アメリカンミュージック・ライブ&バー  トム・ドゥーリー


懐かしの
「ウコンの独り言」

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    2004.10月7日

    序章、、、、なんて大袈裟ではございませんが、まず初めに! 二代目管理人のスカイさんがうるさく急かしますので、何かを始めざるを得なくなりました。 ちょうど1年前にストップした「店外放送」にて、私の毒は出し尽くしましたから空っぽですし どうしたものかと思案して、ようやく重い腰を上げようとしております。 それで、ご期待通り、毒入り話の復活かと思われても困りますから、「ウコンの独り言」と題し 音楽との関わり、色々と探りながら、ちょっとづつ、ゆっくりと参りたいと思います。 不定期ゆえ、冬眠してても起こさないでくださいませ。
    冬眠と云えば各地で熊があばれております。 お腹を一杯にせな眠りに就けない熊さんのこと 自然淘汰ゆえ、生き残りをかけての戦いか? 畑を荒らしても、人間様に手出しはならぬ!
    冬眠、春眠、夏眠と、3シーズンは眠っていられるのですが、秋眠とは言わないので 今は眠っておれません。 近日中に真面目な音楽ネタを書きたいと思います。

    2004.10月8日

    このところカントリーを歌う方がめっきり少なくなってしまいました。 私とてポピュラー音楽へ傾いてしまいましたから尚更です。 でも、お好きな方が来られると、 昔取った杵柄とまでは言えませんが、やはり力が湧いてきます。 カントリーが得意なんです。 頭の隅に眠っていた歌詞が次々と甦るのですから不思議です。 物忘れが多くなった昨今でも、 30年も前に覚えた歌詞は抜けていません。 好きで一生懸命覚えたからでしょう。
    さて、その趣味の合った方の中にN様というお姉さん(いくつ上かな?)がおられます。 カントリーはよく御存知で古いお話もたくさんしたためて居られます。 悪徳評論家ですと申されますが、 よきアドバイザーであり、気骨のある、それに気前のいい男、いや女性でございます。 ジャズシンガー、ノラ・ジョーンズがカバーしたハンクの「Cold Cold Heart」。 それにレフティの「I Never Go Around The Mirror」 を、声量豊かに歌われますから、こちらとて刺激されるのです。
      ところで、そのレフティ・フリッツェルのナンバーに、面白い歌があります。 これぞカントリーの本髄か! ちょっと取り上げてみます。
     
            The Long Black Veil

                               Lefty Frizzell

        10年も前のこと、寒い闇夜に役所の灯りの側で殺人があった。
        現場にいた数人の目撃者は、こぞって私を殺人者にした。
        というのも、そっくりだったからです。 判事が云った。
        君にアリバイあるかね? 君が他のどこかにいたなら犯せまい。

        話せなかった。 私の人生に掛けても話す訳にはいかない。
        なぜなら、友の奥さんと一緒だったから。 一番の親友さ。

        絞首台は高台にあり、天国にも近い。
        群集の中に立つ彼女の涙はもう枯れ果てていた。
        冷たい風の夜に、人目を忍んでお墓に佇む人影。
        咽び泣く、長い黒のヴェールに覆われた人影。

        悲しげな風の夜、お墓を訪ねては呟く彼女。
        誰も知らない、誰にも知られていない、
        けど、私には云えます。 あなたのアリバイを。

                                By Sanda

    この歌を歌う人はなかなかいません。 以前にお一人だけいました。 酔っ払っては爪弾いて おられた。 酒癖悪くどこででも嫌われていましたが、噂では亡くなられたと聞く。  兄の学生時代の先輩で、弟の私を時には可愛がってくれた。 そんな縁でこの曲を思いつき ました。
    さて、この曲にはアンサーソングがありますので、次回に取り上げましょう。 男の歌に女性が答えるアンサーソング。 訳してみると案外面白いんです。 50〜60年代のカントリー・アンサーソングディスクが2枚ありまして、こよなく愛聴しております。 これはmさん寄贈のCDです。 何曲か紹介したく、うずうずしてきました。

    2004.10月12日

    身から出たさびとはいえ、絞首刑にされた男に、親友の奥さんはどう答えたでしょう。 アンサーソングも同じメロディーで歌われております。
     
             My Long Black Veil

                            Marijohn Wilkin

        10年も前のこと、寒い闇夜に役所の灯りの側で殺人があった。
        現場にいた数人の目撃者は、完全に見間違えました。
        なぜなら彼らが告発した人は、その夜、私といたのです。
        しかし彼に何ができましょう。 何と言えましょう。
        一夜の過ちに、どれだけの代償が待ってるというの。

        彼と外で会ってたなんて、とても言えなかった。
        町中の人が親友だと知っているんだもの。

        間もなく殺されるであろう高台の絞首刑台。
        私は群集の中で、奥様の涙に目を向けれないでいた。
        冷たい風の夜に、こうして長い黒のヴェールを被り
        彼のお墓にひざまずいては、涙を流すのです。

        今私は、長い黒のヴェールを覆って丘を歩きます。
        悲しい風の夜、お墓を訪ねてはこう言います。
        誰も知らない、誰にも知られていない、
        けど、私には云えます。 あなたのアリバイを。
                                  Sanda

    男は命をかけて友の奥さんを救い、同時に友情にも傷をつけなかった。 過ちを犯した事実は事実として、悲しい歌です。 1959年の作品です。

    2004.10月13日

    先日お亡くなりなったスキーター・デイヴィスさんのベスト盤を聴いていて 「He'll Have To Stay」がいい。 1960年、ジム・リーヴスの大ヒット 「He'll Have To Go」の、アンサーソングである。 同年、ジーニー・ブラックが ヒットさせたもので、スキーター盤はカバーであります。 そうですね、やはり ジーニー・ブラックのほうが大人の歌、色気を感じさせてくれます。
    それでは先に「He'll Have To Go」を、なかにし礼さんの訳で つづいて「He'll Have To Stay」を、私が訳してみたいと思います。
     
             He'll Have To Go
               --浮気はよしなよ--

        電話に唇を寄せて、言っておくれよ好きだと
        誰かがそばにいるんだね、つまらぬ浮気などよしなよ。

        どうして、おとなしい君がそんな気持ちになったの?
        一時の迷いだと思う。 つまらぬ浮気などよしなよ。

        僕はこの電話を切りたくはないよ。
        切れば何もかもが終ってしまう。

        電話に唇を寄せて、言っておくれよ好きだと
        僕たち二人のためだよ、つまらぬ浮気などよしなよ。

        僕はこの電話を切りたくはないよ。
        切れば何もかもが終ってしまう。


             He'll Have To Stay
             −浮気じゃないわー

        最後の電話をありがとう。 私は一人じゃないわ。
        昨日のデートをぶち壊したのは誰。
        今は素敵な人がいるの、浮気じゃないわ本気よ。

        恋をしたのは本当よ。 どれだけ優しい人でしょう。
        あなたとのことは何だったのかしら。
        今、他の誰かがここにいるの、あなたの椅子に。

        夢中な心も冷めました。 どれだけ私を苦しめたの。
        もう、あなたが出て行く番なのよ。

        ジュークボックスが心地いい。
        もう一度言うわ、彼と一緒なの。
        本気よ! いらぬお世話はやめて、電話を切って。
        私は彼のもの。 彼がそばにいるの。 浮気じゃない、本気よ。


    どうして「浮気はよしなよ」という題がついたのか、定かではありません。 しかしアンサーソングにもつけなきゃいけませんので、「浮気じゃないわ」に、しました。 これを読んでもつまらないと思われますが、曲を聴けばいいんです。 しっとりとして!

    2004.10月20日

    アンサーソング、3曲目はお馴染みの歌を取り上げます。 邦題「知りたくないの」の原曲がありまして、これは一般には洋楽だと 知られていません。 なかにし礼さんの訳詩でヒットしましたね。 それではプロの訳詩と私の訳を続けて書いてみます。
            I Really Don't Want To Know
                −知りたくないのー

        あなたの過去など知りたくないの
        すんでしまったことは、しかたないじゃないの
        あの人のことは忘れてほしい
        たとえこの私が聞いても云わないで

        あなたの愛が誠なら、ただそれだけでうれしいの
        愛しているから知りたくないの
        早く昔の恋を忘れてほしいいの

            I Really Don't Want To Know
                              Eddy Arnold
                −云わないでー

        どれほどの男があなたを抱いて行ったのでしょう
        何人でもいいけど云わないで
        ほんとうは知りたくないんだよ

        どれほどの男が口づけをし心躍らせたのでしょう
        何人でもいいけど云わないで
        ほんとうは知りたくないんだよ

        悩み気を揉む僕だけど
        たとえ尋ねても云わないでおくれ

        あなたの過去はそっとしておこう
        こんなに愛しているし、気を揉んだって
        ほんとうは知りたくないんだから
                              By Sanda

    それではアンサーソングを書いてみましょう。

           I Really Want You Know
                             Betty Cody
               ー云わせてねー

        私を抱いて行った男はどれだけでしょう
        答えてあげましょう ほんとうに知ってほしいから

        ほかの誰かが私を抱き、キスをしたこともありました
        けど、あなたを愛しているからもう済んだこと

        本当の愛など知らなかったの
        だってゲームだと思っていたもの。

        でも今はあなただけよ、はずかしくないわ
        秘密にする訳もないんだから

        過去に何があろうと気にしないで
        悩まないでダーリン、悩まないで
        私は知ってて欲しいのよ
                              By Sanda

    「知りたくないの」 「知って欲しいの」 と、題するのがベストですが 敢えて「云わないで」 「云わせてね」 に変えてみました。

    2004.10月29日

    アンサーソングは一息入れておきまして、ちょっと独り言を、、、、。
    この秋にまた一つ歳を重ねました。 恐ろしい速さで過ぎては迎え、 過ぎては迎える。 そのスピードたるや、後がつかえてるんだぞと、 言わんばかりです。 つい、こないだが、10年も経っているんですから。 70まで生きさせてもらえば御の字と思っていたのに、あと17年に迫った。 これは大変、もう少し伸ばして予定を変更しよう。
    周りに更年期障害とおぼしき症状で困ってる男性がいる。 私より若い。 やがて私にも襲ってくるのだろうか? 呑気に構えていては危ない。 しかし、呑気がいいのかも知れない。 どちらにせよ、来ていらない客です。
    歳相応といいますが、相応しい人間になれないでいる。 同世代でも立派な地位に就いてる人もいる。 努力の賜物だろう。 私は何をしてきたのだろう。 夢追いオヤジに成り果てている。 音楽など趣味として関わってるのが一番です。  バーをやってお酒を売って音を楽しむ。 それはそれでいい経験をしましたが、 これ以上やる仕事ではなさそうな気もする。 周りを見ても楽しく飲めて、体力続く年齢は40代までのようである。 飲めなくなった年齢層に、お酒を売る商売は難しいということですね。 それなら若い人に来てもらうように仕向けたらいいのだが、どうも頷けない。 しかし他にできることなど思い当たらないし、このままノラリクラリと行くのだろうか?
    この雑言もノラリクラリ。 これが性に合ってるなら生まれつきだから仕方なし。 どなたにも迷惑掛けてはいないし、良しとして頑張ろうかね。 あと17年という予定が伸びるのか早まるのか、天命を知っておきたい気もする。

    2004.11月3日

    アンサーソング4曲目は、カントリーには欠かせない名曲です。 カントリーを志した人なら何方もレパートリーにした曲です。 十代の頃、ラジオから流れてきた歌を初めて耳にし、その素敵なメロディーに 虜になったものです。 今では古典の一つになりましたが、いつでも甦ります。 酒場の女を愛してしまった男の哀歌です。

            Wild Side Of Life
                               Hank Thompson
              −日陰の人生ー

        電話はだめだと言うし、手紙を書いても読んで
        くれそうにないから歌にしました。だから聴いておくれ。

        神様が浮気な酒場女をつくったとは知りませんでした。
        君が決して妻にはなれない女だと分かってはいたが、
        心から愛した唯一の男を捨てて、暗い日陰の
        生活へ戻って行ったのです。

        男がいて、お酒が溢れるそこでは、まともな愛まで麻痺
        させてしまう。 そんな不思議な華やかなところ。
        そこへ君は誘われて行ってしまいました。
                                By Sanda

    アンサーソングは

         It Wasn't God Who Made Honky Tonk Angels
                                Kitty Wells
            −こんな女に誰がしたー

        ジュークボックスから聴こえる曲はあなたの歌
          ”Wild Side Of Life”
        あなたのいつもの言葉が聴こえてきます。
        そう、私が良妻だったころを思い出します。

        あなたの歌にあるように、浮気な女をつくったのは
        神様じゃないわ! シングルだと偽る男たちの所為。
        そいつらのお陰で女たちは狂ってしまうのよ。

