第58話
杏の花



それはまさに【奇跡】だった。
   
   
天使にもそれぞれの役割があり仕えるべき神がいる。
杏の花から生まれた女の子の天使を【アズ】と名付けたのは彼女がじきに仕えるであろう運命を司る女神【モイラ】であった。
美しく聡明な女神は、アズの力に気付き、すぐに天王様に報告する。
このアズという天使は、ただの花から生まれた天使だと言うのに聖なる力を持って生まれた聖女である、と…。
王宮の玉座にはダーツの前の王…つまりダーツの父でありこの天界の父でもある王様が座っていた。
女神モイラは、王に跪くと祈りを捧げるように両手を胸の前に組み、こう告げた。
   
「なんと皮肉な事でしょうか。この世の全ての父である貴方様にも解らぬ運命がすでに廻り始めているのです。王子様があのような悲劇に見舞われたのも、全てはこのためなのでしょう」
   
玉座にいる天王は、うぅむ…と声ならぬ声をうねっては真っ白で威厳ある大きな髭を触る。
どうしてこうなったのか、と天王でさえ首を捻る事態なのはまだ誰も知らないことであった。
   
「我が子の悲劇…そしてただの天使が授かった【奇跡の力】…全ては我らの更に上にある【魂の還る場所】にありということか?モイラよ…」
「はい、天王様。アズは王子様のお側に付けるべきかと…王子様の手助けになるはずです」
「しかし……王子様はそれを良しとせぬだろう。あれはまさに【完璧】だ。それ以外は…」
   
天王様の言葉にモイラは深く悲しむように眉を下げて俯く。
天王を支える賢者達も悩んだように言葉を詰まらせたが、最後にはモイラの言うように王子様であるダーツにアズという天使を側につかせることに同意した。
天王はただの天使に位を与えて他の者が異論出来ぬようにすることにした。
そう、王子様でさえも…。
   
   
   
   
   
   
それからしばらくして、女神モイラと共に王宮へ足を踏み入れた天使アズは王宮の豪華さに目を奪われる。
これまでは華やかな王都ではなく自然溢れるのどかな花園に近い場所で暮らしていたので、王宮の立派な建物など見たことがなかったのだ。
田舎者あるある、のように天井ばかり見て思わず柱にぶつかってしまう。
   
「あぅ!」
「…アズよ、落ち着きなさい」
「いたた…は、はい。女神様…」
   
アズは柱にぶつけた鼻先を撫でながら顔を真っ赤にして謝った。
こんな特になんて変わった事がない普通の天使が奇跡の力を持っているなんてにわかには信じられないだろう。
特に珍しくもない茶色の髪と青い瞳。
別に女神ほど美しいとは言えない姿。
石の能力者のような特殊な外見でもなく彼女は一般的な天使とさほど変わらないのだ。
むしろ、金髪や銀髪の美しい天使よりも見劣りがある。
だけれど、彼女は天使はおろか…女神や石の能力者にも無い特別な力があるのだ。
   
「良いですか、アズ。貴女は今日から王子様であるダーツ様にお仕えするのです」
「はい!モイラ様!私、お役目を全う致します!雑用でも掃除でもなんでもします!頑張ります!」
「いいえ、アズ……アズ姫様」
   
ふと女神は言い直し、アズに頭を下げた。
は!?とアズは目を見開き女神モイラに頭をあげてほしいと懇願する。
アズからすれば、女神モイラは母のようであり姉のようであり仕えていた主でもあるのだ。
そんな人からいきなり「姫」なんて言われて頭を下げられるものだからびっくりして素っ頓狂な声が出てしまった。
しかし、女神モイラはそれを止めずに更に話を続ける。
   
「貴女様は今日から、未来の王妃になるためのお勉強をしなければなりません。王子様に仕えるのではなく、王子様と共に歩むのですよ」
「……え?」
「…ですから、貴女様は未来の王妃に…」
「ちょ、ちょっと待ってください!訳が解りません!私はただの天使で、王子様は王子様で…未来の王妃様は王子様の…え!?」
   
