第19話
〜闇の中の光〜
瑠璃が闇界の手に堕ち、ゾークの配下として生まれ変わった。
闇界の下僕となった瑠璃は天界へ赴き、琥珀と再会した。
『次は兄者の命をもらう』
そう告げて、瑠璃は天界に背中を向け、闇界へと飛び去った。
同日、闇界の王宮。
ここは、ゾークの玉座のある、『玉座の間』。

玉座の前には、柘榴が立っていた。

「番兵兄弟の弟は我が物となった。次は、兄の方だが……。」

ゾークが玉座に肘をついた体勢で言うと、柘榴が素早く言葉を返した。

「彼は弟とは違い、自らの意志で命を差し出すように仕向けるのは難しいでしょう。」

少しも表情を変える事なく、柘榴はそう言った。

「ならば、殺せ。我の前に奴の石を差し出せ。」

ゾークもまた、闇色の瞳を少しも揺らす事なく命じた。
柘榴がその命令に言葉を返すよりも早く、背後から声がした。
「その役目、俺に任せて下さい。」
ハっとして、柘榴は後ろを振り返る。
玉座に向かって歩いて来たのは、瑠璃だった。
黒のスーツに身を包んだ瑠璃は、今では闇界の空気に溶け込んだようだ。
ゾークは動じる事なく瑠璃を見据えたが、柘榴が食ってかかった。
「あなた達『番兵兄弟』の略奪を命じられていたのは僕ですよ。あなたの出てくる幕じゃ……」
「俺はゾーク様に申し出ているんや。」
柘榴の方を見向きもせず、瑠璃は冷たく返した。
クっと、柘榴は口を閉ざし、玉座の方に向き直った。

全ての決定権は、ゾークにある。

ゾークは静かに口を開いた。

「瑠璃。お前もまた、早く兄と一緒になりたいだろう?」

「はい。もちろんです。」
「ならば瑠璃、お前に任せる。……柘榴、異存はないな?」
柘榴は明らかに不服そうであったが、頭を下げて同意した。
「…………はい。」
瑠璃はそんな柘榴など眼中にないと言った感じで、ゾークに一礼した。
「兄者は必ず、この俺が殺します。」
むしろ、自分以外の者が兄者を傷つける事は決して許さない。
兄者を殺し、闇界へと導くのは、弟である自分でなければならない。
そんな強い思いが、瑠璃の中にあった。
だからこそ瑠璃は、琥珀の羽根を切り裂き、負傷させた柘榴を許せないのだ。
瑠璃と柘榴は『闇界に堕ちた天使』という共通点があるものの、仲間意識はなかった。
「瑠璃。任務もいいが、少し休んでおけ。王宮内でも歩き回ってみたらどうだ?」
まだ闇界に来たばかりの瑠璃に対し、ゾークはそう付け加えた。

   

   

   

