかった時だったので、最後の力を振り絞れ、有難かったです!

エーコさんの颯爽とした走りは、かっこいい!40kmで抜かれた時は、あっけにとられてしまいました。

今回は初めて歩かずに完走しました。まだまだ、35km以降は、スタミナ不足です。

次回の東京フルでは、大きな目標☆に向かってがんばります☆







             テカ 
湘南国際では、2年越しで目標にしている3時間30分以内を狙い、
オクトバーランも走り込みましたが、ヘタレで跳ね返されました。
3日間完休し今朝から勝田を目指して走り始めました。










                    
 タカダ 

こんばんは。湘南国際マラソンに出ました。(フル2回目です)
結果は、4時間46分42秒と、恥ずかしい限りです。24キロ地点で、左足が攣ってしまい。途中、歩いたり走ったりの繰り返しでした。まだまだ甘いなと、思い知らされました
荒川フルにエントリーしました。目標は、歩かずに完走です






           
 マカプー
 

日曜日のレース、練習会参加の皆様、お疲れ様です。
湘南国際マラソンの結果報告します。

結果から言うと、目標とした4時間切りを達成し、3時間46分2秒のPB。
が、しかし、しかし、塩Gさん改め塩グレートさんには完敗でした(泣)。

レースのほうは、4時間〜4時間20分の列から、テカさん、たるGさん、ホンナマさんと
一緒にスタート。
走り出しは混雑のために思うように走れず、最初の5Kmが27分4秒。
ちょっと遅いが、余裕があったほうが後半に体力が温存できると納得
させる。

その後の5Km毎のラップは。。。
 10Km 0:52:36     0:25:32   混雑も徐々に解消して走れるように、ほぼ目標タイム
 15Km 1:17:22     0:24:46   足も体も軽く、気持ちよく走れる。最速ラップ。
 20Km 1:42:32     0:25:10   まだまだ体も軽い。
 25Km 2:08:27     0:25:55   後半。。。ちょっと足が重たいぞ???
 30Km 2:35:45     0:27:18   やはり足が重たい。しかしなんとか踏ん張る。
 35Km 3:02:59     0:27:14   なんとか同じペースで、4時間切れそうだぞ!
 40Km 3:33:31     0:30:32   やはり。。。でも頑張った!
 42Km 3:46:02     0:12:31   ゴ〜ル! 40分台達成!

今回の結果は、皆さんと参加したオクトーバーランでの走りこみの成果と思います。
次はホノルル。塩グレートさんのライバルに復帰できるよう頑張ってきます!
ありがとうございました。







         
  塩グレート 

皆様のおかげで、湘南国際でひそかに狙っていた3時間30分台(3時間37分24秒)のタイムを出すことができました。非常に非常に非常に、大大大満足です。今は筋肉痛で階段を降りるのがつらいですが、この痛さが、また快感です。

ひそかに、今後の目標とライバルを設定中です。勝手にライバルにするのは、ジ○ーさん、エー○さん、などです。頑張りマース。



 


            
バリー 

皆さんお疲れ様でした。

私は、手元計測で、グロス3時間59分29秒、ネット3時間55分34秒で、念願のサブフォー達成。

この日のために、ずいぶん走った。そして期待通り、走った距離は裏切らなかった。30kmすぎからは、まわりの中で一番速く、ごぼう抜き状態で、とても楽しい42.195kmだったです。

43歳から走り始めた運動が苦手な50歳のおじさんでも、努力を積み重ねればサブフォーを達成できることを証明できて、大満足です。今は、自分で自分をほめたいと思います。

実は私もレース報告を書いているのですが、あまりに長文になってしまい、内容も支離滅裂のため、推敲してから後日掲示することにします。

一人では、サブ4は、目標にすることすらできなかったと思います。
皆さん、本当にありがとうございます。

本日は、以上です。









                       
ジョー 

国際レースに参加された皆様、お疲れ様でした。
と言ってもまたまた最も疲労を感じているのは私でしょうか。。

やまぐちさん、ゴール後に熱いものがこみ上げてたそうですが、こういう舞台で走れる人が羨ましいです。今まで頑張ってきた人へのご褒美でしょうかね。

さて、湘南国際の方はというと、青竹1〜3号はじめ、PB続出でした。
「PBを更新した人、手を挙げて!」
と言ったら、その場にいた人で手が挙がらなかったのは私とテカさんくらい?

個人的には200分切りを目標にしてきましたが、結果は210分を越えてしまいました。エーコさんには置いていかれ、塩Gさんには迫られ・・・。40k過ぎてから歩くなんて、情けなくて疲れが倍増です。明らかに走りこみが足らなかったせいだと反省しています。

フルは1月の勝田と3月の東京です。走りこみと体調管理に努め、目標の200分切りを達成します。










                    
ジャイアン 

昨日、各大会等に参加された皆様、お疲れ様でした!私は、湘南国際マラソンで年甲斐もなくフルに初挑戦しました。今日は駅の階段の昇り降りが辛い一日でしたが、初ハーフのときに比べると何故か少し楽のようでした。もしかして、老いが進んで筋肉痛のピークが明日かも?・・・。

3年前に健康の維持・増進という軽い気持ちで初めて自宅前の多摩川サイクリングロードを普段着の短パン&ポロシャツで走ったことを今でもはっきり思い出します。200m程度を走った所で息が切れ、少し歩いて又200m。これが精一杯でした。

そんなおじさんが昨日、30キロ付近から確かに歩いたり、走ったりでしたが、「42.195」を完走(完歩)出来たなんて、感慨もひとしおです。これも多摩川クラブの方々から普段いただいたエネルギーのお陰と確信しています。

昨日は特に多くの多摩クラの方とご一緒できたことも自分にとっては幸いであり、スタートして3〜5キロ付近でカオリンちゃんとミーさんに併走して貰ったこと、江ノ島の折り返し前に既にターンをして来た(目撃出来たメンバー)ロンブーくん、高田さん、テカさん、バリーさん、PIROSHさん、ロクさんに元気を貰ったことも大きかったと思います。

それにたるGさん、塩Gさん、ジョーさん、マカプウさん、本生さん、SHIMAちゃん、エーコさん皆さん有難うございました。お陰さまで今年の目標が達成することできました。

来週は職場の方とのお付き合いで名古屋シティーマラソンを走ることになっています。レース後は軽るーく飲んで、仕上げは「ひつまぶし」「味噌煮込み」「味噌カツ」のいずれかで閉めたいと思っています。

来年の目標は「歩くことなく42.195」。これでいきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。




           
 エーコ 

各地、試合に参加された方、監察員、ロング練習会などなどおつかれさまでした。

今回、PB更新することができました!自分の時計では3時間22分55秒、フィニッシュ地点での時計では3時間28分(スタートまで6分もかかってたのかー!)でした。

雨が降って楽しみにしていた景色が見れなくて残念でしたが、記録は大満足です。土練と合宿、そしてやはりオクトーバーランが、かなり効いていると思いました!

大会自体は、う〜ん、、朝の電車の想像を絶する混雑と、駅から徒歩40分というアクセスが。。特に帰りはきつかったです。

でも雨の中、ボランティアの方々には頭が下がる思いでした。






        
たるG&カオリン  

湘南マラソン、 東京国際女子マラソン、川崎国際多摩川マラソンに出場された皆様、お疲れ様でした。

我々は湘南マラソンに出場。会場に向かうのに、たるG他は川崎から二宮までギュウギュウ詰めの中、1時間立ちっぱなし。

カオリンは大阪のおばちゃん根性で、横浜で降りそうな人に目星をつけて張り込み、見事座席をゲット。



             〈 以下 たるG 〉

会場までは徒歩40分かかり、荷物を預けたら、早くもスタート30分前。
必死で整列場所に向かったものの、予想タイム4時間の列にやっとたどり着きました。

渋滞の中、最初の5kmは32分、次の5kmは27分。15kmぐらい走ってようやく列がばらけてきました。

膝は少し痛いだけで問題なし。最初ゆっくり走ったおかげか、スタミナも持ち、3時間33分でゴール。塩グレートにも何とか勝てました。(今じゃ塩Gがライバル)今後も頑張りたいと思います。


             ( 以下 カオリン)

フルデビューの「ロクさん&ジャイアン」 フル2回目の「ミーさん」復帰レースの私の4人で、オクランの多摩川クラブTシャツを着て広報活動しながら走りました。

みんなでワイワイ楽しく走ろうと言い出しっぺの私が、3人を置いて頑張ってしまいました。

20キロ過ぎでPIROSHIを一瞬、捕らえた後は、失速してしまいましたが私設エイドも含め、給食をたっぷり取り4時間33分くらいでゴール。焦らず、長期戦で復活を目指します。

今日、一緒に行動した茨城県人「塩ちゃん」が、みんなにヨロシクと言っていました。
お世話になりました。(塩Gとは全く関係ない、彼女もPB更新でした)





           
 ロンブー 

今日は湘南国際・フルに参加しました。

朝、大船駅〜二宮駅までギュウギュウ詰め。。 希望を言えばキリがないのですが、やはり二宮駅から会場の大磯ロングビーチまで遠かったです。。
2万人のランナーが一同に会場に集まり、かなり気持ち的にいっぱい・いっぱいでした。

レースコンディションは小雨が降ったり止んだりでしたが、走り易かった(私個人としては、蒸し暑かった)です。

皆さんPB続出(オクラン効果?)で、塩Gさんは3時間37分台と大幅に更新!  PB達成、初マラソンの皆さん、おめでうございます。

私は、PB更新も、目標だった2時間49分台を出せず、撃沈しました(腕時計で2時間50分54秒)。

雨天の為、富士山を眺める事が出来ず。きつい所は湘南大橋の地面がやたらと固く足が痛み、そして一番きつかったのは30km越えての西湘バイパスはまーっすぐでしんどかったです。キロ4分キープは難しいですね。35kmまで2時間20分でしたが…

体重が5年前から現状維持なので、もっと痩せないといけませんね。














 
平成20年 11月9日(日) 横浜マラソン

10km わだっち 10km 高嶋さん
10km バリー 45’38 BR 野村さん 登録1位 1’07”27
富張さん 登録2位 1’08”21 山中さん 登録3位 1’08”41
一般1位 ローレンスさん 1’09”18 藤澤さん 登録4位 1’10”15
楠さん 登録5位 1’11”53 高瀬さん 一般4位1’15”21
横中さん 横中さん
ロンブー 一般8位 1’16”56 まっきー 1’19”22 BR
横中さん 横中さん
くうパパ 今日の記録はセカンドベスト アランチュールさん
横中さん 須藤さん・・かも
佐藤さん 横中さん
加藤さん 横中さん
シッチさん(伴走)と秋山君 粂さん
Tracky 小椋さん
Mr.Onn  1’56”(祝!制限時間内完走) 隣で観戦していました。Nice meeting you.
氷川丸 MM地区
きやきやさん 1’18”56(祝!80min切り)  Good smile
登録ハーフ男子・表彰 一般男子・表彰  Well done !


          
COMMENT


           ロンブー

横浜マラソン参加の皆さん、沿道で応援して下さった方々、テカさん、みゆきさん、クララさん、応援等サポートありがとうございました。嬉しかったです。

参加のランナーの皆さんが(自分も含めて)PB続出されて驚異的に思いました。
10kmのわだっちさんも、ハーフならかなり良い所まで行けたのではないですか?凄いタイムです。

個人的に思う所は沢山あるのですが、皆さんの書き込みの通りの感想です。(私への祝福コメントもいただきまして、皆さんどうもありがとうございます。

レースは、気候が良かったので、大会の新記録も続出で本当に走り易かったです。

私の方は、橋の下を折り返し、確か14km地点で前方・後方のランナー両方との差が付いてしまい、4km位を一人で走り、右膝も痛くなってかなり苦しい展開になったのが一番強く印象に残りました。


ラストは一般の部のランナー私含め、3人と相当な競り合いになりました(自分もそうでしたが、10位までの入賞狙いでしょう)。。。

10kmレースではあの諏訪選手もゲストランナーとして参加されたそうですね。表彰式の壇上で、近くで、生で見る事が出来て良かったです。





           
くうパパ
        
横浜マラソンに参加された皆様、お疲れ様でした。
応援してくださった皆様、どうもありがとうございました。

昨日はレースコンディションが良かったこともあって、PB続出の凄い日でしたね。
自己ベストを出された、まっきーさん、きやきやさん、ロンブー君、わだっちさん、トラッキーさん、バリーさん、タカダさん、どうもおめでとうございます。(漏れている人がいたら、ごめんなさい。)

表彰台に上ったタカセさん&ロンブー君、80分切達成のきやさん&まっきーさん、本当におめでとうございます。

日頃の練習の成果をきっちりと出されて、素晴らしいと思いました。
(タカセさん、練習会に是非また参加してくださいね。お待ちしています。)

わだっちのタイムも凄いですね!
ウルトラランナーながらスピードも一級品と思っていましたが、これほどまでとは…。
(駅伝、なんかもったいないですね…。)

体調不良の中、プライドをかけた死闘を繰り広げたヒロシさんも、お疲れ様でした。
ゆっくりと休んで、体調を早く治して、つくばでは快走を期待しています!

応援してくれたエーコさん、みゆきさん、ガッチリとサポートしてくれたテカさん、クララ君、どうもありがとうございます。

クララ君、差し入れごちそうさま。レース会場でのDNSの決断は勇気がいることなので、さすがだなと感心しました。次のレースに備えて、コンディションを整えてくださいね。

私も昨日はわりと調子が良く、4年前の自己ベストに3秒届かないセカンドベスト(1:22‘08“)でした。

前回の手賀沼よりも6分半縮めることができ、病気回復後、初めて手ごたえを感じることができたレースでした。

まだ少し、体がしっくりとこないところもありますが、焦らずに戻していければと思います。








                      タカセ

横浜マラソンに出場された皆様、お疲れ様でした。
また応援してくださった皆様、ありがとうございました。

最近、土練にご無沙汰しております、タカセです。
私のご報告もしてくださり、ありがとうございます。御礼申し上げます。

本日は昨年参加していた
ア○ノバリューチームに合流させていただきましたので、
ア○ノのユニフォームで走りました。

最近の多摩川クラブの皆様の活躍ぶりはすごいものがありますね。
何というか乗っているチームの神がかり的なパワーを感じます。

私も是非この波に乗らせてもらって頑張っていきたいと思います。



         
横浜マラソンのご報告

ヒロシさんのご報告にあるラスト2kmの後続ランナーの内の一人は私です(笑)。
追いつきそうになると離されることが何度か続き、しかも落ちてくる様子もないので、このランナーはどうしたのかなと思っていました。

多分マメかなと思ったのですが、そういう訳だったのですね。つくばでは全快で頑張っていただきたいと思います。

何はともあれ意地に火をつけることができて本望です。(笑)







                      ヒロシ

本日、横浜マラソンに出場しました。参加された皆さん、応援の皆さんお疲れ様でした。


入賞された皆さん、自己新を出された皆さんおめでとうございます。
日頃の練習、努力、精進の賜物ですね。皆さん素晴らしいです。


クララ君、寒い中、応援お疲れ様。
自身体調不良の中、最後まで応援していたクララ君に、強いチーム愛と仲間達との深い絆を感じました。

体調回復させて、また多摩クラ最速王の座をかけてガチンコしよう!