ぐるぐる回る思考に頭を抱えるアズに女神モイラは「しっかりなさいませ」と声をかけた。
深呼吸をさせたら、女神モイラはまたゆっくりとした口調でまるで教えるように話をする。
   
「貴女の【奇跡の力】が天王様に認められ、貴女は今日よりただの天使では無くなります。未来の王妃という立派な地位を与えられました。とにかく今日からあなたは「アズ姫」なのですよ」
「…私が…姫…???」
「そうです。良いですか?貴女はこれから王子様と未来を歩むのです。王子様が天王様になられた時、あなたはその隣にある王妃の座にお座りなさい。そしてこの天界の新しい光となるのです」
「えぇぇ〜〜!!?無理ですモイラ様!」
「無理でもなんでも、やるのです」
「そんなぁ〜〜!!」
   
泣きそうになるアズを女神モイラは優しく抱き締めて、王子様に謁見するための準備をする。
まずは大きなお風呂に入らせ身を清めたら、見たこともない豪華なドレスを着せられて化粧をされる。
髪飾りも首飾りも耳飾りもアズが見たことがないくらい豪華な宝石があしらわれており、益々顔が強張ってきた。
はぁ、とため息をつく女神モイラはアズの手を引いて王子様の待つ部屋へ連れていく。
   
「モイラ様…」
「アズ姫様。私のことは、モイラとお呼びください」
「無理ですよそんなの…モイラ様、どうして王妃なんですか?お仕えするなら別に側近でもなんでもいいじゃないですか…」
   
しゅんと肩を落とし、重たい足を引きずるアズに女神モイラはその理由を今、この場では話せなかった。
だから曖昧に濁して、アズを王子様と引き合わせる。
部屋の豪華な椅子に腰かけていたのは王子様であるダーツでその隣には側近の瑪瑙がいた。
瑪瑙はダーツではなく今の天王様が石に力を与えて生んだ天使である。
だが、瑪瑙はダーツに仕えることを誓い幼少期を共に過ごした親友なのであった。
   
「王子様、アズ姫様をお連れいたしました」
「…顔をあげろ」
「はい、王子様」
   
女神モイラとアズが共にゆっくりと顔をあげると、不機嫌そうな顔のダーツがそこにいる。
だが、不機嫌そうな顔でもアズはダーツに心を奪われそうになった。
なんて、お美しいお方なのだろう…と言葉を無くしてしまう。
同い年くらいの美青年は王子様としての魅力と威厳に満ちていて、アズは自然と跪いてしまいたくなるほどであった。
   
(綺麗な髪と瞳…まるで天界の更に上にあって、皆に光を与えてくれる空のよう)
   
心を奪われそうになった、というよりもう奪われているような気がする。
ポーッと見つめて惚けているアズにダーツは更に眉間にシワを寄せた。
   
「…平凡」
   
ぽつりと呟かれたダーツの言葉に、アズはキョトンと目を丸くした。
平凡、平凡…平凡…と頭の中の辞書をめくりその意味を知る。
それに反応できたのも遅く、ダーツは更に鼻で笑った。
   
「なんの特徴もない、平凡な天使…おまけに頭も疎いのか」
「ダーツ様…ダメですよ?女の子にそんなこと言っちゃ…」
   
ニコニコと笑顔を絶やさない瑪瑙がそう言うが、ダーツは謝りはしなかった。
まぁ、アズも謝ってほしいわけではないしそのまま王子様に丁寧な挨拶をするが特に反応はなかった。
これが未来の夫婦の初めての会話か?と疑問に思うくらいギスギスしていて…最後はダーツが勝手に部屋を出ていき強制終了。
取り残された瑪瑙が部屋を出ていき、更に取り残されたアズに女神モイラは苦悩する。
   
「…アズ姫様…お気を強く…」
「モイラ様……王子様はとても素敵な方ですね!私、びっくりして上手く話せませんでした。あんなに綺麗な方がこの世に居られるなんて!あの、明日も王子様に会えるでしょうか?」
   