        私たち女が責められるのはごもっとも。
        けど、あなたのような男ばかりじゃないの。
        最初の結婚からして間違ってたのよ。
        だって、ここにいるような男に引っ掛かったんですもの。
                                 By Sanda

    こんな歌詞の内容でも耳には心地よいメロディーです。 原曲はカーターファミリーのナンバーで、これは替え歌であります。

    2004.11月10日

    10代のころ、カントリーミュージックはウエスタン音楽と呼ばれ、後にカントリー&ウエスタンとなった。 リズム&ブルースのように&と言う表現をし、シャレたものにした。カントリーそしてウエスタンでは、 何ともダサイでございます。 ちょっと回顧してみます。
    普通に流行歌(この表現も古い)を楽しんでいた私が、何故にこのウエスタン音楽にはまって しまったか。それは7歳上の兄が古いギターとドーナツ盤を残して上京してからのことである。 いきなりウエスタンではありません。グループサウンズ全盛の後、和製フォークグループの流行で、 真似事もしておりました。ボロギターがいやで、ヤマキの新品をやっとの思いで買って遊んでいるうち、 家に残されたドーナツ盤の洋楽を聴いてしまいます。 ただの物ほど恐い物はございません。何度も聴いているうち、易しいコードで弾けるウエスタン音楽の 妙味にはまってしまったのです。
    同時期にラジオ番組から流れる歌を、これまた古いテープレコーダーのマイクを向けて録音し、 繰り返しては覚えたものです。今から思えば原始的ですね。
     
    KBS「ウエスタンジャンボリー」は、小杉アナと永冨氏の解説で毎週楽しみにしていた。高三の頃だから 35年も前になる。確かウエスタン喫茶「ナッシュビル」からの公開放送もあったと思う。今もそのお店は 京都四条御前にカントリーライブハウスとして存在する。 凄い歴史だ。
    梅田のウエスタン喫茶「マンハッタン」にも通い詰めた頃がある。昭和45年頃ですから全盛期では ございません。 天井には洒落たバンジョー型の照明が輝いていた。梅地下で連れの男が女の子を 引っ掛けて(死語)、その店へお連れするのであるが、私は控え目で目立たず、その男ばかりがしゃべって おりました。 しかし、支払い役がこちらに回ってきたのには不満でございました。 それでも女の子に慣れさせてくれたその友人には感謝しています。晩生でありましたから。
    夏休みをアルバイトに暮れて、やっと買ったヤマキのフォークギター。それに初めてレコード屋さんで 買ったC&W全集(当時の3000円は高かった)は、今も残っております。盤は相当痛んでいる。 きっとレコード針を換えることすら知らなかったのであろう。 ヤマキのギターは壊れかけですが、ちゃんと鳴っております。いいギターは1本必要ですが高価なものは 要りません。 実力有らば似合います。けど、反対なら似合いませんもの。 似合うまで持てませんから、一生無理でしょう。無理に持って歌ってる方を見て、滑稽だったことがあります。 放っとけばいいのにお節介ですね。久々に毒を吐いてしまいました。 尚、私はマーティンM38を弾いております。似合っていなければご指摘くださいませ。ヤマキのボロギターに 代えてもう一度初心に戻ります。

    2004.11月17日

    アンサーソング5曲目です。
    都会へ出て一旗揚げようと夢見た南部青年の思いと裏腹に、現実の厳しさに 挫折した心を歌っています。 1963年の作品です。

             Detroit City
                             Bobby Bare
             ーデトロイト シティー

        帰りたい 帰りたい ほんとうに家に帰りたいんだ

        デトロイトのこの街で夜毎見る夢は故郷の綿畑のこと
        そして母や父、妹や弟、特にずっと待ちかねてる彼女。

        俺の手紙を読んで元気でいると思うだろう。
        成功してるだろうと思ってる筈だ。 しかし違うんだ。
        昼間はせっせと車造り、夜はバーを巡り歩く毎日さ。
        こんなこと、俺の手紙から読み取ってくれはしないだろう。

        そうさ、俺はデトロイト行きの貨物列車に乗ったのさ。
        そして、ここでどれほどの時間を無駄にしたのだろう。
        馬鹿なプライドが今も邪魔するんだ。 どうしたことか!
        南行きの貨物に飛び乗りゃ済むってことなのにさ。
        帰りたいよ。 遠くに残してきた家族も待ってるだろう。

        帰りたい 帰りたい ほんとうに帰りたいんだよ。
                                By Sanda

    アンサーソングは

           Why Don't You Come Home
                              Shirley Ray
              ー帰って来ればー

        私達もデトロイトへ旅立ったあなたを寂しく恋しく思います。
        そう、あなたは間違っているわ。
        老いた母やお父さん、そして兄弟みんな、あなたを愛する
        この私だって、どれほど帰りを待っていることでしょう。

        なぜ帰らないの どうしてなの どうぞ帰ってきてよ。

        家族は皆、デトロイトで成功してると思っています。
        どの手紙にも立派なことが綴られているんですもの。
        しかし私には、悲しく寂しそうに思えます。
        お手紙のあちこちに、そう感じる言葉が出てくるの。

        あなたの誇りは傷つき、己を哀れんでおられます。
        北行きの列車に衝動で乗ってしまったあなた。
        どうしてそんな馬鹿なことをしたのでしょう。
        さっさと南行きに乗り込みなさい。 そして私の傍へ急ぎなさい!

        なぜ帰らないの どうしてなの、 どうぞ帰ってきてよ。
                                 By Sanda

    2004.11月23日

    今日はカントリーを語りませぬ。 店外放送の復活と思われても困りますが、そんな風になりそうです。 最寄駅前に古くから御寿司屋があり、別に気にも留めずにいましたのに、どうしたことか足が向いて しまいました。 今、お伺いしているお店がマンネリ気味もあったのでしょう、沸々と冒険心(大層な)が出てきたのであります。
    表の提灯はパカッと割れている。 狭い入口の際に単車(カブ)がじゃまをするように置いてある。 これなら客を誘い入れようとする姿勢は微塵もない。 店主に新客は必要なさそうである。 今時こんな店と、このTOMも言われ続けてきたが、上には上がいるのです。 50年もの歴史があると 聞いたのは、その数分後であった。
    さて、私はいつものように格子戸を開け「よろしいですか」と店主に尋ねる。 無言で押し入っては失礼 なのである。 奥で御夫婦らしきお二人としゃべっていた主が寄って来て時計をじっと見つめてる。 ほんの数秒のタイミングで「まあ、どうぞ」と返答を頂いたので、「すんまへん」と言って腰を掛けた。 このやり取り無しに入れてもらえそうにないのは、表向きから容易に分かる。 この「よろしいですか」という問いかけが、「飲ませて下さい」という意思を主に伝えるのであるが、 これは店をやってないと芯から伝わらない一言である。
    迎え入れてくれた店主は、やや長いカウンターをぐるっと回って紙おしぼりとビールを手早く持ってきた。 第一印象は合格だな。 イカ刺しを頼んで飲み始めると、向うのお二人を残してこっちへしゃべりに 来てくれた。 しめしめ! 上品な客?と、察してくれたのか、何となく嬉しい。 お話を聞くとやはり地の人で、都中で2つ上の先輩だ。 同学年でなくて良かったと言う。 同級の人が来ると、いい気になって煩わしいとおっしゃる。 御もっとも、私も感じるところである。 ほど良く飲んだころに常連さんが来られたので、その方へのお相手と相成った。 他にお馬の話で気が合いましたので、取りあえず今夜は成功である。 店構えはやはりわざとしているのだと言う。 それはそれでいい。 店主の勝手でありまする。
    六日後の日曜に寄ってみたら戸が開かない。 主が奥から飛んできてガラス越しに私の顔を確認し、 何やらゴソゴソとしてる。 あ! 銀色の棒が戸の鍵穴らしきとこから、すっと中へ引っ込むのを見た。 見逃さなかった。 釘である。 五寸釘のようだ。  そう皆様、もうお分かりでしょう。  要らぬ人を入れない店なのである。 先日の私は偶々客が居る時に入ったので戸が開いたけど、 このように釘が突っ込まれていたら門前払いであったろう。 私好みの「けったいな店」である。
    さあて、どなたをお連れしょうかな? 誰も行きたくないってか? それなら一人で通います。
                                     完

    2004.11月30日

    先週の独り言は「完」ではなく、続きがありました。 あれから、そのお店に2回お邪魔し、それぞれ御一緒された方もおられます。 行き始めたのが半月前やのに、もう4回も通っています。 いつものパターンで初めのうちは 足が向くんですね。 さて、それぞれの中に男女口数達者な方がおられ、案の定という状況でしたから、 こちらは冷や汗ものです。 しかし大将は聞いててくれます。 お酒入ってますから、しゃべるのが当たり前。 店をやってる同じB型の気持ちが良く分かるのでしょう。 それも決して横柄でないから許されること。 横柄はいけません。 TOMでもそんな客を何人帰したことでしょう。 ここもそんな匂いのする店です。
    ところで、お連れした方々は普通の御寿司屋さんやと申されます。 いえいえ、私が一緒やから 普通に見えたのです。 前回に書きましたように新参者にはきつい目で迎えはりましたし、 戸を釘でロックしてるし、何よりこの短い間にお客を断わる場面を2度も目撃したんですから。 5人以上の団体さんは要らないようだ。 充分座れるのに6人連れさんを断っていた。  深夜に携帯掛けながら入ってきた客が、今から3人来るけどいいか? という問に無理無理と 応えてる。 席は空いてるのに。 何時までならいいのかと、その客はしつこく聞くが話が進まない。 私はその携帯の客が扉を開けっ放しでしゃべるのでつい、寒いから閉めてよと注文してしまった。 そしたら客は「分かった、別のとこ行く」と扉を閉めた。 すかさず大将は「おおきに」よう言うてくれ はりました。 帰ったから助かりましたわ。 何か私が助けたことになってしまった。
    そうです、とにかく私が下準備してお連れした店やから普通に見えたのです。 各々方、初めての店に一人で入ってごらんなさい。 勇気要りますぞ! まあ、そんな「けったいな店」をわざわざ探してお入りになることもないでしょう。 私は好きで探索するだけです。 探すよりついて行くほうが楽ですけどね。 もっと楽なのは、支払って下さるお連れさんのお供になることです。 ちょくちょくお供させてもらいます。 悪いなあと思い乍らも鱈腹いただきます。 B型人間は図太い人種なのでしょうか? ねえ、バートさん。

    2004.12月7日

    アンサーソング6曲目は、私の好きな3拍子の歌の中でも、よく歌っていた ナンバーです。 酒場女の甘い誘いに危うく乗ってしまいそうになった男の唄。 1965年、今は亡きデビッド・ヒューストンが歌いました。

             Almost Persuaded
                             David Houston
              ー危なかったー

        ゆうべ、バーで飲んでいたとき、一人の女性に目が行った
        ルビーのような真赤な唇、それに、コール ブラック ヘアー
        目はどんな男も心そそられるはずだ。

        僕のテーブルに座り、そのソフトな手を差し伸べてくると
        キスをもしたくなっていた。
        というのも、誘惑が僕に向けて注がれていたからさ。
        まるで、ワインをグラスに注ぐように。

        そして僕は思い込んでしまっていた。
        プライドなんて忘れて、良心をも横へ外してしまうほど
        僕はその気になっていた。

        それから踊っていると、彼女は私を求めてきたのだ。
        「ここから連れてって。 私をあなたのものにして」
        その囁きに、彼女の瞳を見つめると、そこには何と
        僕の結婚指輪が反射してるではないか。

        僕は我に返りました。 もう少しでその神秘な唇に
        誘われるところでした。 ほんとうにそう思ったんです。
        しかし、妻のやさしい愛が僕を目覚めさせ
        家へと向わせたのです。

    アンサーソングは

           (He Was) Almost Persuaded
                             Donna Harris
            −もう少しだったのにー

        私の家はここバーの中にあるようなもの。
        まともな男を求め毎晩すごしているのよ。
        昨夜は少しだけでも幸せだった。
        彼が入ってきて出て行くまでの僅かな時間だったけど。

        彼はここにいる女達の憧れよ。 私ももちろん目が合った時
        そう思ったわ。 その瞬間、プライドなんて捨ててしまってた。
        ワインで乾杯し、楽しく踊ったわ。

        彼はほんとうに私に傾いていた。
        私も彼の世界に浸っていました。
        でも、ちょっと私は別の女性だったんでしょう。

        私は将来に備えて準備をしていたの。
        そう、私に合った男を見つけたかったの。
        しかし彼の手に結婚指輪を見つけたとき
        私の願いは突然崩れ去ったのです。