くうパパさん、セカンドベストおめでとうございます。着実に復活ロードを驀進していますね。折り返しでの気合の入った応援も嬉しかったです。ありがとうございます。


まっきーさん、80分切りで目標達成おめでとうございます。
オクランでは、こちらこそ、心に響く、温かいメッセージをありがとうございました。ホップ・ステップ・・・。

つくばフルでは、おもいっきり、ジャンプしてください。今日の横浜が、いいスピード練習になっています。

600km走りこんだ精神力・脚の土台、スタミナが味方し、つくばでは、結果として現れるはずです。適度な緊張感を保ちつつ頑張ってください。


バリーさん、5km(通過)&10kmW自己新おめでとうございます。禁酒摂生、自分を律しての目標達成素晴らしいです。美酒で祝杯されたのでしょうか。勝って飲む酒は格別ですね。

自己新男、きやきやさん、手賀沼に続くベストおめでとうございます。我々アラフォー世代の誇りです。走るたびにPBで羨ましいです。


ロンブー君、自己新&表彰台おめでとう。やったね!ガッツポーズの写真、決まってます。今後の活躍が楽しみです。


京都トラック全国大会、10,000mに出場したジョニーさん、22秒短縮、35分29秒自己記録更新おめでとうございます。立派です。

年齢を超越した進化する走りは、見習いたいです。34分台が出せなかったと、結果に満足せず、ひたすら上を見据える貪欲な姿勢、素晴らしいです。



        
 私の横浜ハーフ報告です。


先週から、職場移転準備により、毎日、残業激務が続き、つなぎのジョグ練習ができず、日曜の皇居40km走と、水曜、夢の島トラック1,000m×3本(3:10-3:09-3:10)のポイント練習、補強筋トレ等で、なんとか現状での勝機を探りつつ、もがいていました.

しかし、無理がたたり、風邪と過労により、金曜から土曜にかけて、吐き気、熱、胃痛(金曜職場で、水便→トイレ7回連続)に苦しみ、土曜は、1日中、寝たきりでダウン・・・。


昨日の状態では、横浜ハーフ欠場を考えていましたが、レース当日、胃痛は少し治まり、熱も平熱に戻ったので、背中とお腹(悪寒が止まらないため)に、ホッカイロを大量に貼りまくり、強行出場しました。


本来、出場できる状態ではありませんでしたが、家で寝ていても、体調は回復するだろうけど、自己嫌悪と敗北感が増幅し、次にも繋がらないため、轟沈覚悟で、いける所まで攻めて、やり抜く道を選択しました。


10kmまでは、手賀沼ハーフより、速いタイムを刻み、15kmまでは、手賀沼と変わらないラップで、大幅な粘りで健闘しましたが、その後は、お腹が空っぽのため、力も入らず、失速し、万事休すでした・・・。


ラスト2km、背後から、数人の後続ランナーが追いかけてきたのですが、意地が爆発し、ゴールするまでは、追い上げてくる後続ランナー達には、誰にも抜かれてたくない!、負けてたまるか!と、全身全霊で、何回もスパートをかけ、誰にも抜かされずに、己のプライドを、泥臭いながらも死守することができました。


結果は75分台でしたが、薬に頼らず、気力の走りで、風邪を治し、つくばマラソンに繋がる走りができました。


病は気からを体現しましたが、明日からの体調が、ちょっと心配です。



      
■11/9(日)横浜マラソン・ハーフ


LAP per 5km



5km   16:59

10km  34:44(17:45)

15km  52:45(18:01)

20km 1:11:32(18:47)

G   1:15:17(3:45)




LAP per 1km

1km   3:10

2km   6:26(3:16)

3km   9:56(3:29)

4km   13:28(3:32)

5km   16:59(3:30)

6km   20:29(3:30)

7km   23:57(3:27)

8km   27:30(3:32)

9km   31:06(3:36)

10km  34:44(3:37)

11km  38:17(3:33)

12km  41:58(3:40)

13km  45:36(3:37)

14km  49:09(3:32)

15km  52:45(3:36)

16km  56:30(3:44)

17km 1:00:15(3:46)

18km 1:04:09(3:53)

19km 1:07:52(3:43)

20km 1:11:32(3:39)

G   1:15:17(3:45)




           わだっち

横浜マラソン参加の皆様お疲れ様でした。

私は10kmに出場しました。今回は前半と後半で差が出ないようイーブンで、スピードよりスタミナを意識して走ろうと思いました。いつもの通り最初のスタートでもたついたんですけど、1〜2kmで3:20で走れたのでこのペースを維持する事を心がけて走りました。

前半5kmはバラツキがあったけど、後半はほぼイーブンで走れたたので気持ち良くゴールすることが出来ました。途中誤ってストップウォッチをとめてしまい、ゴールタイムがはっきりしなかったんですけど、大会のHPで結果を確認したら(グロス)34:54・(ネット)34:47のPBでした。

サポートしてくれたテカさん、みゆきちゃん、クララ有難うございました。
これから大きな大会が続きますけど、参加される皆さん頑張って下さい。








                    バリー

テカさん、本日はとても助かりました。みゆきちゃん、応援ありがとうございます。

私の10kの結果は、45分56秒(ネット45分45秒)でPB。ついでに後半5kmの22分35秒も5kmとしてのPB。

今日はもう他に書くことはありません。達成感で胸がいっぱいです。








                      まっきー

初冬を思わせる寒々とした空気の日曜日でしたが、自主練に励んだ方々、横浜マラソンに参加された方々、温泉三昧の方、等々、大変お疲れさまでした。

☆☆ロンブー、高瀬さん、好記録での入賞おめでとうございました!
 (表彰式でのロンブーのハニカミ王子ぶりがヒットでした^^)

今回参加した横浜ハーフ(陸連登録)の私のゼッケンが111で、きやさんが112。
(なんでこうなったかは不明ですが)これは何かの縁かと思い、とにかく付いて行けるところまで行こうと、、多摩川クラブ・ユニホームの連番RUNで、、フサフサの茶髪が寒風に揺らめく後姿と「駆」の文字を見ながら、きやさんに上手く引っ張ってもらいました。

16kmまでは何とか付いて行けたのですが、ここにある給水所を過ぎてから、またたく間に引き離され、その後は息も絶え絶えの一人旅となってしまいました。。

それでも、1:19:22(手許時計)の80分切りPBでゴールすることができました。
☆ラスト5kmまで引っ張ってくれたきやさんに感謝です!
◆同時に、ラスト5kmが課題です;;

>クララ
ご苦労様といって差し入れてくれたリポビタンD、とても嬉しかったです。
どうもありあがとう!

>タマ蔵さん
次回のハーフ「サンスポ千葉マリン」では、2人してきやさんにプレッシャー掛けられるよう頑張りましょう!

>ヒロシさん、マサ君
オクランを通してくれた、専門的で勉強になるコメントや、心に響く熱いメッセージは、とても参考になりました。
つくばフルにも上手く繋げていけるよう頑張りたいと思います。ありがとうございました。








                       たかだ


今日、横浜10キロを走りました。スタート〜ゴールまで、ネーサンとデッドヒートでした
記録の方ですが、昨年よりも、1分縮の45分01秒でゴールしました。記録更新です。

自分の時計では、44分台だったのですが。焦らずにやって行きたいと思います。
ゴール直後に、バリーさんにお会いしました。記録更新だったみたいです。

来週は、湘南国際フルを走ります。











                     きやきや

横浜マラソン(ハーフ)に出場しました。先ほどまで、泥のように寝てました。

多摩川クラブ勢は、先日の手賀沼ハーフの勢いをそのままに、各自なかなかの結果でした。詳細は、各自報告があるかと思います。

きやきやは、手賀沼から2週間しか間が開いていなかったのと(結構軟弱)、先週のマサ練で頑張り過ぎたのと、出張疲れ(飲み疲れ)があり、スタート前から臀部痛と体の重さ(実際、重いんですが)を感じてました。

また、前夜にマンUが宿敵との大一番で負けてしまったショックもあり、久々に不安感一杯でした。でも、そこはA型なので開き直ってスタートしました。

手賀沼ではタマ蔵さんに終盤追いまくられてPBが出せましたが、今回は序盤から”600キロ男”マッキーにロックオンされた状態で、まったく息つく暇のないタフなレースでした。

いつ”黒豹”マッキーに捕食されてしまうかとドキドキしながらのレースでしたが、その甲斐あって最後まで頑張り切ることが出来ました。

結果は先日の手賀沼ハーフのPBを2分ほど更新して、手元の時計で1’18”56のPBで、晴れて80分切の仲間入りをしました。走った後、足にマメが出来てました。正直体に良くないです(^^;)

レース後にドリンク剤を差し入れしてくれたクララ(体調不良によりDNS)ありがとう。君もドリンクをたくさん飲んで、次のレースに備えてコンディション調整してください。あと、レースでもないのにいろいろお世話してくれたテカさん、ありがとう。

レース後は、あまりの寒さ&雨で、さすがに野外アフターというわけには行かず、中華街で”ランチ”しました。中華街は、相変わらず混んでました。

やっぱり2週間間隔のハーフは辛いです。そんな私から見て、クラブ内で故障者リスト入りや体調不良が見受けられる中で、”600キロ”コンビは凄いです。2人とも今月フルマラソンがあるんですけど・・・・。でも、あんまり頑張りすぎないようにね。来月は駅伝ありますんで(^^;)

きやきやの次のレースは横須賀シーサイド(10キロ)ですが、この勢いで36分切りを狙います。でも、その前に休養します。疲れました・・・。エーコちんみたいに温泉でも行きたいですわ。

仕方がないので久々に綱島温泉の電気風呂にでも行きますかね・・・では。














 平成20年 10月26日(日) 久米島フルマラソン

             
     多摩川クラブ イツキパパ

私は久米島マラソンに参加してきました。

この大会は久米島のきれいな海を眺めながら走るコースでファンランの人も多いですが、フルマラソンは陸連公認コースです。

平坦という触れ込みですが、実際は結構アップダウンがあり、特に35k前後には二段階の上り坂があり、かなり堪えます。そして10月とは言え沖縄は最高気温30度前後になり、海やプールでは充分に泳げる気候です。

つまり夏マラソンというわけでかなりきついですが、沿道ではオジイ、オバアが鍋たたいて応援してくれたり、私設エイドも多数、35k過ぎには「ゴールだ!ビールだ!」の横断幕があり、勇気付けられます。

私は、この大会に2005、2006年と両親、妻、子の応援チームを引き連れて連続参加、連続入賞していましたが、昨年この時期に父を亡くし参加できませんでしたので、今回はリベンジの意味もあり、かなり気合入っていました。入賞宣言の書き込みまでさせてもらいました。

レースはスタートから1kの入りが3:50、先導の白バイも充分近くに見える位置で通過しましたが、その後集団がバラけて、中間点まで1k4:00〜4:20で推移、中間点通過タイムが1:28:48でした。

このまま行けば久々サブスリーかと思いましたが、ご存知のとおりマラソンは、そんなに甘くはありません。後半からは、さすがに気温(最高29度)と左足裏に出来たマメがボディーブローのように効いてきて1k4:30〜40まで落ちてきました。

39〜40kはワーストラップ5:16まで落ちましたが、最後の1kは力を振り絞り3:59まで上げて、3:07:48で妻と子が待つゴールへ飛び込み、総合6位、年代別1位と宣言どおり入賞できました。

ホテルに帰り、レース着のままフロントのパソコンで速報書き込みしましたが、早速皆様から祝福の書き込みをいただき感激しました。ありがとうございました。
うれしさのあまり、ランチにオリオンビールの大ジョッキおかわりしてたら、表彰式遅刻しちゃいました。

参加賞のTシャツ、泡盛、みそクッキー等、そして大切な入賞メダルをいただき、島内にある海洋深層水の温浴施設で体をほぐし、夜も、うまいビール堪能しました。(このためにマラソンやってます。)

翌日の沖縄タイムスには、総合10位まで名前が載りました。所属クラブ名が載れば良いのですが、名前と居住地、記録しか載りませんでした。残念!

3月から土練に参加させていただき、沢山の刺激をいただきました。
特に真夏にインターバルをやったことは、このレースに活きたと実感しております。

レース中きつくなった時にはクラブの皆様の顔を思い出して、余計きつくなりました。じゃないっ!元気を取り戻しました。
今後もできる限り参加させていただきますので、ご指導よろしくお願いいたします。

PS:今年のゲストランナーは多摩川を練習拠点のひとつとして活躍されているマーラヤマウチさんでした。

運良く、レース前後にお話する機会がありましたが、マーラさんは多摩川クラブをご存知で、「ガス橋からスタートして走っているクラブですね。」とおっしゃっていました。(合同記録会のことです。)

とても上手な日本語で気さくに話して下さいました。オリンピック入賞ランナーとお話できて感激しました
.










 
平成20年 10月26日(日) 手賀沼エコマラソン

                  
多摩川クラブ  ヒロシ

本日、手賀沼エコマラソンに参加しました。

スタート前、強く降りつける雨を心配しましたが、雨が止んで条件が良くなり、助かりました。

今年初めての、ハーフマラソン。トラック5,000m&5kmロードレースが続いていたので、久しぶりハーフの距離が、とても新鮮でした。

今年のハーフ・メインレースとなる、横浜マラソンに向け、前哨戦と位置づけ、1時間13分50秒(km3:30)を目標設定にしました。

金曜を完全休養(男はだまって)にし、土曜は、km5分・6kmジョグのみ、抑え目練習にとどめ調整しました。

レースは、1km3:25で通過。
そのまま5km16分40秒で突っこむという誘惑もありましたが、5kmレースでは、ないということで、設定を守り、3:30をペースメイキングしました。

学生と市民ランナー7人ぐらいのペーサー集団後方につき、ベルトコンベアーのように、引っ張ってもらい序盤は安定していましたが、8kmぐらいから、集団のペースの中だるみがでて、ラップが落ちてきたので、自分が集団の前に出て10kmから、引っ張ることにしました。

15km過ぎから、イーブンペースが、きつくなり、後の粘る集団に抜かれそうになるも、
17kmまで離されないなよう、必死に喰いさがり耐え凌いで、18kmからスパートをかけて、抜かれた前集団を一気に抜いて、意地を見せ、前から落ちてくるランナーも1人1人拾い上げ、ペースアップに成功し、辛くも73分41秒で、3つ目の目標を達成することができ安堵しました。

手賀沼ハーフは、今年で、3年連続の出場ですが、手賀沼コースベストを出せたことも嬉しかったです。

ゴール後、クララ君、ロンブー君、きやきやさん、まっきーさん達と、声を掛け合い健闘を称えあいました。クールダウン・ジョグでは、力走する、PIROSHIさん、ヨーコさんに会いました。

笑顔のヨーコさんに、『ヒロシーー!』と呼ばれて、ビックリ☆PIROSHIさんって故障してたんじゃ・・・。自己新凄いですね。スキンズ効果ですか?