真っ赤になる顔を両手で隠し、照れるアズは皮肉も嫌みも通じないらしい。
天使らしい、純真無垢といったところか…それに救われた気がした女神モイラであった。
   
一方のダーツは不機嫌が直らず…アズに会うことを拒否するかのようにアズを避けるようになっていた。
瑪瑙もアズに会いに行きませんか?とそれとなく誘導するがダーツは首を縦には振らない。
庭に出て、ダーツは花を撫でながら物思いに耽っていた。
   
「…本当にあんな平凡な天使が【奇跡の力】を持っているのか?」
「そうみたいですよ。この目で確かめますか?」
   
瑪瑙の嫌らしい質問にダーツは撫でていた花をぐしゃりと握りつぶした。
殺気のようなものがダーツから感じられ瑪瑙は口をつぐむ。
余計なこと言っちゃったなーと別の方向を向いたら、たまたま柱の陰でこっちを伺うアズを見つけた。
まぁ、荒療治が吉かも!と瑪瑙はニコニコしながらアズの方へ向かう。
アズはダーツを熱く見つめていたが、ふと瑪瑙が近づいていることに気がついて慌てて逃げようとした。
しかし、瑪瑙が「まぁまぁ」なんて言いながらアズの腕を掴んでそのままダーツの前に捨てる。
こいつも大概な女性への接し方であった。
   
「あ、あ…あの、王子様!ご機嫌麗しゅう…!」
   
なんと話していいか解らずに、アズはとにかく頭を下げた。
そんな下々の天使のような態度に益々腹が立つダーツは苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
   
「…父が決めた事で仕方がないが…うんざりする!お前のような、なんの身分もなくただの天使であったお前のような者が……!!さぞ私を見下しているんだろう?そんなおべっかを使わなくても私はお前の腹の底が手に取るように解るぞ!!」
   
怒鳴り声のようなダーツの声にさすがのアズも顔色を青くした。
しかも意味が解らないダーツの言葉に益々混乱する。
ダーツにこれほどまで憎らしそうな目を向ける理由がアズには解らなかったのだ。
王宮にきて、すぐに対面したあの日から今この瞬間まで対峙した事はなかったからである。
どこでダーツからこんなに憎まれなければならないことがあったのだろうかとアズは泣きそうになった。
   
「あの、王子様…私、なにか…しましたか…?」
「はっ、何かだと?なにものでもない!私はお前という存在が憎らしいのだ!!」
   
ダーツはそう言って、アズを押し退けると庭から出ていってしまう。
思わず力なく倒れこんだアズに瑪瑙は「大丈夫ですか?」と声をかけた。
がくがくと震えるアズの瞳には大きな涙が溢れ出そうで瑪瑙は苦笑してしまう。
困ったなぁ、と呟く瑪瑙にアズは声をかけた。
   
「王子様は私の存在が憎いって…どうしてですか?私はなにもしてません。どうして…」
「うーん、これを言ったらダメかなぁ?でも言わなきゃ解んないよねー。でもなぁ、うーん…」
「瑪瑙さん!何か知ってるんですか!?教えてください!」
   
がばっ!と勢いよく起き上がり瑪瑙の胸ぐらを掴んだアズは前のめりして瑪瑙に詰め寄る。
その力強さに圧倒され、瑪瑙はずれた眼鏡をかけ直して理由を説明した。
   
「君の【奇跡の力】のせいさ」
「私の…?でもあれは王様や王子様も持ってますよね?」
「ううん。天王様は持ってるけど、王子様は持ってないんだ。そして同時期に君が生まれてる。解る?王子様からすれば、君が王子様がもって生まれるはずだった力を横取りしたように見えるんだよ」
「そんな…!私、横取りなんかしてません!!」
「あはは、そうだね。本来は横取り出来るものじゃないから。解ってるよ。でも王子様は解りたくもないんだよ。君の力さえ普通に持っていたら、あの方は完璧なのにね…」
「…私のせい…ですか?」
「どうだろう?これも何かの運命かも?女神モイラもそう話したろ?」
「いいえ…モイラ様はなにも……そう、そうなの…だからモイラ様、何も言わなかったんだ…」
   