        彼は寸前で気がついたってこと。
        そして私の他愛もない希望は飛んで行ってしまったの。
        私の願っていた甘い甘い愛は、すでに彼の家に
        あったってことよ。
                            By Sanda

    この歌は20代のころ、ライブバー「エルパソ」にてよく歌ってました。 お客様の好みで覚え、私の好みにもなった曲です。 懐かしいなあ! その「エルパソ」は、「ウエストブリッジ」として移転しています。 偶に行っては、今のマスターと昔話をします。 彼は当時、高校生で オーナーの弟さんでした。

    2004.12月15日

    アンサーソングも7曲目になりました。 デトロイトシティにも似た内容で、衝動で家を出た男の歌。 帰りを待つ彼女の思いがアンサーソングになっています。

          500Miles Away From Home
                             Bobby Bare
            −500マイルも離れてー

        俺は今、家から500マイルもの所にいるのさ

        頬に涙が伝うのは、きまって母のくれた手紙を読むとき
        そこにはこう書いてある。
        「愛する息子よ帰っておくれ お前がいなくてさみしい」
        俺は旅支度もせず、バック一つで出てきた。
        そして、ここ500マイルも離れたところにいるのさ

        遠く離れて寒くて疲れて一人ぼっちでいる
        そう、500マイルも彼方に来てしまったのさ

        何日も過ぎたけど、ここは故郷への道と同じ上
        でも周りはずいぶんと違うし、この俺だって変わってしまった。
        時がすべてを変えるのも当たりまえ、きっと見間違うだろう。

        俺が帰れば皆、どう言うだろう。
        テーブルを囲んでも思い出してくれないかも知れない。
        こんなに汚く、歩き疲れた男を。 待ち焦がれたはずだけど。
        俺はまだ、ここ500マイルも離れたところです。
        もし運よく生きていれば、いつか一晩中でも家族と共に
        過ごせるはずだ。でも、まだ俺はここ500マイルのところさ。

    アンサーソングは

            He's Comin' Home
                            Mary Taylor
             ー帰ってくるのねー

        私の彼はもう帰り道にいるわ。 そう帰ってくるの。
        昨日、1通の手紙がきてた。 ずいぶん遠いところから。
        俺は寂しい、帰ろうと思ってる」と、伝えてる。
        目を通した私は涙でいっぱいになりました。
        ほんとうに彼の帰りを願っていたんです。

        彼が帰ってくる。 どんなに待ってたことでしょう。
        そう、彼は今、家への途中なのね。

        どんなに心痛めたことか。
        北行きの貨車でここを離れた夜から、どれほどの時が
        流れたでしょう。 どれほど涙流したことでしょう。
        私はこの何年もずっと待ってたのよ。

        家に着いたら彼は何て言うでしょう。
        テーブルを囲んでも思い出してくれるかしら。
        座って、見回したとしても。 待ち焦がれたはずだけど。

        さあ、彼は今、家へ向かう最中なの。
        再び彼の腕の中で抱かれるのよ。
        ずっと待っていたんですもの。
        もう、そろそろかしら。
                         By Sanda



    2005.1月19日
     
    サボリ出すと月日が経つのは早いものだ。 瞬く間に過ぎ行く。 サボるというのは、情熱が湧かない証拠。 それよりいいネタが乏しいのだ。 辛口は嫌味に聞こえる。 づっとそう思っていたけど、止められなくなってしまった。 哀れウコンはこれからも嫌われながら進まねばならぬ。
    天満の哲は風体から想像できぬほど元気である。 私のように生まれつき虚弱は 損であるが親を憎めない。 その彼も一時は病に倒れたこともあったが、なかなか 最近は活発らしい。 あっちこっちの山に小屋を作り、遊んでおられる。 歌の通り、死ぬまで遊んでいたいようである。 
    さて、この元気な主が、御存知の方もおられると思うが、「音太小屋」なる和風音楽スタジオを こしらえたそうな。 周りの仲間を上手く操って、大工仕事をさせ、自身は指図監督という 立場に納まって楽をしていると聞くが本当だろうか? そう言えばHPにUPされてる作業風景にも 仲間の姿しかない。 皆さんの元気を貰いながらの活動だな。 病の後は常にリハビリと現状維持を 保つ努力もいるし、そう思えば哲のマイペースがいいのであろう。
    その音太小屋の柿落としが、この週末にあるというメール案内が来た。 お経バンドは勿論、スリーピースも 出演メンバーに入っている。 お誘いを頂いたが土曜は営業で、日曜は予定があり行けそうにない。 またの機会にしよう。 さて、この音太小屋が出来たということは、お経バンドの基地ができたのと同じ。 と言うことはTOMでやらなくていいことになった。 そこで思う存分できるではないか!  ウコンに辛口言われなくて済む。 そうだったのか! 哲も上手いこと考えたものだ。 では、今月でお経バンドの追い出しライブといたしましょうかね。 と、今日も憎まれ口を叩くのである。   

    2005.2月4日

    毎月最終金曜日には、FOLK&POPS&COUNTRYの以下のような曲を 演奏しております。 興味のある方、一緒にやりたい方、どうぞご参加ください。
    グリーンフィールズ、グリーンスリーヴス、トライ・トウ・リメンバー、七つの水仙、パフ、 悲惨な戦争、勝利を我らに、天使のハンマー、漕げよマイケル、500マイルも離れて、 コットンフィールズ、太陽を背にうけて、花はどこへ行った、遥かなるアラモ、ドナドナ、 ビューティフル・ブラウンアイズ、最後の思い、ジョンB号の遭難、風は激しく、トゥデイ。
    肩に頬をうずめて、雨を見たかい、男の世界、カリフォルニアの青い空、ノックは3回、 花のサンフランシスコ、マサチューセッツ、スウィートキャロライン、ハローメリールー、 モッキンバードヒル、エーデルヴァイス、デライラ、ラブミートゥナイト、プラウドメアリー、 トップオブザワールド、太陽は燃えている、アンチェインドメロディー、シェルブールの雨傘、 ジャニーギター、砂に書いたラブレター、ダニーボーイ、ムーンリヴアー、慕情、いそしぎ、 マイウエイ、この世の果て、レットイットビー、ラブミーテンダー、ラストワルツ、モナリザ、 ラストダンスは私に、好きにならずにいられない、ブルーハワイ、ハワイの結婚の歌、 ママに捧げる詩、枯葉、オーキャロル、ダイアナ、ミスターロンリー、ラブ、恋の片道切符、 スタンドバイミー、ヤングワールド、World Without Love。
    想い出のグリーングラス、テネシーワルツ、知りたくないの、ジャンバラヤ、エニータイム、クレイジー、 スタンドバイユアマン、好きにならずにいられない、いつくしみ深き、アメイジングレイス、 モリーダーリン、ビューティフルドリーマー、帰らざる河、谷間のともしび、峠の我家、赤い河の谷間、 テキサスの黄色いバラ、いとしのクレメンタイン、ライフルと愛馬。

    2005.2月24日

    我々世代の親はもうかなりの域に達している。 何でそこまで生きれるのと 問いたいが、与えられた寿命に逆らえはしない。 早々と逝かれた方もおれれるのに感謝せねばならないが、一方で頑固になり、 また一方では幼児のごとく呆けてくる。 そんな時、複雑な思いが頭を過ぎる。 その後寝たきりとなり、介護を必要とする時期がすぐに訪れるはずだ。 現にその立場に居られる先輩の話を聞くと、私ももうすぐだと悟るのである。 ああ、暗い話になりましたね。 でも介護する方は健康でなければ 共倒れになりますから、私もこの際、悪い箇所を治しに行って参ります。
    20代の頃に治療した疾患が40代に再発し、この時期に治療しておかないと 親の身に何が起こるか知れません。 先輩の親などは今年になって突然ですから うかうかしておれません。  と言うことで、3月15日から3月30日迄、開店以来初めての長期休暇と なります。 どうぞ皆様、御来店お間違えのないよう宜しくお願致します。 4月にはすっきりした顔で戻って参ります。 
    あ! まだ先のことですよ。 3月14日まではやってますからね。 

    2005.3月15日

    さて、明日からしばらく静養に入ります。  一応2週間は仕事をしてはいけませんと言うことで休みを取りましたが、 飲みたくもなるし、早く店にも出たくなるのは当然でございます。 治療後の回復次第では、こそっと営業再開をお知らせしょうかと考えています。 実は今回の専門医がジャズミュージシャンで診察時に趣味の域まで話が 及んでしまいました。 その医者は音楽好きですから、ひょっとして我がTOMを 検索してる予感もいたします。 そこで再開がばれては大目玉を食います。 何しろ2週間は安静第一を強くおっしゃってましたからです。 まあ、そうは言っても上手く回復できないようになっていたなら仕方なくじっと我慢して、 時の過ぎ行くのをひたすら待ちます。 明日は幸いにも気温が大幅に上昇するようです。 この先日々暖かくなり桜も咲き始め、いい季節の訪れでしょう。 そんな折、私ウコンは顔をしかめながらの毎日を送っていることでしょう。 では皆さん、行って参ります。 

    2005.4月4日

    週末の3日間を何とか無事に終えて、ほっとしております。 実は術後1週間目に、これで再開できるのかと大変不安だったんです。 悪戦苦闘し、その後は順調に回復兆しを見せ14日後には上手いこと 立ち仕事も何とかという状態に戻りました。  病院の先生のおっしゃることに間違いなしと納得した次第です。
    さて、掲示板にも投稿されてるように物見客が押しかけてこられたので、 嬉しいやら恥ずかしいやら、ご説明するのに照れてしまいます。 患者同士ならツーカーですが、健康な方には説明の仕様がございません。
    まあ、こうしてお店が再開できバーボンが飲めて歌も歌えて一段落です。 でもまだ完治しておりません。 45日掛かります。 仕事中は痛みを忘れていても 気が抜けると症状を実感いたします。 今日は19日目。 通院しながらも先生の OK宣言を受けるまで油断をせずに過ごしたいと思います。 心配して覗きにきて下さった方、その他偵察隊の方も有難うございました。 元気になってお付き合いできるまで待っててください。  あ! もうお付き合いした方もいますね。 近くなら出かけられますが、遠方へは まだ自重しておきます。 5月の連休には楽しく飲み会ができることを願っております。

    2005.4月19日

    日曜日の夜、天満の音太小屋へお邪魔した。 初めてである。 人が雑多な所へ出向くのは性に合わないので、当日の芝居公演も終わり、 打ち上げも済んだ時間にタイミングよく、こちらも二人で出向く体勢にあった。 昼間にそのあたりを通って病院へ行くのだが、寄り道まではできないのだ。 何せ私の疾患は痛みとの戦いである。 治療は荒々しく帰り道は涙が滲むこともある。 と言うのは大袈裟で、今も隔日で専門医の元へ通院するのである。 2週間を経てお酒を飲みだしたものの、本当はなるべく控えるほうがいいのに お構いなしに飲んでいます。 その所為だろう、患部がいつまでもチクチク痛む。 しかし、夜にもなればビールが恋しくなり飲み始める馬鹿オヤジです。 
    さて、その音太小屋だが主とスタッフのお二人が後片付けも終えて迎えてくれた。 そして一通り内部を案内してくれたのである。 この空間に多数の客が押し寄せるという から恐れ入ります。 おや! このけったいな小屋にカウンターバーがあるではないか! と、白々しく言いましたが実は彼のホームページに写真がアップされていたのを見ています。 綺麗に塗装されたカウンターに固定式の椅子。 丸太をスライスして作った座席が感じいい。 しかし、今の私には冷たくて固すぎる。 主が座布団でも持ってきてくれると期待したのに 何も出てこなかった(笑) それから4人でビールを飲みながらの歓談と相成ったのである。 主さんは小柄ゆえ、そのカウンターで接待してくれても子供のように見えてしまう。 いえ、若く見られるのだから嬉しく思っておいてください。 ところで、その音太小屋にて5月の連休に飲み会をやります。 先週の「お経の会」で持ち上がった案 で、これは楽しくなりそうだ。 知った仲間と午後の一時を過ごさせていただける。 舞台も楽器も揃ってるし、できるなら上手いミュージシャンの演奏でも聴きながら飲みたいなあ。 そんなタダで演ってくれる人はいないだろう。 と言うことは、またしてもお経が流れそうである。