        
●ヒロシの目標・今後のレース予定

1.日体大記録会5,000mで15分台GET (15分45秒・達成)
2.ジャパンEUフレンドシップ5km総合優勝(16分09秒・総合優勝・達成)
3.手賀沼ハーフ 1時間13分50秒 (1時間13分41秒・達成)
4.横浜ハーフ 1時間11〜12分&上位入賞
5.音響マラソン5km総合優勝
6.つくばフル:2時間39分(昨年からの課題)


4つ目から、ハードルが高くなり、かなり厳しくなりますが、
皆さんと切磋琢磨でトレーニングをして、今後も高い目標設定を達成できるよう、頑張っていこうと思います。練習会で、お世話になりますが、どうぞ宜しくお願いします。

10/26(日)手賀沼エコマラソン・ハーフ 年代別5位入賞

 [ LAP per 5 km ]

5k  
 17:21
10k   
34:59(17:37)
15k   
52:29(17:30)
20k  
1:09:53(17:24)
 
G
  1:13:41(3:47)

 [ LAP per 1 km
]
1k  
3:25
2k  
6:51(3:26)
3k  
10:21(3:30)
4k  
13:50(3:29)
5k  
17:21(3:30)
6k  
20:51(3:30)
7k  
24:20(3:29)
8k  
27:53(3:32)
9k  
31:26(3:33)
10k  
34:59(3:32)
11k
 38:24(3:25)
12k  
41:54(3:29)
13k
 45:24(3:30)
14k  
48:54(3:30)
15k  
52:29(3:34)
16k 
56:01(3:32)
17k 
59:34(3:32)
18k
1:02:58(3:24)
19k
1:06:23(3:25)
20k
1:09:53(3:30)
 
G 
1:13:41(3:47)

■手賀沼ハーフ実績
2006年:1:14:07
2007年:1:15:32
2008年:1:13:41 ★手賀沼PB






     
手賀沼エコマラソン Vol.2

            
多摩川クラブ  クララ
 


今週、手賀沼エコハーフマラソンに参加しました。自身2年ぶり2度目のハーフ挑戦でした。

2年前の横須賀シーサイドマラソンのハーフでは、1時間21分41秒の記録であまりにも不完全燃焼な結果でした。昨年はほとんど真面目な練習が出来ず、結果2年もの歳月が経ってしまいました。

もちろん内心はドキドキで本当に走れるのか?完走できるのか?と不安な気持ちで一杯でした。横須賀の時は食事などにも気をつかって万全な状態でしたが、神経質過ぎて逆に悪影響を及ぼしていました。

今年は何も考えず、ただ自分の走りをすることだけを考えて気楽にスタートしました。最初の1kmの入りは3分30秒、少々早いですが5kmを17分台で入ることを想定していたため、OKです。

5Km通過は17分42秒。いいかんじ♪でも長い田園地帯に入って集団から離れてしまい、焦りました、、2年前はここから5km20分台まで落ち込んでしまったからです。これを想定して練習では18分15〜30秒くらいのペース走を入れてきたため、まだ対応できました。

10kmの通過が36分13秒、この間18分31秒とまずまず。体はまだ余裕があったので再び形成した集団でペースを刻みました。


15km通過は54分32秒、この間18分19秒。問題はここからです。いけるとこまでいけるとこまで、それだけを思ってついていきました。


20kmは1時間13分4秒、18分32秒の5kmペースで走りいよいよ最後のスパート。気温24℃、湿度70%だが、それ以上に自分の中では走りやすく、もう終わるのか〜とラストスパート、、ん?


ゴール前では1時間16分54秒55、56、57…16分台が狙えるのか?思いっきり走ってゴール。結果は1時間17分00秒で総合53位でした。実に4分41秒の自己記録を更新しました。


多摩川クラブで練習を開始し、目標だった5000m16分台、10km34分台を達成し、ハーフでも20分以内を大きく上回る記録。さらに年代別6位までを書いてある紙を持ったおじさんがこちらに来ます。


24歳以下の部は最初で最後の挑戦===、結果3位。


ここまで良くしてくれた多摩川クラブのチームに対し感謝の気持ちが絶えません。この熱い気持ちは是非駅伝で使用したいと思います。恩返しのRunを目指し、精一杯走りたいと思います!







手賀沼エコマラソン 参加者・全成績

名前 ハンドル タイム
村田 ヒロシ 1’13”41 年代別5位
下島 クララ 1’17”00 年代別3位
古北 ロンブー 1’18”38
天野 あきら 1’20”13 年代別6位
木屋村 きやきや 1’21”04 BR
片岡 タマ蔵 1’21”19
田中(誠) まっきー 1’21”37 BR
岡田 オカピ 1’22”49
和田 わだっち 1’23”32
中野 タコG 1’24”26
美谷島 くうパパ 1’28”39
定祐 ジョー 1’34”31
矢沢 エーコ 1’35”36
雨宮 みや 1’37”31
加塩 塩G 1’39”37 BR
門田 マカプウ 1’40”16
雨宮 PIROSHI 1’47”26 BR
中野(陽) 軽井沢72 1’47”50 年代別1位
麻生 Dr.A 1’50”58
峰田 D.ミネタ 1’53”31
前岡 Tracky 1’55”42 BR
内藤 王子 DNF
             reported by Joe

名前とハンドルが一致するように覚えましょう・・

参考
 DNF(Did Not Finish)      途中棄権

     DNS(Did Not Start)      棄権

     DSQ(Disqualified)        失格

     GR(Game Record)       大会記録

     EGR(Equal Game Record)  大会タイ記録

        
 付録

     NR(National Record)     日本記録

     WR(World Record)      世界記録

     ENR・EWR           日本・世界タイ記録













   
 奥武蔵ウルトラマラソン
                    (77km)
  
       
   
        平成20年 8月10日(日)

         多摩川クラブ  まっきー


私は、なんとか 6時間41分49秒総合30位でゴールすることができました。

77kmのコースで、延々と続くアップダウンを走る最中、箱根の山の神や横須賀シーサイドのゴジラの坂などの場面場面が、頭の中をオーバーラップしてきました。

また、下りから上りの切替えの場面では、何故かインターバル・トレーニングのスピード走→ジョグの状況が頭から離れず、極力上りはジョグ感覚でリラックスすることを心掛けました。

日常の経験をしっかりと自分の中で受け止め、行動に移すことは大切だなと改めて思いました。
・・折返しのエイドで、水着のお姉さんが頭から水をかけてくれた時は、そういう経験が無かったので、どうしていいか困りました^^


長い距離、長い時間をへこたれずに走れたことは、次の経験への自信につながりました。

P.S. 土曜日の夜は、温泉(風)露天風呂に入れたし、ビールも飲めたし、個室で安眠できたし、満足でした!

PP.S. 甘栗さん、テーピング&バームクーヘンありがとう!




        
多摩川クラブ  たるG



今回はとにかく、まっきーの凄さに驚きました。折り返しランナーのうち高橋勇市さん(アテネパラリンピック マラソン金メダリスト、北京も出場)に出会ったと思ったら、すぐ後ろにまっきーが。その時点(43.4km地点)で私は6kmほど引き離されていました。

まっきーは最後は高橋さんにも勝っていましたので、フルマラソンは2時間40分代で、100kmは8時間代で走れるかと思います。

私の方は、ウルトラ走りがしみついてきたかペース配分はまあまあで、15km以降はほとんど上り下り関係なくほぼ平均ペースになっていました。最後の7kmが一番リラックスして走っていたような感じです。(タイム:
7時間53分

それよりも、折返しのエイドでは水着のお姉さんが食事中でいなくて、原始人の格好をしたおっちゃん(タコナカさんタイプ)にかき氷をもらった時は、だまされたような感じでちょー悔しかったです。


今後はハーフ〜フルマラソンモードに切り替えてスピード練習をしていきたいと思います。



            多摩川クラブ   甘栗


みなさん、お疲れ様でした!結果は7時間7分 53位でした。

最初の市街地コースの、直射日光と給水所が5kmごとで体調がおかしくなり、20kmあたりから本当にリタイヤしようか考えながら走っていました。

30位以内が目標で走るも、ラスト20kmで難しいなと判断して、各エイドステーションの人達と少し話をしたりで、ゆっくり帰ってきました。

青木ママさんを選手収容の車で見ました、たぶん時間関門だと思いますが、6〜7時間暑い中ひたすら登りを走っていたと思います、正直凄いと思いました。
 



            多摩川クラブ  くんたま


奥武蔵を走られた皆様、お疲れ様でしたっていうか、一番疲れていたのは私でしょうね。
                               
昨年は初めてのウルトラで、こんなにきついレースには二度と出ないぞと思っていましたが、リベンジしたくなって出たものの、結局、返り討ちにあってしまいました。シャワーを浴びてさっぱりした表情のまっきーさん達に迎えられてやっとゴールしました。

今回参加した多摩川のメンバーは、みんな良い成績でした。中でもまっきーは最近の好調さを見せ付けて、「ペースが分かんないから、そのままいっちゃったー。」ですからね。タイムを聞いたときには、聞き間違いかと思いましたよ。

私は、最初の15kmで実力以上に早く入り過ぎたのか、鎌北湖からの最初の長い上りで右足に痙攣がおき、歩いてしまいました。一度歩くと歩き癖がついて、そのうち気持ちが萎え・・・。わだっちが追っかけてきて声をけけてくれるまでは、やめたい、DNFだけはしたくな
い・・・という葛藤の連続でした。

折り返してくるまっきー、甘栗さん、たるG、石川走友会のMさん達とハイタッチし、折り返しエイドでは水着のお姉さんに水を掛けてもらい、かき氷をもらって一息つき、師匠に激励され、鶴見RCの私設エイドで桃やCCレモンを頂き・・・、何とか気持ちをつなぎました。

途中の給水ポイントで、テレビに出演されていたサロマ湖のN夫人に握手して貰って暫く並んだがついていけず、初出場の鶴見のYさんにも残り3kmで抜かれ、やはりおいていかれました。

坂を上りきれないのは、実力不足、練習不足以外の理由はありません。昨日、温水プールで水中ウォークしたお陰か、足バキバキの状態がほぼ回復したので、公園での(3km+給水)*4で練習を再開しました。めげずに頑張ろう!
(タイム:9時間3分)





 
多摩川クラブ  わだっち(タイム:9時間14分 爆睡タイム含む)






          


   2008奥武蔵ウルトラマラソン参戦記

       多摩川クラブ  テカ

          再チャレンジ

昨年は、初ウルトラで奥武蔵を走り、完走したものの終盤の下りで大腿を痛め、足を引きずりながらやっとこさのゴールでした。

いつも多摩川を走っているため、あまりアップダウンを走ったことがないのに気付き、その後の合宿や多摩川の土手を利用し強化に取り組み、その成果を試すべく奥武蔵に再チャレンジしました。

            前日

 飯能市のホテルに一人で前泊し、近くの中華屋で夕食(茄子揚、餃子)と生ビール2杯、 部屋に戻りロング缶2本を注入爆睡。

 

           レース前

 ホテルのバスで会場まで送ってもらい、6時半頃に会場の毛呂山総合公園に到着、体育館で着替をしていたら、たるGさんからいまどこメール、折り返し電話すると、同じ体育館にいた、たるGさん、まっきーさん、甘栗さん、わだっちさんの4人と合流。

4人は前夜ゆうパークおごせの大部屋だったのを得意(?)の交渉術で4人部屋をゲットし、大いに盛り上がり今日のレースは宴会のアフターだとか、凄い!!着替で甘栗さんの超ど派手な人間馬レース着に吃驚!!目立ちます。

貴重品を預けに行く途中くんたまさんから電話、携帯と肉声がステレオで聞こえ(?)なんと目の前のくんたまさんが、これでメンバー集合。

貴重品を預けて体育館に戻ろうとすると、ツッチーさんが会場にいて(?)たしか今日は走らないのでは、曰く「膝の調子が悪く走れない。申込金を払ったが、ナンバー等が事前に送付されないため、確認にきた。」とのこと「今日はがんばって」と活を入れられる。

           スタート

 気合の入っているメンバー(くんたまさん、甘栗さん、まっきーさん)に巻き込まれて、前のほうに陣取ってスタート、早々にはぐれ一人旅となる。

          レース前半

 昨年と前半15キロまではコースが変更され、結構アップダウンがあり、木々も少ないので、暑い前半となりました。あまり暑いので、集中力が切れそうなため準備のミュージック(BZ)で脳に鞭を入れながら走る。

 鎌北湖畔を過ぎ、いよいよ登りの山岳コースに、木々が出てきたので、ミュージックを止め、蝉の声を聞きながら走る。

          レース中盤

 先導車(3輪バイク)の後部シートに座ったレースクィーン(?)の声援を受けて、後ろに続く俊足ランナーに声援を送っていたら、突然、まっきーさんが現れ吃驚!

多摩川クラブ1番と人差指を突き上げて、ビューンとうなりをあげて下っていきました。登りをとことこ歩いていると甘栗さん、たるGさん、わだっちさんに会い、あれもう一人と思っていると、「足が攣った」とちょっとよろけながら走るくんたまさんに会いエール交換。

          折返し地点

恒例の水着美女に水をかけてもらいながら、隣の空白地帯を見ると、とても女性は近づきそうもない原始人がいた。見て見ぬふりをして、相変わらずエイドで食べて走る。

           エイド

スタートから2、3のエイドは水やスポーツドリンクだけでしたが、鎌北エイドから食べだし、残りの全エイドは飲食しました。食べたものは、冷たい汁粉、トマト、蒸かしたジャガイモ、スイカ、メロン、キウイ、ソーメン、蒸しパン、サンドイッチ、冷奴、かき氷、おかゆ、おにぎり、梅干でした。

 去年はトマトがおいしかったのですが、今年は蒸したジャガイモがおいしく、往復とも食しました。

          折返しすぎ

登りをひたむきに走る青木ママと出会い、がんばってとエールを送る。

           ゴール

 昨年足を引きづって走ったところも快調に通過し、くんたまさんやまっきーさんなどが待っていてくれたゴールに9時間33分で到着、タイムは1時間10分短縮でき、やはり練習は裏切ないと確信しました。

          メンバー成績

まっきーさん 6時間41分   総合30位(驚異的です!)
甘栗さん    
7時間7分   総合53位(最後手を抜いてもこの成績
たるGさん  
7時間53分  (冷静なレース運び。)
くんたまさん 
9時間3分   (足ケイレンで失速したか。)
わだっちさん 
9時間14分  レース途中爆睡でこの記録)


           アフター

 ゴールして着替えて、一人でこっそりと会場で生ビール1杯・缶ビール2本・冷やし中華・冷やしうどんを飲食。普段は大嫌いなきゅうりが最高にうまいのに感動しました。








第23回 サロマ湖 ウルトラマラソン レポート


   
2008年6月22日(日)       多摩川クラブ   ジョー

<当日朝?>

朝5時のスタート。北見のホテルから会場までバスで1時間20分かかる。同室の
Yさんと決めた起床時間は1時半。勝負服に着替えて2時に食堂へ。昨晩、一緒に夕食をとった札幌のUさん、今年古稀を迎えるという。八○子のMさんとお喋りしながら既に食べ始めている。


Yさんを紹介して同じ卓につく。2人とも食べ方が半端じゃない。負けじと時間をかけて通常の3倍のご飯を頂き、3時発のバスを待つ。寒いねーと言いながら乗り込む。バスの中は誰もお喋りをする人はいない。ウトウトしてきた。定刻より少し早く会場に着く。