ぶつぶつと独り言を言うアズは涙を袖口で拭った。
王子様の苦悩の原因がまさか自分なんて…とショックを隠しきれないようである。
   
「私はそれでも、王子様に誠心誠意お仕えします。どうしたら王子様にこの誤解が解けるでしょうか?」
「うーん、王子様も意固地になってるからなぁ。手紙とか?」
「手紙…そうですね!お手紙で想いを伝えます!ありがとうございます!」
   
アズは明るい表情を見せたら、ぺこりと頭を下げて小走りで部屋へと向かう。
瑪瑙は「変な次期王妃様だなぁ」と頭をかいた。
石の能力者よりも王妃のほうが地位は上なのに、まるで下っぱの天使みたいである。
   
   
   
   
アズはそれから毎日ダーツに手紙を書いたが、返事は絶対に送られてこなかった。
直接手紙を届けても、その場で破られてしまったこともある。
   
「お前の顔など見たくもない」
   
そう一蹴され、アズは落ち込むが諦めはしなかった。
いつかきっと、王子様へこの思いが届くと信じているからだ。
自分の為すべきこと…それは王子様に心からお仕えすることであった。
何度拒否されても、心を開いてくれなくても…会いにいかねば何も変わらないから。
だからアズは今日もまたダーツに会いに行く。
そんなことが1ヶ月、2ヶ月…と長く続いていった。
   
   
   
   
さすがのダーツもここまでやられると毒気を抜かれてしまう。
怒るのも面倒になったというか、アズの粘り勝ちというべきか。
とにかくお茶を一緒にする事は出来るようになったのだ。
これは凄い変化だと瑪瑙は素直に拍手する。
   
「次期王妃様のしつこさには感激しました!!本当に図々しい人なんですね!」
「あっれー?褒められてる気がしなーい☆」
   
あはは、と笑うアズにダーツは「能天気」と嫌味の刺を向ける。
だがもうこの数ヶ月でそんな刺など怖くもない逞しい女へと成長したアズだった。
   
「…お前は何がしたいんだ…」
「そうですね。王子様と仲良くなりたいです」
「私のような出来損ないと仲良くなってどうする?まさか私の代わりに玉座に座るのか?そして私が王妃の座に座れと?」
「…私より美しい王妃様になっちゃうと、私なんか霞んじゃいますね…」
「…皮肉も通じないのか、お前は」
   
真剣に悩むアズにダーツは深いため息をした。
話を戻すように、アズは気持ちを切り替える。
   
「王子様のお役に立ちたいんです。私の力と王子様の力を合わせたら完璧です!」
「…私は、一人で完璧になりたい。どうしても解らぬ。お前のような平々凡々な天使が、私が持ち得なかった力を得たことを。運命の悪戯か?そんなもの、私は望まない」
「王子様。なら私を道具のように使ってください」
「…は?」
   
紅茶を飲んでいた手が止まり、正面にいるアズを見るとアズは自信満々に曇りなき瞳でダーツを見つめていた。
   
「私は王子様のためなら道具のように使われても構いません。私はただあなたの必要な時にお使いくだされば良いのです」
「なにを言っている?そんなバカなこと…」
「だって王子様は私が嫌いでしょう?だったら私を道具と思えば好きも嫌いもないかなーって…」
   
バカな事、とぽかんとしてしまうダーツにアズは変なことを話したつもりはないように首を傾げた。
本気でそう思っていることにダーツは困惑する。
どうしてだ?どうしてそこまで…と言葉に詰まるがダーツはその答えを知っていた。
何故なら、彼女は天使だからだ。
そう、生まれながらにして純真無垢…汚れを知らない清らかな存在。
我らが父である天王様の大事な息子…つまりダーツに命を捧げることも厭わない真っ直ぐな心があるからである。
   
