第3話
〜迷いこんだ闇の道〜
杏花は、今日も朝から一人だった。
ダーツは仕事の為に早朝には寝室を出てしまう。
その為、杏花が目覚めた時にはいつも部屋に一人。
寂しさは感じるが、仕方がないと自分に言い聞かせ、杏花は部屋を出た。

   

   

   

   

   

   

今日の王宮は、静かだった昨日の朝とは違った。
何やら、忙しそうに天使達が王宮内を動き回っているのだ。
何かを運んだりする者、それを持ってどこかへ向かう者。
杏花は、めまぐるしく動く天使達をボーっと見ていた。
まるで自分だけが別の時間の流れの中にいるような感覚だ。
その時、その天使達の中に、番兵兄弟の琥珀(こはく)と瑠璃(るり)の姿を見つけた。
「琥珀さん!瑠璃さん!」
杏花がそう呼び止めると、琥珀と瑠璃は足を止めた。
「皆、忙しそうだけど、何かあるの?」
杏花がそう聞くと、明るい性格の兄・琥珀は、笑顔で答えた。
「気にせんといて下さい、ちょっとした仕事やで♪」
次に、真面目な性格の弟・瑠璃が、礼儀正しく答えた。
「俺ら、仕事がありますので。失礼します。」
そう言って立ち去る双子。
一人残された杏花は、その二人の背中を見送りながら、少し疎外感を感じた。
(王宮の案内をしてもらいたかったのにな……。)
まだ天界に来たばかりの杏花は、この広い王宮の事を知り尽くしていない。
少しでも早く天界と王宮の事を知って、慣れていきたいと前向きに思っていたのだ。
しかし、一人きりでは何も物事が進まない。
(……瑪瑙さんの所に行こう。)
杏花は何かあると、瑪瑙(めのう)を頼るようになっていた。
瑪瑙なら分からない事はなんでも教えてくれるし、あの診療所は居心地がいい。

   

   

   

杏花は、診療所のドアの前で呼び掛けた。
「瑪瑙さん!!瑪瑙さん!!」
しかし、反応がない。
ふと、ドアに手をかけた。
鍵はかかっていなく、ドアはすんなりと開いた。
ゆっくりとドアを開き、杏花は中の部屋へと入った。
「瑪瑙さん?」
しかし、部屋の中にも瑪瑙の姿はなかった。
(留守……なのかな。)
杏花は、部屋の中を見回した。
また、瑪瑙は夜通しで何かの研究をしていたのか、部屋の中は乱雑であった。
瑪瑙は、この診療所を研究室と兼ねて使用している。
机の上には資料やら設計図やらの書類が散らばっていた。
そして、部屋の中には発明品なのか、作りかけの機械などが無造作に置かれている。
天界一の医師の瑪瑙は、実は天界一の化学者でもあったのだ。
杏花は、壁に貼ってある一枚の図に注目した。
(これ………地図?)
それは、この天界を中心とした周辺地域の地図であるようだ。
見慣れない形であった。
自分は今、この見慣れない地に立っているのだと思うと、なんとも不思議だ。
天界から視線をずらして行くと、端の方に黒い色で表現された地域があった。
おそらく、これが『闇界(やみかい)』なのだろうと、杏花は瞬時に思った。
(けっこう、天界と近いのね。)
地図で見る限り、天界と闇界はそう離れていない。
同じ大陸上にあるし、まるで境界線1本で区切ったようにも見える。
しかし今、天界はこの闇界と戦争中であると、瑪瑙は言っていた。
(闇界って……どんな国なのかしら。)
そう思って視線を地図からそらした時、ふと自分の目の前に『ドア』がある事に気付いた。
今まで、この部屋でこんなドアは見かけなかった。
杏花は不思議なくらい気になって、そのドアのノブに手をかけた。
ゆっくりと、扉を開ける。
その瞬間、そのドアから『闇』が広がり、杏花の視界全てを覆い尽くした。
「!?」
杏花は驚いて目を閉じ、顔を背けた。
しかし、次に目を開けた時。
杏花は、闇の中に立っていた。
「え!?うそ………!!」

僅かな視界しかないが、辺りを見回す。

見えるのは、天界の景色と変わらず、木々や植物と言った、自然。

ただ、全てが暗闇なのだ。まるで、夜の時間帯のような暗闇。

(ここは……天界じゃない……?)