    2005年6月22日

    独り言は長いこと中断して忘れられてることでしょう。 日頃の雑用に追われております。 雑用と言っても親のことです。 まだ介護まではいきませんが、色々と面倒をみております。 あの親にしてこの子ありと申しますが、子がこれですから親が想像できますね。 自分勝手我儘が多分に出てきております。 要らぬ心配性もひっついてますから余計です。 さて前置はこれぐらいにして今回も嫌われ役に徹しましょう。
    店に電話での問い合わせがたま〜にあります。 重なる時もございます。  嬉しいことでいいのですが、これが苦になるほうが多い。 たぶんHPをご覧になって熟知 されてるはず。 なのに分かりきったことを尋ねられます。 営業時間、最寄り駅、その他諸々、 挙句に「一杯なんぼ」とくるのです。 あ〜あ この方もそうか! 北や南で飲む値段では ございませんローカル店ですからと答える。 一杯何百円とお答えしても、チャージ料も ついてきます。 そこは大人ですし、趣味の店にて楽しむならお安いことと思ってもらいたい。 それでもお問合わせには「一杯なんぼ客」が後を断たない。 そんなに気になさるなら他所の 店へどうぞと言います。 店というもの行きたけりゃ足を運びます。 気に入ろうが入ろまいが 確認に向かいます。 ここのお客様もほとんどがそうですね。 一部の方はご紹介です。  そんなこんなで、お電話のお客さんが来た例がございません。 不思議な統計です。  最近の店電話、融資のセールスと母親からの用事の件、そしてこの種の電話と三種類に 決まってまいりました。 さて今夜はどの種の電話が鳴るのだろう。  

    2005.7月1日

    視覚障害のハンディにも関わらず音楽活動に熱心なHさんの奥方Y子さんは 物書きである。「八月の群れ」という同人誌のメンバーである。 同誌は今回で44号目。年に2号の発行ですから22年にもなる。 Yさんは23号でのデビュー以来、本誌発行22回中20もの作品を 発表するというから、並々ならぬ熱意である。 Hさん夫妻と私は20年以上も前に出会っていたらしい。新地の「OK牧場」で 私が歌わせてもらってた時のお客さんだったそうです。その後はTOMにも 縁ができバンドで出演していただきながら今に続いております。 奥様が小説家と知ったのは10年も前でしょうか。以来、その「八月の群れ」を 欠かさず届けていただいております。誌には7〜8作品が収められていて 先ずYさんのを読み、それから他作品にも目を通します。  今回44号の「気分は上々」には、Yさんの生い立ち、結婚に到るまで、  家族との関わり、人生行路などぎっちり収められていて、一度は書いておきたいと おっしゃってた如く集大成になっている。  その視覚ハンディのあるHさんとの結婚はかなり晩婚で、10歳上の姉さん女房でもある。 詳しい出会いなど、その「気分は上々」に記してありますが、縁は異なもの、 盲人でありながらも真っ白い歯をキラキラさせて楽しげに講演していたHさんに 一目惚れしたのはYさんであったのだ。 30年も前のことで、今や60と70になろうとされています。 ブツブツ言いながらも一緒にTOMへ来られては歌って帰られます。 このY子さんのどこに文筆の才が潜んでいるのであろう。お読みになりたい方は 当店に「八月の群れ」を置いております。一題読み終えるのに私は何度も辞書を 広げるのである。それほど解せぬ文字に出合い、よく悩まされるのである。

    2005.8月4日

    先月、15歳も下のO君が、まぼろしの一曲を求めて西郷輝彦のCDを買ったと言って 見せてくれた。 早速、掛けてみると懐かしいの何の! 少年のころに引きずり込まれる と同時に、嬉し涙が込み上げてくる。私が歌を好きになったきっかけは流行歌です。 歌謡ポップスが流行り出すもっと前から口ずさんでいたのは、守屋ひろしに三橋美智也、 それに春日八郎。まあ、好みはバラバラである。その後、ロッテ歌のアルバムという 歌謡番組が新人歌手をどんどん登場させ、やがてほとんどがスターになっていった時代。 昭和30年代半ばから40年代前半であった。少年の心には5つも6つも年上のスターに 対する憧れが渦巻いていた。 橋幸夫、梶光夫、久保浩、西郷輝彦、三田明、松島アキラ。 スターを羨望の眼差しで見ていた。
    さて、そのO君が持ってきてくれた西郷輝彦のCD。こんなに遠ざかっていても聴けばすう〜っと 甦ってくる。体がメロディーを憶えている。君だけを、十七才のこの胸に、初恋によろしく、 恋人をさがそう、星娘、星のフラメンコ。 星娘はちょっときついが、他は歌える。  MDに入れさせてもらって、一人の時にこそっと聴いている。自ら買い求めるまでもないが、 こうした機会に懐かしい歌に出合えたならとても感動する。ほんとうに懐かしい。  どれほどの年月が過ぎたろう。ずいぶん昔のことだ。
    懐かしい歌を思い出した。橋幸夫の南海の美少年、東京の美少年。でも江梨子が 一番好きだ。梶光夫の青春の城下町に可愛いあの娘。久保浩の霧の中の少女。  三田明の若い港に恋人ジュリー。 どんどん甦ってきます。  先日、仲間のYさんTさんと久しぶり歌いに行きました。古い歌謡曲のオンパレードです。 幸いにも他の客がいず、思う存分歌わせてもらった。感謝感激の一夜でありました。
    歌謡曲のことはさておき、新喜劇の岡八郎氏がお亡くなりになった。 また少年のころに戻るが、その吉本新喜劇をよくテレビで見たものです。 初めのころは土曜の昼過ぎに放送されていたと思うが違っていたらすいません。 秋山たかし、白羽大介、ルーキー新一、白木みのるに平参平。 女優では 藤井信子。 財津一郎はもう少し後だったなあ。 その岡八郎さんは新喜劇の 1期生と報道されてたが、私の記憶では初め、漫才をやっていたように思う。  相方は天草四郎。 岡八さんが新喜劇に登場したのはコンビ別れした後ですから 上記の方たちより遅れていた。 しかし登場してからは破竹の勢いでスターに 登りつめた。 おもしろかった。 実におもしろかった。 先日、最後の出演になった オール阪神・巨人30周年の番組で見たお姿は、哀れなほどやつれていた。 懐かしい人が去っていくのは淋しいですね。 少年のころの楽しい一幕が欠けていく、 そんな寂しさです。

    2005.9月6日

    また一つ、歳を重ねる9月です。 嫌だ嫌だと嘆いても、皆、平等にやってくる瞬間。 若くありたいと願うなら努力いたしましょう。 私のように誤魔化していてはダメですよ。  ♪ケセラセラ〜♪ どなたかのように飲んで楽しく歌い、嫌なことを忘れるのが一番。  気楽!それこそ、体に一番良い薬だそうです。 ♪ケセラセラ♪ なるようになるさ!
    今月の葉書案内にはこのような文句を書きました。  そうです、歳を重ね、54にもなってしまいました。32で始めた店、そして38で ここへ移った15年前に、今の年齢を想像すらしていませんでした。そのころ、50代の お客様には申し訳ないのですが、かなりの御高齢に思えたのです。 今、その方々と同令になって、高齢という実感はないものの、己の顔や体型は 恐ろしく変わっています。 トントントンと昇っていた階段も手摺りを持ちながらになりました。 足場の狭い階段の途中で、後ろへひっくり返ったらワヤでございます。  あ〜あ〜 二階はしんどいなあ! 昔、何ともなかったのにしんどい。  私が思うならお客さんもそうでしょう。あきまへん、下へ移すわけにもいきまへんのや!  下がガレージで宙に浮いてるような店。ガレージの屋根に店を付け足したようにも見えます。 さて、こんな店でも訪ねてくれる人がいて幸せを感じます。 学生時代にバンドやってた人、ホースラィディングしてる人、新しく訪ねてくれる人達と 縁ができれば楽しみです。一方で去って行かれる人もいます。去って行くというより 疎遠になった方々です。それは常にあることで、憩いを感じなくなった方には仕方のないことです。 
    先日、60に近いであろうお方が一人で店の偵察に来られた。 僕の友達が興味あって、一度聞いて来ておくれと言うことです。 用心深い方のようです。そんなに入りにくい店だろうか? 私など入りにくい店を探して飲み歩いておりますぞ。 桜ノ宮から都島にかけて何軒開拓したことか。閉店後のお付き合いには 欠かせない店ばかり。そやのに、スコスコと早めに帰られると淋しい私です。  足、腰、目と衰えてきてるのに飲む方はまだまだ元気です。どうぞ、こんな主でも よければ遠慮なくお供に使ってください。でも決して割り勘と言わないでくださいよ。  損をさせてしまうからです。

    2005.9月9日

    新紙幣に変わって何ヶ月でしょうか? ごちゃごちゃとややこしかった当初を思い出します。 今や旧札を手にするというほうが珍しいでしょう。 しかし、しかしです。何故だろう私の財布にはその旧札が よく入ってくるんです。お支払いで頂くのではなく、買い物のお釣で貰います。 旧千円札をレジの店員さんが上手いこと中ほどに忍ばせて渡しよります。 旧五千円札なら千円の下に隠れて目立ちません。そんな風にして私の財布へ 入ってくるんです。旧札があると何となく嫌なもんで早く出て行ってもらいたい。 そこで次の日にお返しに行きます。TOMと家の中間にあるスーパーですから、便利な 店でありがたい。でもそこの店員さんが旧札をくれるんです。男性客なら渡しやすい のだろうか? 私も嫌ですから、翌日にはまたそのスーパーで支払いに使います。  旧五千円札をさっとレジで使ったところ、お釣に旧千円札が混じっていた時には ぶったまげました。また明日も返しに来なあかんやん! 
    こんなことしてるのはウコンだけでしょうか? フンフンと頷けた方はいませんか?
     
    2005.9月16日

    続・旧札
    あれからしばらく旧札も紛れ込まなかったのに、今日になって二枚もの 旧千円札をもらった。母親に両替してあげたりして千円札が底をついたので 二ヵ所で1万円を使ったところ両店から旧札をいただいてきたようだ。 その場で確認しませんので後になって気付くのである。 あ〜 やっぱり俺の財布が気に入って忍び込んでくるのかなあと、つくづく思う。
    さて、どうしょう? 今夜は坊主どもが集まる日やし、どなたかに紛れ込ませて やろうかしら。 しかし待てよ。 彼らが千円より大きい札を持ってきたことがあるだろうか?  いや、ないのだ。そうです、家からは二枚の千円札を4つ折にして持たせてもらうのです。 だめだ! 彼らにお釣は必要ないので、この作戦は没としょう。
    うちに来るお坊さんは、ほんまにケチである。 うちに来る坊主ですからお間違えないように。 あ! 京都から来る本物のお坊さんはそうではございません。   二千円だけを握り締めて、目一杯歌って帰るのですから大した坊主である。 たまに99円ショップで買ったお菓子や、かめやのコロッケを持ってきてくれるから大きな声では 言えませんが、とにかくTOMでは使わないのだ。 大きな声で言わなくても、ここで書いてるから まる分かりやね。 ま、ケチやケチや言うても長年のお客さんやし負けときます。 ここで歌えるだけでも有り難く思っておいてちょうだい。 こんなん書いたら、ありがた教でもこしらえてしまいそうやね。 そして、皮肉った歌でも 作りかねませんので、ここらでおいておきます。

    2005.10月21日

    朝晩めっきり涼しくなりました。寒いぐらいですね。一番いい時季でよく眠れます。  食欲の秋といっても私の場合は普段と変わりません。なのに体重が! ワンランク上がったまま 落ち着いてしまった。 えらいことです。 40歳までは哀れなほど痩せ細っておりましたのに、 今の姿は別人みたいです。 太鼓腹ではないものの、お腹の出具合が気になります。  人に聞けば、そんなことないよとの慰めのお言葉。 この10数年で毎年1kg増えた勘定です。 父はずっと痩せ型だったし、同じ宿命と思ったのに肥えてしまった。  これで大病して縮んでしまったら醜いだろうな。 皺くちゃの体型で店へ出るのは嫌だな。  てなことを思いながらも、大敵のビールをガブガブ飲んでおりますからどうしょうもない。  タバコ吸わないといっても、この年齢は恐い。 皆さんほど大病に繋がるストレスを仕事で 持たない分良かれと思えど、老母の世話係もかなりの鬱積につながります。  夜には店へ来てそれを発散するよう努めるのであります。
    さて、父は84まで生きた。 母は86で現存し、兄は60過ぎても元気な模様。  幸い家族に循環器系の疾患がございませんので嬉しい。 油断大敵やけど、病は気からです。  先月に書いたように「ケセラセラ」で行こうと思います。 それとお経バンドの連中をチクチク 刺すのも発散だ。 さ、今夜だな。 先月はマラカスを持った坊主がいたから、こてんこてんに 言わせてもらったが、ましになっただろうか? それとも諦めたか? 何でも飛びつく坊主がおりまして 難儀なことです。分別を持って楽器をやって下さいよ。余計な物を持ってこないように。 しかし、しかしです、、、、、ほら貝吹きながら入って来そうなヤツなんです。 (´ヘ`;)