「王子様?」
   
アズのその瞳に見える自分は、なんと矮小なのだろうか。
こんな女に嫉妬し、憎み、醜い心を宿らせていた。
そう思うと急に自身が恥ずかしくなり…ダーツは乱暴に椅子から立ち上がるとそのまま部屋へと逃げ込むように走り去ってしまう。
アズは、また怒らせたのかな?と心配そうにダーツの背中を見つめた。
   
   
その夜、アズは部屋で空にある月と星を眺めながらまた怒らせちゃったなぁと反省する。
今日もダーツへ手紙を書こうと机に向かい、羽ペンを手に取った。
   
(…いつか、ダーツ様と仲良くなれますように…)
   
アズは羽ペンを置いたら、ベッドのなかに潜り込み寝息を立てる。
その頃、ダーツはベッドの中にいたがなかなか眠れずに何度も寝返りをうった。
頭の中に浮かぶのは、アズののほほんとした顔…そして不安。
自分は生まれながらにして完璧でなければならなかった。
何故なら、あの天王様から生まれた王子であり次の天王様なのだから。
   
(私は、皆が思う通りの完璧でなければならないんだ。この天界の王に相応しい様に…だけど、私にはその資格がない。再生の光を持っていない。石の能力者が作れない…だから瑪瑙も…!!)
   
嫌な記憶が頭を過る。
初めて自分で選び、石の能力者として新しい生命を吹き込もうとしたが瑪瑙は石のままだった。
何度も、何度も、何度も、挑戦し祈ったがそれは願わなかった。
見かねた天王様が教えるようにダーツの前で瑪瑙を能力者として芽生えさせたがそれが逆にダーツに心の闇を生ませてしまう。
あの、光輝く…美しい光景が幼心にとても感動したが同時に絶望した。
   
あぁ、何故、私はそれが出来ないんだ。
これじゃぁ、出来損ないがお似合いだ。
   
「違う!!私は出来損ないではない!!」
   
枕に拳を叩きつけるが、しん…と静まり返る暗い寝室にはただ無意味なだけだった。
じんわりと嫌な汗が出て、ダーツの瞳に微かな涙が滲む。
   
「…っ、ぅ…ぁ…あぁ…!」
   
苦痛に響く声は枕に押し付けられて誰も聞こえていない。
うずくまる小さな体が震えていて、あれが未来の王なのか?と思えるほど滑稽で哀れだった。
そんな姿を寝室の影から見ていたのは瑪瑙で、かける言葉も見つからないままそっとその場を離れていった。
   
   
   
   
次の日、アズは王宮の裏側にある小高い丘を登りその奥にある杏(あんず)の花を見に行く。
杏の花から生まれたアズにとって、その花は特別なもので王宮からほどよく近い場所にひっそりと咲いていることが嬉しかった。
   
「わぁ…!ここから王宮が見えるわ。あなたも王子様を見守ってくれる?私と一緒に…」
   
アズは杏の花の木に体を預けるように寄り添い、ふと憂いの表情を見せる。
いつかきっと、王子様の心にこの想いが届くはず…そう信じていたが昨日のダーツの事を思い返すとそれをはっきりとは言えなくなってしまう。
もしかしたら、ずっと王子様はこのまま私に心を開いてはくれないかもしれない。
そんな想いが胸を締め付けていて、アズは笑顔を曇らせた。
   
「おやおや、未来の王妃様がこのような場所に…如何致した?」
「え?貴方は…?」
「これは失礼を…。私はデザイヤ、闇界の王である」
「まぁ!闇界の王様が何故こんな所に?いいえ、王様に向かってなんて無礼なことを!お許しくださいませ!」
   
アズは慌てて立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。
まるで王妃の品格もないただの小娘にデザイヤは見下したような目を向けたが、それも隠して紳士的に振る舞った。
何故、こんな場所に?とデザイヤが聞くとアズは疑いもなくこれまでのことをデザイヤに話した。
自分がダーツの持たない奇跡の力を持っていることさえも。
   
「…ほぅ。それはまた数奇な運命のお二人ですなぁ」
「はい。私は王子様のためならどんなことでも致します。王子様がこの力を欲しがるのなら今すぐにでも差し上げたいのに…闇の王様、どうか知恵をお貸しください」
「では、私が知るひとつの方法をお教えしましょう」
「はい、お願いします」
   