先に着いている筈の
わだっちヨーコさんに連絡をとる。霧雨が降っていて気温も10℃前後と寒かったので、初めから決めていた勝負服のハイジッパーに加え、アームウォーマーと手袋を身に付け、さらにミニホッカイロを手に持つことにした。Yさんとともに4人でスタート地点に移動し、多摩川トリオでのショット、Yさんとのツーショットを撮って貰って列に加わる。


<スタート前後>
10分前、
高石ともやさんが"楽しんで下さい"の挨拶。ホー、100km走るんだ。さよならパーティで唄も聴かせてくれるって。続いて漫才師の太平サブローさん月亭八方さん?の息子がガンバル宣言し終えると数分前。

そしていよいよ、スタート。ウルトラのスタートは和やかだ。3,000人いる割には、ぶつかったり押し合う様子はない。急いだところでタイムにそれほど影響しないから。最初の5kmくらいは街中を走る。まだ5時だと言うのに子供も混じって沿道から声援を送ってくれる。スタート地点に選手は帰ってこないから、見送ったら家に入って少し早い朝食をとるのだろうか。


<8km付近>
50分くらい経ったか、最初の折り返し地点に向かってサロマ湖を右手に見る風景が広がる。寒さのせいか、左手の脇道に入って用を済ませる人が出てくる。男性はトクだなー。俺はもう少し走っても大丈夫そうだ。

1時間経過した頃、大会事務局が用意したWCの立て看を探し始める。前を行くランナーがコースを外れて左手に入る。まだ混まないうちに済ませてしまおう。2つとも埋まっているが、並んでいる人はいない。判断は正しかった。と思いきや、なかなか終らない。

我慢できない訳ではないので悠然と待っている。でも長い。後ろに3人並んでしまった。男性特有の仕草で終わる気配が見て取れる。でも終わらない。フゥー、やっと終わった。2人ほぼ同時に終わった。なんてこった。時間は分からないが、とても長く感じた。手水は使わないでおこう。


<1st折返し(17km?)前後 その1>
このコースは2回ランナー同士がすれ違う。何人知った人をアイキャッチできるだろうか。これは楽しみの一つでもある。おっ、前方からランパンランシャツのアスリートが駆けてくる。ホントにこのスピードで走りきるつもりなのだろうか。

男性が続いたあと、女性のトップはやはり
Y口さんの話に出てくるSさんだ。ステディな走りやなー。俺は知っていても相手は知らないから、声もかけられずただ見送るだけ。俺の次なるターゲットは、華麗な走りのあ○のさん。女性の10番以内、この辺りだと4分/km台で走ってくる筈だからもうそろそろかな。

キタキタ、来たねー、事前に確認しておいたゼッケン5n2がはっきり見える。遠視用の眼鏡に変えておいて良かった。絶対、大きな声で叫ぼう、そうだ、俺がキャッチされなかったら意味がない、はっきりゼッケンを見せよう!

"
あ○のさーん、ガンバレー" おっ、気付いてくれた、少し気恥ずかしそうに顔をこっちに向けてくれた。俺を知らないかも知れないが、覚え易いゼッケンNoだからあとでパンフを見て貰えるだろう。片想いってこんなものかなー。2ndの折返しではすれ違えるだろうか。よしっ、頑張って今度も絶対声をかけようー。


<1st折返し(17km?)前後 その2>
和太鼓の応援が聞こえてまもなく折り返し。風景はあまり目に入らない。どこが竜宮なの?今度は同級生のT君をキャッチしよう。踵を傷めて練習ができていないと言っていたから、まだかな?徐々にランナーが団子状態になってくる。

暫く走ってくる集団に注意しよう。俺は背がちっこいせいもあって、すぐアゴをあげてしまう癖があるんだよなー。40'sのアゴがあがるのとは訳が違う。キャッチすることに神経を使うと疲れるから、もうそろそろ視線を落として自分の走りに専念しよう。

"
じょー○ー"とすれ違いザマに声がかかる。はっきり3○96が確認できた。バレーをやっていただけあって、周りよりは頭が抜きん出ている。俺は全く声をかけられなかった。ゴメン。ゴールしたら、ゆっくり話をしよう。また自分の世界に入る。


<20km付近>
もうそろそろチップの検知機があってもよさそうだなー。そう言えば、同期入社の親友の携帯に10kmの速報メールが届いているかな。多分、まだ布団の中だろう。寝る前にマナーにしておくように言っておいた筈だけど。ゴールの予想タイムはどうだろうか。まさか、単純な掛け算じゃないだろう。

"
ジョーさーん" おっ、わだっちだ。目が合った。やはりデカイのは目立つよな。サロマまで来たんだから、真面目に走れよな。Yさんもニコニコしながら走ってくる。しっかりとハイタッチ。去年はDNFだったとか。マイペースで頑張ってね。

ところで、最後尾という旗をボンネットに張った車がやってきたけど、
ヨーコさんはどうしたかな?"絶対、完走しようね。"という付箋付きパンフレットを貰ったのは3月末だった。あれから随分頑張って走り込んでいたけど、所詮、美脚には100kmは無理だったのか?でもまだ、20kmだもんねー。20kmに制限時間ってあったけ?


<30km〜40km>
昨年の手賀沼エコで、我が多摩川クラブのために木陰に陣取りしてくれた手賀沼の風さんから、"絶対前半は抑えて入りなさいよ。"とアドバイスを貰っていた。秋田で彼が記録した9時間33分を超えて見ろと言う。今のところ、10kmを53〜54分は非常に心地よい。もうちょっと抑えた方が良いかも知れないが、何かこのまま走り切れそうな感じだ(←これはウルトラの妄想だ)。

あきらさんと同じで、彼もグラフが好きなんだよなー。昨年の手賀沼では彼に悪い事をした。侘びを入れた時、"来年はもっと良い場所を確保してあげっから。"と言われた。今年、ハーフの大会は極力止めようと思っていたが、この一言でエントリーしない訳にはいかなくなった。

おっ、事前にチェックしていたゼッケンの一つ、サロマンブルーのゼッケン2nだ。それにしても何で俺の後ろを走っていたんだ?やはりゼッケンは前後に付けるべきだよな。そうでないとキャッチできないもの。付けるときは面倒臭いけど。よし、ともかく声をかけようっと。

"多摩川クラブの
ジョーですぅ。覚えてますか?昨年のPPLさんの合宿でご一緒させて頂いた。" 一瞬、間があってから、"覚えてますよ。駅伝で同じチームで、優勝しましたよね。""はい、そうです。Wさん、今日は遅すぎません?""ちょっと故障して走り込めていないので、練習です。多分、後半の途中で歩きます。歩きも練習ですよ。" 歩きも練習ねぇ。僅か数ヶ月の間で海外のメジャーを走りまくる人は、言うことが違うねー。


<レストステーション(55km)付近>
50kmで貯金は27,28分か、徐々に辛くなってきたけど、あと80kmまでは6分/kmで行って、楽園ワッカで気持ちを立て直してペースを上げれば、手賀沼の風さんを超えるのも不可能ではない(←これも大いなる妄想)。オシッ、この坂を少し上れば、動画でさんざん見たレストステーションだ。

赤い袋、すぐに見つかるかなー。レストステーション行きのトラックに乗せる時、口紐をきつく縛れと言われたけど、紐、すぐに解けるかなー。どのくらい休もうかな。レストに寄らないで行っちゃう人もいるのかな?

レストステーションの建物が見えてきた。道路の左側で旗を振って誘導している人がいる。そうか、必ず入ることになってるのか。スピーカーでゼッケンを読み上げる声が聞こえる。俺も呼んでくれたぞ。30n1は奥の方だと言っている。スピードを落とすことなく進んでいける。

女性が赤い袋を持って駆け寄ってくるのが見える。そーなんだ、後方に伝えて持ってきてくれることになってるんだ、有り難い。うまく紐が解けるかな、と思ったら、紐が緩めてある、いやー有り難い。寒い時期なんて、手袋さえうまく脱げないことってあるけど。

貯金が潤沢にある訳ではないし、袋に入れて置いたジェルだけ飲んで走ろうか。着替え用に多摩川クラブのTシャツにゼッケンつけたけど、このままでいいや。幸いシューズも問題ないし。なんや、結局赤い袋はいらなかったなー。出口にスイカ置いてあるね。あれを2、3個食べて走ろーっと。


<70km付近>
レストステーション前後の緩い坂も何とかクリアした、70kmはどのくらいかな?おっ、レストや坂があった割には後半の20kmで、貯金の取り崩しが3分程度。なら上出来、上出来。そろそろ我慢できなくなってきた。飛び込みたいけど、ないねー。人家がまばらな所で済ませておかないとね。向こう向いて誰か立っている人がいる。連れ○をしよー。

右足が痛いなー。どこだろう?足裏ではなさそうだ。止ろうかどうしようか。もうちょっと走ってみるか。靴擦れしないように軟膏を塗り込んだのに、石でも入ったかな?やっぱり痛い。止って見て見よう。何だ、こんなところが擦れている。どうしようか。そうだ、膝頭に貼ったファイテンのシールを剥がしてパッチしよう。靴を脱がなくても貼れそうだ、ラッキー。

「あと3km先にお汁粉があります。」同室の
Yさんが言っていたのはこれやな。うまいやろーなー、絶対食べよーっと。テントっぽいものが見えてきた。お汁粉はどこだ?ないねー。あんまり時間使いたくないし、何か食べよー。そーめん見っけ。これでいいや。もうちょっと行ったらお汁粉あるかも知れんし(判断ミス、聞けば良かったー)。

<80km付近>

500m先に給水ポイントがあるって、わざわざ入り込んだところに設けなくてもいいのに。ランナーが左から出てきて向こうに走っていくね。楽園はどこなんだろう、80km付近から始まる筈なのに。80kmの関門は500m先か。
ヨーコさん、どうだろうかね。

あれっ、楽園じゃなくて、なんでこんな山林なの?おっと、80kmの関門か。この10kmはほぼ平坦だったのに3.5分ほど貯金を減らしたね、さすがにキツい。向こうからランナーが来るってことは、2ndの折返しコースに入ったってことやな、やっぱり楽園の入口に違いない。アイキャッチを楽しみにガンバローっと。

これが楽園コースかよー。原生花園っていうから、お花畑の中かと思ったら、だだっぴろい草原っていう感じやね。そうそう、
あ○のさんはもう行っちゃったかな?1時間半くらいの差でゴールするから、この辺では1時間ちょっとの差かな。あれ?何km地点で折り返すだったっけ?85kmが折返しだったら、もう行っちゃってるね。

あっ、
あ○のさんだ、"あ○のさーん、ガンバレー"コースが狭いからハイタッチしたいところだけど、俺のこと知らないかも。それにW杯狙える超トップアスリートだからなー。ここで会うということは、あ○のさんが調子悪いのか、折返しがまだまだ遠いのか。

<85km付近>
もうそろそろ右側に90kmの関門があってもいい筈。それに前を行く人は折り返す気配がない。一体どこまで走るんだろう。そんなに行っちゃったら帰ってこないといけないでしょうに。全然楽園コースじゃないね。そっかそっか、誰も楽園コースって言ってないか。勝手にそう思っただけね。

監察員に聞いてみよう。"折返しは何kmポイント?""90kmでーす。"まだ3kmもあるのか。はぁー?何かおかしくない?そうしたらゴールはどこよー、山林のところ?俺がおかしいか?違う人に聞いてみよー。"90kmは折返した後にあるので、88,89kmかな?

"そうだろう、そうだろうー、俺、正しいだろうよ。今、追い風ってことは、あと10kmが苦しいってことね。
PPLのWさん、歩いてる。にっこり笑ってるってことは、歩く走る歩く走るの練習なのかなー。

<90km通過後>
追い風だったのに貯金は17分になっちゃったかー。歩きさえしなければ、7分/kmでも楽勝だからもう時計を見ないでおこう。凄いね、この群青色は。とてつもなく広い。ブルーじゃなくてやっぱり群青色が適切な表現かな。

おっ、
高石ともやさんだ。すげーなー、もう70歳に近い筈だよなー。やっぱり苦しいのかな?鶴見のY戸さんだったかな。声をかけそびれちゃった。並んで走ってる人とお喋りしていたってことは、余裕あるのかな?

あと5kmか。苦しい、こんな緩くて短い坂、なんで一気に上れないんだろう、足、あがんねー。でも土練のロングより短いよな。歩きさえしなけりゃ、楽勝、楽勝。あと3kmか。海道を抜けて山林コースに入ったってことは、もうすぐ右側に80kmの関門が見えるはず。

"
ジョーさーん、いける、いけるよ!!""ほっ、ほいやー"だったかな、なんて言ったっけ?おかしい、おかしいな。何でわだっちじゃなくてヨーコさんなんだ?わだっちを見逃す筈がないのに。あいつ、また戸田・彩湖の時みたいに、コース外れて(-_-)zzzかな?