    2005.11月17日

    お客のAさんは偶然にも私と同い年であった。 かなり酔ってお連れと来た時に、 二人共うるさくて追い出したことのある、曰くつきの客である。 この方が初めて見えたのは、1999年1月9日。 私は初めての お客さんを手帳に記すようにしておりますから分かるのです。  あまりにも9の並んだ日に来てるから不吉な男と思いきや、何の縁であろうか 今もカウンター椅子に心地よく座ってる男である。 年明けにはまる7年になるなあ。
    己の好みには拘ってる。 ブルースが体に合うようだ。  ここで知ったマールハガードと、好みのクリス・クリストファーソンは聴けるらしい。  彼が随分も前に思い入れていた歌手を聴けという。 CDを焼いて持ってきて くれたのはいいが、どうも私の心にはズキンとこない。  人それぞれ、音には一途、決して人の良いものを横取りするような質ではない。 好き嫌いのはっきりしたこの私に、何を向けてもあきませんよ。 君はマールハガードの良さを知ったから得をしたのであるぞ。  酒が進めばぶつかるね。 カントリー信者と和むひと時もそれでいいが、彼と気持ちを ぶつけ合うのもまた充実した時間である。
    団塊の世代の後に生まれ、親が一生懸命に働いてくれたお陰で不自由なく大きくしてもらった。  二人とも典型的なアホぼんかも知れません。 いや、そうしておこう。  幼少のころ「七色仮面」「少年探偵団」「怪傑ハリマオ」「ちびっこギャング」それに「とんま天狗」などに 興じてた世代。 後には学生運動にも首を突っ込んだ記憶もある。  この二人のおっさんが7年余り前に出会って、酒を飲んではカウンター越しに ぐだぐだ論じております。 何で来たのか、何が合うのか、何が何がと突き詰めても 言いようのない何かが人間にはあるのであろう。

    2005.11月22日

    NHK,スタジオパークで、テノール歌手、新垣勉の素顔を拝見しました。 もちろん歌も2曲付きです。 初めて見たのは「徹子の部屋」で、今日が二度目です。  1952年、沖縄生まれで53歳。 生まれて間もなく失明されるのですが、その原因を ここでは紹介できぬほど悲しい出来事です。 お父さんはアメリカ軍人。 その後すぐに 離婚して本国へ帰ってしまいます。 そして母は再婚し、お祖母さんに育てられるのですが、 その祖母も亡くし天涯孤独の身になられたそうです。 苦労を重ねた中でも人々の支援を受け、歌の才能を磨かれたそうです。
    さて、今日の歌は冒頭に「さとうきび畑」。 そして、しめくくりに「白い百合の花咲く頃」を歌われました。 何とも心にしみる歌、力強さの中に優しさのある、そして素敵な声である。  お話の中で、人生の節目節目に出合った歌を紹介していました。 その中で布施明に 憧れたという「霧の摩周湖」。 教会に誘われて知ったという賛美歌「いつくしみ深き」。  両歌とも私の大好物でもある。 しかし彼はその布施明に会える位置にいます。 そして、賛美歌 312番に出合って聖職に就き、人を許せる心を持った。  視力を失っても天性の声を与えてくれた父に感謝していると言う。 そして父が生きていたら 聴かせたいと言う。 これだけ優しい人間になれるのかと、私は穴を掘って隠れたい心境になる。  我々視力ある者は当然の如く生きてますね。 本当にハンディを負わない限り痛みが分かりません。  痛み有らば人の痛みが分かるのであろう。 見える者は罪を犯す。 見えない者に罪など犯せない。  見えれば才能も花開く。 見えなくても才は伸びる。  もう遅いなあ、遅すぎるよ。 若いうちに気付いていれば何とかなったよ。
    最後に歌われた「白い百合の花咲く頃」の歌詞に、ニヌファ星というのが出てくる。  これは何かと調べたら北極星であった。 沖縄のことばらしい。  以外や、お話も上手で洒落も連発される。 肉まんが好物ですと言う。  戦争のない穏やかな世界、憎しみのない、、、、憎まん(肉まん)世界を望みますと。

    2005.12月1日

    最終金曜、FOLK&POPSの日の楽しみは他ならぬ、おみやげ物の味見である。 御差し入れの重なった日はご機嫌になります。  コロッケ、シュウマイ、餃子に、タコテツのたこ焼き。 お寿司や串かつもお持ち頂きます。  コロッケなんてとお思いでしょうが、京橋名物「かめや」のコロッケの揚げたては美味しのだ。 酒を交わしながらほうばるのもまた楽し。 私の夕食は早めですのでちょうど消化したころで、 うまい具合にお腹へ収まります。 これなら食事してこなければ良かったと申されるご婦人も。
    今月のFOLK&POPSは24日(土)のクリスマス会となります。 こちらで用意できる食事は 限られておりますので、どうぞ何なりとお差し入れ下さい。 一品持って頂ければすぐ仲間に なれますよ。 と、こんな厚かましい店主はおりませんね。 お客のウイスキーは遠慮しませんし、 おみやげも欲しがるし、とんでもない店主ですね。 ま、そう言わんと皆さんのお口にも収まる のですから同罪でございます。 どなたも御好意でお持ちくださいます。  ケセラセラ〜 で、楽しみましょう。 FOLK、POPS&COUNTRYの歌える人のご参加をお待ちしております。 一姫二太郎はもう飽きられてくるころです。 良い歌い手が来てくれるのを期待しょう。  あ! レゲエ君を忘れてた。 悪い言うてへんよ。

    2005.12月21日

    今年も残すところ僅かになりました。 24日のクリスマス会は飲んで楽しく歌いましょう。 お経バンドと一姫二太郎が演奏しますが、お客さんも どしどし前に出て歌ってもらいましょう。 クリスマスソングは小さい頃の記憶として 残っております。 聖夜、ホワイトクリスマスなど前に出て歌ってみませんか?  他に芸のある方も前でやっていただきたいものです。 私、店主は何も言いません。  この夜ばかりは無礼講で結構でございます。  さて、例年よりたくさんのお申し込みをありがとうございました。  オードブルでご満足いただければいいのですが、別腹をお持ちの方は何とぞ一品を ご持参くだされ。 どなた様も歓迎いたします。  ささやかな、ほんのささやかなプレゼントもございますのでお楽しみに。
    これにて本年の独り言はお終いです。 皆様、今年もTOMをご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。  年末年始を健やかにお過ごし下さいませ。 



    2006.1月10日

    年明け早や10日でございます。 戎さんへもお参りせなあかんのに 毎年サボっております。 こんなんですから商売繁盛なんて遥かですよね。 ま、いいわ。 お参りしてもいっしょやもん、これでいいのです。 けったいな店はけったいなお客でもっております。 其のけったいな人達は、よそで馴染まないらしいから、ちょうどここが良いと言うことだ。 しかし正月早々、爆弾を落としてしまった。 人がせっかく歌ってるのにペチャクチャ 喋られると途中で気力喪失です。 やんぺや! うるさいから歌ってられへんわと、 えらい見幕でした。 当人達はびっくりしたことでしょう。 あなたがたの幼稚な演奏を じっと聴いてる身になってちょうだいよ。 気をつけなはれ!
    さて、今年もHさんからの年賀状は恒例の阪神タイガース、ボヤキギャグでございます。 ちょいと紹介させていただきます。

    ☆ 岡田監督の巻
       寛美の顔に産んで強情なオッサンに育てたのはいったい誰や?
       おっかあだ!
    ☆ 井川投手の巻
       ラクダそっくり井川君、おもろい(顔)、きたな"い、かわ"いない。
    ☆ 能美、赤星、矢野選手の巻
       ノ〜ミのキン玉、あかん星。 日本一は無理やの〜

    と、苦しいギャグでした。 Hさん、見てたらごめんやで。

    2006.1月26日

    よその飲み屋のことなのだが、たま〜に寄りたい処がある。 私より一つ年上の女将さんで気性は荒い方である。 客の話を聞けばいいのに一人でよく喋る。 どちらが客か分からない。 負けじと突っ込まなあほらしい。 ということで、たまに寄るだけでいい。 そこに昨年の10月頃から若い偉そうな客が常連になってしまった。 若い言うても30代半ばであろう。 酔って大声でのたまう。 気に入らないのが、 女将さんへの呼称。 一応、一応であるが、周りはママさんと呼ぶ。 そいつだけは、「おばはん」又は「おばん」としか呼ばない。 それしか言えないのだ。 その汚い言葉使いを聞くだけで気分が悪い。 そんな安もんの店ではないのにと 顔をしかめる。 安もんと言うのは語弊があるが、まあ勘弁願いたい。 その女将さんはどうやら許してるようだ。 35才から55の女性を見れば「おばん」に なるのだろうか? オーナーが安っぽく扱われるのは気分良くない。 もっとプライド持って諌めたらいいのに、よう言わないのか一向に直っていない。 この不況の中で常連さんが一人でも増えれば有り難いことだが、私には居心地悪い 店になってしまいました。 だから今回から電話を入れて行くようにした。 そいつの不在を確かめてから寄るのである。 いつも会う方に、そいつに関して話を 切り出したら、案の定同感で、ママに忠告したけど効き目はないとのことだ。 きつく言わない限り無理だろう。 話が盛り上がっていたところへ、そいつが入ってきた。しまった! 湯豆腐を頼んだ ところだ。 ちょっと我慢して食べてすぐに帰ろうと思いきや、そいつはスヤスヤと 眠りだしたのだ。 あ〜良かった。 気分害せずに済みそうである。 よそで飲んできて座るなり寝るとは、何と甘やかされた客でしょう。 ここまでママは馬鹿にされているのだぞと、心で呟いた。  湯豆腐を早くしてと頼んでも、野菜が柔らかくなるまで中々である。 でき上がるや急いで食べて帰ったよ。 起きてきて五月蝿くされると 心地よい酔いが無駄になるのである。 今後もやはり電話をしてからでないと行けそうにない。 私が代わりに忠言してあげればいいのだがママに断られた。 揉めるからだとさ。 まあ常連でもないし、ここは他の方にお任せしておこう。

    2006.2月10日

    今日、久しぶりにChiliBeansの掲示板を覗いたらSさんの訃報が 掲載されていた。 もう4日前になっていました。 TOMがここへ移転した頃には遊びに来てセッションもした仲だったし、 TOM DOOLEYSのドラムをやってもらったこともある。 それから疎遠になってしまい15年も会っていなかった。 実はその頃にもう病気治療を始められていたのを知っている。 所謂、インターフェロンによる治療だったから病名もピンときていました。 きつい治療だと仰っていましたが、それからも養生しながら頑張ってこられたのでしょう。 4歳ほど上だったから58になられていたのかな? ある時、眼鏡を取り出して掛けられたから、何ですのんと聞くと、見えへんねんと言う。 え! 老眼鏡ですか? そやねん、作ってんと仰る。 私が39の時でしたから、早いですねと 笑っていたのを記憶する。 今や15年も経てば老眼鏡なしでは不自由である。 それにしてもビックリしました。 御葬儀も済んでしまった今では、心から合掌しておこう。 今晩、店へ行ったら目を瞑って思い出してあげよう。 1991年の大阪城野外音楽堂での カントリーコンサートが最後でありました。

    2006.2月23日

    酔っ払うと要らんことを言ってしまうのは多々ございまして、普段無口?ゆえ 我ながら呆れる。 某酒場にて、私が極めて限界に近い状態の頃合に入って来た客が、 TOMの話を耳にするや、自分も2回行ったと仰る。 私がTOMの主とは気付いてない様子。 お顔を拝見すると、酔っていてもピンときてしまった。 名刺だけ置いて行かれたのが1度目。 2度目はビールを1杯飲まれた。 市内名跡のガイドさんで、皆さんと夜に楽しむ店を探してるとのこと。 話も煮詰まり、ライブ日にお越しになると喜んでいたのにスッポカされて、それ以来梨の礫。 まあ、確かに2回お訪ねになったのだが私としては存外でございます。 何年も経て某所でその方とバッタリ出くわし2度も行ったと申されても、こっちは話に乗せられて 馬鹿を見たのです。 その方に何と突っ込んだのか忘れたが、きついことを言ったようだ。 某店主様、周りの皆様には雰囲気を壊したことお詫びいたします。 お酒の勢いはどうしょうもない。  ほんとにどうしょうもないのである。
    次にうちの常連さんのことである。 私一人の時を狙ってやって来る客だが、 この日ばかりはライブの日。 いつも何処かで酔ったついでに来る客で始末が悪い。 普段、私一人なら何とかあしらうものの、お隣さんに言いたい放題はしゃくに障る。  ここTOMに来るのもタクシー、帰るのもタクシーと、飲み代より高くつくわと声を荒げる。  それなら来んでいい、よそへ行って。 もう来んでいいと帰した。 60近くになって、役所勤めをしてきたのに可哀想な人だ。 嫁はん来んのも分かります。
    今度も私のことです。 閉店後、焼き鳥屋さんにて4人で飲食してた時、 一人酔った客が私らの話を聞いていたのか、割り込んで来ようとした。  お前らと呼び掛けて来た瞬間に、私は素早く反応したのである。  「お前らって誰に言うとんねん!」 瞬時に店主が割って入って向うを諌めていた。  この店主、私と同姓の三田君である。 学年も一緒やけど親戚ではありまへん。  よくお邪魔しては飲ませてもらっております。 
    この大人しい?TOMの主でも、お酒が入ればこうなります。 ほんとうにやっかいな飲み物です。 皆様もこの私を見ればお分かりでしょう。 程々にお嗜みください。
    以上は先週の出来事でありました。