デザイヤは胸ポケットから綺麗な小瓶に入った薬をアズに渡した。
紫色の小瓶で、闇界のものなので少し禍々しい形と色なのは仕方のないことだとデザイヤは言う。
   
「これを飲めば、問題は解決致します。さぁ、お飲みなさい」
「これを飲めば……本当ですか?」
「えぇ。勿論。さぁ…」
   
デザイヤは強くその薬をアズにすすめる。
その瞳が恐ろしくてアズは震えてしまったが、王子様のためならばとその薬を飲んでしまった。
途端に喉が焼けるように熱くなり、体の中を薬が巡る度に激痛が走った。
アズが地面に倒れこみ、胸をおさえて苦しんでいるとデザイヤは「ははははっ!」と高笑いをした。
   
「馬鹿な天使だ!それは貴様の命を奪う毒だ!これで次の天王は石の能力者を作ることが出来ない愚王となる!!これで天界は私のものだ!!」
   
デザイヤはそのままくるりと体を捻るように半回転したら真っ黒なマントに包まれてあっという間に消えた。
アズは段々と凍りつく己の心臓の音を聞きながら助けを呼ぶことも出来ずに杏の花を見つめた。
じわりと涙が滲む。
   
(なんて私は愚かなの?闇の王に騙されて、王子様を…この天界を危険に晒してしまうなんて。駄目、駄目よ。まだ死んではいけないわ…)
   
アズはぎゅっと目を閉じて祈りを捧げた。
どうか、どうか…この力を王子様に届けられますように。
私の想いなんか届かなくても構わないから…この奇跡の力を王子様に与えてほしい。
アズはひらひらと自分の体に舞い降りる杏の花を見つめながら息が絶えるその時まで願い続けた。
   
   
   
   
その頃、ダーツは初めてアズに歩み寄ろうとアズの部屋に来たのだがアズは不在らしい。
どこかに散歩でも行ったのか?と部屋を見渡していたら机の上に手紙があった。
あぁ、今日も書いてくれたのか…とダーツはその手紙を受けとる。
これまでに手紙は何度も貰ったが、全て読まずに捨てていたことに罪悪感を感じたダーツは初めて手紙を開く。
   
『親愛なるダーツ様へ。
   
この前のお茶会では無礼な事を言って申し訳ありません。お優しいダーツ様が私を道具のように扱うなんてしないはずなのに…どうしてあんな失礼なことを言ったのか自分でも解らないのです。私は昔からそうだったんです。よく女神モイラ様や他の天使達を呆れさせていました』
   
くすっとダーツは笑いながら手紙を読んでいく。
本当にのほほんとした天使だと思うが、それも彼女のいいところかもしれないとさえ思えた。
この数ヶ月で、アズという可愛い天使の姿がようやく見えてきた気がした。
   
『私、王妃じゃなくても王子様のお側にお仕え出来るならなんでもいいです。王子様は完璧でいなきゃいけないと言うけれど、完璧な王子様なら私なんか要らないと思います。お側にお仕え出来ません。だから私は完璧な王子様でなくていいかなって思います』
   
完璧じゃなくてもいい、その言葉にダーツは驚き少しだけ手紙から目をそらして考え込む。
そんな言葉、思い付くことなどあり得なかった。
だって自分は王子だから、王子は完璧でなければ、そうずっと思っていた。
皆だって口に出さないだけでそう思っているし望んでいることだと。
だが、アズはなんの飾りもなく自分の思ったことを手紙に綴っていた。
   
『ダーツ様のお心にどんな悩みがあるのかも解りませんが…こんな私で良かったら、お話だけでもお聞かせください。貴方様のお心がほんの少しでも救われますように、この空に浮かぶお月様とお星様にお祈りをしております』
   
