第39話
〜花園の惨劇(後)〜
花園で赤子の娘・ネクロを抱いて歌っていたユナは、ふと背後に人の気配を感じた。
「ゾーク?」

ユナが期待をこめて振り返る。

この花園での訪問者と言えば、ゾークしかいないからだ。

しかし、ユナの背後に居たのは、見慣れない天使の兵士が5人。

次の瞬間、5人の兵士はユナを中心に、取り囲むようにして逃げ道を塞いだ。

「……!?」

ユナは状況が掴めず、息を飲んだ。

その兵士達には、全く感情がないように見えた。

兵士達は、それぞれに剣を構え、今にもユナを切り裂こうとする殺気だけが読み取れた。

ユナは反射的にネクロを庇うようにして抱いた。

その時だった。
「なんだ、貴様らは!?」
兵士の向こう側から聞き慣れたゾークの声が聞こえ、ユナは叫んだ。
「ゾーク!!」
そこには、たった今花園に降り立ったばかりのゾークがいた。
その背後には、人の姿のダイアもいる。

「貴様ら、ユナに一体何を……!?」

ゾークの姿を目にしても、兵士達は全く動じない。

ただ、兵士の一人が、感情もなく言葉を発した。

「王の命により、天使・ユナを処刑する。

「………なんだと!?」

ゾークに衝撃が走る。
天使の兵士が言う『王』とは、間違いなくダーツの事。
ダーツがユナを処刑する為に、兵を差し向けた。

その事を理解した瞬間、ゾークは兵士とそれを操るダーツに激しい憎悪を向けた。

「薄汚いダーツの天使共め……!!」

ゾークがユナを守ろうと前へ進むと、今度は兵士の剣先がゾークに向けられた。

心を持たない忠実な天使達は、命令の妨げになる者が現れれば、それが誰であろうと排除する。

天使達の刃は、一斉にゾークに向かって放たれた。

天使を殺す事になろうが構わないと思ったゾークは立ち向かう気でいた。

だが、次の瞬間。

   

「だめ、ゾーク……!!」

   

ユナが、ゾークを庇うように……ゾークの前に立ったのだ。

それは、ゾークに天使を殺す罪を背負わせない為なのか、ゾークを死なせはしないという事なのか。

何かを考えるよりも先に……瞬きをする間の一瞬の出来事のように………。

ユナの身体を、いくつもの刃が貫いた。

「ユ…………ナ………」

一瞬、ゾークの目の前で世界が止まった気がした。

目を見開いた次の瞬間には、赤い飛沫と共にユナは倒れ……視界から消えていた。

声も出ないまま、ゾークが地に視線を向ける。

心を持たぬ天使達には、ユナの行動を予測する事が出来なかった。

兵士達は静かに刃を引いた。

「ユナァッ!!」

ゾークが、ユナの体を抱き起こそうとした。
だが、明らかに致命傷を受けた出血の為に、思うように抱き起こす事は出来ない。
衝撃に震えるゾークの頬に、ユナは血に染まった細い手を差し出して触れた。
その瞳は力を失いつつも、優しく笑っていた。

「いいのです…………罪を犯したのは、私……………。」

「何が罪だ!?お前が何の罪を犯したというんだ!!」

人を愛する事が、結ばれる事が、どうして罪なのだろうか?

ただ、自由に生きたい。

それだけを願ったユナに、何の罪があるのだろう?

本心から『助けて』と涙を流したあの時のユナの姿が重なる。

「ユナ、俺が必ずお前を助ける。だから……!!」

「………もう、助けて……くれた…」
ユナは微笑んだ。
自分が死ぬ事で………石に還る事で、ようやくユナは使命から解放される。
そして、ゾークを信じていた。
命を生み出し、再生させるその力で、いつか自分をその理想の世界で巡り会わせてくれるだろうという事を。
これで、ようやくゾークの元へと行ける。
ユナの瞳から流れるのは、悲しみではなく嬉しさの涙だった。
「嬉しい………これで…やっと…あなたの………もとに………」

ゾークがユナの手を握ろうとするが、その部分から砂のように消えて行き、触れる事は出来なかった。

「……ユナ、ユナ……………!!」

となって消えて行くユナに、ゾークは最後までユナの名を呼び続けた。

「お願い……………ゾーク…………子供達を………守って…………」

  
  

「ユナ!!!ユナァァァァァ!!!!!」

  
  

ゾークの腕の中に、すでに『形』は無かった。

目の前に残されたのは、小さな石たった1つだった。

ユナの命の源の石である『ユナカイト』の鮮やかな色彩は、天界の花園そのものだった。

しかしその時、感情もなく二人を見ていた5人の兵士が、突如動いたのだ。

狙うは、ユナの石だった。

死んでも再生が可能な天使は、石を破壊しない限り本当の死とは言えないからだ。

剣の刃先を向け、迫ってくる天使達。

静かに、ゾークがその場で立ち上がった。

伏せた顔の前髪で、その表情は隠れている。

握りしめられた片手には、ユナの石。

ユナの石を破壊しようと、迫ってくる天使達。

動かない、闇界の王。

その瞬間。

全ての衝動が、爆発した。

  

  

「ユナと俺に近寄るなァッ………!!!」

  

  

