旧 浦上天主堂 




    1 住 所  長崎市本尾町1−79

    2 区 域  長崎市北部ほか

    3 史 蹟  十字架山、ベアトス様の墓、秘密教会跡、帳方屋敷跡



  昭和20年8月9日11時2分を、長崎市民は忘れられない。

  一瞬の閃光に始まった原子爆弾の被害は、長崎市を「死の街」にした後も、現在もその被害は続いている。

  明治28年にフランス人神父、テオドール・フレノは煉瓦造りの天主堂を計画し、着工した。

  資金不足、フレノ神父の死を乗り越え、大正2年に竣工、大正3年3月18日にコンパス司教により献堂された。

  更に鉄川与助の手によりシンボルの双塔が着工から31年目の大正14年5月に完成した。

  完成した浦上天主堂は、当時「東洋一」の規模を誇り、平和のアンゼラスの鐘を鳴らし、旧浦上村の250年の弾圧に耐えて、生き抜き、迫害に打ち勝ち、キリスト教の勝利を宣言したかのように見えたが、原子爆弾により一瞬に崩壊した。
  完成後20年しか経っていなかった・・・。

  当時の浦上天主堂は四角柱の双塔をもち、窓が白く縁取られ、側面は白く塗られている。

  全体的にT字型をしている。内部は不明であるが、前面は天使胸像で飾られていた。
現在、福岡県の大刀洗天主堂を見るか、原爆資料館で復元模型でしか、想像はつかない・・・。

  現在、浦上天主堂の残骸は現浦上天主堂の下に、塔の一部が横たわっており、原子爆弾の凄まじさを知ることが出来る。また、外部の柱の一部は平和公園に移設され、展示されているが、知る人は少ない・・・。聖人像や天使の胸像は、浦上天主堂や原爆資料館で原子爆弾で焼けただれた彼らを見ることができる・・・。

  この天主堂は戦後、保存・復元論争が起こり、放置されていたが、昭和34年9月27日に鉄川工務店(鉄川与助創立)により、鉄骨鉄筋コンクリート構造の現教会が完成し、同年11月に献堂された。