瑠璃はゾークに言われた通り、王宮内を宛てもなく歩いていた。
まだ闇界に来たばかりの瑠璃には、この陽の射さない暗い道も風景も、全てが馴染みのない景色。
ふと、少し先に明るい光を見つけた。
(なんや……?)
自然とその光を目指して歩いてしまうのは、天界に居た頃の名残りであろうか。
闇に覆われた王宮の中で、その場所だけは太陽に照らされているかのような明るい光に覆われている。
不思議な場所だと思いながら、瑠璃はその光の前に立った。
どうやら、ここは植物などを育てる庭園のようだった。
庭園に足を踏み入れると、そこに一人の女性の後ろ姿があった。
その髪の色、髪型。瑠璃には、見覚えがあった。
瑠璃は目を見開き、ゆっくりと女性に近付いて背後から声をかけた。
「…………硫化?硫化か?」
瑠璃がそう呼び掛けると、女性は驚いて振り返った。
その女性は、確かに硫化だった。
「る……瑠璃先生!?」
硫化もまた、驚きに声を上げた。
硫化は瑠璃が闇界に来た事をまだ知らなかったのだ。
そして天界にいた頃と変わらず、瑠璃の事を『先生』と呼んだ。
闇界の王子ファリスと結ばれる為に、自ら闇界に堕ちた硫化。
そんな硫化を、瑠璃は必死で引き止めていた。
それなのに、その瑠璃が闇界に堕ちたなんて、信じられなかった。
「先生……、いつ闇界に?」
「つい先日や。それにしても、何でここはこんなに明るいんや?」
瑠璃が空を見上げると、そこには小さな太陽らしき物があった。
この庭園だけを照らす、小さな太陽である。
「ここは、ファリス様の野菜庭園です。あの太陽も、ファリス様がお作りになったんです。」
静かな口調で説明する硫化を見て、瑠璃は驚いた。
「硫化、どないしたんや?天界にいた頃の底抜けな明るさはどうしたんや?」
「………生まれ変わりましたから。今はファリス様に仕えるメイドです。」
そこで、会話は途切れた。
硫化は、思いつめたような顔をして目を伏せた。
「先生は………私を責めないんですか?」
硫化は、あの日からずっと気にしていた事を口にした。
瑠璃を、天界を裏切って闇界へと堕ちた、あの日から。
瑠璃は、それには答えず話を切り替えた。
「………硫化は今、幸せか?」
そんな事を聞いてくる瑠璃の顔を、硫化は不思議そうに見返した。
「はい。ファリス様のお側にいられるだけで……幸せです。」
「なら、ええんや。誰も硫化を責めたりせえへん。硫化は、自分の守りたい物を守った。それだけやないか。」
硫化は驚いた。そんな答えが返ってくるとは思わなかったから。
「俺にも、守りたい物があるんや。そんな俺は硫化と変わらへんで?」
硫化は、以前と変わらない瑠璃の優しさに、少し安心して微笑んだ。
「先生の守りたい物って何ですか?」
すると、瑠璃はふっと笑って目を閉じて顔を伏せた。
「………兄者や。」
「琥珀さん…ですか?」
「ああ。俺は兄者を守りたい。
瑠璃は硫化と向かい合った。
硫化は、ハっとした。その瑠璃の青い瞳に宿るのは、優しさなどではなかった。
「だが、俺は気付いたんや。全ての天使は、ゾーク様の元でこそ自由と安息を得られる。天界にいたらあかんのや。その為にも、俺は兄者を殺してでも闇界に連れてくる。」
何の躊躇いもなく言う瑠璃に、硫化は恐怖すら感じた。
「兄者を殺し、闇界へ導く。……俺が、兄者を守る為に。」
まるで自分に言い聞かせるように、瑠璃は強く言った。
瑠璃は、天界に居た頃と同じ訳ではない。ゾークの力によって生まれ変わったのだ。
兄を守りたいと思う心は、闇の力によって『殺意』へと変わっていた。

   

   

   

瑠璃が庭園を出ると、今度はまた別の女性が駆け寄ってきた。
長いピンク色の髪に、ドレス姿。
それは、ゾークの娘であり、闇界の姫であるネクロ。
「瑠璃!!闇界に来たって聞いて驚いちゃったわ!」
駆け寄ってくるなり、瑠璃の手を掴んで大はしゃぎである。
元々、ネクロは琥珀と瑠璃の事は大のお気に入りであった。
瑠璃が闇界に来た事を、純粋に嬉しく思っているのだ。
「ねえ、お城の中でお話しましょう。ほら、早く!」
ネクロに腕を引っ張られ、瑠璃は城の中へと入った。
そして、ネクロは城の一室のテーブルで、瑠璃と向い合わせに座った。
かろうじて、ここはネクロの自室ではないのが救いだ。
もし、男を自室に連れ込んだとなれば、柘榴が黙っていないだろう。
その時、柘榴が紅茶の入ったティーカップを2つ持ってきた。
柘榴はまず、ネクロの前にティーカップを置き、次に瑠璃の前に置いた。
柘榴にとっては、ネクロの気を引いている瑠璃の存在が憎くて仕方ない。
しかし、そう言った感情は表情に出さず振る舞う姿が、紳士な執事である。
しかし、瑠璃は目の前に置かれたティーカップを見て、
「俺、コーヒーの方が好きやねん。」
と、あからさまに嫌がらせのように言った。
瑠璃もまた、兄を傷つけた柘榴を憎んでいるからだ。

「それは失礼しました。お取り替えします。」

柘榴は紳士的な口調の中に殺気をこめながら、瑠璃のティーカップを手に持った。

そんな二人の険悪なやり取りにネクロは気付かず、上機嫌だ。

「まさか、瑠璃が闇界に来るなんてね。ねえ、お兄さんの方は?」

「兄者はまだ天界にいます。いずれ、俺が闇界に連れてきます。」

瑠璃の敬語口調に、ネクロは違和感を感じた。

「敬語は使わなくていいのよ?」
しかし、瑠璃は根が真面目な男である。
「ご令嬢であるネクロ様に無礼な事は出来ません。」
闇界に仕える者となった瑠璃は、王族であるネクロに対して礼儀を弁えるようになった。
それは瑠璃にとっては当然の振るまいであるが、ネクロにとっては違和感でしかない。
急に他人行儀になったようで、どこか寂しい。
「そんな固い事言わないで。いつもの、あの口調が好きなのよ。だから、前みたいにしゃべって?」
「しかし……」
ネクロは、向かい側からずいっと身を乗り出して顔を瑠璃に近付け、人さし指をピっと立てた。
「これは命令よ☆」