そう、杏花は肌で感じた。天界の夜とは違う、闇の中にいる。

杏花は怯えながらも、少しずつ歩きだした。

ずっと遠くに、明るい光が見える。

あそこまで行けば、天界に帰れるような気がする。

そう思いながら、その一点の光を目指して歩き出した。
「あっ!!」
視界が暗いせいで、杏花は何か小さな岩のようなものに足を引っ掛けてしまった。
倒れそうになった瞬間、誰かの体に支えられ、抱き起こされた。
「え?」
杏花が驚いて顔を上げると、一人の男性が杏花の体を支えていた。
「気を付けて下さい、お嬢さん。」
そう言って、その男は微笑した。
暗くてよく見えないが、その男は20歳くらいで、黒いスーツを着ていた。
赤い髪の色をしていて、その言葉遣いと服装から、紳士なイメージを受ける。
杏花は今までの不安から、その男にすがるように言った。
「私、いつの間にかここに来ちゃって……ここはどこなの?」
男は、落ち着いた様子で答えた。
「迷子さんですか。よく、こんな所まで来ましたね。」
男は、前方の光を指さした。
「あの光が、天界です。そして、ここは闇界。ここは天界と闇界の境界近くです。」
「闇界!?」
杏花はそれを聞いて、驚きよりも先に恐怖を感じた。
闇界とは、天界の敵だと言っていた。とすれば、ここは敵地。
そんな危険な土地に迷いこんでしまった事に、危機感を感じる。
しかし杏花は、目の前の男を見て気付いた。
彼の背中には、天使の羽根があった。
と、いう事はこの人は天使だ。天使は味方だから、信用してもいいと思った。
少なくとも、この人は敵ではないという事に気付いた杏花は、少し安心した。
「あなた、天使でしょ?なんでこんな所にいるの?」
杏花が聞くと、男はそれには答えず、ただ微笑するばかり。

「僕からもお聞きしたいのですが、あなたは天使ですか?」

「え?私は人間だけど……。」

杏花は即座にそう答えた。

しかし、一度転生してから天界に来た杏花は、普通の人間ではない。

だからと言って、元が人間であるから、天使でもない。

だが、そんな自覚など、杏花にはない。

自分が人間であるという意識は、杏花の中では今も当たり前であった。

男はそれを聞くと何かを考えた。

「そうですか………。では、どちらからここへ来ました?」

「さっきまで天界にいたんだけど……いつの間にかここに来ちゃって…。」

そして男は、すぐにまた笑顔に戻った。

「僕が、天界まで送ってあげますよ。こちらです。」

そう言って、男は杏花を先導するようにして前を歩き始めた。
「暗いですからね、足下に気を付けて下さい。」
細かく気遣いながら、男は杏花の歩く速度に合わせて進んだ。
やっぱり、天使は皆優しくていい人だなあ…と、杏花は思った。
やがて、目の前の視界が明るくなってきた。
天界が近いのだろう。
やがて、男が足を止めた。
「ここから真直ぐ歩いていけば、天界に辿り着きますよ。」
杏花は、目の前に広がる光が眩しくて目を細めながら進んだ。
「どうもありが……」
そう言いながら振り返った時、そこには誰もいなかった。
あれ?と、あちこち見回すが、男の姿がどこにもない。
だからと言って引き返す訳にもいかず、杏花は前に向かって歩き続けた。
(あの親切な天使の人……、名前も聞いてなかったな…。)
天界を目指して歩く杏花の後ろ姿を、男は空の上から見下ろしていた。
「人間とは、驚きましたよ。確かに、天使とは違う気配を感じた訳ですね。」
男は羽根を翻し、天界に背を向けた。
「またお会いしましょう、お嬢さん。」
そう言って、男は天界ではなく、闇界に向かって飛び去って行った。
この時の杏花は、まだ気付いていなかったのだ。
『全ての天使が味方とは限らない』という事を。
そして、杏花がその真実を知り、衝撃を受けるのは、まだ先の話。

   

   

   

   

   

   

歩いてから少しすると、ようやく天界の王宮が見えてきた。
杏花がホっとしていると、前方から走ってくる人影が二つ。
杏花はそれに気付くと、元気よく手を振った。
「琥珀さん!瑠璃さん!」
しかし、番兵兄弟は全力疾走で杏花の前まで走ると、緊迫した様子で言う。
「杏花様!!どちらへ行かれてたのですか!?」
と、畳み掛けるように聞くのは、弟の瑠璃。
「杏花様がいなくなったと、王宮では大騒ぎしとります。まあ、無事で良かったですわ。」
と、すぐに明るい調子に戻った、兄の琥珀。
杏花は、驚いた。自分の事で、ここまで大騒ぎしてくれていたとは……。
どちらかと言えば、皆は仕事で忙しくて、自分の事など気にしていないと思ったのだ。
「ごめんなさい。でも、親切な天使の人が送ってくれたから、大丈夫だったわ。」
ニッコリと、杏花は笑った。安心して気が抜けたのか、琥珀と瑠璃は息を吐いた。
「天王様なんて、大変なんやで?落ち着かなくて、ずっと玉座の回りをグルグル……」
琥珀が笑い話のように言うと、杏花は驚いて声を上げた。
「えっ!?ダーツさんが!?」
あの、いつも静かで落ち着いているダーツさんが、そんなに………。
杏花は、悪いとは分かっているが、クスっと小さく笑った。
…………なんか、嬉しい。
そう思って、はやくダーツに会いたいと思った。