    2006.3月14日

    もう一年になるなあ。そうです、去年の3月16日から2週間も お休みして厄介なところを治療してきました。 痛かったなあ。毎日々々、痛くて顰めっ面をしておりました。 厄介なとこは一年経って、それなりに安定しております。 「そんなん直ぐに再発や」と、どなたかに脅されておりましたが大丈夫です。 ただしかし不便なことがありまして、これは他人様には分からないことで、 本人は工夫をしながら過ごしております。 何やろと思わなくていいですよ。
    振り返ってみれば、、、、、 手術から13日目の夜、お酒を断って家でくつろいでいたら電話が鳴った。 聞き覚えのある声だが一瞬分からない。 あっ、何や横丁さんですかいな!  ちょっと待ってと代わったお人が悪いお方。 案の定、お誘いでありました。 店を再開する前に予行演習やて。 お腹を慣れさせとかなあかんやて。 気持ち揺らいだが誘惑のほうを選んでしまったのだ。 ホイホイ行く者もアホやけど、誘う方も誘うほうである。 13日目のビールは掟が気になって美味しく飲めなかった。 掟違反ですから。 ああ、あの頃の苦労が甦る。 何せ、必需品を持参でお店へ伺ってたんですよ。  必需品とはアレでございます。 形振り構わなかったなあ。 今思えばちと恥ずかしい。
    さて今や、すっかり忘れたような毎日を過ごしております。 喉元過ぎれば何とやら、私は弱い人間なのであります。 その横丁さんには足が向かなくなりましたなあ。それはちょっと前の「独り言」に 載せておりますように、合わなくなったのでございます。 しかし代わりのお店は直ぐに見つかるんです。 どなたが見つけてくるのか、ほんとうに感心いたします。 その悪いお方(裏を返せば良いお方)にお供するのがずっと習慣でありまして、 この呑み屋さんには、これまで以上の良い評価を頂いております。 おや! と言うことは、けったいな店ではないのである。 今まで私のお連れした店に気に入られた店はあまり無かった。 これはいかん! 私にはけったいな店がある。 何か居心地がもう一つと思い乍らお供していましたが、程々にしておこう。  そこは私には良すぎるのだ! いかん、いかん! 我を忘れるところでした。

    2006.4月18日

    バーボンウイスキーの絶品にエヴァンウイリアムズ23年があります。 快い口当たりで、23年ものオーク樽での熟成が枯淡の味をもたらす。
    チキン・ハーツ後援会長でおられますK氏に、あまり出回っていないバーボンを 探しておくれ一緒に飲もうと言われ、仕入れ始めたのが7年前です。 まあ沢山のバーボンを味も分からず次々と仕入れては試してきました。  これは良い、これはもう一つやな、全然やなあと言いながらも5年程前には ワイルドターキーのクリスタル・デキャンターでチキン・ハーツ結成を祝ったのであります。 その酒はボトルがクリスタルなだけで中身は大したことはなかった。  もう一つだったのであります。 けど、高価だったものですからチビチビと舐めるように 味わったものです。 その後も各銘柄を取り寄せては試し飲みを続け、結局はこのエヴァンウイリアムズ23年に 落ち着きました。 他の酒は要らぬこれでいきましょう。 こうしてK氏のお酒はどんと1本だけバーの棚に目立つようになりました。 ところが最近、このウイスキーの風味が他のお客様に広がり、今や3人の方のボトルが並んでいます。 更にGさんも次の機会に思い切ってステイタスをと仰いますから4人になりそうです。 このエヴァン23年は53.5度もあるが、まったりでもなくスウィ−トなのである。 私の立場は得なもので何方からも勧めてもらい、いただいております。 つい飲み過ぎて足に来てふらつき始め、ご迷惑をかけるのが落ちでございます。
    さて、この高価なバーボンが売れてホクホクではと思われるでしょうが、いえ、原価に 上乗せするキープ代金はノーマルな酒と変わりございません。 ですから儲かりまへん。  まあいいんです。 その代り、私が半分ほどいただきます。 半分はオーバーでも よく飲ませていただきます。 Kさん、Mさん、Hさん、今度のGさんと揃えば4名様です。 Mさんはもういいと申されて いましたから3名様に収まりそうです。 まあ、このお酒を高級店で注文したなら いくらの値段がつくでしょう。 ここTOMでは業界用語で申しますと、E万でございます。 年に一度、ちょっとリッチな気分を味わってみては如何でしょう。 美味しいよ。
    2006.5月9日

    ゴールデンウィークも終り、ほっとしております。毎日店へ来てお客様を 待ち受けるのが楽しみですから連休は無くてもいい。以前は休みになると新店開拓にと 意気込んでいましたが、歳の所為でしょうか気が向かなくなりました。 5日の祝日はちょうどチキンハーツのライブ日にぶつかりましたのでこれ幸いと営業日に いたしました。 さて今後、いつ何時、店の営業を短縮せざるを得なくなるか知れません。 と言うのも老母が一人であれこれ出来なくなりますと隣家にて世話をせねばなりません。 ですから週末のみ営業という形も考えております。 まだまだと思っていても直ぐにその時期が やってきそうです。 介護保険を利用してヘルパーさんに来て頂き、辛うじて週末だけ自由に させてもらおうと考えております。 TOMは8日に22年を迎えました。お蔭様で22年も続けられてる今を幸せに思っております。 このまま歴史を重ね、やがて最後の日が来ましたら静かに幕を下ろそうと思います。 いえ、まだまだですよ! お経バンドが何を唱えようが、あの世へ戻ってこなくていい。 あんたみたいなヘンコはこの世でもっと修行を重ねろと言われたなら、そう致します。 修行と言うのは徳を積むと言うのだろう。 これから始めようかしら。 善人さんなら早くに お迎えが来るらしい。 私など頑固もんは体がガタガタになろうが、長生きさせられる ような気もいたします。
    さて、4日にはほんの数人でバーベキューを楽しみました。 レゲエさんにも誘われてましたが 大勢の中に居るのは苦手です。 ゆっくりと、ゆったりと気の知れた仲間と過ごす時間が とても気持ちいいのでございます。 レゲエさんには申し訳ありませんでした。 このバーベキュー、初体験という珍しい方もおられ楽しく過ごされた模様です。  しかし、焼き物一つにしてもコツと経験がものを言いいますので先輩には素直に 従いましょう。
    5日のチキンのライブは祝日営業で、これも珍しいことでした。 そんな日にしたら 誰も来ないでしょうと言われながらも、それなりに賑わい良かったです。 有名シンガーも寄っていただき歌を披露してくれました。 この日は早めに閉店し、ちょっと寄り道です。 チキンハーツ後援会のお二人と バートさんを加え向かった先は例の「よこちょう」さんです。 幸い愚客が居ませんでしたので 良かった。 年配のTさんはカラオケは聞いてるだけよと仰いながらも、横から付いて歌われる。  私が古い歌謡曲を歌い出したものの集中できない。 思わず彼女にマイクをお譲りしたので ございます。 初っ端から歌を盗られたとはそういうことなのであります。

    2006.5月18日

    TOMの22周年とスカイさんの日記1周年が、ほぼ重なっていたようです。 小さいころから日記なんて女の子が書くものと空を向いておりましたので、 何でスカイさんがと疑問を持ったものの、やはり女の子やったみたいです。(汗) いえ、今は当然おばちゃんと呼ばれるご年齢でございます。(大汗) 22年は無理でも末永く頑張ってください。
    TOM DOOLEY。 つけてしもうた仕方ない店名ですが、変えずにいたから 22年と言えます。 お蔭様で有難うございます。 1984年5月8日に店を始めて、これまでに色々ありました。 中には人に言えないこともあり、これは心に仕舞っておきまする。 初めは小さい店でした。 カウンター4人にテーブル席が4人。8人でいっぱいです。 素人の私が考えたカウンターは高すぎて、小柄な方には気の毒なほど座り難かったんです。 何でも自分を基準に考えるといけません。 いや、待てよ! 私の足も長くない。 そうです、作った本人も苦労するほどのカウンターで不評だったのです。
    5周年が1989年で、これは御贔屓筋の岩崎様の大きなお店をお借りして 賑やかに祝ってもらいました。 「Big City」というバンドを結成しておりましたので メンバーをバックにカントリー三昧の日々だったんです。 私も37でしたからね。
    余談ですが、TOMを始めて1年半ほど昼間は喫茶をしていたんです。 朝の7時から5時まで。 そして夜はバータイムです。 この私が喫茶ですよ。 コーヒーなんて仕入先から簡単なレクチャーで、 コーヒー嫌いな私が焙煎していたのです。 美味しい水割りも作れない私がでございます。 つづく。

      2006.5月19日

    号外です。 つづく。。。って書いたもののちょっと気になるニュースが。 酒酔い自転車運転で刑務官が書類送検ですって。 事件は先週の水曜にTOMの近所で起こりました。 テレビニュースに映る道は見慣れた風景である。JRの際で わざわざ電車が通過する時をねらって放映しておりました。 TOMと桜ノ宮駅の間、やや駅寄りの現場である。 そこで何が起こったのかと申しますと、酔っ払った大阪拘置所(都島区)の 現役刑務官が駐車中の車に接触したらしい。 思いっきりぶつかったのかも知れません。 素直に謝まりゃいいのに口論になったのですから最悪ですね。 しかし他人事ではありません。 私とて常習犯ですから。自転車ですよ、 決して車ではありませんから念のため。 それにしても珍事ですね。 自転車の飲酒運転が立件されるのは異例で、記録が残ってないと記されております。
    都島の拘置所も犯罪者が溢れるほどお入りになってると聞きます。 35歳の刑務官も人の子。 日頃のストレス有らば飲み過ぎもございましょうに。 私にも懐かしい記憶がございます。 友の店からの帰り道、自転車で七転び八起きして 家に辿り着いたことです。 こんな表現は間違いですが、懲り懲りだった経験です。 お酒は怖いです。 でも止められません。 人には程々にと申しながら飲んでおります。 そのうち痛い目に合ったところで自転車も捨てたいと思います。

    2006.6月13日

    つづき
    前の店のことであるが、その高いカウンターと4人掛けのテーブルは 全く不釣合いで、テーブルのお客さんの方が上を向きながらの会話と なるのであった。 首がだるくなるような目線でしゃべってたのです。 2年程して栗ちゃんという客が常連さんになったのがきっかけで、 彼が手製の椅子とテーブルを作ってくれた。 器用な彼は 材料を買ってくるやその日のうちにやってくれました。 手間賃はビールで 勘弁してもらったように記憶します。 客との目線も良くなり成功です。 ただ、腰掛の幅が狭いのとテーブルに肘をつくとギーギー鳴るのが難点でした。 しかし栗ちゃんには感謝しておりました。 彼は私と同い年でよく店に通ってくれた。 やがて仕事の関係で大阪を離れて行ったのであります。 もう随分と会っていないし、どうしてるのか訪ねてほしいですね。 そのほか、お世話になった方々が日替わりで来て下さった良き時代です。 それにしてもTOMは辺ぴなとこにあったんですよ。 都島の田舎です。 皆さん元気でした。 わざわざ歩いて通って下さったお客様も高齢になり 疎遠になってしまいました。 近隣の人も興味本位で訪ねてくれたのですが所詮カントリーバー。 マニアな店ですからすぐに去って行かれます。 私も柔らかくならなくてはと自覚し、 ナターシャセブンの音楽を覚え始めたのもこの時期で、Tさんが提供してくれた カセットテープがきっかけです。 このことは店外放送のどこかに書いていたと思います。

    2006.6月27日

    つづき
    前の店のことが話しに出る度に、お客様には写真をお見せしております。 外観に店内と、お見せしては微笑んでいます。 もう跡形もない店ですが、 こうして写真を見れば甦ってきます。「マスター、若いな〜」、「チョビヒゲ生やしてる」 「細いな〜 ガリガリやん」 そう、栄養失調やってん。てな具合に話が進みます。 その頃はちょいとした苦労もございまして肥えれませんでした。 さて、その店にN商社のTさんが訪ねて来られてからは凄かった。 この都島の田舎に連夜、ネクタイ族がやってくる。 連夜は大袈裟ですが、ほんとうに よく来てくれた。 店外放送にも書きましたように、1985年のケニー・ロジャース公演の折、 大阪城ホール前でチラシを撒いたのがきっかけです。 TOMは10歳も年上のおじさんに気に入られてしまったのでございます。 この小さな店にお構いもなく大勢でやってきます。 座る椅子もなくカウンター内にも人が。 連れられた人は「ここ何処でっか?」と、大阪商人ならではのお尋ねに、京橋ですと 答えたものの京橋からも遠かったんです。 しかし全くこっち方面に縁のない方にはご説明しても キョトンとされていた。 お帰りがまた大変だ。 タクシーをお呼びするのだが4,5台はいるのだ。 バブル景気の真っ只中ですからタクシーチケットもそれぞれが束で持っておられた。 呼んだものの中々重い腰が上がらない。 その間は狭い静かな住宅街にタクシーが並ぶ。 そのうちにどっと出て行きます。 話し声と車のドア−の開閉音。 この時間だけがご近所迷惑。 何しろ11時前後です。 しい〜んと静まり返ってる都島の田舎ですから。 このTさんはこの店で5年、そして今の店で8年と、大変可愛がってくれたのに、良い方は早くに お戻りになられます。 そう、彼の国へ舞い上がって行かれました。 Tさんは何方をお連れしても、 また大勢であっても決して経費にはしなかった。 弁えておられたのでございます。 偉い!