「……分かりました。いや、分かった。その方が俺も気が楽やし。そうさせてもらうで。」

「ようやく本音が出たわね♪」

そう言って、ネクロはクスクスと笑った。

そのネクロの笑顔を見て、瑠璃の脳裏に誰かの顔が思い出された。

瑠璃は放心したように、ネクロの顔を無言で見つめた。

「え、なに?人の顔をじっと見て…………」

ネクロが瑠璃の視線に気付いた時。
カタン………。
瑠璃が突然、静かに席を立った。
そして自分の席を離れ、向かい側に座るネクロの横に立った。
ネクロは、突然の瑠璃の行動に、驚きの目で見上げた。
瑠璃は手を伸ばした。
「え?」
ネクロが小さく声を出した。
瑠璃は、片手でネクロの長いピンク色の髪に触れた。
その感触を確かめるように、それでいて崩さないように。優しく手で触れた。
「…………綺麗や。めっちゃ綺麗な髪やな。」

   

   

ネクロは、一気に頬を赤く染めた。
(や、やだ!!瑠璃ってこんなキザな事言う人だったかしら!?)
どう反応していいか分からず、ネクロはただ、無言で瑠璃を見上げていた。
ネクロにとっては、王族である自分に何の躊躇いもなく近付き、触れてくる男は柘榴以外にいなかったからだ。
しかし瑠璃はネクロの髪に触れつつも、その意識は別の所にあった。
その瞳は、ネクロを捕らえてはいない。
(……天界にも、こんな色の髪をした………)
瑠璃は、思い出していた。
兄以外にも、大切な人が天界にいる事を。
記憶を失った訳ではないから、その人の名前は容易に思い浮かべる事ができる。
だが、瑠璃はあえて思い出そうとしなかった。

その時、誰かが部屋に入ってきた。

「お取り込み中、すみません。」

そう言って、柘榴は二人を引き離すタイミングを見計らったように部屋に入ってきた。

「瑠璃、ゾーク様がお呼びです。」

瑠璃はゆっくりと柘榴の方を向き、

「………ああ。」

無愛想に返事を返した。
瑠璃が部屋を出て、歩き出そうとした瞬間。
「………やはり、あなたは殺しておくべきでした。」
今まで抑えて来た感情が溢れ出たのか、柘榴は瑠璃に言葉を投げかけた。
瑠璃は、無言で睨み返した。
「あなたを石にした後、ゾーク様に献上せずに破壊するべきでしたよ。」
いつもは感情の読めない笑顔を浮かべる柘榴も、この時ばかりは殺気を露にしていた。
いや、むしろ、今すぐにでも殺したい。そんな衝動が生まれる。
「俺はショートが好みやけど、ロングもええなあって思っただけやで。」
そう言って挑発するような笑いを浮かべながら、瑠璃は柘榴を置いて歩き始めた。
柘榴は、立ち去る瑠璃の背中を凝視した。
その時、ドアを開けてネクロが外に出て来た。
「柘榴、どうしたの?そんな所に立ってないで、入りなさいよ。」
ネクロは、今度は柘榴を部屋に引き入れた。
「ねえ、もう一杯お茶が飲みたいわ。あなたが入れる紅茶は美味し……」

そう言かけたネクロを、柘榴は強く抱き締めた。

突然の強い抱擁に、ネクロは驚いた。ピンク色の瞳を大きく開いた。

「ざく…ろ……どうしたの………?」

「あなたは、どこまで僕を狂わせるんですか…………。

「え?

柘榴の言葉を聞き取れなくて、ネクロは聞き返した。

柘榴は片手をネクロの頭の後ろに回し、その長い髪に触れた。

この髪も、瞳も、心も。全て、僕だけの物にしたい。

だけど、今は………醜い嫉妬の心に支配されている自分では、抱き締める事しかできない。

「フフ…。」

突然、ネクロが含み笑いをした。

柘榴はキョトンとして腕の力を弱め、ネクロの顔を見た。

ネクロは先程よりも頬を赤くして、笑顔で柘榴の胸に顔をすり寄せた。
「ラベンダーの香りがする。私、この香り好きなの。」
それは、柘榴がいつも付けている香水の淡い香り。
ニッコリと微笑んでネクロが顔を上げた時。
柘榴は、嫉妬や憎しみが自分の心から消えていくのを感じた。
(そして………どこまでも可愛い人だ。)

   

   

   

   

   

   

瑠璃は、『玉座の間』に向かって歩いた。
そこで彼は、ゾークの真意と歴史の真相を知る事になる。

   

   

続く