手紙から伝わるアズの真心の温かさにダーツの心が救われた気がした。
これまで悩んでいた晴れない気持ちがすぅーっと消えて、穏やかな空が見えたようだ。
ダーツは今すぐにでもアズに会って、これまでの事を謝りたいと強く思う。
近くにいた瑪瑙に、アズはどこだ?と言うが瑪瑙も見ていないと言った。
ダーツはアズの気配を探ると、王宮の裏側の方角にアズの気配を感じた。
すぐにそっちへ駆けていき、王宮の裏側にある小高い丘の更に奥を目指す。
   
「アズ!」
   
杏の花に囲まれた場所で仰向けになり寝ているアズにダーツは駆け寄った。
しかし、近づく度にアズの気配が消えていく気がしてダーツは呼吸を乱しながら彼女に辿り着いた。
彼女はまるで眠っているように…冷たくなっていたのだ。
   
「そんな…!どうして…!アズ、アズ!!」
   
ダーツが抱き抱えるが彼女が目を開けることはなく、呼吸もないし鼓動もない。
だらりと手が下に落ちてダーツは目を見開いた。
少し遅れて駆け寄った瑪瑙も事態を把握して彼女の手を取り脈を測るがもうすでに命がないことをダーツに告げた。
   
「う…嘘だ…何故…昨日はあんなに元気で…どうしてだ!!」
「王子様…彼女の体を見る限り…どうやら毒を飲んで絶命したかと」
「毒…何故…!?まさかアズが…いやそんなまさか…」
   
アズをぎゅっと抱き締めてダーツが混乱していると、風で杏の花が揺れた。
ひらひらと花が散ると、アズの声が頭の中に響いてきた。
   
『どうか…どうか、王子様にこの力が届きますように…』
   
はっとしてダーツと瑪瑙がアズを見たり周りを見たりするが、声だけが響いてくる。
きっと、杏の花に込められた彼女の最後の思いなのだろう。
   
『王子様がこれ以上悩まれないように…王子様が心安らぐ時を過ごしますように…』
   
ダーツは涙を流して、アズの頭を撫でた。
   
「もういい…もういいんだ!私のことなんか考えなくていい!思わなくていい!君さえ生きてくれたら私は完璧じゃなくてもいいんだ!完璧じゃなくても構わないと言ってくれた君が側にいてくれたら…もう何も望まないから!頼む、もう私のことなんか思わないでくれ!」
   
『せめて…王子様にこの奇跡の力が届きますように…王子様に大切な天使達が出来ますように…たくさん、笑ってくださいますように』
   
ひらひらと杏の花が舞い降りて、その中に光る花びらがあった。
その花びらはダーツの掌に舞い降りたら、そのままダーツの体の中に吸い込まれるように消えていく。
すると、ダーツの内側から聖なる光が溢れて【奇跡の力】はダーツの中に宿った。
   
「…アズ姫の力が、ダーツ様のなかに…」
「…あったかい…アズの心のようだ。最後まで私を思ってくれた優しい光だ…」
   
アズの冷たい頬にダーツの温かい涙がこぼれ落ちる。
アズの頬にはもう渇いてしまった涙の跡があり、ダーツはそれをゆっくりと指でなぞった。
   
「あぁ…君はまた、私のために涙を流してくれたんだね…ありがとう」
   
   
   
   
   
   
アズが死に、ダーツが奇跡の力を宿らせた事に多くの天使が疑惑を抱いた。
天王でさえ、疑惑の眼差しを息子に向けて悲しんでいる。
誰もが思うだろう…ダーツがアズの力を奪い死に追いやった…と。
瑪瑙だけは真実を知っていて、何度も天王様に訴えようとしたがそれを止めたのはダーツだった。
   
「いいんだ。私がアズを殺したようなものだから間違ってない」
「しかし、王子様は…」
「いいんだ…もう、どうでもいい」
   
ダーツは奇跡の力を手に入れたが、心には更に深い傷を背負ってしまった。
瑪瑙はダーツの寂しそうな後ろ姿を見つめ、ある事を決意する。
数日かけて研究室にこもり、ある薬を作ることに成功した。
瑪瑙はそれを持ってダーツをあの杏の花が咲く丘に連れていく。
   