ヨーコさん、80kmの関門は越えたんだね。でもここで会うということは、俺ってヤバクない?残り3km弱を何分で走らにゃいかんの?なんだよー、9時間半過ぎたばっかじゃん。50分も切れるかも知れんなー。この坂を下れば、あと2.5kmか。最後の給食。アリガトねー。2、3時間後のエネルギーっていうから、もう食べなくていいんだけど。

<ゴール直前>
あと1kmって表示があってから、結構走った筈だけど、右折する人はまだ見えない。ゴールシーンはどういうポーズとるんだっけ?ちょっと暑くなったから、アームウォーマーを手首あたりに降ろしたけど、上げたした方がいいかな。

海道あたりから抜きつ抜かれつした42n9番さん、随分先にいっちゃったからもうゴールしているだろうな。さすがに沿道の声援が多くなって、チョー気持ちいい。俺1人に声援してくれている?じゃないか、前のランナーと距離があるんだな。

見えてきたぞ、右折してる、あそこか。あと400mくらいかな。このまま頑張れば50分切れるかも。後ろから抜いてきた人とかぶらないようにしないとな。右折するのをちょっと待とう、このくらいでいいやろー。

いやー俺の花道や。テープはちゃんと張られてる。あっ、アームウォーマーを上げるの、忘れた、ジッパーも上げるの、忘れた。帽子をとろうか、どうしようか。そんなのどうでもいいや。

でもとりあえず、ガッツポーズだけはしとかにゃ。


                                             









San Diego Rock'n Roll Marathon
             2008年6月1日(日)

   RACE PHOTOS  by  Chie Aruga  
↓クリックしてください。
http://picasaweb.google.co.jp/ArugaChie/SanDiegoRockNRollMarathon?authkey=nR8TRgloVUo







宮古島トライアスロン報告レポート
2008年4月20日(日)

               多摩川クラブ   峰田 正隆  

2008420日 全日本トライアスロン宮古島大会に出場し完走しました。小泉元首相の号砲で午前630分に1398人が一斉にスタートしました。このレースは200.19Km制限時間14時間のロングディスタンスです。

スイム3Km)

私はスイムが苦手で第一関門(170050分)通過が最大の課題でした。二年半前

に始めた時は25mも泳げませんでした。(体脂肪8%になった身体は浮きません)

不安はあったものの、なんとかスイムを終えバイクにつなげました。

それにしても宮古島の海はとても美しく透明でした。(泳いでいる魚が見える)


バイク155Km

宮古島のバイクは風対策が大事でした。私のような軽量級は風の影響をもろに受け

ます。そこでDHバーの練習(前傾姿勢をとり、ハンドルに取りつけたバーに両手を

乗せ風の抵抗を少なくする)を多く積みました。

結果は風があまり強くなかったこともありバイクは余り苦しみませんでした。

沿道のボランティアの皆様の応援と奉仕には「ありがとう」・「ご苦労様」と感謝の

声を出して走りました。(小中学生が水のボトルを持って走り寄るのには感動です)

トライアスロンは競技人口が少なく会場・道路・係員など諸条件が整わないと大会の

運営はできません。また多くのボランティアの人々のサポートがなければ大会は成立

しません。それだけに私は沿道の応援者・ボランティアの人々には感謝をしながら

走りました。

 ラン42.19Km)

 フルマラソンだけの時はキロ6分台強のペースですが三種目になると7分台に落ち

ます。ランは夜間走る事を覚悟していたので、「トレッキング」用のベストに

懐中電灯・攣り防止薬・水・補給食などを積んだ重装備で臨みました。

20Km付近で爪が(足親指の)はがれ痛みだしましたが、「歩いては、走り」の繰り

返しでなんとか走りぬきました。(518

最後に

 制限時間約50分を残しゴールしましたが、やはり達成感と熱き感動を覚えました。

(ビールが美味かった)

今思うに62歳でトライアスロンを始め2年半で「よくここまでこれたなー」と自分

でも驚いています。

島をあげて声援してくれた人々・影で支えてくれたボランティアの皆様に(良きサポ

ーターである妻にも)感謝しつつ次のレースに向けてまた練習するつもりです。

「練習は厳しくレースは楽しく」をモットーにマラソンもトライアスロンも

順位に関係なく完走を目指して頑張りたいと思います。





       
宮古島トライアスロン パート2        

                   
 多摩川クラブ マサ

宮古島トライアスロン報告。参加者は1398人でした。
ニュースでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、スターターは小泉さん。想像に易い満面の笑みでの号砲(笑)

スイムはサンゴ礁でできた真っ白な砂浜で、下には魚が泳いでるような素晴らしい海。
タイムは南国マジックか短かったか過去最速。0:48:31/3.0km 149位。予定より5分くらい早い!

バイクはうん十マンの新車での初試合。宮古島をご丁寧に近くの離島も橋を越えて周る絶好の観光コース(!?)

勢いあまり過ぎたか初っ端からかなり飛ばして、50km通過時点でAVE.35.5km/hr。完全にスピード違反ってことで、100km地点ではバテバテ。だいぶ失速するも、なんとか最後は踏ん張って33.1km/hrで耐える。4:46:53/155km 97位。最後かなりバテたけど前半の貯金があったのでタイム自体は想定の範囲内。この時点で88位。

(画像はママチャリです。)

ランは42.195km。上を目指すには単独のフル+30分がセオリー。ので3時間半(5分/km)で走る作戦。そして、目指すは総合50位。

0-5km あ、アスリートソルト(塩)バイクに忘れてきた爆 既に足の消耗が激しい。やはりバイクの前半で使い過ぎたか。。。でも行くしかない→23分20秒で5km通過。バイクで最後に抜かれた連中を抜き返す(僕、実はランナーだよ?)。まだいける!

5-10km 24分40秒 あれ!?まあまあがんばったのになぁ。。

10-15km 26分 もはやこれまでか。。。でもなんだかんだであと27kmやん(←頭が麻痺し始める)

15-21km 足がかなり危ない。ハーフを1時間46か47分で通過。死ぬほど頑張れば3時間半で…    いや無理か。

-25km いつも通りふくらはぎが攣りかけて遂に立ち止まって歩道の段を使ってふくらはぎを伸ばす。定期的に繰り返す。

25-30km 両足のいたる所がピクピクきて常に誤魔化し誤魔化し。大きく蹴ると確実に攣るのでピッチで稼ぐ。ここらからエイドステーションで毎回立ち止まりエアサロを足にかけてもらいまくる。太ももも危ない(←も多い!?)。

30-35km ときどき大きくビクッときて何度も立ち止まる。ふくらはぎを伸ばすとすねが攣り、大腿筋を伸ばすとハムが攣る→沿道の方にさぁさぁと椅子を用意してもらう。(が、座ったら最後と思い丁重にお断り申し上げる。)

35-40km 足よ動け!なにがなんでも最低ライン9時間30分は切る!!最後くらい根性見せろ!と自分を奮い立たせる。

あと2km 誤魔化し誤魔化しここまで来たが、左足ふくらはぎが完全に攣る。自分の力ではどうしようもなく4車線道路の真ん中で仰向けで倒れる。自分の足じゃないみたいにつま先がピーンと張り、激痛が走る(本人は寝てる)。広い道だったので沿道の人がたくさんいるも、競技中は第三者に助けてもらってはならないというルールを尊重してか誰も助けてくれない。仰向けのまま、うげげともがく。抜いていくランナーからも『あと2kmファイト』と応援されたり。。。ここまで来たのにさすがにかわいそうで見かねた警察官に職権乱用で(??)助けられて足を伸ばしてくれて助かる。「(待ってました爆)ありがとうございました!」

最後はなんとか走りきった感じで3:58:24 158位(←一番遅い!)
総合の結果は9時間33分48秒で98位/1398人でした。

バイクの半分までは9時間切ってもしかしたら40位もあるかもと思ったのですが、
後半ばてたせいでランの余力がなく力尽きました。

ランの練習不足というより、バイクのオーバーペースとロングの練習不足です。
道で寝てなかったらせめて9時間30分は切れたかなあとか、バイクを前半抑えたらもうちょいとかあるものの、結局はこれが今の実力と思います。
ハワイに行こうと思ったら98位→30位くらいは必要かと思います。

今回がハワイがかかった試合じゃなくてよかったと思って、またこれから頑張ります。
左足だけはりが全然取れなかったので攣った時に軽く肉離れしたかもと思っていたのですが、ようやく治ってきたみたいなので多分大丈夫です。練習再開で頑張ります。



    2007年 11月11日(日)横浜マラソン

みなとみらいを臨む 氷川丸
10km自己ベストのタコナカさん 同じく自己ベストの梅野さん
アランチュールさん 船岡さん
きやきやさん 横中さん
横中さん くうパパ
横中さん N藤さん
佐藤さん タマ蔵さん
横中さん 坂口さん
横中さん ジョーさん
横中さん 城近さん
粂さん 横中さん
PIROSHI さん M.Eさん
横中さん 吉川さん
フィニッシュゲート ハーフマラソン優勝の藤澤さん(横中)
多摩川クラブトップはプリンスさんで1’19” みなさん、おつかれさまでした。
フィニッシュ地点50m手前で撮影しました。全員の方を撮れませんでした。ご了承ください。

横浜マラソンの大会結果がランネットにアップされています。
http://runnet.jp/sokuhou/detail.php?_num=33



RACE REPORT 
   



2007年 10月28日(日)

手賀沼エコ・ハーフマラソン

多摩川クラブ 天野 揚(あきら) [プリンス]

 

       手賀沼エコマラソン、気持ち良く走れました。


多摩川クラブ推奨レースに多くのメンバーが参加するとあり、今年は手賀沼ハーフを走ることにした。

この大会は初参加のため、2週間前にはコース下見を兼ねて地元柏のウイングAC(敵陣?)の朝練に参加(偵察)してきた。

 
9月に走り込んだ距離と10月に養ったスピード感覚、日頃の不摂生は別として、練習の量と質で身体はほぼ出来上がった状態でレース当日を迎えた。

 自分の属する年代別上位は、過去成績から1時間20分切りが必須となる。ハーフのPB=45才の時に出した1時間19分58秒(G)を目標にして、設定ラップタイムの表示を右腕に巻きつけスタートラインに立った。

 入りの1kmで3分43秒(G)と、まずは自分のポジションを確保した。5km18分43秒、10km38分11秒、15km57分44秒と徐々に落ち込むも、ここまではPBのラップを上回る好タイムで通過した。



 あとはラストスパート、のはずが両脚のふくらはぎが痙攣の寸前まできている。ピピッ、ピピッと左右の脚から交互に信号を送ってくる。攣ってしまったら終わりだ。ピッチもストライドも伸ばせない。ガマンして刻むしかない。PB更新&メダルの文字はかすみ、消失した。

 19km〜20kmの1km区間が4分03秒と、ここで4分オーバー。それでも、女子選手の1位を抜いた。もう差し返されたくない。しばらく前を走っていたウイングACのアニキにようやく並びかけ挨拶を交わした。

追いついたからには先着したいと思った。ゴールが近づくにつれ応援が多くなる。ネコミミを付けた女の子が両手を振って声援を送ってくる。もう、どうにでもなれ!アニキと共にスパートした。両脚は、どうにか耐えてくれた。

ゴールゲートをくぐった。タイムは、1時間21分29秒(G)。ほんの僅かだがアニキに先着することができた。ほぼ同時にゴールした(同じ時間を共有した)他のメンバーたちとも握手してお互いの健闘を称え合い、ゼッケンからRTタグをはずした。



しばらくして・・・年代別6位入賞の知らせが届きました。  ありがとうございました。


Amano's Lap



手賀沼エコ・ハーフマラソン 自己ベスト達成者(参加者23名中、8名が自己ベスト)
内藤(王子) 1’23”43
木屋村(きやきや) 1’25”28
中野(タコナカ) 1’27”41
岡田(オカピ) 1’27”57
本生(ホンナマ) 1’34”42
Ms.鈴木・志(shima) 1’50”26
雨宮(PIROSHI) 1’50”50
Ms..石橋(ミー) 2’11”36
以上ネットタイムです。

紹介写真&イメージ図
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2007年 8月19日(日) 

ファッションタウン児島 第9回倉敷国際トライアスロン大会
 
 カオリン 

[大会前日]

朝8時集合、車4台で岡山まで向かう。

私の所属する チーム ガナス(トライアスロンショップ名)からは、12人参戦。

ファミレスで昼食を食べ、受付会場に到着。

車検(自転車=バイク)を済ませ、バイクコース下見のバスへ乗り込む。初参加者は義務になっている。鷲羽山スカイライン(高低差 200m)を2周回するコース。

帰りがけに下見バスが、一般乗用車と接触事故を起こし、私たちの仲間は歩いて戻ることになる。さすが、トライアスリート。炎天下の中を元気に歩く。

夕方から、開会式と競技説明会。これは全員参加義務で、遅刻者はペナルティとして、ゴール時間に3分加算されることとなる。(厳しい!)

参加者600人弱に対して、ボランティアは3500人とのこと。「選手の皆さん、明日は、ありがとうの声掛けをお願いします」という主催者の挨拶があった。。

懇親会(カーボパーティー)がエントリー代に含まれている。ビールあり・蛸の唐揚げ・フグの唐揚げ・手打ちうどんなどなど・・ 豪華!! 私が過去に出たカーボパーティー(ホノルル・四万十100キロ・サロマ100キロ)では、あっという間に無くなったが、ここではあり余るくらい豊富だった。まぁ、エントリー代が18000円ですもの・・
           

国民宿舎に泊まり、24時間テレビの欽ちゃんを気にしながら、22時すぎに眠りにつく・・が、暑過ぎて眠れない。エアコンを18度に設定しても、全く効き目なし、どうして・・。レース前の緊張感ではなく、暑さのせいで眠れないとは・・全くの想定外だった。

[大会当日]

朝、4時過ぎに起床。アラームが鳴っても、同室の3人はビクともしない。ここで2度寝をしたら、ヤバイと頑張って跳び起きる。

4時半、和朝食。先輩アスリート(男子)はご飯を3杯お替りしていた。デザートにバナナあり。

6時より選手登録。両腕と両足に太いマジックで番号を書かれる。(養豚場の豚?)

足首に計測チップを巻きつけ輪ゴムで固定。

全員で記念写真を撮り、ウエットスーツに着替え、いざ出陣。

8時〜

SWIM/ 児島競艇場内レース水面 /1500m

足のつかない場所で泳ぐのは、生まれて初めての経験。

プールで25m完泳できたのは、40歳をとっくに過ぎて立派な大人になってる2年前のこと。

こんな私が、根性と体力だけで「トライアスロン」に挑戦するなんて、無謀だった・・と

気付いたのは、高価なバイクとウエットスーツを購入した後。

もう、やるしかない。週4日は、ジムのプールに通い、とにかく息継ぎのコツを覚えようと必死だった。あとから聞いた話では「絶対無理」とジムで噂されてたらしい。

そして、大会当日。

ウエットスーツを着ると、面白いように体が浮く。踵が水面から出てる!

蛇行しながら、ユラユラしながら、海水を飲み込みながら

制限時間50分のところを、42分16秒でゴール(527位)

バイク/ 児島競艇所から旧鷲羽山スカイライン折り返し /40km 

スイムの関門にかからなかったので、ホッと一安心。

瀬戸内海、瀬戸大橋を左手に見ながら、走る。

坂道は、大の苦手。折り返して下ってくる男子のトップ集団の走りに見とれそうになる。

給水所では、バイクに乗ったまま(シューズがペダルに固定)紙コップを受け取る。

フラフラして、給水エイドのポールをなぎ倒し、突進して転倒。

肘を擦りむくケガは、毎度のこと。肘、膝の生傷は絶えません。

仲間とすれ違うたびに、「ガンバレ」と声をかけてもらう。

沿道からの応援はすごかった。名簿を見ながら私に向かって、「(フルネームで)ガンバレ〜」と途切れることなく続いた。遅い私は、2周回目に、1人旅になり心細くなりそうだったが、オジサンらのグループが、身を乗り出して、団扇で扇いで「イチ・ニ・イチ・ニ!」と、スローモーションのように上り坂を漕ぐ私に併走してくれた。

「ありがとございます」と言いながら会釈して、嬉しくて泣きそうだった。

あと5キロの標示を見て、またまた関門にかかりそうで、ラストスパート。

その後のランのことは、忘れてとにかく、ゴールへ。

2時間6分50秒(536位)制限時間11分まえに、セーフ。

ラン/ 児島競艇所から味野地区を折り返す /10km 

やっと最後の種目。

日焼け止めを塗りなおす余裕などなく、ヘルメットをキャップに替え、ランニングシューズに履き替える。

マラソン大会なら、バナナなど給食があるのに、トライアスロンの短い大会ではないらしい。食いしん坊の私には、楽しみがなく残念。

ゼリー飲料を搾り出し、飲み込み、走り出す。

前を走ってる人達は、かなり遅い。ここからが私の本気モード。

走り始めは、足が重いが、面白いように抜かせる。13人は、抜いた。

マラソン大会では、味わえない爽快感。やっぱり私はランが大好きと実感できる。

最初は遠慮がちに首筋に水をかけてもらっていたが、暑過ぎる。

自宅のホースで放水してくれる応援の人に、まともに顔にかけられた。

エイドでは、かち割り氷をビニールに入れて渡してくれる。

両手に掴み、頬や首や足を冷やしながら、走る走る。

58分53秒(333位)で、フィニッシュ。

児島競艇所の大きなスクリーンに、姿が映し出される。

サングラスを取って最高の笑顔で、完走証用の撮影、バッチリ!