   

   

   

杏花が玉座まで行くと、ダーツは壇上から下り、杏花の所まで駆け寄るようにして行った。
「……杏花!!無事で良かった……!!」
杏花は一人、キョトンとしてダーツを見た。
たった数時間の間の事なのに、ここまで心配されるとは思っていなかった。
杏花には、この世界が戦争中であるという危機感をまだ実感していなかったのだ。
「どうして、一人で出歩いた?」
ダーツが聞くと、杏花はちょっと意地悪っぽい返答を思い付いた。
「皆忙しそうだし……寂しくなっちゃって。」
すると、ダーツは申し訳なさそうな顔をした。
どこか、罪悪感があるのだろう。杏花の言葉を真に受けている。

「それは、悪い事をした。なるべく、時間が取れるように努力しよう。」

あまりに誠意のこもった答えだったので、逆に杏花は悪い気がしてきた。

ダーツは忙しいのだから、自分が縛るような事はしたくない。

しかし、少しでも一緒にいる時間が欲しいと思うのも、事実であった。

「なら明日の朝、私が起きた時に一人にしないで。」

今の杏花が望むのは、たったそれだけ。

寝る時は一緒でも、朝、起きたら部屋に誰もいない。

そんな毎日では、寂しい気がしたのだ。

ダーツは頷いた。

「ああ………。そうしよう。

   

   

   

   

   

   

その後、杏花は瑪瑙の診療所へと向かった。
あの、不思議な『ドア』の真相を確かめる為である。
診療所の中に入ると、そこには瑪瑙と妹(クローン)の紅瑪(あかめ)がいた。
「杏花様、戻られたのですね。」
と、笑顔で迎えたのは、瑪瑙。
「王宮では大騒ぎだったんだよ。何事もなくて良かったよ。」
と、紅瑪。
杏花は、例のドアを指さし、瑪瑙に向かって単刀直入に問いかけた。
「ねえ、あのドアって何?」
「ああ、あれは、まだ未完成ですが、僕の発明品です。」
杏花は自分に起こった出来事は隠しつつ、そのドアの詳細を聞き出そうとした。
「どんな……発明品なの?」
「いわゆる、ワープ装置ですよ。自分が行きたいと願った場所へ行けるという、夢の扉です♪」
得意げに話す瑪瑙に、紅瑪は少しあきれ顔で言う。
「杏花様、あまり触らない方がいいよ。兄さんの発明品は、失敗作も多いからね。
「ええ〜ヒドイなぁ、紅瑪!

なんとも和やかないつもの空気の中、杏花は一人で冷や汗をかいていた。

「でも、確かにそのドアはどこに飛ばされるか分からないし、帰り道がないという欠点があります。

瑪瑙の説明を聞きながら、杏花はだんだん恐ろしくなってきた。

「まだまだ改良が必要ですから、触らない方がいいですよ♪」

明るく言う瑪瑙に、もはや杏花は笑い返す気力もなくなっていた。

「うん……触らない。」

しかし、天界一の医師でありながら、こんな発明品まで作ってしまう化学者でもあるなんて。

自分自身のクローンを作ってしまうくらいだから、計り知れない頭脳の持ち主だ。

瑪瑙とは、本当にすごい人だと改めて思った。

「でも兄さん、なんでワープ装置なんて開発してるんだ?」

紅瑪が聞くと、瑪瑙はヘラっと笑った。

「それはもちろん、梅ちゃん会いに行けるように………。」

その言葉を聞いて、杏花は気になった。

「昨日も言ってたけど、『梅ちゃん』って誰?」

すると、瑪瑙は即答した。

「梅ちゃんとは、闇界にいる、僕の愛しい………」

語る気満々な瑪瑙だったが、そこで紅瑪が制止した。

「はいはい、その話はいいから。おやつ作ったから、お茶にしよ!」

瑪瑙はシュンと、残念そうに肩を落とした。

   

   

   

   

   

   

少女が迷いこんだのは、闇の世界へと続く道。

その先にあるのは、天界とは異なる世界、『闇界』。

今、この二つの世界の間にあるのは、『戦争』という名の闘いのみ。

   

   

続く