相模湖・相模ダムの歴史 注意!今年(2001年)の追悼会は7月29日
相模ダムは神奈川の貴重な水源・電源として1941年に着工されましたが、完成までには強制連行された朝鮮や中国からきた人、あるいは学徒動員された人々の多大な犠牲があったのです。
相模ダムと相模湖 | 1941年着工、47年完成。ダム湖の相模湖は総貯水量6300万トン。戦後一貫して、京浜工業地帯の貴重な水源、電源として、また東京圏のスポーツ・レクリエーションの場としての役割を担ってきました。今でも神奈川県の16%の水を供給する「水がめ」であり、休日には多数の観光客が訪れます。 |
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建設の犠牲 |
このダムの建設には、多くの方が朝鮮・中国から強制連行されて苦労されました。朝鮮・中国それぞれから300人内外の方々が連行され、日本人も含めて判明しているだけで83名の犠牲者(死亡者)が出たのです。 76年に結成された「相模湖・ダムの歴史を記録する会」はこうした歴史を発掘・記録し、79年から毎年夏に湖畔で慰霊祭を行っています。相模湖公園内にある湖銘碑には亡くなられた方の氏名が日本語、ハングル、中国語で記されています。 |
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