総合順位は513位。(完走者は534人)

タイムは3時間47分59秒(制限時間は4時間)

結果はどうであれ、無事に完走できたことに大満足。

一生一度でいいから、トライアスロンをやってみたいなと、漠然と思っていた。

出会いがあり、練習できる環境があり、仲間ができて、許してくれる家族がいて

実現できた。

ママチャリでさえ、メンテできない私の面倒をみてくれた人たちに、溺れたように泳ぐ私を見るに見かねて指導してくれた人たちに、ガンバレ!とずっと言ってくれた友達にも

感謝している・・ありがとう!

また、トライアスロンは、私に謙虚な気持ちをもつことの大切さを教えてくれた。

そして未知の世界へ飛び込む勇気を持てて、良かったと思っている。

これからも、やりたいことにはチャレンジし続けて、元気なおばあちゃんになりたい。

2007年の夏は最高に暑かったけど、さわやかな至福のひとときを私に与えてくれた。
                                    







2007年 5月30日(日) PARACUP 2007

多摩川クラブ  遠藤眞喜子

=PARACUP2007 世界の子供たちに贈るRUN=

     2007.5.13(日)start 10:30


丸子橋多摩川サイクリングロードにてフィリピンの孤児達を支援することを目的としている団体『PARASIYOパラサイヨ)』が 2005年から開催しているチャリティーマラソン大会で、収益金は世界の子ども達に寄付金として贈られる。

第3回となる今年は、地元の丸子橋で開かれるとのこと。日本では珍しいチャリティーマラソン大会だし近いので参加してみようかしらと思っていたら、伴走クラブでご一緒している仲良しの視覚障害者Aさんから、その大会の伴走を頼まれた。

この大会はランナーだけではなく、ボランティア参加者からも参加料をとるので、さすがチャリティー大会と思った。大会前からボランティア申込者には、幾度もメールが送られてきて、準備の集まりが数回にわたって行われた。

当日、丸子橋下は、いつもの見慣れた風景と全く違う。ランナーの黄色のシャツ、ボランティアの紺色のシャツで埋め尽くされていた。そしてそれらを着ている人たちは、みな20代、30代の若者ばかり。私達50歳代のおばさん、おじさんは皆無に近く、通常のマラソン大会とは、全く違うムードだった。

通常の大会では、ランシャツ、ランパンの俊足ランナーが前を陣取っているのだがそれもほとんど見られず、黄色のシャツの若者達と走り出した。皆いつも走っているとは思えない感じの人たちばかりで、楽しくおしゃべりをしたりしている。伴走相手のAさんとは、何度も走っていて気心がわかっているが、彼女にとって、多摩川河川敷のような砂利、土、草地、を走るのは初めてだったそうで足裏の違った感触に、驚かせないようなアナウンスが必要だった。

無事10キロを57分で走り終え、ゴールでは、フィリピンの子供達がこの日のために、ひとつひとつ手作りしてくれた木のビーズのメダルをもらった。全員が少しずつ異なったメダルが、可愛らしかった。ゴール後の河川敷では、若者達が趣向を凝らした出店や、青空囲碁教室などが開かれていて、それも通常のマラソン大会とは異なった雰囲気をかもし出していた。

終了後もボランティアへのメールが何通か届き、内容は打ち上げの案内とか、収益金の報告などだった。このマラソン大会は、最後まで普通の大会とは違ったムードを持っていて、若者達がメール、ネットを介して情報を共有し、その情報の伝わり方が速く、そして広く広がり、事前の盛り上げ方が巧みであること。
大会を支えるボランティア側とランナー側との一体感が感じられること。そんなことが、わずか3回目にして参加者が1700人という大きく広がったのではないかと感じられた。

これからのマラソン大会のありかたのひとつの見本になるのではないかとさえ思ったほど。そして「なんでもカッタルイ〜」と片付けてしまうのが、現在の若者達かと思っていた自分の認識を変えさせられた出来事でもあり、気持ちのよい一日を過ごせました。

                       [大会の様子]
スタート前に坂本さんを見つける。伴走相手
のAさんは、5年前肝臓の半分を、瀕死の全
盲のご主人に移植し、 二人とも今は元気に
なりました。その後マラソンを始めた女性です
黄色軍団の中の、おばさん二人。
可愛らしいボランティア全員の腕に、名前が。 ゴール後東京新聞社のインタビューを受ける
多摩川にチアガールが! 凄腕の美人主催者、森村ゆき さん。笹川財
の職員でもある彼女は、2月の東京マラソ
ンの
ボランティアの総監督でもありました。

遠藤 眞喜子さん提供(文・写真とも)

東京新聞に掲載された写真(多摩川クラブ大平さん提供)





第34回JALホノルルマラソン

2006年12月10日 多摩川クラブ 川村 操

平成18年12月10日開催のホノルルマラソンに参加するために、7月末頃から計画をしました。参加者は多摩川クラブからは、川村、藤井さん、岩室さんの3名と、佐藤さん(岩室さんの友人)、野村さん(川村の友人・・観光)の合計5人です。

                                                        

出発は、仕事の都合等で別々の日程になりました。

川村、野村さんは12月7日ノースウエスト便午後6:30分。藤井さんは同日大阪より成田着後乗り継ぎで全日空の午後7:00発。また岩室さん、佐藤さんの2名は12月8日のノースウエスト便午後6:30分となりました。
        

ホノルル到着後、バスにてホテルまで行き当日の予定説明会があり、一時解散となりました。午後1:30分まで時間がありましたので、コンベンションセンターに行きゼッケンの引き換え等手続きをしました。


今回は、男女混合チームで登録をしていましたので確認をしたところ、チーム名がtamaga clubになっていましたのでtamagawa clubに訂正してもらいました。


インターネットで「アミノバリューのランナー募集」に申し込んでおいたので、ここで藤井さんを待つことにしました。ところが、本人は忘れていてすぐそばを通って戻られていました。


そして午後1:30分の説明会会場でようやく再会することが出来ました。その後はワイキキをぶらぶらしインターナショナルショッピングセンターの奥にある韓国料理店にて夕食を済ませてホテルにもどりました。


翌日は、午前中にホノルル動物園を散策しワイキキの北側にあるアラワイ運河をコンベンションセンター付近まで散歩しながら、途中で昼食を軽く済ませ、ワイキキビーチで夕日を見ながら海岸を歩いてホテルまで帰りました。
    

この夜は、オプションでポリネシア・カルチャー・センターに藤井さんのほか4名は出かけて行きました。バスで2時間ほどかかり、到着後すぐに食事を済ませてショーの始まるドームに入りました。ショーは約1:30分で終わり、帰りのバスが待つ所に行きましたら、予定のバスが到着していませんでした。そこで一緒に行った人達と分散して、他のバスでホテルまで帰ることになりました。

                                               

到着後の朝練は、午前6:15分にホテルの近くの公園に集合し準備体操(国立競技場のトレーニングセンターの内山先生が指導)後、ダイヤモンドヘッドの見晴らし広場までの約2kmを往復し解散。土曜日は、準備体操後カピオラニ公園を一周(最後約800mを自分のペースでゴールラインまで走る)して解散。岩室さんが遅れて着かれたので2人でコースの下見のつもりでダイヤモンドヘッドまで往復しました。                             

いよいよ大会当日です。                                                  

朝2時のモーニングコールと言う事でしたが1:45分にコールが鳴りだしました。(チョット早いのでは)

岩室さん、佐藤さんはバスでスタート地点のアラモアナ公園に行くということなので3:00〜3:30の間に乗車します。その後バス組は公園で軽く準備体操後、自分の目標タイム付近に散らばっていきました。(岩室さん、佐藤さんはスタートラインまで6分かかったようです)。                                                                                                        
川村と藤井さんはアラモアナ公園にジョグで行きました。(しかし途中からジョグが出来ないくらいの混雑で仕方なく歩くことになりました)。二人は、スタートラインすぐ後ろに位置しました。そして川村が最終トイレに行って戻って来たら藤井さんはもう見当たりませんでした。                                                                                                         
午前5時5分前に自転車の人達が一足早くスタートしていきました。そして5:00ちょうどに花火が打ち上げられ
、第34回ホノルルマラソンが開始されました。


スタートラインまでは約20秒位でした。200〜300m位走ったところに独特の走りをした人がいました。なんとその人は、我が多摩川クラブの藤井さんでした。一緒に2mile付近まで並走して行き、その後カラカウア通りに入り、ワイキキ東部カピオラニ公園(ゴール地点)約10kmを48分で通過し、ダイヤモンドヘッドに向かう最初の坂に差し掛かりました。


暗いせいもあったかもしれませんが、坂のイメージがわかず、なんなりと通過して行きました。そして11mileからのカラニアナオレ・ハイウェイに入っていきました。このカラニアナオレ・ハイウェイは幅が広く直線がずうっと続くので単調でいやになると言う話でしたが、私には気持ち良く走ることが出来ました。
                  

いよいよ中間地点の13mileを通過して行きましたが日の出はまだでした。目標は14mile15mileにしていましたので予定通りに走れていました。ちなみに、日の出は15mileの少し手前でした。

いよいよカラニアナオレ・ハイウェイともお別れしてハワイ・カイの折り返しに入っていきました。すると足にいつものイヤなものを感じ始めましたが、ここはなんとか乗りこらえる事が出来、走り続けました。

                   

しかし、19mile手前で右太股に痙攣が走りましたので歩道に上がりストレッチを行いました。ストレッチを始めたら今度は他が痙攣を始めたのでとりあえずゆっくり歩く事にし、後は歩く、走るを繰り返していましたが、20mileを過ぎた頃、後ろから組長と言う声が聞こえました。振り返ってみると藤井さんでした。

                                                          藤井さんは、私が途中で歩いていない事を望んでいたそうですが、期待に反することになっていました。ここからは、少し並走して走りましたがつらいので藤井さんに前にいっていただき、私は後ろから付いて走ることに決めました。そのときの私の足は自分のものではないように思われ、何か重い物がはり付いている感じがしました。

          

その後は、藤井さんの姿が見えなくなったら走りだし、追いついては歩くという繰り返しでした。そしてコースマップに書かれてある24miel〜25mileのなだらかな上り坂、最後の難所(坂とは感じませんでした)をなんとか走りきり、ようやくダイヤモンドヘッドに着きました。


ここからカピオラニ公園までは下り坂と平坦コースなので下り坂で藤井さんに追い付こうと思いがんばって走りましたが藤井さんには、なかなか追い付く事が出来ませんでした。
                                                                              
しかし坂を過ぎ平坦なコースに入ったら藤井さんのスピードが少し落ちたようなのでようやく追い付く事ができました。そしてそのまま並走していきました。

                                             

カピオラニ公園の入り口のカーブを過ぎ、いよいよラスト1kmの直線コースに入りました。「はるか遠くにゴールゲートが見える」「よし行くぞ」と藤井さんに声を掛けて全力疾走しました。。あとゴールまでは最後のエイドステーションを横に見て走るのみでした。そしてようやくゴールラインを通過しました。


これで、長かったホノルルマラソンが終わったと実感しました。


シャワーを浴びて、完走Tシャツ・その他を済ませてテントに戻り少し休みました。
今日のレースをいろいろな思いで、振り返ってみました。印象的だったのは、途中、ダイヤモンドヘット頂上付近からゴールまでの間、あちこちから「多摩川クラブガンバレ!」という
声援をたくさん受けたことでした。

            

その後、岩室さん達のゴールを待つためにコース付近に行きました。そしてしばらくすると二人がゴールイン。これで全員完走です。(日の出後はやはり暑かったでした。)

夕方5:30分よりみんなで完走記念パーテイに参加しました。

 

いよいよ、帰京の日が来る朝5:45に公園に集合しダイヤモンドヘットの頂上に朝ランを兼ねて岩室さんと二人でランニングをしました。これで終わりです。



完走後の記念写真




第46回ガス橋開通記念
多摩川堤マラソン大会


平成18年 6月18日(日) 午前10時・11時スタート
              多摩川河川敷コース 距離 8km
    天候・曇り、時々小雨  気温26.0度 湿度80%

着順 NO   氏名       所属             タイム   
男子
29歳以下 
27 植木原 宗平  武蔵野市
24 河野 陽一 赤ちゃん本舗 26’04”
稲葉 裕也 南房総走友会 27’48”
90 Hagan Mark  福生市 28’23”
879 上村 佳嗣 日獣医大陸上同好会   28’23”
男子
30歳代
940 藤澤 広明 横浜中央走友会 25’59”
244 鈴木 英明 鈴木RC 27’29”
113 安蒜 直樹 WING.R.C 28’00”
213 羽方 茂浩 所沢市 28’02”
236 小金澤 貴史 川崎市消防局 28’17”
男子
40歳代
495 白水 晃二 ハートブレイク 28’36”
351 水野尾 哲也 東京教員クラブ 28’59”
965 加藤 人望和 多摩川サブスリー 29’05”
964 鈴木 エリオ Pe na rua 29’19”
321 久保 貫司 多摩湖RC 29’20”
男子
50歳代
554 荒木 敏文 ウイングRC 29’18”
564 小瀬良 雅俊 東芝京浜RC 29’40”
556 小山 智 IHI横浜 30’04”
616 井坂 重春 目黒区 30’34”
527 木村 潔 東京都庁 30’42”
男子
60歳代
755 小金 啓志 川崎OBMC 30’14”
722 宇山 武彦 久我山火曜会 32’21”
740 山崎 和男 海老名2000 33’01”
754 飯田 昭夫 横浜中央クラブ 33’08”
746 鈴木 昇 三興管理所沢 33’20”
男子
70歳代
804 市川 邦夫 町田いだ天クラブ 33’57”
814 佐々木 久治 八潮市 36’50”
819 川又 文士 我孫子走友会 37’11”
806 齊藤 剛 町田いだてん 37’22”
811 植竹 英夫 鎌倉FRC 38’14”
女子
39歳以下
90 冨岡 順子 品川区 31’34”
114 竹内 悠 相模原市 32’36”
166 熊澤 妙子 DNP駅伝部 33’37”
61 岡本 幸子 岡本歯科医院 34’13”
154 斉藤 綾子 川崎市 34’31”
女子
40歳以上
262 山口 美津子 多摩川クラブ 34’09”
225 大野 朋子 大田区 34’42”
261 鈴木 ロラ二エ Pe na rua 36’23”
255 阿邊 宏子 PGM 37’03”
232 長谷川 珠美 下田市 37’24”




大会レポート:第1回 掛川・新茶マラソン
                           2006年 4月 16日(日)

           多摩川クラブ  麻生信宏(Dr.Asou)

