ライターユキオの連載エッセイ〜 

 『台湾うまれのヤマトナデシコ』

 第3回 ゆきことユキオ (6/11)

「あなた、台湾にご興味がおありになって?」
 振り返ると、一人のご婦人が立っていた。おいくつぐらいだろう? 
優しそうな笑顔、悪い人ではなさそうだ。
―― あ、はい。
「お若いのにねぇ」
 聞けば女性は台湾で生まれたのだと言う。でも見た目も言葉も日本人。
台湾で生まれたって、どういうことだ? と一瞬、頭がこんがらがったが。
すぐに「昔、かの国は日本の植民地だった」ことを思い出した。
台湾生まれ・・・ そんな人と会うのも、話をするのも初めてだ。

ボクたちは映画館のロビーで30分くらい立ちばなしをしただろうか。
ふしぎと会話は途切れなかった。
女性の話が上手なのと、ライターという職業柄、ボクがわりと聞き上手
(相槌打ち上手?)だったせいか。

戦前、昭和初期の台湾ばなしを聞きながら、
にわかにボクは”台湾”への興味がカラダの奥から突き上げてくるのを
感じていた。
いいかげん立ちばなしもつらいので、ボクたちは映画館に隣接する
カフェに移動した。

女性は名前を「ゆきこ」といった。
ボクがライターの名刺を差し出し、「ナカマユキオです」と名乗ると、
「あーら偶然ね、わたしとおんなじ。
 それにあなた、字もお偉いかたとおんなじじゃない?」
 と彼女は笑った。
ほんとは鳩山さんとは一字違うが、あえて訂正はしなかった。どうでもいいことだ。

まもなく2人のテーブルに注文した紅茶が運ばれてきた。
ソーサーにはフレンチシュガーが2個添えてあった。
「すみません、お砂糖 あと2ついただけます?」
 彼女はそう店員に求め、砂糖のかたまり4つをカップに入れ、
満足げにスプーンでかき混ぜた。
―― この人、なんて甘党なんだろう。
かといって、女性は太っているわけではない。中肉中背ってとこ(女性には
失礼かな、こんな表現)。
ボクは1つだけ入れた。2人で紅茶を飲みながら、話はつづいた。

***
ボクの母親世代であるゆきこさんは昭和のはじめ、台湾の首都である
台北(たいほく)で生まれた。
現在、私たちは台北のことを「たいぺい」と呼ぶことが多いが、
当時は皆「たいほく」と呼んだ。
現在もNHKに限っては「たいほく」とアナウンサーが読んでいる。

そこは当時日本だったが、幼稚園や小学校では台湾人とも学び、
遊んだという。
一番ボクが興味をそそられたのは、当時台湾でよく食べていた料理や
フルーツのはなし。
それと、昔うたった歌。(このおばさん、すぐに歌い出すんだよな)

ああ、今日テープレコーダーを持ってくればよかった。一人で聞くには
もったいない”お宝ばなし”だ。

それにしてもこの人、60年も前のことをよく覚えているな。
その時代に戻ったように、目を輝かせて話す。こちらも映画を見ているように
情景が浮かぶ。
よっぽど、いい時代だったのかな・・・。

気がついたら映画が終わってから、数時間が経過していた。
まだまだ彼女の話は尽きないので再会を約束してその日は別れた。

第4回へ /目次へ戻る)