「ダーツ様、この薬を風に乗せて全ての天使や女神達に降り注ぐようにしてくれませんか?」
「なんだ?それは…」
「アズ姫様の記憶を我々以外が忘れる薬です」
「瑪瑙!?何故そんなことを…」
「そうすれば誰も、ダーツ様がアズ姫様から力を奪ったなんて言いません。そして同時にダーツ様が生まれながらに奇跡の力を持たないなんて過去は無くなります」
「そんなこと出来ない!それをすればアズを本当に殺してしまう事になる!私には出来ない!」
   
ダーツは瑪瑙の薬を押し返したが、瑪瑙はそれをまたダーツに握らせて強く肩を掴んだ。
   
「ダーツ様。僕もアズ姫様を忘れません。二人で忘れない事がこの罪を形にするんです。僕もお供します。ですからどうか、周りに何も言わせることがない完璧な王様になってください」
「私に…また完璧になれと言うのか?彼女を殺しておいて何が完璧だ!!私は出来損ないなんだ!」
「違う!!貴方は王だ!我らの王です!」
   
叫ぶダーツの声をかき消すようにもっと強い言葉で瑪瑙が叫んだ。
ダーツの瞳から涙が溢れ、瑪瑙の苦しげな顔が滲む。
どうしてお前もそんな顔をするんだ?とダーツは不思議そうに眺めるしかなかった。
   
「そうしなければ…アズ姫がなんのために貴方に力を譲ったのか解らないでしょう?アズ姫はきっと、貴方とこの天界を愛していたはずです」
「なんで…そんなこと解るんだ?」
「何故って…僕もアズ姫と同じく心から貴方にお仕えしてるからですよ…貴方から生命を吹き込まれなくても、僕の全ては貴方のものです、ダーツ様」
   
瑪瑙は今の天王様が生命を与えたので主は天王様のはずだ。
しかし、これまでのダーツを見て、自分の意思でダーツを選んだ。
これはあり得ないことで、ダーツは「そんな馬鹿な…」と呟いたが瑪瑙の真剣な瞳から嘘は一欠片も見つからなかった。
そこまでの覚悟が瑪瑙にもあり、最後の最後まで自分のことではなくダーツのことを想ったアズにも宿っていたと言うことだ。
真の主を己で決める、そんな決意が。
   
「これが罪ならば僕も背負います。二人でいつかこの罪を償いましょう。どんなに年月がかかっても…。それまでに貴方は王になるんです。誰もが認める、この天界の王に…彼女が再び僕らの前に現れるまで」
「瑪瑙……すまない。お前にまで…」
「一人で抱え込まないでください。我らが王よ。我らの光よ。永遠(とわ)の栄光をお祈り致します」
   
瑪瑙はダーツに跪き、頭を下げた。
ダーツはぎゅっと薬を握りしめ、小瓶の蓋を開ける。
薬は細かい粒子であり、それはダーツが巻き起こした風に乗って天界全土に行き渡る。
風によって揺れた杏の花の花びらが薬を運ぶのを手助けするように共に舞い上がった。
   
「アズ…君を忘れはしない。どんなに時が流れても…君を待ち続ける。そしていつかまた出会うことが出来たなら…愚かな私を裁いてほしい」
   
君の命を犠牲にして、玉座に座る哀れな王を…。
   
   
   
   
   
   
ふっと話を終えたダーツは瞳を微かに開いた。
強く強く杏花の手を握りしめているが、顔にも手にも汗が滲み出ている。
まるで、断罪を恐れる罪人のように。
杏花は目を見開き、話が終わっても何も言えずにいた。
杏花の言葉がないので、ダーツは最後にもう一言だけ呟いた。
   
「私は君を、二度殺した…許されない罪を私は犯したんだ」
   
杏花はその言葉を聞いた瞬間に、今まで思い出せなかった記憶を鮮明に思い出した。
自分がまだ人間だった時、何も知らずに過ごしていた時間…その中に、ダーツがいたことを。
   
   
続く
   

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