=前日の行動=

5:30 起床

6:30

六郷トラックまでジョグで往復。トラックで400mと100mを各1本で喝入れ。

10:45

川崎駅で村下孝蔵を口ずさみ、踊り子105号に乗り込む。

大船駅を通過したところで回ってきた車内販売で大船軒の鯵寿司(980円)を購入。

小田原で、缶ビール1本(500ml)を調達し、JR新幹線こだま539号へ乗車。

車内で鯵寿司とビールを味わう。個人的には、大分市の鯵寿司“松岡寿司”のほうが好み。

12:39

掛川着。

早速腹ごしらえ。

まず、ラーメン「あじ助」へ。

系醤油豚骨のスープの“さむらい麺” (850円)を味わう。濃いスープは飲みにくいが、味はよし。

13:30

前日受付け会場の掛川城に到着。

まず、受付を済まして、おむすび2個(@100円)とやきそば(300円)を味わう。

大会参加者以外でも、某国営放送局の大河ドラマの影響で、お城見物の観光客が大勢。

14:30

今回は、ミズノランニングクラブのマラソンクリニックを受講。

前日の過ごし方からスタート前までの留意事項を真面目に聞く。“レースの運び方”で、コースの起伏を知る。(別紙:コースマップ参照)RUNNETには載ってなかったぞ。

16:30

お隣駅の菊川まで電車で移動し、ホテルへチェックイン。

さて、夕食をどうするか。お店で食べると、酒が進んでしまうため、スーパーへ買出しに。

10分程度のところにあるスーパーで翌朝の分まで買い込み、部屋に戻る。

Jリーグ放送を見ながらの食事。

偶然、スーパーの買い物袋の中から銘酒“喜平”と缶チューハイが出てきてしまったので、仕方なしに飲酒・・

今日は沢山食べた。満足じゃ。

21:30 就寝

大会当日・・・4:30起床(予定通り)

カーテンを開けると、あいにくの雨。でも、適度なクーラントと思える程度の降りです。ベッドの上でゴロゴロして体をほぐし、6時から朝食。膝とアキレス腱をキネシオテープで補強した上にレースウエアを身につけ準備完了。7時に出発。電車とシャトルバスでスムーズにつま恋到着。

話は、マラソンから外れますが、1983年のつま恋ガス爆発事故が記憶にある方は、何人くらいいるでしょうか。このときの被災者の中に日本リーグ・東洋工業(サンフレッチェ広島の前身)のスター選手で、メキシコ五輪日本代表で銅メダル獲得に貢献した松本育夫さんがいました。目がくりッとした精悍な選手でした。

日本代表でのポジションは当時の言い方で右ウィングです。ちなみに左ウィングは杉山隆
さん・三菱重工(浦和レッズの前身)、センターフォワードは得点王に輝いた釜本邦茂さん・ヤンマーディーゼル(ガンバ大阪の前身)でした。監督は長沼健さんです。(川淵チェアマンの先輩です。)

この事故で松本さんは、手足骨折、大火傷を負い、延べ8回にわたる皮膚移植、左指切断手術を受けましたが、不屈の闘志でサッカー界に復活し、現在も指導者・解説者としてご活躍中です。(そのときのいきさつが「燃えてみないか今を」という本に詳しく記されています。お奨めの一冊です。)

8:30  スタート。

4時間のペースアドバイザーのちょっと前を走って行こうと決め、3時間30分〜4時間のゾーンに並びました。つま恋から一般道に出るとすぐに片側一車線道の左側走行となるので少し窮屈です。同じペースのランナーの中に強烈なウエア(女性用スポーツインナー???)をまとった人がいました。こういう人は苦手なので、少し離れて走っていくことにしました。

2Kmを過ぎると長めの上り。上りが終わるとすぐに急な下りとなります。このとき一面に茶畑が広がります。晴れていたらもっとすばらしい景観だったことでしょう。この下りは右膝と左アキレス腱にとても堪えました。

急な下りの後、しばらくして街並みの中を走るようになると、応援の人数も増えてきます。沿道で見かけたサッカー関連ショップは、さすがサッカー処。「ちょっとだけ寄り道したい。」そんな浮気心をこらえて先に進みました。

途中で雨がやみました。17Kmからは、いよいよ上りが始まります。20Kmから30Kmの間では、高低差70mを2度体験できます。ペースアドバイザーから「下りは、もうちょっと前傾姿勢にしたほうが良いですよ」とアドバイスをもらったのですが、前傾姿勢が保てない私は、かなり脚に来てしまいました。

30Kmあたりで重大なミスをして走っていることに気づきました。給水所で水分補給はできていたのですが、“エネルギー補給”を一度もしていないのです。私が今まで参加したフルマラソンでは、沿道に“飴ちゃんキッズ”があちこちにいて、給水所では水分補給のみで走りきれたのです。キウイ・イチゴ・バナナで補給しようとしましたが遅かったようです。

35Kmあたりで走れなくなりました。帰ってからインターネットで調べてみると、低血糖に陥ってしまったようです。掛川市街地に入り、たくさんの声援あるので頑張りたいのですが、歩くことしかできません。頭を垂れ、歩いてつま恋に入りました。

このまま情けなくゴールか思っていると、ラスト200mで“応援キッズ”がでてきました。キッズの伴走で、最後だけは元気なオヤジとなって、ゴールできました。そのときの写真がこれです。RUNNETに載っていました。

30Kmまでは、楽しいランでしたが最後はやはり辛かったです。しかしこれからも懲りずにフルマラソンに参加していくつもりです。次は、エネルギー補給のタイミングを考えてからスタートします。前日の飲酒もやめるようにします(忍耐)。

「掛川・新茶マラソン」・・・走った後、入浴・観光もできる。起伏のコースであることを除けば、皆さんにもお奨めできる大会のひとつだと思います。

記録は、以下の通り。35Km以降は、キロ10分で歩いています。

計測ポイント

スプリット

ラップ

Start

0:01:38

0:01:38

5km

0:30:51

0:29:13

10km

0:57:07

0:26:17

15km

1:23:14

0:26:07

20km

1:51:18

0:28:05

25km

2:18:28

0:27:10

30km

2:44:49

0:26:21

35km

3:15:28

0:30:40

40km

4:04:48

0:49:20

goal

4:24:20

0:19:33

タイム(グロス)

4:24:20

タイム(ネット)

4:22:43

種目別順位

230/321

総合順位

1346/1981

出走者数

2488



平成18年4月9日(日)


本門寺桜祭りマラソン上位5名

距離・10km 本門寺境内周回コース

一般 30才未満

順位 ゼッケン 氏名 タイム 所属
ハスラーステファン 35’47” 南蛮連合
穴原 健 35’52” 所沢走友会
狩野 剛史 36’35” 江東区
16 斉藤 良介 39’38” トラジャルOB
13 小林 国重 41’22” 大田区


一般 30才代

順位 ゼッケン 氏名 タイム 所属
174 藤澤 広明 33’11” 横浜中央走友会
520 金井 雅也 34’09”
169 林 憲吾 35’20 はやし整骨院
132 木村 昌義 36’03” 横浜陸協
135 黒川 賢一 37’20” アイケイ


一般 40才代

順位 ゼッケン 氏名 タイム 所属
254 古田 秀之 37’15” 横浜市
213 松本 浩史 37’31” 八王子走ろう会
225 大村 俊一 40’10” 町田いだ天
231 河村 秀紀 40’37” 東京学芸大ARC
204 マイヤー ケレン 40’39” 南蛮連合


一般50才以上

順位 ゼッケン 氏名 タイム 所属
365 馬場 正直 37’34” UFJ東京三菱銀行
380 村田 玲一 39’41” 快鍼堂
346 小野 清美 40’15” NTT横田会
382 小池 親一郎 40’31” 愛知教育大中RC
324 芹田 仁 41’23” RC−虹


女子の部

順位 ゼッケン 氏名 タイム 所属
59 弓削田 真理子 42’29” 坂戸市
大竹 香 44’50” 大田区
26 小野崎 まどか 45’18” 小山市
48 林 佳代子 45’27” はやし整骨院
34 酒井 香寿恵 46’40” 世田谷区





2006年3月12日(日) 川崎ハーフ&5km入賞

種目順位  総合順位  タイム      氏名           所属            
A ハーフ
1’20”20 秋山貫太 早大アトム
1’20”40 野口淳史 九州ドランカーズ
1’22”37 今枝伸広 筑波大同好会
1’25”06 茅根靖典 eA茨城
1’25”41 片岡泉 RJK
12 1’26”03 富岡康彦 走魂
B ハーフ
1’23”09 清水正秀 アトミクラブ
1’23”30 出藤清隆 JMSDF
1’25”47 熊川清行 メタコRC
11 1’25”57 但馬広秋 イツキパパ&多摩川クラブ
13 1’26”09 鈴木誠
16 1’26”47 臼井義哉 佐々木走友会
C ハーフ
1’25”19 矢部義孝 (有)まりも商会
10 1’25”48 牟田静 TeamMED
34 1’30”06 高橋欣三 駒沢公園J.C
39 1’30”56 三浦秀美 渡辺食品機械東京
43 1’32”01 岡野裕 浦安ランナーズ
58 1’33”21 山本道男
D ハーフ
26 1’27”54 中根史恵
47 1’32”17 田村幸恵 トライガルズ
92 1’38”49 永田真理
106 1’40’29” 海和慶子
109 1’40”46 平島由香 美野里クラブ
110 1’41”01 佐久間さつき Kiss Me
E ハーフ
51 1’32”29 山口美津子 多摩川クラブ
79 1’36”28 馬 少芳 南蛮連合
120 1’42”20 安藤有希
147 1’44”19 山中洋子
152 1’44”41 富田維久美
184 1’46”59 岩永麻季江 THL3
F ハーフ
292 1’55”27 原妙子 南蛮連合
308 1’56”51 柿内佐保子
427 2’15”08 鍋島光恵 チームJ
455 2’21’16 内藤千恵子
462 2’24”16 三枝令子
490 2’30”02 池田美知子
G 5km
16’52” 岡本篤史 新戸塚病院
17’38” 木村昌義 横浜陸協
17’46” 益戸宏 皇居21AC
17’54” 青木昌弘 横浜中央走友会
17’55” 永山公士 オアシス武蔵小杉
17’57” 本間洋
H 5km
17 20’12” 山内佑紀
25 21’36” 薄田美枝
30 22’01” 武者俊子 東京RC
49 25’33” 米倉亜希子
52 26’48” 花輪由香
54 27’35” 瀧山紗恵子 ストロベリージャム(株)  



第33回JALホノルルマラソン

2005年12月11日

                               多摩川クラブ 峰田 正隆

ホノルルマラソン参加して

平成171211日開催のホノルルマラソンに妻と二人で行ってきました。

ホノルルマラソンは世界三大市民マラソンの一つで日本人にとても人気のある大会です。今年の出場者は約33500人(日本人17350人)で日本人の出場者は前年の2000人増でした。

人気の理由として @制限時間が無いこと、Aお祭り的要素が濃いこと、Bとても楽しくランニング出来ること、などが挙げられると思います。また数多くの芸能人・有名人といっしょに走ることが出来るのも魅力のひとつではないでしょうか?

ひとつ注意することといえば、日本を出発する時は寒さの厳しい冬ですが、現地は暑いので体調管理に気をつけなければならないということです。
今回で私は3回目の参加です。前々週に”つくばマラソン”を調整のつもりで走り、万全の状態でスタートを迎えました。


スタートはアラモアナ公園を午前500恒例の花火の合図で動きだしました。(スタートラインまで徒歩で7分かかりました)

約一時間位は真っ暗な中を走るのでとても危険です。(何人か転倒者あり)ダイヤモンデヘッド付近で朝日が見られました。ここからの眺めは最高で、感動的でした。気分はとてもよかったのですが、実は前日にちょっとしたアクシデントがありました。

前日夜safety box(金庫)が故障し、長時間修理していたが直りませんでした。結局、睡眠時間は1時間半位しかとれませんでした。「この影響がレースに出なければよいのにな。」という心配を抱きながら走っていました。



30
Km位までは何とか順調に走れましたが、ダイヤモンドヘッドの登り付近(35Km)で、やはり前日の睡眠不足のためか“ふくらはぎ”がつり、さらに“腿”までつり始め、ついに歩くはめになってしまいました。

しかし沿道のボランティアの人や声援の人々の励ましに支えられ、元気を出して又走りはじめ最後には完走する事が出来ました。

ゴールのカピオラニ公園に着いた時は我ながら感動的でした。タイムには不満ですが・・・

今年も1月にTBSテレビで放映が予定されています(長谷川理恵・坂口憲二などが出ます)のでもう一度感激を味わいたいと思います。

完走証をいただきました。 ゴール・カピオラニ公園にて
完走記念パーティ会場で ! or ?


第25回 筑波マラソン

2005年11月27日(日)

初のサブ4達成!   多摩川クラブ 藤井 かおり

記録:3時間59分37秒
順位:275位

ネットタイム(参考):3時間56分43秒

ついにフルマラソン12回目にして、念願のサブフォーを達成できました。今までの自己新が平成12年2月の「勝田全国マラソン」での4時間45分12秒(ネットタイム 4:44:02)でしたので大幅に短縮することができました。前回も茨城、今回も茨城で私は茨城県の大会と相性が良いようです。茨城県万歳!次回は霞ヶ浦で更に短縮できるかも・・

つくばマラソンは、コースが平坦で好タイムがでやすいとされ、大会終了まで6時間と比較的ゆとりを持って設定されていることから、毎年1万人以上の人がエントリーしているようです。更に今年はつくばエクスプレス開業もあって過去最高のエントリー数だったとか。

さていよいよ始まります。4時間と5時間のペースアドバイザーが帽子に風船をつけてスタート地点にいましたが、私は4時間は絶対に無理だろうと最初は思っていましたので、気にせず、研究学園都市の街路樹の紅葉を眺めながら、マイペースでスタートしました。

5キロを過ぎたあたり(28:53:68経過)で、私の前に「フル百回楽走会」のランニングを着た男性がいて、隣の人と「ウルトラ100キロを走ったら、フルなんて短いもの」と話しているのが聞こえて、ウルトラ経験者で100回もフルを走っている人ならペースを乱すことなく走ってくれるのでは・・と淡い期待をいだきながら他力本願でついて行くことにしました。

気づくと20キロ地点でタイムが1:50:10でした。今までハーフで一度も2時間を切ったことの無い私は、「腕時計が狂ってる?」「ラップをとりながら、途中で操作を間違えた?」と自分のタイムを疑いましたが、前方に、風船がフワフワ浮かんで、背中に4時間の文字が見え、集団になっていたので「もしかしたら、最初で最後のチャンスでサブ4を狙えるかも」と初めて本気でサブ4を意識しました。

スタート前に「30キロのエイドで名物の”お汁粉”が出るけど、遅いと無くなってるらしい」というのを聞いていたので、「4時間の風船集団より前にたどり着かないと、食べ損なう・・」と思い100m短距離走ごとくスパートして、走りながら紙コップにつがれたお汁粉を食べました。「満足 満足・・」

35キロ地点(3:15:13経過)を過ぎたところに、上り坂がありましたが、それまでがずっと平坦だったので、少しは変化が欲しいと思っていたので、それほど苦しまずに駆け上がる事ができました。そこでは、風船もランニングの男性も遥か先に行っていました。

自分の時計で残り時間と今のペースを計算すると、ネットでギリギリ4時間だったので先週の東京国際の”高橋尚子”になりきり、「夢を実現させよう!」と頑張ってみました。そこからは、給水所も無視して、あと3キロ・2キロ・1キロと夢中で走りました。