    2006.7月19日

    いつも昼からは慌ただしいのですが、ゆっくりできる時はスタジオパークを見ています。 昨日は歌手の野○五○でした。ギター少年だったそうです。 小学六年の時に兄のエレキギターを抱えてバンドで歌う写真が披露された。 アメリカンポップスを歌う録音テープも流れ、本人はどのように英詩をマスター したのかと首をかしげる場面も。 聴き覚えですね。 何度も聴いて覚えてしまう。 デ〜オ イデデ〜オ、、、は、浜村美智子のバナナボート。 ジェニ ジェニ ジェニと 口ずさんだのは鈴木やすしのジェニ・ジェニ。 どの子もこの子も口ずさんでいた。
    話は戻って、彼はそれより以前にウクレレもできたようで恐れ入ります。 まあ、ませた子供だったんですね。 のど自慢荒らしで出まくっていたという。 最高3万円もの賞金をこつこつ貯めて、初めて自分のエレキギターを買ったそうです。 それをスタジオへ持参して懐かしんでいました。 ELKという国産エレキギターですから 何年前なのか、恐らく40年近いんじゃないでしょうか。 この野○五○が50歳だそうです。 ほんとうかな? この業界の方はよく誤魔化すようですから。 西○秀○も二歳ほど鯖を読んでるのは有名ですね。 彼も軽く二歳ほど誤魔化していたら 52で、私ともそんなに変わらないのだ。 芸能人は上手いこと化けるでしょ? プロのお手入れは怠らないし、いつまでも若くいられる。 頭髪なんて急に増えたら 可笑しいけれど決して減らないようにフォローしてる。 人に見ていただく商品ですからね。
    さて、その野○五○がデビューして間もない頃だったでしょう。 私が少しの間、お世話になった音楽事務所がありました。フォークシンガーの登竜門です 若者よ集まれという3行広告に釣られて訪ねた所。 色々と可愛がってくれたお爺ちゃんの 小さな音楽事務所であった。 天王寺の阿倍野だったなあ。 私が20才前でオヤジさんは 60代であった。 住居と兼ねた事務所でしたから奥のほうに大きなベッドがあり暗く囲ってあった。 何度目かにそのベッドから女性が出てきた時にはビックリした。 オヤジの奥さんだったか、御妾さん だったか知る由も無い。 その女性は若かったのであります。そら私よりは上です。けどオヤジとは 30は違うように見えました。 この事務所には演歌歌手のポスターが目に付く。どなたも 知らない歌手である。 どうしてこのオヤジがフォークシンガーを発掘しようとしたのかは謎である。 私などオリジナルもなく、カントリーやアメリカンフォークを歌うだけなのに懐かしいと言っては 世話を焼いてくれた。 オープンリールの大きなテレコで録音してくれたり、事務所の屋上で 写真を撮ってくれたりと、私たちアマチュアの拙い歌手に親切だった。 きっと子供がいなかった のだと思う。 どこかで書いたと思いますが、梅田の東通商店街にありました喫茶「田園」 を紹介していただき、また近くのサントリーバーでも歌わせてもらった。 プロバンドの合い間に カントリーのスタンダードを歌うと酔ったサラリーマン客がチップをくれたのを思い出す。 程なくして藤本氏の推薦で南の「エルパソ」で歌いだすのですが、何も言わずに自分の ことのように喜んで店にも見に来てくれました。 いいオヤジだった。
    話が飛びましたが、そのオヤジにお世話になった頃、デビューしたての野○五○コンサートが 堺市民会館であり、前座で歌うかという話があったんです。何人かの候補者がいて人選 していたのである。 上手い先輩フォークシンガーもいた。ですから、私はとんでもない 話ですと言って断りました。 そんな大きな舞台で体が震えて失敗したらどないします?  まして私は英詩の歌ばかりです。 和製フォークが良いに決まってます。 野○五○のデビュー間もないころです。 絶頂のころなら別ですが、私ら素人が前座を やれた時代です。 私は断りましたから誰かが出たのは確かです。 野○五○の人気はその後、うなぎ上りでしたね。 惜しいことしましたが、20才の私は臆病者でした。いや今もそうなんです。

    2006.8月9日

    ふと甦ってきたんですが、先月に起きた福島県の事件。 鬼のような親に虐待死させられた3歳の男の子です。 食事も与えられず衰弱死した可哀想な子供のこと、記憶に新しいですね。 まあこの種の事件は頻繁に起きて、我々の関心も薄れて麻痺しています。  この憎たらしい親の体型を見ましたか? そうですプクプク太ってるんです。 何と言うことか、どのような神経の持ち主なのか頭を捻る。 1食抜きの躾は有っても、延々とひもじい思いをさせる親がどこにいるでしょう? 親なら己がひもじくても子に与えるよね。 猛獣でも野鳥でも親の自覚あるよね。  プクプク太った親の下で、空腹のあまりドッグフードをほうばっていた子供がいました。 生まれてこんかったら良かったと死んだような気がします。 この子もこの世での修行か!  何処に入れられてるのかプクプク太った親よ、税金で作った三度の飯を食べてるのだろう。  腹立たしいね、勿体ないと言いたいよ。
    大阪茨木で話題になってる女性監禁事件、これも食事を与えずか。 こちらは親子じゃなくて赤の他人です。 騙すほうも騙すほうだが、騙されるほうもバカですね。 24才にもなりゃ人の見分けぐらい身につけておけよ。荷物もまとめて その男の部屋へ行ったと言うではないか。 何のことはない男女関係なだけよ。 ある日を境に男が変貌したとある。 男の本性が出たなら何とでも逃げれるよ。 今、次々と過去の犠牲者が現れてるけど、ほんまにアホな女が他にも居たもんだ。 山奥の牢獄ならまだしも、都会のマンションでなら何とでもなるもんです。 バカな女どもよ、もっと慎重に自身を大事にしなはれ。
    子供に罪はない。なのに子供が犠牲になる。 親に勝手に殺される。東尋坊でせっかく保護されたのに帰宅したら また実行してしまった愚かな母親。 子に罪はないのにとつくづく思う。 川へ放り投げた新潟の鬼母。 何とか防いであげれないものか、子供の所為でもないのに。
    ところでTOMにお越しの女性は強い人ばかり。 そんな愚かな女性は居ません。 もう、そこそこのご年齢で御座いますから事件にもなりません。

    2006.8月24日

    夏の高校野球が終った。何とも言えぬ心地よさが残る。 私は夜の仕事ですから、決勝戦再試合も見れて幸せでした。 37年前の決勝戦再試合も記憶に残る。 三沢対松山商業の激闘には、 同い年の太田幸司投手に憧れを抱いて観戦しておりました。  相手の井上投手には気の毒なほどコーちゃんフィーバーでした。 私も単純な高校生でしたから人気に押されてフアンになっておりました。 その後も箕島の島本耕平投手、もっと後には東邦の坂本佳一投手が出た ものの、初代アイドル、太田幸司投手には及ばなかったようです。
    さて今年の夏は大変なことになっています。 久々のアイドルに日本中が 沸きかえっておりました。 品性に実力を備えた大投手と言っても過言ではない。 早実の斉藤投手にはこんなおっさんでも心を打たせる魅力がいっぱいです。 ハンカチの王子さまやて! クールで賢そうで、品があって申し分なし。 こんな息子がいれば幸せだな。 と、今更羨んでも仕方ないか。 御家族はというと、お兄ちゃんはマスコミに引っ張りだこなものの、親御さんは 静かにしておいて欲しい様子です。 しかしここまで来れたのも並大抵のもの じゃないと思えます。 負けて負けて、より一層努力しての結果でしょう。 努力の先にはこのようなご褒美が待ち構えてるのですね。 運不運もありましょうが、 頂点に立てる一握りの選手たちに拍手を贈りたい。 こんな素晴らしいドラマを見せてもらったのですから。 ほんとうに今年の甲子園には感激いたしました。

    2006.8月30日

    今週月曜日、幸いにも母親の送迎もありませんので、 またスタジオパークを見入っていました。 ゲストはマイク真木さん。 もう40年ですって。 そう、あの「バラが咲いた」で一躍有名になりました。 浜口庫之助なる髭の作曲家を知ったのもこの曲でした。 その40年前のマイク真木の写真がアップされると、別人がそこに居ます。 これは、どなたでもそうなると言ってるだけですよ。 62歳になられる。 大学在学中にヒットしたようです。この歌は別の歌手に 歌わすためにと言われ、私はデモテープとして2ギターとベースで録音したのです。 ところがいつの間にやらラジオに乗って、あれよあれよと全国へ広まったそうな。 スキー場でのアルバイトを終えて東京へ帰ってきたら、そういうことになっていたと言う。 いや、昔はそんな悠長な時代でした。 今のお姿、白髪を後ろで束ねて何ともむさ苦しいお姿です。 しかし、色々とお話を聞いていると非常にマメな人です。家のリフォーム、何から何まで 自分で作ってしまう。 家を取材したテレビカメラが案内しておりましたが、実に器用な人である。 別名、大工真木、ダイク真木と言って笑わせていました。
    そして今、8月・9月のNHKみんなの歌で、「ありがとう心のバラ」を歌うのがマイク真木です。 ぼそぼそと囁くような歌が流れる。 詩がいいのだ。 作詞は嫁さん。 何人目の女房か 知りませんが若い方です。 そして本人が曲をつけるまで作詞者を知らせてもらえなかったそうな。 初対面という時に悲しいかな、我が妻が現れたのである。 この詩、奥方に言わせれば、普段、自分に伝わってこない気持ちを書いています。 つまり、言って欲しい言葉、思いやりを詩に乗せた。 さて、マイク真木は見かけによらず古風であり、洋式はだめなのである。 甘い言葉、おべんちゃらはもっての他。 と言うことで、歌で言わせようとしたのが奥方でありました。 まだ聴いていない方は一度、お聴きになったらいかがでしょう。 歌詞をここに載せようと書き始めましたが、思いとどまりました。 こそばくなってきましたので、ご勘弁ください。 どうぞ、テレビで聴いてください。

    2006.9月7日

    一年ってあっという間。 また歳を重ねてしまいました。 ぞろ目になりました。 11年前が懐かしいということです。 さてもう9月。 昨年末のパーティーで酔っ払い、失態をしでかしたのも ついこないだのようです。 すぐにまた年末です。 こんどは不細工なことに ならないよう自制しょう。 私がこの年齢ですから諸先輩は間違いなく上をゆく。 お客様のお一人は疾患が見つかり間もなく手術をされます。 神経痛が酷い方、太りすぎて困る方。 太りすぎは病気ではなく 緩慢なだけと我が身にも言い聞かせております。 私も家のマシーンでお腹を凹ますように運動するのだが、一向に効果が 上がりません。 好きなビールを断たない限りあきませんね。 そのうち急に凹んできたら手遅れということでしょう。 まあそんな終焉のお話は置いといて、今朝は良いニュースで華やいでいました。 皇室に男児お誕生というおめでたい喜ばしいことです。 今日一日、どのテレビ局もこのニュースで時間を割いておりました。 今日に合わせて各局が皇室評論家を用意していたのでしょう。 そんなの聞きたくないのに長時間の態勢ですから仕方ないのだろう。 道行く人たちの素直なコメントを聞いておればそれで和むであろうに。 凶悪な事件が続く昨今、素直な喜びで満ち溢れております。 皇太子妃殿下雅子さまの御胸の痞えがすっと通ったのではないでしょうか。 それにしても鯰博士のお喜びようはたいへんなものです。 男児のお誕生に 41の父親が一番お喜びのご様子です。