その叫びに、少し離れた場所にいた人間の姿のダイアは、瞬時に何かを感じ取った。

ダイアはゾークとの心の繋がりが強く、ゾークの感情によって感化され、狂暴化する。

それは覚醒というよりも、暴走。

ダイアの目の色は一瞬にして変わり、凶暴な龍へと姿を変えた。

我を失った王と、理性を失った龍。

ダイアはその長い体でゾークを取り囲むようにして守り、その場の全ての兵士を鋭い爪で切り裂き、牙にかけた。

兵士が一瞬で息絶えるも、なおその牙で喰らい尽くした。

そこに何が存在していたかも証明できないほどに、跡形もなくなるまで。

それは、身動き1つしない闇界の王の前で繰り広げられた、花園を赤く染める惨劇。

真っ赤な血飛沫がゾークの頬に飛び散るが、気になどしない。

一瞬なのか、長い時間なのかすら分からない。ただ、無意識だった。

ゾークが気が付いた時には、辺りは静寂に包まれていた。

片手にはユナの石、もう片手にはネクロを抱いていた。

周囲には、惨劇の名残りでしかない天使達の血と、その色に染まった花園。

側に、龍の姿のダイアがいる事に気付いた。

今は暴走も収まったが、銀色の体に赤い血の色を纏ったダイアの姿を見れば、記憶がなくても何が起こったか理解する事が出来た。

「ダイア………罪を背負うのは、俺だけで良かった………すまない。」

ダイアは『大丈夫だよ』と気遣うように、いつもの穏やかな瞳でゾークの側に顔をすり寄せた。

紅がゾークの罪を背負って生きるように……ダイアもまた、ゾークの罪を自ら背負って生きる。
誰一人、助けてはいない。助けられているのはいつも自分だと、ゾークは悲惨な現実を目の前にし痛感した。
ゾークはその場ですぐに、手に握っていたユナの石を再生させる事を試みた。
しかし、石からは何の反応も返ってこない。
石に傷が付いている訳でもない。しかし、その石にはまるで生気が感じられない。
まるで、ただの石ころのようだった。

どんなに力を込めても、何度やっても、同じだった。

「……何故だ………ユナ…………。」
自失したように、呆然と石を見ながらゾークは呟いた。
視界が、ぼやけた。
ユナを、助けられなかった。救えなかった。
そんな思いが涙となって溢れだし、流れた。
  
  
「ユナァァアア!!!」
  
  
天界の空に、闇界の王の叫びが響く。
それは、惨劇の赤い血の色を覆い隠すような、青い空。
    
  
  
  
  
    
ユナの死は、すぐに天界の王宮にも知らされた。
「花園で発見されたのは、間違いなくユナさんの血痕です。石は見付かりませんでした。」
ダーツの玉座の前で報告する男は、当時『軍神』と呼ばれていた瑪瑙であった。
現在のように白衣に眼鏡ではなく、軍服に裸眼で長い髪を下ろしていた。
『軍神』とは、その世界の軍を指揮する指揮官であり、最も力を持つ主戦力となる存在である。
この頃は琥珀や瑠璃、翡翠などの天使はまだ生まれていない。
瑪瑙が報告を続ける。
「それ以外にも多量の血痕が見付かりましたが……何者なのか詳細は不明です。」
ユナの死には、謎が多かった。
一体、花園で何があったのか、誰がユナを殺したのか……真実は闇に隠された。
ユナの元に兵士を差し向けたのは、ダーツではなかった。
「一体……何者がユナを……」
ダーツは、突然のユナの死に、ただ悲痛な表情を浮かべた。
「やはり………花園で一人にさせるべきではなかった。」
自分の行いを悔いるように……祈りを捧げるように、ダーツは目を閉じた。
    
「すまなかった……………ユナ…………。」
    
    
    
    
  
  
ユナは石へと姿を変えた事により、ようやくゾークと共に闇界に帰る事が出来た。
それは、あまりにも残酷で、あまりにも皮肉だった。
再生できないユナの石は、闇界の王宮、ゾークの玉座の奥にある部屋に安置した。
いつかユナが生き返る事が出来る日を、待ち望みながら。
ゾークは、ダーツを憎んだ。
大きくすれ違った、闇界の王と、天界の王。
その時以来、ゾークは変わった。
殺戮と破壊のもと、天界に攻撃を始めたのだ。
天界と闇界の戦争の始まりであった。
もちろん、復讐の念もある。だが、ゾークの真の目的は殺戮でも破壊でもなかった。
天使達の『解放』と『保護』、そして自由という名の理想の世界。
王に束縛され、自由を失った天使達を闇界に引き入れ、保護する。
ダーツを殺し、天界を理想の世界に作り変える。
ユナのような哀しい天使が、二度と存在しない世界になるように。
  
  
  
  
闇界の攻撃に、天界は反撃する事も攻撃する事も出来ず、戸惑った。
ダーツにとっては、ゾークと戦う理由がないからだ。
やがてダーツは、闇界を一時的に封印するという決意に至る。
それが、ゾークの新たな憎しみを生む事など、その時は気付く事もなく。
それから数千年後、封印から目覚めたゾークが天界の王宮を襲撃し、ダーツの目の前で柘榴を殺し奪った、あの日の話へと続く。
  
  
  
  
  
  
多くの謎と闇を残したまま、時は現在へと至る。
今も続く、天界と闇界との戦い。
この戦いのように終わりの見えない『闇』は、今もまだどこかで蠢いている。

   

   

続く