そしてトラック内でのアナウンスが「あと1分40秒で4時間越えます」と言うのが聞こえたので、必死でラストスパートしました。なんとか、間に合いました。その場で発行された完走記録証は、今の私の一番の宝物です。

今までは、同じペースの人がいれば、話しかけて、楽しくゆっくり完走するのが私のモットーでしたが、今年になって知り合った人に「何年も走っているのに、遅すぎる」とハッキリ言われ、真面目に練習してみる気になり、この多摩川クラブを見つけ練習会に参加させてもらうようになりました。

目標は10キロ記録会で、遠藤さん岩室さんに追いつき追い越すことです。これからも、徐々に進化していきたいと思っています。よろしくお願いします。

合同練習記録会での藤井さん


 

第19回成田ロードレース大会

2005年 11月6日(日)

「成田
POP
ラン大会に参加して
多摩川クラブ 岩室ふみ子

    

           種目         ハーフ女子16歳以上

          タイム         2:03:16

               93位/150人中(種目別)

           100位/165人中(総合)

当日は曇り空で、また空気もいくらか湿気を含んでおり、まずまずのレース日和でした。

会場は成田市陸上競技場なので、体育館内の更衣室やトイレが使えて、着替えや手足を伸ばしてのストレッチが室内でゆっくり出来るのが嬉しかった。

スタートポイントを確認するためにトラックに出てみる。、トラック内を走った後、そのまま下の公園まで足を延ばしてみると実に心地よい。「こんなに走りやすい公園が自宅近くにあったら毎日走るのに!」と思った。

 10時、スタートの合図と同時に第一歩を踏み出した。まず競技場から三車線道路に出て、直ぐ脇道に入り、住宅街の中を走る。緩やかな下り坂が続いて脚を運ぶリズムが速くなる。そしてそのまま広々した住宅街を通り抜けながら走っていく。

途中に大きな下り坂が2つあった。「帰りは上り坂か、辛いだろうなあ」と思いながらも、ドドドッ・・・・と下って行く。3k地点で給水を摂る。6
k地点でひときわ急な下り坂があり、そこを下ると平坦な田園風景になる。
田畑の中をくねりながら走っていくと遥か彼方にアリの行列のように前を走って行く人が見える。人・人・人、いったい私の前に何人のランナーがいるのだろう?「気球に乗って先頭集団まで運んでもらいたいな。」前に長い行列を見るといつも思うことです。

2度目の給水を摂り中間地点を過ぎると、12
k地点で高台にビルが現れてくる。そろそろ「上り坂が来るな」と思っていると、「来た!来た!」13kで上り坂。手を大きく振って一生懸命登る。登りきると再び住宅街に入り、14k,15kと1k毎の表示を楽しみに走る。

16
k地点で後5kの表示に変わったので、「5kだと皇居一周だな」と考えをチェンジさせる。「何とか大丈夫、走りきれる!」自分に言い聞かせる。後4k地点で再び急な上り坂が現れこれには息が切れたが、何とか止まらずに登りきれた。

後3
kで最後の給水をしてさらに気持ちを奮い立たせて走り続ける。ゴール競技場手前の遊歩道は道幅が狭く、走り辛く、また思ったほど速く走れず、結局2時間3分でゴールに着いた。

感想

 成田POPランは今まで私が参加したどのハーフマラソンより坂が多くて、半分は坂道を走っていたような気がする。コース中盤までは起伏があって面白いコースと感じたけれど最後は膝が心配になった。案の定、翌日は膝が痛くて足を引き摺って歩いていた。

沢山の坂をぴょんぴょん下るからPOPランかと思ったが、聞いたら「人気がある」のPOPULARからとったPOPと言うことでした。「坂」には不思議な魅力があるのかしら・・・

 

合同練習記録会での岩室さん


2005年 8月 5日 ヘルシンキ(フィンランド)

ヘルシンキ シティーマラソン
                           多摩川クラブ  遠藤 眞喜子 

 25回ヘルシンキシティマラソンは翌日から始まる世界陸上選手権大会に先立ち、8月5日の午後3時にスタートした。35ヶ国から集まった7000人を超える参加者。
私の記録はグロス40756、ネット40635、ハーフ通過タイム158224993人の完走者のうち2158位、W50のクラスでは93人中16位。
日本人参加者は4人(男3、女1)

 
抜ける様な青い空の下、真上から太陽がぎらぎら照りつけまったく日陰のない
theTaivallahti Tennis Center脇の道路には7000人のランナーが集まった。私は360度、2m近い大男たちの壁に囲まれていた。ついにスタート地点に立っているのだ。

日本を出発して
17日目、その間ロンドン、北欧各国を廻り、およそフルマラソンを走る者とはかけ離れた旅行日程をこなし、最後に遊び感覚で走っちゃおうという軽い気持ちでここまで来たが、とうとうそのステージの上にいる。

前日のゼッケンピックアップでは外国人専用のテーブルがあり、英語が通じたが、本番の今日は放送も表示案内も、もちろん飛び交っている言葉もみなフィンランド語。ドイツ語以上にウムラウトがたくさんついているフィンランド語の渦の中だが、さほど緊張はない。

いつものように後ろからついて行けば最後にはゴールに着くから。それよりも今日の一番の問題は
25℃という暑さと陽射しだ。


北緯
60度に位置するヘルシンキは樺太より北、カムチャッカ半島の付け根と同じ緯度にあり、午後3時といっても太陽は真上にあるのでかなりきつい。帽子、サングラス、手袋に、腕や顔にたっぷり日焼け止めを塗ってのスタートとなった。

大半のフィンランド人はこの太陽を楽しむがごとく、帽子もサングラスもしていない。スタート地点で声援を送ってくれた二人の娘と別れを告げ、長い長い
42Kの旅が始まった。


 フィンランドは人口約
500万人、国土の65%が森、10%が湖沼と河川、8%が耕作地という自然の宝庫。1割の50万人が住むヘルシンキの街は、首都でありながら政治経済文化の中心となる地域はさほど大きくなく、広い森と数々の湖が点在し南はバルト海に面している。

最初の
7Kはその市内を走る。2K地点の交差点で大きくに右に曲がる時、「頑張って!」と日本語が耳に入った。


大勢の地元声援者の中に、若い日本女性が手を振っているのがわかった。すると私の脇を、黒の上下を着た日本人青年がその声に手を振りながら勢いよく抜いていった。スタート前にトイレ前ですれ違ったあの
20歳台の青年だった。


あんなに速く走って最後までもつのだろうか?腕には時計もはめていなかったし、きっと今回が初マラソンなのでは?などと思いながら私はいつものようにスローペースでいく。

Kから4K地点にかけて翌日から始まる世界陸上が開かれるオリンピック競技場があるはずなのだが、残念ながら森に囲まれていて見えず、その周りの道路を走った。1952年に開催されたヘルシンキオリンピックのために造られたものだ。

K地点の2回目の給水を済ますと市街から別れを告げ、森と湖のコースへと入り、ぐっと応援者が減る。この市民マラソンコースは3分の1が街の中、3分の2が自然の中、といっても走るコースはほとんどが舗装か石畳で、42K通して平らなところはなく、細かなアップダウンが続く楽ではないコースだ。

わぁーきれい!ホントにきれいな景色だ!湖の深い青色、森の緑、その上に真っ青な空のブルー、青緑青の色がサンドイッチになって、所々にヨットの白が浮かんでいる。私の目に入るすべてがこの3色で彩られた大画面。

景色というより色彩の美しさ、鮮やかさにうっとりしながら、ただただ足が軽やかに前に進んで行った。

フィンランドといえば、昨今は
NOKIAで有名だが、私の中では長年童話のムーミンとMarimekkoの国だった。まじりっけのない綺麗な色のみを使い、おおらかな図柄を長年作り続けている私の大好きなテキスタイルメーカーのMarimekko だが、この国に来てみればそれが生まれたのもうなずける。出来ることなら涼やかな日陰でこの景色を楽しみたいところだ。


そんなことを考えているうちに18K地点の大きな橋に来た。ここは復路31K地点でもあり、早くもアフリカ系の男性ランナーが一人快調なペースで戻ってくるのにすれ違った。今日の賞金3500ユーロ獲得は間違いなく彼だろう。橋を下りると市街地にはいり、再び沿道の声援が多くなった。スタートした時からこの応援が気になっていた。


フィンランドに入って
4日目だが、レストランでも店頭でも彼らはとてもにこやかで親切に話しかけてくれる。女性は美人が多く笑顔が絶えない。

ところがマラソンの応援となると、あまり大声を出さず手を叩いて応援してくれるだけ。バンドもほとんどない。静かな応援だ。普段は苦虫を潰したような顔をしたドイツ人が、マラソンの応援となると全身で声を張り上げ、お祭り気分なのとは大違い。

ここは日本のマラソンと似ている気がする。そんな声援を受けながらハーフを
1時間5822秒で通過した。

 ここからは左手に高級住宅地、右手にはいくつもの大型豪華客船が出発するバルト海が広がっている。下り坂の途中の日本大使館が入っているビルに日の丸を見つけ、ふと右を見ると、赤ちゃんを乗せた3輪バギーを押した男性ランナーが元気よく脇を走っていった。あーぁ、赤ちゃんに抜かれちゃった。


これで自分のペースが落ちていることに気づいた。もうすぐ娘達の待つ
25k地点だから頑張らなくっちゃ。下りきったところは、今日3人で昼食をとった港のマーケット広場。屋台で食べたフィンランド風シーフードチャーハンは美味しかった。

マーケットを直角に左に曲がると、いよいよこのマラソンコースで最も賑わっている


Pohjoisesplanadi通りに入る。Esplanadi公園を挟んで高級ブティク店が並び、大きさもムードもDuesseldorfKoenigsalleeとよく似ている。走る幅が2m位になるほど両脇に人々が応援に出ている。ほぼ約束どおりの時間に娘達と再会した時には、黄色のシャツの背中と、そして背中から長く突き出た三角の黄色旗に、400と書かれた4人の大男たちと一緒になってしまった。


汗と給水で濡れた手袋を娘に預け、二人から元気をもらったが、人垣が少なくなるにつれ、自分の望みとは反対にこの
4時間のペースメーカーの集団から徐々に離されていった。

 29K辺りで、先ほどの日本人青年が歩いているのが目に入る。「だめよ、こんなところで歩いては。まだ10K以上あるんだから頑張って。」と心の中で声をかけた。30Kからは再び湖に戻り、いくつもの島を渡るため、そのたびに橋を上らなければならない。


さすがに足が重くなり、森と湖の美しい景色を楽しむ余裕がなくなり、だんだんこの大自然が疎ましくさえ思えてくる。暑さは相変らず厳しく、私はスポンジを捨てずに持ちながら走り、次の給水所で水をかけるということを繰り返した。


シャワーポイントもあるのだが、ほとんどの人はそれを避けて通っているのは、私のように濡れるのがいやなのか、あるいは暑いのが平気なのか?サウナの発祥の地だけあって、走る人も見ている人も本当に太陽と暑さが好きなようだ。


39K地点で最後の島が終わると再び沿道に応援が戻ってきたが、この声援も効果なく足どりは重いし、給水をとっても何となくすっきりしない。昨夜食べたトナカイの肉と昼のシーフードの混ざったような妙な味が胃から口に戻ってくるようだった。あと少し、頑張ろう!

ここまでいくつもある上り坂を頑張ってきたが、40k辺りの最後と思われる上り坂は自分との戦いだった。「こんな走りなら歩いた方が速い。いや、今まで6回のフルマラソンを一度も歩いていないのだから、絶対歩いたらだめよ。一歩でも歩いたら‘完走’にならないでしょ。でもこの苦しい坂を走るのにエネルギーを費やしたら、上りきったら走れなくなっちゃう。」と自問自答を繰り返す。


足は次第に歩きに近くなり、ついに一歩。「あ!ダメダメ」とまた
23歩走る。また一歩歩く。また走る、歩く、1歩、2歩、3歩…あぁ、ついに上りきるまで20歩を歩いてしまった。歩かなければよかったと思ってももう遅い。『歩かない、止まらない』を自分のマラソンのモットーにしていたのが、この瞬間崩れてしまった。

 ようやくSibeliuksen公園まで来た。フィンランドの代表的作曲家であるシベリウスを記念して造られた公園である。
今日のマラソンは午後3時スタートなので、時間潰しに午前中は観光バスツアーに参加し、この公園も案内してもらったのでよくわかっている。

この辺りから両側の応援者の数は増し、ゴールの花道へと続いていた。途中、自己ワースト記録になってしまうかと思ったが、かろうじて
6分台でゴール!
無事に娘達と再会。

時間は夕方の7時を廻っていたが、フィンランドの空は、「今日はまだまだこれからよ。」とでも言うように高く青く広がっていた。
 

           最後に面白いエピソードをいくつか…。

@ スタートの列の他に長い行列があり、その先には4人の牧師さんがいた。大勢のランナーがひとりひとり、牧師さんに祈りを捧げていた。何を祈っているのだろう。日本人が怪我をしないで完走出来ますようにと神社に祈願するのと同じだろうか?移動神様っていうところかしら?

A 同じくスタート前の行列といえば、トイレ。

今回の北欧旅行の最初に降り立ったデンマーク、コペンハーゲンのカストロップ国際空港からずっと気になっていたのだが、北欧の公共の場のトイレは男女共用が多い。ファッションはユニセックスというが、トイレでもその言葉を使うかどうかはわからない。このマラソンの仮設トイレも男女共用。私の前の人は男性で、その後に入るのがいやだったのだが仕方がない。

入ってみると真ん中に普通の洋式便座があり、両脇にはご丁寧に棚がある。用をたす為座ると、ちょうど頭の位置の左右にその棚がある。が、棚の形が微妙に違う。左の棚にはペットボトルなど要らないものが置かれてしまって一杯だ。右の棚は空いている。でもよくよく見ると棚なのに横から直径5センチほどのパイプがついていて、内側は濡れている。

この時点でやっとこれが男性用便器ということに気がついた。おー、危ない危ない。もうちょっとで頭が触れるところだった。それに荷物を持っていれば、私は確実にこちらの方の棚に置いたに違いない。それにしてこの便器、付いている位置が高すぎる!

B このマラソンでは持参のイエローチップは使えず、全員が大会専用チップを使用したのだが、靴紐に通さず装着できる器具が付いていて、ゴール後係りの人が取ってくれる。疲れた体には嬉しいサービス。

C ゴール後のご褒美がまた楽しかった.メダル、スポーツドリンクはここも同じ。その後スーパーでくれるビニールの手提げ袋が配られ、用意された道順に沿っていくと、その袋の中に次々と入れてくれるのだ。

まずバナナ、クッキー、ヨーグルトドリンク、黒パン、アイスクリーム。最後は温かなコーヒー。私は図々しく娘達の分までアイスクリームを貰い、3人で食べた北欧のアイスは美味しかった。

こうして私にとって非日常的な大イベントのヘルシンキマラソンは終わった。ロンドンにいる長女の卒業にあたり、娘二人との旅行を兼ねてのマラソンだったが、それを許してくれた主人に感謝!! 

そして最期までサポートしてくれた娘達にも感謝!!


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