    2006.9月22日

    飲酒運転による事故や検挙が頻繁に報道されております。 交通機関での移動は面倒であり、車を利用してしまうのでしょう。 車は便利で電車となると億劫だった。 私もそんな頃がございました。 若いころは酷かった。 最終的にはいつまで違反していただろう。 神戸のイエローリボンや京都のケニーズ、梅田のライブでも車だった。 勿論、そこで飲酒します。 はっきりしませんが40過ぎまで飲酒運転でした。 よくもまあ事故も起こさず検問にも引っ掛からなかったものです。 そうです、気付くまで40年以上もかかりました。 その後、バンド活動はTOMだけにし、 他所へ行くことがあればギターのSさんに乗せてもらった。 Sさんは6才も上ですし、 弁えておられた。 ま、最初にビール一杯飲んでも帰りには醒めていましたから。 最近は車に乗るのも近辺だけ。 もっぱら母親の送迎である。 ゴールド免許も 20年近くになるでしょう。
    さて、TOMにいらっしゃる37才と40代になったお二人が気になります。 車で来られるからです。 量を控えても飲酒運転だ。 そらTOMまでは面倒です。 車に乗り付けた若い人には離せないようである。 嘗ての私と一緒やね。  これだけ世間で騒がれてる飲酒運転事故の悲惨なこと。 店で言うても上手く交わされる彼にメールで訴えました。 「飲酒運転取締まり強化週間ですから、軽率なことにならないようご自制願います。 何のことはない、ご来店回数減っても安全な電車をお薦めするだけです。 面倒くさいと言われたらそれまでですが、ご一考願います。  店主 」
    さあ、どう変化するやら。 店主の本音ですか? そらもう飲酒運転幇助罪は こわいですもの。

    2006.10月11日

    カントリーにブルーグラス。 どちらも世間では超マイナーなミュージックである。 人様はカントリーをブルーグラスと勘違いし、西部劇の挿入歌をカントリーと申される。 ここTOMにお越しの方でもチンプンカンプンなのでありまする。 ま、関心ない方には仕方のないことでして、以下は読まなくていいでしょう。 酒場にカントリーミュージックは合えどもブルーグラスでは落ち着けない。 さて、ブルーグラス専門の酒場はあるのだろうか? あったとしてもカントリー酒場のほうが大半である。 昔はありました。 神戸のロストシティーに梅田のマンハッタン。 酒場ではなくブルーグラッサーが集う喫茶店であった。 学生の溜まり場でもありました。 後にチャーリーブラウンというライブハウスができブルーグラスバンドが幅を利かせていた。 同時期、池田にヒルビリーというお店もあったが訪ねる機会がございませんでした。 阪神の裏、梅田ビルの地階にはテキサスという大きなパブがあり、カントリーとブルーグラスは 共存していたように思われる。 そう、私が18〜30才のころのお話であります。 ブルーグラスは非常にマニアックであり、愛好者のほとんどが楽器弾きである。 楽器弾きは演奏が目的でお店に顔を出す。 そう、飲むのは二の次なのです。 そら儲からない。 お店がやっていけないのは当然ですね。 その後も南にジュリアンソレル、神戸元町にシャギーと、専門店がオープンしたものの 存続は難しいものであった。 高槻のマウンテンエコーさんが「On Tune」としてオープン されてるようですが、ブルーグラス専門ではなさそうである。
    一方でカントリー酒場は京阪神にいくつあるだろう? 15軒はありそうだ。 酒飲みの集まる処、カントリー酒場ならやっていけるのである。 カントリーならリスナーさんも数多くいます。 大きなお店では出演バンドが動員をかければ 売上にもなってやっていける。 ですからなかなかへたばらない。 ここTOMはもう昔のようにライブ中心ではなくなりました。 けど、良い酒飲みさんのお陰で 維持できるのであります。 こんな場末の酒場でも何とかやっていけます。 TOMはバーです。 お酒が進むように雰囲気もございます。 飲めない方が来てもつまらない。 他所で飲んでこれ以上飲めない方は遠慮していただきたい。 それでもまだ飲めるなら 拒むこともない。 酒場とはそういうものであって、私も他所ではそうするのである。
    話は戻りまして、ブルーグラスバンドでもTOMで修行してきたチキンハーツさんや、 和歌山のバンドさんにはもう免疫ができてしまい難なく聴かせて頂いてます。 それに時々来られる京都のお坊さん。 TOMでしっかり飲んでくれたらOKよ。 もう長年になるチキンハーツのお仲間さんも、でしゃばることのない紳士方です。 そんなこんなで、今お越しのブルーグラス愛好家だけで充分です。 酒場に不向きなブルーグラスは野外で演る音楽とみております。 さてさて、また要らんことを書いたようですね。 嫌われもんに徹していきましょう。

    2006.11月2日

    「いじめ」による中学生の自殺が相次いでいる。 福岡で矢面に立たされていた 学校長は岐阜で起きた同事件の陰に隠れた形で、ほっとしているのだろうか? 教育者とは斯くも同様の弁明を揃えるものなのか! 色々と報道されてる通り 教育委員会が作成した会見マニュアルに沿ってノラリクラリと言い逃れるのである。 片や必修漏れ、未履修高校で責任を取るように亡くなられた学校長もいる。 また校長のパワーハラスメントを受けた教師の自殺も相次いで起きている。 教育現場のこれほどの混乱ぶりは珍しいんじゃないでしょうか。
    私が中学生だった40年前はどうだったろう? やはり「いじめ」はありました。 弱い者いじめはクラス内で確かに行なわれていた。 対象とされた男女生徒は じっと我慢して事が済むのを待っていた。なぜ対象とされるのか思い出してみると、 やはり「からかい」易い体型や動作の持ち主なのである。 そうだ、「いじめ」ではなく 「からかい」の域であったように思う。 しかし、昨今の事件の被害者は明るくて、勉強もスポーツもそこそこできるとある。   「いじめ」の内容は岐阜の女生徒の遺書などから実態が明らかになり、陰湿そのものであった。
    実は私も「てんご」されたことがあった。 小学生のころはチビではなかったのに中学では さっぱり成長せず、2年生のころにはとうとう前から2番目になったのである。
    そのチビだった中2以降に「てんご」される的になったのである。 「てんご」とは「いじめ」ではなく 「からかい」と解釈していた。 プロレス技でヘッドロックされたり、デストロイヤーの 4の字固めもされた。 そして靴を脱がされて教室前の水が張ったバケツに浮かべるのである。 靴に穴が開いてたなら沈没だが幸いにも助かった。 わざと沈めるようにはしない。 そこまでしない「ふざけ」なのである。 廊下の窓からカバンを投げ捨てられる子を思えば 可愛い「てんご」で済んだのだ。 こういう大人しい子?が被害に合うなら分かりますが、 明るいリーダー的な子が何かのはずみで仲間外れにされ、陰湿ないじめで悩み、 こうして命を絶ってまで抗議するというようなことはなかったのである。 我々のころ、リーダー的な子は率先力があり、悪がきどもにも一目置かれ、尊敬されて いたのである。
    それにしても学校教育に道徳の時間はあるのだろうか? 削減されてるなら困ったものだ。 私には道徳の先生が優しく丁寧に教えてくれていた記憶が残っている。 つまらないと 居眠りする子もいたが、授業を聞く聞かないが別れ道のような気がする。 もちろん 家庭でのしつけが一番なのは言うまでもない。 今の若い親はしつけと称して虐待する のだから悲しいことこの上ない。
    話が逸れましたが、40年前は怖い先生が目を光らせていた。 教師には威厳があり、 一部の生徒を除き、子供には尊敬されていたと思います。 立派な職業であり、それを目指す生徒もいた。 私は教育に文句を言える立場でもないが、何かが狂っているように思う。 親を尊敬し教師も尊敬する。 私たちの時代に戻れないものかと憂える。 教育委員会も天下りの巣だ。 学校長に登りつめた者だけが就ける地位らしい。 そんなんではなくて、教育学の大学教授や改革推進評論家、或いはヤンキー先生など、 教育改革を推し進めるパワーのある人選を願いたいものである。
    そしてまた、今朝の朝刊に中3生が自殺とある。

    2006.11月7日

    つづき
    先日、TOMに出入りする現役中学教師Yさんに尋ねたら、「いじめ」による 自殺事件の連鎖に教師は緊張感でいっぱいだそうです。 どの社会もそうで、事件事故が繰り返されるごとに再認識するのだが、 如何せん事が絶えることはない。 「再発防止」という言葉は死語にして 使えないようにしたらどうでしょう。 「絶対阻止」 もっと確固たる信念を責任者の口から 聞きたいものである。 さて、このよういな悲しい事件を報道は被害者を真っ先に取材し、そして学校関係者を映し、 我々の目に届けてくれる。 これによって事件詳細を知り得る訳だが、加害者のこととなると 遺書で名指しされようが遠避けるのである。 子供だからであろうか? インターネットで正体をバラされることもあるが、一般の目には中々留まることもない。 どうして加害者を隠すのであろう? 事件事故で子供を殺された親は口を揃えて言うのに、 加害者の人権を楯にする。 識者は「いじめ」を犯罪と言ってるのにおかしなことである。 被害者が例えA君であろうとも連日のようにマスメディアに晒されるのである。 もちろん家族が真相を究明してもらいたいと願う立場でもあるのは分かる。 そら、加害者宅はひっそりと隠れていたい。 地元で知られても全国にまで晒されたくない。 これはおかしい。 陰湿な「いじめ」で死を選んだ若者の苦痛を思えば、針の筵に座って もらいたいものである。 それでこそ改心の欠片でも期待できるのである。
    岐阜の事件では加害者側が被害者宅へ謝罪に訪れ、少しでも誠意を見せていた。 一方、福岡では悪がきが今度は違うターゲットに「いじめ」を開始してると報道された。 そうです、こんなもんなのです。 如何に生ぬるい環境に置かれてるかお分かりでしょう。 教師の「しつけ」を体罰体罰といってその行使を阻止され、現場には歯痒い先生も 多々おられるだろう。 悪いことを正し、常識を体で教えてくれる先生が昔はいた。 そんなことが許されない今の学校がとても虚しい。 家庭でできそうにない躾を学校で やってもらえれば有り難いことである。 我々の親も教師に全てお任せしていた。 女教師であろうが、悪い子には構わずビンタを飛ばしていた。 我々も自身の非を認めての「しつけ」だから親には黙っていた。 それに、言えばまた親にも怒られるからだ。 さっきも言いましたが、 親はそれほどまで先生を信頼してたのである。 今の子は先生に殴られたとチクリ、その親が学校へ抗議に来る。 親ばかもいい加減にしてもらいたい。
    ただ福岡の呆れた先生には返す言葉もありません。

    2006.12月6日

    このページも50回を数えたところでしんどうなりました。 それでも何か、お知らせしたいことや近況など、浮かんできたら 書き記してみたいと思います。 私の代わりに管理人様(注:以前の)がブログを公開 されておりますので、毎日の更新をお楽しみください。 こう言っておけば楽ちん。
    半年前、TOMの目と鼻の先に居酒屋さんが新規開店されていました。 あまりに近過ぎて、それに若い人が集ってるような様子に遠慮したままでおりました。 つい先日、mさんとbさんに教えたところ、二人で先に様子を見に行かれたのでございます。 空いてて居心地良いというので私もお邪魔した。 若い26歳の店主である。 おっさんへの扱いは慣れたもんで、どこで腕を磨いてきたのと尋ねると南の焼き鳥屋と申す。 ほんに、鶏料理を得意としているメニューである。 良かった良かった、敬遠していたがなかなか良い。あまり近いと町内会が来てそうでヤバイ。 知った人と会うと、憩いどころか気を使わなあきまへんからね。 そして、翌週もmさん他、5人でお邪魔しましたところ、これまた我々だけの贅沢な空間でありました。 mさん、居心地良さそうで一番ご機嫌である。 それにしても、心臓疾患で入院していたとは 思えないほど酒量は増えている。 寒くなると調子の上がる不思議な人である。 いつも会計をしてもらうので、これ以上は控えておこう。 今まで桜ノ宮界隈へ足を運んでいましたが、ここなら近くでいい。みんなで行くならそこにしておこう。 が、私には居心地良い、けったいな店がございます。 一人で行きます。 クロさん、コガさんがお供なら構いません。 お二人さんもそこがお気に入りだ。 さて、ほんとに変わってるのは私たちかも知れません。
                                      完